第四幕 牢獄


 新教徒達の処刑から数日経った。カルロは幽閉されたままである。処断はまだ下されてはいなかった。
 宮殿の一室。ここは王の部屋である。
「朝がやって来たか」
 椅子に座り書類に目を通していた王は窓の向こうが完全に白くなったのを見て呟いた。
「では蝋燭を消さなくてはな」
 彼は自分の息で蝋燭を消した。
「朝が来るのは早い。わしはまた眠り損ねたのか」
 彼は国内の全てのことに目を通していた。そしてその為には眠ることさえ忘れることがあった。
「だが今は眠りたい」
 彼は疲れた顔で呟いた。
「王たる者に安息の日がないことはわかっている」
 その声も憔悴しきっていた。
「だが合間で得られないとはどういうことなのだ」
 彼は椅子から立ち上がり窓の向こうに鳴く小鳥達を見て恨めしそうに呟いた。
「小鳥でさえ愛を楽しんでいる。だがわしは」
 彼は自分のベッドを見た。
「誰もいない。わしは愛というものを忘れてしまった」
 彼は幼くして母を亡くした。そして二度結婚したがどれも妻は先に死んでいる。
「わしと結ばれた者はわしより先に旅立ってしまう。あのメアリーですら愛そうとしたのにわしより先に行ってしまった」
 二度目の結婚のことを振り返る。
「あの者はわしを愛してはいない。心を閉ざしたままだ」
 エリザベッタの顔を脳裏に浮かぶ。
「フランスの暗い森からこの太陽と共にあるスペインに来てもその顔は暗いままだ。そうとも、あの者が愛しているのはわしではないからな」
 彼は再び椅子に座った。
「わしは愛を忘れたまま安らかな眠りにも着けぬ。この世に最後の審判が下るその日まで」
 彼は壁にかけてある十字架に目をやった。
「神よ、何故このような苦しみをお与えになるのです。私は何時自分のマントに身を包んで安らかに眠れるのでしょうか。私は王といっても他の者と何ら変わるところはないのです」
 憔悴しきったその声も次第に弱くなっていく。
「安らかに眠りたい。愛を思い出して」
 そして彼はまどろみはじめた。 
 少しして小姓が部屋の扉を叩く音がした。
「ムッ」
 彼はその音に気付き目を醒ました。
「入れ」
「はい」
 小姓が入って来た。
「朝の用意ができました」
「わかった、すぐ行こう」
 彼は部屋を出た。そして簡素な朝食を終えると王の間に入った。
「今日は大審問官が来られるのだったな」
 王は側に控える大臣の一人に対して問うた。
「はい。もうそろそろ来られる頃だと思います」
 彼は答えた。大審問官とはこのスペインの異端審問の最高責任者でありローマ法皇直属である。枢機卿に匹敵する権限を持っていた。
「そうか」
 彼はそれを聞くと頷いた。やがて小姓が部屋に入ってきた。
「大審問官が来られました」
「お通ししろ」
 暫くして白い法衣に身を包んだ小さな男がやって来た。左右を修道僧達に支えられている。
「わしは今何処にいるのだ?」
 その白い法衣の男は言った。しわがれた老人の声であった。
「陛下の御前です」
 僧侶の一人が答えた。大審問官は齢九十を越える。年老いて目は見えなくなっていたがその脳はまだ生きていた。
「そうか」
 彼はそれを聞くと頷いた。そして顔を上げた。
 皺だらけの顔であった。若い頃は美男子であったかも知れないが最早老いに支配された顔であった。だが独特の何とも言えぬ険しさが漂っている。それは宗教家というより罪人を裁く酷吏のものであった。
「よくぞ来られました」
 王は彼に対し言葉をかけた。
「陛下ですな」
 審問官はそれを聞き言った。
「はい。貴方のお知恵を授かりたくお呼びしました」
「左様で」
 王はそこで周りに控える大臣や小姓、僧侶達に目をやった。
「下がっておれ」
 そしてその場を下がるように命じた。皆それに従い去っていった。
「で、何についてご相談されるのですかな」
 審問官は王に対し尋ねた。
「我が子カルロのことですが」
 王は彼のことを話し始めた。
「フランドルの者達の肩をもつようになったのです。何処で入れ知恵をされたのかわかりませんが」
「ほう」
「そして先日私の前で剣を抜きました」
「それについてですな」
「はい」
 王は答えた。
「決まっておりますな、その処罰は」
 彼はゆっくりと言葉を出した。
「王子はあのフランドルの者と結託し王の前で剣を抜いた。これは悪魔に心を奪われているのです」
「まさか」
 彼とて悪魔を否定するわけではない。だが大審問官が自らの望まないことを考えていることをそこから悟ったのである。
「その様な者に対する処罰は一つしかありますまい」
「しかしそれは・・・・・・」
 王はそれに対して口篭もった。
「父が子を殺すということになります。それは大罪です」
「陛下」
 大審問官は冷たい声で言った。
「神は主を犠牲になされました」
「しかし・・・・・・」
「それが世の摂理です」
「世の摂理・・・・・・」
 それは恐怖などではない、彼はそう考えている。だが大審問官は違っていた。
「正しき信仰こそが全てです」
「正しき信仰・・・・・・」
「そうです。陛下もそれはご存知の筈」
「確かに」
