第六幕 二本の槍


 高くそびえ立つ岩山の上を飛ぶ飛竜の一群があった。その数二万、一糸乱れぬ見事な動きで南西へ向かっていた。
 飛竜の背には騎士達がいる。どの者も武装しその手には剣や槍がある。
 風にたなびく軍旗はトラキアの軍旗である。赤褐色の下地に黄のグングニルが中央に配されている。かって大陸中に怖れられ憎まれた旗である。
 軍の先頭には深緑の髪の若者がいる。トラキアの後継者にして十二神器の一つグングニルの所有者アリオーンである。その手にはグングニルが握られている。
 アリオーンは竜を駆りながら南西を見ていた。そこには目指す目標があった。
「シアルフィ軍、今度こそ」
 エッダから発ち長躯ここまで来た。狙うは敵将セリスただ一人である。
「セリス皇子、か」
 敵将だというのに不思議と敵意は感じなかった。むしろ好意すら覚える。彼にとってシアルフィ軍は最早敵とは感じられるものではなくなっていた。
「アルテナ・・・・・・」
 ふと今は敵同士となっている妹の名が口から出た。憎しみなどあろう筈がない。だが今は刃を交えねばならないと考えていた。
「己の星に従え」
 バーハラからエッダへ向かう時に皇帝から言われた言葉だ。耳から離れない。
「私の星・・・・・・。天騎士ダインの星か」
 フッと笑った。何故だかわかったような気がした。
「ならば向こうから来るだろう。運命という因果の輪を断ち切りにな」
 そう言った直後だった。前から一騎の竜騎士が飛んで来た。
「来たか」
 来たのはノヴァの娘だった。聖戦において共に戦い共に国を建てたダインとノヴァ。その後袂を分かち血を血で洗う抗争を百年に渡って繰り広げたその子孫達。父と母を騙し討ちにしながらその娘を育てた我が父。育てられたかって妹と呼んだ娘。そしてその弟と彼に倒された父――――。多くの者が倒れ傷付き血と涙をトラキア半島に流した。
「だがそれも幕を降ろす時が来たのだ。ダインとノヴァの血の歴史が」
 アルテナが目の前に来た。アリオーンは全軍を停止させた。
「久し振りだな、アルテナ。元気そうで何よりだ」
 アリオーンは微笑みながら言った。アルテナはそれを口を真一文字にして聞いている。
「どうしたのだ?私に何か用があって来たのだろう、黙ったままではわからないではないか」
「・・・・・・兄上はもうわかっておられる筈です。ご自身が何を為さるべきかを」
「何をだ?」
 あえてとぼけてみせた。彼女の口から言わせたかったからだ。
「ダインとノヴァは実の兄妹でした。兄と妹が争ってきたトラキアとレンスターの歴史を今終わらせなければいけません」
「・・・・・・・・・」
「父上、いえトラバント王はもういません。帝国も今その灯火を消そうとしております。古い時代は彼方に沈み新しい時代の陽が昇ろうとしているのです。兄上も、トラキアも新しい時代に入られその陽を導かれるべきなのです、そして・・・・・・
そして・・・・・・」
 顔を下に向け頭を振った。熱い雫が巻き散らされる。
「もう私の気持ちはわかっておられる筈です!どうして私達が戦わなくてはならないのですか!」
 アルテナの瞳から涙が溢れ出ている。それは頬を伝い首筋を流れていった。
「兄上は・・・・・・兄上は馬鹿です、父上の私の気持ちを知っていあんがら、ご自身のお考えを押し潰されて・・・・・・」
 次第に嗚咽が混じりだし声にならなくなりだした。アリオーンはそれを黙し一言も語らず表情も変えず聞いている。
「・・・・・・アルテナ、いいだろう。私も行こう。御前と共にな」
「え・・・・・・!?」
 泣くのを止めた。ふと兄に目をやる。
「ただし条件がある」
「・・・・・・・・・」
 真摯な表情である。アルテナの涙をも止めてしまった。
「私と一騎打ちをし勝ったならばな。時は明日正午、場所はゴート砦だ」
「そんな・・・・・・
 だがそれ以上言う事が出来なかった。言葉すら出なかった。
「良いな、まさか拒むのではあるまい」
「兄上・・・・・・」
「以上だ、明日会うのを楽しみにしているぞ!」
 アルテナにそれ以上言わせなかった。全騎に令を下し踵を竜首を返して飛び去って行った。