 王は自分がこの男に逆らえないということをその時身に滲みて感じた。審問官はそれを悟っているのかいないのか言葉を続けた。
「このスペインには忌まわしいユダヤ人もイスラムの者もおりませぬ。ましてや異端の忌まわしい息吹も聞こえてはきませぬ」
 どの者もカスティーリャとアラゴンの併合の時に追放されている。新教徒はあまりにも旧教の勢力が強い為入ることが出来なかったのだ。
「しかし今その異端の教えを持つ者がこの国に潜んでおります」
「誰ですか!?」
 王は問うた。そのような者など心当たりがなかった。
「王子のことなどその者と比べれば小さなことです」
「?誰でしょうか」
 王は益々わからなくなった。とりあえずはカルロを殺めずに済むと思いホッとした。
「本当にご存知ないか」
「はい」
 そう答えるしかなかった。
「ではお答えしましょう」
 彼はゆっくりと口を開いた。
「ポーザ公爵です」
「馬鹿な!」
 王はロドリーゴの名を聞き思わず叫んだ。
「それは何かの間違いだ、彼はわし、いや私の・・・・・・」
 王の声は明らかに狼狽したものであった。
「腹心でありましたな」
「はい・・・・・・」
 王は落ち着きを取り戻して答えた。
「そこに問題がありますな」
 彼は見えない目で王を見た。閉じられてはいるがそこには何故か剣呑な光が感じられた。
「陛下は今まで孤独であられました」
「はい・・・・・・」
 そうであった。王は至上の位、彼の他にこの位にいる者はこの国にはいないのだ。
「確かに私は今まで孤独でした」
 それは彼もよくわかっていた。それに耐え、責務を果たすことこそ王の宿命だと思っていた。
「ですが・・・・・・」
 それが変わったのはロドリーゴが現われてからであった。
「彼は私を常に助けてくれました。この宮廷、いや不毛な世界で唯一人・・・・・・」
「陛下」
 審問官は再び彼を見て言った。その見えない目で。
「陛下の冠は神より授けられた至尊のものですぞ」
「それはわかっております。だからこそ私は・・・・・・」
「神と国、そして民の第一の下僕であると仰るのですな」
「はい」
 王は息を呑む様な声で答えた。
「そう、陛下は神と主、そして精霊の第一の下僕であらせられる」
 彼はここで巧みに旧教の定義を出してきた。これに逆らった者は今まで全て異端と断定されてきた。
「陛下と同列の方はこの世にはおられぬのです。それはよくご存知の筈ですが」
「その通りです」
 彼はその言葉に逆らうことが出来なかった。王として、旧教を信じる者として。
「陛下、元に戻られればよいのです。陛下はこれまでその双肩でこの国を支えてきたではありませんか」
「そうですが」
 だがそれに疲れてきた。責務を放棄するような彼ではないがその重みに次第に疲れてきたのだ。これは彼が次第に老いてきたせいもあろうか。
「このスペイン、そしてフランドルの為に申し上げましょう。ポーザ公爵を除きなされ」
「それは・・・・・・」
 王はそれを拒もうとした。しかし。
「神の為です」
「・・・・・・・・・」
 それを否定出来なかった。スペインの王として、ハプスブルグ家の者として。
「このスペインは神の守られた国です。それを治める陛下にもそのご加護なくしては治められぬのはおわかりでしょう」
「そのご加護とは・・・・・・」
 異端審問、そして僧侶達の横暴のことだ、と言おうとしたが言う事は出来なかった。スペインの僧侶達はドイツやフランスのそれと比べると腐敗は酷くはない。厳格なイエズス会の影響だがそれはそれで王にとっては厄介であった。今目の前にいるこの審問官の様に頑迷な人物を輩出してしまっているからだ。
「わしは先王にもお仕えしました」
「父上か」
 壁にかけてある肖像画を見る。彼と殆ど同じ顔のその肖像画の人物こそ父カール五世であった。神聖ローマ帝国を、そしてこのスペインを支えた偉大な父だ。
 彼は常に思っていた。自分はこの父より劣っていると。だがそれを拭い去る為に彼は今まで身を粉にしてスペインの為に働いてきたのだ。
「陛下は今先王に肩を並べられようとしております。今この国は世界の頂点にあります」
「父上に」
 彼はその言葉に甘い囁きを感じた。
「だが私には彼の力が」
「必要ありませんな」
 それに対して審問官は言い切った。
「先王も一人でこのスペインを支えられました。陛下にそれが為せぬ筈がありませぬ」
「そうは言うがな」
 父カール五世も最後には力尽き全てを彼と自身の弟フェルディナント一世に譲り歴史の表舞台から退いた。その時の姿はそれまでの偉大な君主ではなく疲れきった一人の老人であった。
「陛下」
 審問官は痺れを切らしたのであろうか。強い声で言った。
「これは神の判断です。よろしいですな」
「わかりました」
 彼は遂にそれを承諾した。これでロドリーゴの運命は決まった。
「よろしい。それでこそこのスペインの王です」
 彼は満足した声で言った。そして法衣の中に入れていた鈴を出して鳴らした。すると先程の僧侶達がやって来た。
「それではこれで。吉報をお待ち下さい」
 僧侶達に支えられ彼は王室を後にした。王はそれを見届けると力無く王座に座った。
「王の力なぞこんなものか」
 彼は疲労に満ちた声で呟いた。
「神の名の前には全くの無力だ」
 彼はその時父のことを思い出した。バチカンとルターの対立に巻き込まれた父のことを。
「父上もこのようなお気持ちだったのか」
 暫く王座の上で力無く座っていた。だがやがて側にある鈴を鳴らした。
「はい」
 小姓が入って来た。
「王妃を呼べ」
 彼は小姓に対して言った。
「わかりました」
 小姓は頭を垂れると部屋を後にした。そしてエリザベッタを連れて来た。
「ご苦労、下がっておれ」
 彼は小姓を下がらせた。そして王妃と二人だけになった。
「妃よ」
 王はエリザベッタを見下ろして言った。
「何故ここに呼ばれたかわかっているな」
「王太子のことでしょうか?」
「そうだ。彼との仲が最近いいようだが」
「はい」
 彼女は薄氷を踏む思いで答えた。自分とカルロのことに気付かれたのであろうか。
「先日そなたの部屋からあるものが盗まれたそうだな」
「はい」
 彼女の顔はそれで益々青くなった。
「それは一体何だ」
「それは・・・・・・」
 エリザベッタは息を飲んだ。
「答えられぬか?」
「いえ・・・・・・」
 心臓が潰れるようであった。それでも声を振り絞って答えた。
「小箱です」
「それはこれのことか」
 王はそう言うと懐から一つの小箱を取り出した。
「!」
 エリザベッタはそれを見て思わず気を失いそうになった。だが懸命に己を支えた。
「顔が青いな。大丈夫か?」
「はい」
 これは王の誘導であった。彼女はそこに誘い込まれた。
「大丈夫なら問題ないな。これを開けてみよ」
「それは・・・・・・」
 彼女は自分が逃れられぬ罠に陥ったことを悟った。
「どうした、出来ぬのか?」
 王の言葉は続いた。恐ろしく冷徹な響きであった。
「そうか、出来ぬのか」
 王はそこで言葉を収めた。一旦は。
「ならばわしが開けよう」
「えっ!」
 エリザベッタはその言葉に顔をさらに青くさせた。最早蝋の様であった。王の手は彼女の目の前で無慈悲にその小箱をこじ開けた。
「これは・・・・・・」
 王は小箱の中のものを取り出した。そして見た。
「王子の肖像か」
「はい」
 観念したエリザベッタは顔を俯けて答えた。
「これはどういうことだ?」
 王はそれを彼女に見せながら問うた。静かだが反論や言い逃れを許さぬ厳しい声である。
「彼は私の婚約者でした」
「だから持っていたというのか?」
「はい」
「今でも愛しいと思って」
「それは・・・・・・」
「違うというのか?」
 王の言葉は彼女を捉え離さなかった。鉄の鎖の様にきつい束縛であった。
「陛下」
 彼女はそれにあがらおうと決心した。そして顔を上げた。
「私をお疑いになられるのですか?」
「・・・・・・・・・」
 王はあえてそれに対して答えなかった。
「百合を司る家に生まれた私を」
 ヴァロア家の紋章を出してきた。純潔の証でもあるそれを。
「百合か」
 王はそれを聞き静かに言った。
「百合でも穢れることはあろうな」
 その声は地獄の奥底から聞こえてくるようであった。
「そんな・・・・・・」
 エリザベッタはその言葉と冷酷な口調に絶望した。
「清らかな百合にも虫はつく。否定出来るか?」
「はい・・・・・・」
 彼女は死にそうな顔で答えた。
「私の操は神が証明して下さりますから」
「神か」
 彼にそれを否定することは出来なかった。エリザベッタはそこまで考えてはいなかったが口に出した。
「ではそなたは地獄の門へ向かうのだな。フランチェスカ=ダ=リミニにように」
 王はその冷酷な声を崩さずに言った。フランチェスカとか義弟との不義の恋の末に死した女性である。
「陛下・・・・・・」
 彼女はもう完全に血の色を失っていた。
「答えてみよ」
「・・・・・・・・・」
 エリザベッタは答えようとしない。
「答えぬのか!?」
 王は問い詰めた。
「お答えします・・・・・・」
 彼女は顔を上げた。王はその顔に対して言葉を浴びせるように言った。
「申してみよ、許してつかわす故」
 言葉を続けた。
「そなたの不義を」
 これが決め手であった。王妃はその場に崩れ落ちた。
「耐えられなかったか」
 王はそれを一瞥した。
「所詮己の心を保てなかったということか」
 言葉と口調こそ冷徹なものであったがその顔には哀しみが宿っていた。
「誰かいるか」
 彼は再び呼び鈴を鳴らした。やがて小姓が入って来た。
「二人程呼んで参れ」
「わかりました」
 やがてロドリーゴが入って来た。
「そなたか・・・・・・」
 王は彼の顔を見て顔を暗くさせた。
「はい」
 ロドリーゴは大審問官の心を知らない。そして王と彼の会話も知らなかった。だから王が何故顔を暗くさせたのか知らなかった。
「もう一人呼んだ筈だが」
「陛下、如何致しました?」
 そこにエボリ公女が現われた。彼女とロドリーゴは一瞬視線を交えたがすぐにそれを逸らせた。王の前だという意識がそうさせたのである。
「これを見よ」
 王は倒れている王妃を指差して言った。
「な・・・・・・!」
 それを見てロドリーゴも公女も言葉を失った。
「公女よ」
 王は公女に顔を向けて言った。
「そなたの申した通りであったな」
「それは・・・・・・」
 彼女は顔を白くさせた。まさか自身の一時の憤りがこういった事態を招くとは。
 彼女はカルロに対し怒り王妃に嫉妬しただけであった。それが王妃をここまで追い詰めるとは。
 王妃は憎くはなかった。だが怒りが彼女を狂わせてしまったのだ。
(大変なことをしてしまった・・・・・・)
 顔には出さまいとする。だがどうしても出てしまう。王はそれに気付いた。
「どうした、何かあるのか?」
「いえ・・・・・・」
「そうか。なら王妃を助けてやるがよい」
 顔が青くなったのは倒れたところを見たからだと思った。そして彼女に対し命令した。
「わかりました」
 彼女は王妃の側へ寄った。ロドリーゴもそれに続く。介抱は公女がしている。ロドリーゴはそれを助けている。
「陛下」
 彼はそれを続けながら王に対して言った。
「何だ」
 王はそれに対して煩わしそうに顔を向けた。
「一体何があったのかはわかりませんが」
 彼はある程度は察していたがあえてそう言った。
「慈悲の心は常に心に留めて下さい」
「わかった。しかし・・・・・・」
 王は苦しい表情で彼を見て言った。
「時にはそれをもってしてもどうにもならぬことがある」
 それは他ならぬロドリーゴ自身にかけた言葉である。
「しかし・・・・・・」
 ロドリーゴはその言葉の真意がわからない。
「言うな」
 王はそれ以上の言葉を拒絶した。
「わかりました」
 彼はそう答えるしかなかった。
「王妃様、お気を確かに」
 公女は必死に彼女に声をかける。やがて彼女はゆっくりと目を開けてきた。
「気付かれましたか」
「はい・・・・・・」
 まだ顔は白い。だがそれでもようやく我を取り戻せた。
「気を取り戻したか」
 王はそれを見て呟いた。
「公爵」
 王はロドリーゴに何かを言おうとした。
「はい」
 彼はその場に畏まった。
「実はな」
 何かを言おうとする。だがそれを急に止めた。
「いや、いい」
 彼はそれを止めた。
「!?」
 ロドリーゴはそれに不審なものを感じた。咄嗟に彼は今日の宮殿の来客のことを思い出した。
(そういえば・・・・・・)
 あの盲目の老人のことが脳裏に浮かぶ。そして以前の王の言葉も。
(そういうことか)
 彼は勘のいい男である。全てを察した。そして自らを待つ運命も。
(時が来たな) 
 彼は思った。
「ではわしは用があるのでな。これで失礼する。公女よ、妃を頼んだぞ」
「はい」
 王はそう言うと部屋を後にした。ロドリーゴはそれを追う。あとには王妃と公女だけが残された。
「王妃様、大丈夫ですか」
「はい」
 段々顔に血の気が戻ってきている。彼女は笑顔で答えた。
「公女、有り難うございます」
 そして彼女は礼を言った。
「いつも助けて頂いて。何とお礼を言えばよいのか」
「いえ・・・・・・」
 だが公女はそれに対して顔をそむける。
「どうしたのです?」
 エリザベッタはそれを不思議に思った。
「私はお礼を申し上げているのに」
「私は・・・・・・」
 彼女はそれに対し顔をそむけたままである。
「顔をこちらに向けて下さい。他人行儀する仲でもありませんし」
「王妃様・・・・・・」
「さあ、どうぞ」
 彼女は顔をようやく向けてきた。
「どうしたのですか?貴女らしくもない」
 王妃が普段の気の強い彼女を知っている。だから今の弱々しく何かに怯えている様子は不思議で仕方がなかったのだ。
「あの、王妃様」
「どうしたのです!?本当に」 
 彼女は立ち上がった。公女も立たせた。
「仰って下さいな。私達の間に秘密は不要ですよ」
「はい・・・・・・」
 その王妃の優しさと清らかな心が余計辛かった。
「王妃様に申し上げたいことがあります」
 彼女は気を振り絞って言った。
「何でしょう」
「はい・・・・・・」
 言おうとする。だが言葉が出ない。それでも気を奮い立たせた。
「あの・・・・・・」
 彼女は意を決した。そして再び口を開いた。
「私は罪を犯しました」
「罪とは?」
 エリザベッタは不思議な顔をして問うた。
「はい・・・・・・」
 再び言葉が詰まりそうになる。だがそれを必死に抑えた。
「小箱のことですが」
 彼女は語りはじめた。
「カル・・・・・・いえあの小箱のことですか?」
「はい」
 彼女は頷いた。
「あの小箱がどうしたのですか?」
「陛下がお持ちでしたよね」
「ええ」
 エリザベッタの顔が再び青くなる。
「あの小箱を陛下にお渡しした者ですが」
「ご存知なのですか!?」
 エリザベッタは少し顔を前に出した。
「はい・・・・・・」
 公女の顔がまた青くなる。
「私です」
 彼女は何時に無く弱々しい声で言った。
「今何と・・・・・・」
 エリザベッタはその言葉を聞いて思わず耳を疑った。
「あの小箱を盗み出し陛下にお渡ししたのは私です」
「嘘ですよね」
 エリザベッタは思わず問い詰めた。
「貴女がそんな・・・・・・」
「本当です」
 彼女は言った。その青い顔が真実であると告げていた。
「何故・・・・・・」
「全ては私の愚かな憎しみと嫉妬の為」
「嫉妬・・・・・・」
「私もまた殿下を愛しております」
「そうでしたの・・・・・・」
 エリザベッタはそれを責める気にはなれなかった。自分自身もそうだからである。
「私は殿下を愛しております。ですが殿下は・・・・・・」
「公女よ、もういいです」
 エリザベッタは彼女に対して優しい声で言った。
「貴女があの人を想う気持ちはよくわかりますから」
「いえ」
 公女はその許しを受け取ろうとしなかった。再び顔を背けた。
「公女、神は愛故の罪を咎めはしません。気を落ち着かれて」
「私はまだ罪があるのです」
「・・・・・・・・・」
 エリザベッタはそれに対してあえて聞かなかった。彼女の言葉を聞こうと思った。
「私は・・・・・・」
 言えない。わかっていた。これを言ったならば自身の破滅であると。
 言葉が喉を出ない。どうしても言えない。身体が言葉を出すことを拒否していた。
 しかし良心がそれに打ち勝った。彼女は言葉を出した。
「私は陛下のお情を受けておりました」
「そうですか・・・・・・」
 エリザベッタはそれを聞き哀しい声で答えた。
 欧州の宮廷ではよくあったことである。正妻がいながら寵妃を愛する。彼女の父アンリ二世はその最たるものであった。
「よくある話です」
 彼女は現実を受け止めた。
「ですが」
 しかしその顔は白いままである。
「私は貴女が陛下と共にいることを認めることは出来ません」
「はい・・・・・・」
 彼女はその言葉を受け入れた。
「さようなら」
 彼女はそう言うとその場を去った。あとには公女一人だけが残された。
「ああ・・・・・・」
 彼女は一人になるとその場に崩れ落ちた。
「何もかもが終わってしまった・・・・・・」
 彼女は王妃を愛していた。それは偽らざる真心からのものであった。
「全ては私の憎しみのせい・・・・・・」
 そして自らの激しい心を呪った。
「それもこれも私の高慢故、そのもとはこの美貌・・・・・・」
 悔やんでも悔やみきれなかった。激しい怒りと後悔が彼女の心を打ちすえた。
「その為に私は今全てを失った、そしてこの罪は決して消えはしない」
 涙が流れた。赤い。血の涙であった。
「この赤い血も全てはこの美貌の為、これ程までにこの美貌を憎んだことがあろうか」
 それは彼女の誇りであった。しかし今は憎しみの根源であった。
「もう私には何もない。何処かの修道院に入り静かに暮らすしかない。この罪を悔やみながら」
 だが彼女はここで気付いた。
「いえ、まだ私には残っていたものがあるわ」
 そして彼のことが脳裏に浮かんだ。
「殿下を、殿下をお救いしなければ」
 王妃への想いを知られたならば、その末路は容易に想像できた。
「殿下だけはお救いしなければ」
 彼女は立ち上がった。そして涙を拭いた。
「私はまだ全てを失ったわけではない、あの方だけはこの命にかえても!」
 彼女は意を決した。そして王の間から姿を消した。

 カルロは父である王の前で剣を抜いてから牢獄に入れられていた。このスペインの継承者である為待遇は悪くはない。だが彼は鉄格子の中にいるのである。
「あれから何日が過ぎただろうか」
 彼はふと思った。
「ここでは時間が進んでいることさえ忘れてしまう」
 この牢獄は王宮の地下にある。彼はここに閉じ込められているのだ。
 陽もささない。ただ薄暗く湿っている。そこはまるで闇の中のようであった。
「殿下」
 そこに看守達がやって来た。
「食事かい?」
 彼等がここに来るのは食事を運びに来る時だけである。
「ご面会です」
「私にかい!?」
「はい」
 やがて一人の男が姿を現わした。
「ロドリーゴ!」
 カルロは彼の姿を見て思わず声をあげた。
「お久し振りです」
 彼の身なりは綺麗であった。そしてカルロを見る目も何処か哀しみに満ちていた。だがカルロはそれに気付かなかった。ただ友が来てくれたことを喜んでいた。
「私はもう駄目だ、おそらくこの牢獄の中で一生を終えるだろう」
 彼はすっかり悲観しきっていた。
「殿下・・・・・・」
 ロドリーゴはそんな彼を何時になく優しい声で呼んだ。
「御安心下さい、神は殿下を御守り下さいます」
「有り難う・・・・・・」
 カルロはその言葉に微笑んだ。だが力のない笑みであった。
「けれど私は・・・・・・」
「救われます」
 彼は言った。
「私はその為に来たのですから」
「君が・・・・・・」
「はい、あの僧院での誓いを覚えておられますね」
「当然だ、一日、いや一瞬たりとも忘れたことはない」
 カルロは顔を上げて言った。
「有り難うございます。これで私も思い残すことはありません」
 ロドリーゴは哀しみを笑みの中に包んで言った。
「私の理想、想い、いや全ては殿下の中に生き残るのですから」
「ロドリーゴ、何を言っているんだい!?」
 カルロはそれを聞いて不吉なものを悟った。
「今日は一体どうしたんだい!何か妙なことばかり言っているけれど」
「妙なことではありません」
 彼は言った。
「私は幸福でした。殿下とお会いできてしかも私の全てを受け継いで下さるのですから」
 彼は言葉を続けた。
「その殿下をお救いできた。私は今までこの世に生きた者の中で最も幸福な者でした」
「ロドリーゴ!」
 カルロはその話を止めさせるように叫んだ。
「止めるんだ、今日の君は一体どうしたんだい!?不吉なことばかり言って」
 彼は震えていた。
「殿下」
 ロドリーゴはそんな彼を落ち着かせるような優しい声で言った。
「私は殿下に降り懸かる災厄を退けました」
「災厄!?」
「はい、私は殿下の楯となったのです」
 彼は毅然とした声で言った。
「楯って・・・・・・まさか!?」
 カルロはその言葉にハッとした。
「そうです、おわかりになられましたね」
「そんな馬鹿なことがある筈がない!」
 彼は叫んだ。
「いえ、本当です」
 ロドリーゴは静かな声でそう言った。
「私はもう陛下に仇なす反逆の徒、フランドルを煽動した謀反人なのです」
「父上も君のことはよく知っている、それは嘘だ」
「陛下だけがこのスペインを統べられているわけではありません」
「そんな筈が・・・・・・」
 カルロはそういったところで気付いた。
「そうか・・・・・・」 
 そして鉄格子を掴んだまま項垂れた。
「殿下もまた彼等に命を狙われておりました」
「私の命なぞどうでもいい」
 彼は首を横に振ってそう言った。
「そういうわけにはいきません。殿下はこれからのスペイン、そしてフランドルにとって欠かせぬお方なのですから」
「ロドリーゴ」
 カルロは顔を上げた。
「もし彼等が君の命を狙っていても誰がそんなことを信じるのだ!?」
「彼等にとっては神だけが全てです」
「証拠は!?何もないじゃないか」
「あの者達にとって証拠は必要なものでしょうか!?」
「いや・・・・・・」
 それは彼もよくわかっていた。異端審問に際して最も重要なことは疑われないことである。証拠は不要なのだ。何故なら神が全ての証拠なのだから。そして多くの罪無き者達が惨たらしい拷問と燃え盛る炎の前に消えていった。このスペインはまだましであった。彼等の同胞である神聖ローマ帝国はその叫び声で満ち燃え盛る炎の煙で天は暗黒に覆われていたのだから。
「それに証拠もあります」
「何処に・・・・・・」
「私の屋敷にです。殿下から頂いた書類を私の屋敷に置いておきました。今頃は彼等がそれを押収していることでしょう」
「何故そんなことを」
「全ては殿下の為」
 彼は静かに短く、そして強い声で言った。
「私に全ての罪がかけられます、殿下には誰も危害を加えられないでしょう」
「そんな・・・・・・」
 カルロはそれを聞き再び頭を落とした。
「私には君が必要なのに、永遠に」
「御安心下さい、私は永遠に殿下の中で生きます」
 その時だった。階段を二人の男が降りてきていた。
「公爵はここだな」
 彼等は小声で話していた。
「ああ、王子も一緒だ」
 二人は異端審問官の漆黒の制服を着ていた。細部は赤く装飾されている。まるで血の様な赤だ。それは彼等に殺された罪無き人々の血であろうか。そしてその黒は闇、人の心の闇の黒なのであろうか。
 一人はその手に銃を持っている。既に火が点けられている。
「王子はいいのだな」
「大審問官様からご指示があった。王に免じ今だけは生かしてやれと」
「今だけは、か」
「そうだ。しかし次におかしなことをしたならば」
「わかっている」
 そして二人は下に降り立った。カルロもロドリーゴもそれに気付かない。
「準備はいいな」
「うむ」
 銃を持つ男が構えた。そして引き金に指を入れた。
「ん!?」
 カルロはその時ようやく誰かやって来たことに気付いた。
「ロドリーゴ」 
 そしてロドリーゴに声をかける。だが全てが遅かった。
 引き金が引かれた。銃口に光が宿り死が放たれた。雷の様な音が鳴り響きロドリーゴを撃った。
 それは彼の背を撃った。心臓のところだった。彼は一度大きくのけぞり鉄格子に倒れ込んだ。
「ロドリーゴッ!」
 彼は叫んだ。そして友を助けようとする。
「クッ!」
 だが鉄格子は開かない。そこにロドリーゴの手から一個の鍵が落ちて来た。
「私を助ける為に・・・・・・」
 カルロはまたもや彼の深い心に涙を落とした。だが今は感慨に耽っている暇はなかった。
「だが今度は私が君を助ける番だ」
 そして鍵を取りそれで鉄格子を開けた。そして友の仇を追おうとする。
「待てっ!」
 だが彼等はもういなかった。既に階段を昇り何処かへ姿を消していた。
「クッ、異端審問の者達か、それとも・・・・・・」
 彼は歯噛みした。だが追うのを諦め倒れている友に目をやった。
「ロドリーゴ、大丈夫か」
 彼を抱き起こす。だが彼は既に血の海の中にあり彼の顔は蒼白となっていた。
「殿下、お聞き下さい」
 彼は自身の血に塗れた手でカルロを抱き締めた。
「このように血に塗れた身体で申し訳ありませんが」
「そんなことはない」
 カルロは首を横に振って答えた。
「君の熱いこの血、今こそ全て受けよう」
「有り難うございます・・・・・・」
 彼は力ない笑みで微笑んでそう言った。
「明日ユステの僧院へお向かい下さい。そこに王妃様がおられます」
 彼はここに来る前に既に王妃と会っていたのだ。
「王妃様は全てをご存知です。必ずや殿下をフランドルへお渡しなさるでしょう」
「そこまで手を打ってくれていたのか」
「はい・・・・・・」
 彼は弱々しく頷いた。
「それが私の務めですから」
 彼は言葉を続けた。
「そしてそこからスペイン、そしてフランドルは新生するのです。殿下の手によって」
「私の手で・・・・・・」
「そうです、私はそれを何時までも見守っていますよ、殿下の中で」
 彼はうっすらと微笑んだ。一言ごとに力が弱くなっていっているのがわかる。
「私は愛する殿下をお救いすることが出来ました。そしてそれによりスペインも、フランドルも救われる。それで本望なのです」
「ロドリーゴ・・・・・・」
「長い苦悩の人生でした。戦場で、宮廷で多くの血を見てきました」
 宮廷もまた権謀術数の中にある。彼は神聖ローマ帝国の大使を勤めていた頃やイングランドの大使を勤めていたことがある。そこで多くの血が流れるのを見てきたのだ。
「ですが最後に殿下にお会いできた。私の苦悩は殿下により救われたのです」
「私に・・・・・・」
「はい、その殿下の為に死んでいく、私は幸福でした」
「有り難う・・・・・・」
 カルロは泣いていた。
「泣かれることはありません、私達はこれでずっと一緒です」
 そして首のペンダントをとりカルロに手渡した。カルロはそれを受け取った。
「さようなら、ですが私は永遠に貴方の中に生きます」
「うん・・・・・・」
 カルロは頷いた。
「ですから悲しまないで下さい。私は貴方と共にありますから」
 そう言うとその目をゆっくりと閉じた。
「私は永遠に貴方と共に・・・・・・」
 そして静かに息を引き取った。
「ロドリーゴ!」
 カルロはその上に倒れ伏した。牢獄から悲しい慟哭が聞こえてきた。

 やがてカルロは牢獄から出て来た。その背にはロドリーゴを背負っている。
「カルロよ」
 王は中庭にいた。その周りを宮廷に仕える貴族達が取り囲んでいる。
「そなたの罪は許された。わしに剣を向けたことも全て許そう」
「・・・・・・・・・」
 カルロは父王のその言葉に答えようとしない。
「公爵はその罪の報いを受けた。だがそなたを救い出した功によりそれも許そう」
「彼の命を奪っておきながらですか!?」
 カルロは顔を上げた。
「父上、いえ陛下」
 彼は王を睨みつけて叫んだ。
「公爵、いえロドリーゴのことは貴方もご存知だった筈です、それを何故処刑人達に投げ与えたのですか!?」
「それは・・・・・・」
 王は答えられなかった。彼もまたロドリーゴを救いたかったのだ。
 だがそれは出来なかった。彼が全知全能ではない人間であるが故に。
「彼は私の為に全てを捧げた、そして貴方にも。それをわかっていながら何故・・・・・・」
「そなたにもそのうちわかる時が来る」
 彼は力なくそう言った。
「そんなものわかりたくもない!」
 彼はヒステリックに叫ぶようにして言った。
「彼は私の為に死んだ、全てを捧げてくれた」
 彼は父王を睨んだままである。
「それは貴方に対しても同じだったというのに・・・・・・」
「それはわかっていた・・・・・・」
「私は決めました」
 担ぐロドリーゴの死に顔を見ながら言った。
「彼の志を受け継ぎます」
「そうか・・・・・・」
 最早それに対し反対するつもりはなかった。彼自身は。
「そなたも運命に従うか」
 王は悲しい声で言った。
「それが私の運命ならば」
「わかった・・・・・・」
 カルロの運命もまたこの時決まった。だがカルロはそれを知らない。
「公爵」
 王はカルロが担ぐロドリーゴの亡骸を見た。
「今までご苦労だった。せめて手厚く弔ってやろう」
 そう言うと左右の廷臣達に目配せした。
「彼を大切に扱ってくれ」
「わかりました」
 彼等も悲しかった。この宮廷でロドリーゴ程人望があり心優しい男は他にいなかったのだ。
「殿下」
 彼等はカルロに歩み寄った。
「公爵のことは我等にお任せ下さい」
「わかった」
 カルロは大人しくそれに従った。ロドリーゴは彼等に委ねられその場を去った。
「ロドリーゴ・・・・・・」
 彼はそれを見えなくなるまで見送っていた。
「君は永遠に私の中で生きる。見ていてくれ」
 そして父に対し向かい直った。
「今一人の英雄がスペインを去りました」
「うむ」
 王は力なく頷いた。
「ですが彼の心は私に受け継がれました。それが何を意味するか」
「わかっておる」
 王は言った。
「だがそれでそなたの運命は・・・・・・」
 続きを言おうとした。その時であった。
 不意に早鐘が鳴った。それは危急を知らせる鐘であった。
「何事だ!?」
 王は咄嗟に身構えた。
「陛下!」
 中庭に小姓達がやって来た。
「どうしたことだ!?」
 王は彼等に対し尋ねた。
「大変です、宮中に民衆が雪崩れ込んで来ました!」
「何っ!」
 これには王だけでなくその場にいた全ての者が驚いた。
 エリザベッタも侍女達に護られやって来た。異端審問官達もいる。
「彼等がロドリーゴを・・・・・・」
 カルロは彼等を見て激しい怒りを感じた。だが今はそれどころではなかった。
「陛下よ、これは如何いたしたのですかな?」
 大審問官もいた。彼は相変わらず左右を支えられている。
「何、愚か者共が騒いでいるだけです」
 王は怖れることなくそう答えた。
「殺せ!殺せ!」
 中庭は頑丈な扉によって守られている。その向こうから怒鳴り声が聞こえてきた。
「来たか」
 王はそれを聞き落ち着いた声で言った。
「まずい・・・・・・」
 だが他の者は皆蒼白となっている。カルロも身構えている。
「皆の者、案ずることはない」
 王は彼等に対しそう言った。
「扉を開けよ」
 小姓達に言った。
「しかし・・・・・・」
 彼等は青くなってそれを拒もうとする。
「これは王の命令だ」
 彼は反論を許さなかった。彼等は震えながら扉に向かう。扉は今叩き壊されようとしていた。
 扉の栓が落とされた。すると民衆が雪崩れ込んで来た。
「よし、進め!」
 彼等は手に得物を持っていた。そしてその顔は殺気立っている。
「何処に進むというのだ?」
 王は彼等の前に進む出て言った。
「う・・・・・・」
 彼等は王の姿を認めて動きを止めた。
「わしの後ろには何もないぞ」
 彼は民衆達と正対してそう言った。
「わしの他には何もない。そなた等は何を求めているか」
「それは・・・・・・」
 彼等は立ち止まった。
「わしを殺すつもりならそうするがいい。だがわしが死してもこのスペインは揺るがぬ」
 彼は毅然として言った。
「そしてもう一つ言おう、わしは暴徒達の刃には屈さぬ。さあ愛する民達よ、そなた達は暴徒なのか!」
 王は雷の様な声で問うた。民衆はその威厳の前に折れ得物を投げ棄てた。
「陛下の民です!」
「そうか」
 王は彼等のその姿を見てそう言った。
「ならば良い。わしの冠はそなた等を罰する為にあるのではない」
 彼は静かに言った。
「悪しき者を討ちスペインと民を護る為にあるのだ」
 そう言うと彼等を一瞥した。
「落ち着くがよい。そなた等に罪はない」
「わかりました・・・・・・」
 流石は一国の王であった。彼はその威厳だけで猛り狂う民衆を落ち着かせたのだ。
「これが王か・・・・・・」
 カルロもそれは全て見ていた。そして何かを悟った。
「私も王というものを学ばなければ」
「陛下、お見事です」
 大審問官が王の前に進み出てきた。
「これも神のご加護です」
「はい」
 王は答えた。
「民達よ」
 王は彼等に対し言った。
「すぐにこの宮殿を去るがいい。そなた等は罪に問われることはない故安心するがいい」
「わかりました」
 こうして宮中での暴動は幕を降ろした。そして民衆達は街に帰りロドリーゴは棺に入れられた。血の一日はこれでようやくその幕を降ろした。
 
 その日の夜である。エリザベッタは一人密かに宮殿を出ていた。
 そして夜の闇に紛れ何処かに向かおうとする。そこに誰かが声をかけてきた。
「誰です!?」
 彼女は咄嗟に身構えた。
「私です」
 それはエボリ公女であった。
「貴女は・・・・・・」
「今日の騒動ですが」
「民達が宮中に入って来た騒ぎですね」
「はい」
 彼女は答えた。
「殿下はあれで助かったでしょうか?」
「そうでしたか、貴女が手引きされたのですね」
「そうです、全ては殿下をお救いする為」
 彼女は強い顔で頷いた。
「殿下はご無事でしょうか?」
「はい、ポーザ公爵が命を賭けてお救いになられました」
「公爵が・・・・・・では私のしたことは・・・・・・」
「その心は神に伝わりました」
 エリザベッタはうなだれようとしていた公女に対して言った。
「え・・・・・・」
「その心は伝わりました。カルロは明日私と会います」
「御気をつけて」
 公女は感謝した表情でそう言った。
「異端審問官達が捜しておりますから」
「その様なものもう怖くはありません」
 彼女は毅然として言った。
「ポーザ公爵は命を賭けてあの方を救われました」
 彼女もまたロドリーゴの心がわかったのだ。
「そして貴女も全てを賭けてあの方の為に動かれました」
 この煽動は異端審問官達に感づかれれば命にかかわる。公女はそれでも動いたのだ。
「そして私も」
 彼女は言葉を続けた。
「あの方の為、フランドルの為に行きます、あの聖堂へ」
「王妃様・・・・・・」
 公女はそれを聞いて頭を垂れた。
「これが永遠の別れになるかも知れません」
 彼女はそう言うと公女に顔を向けた。
「ご機嫌よう」
「はい・・・・・・」
 エリザベッタも全てを棄てた。実に澄みきった表情となっていた。
 公女はそれを見送った。そして夜の世界にその姿を消していった。



ロドリーゴが…。
美姫 「にしても、あの大審問官って…」
一気に話が動いたな〜。
果たして、次回はどうなるのか。
美姫 「非常に気になるわね」
うんうん。
美姫 「次回も楽しみに待ってますね〜」
ではでは。



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