 次の日の午後砦外の広場において両軍の諸将及び兵士達の見守る中アリオーンとアルテナは飛竜に乗り対峙していた。両者共手には槍が握られている。
「また一騎打ちになるとはな。血は逆らえないというのか」
 グレイドが苦渋の顔で言った。立会人を務めるセリス、シャナンの顔も暗い。
「どちらか、あるいは御二方共倒られる事になれば・・・・・・。トラキアの、陛下の御遺志は潰えてしまう」
 ハンニバルは少し離れた場所で闘いがはじまろうとしているのを見守っていた。
「しかしもう止められぬ。御二方共一度決められた事は決して変えられぬ。もう手遅れか・・・・・・」
(ハンニバルよ、案ずる必要は無いぞ)
 その時後ろから声がかけられた。思わず振り返った。
「貴方は・・・・・・」
 そこにはハンニバルが最もよく知る男がいた。その者は彼に対して微笑んだ。
「始め!」
 セリスが言うと両騎共同時に上へ飛び上がった。すぐに槍が撃ち合わされる。
 アリオーンが槍を突き出す。トラキアの戦いにおいて見せた父親譲りの凄まじい腕である。
 アルテナも負けてはいない。流星群の如く繰り出されるアリオーンの槍を的確に防ぐ。
 反撃に転じた。アリオーンの頭へめがけ雷の様な一撃を振り下ろす。だがアリオーンはその一撃を見事に受け止めた。
 グングニルが横に払われる。その一振りで幾人もの兵士を両断した恐るべき一振りである。
 アルテナはそれをこちらからもゲイボルグを横に振りその一撃を弾き返した。相当な膂力と技量が無ければ到底出来る芸当ではない。流石である。
 百合を越えそれでも撃ち合いは続く。両者は疲れの色なぞ全く見せず槍を繰り出し合う。
 日が暮れた。地に篝火が焚かれ空には飛兵達が松明を持ちその照らす中で闘いは続けられた。濃紫の空には様々な色の星が輝きその下で二人は闘った。
 死闘は休む事無く続いた。闘いがはじまり既に半日が過ぎようとしていた。
 両者の姿が松明の灯りの中照らし出されている。その白い顔が松明の炎の赤い灯りにより朱に染まって見える。
 アリオーンのその朱の顔が一瞬ピクリ、と動いた。アルテナの左肩へ槍が斜めから思いきり振り下ろされた。
 アルテナはその穂先を自身の槍の穂先で絡め獲った。両者の動きが一瞬だが止まった。
 槍を絡めたまま横に振った。アリオーンの手から槍が離れた。
 槍を再び掴もうとする。だが遅かった。槍尻が円を描いた。
 アルテナの両手に凄まじい衝撃が襲い掛かる。だが手を強く握り締めその衝撃に耐えた。振り切った時穂先に絡めていたグングニルが弧を描き外れ落ちた。
 槍は回転し風を切りながら落ちて行く。グングニルが地に刺さった時ゲイボルグはグングニルの主の喉元に突き付けられていた。
「うっ・・・・・・」
 アリオーンは腰の剣を抜こうとしたままの姿勢で槍を突き付けられ絶句した。歯を食いしばり無念の表情だったがすぐに穏やかな顔になった。
「見事だ。私の負けだな」
「では私の願い、お聞き入れ頂きますね」
 アルテナも微笑を浮かべた。
「ああ、私とトラキア竜騎士団、そしてこのグングニルの力、今より解放軍の末席に加えさせてもらいたい」
 両軍から歓声が沸き起こった。それが返答だった。アルテナも槍を下ろした。
「また翼を並べて天を駆ける事が出来るのですね」
 満面に笑みをたたえていた。だが瞳から涙がとめどなく溢れ続けた。二本の槍の宝珠が互いを呼び合う様に輝いた。その輝きは再会を喜び合う兄妹の様であった。
 
「アリオーン様もようやくご自身の本来の場所に来られました。これでレンスターとトラキアの長い憎しみと戦いの歴史が幕を降ろすでしょう」
“うむ”
 ハンニバルは後ろの男に語った。頷いた声は深緑の長い髪を持ち軍服に身を包んでいた。ただ普通の者と異なることがあった。その体は半透明であり何かしら口で話しているようには聞こえなかった。
“わしは戦いしか知らなかったし出来なかった愚かな男だ。その様なわしにあの二人は過ぎた子供達だった。あの者達はわしと同じ道を歩んではならんのだ。アリオーンもそれはわかっていた筈だ。だが回り道をしてしまった”
「ですがアリオーン様もご自身の道を歩き出されました。かってダインとノヴァが歩いた道を」
“わしは二人の道程をヴァルハラで見ている。ハンニバルよ、御前は二人を見守り力になってやってくれ”
「御意。いずれ私も行きましょう。陛下、その時まで巨人達やワルキューレを相手に槍を思う存分振るっていて下さい」
“フッ、言われずともやっておるわ”
「そうでしたか」
 二人は笑い合った。それは主君と臣下のものというより戦友同士のものであった。
“ではな。わしはもう行かなくてはならぬ。二人を頼んだぞ”
「はい。陛下もヴァルハラでご武運が尽きませぬよう」
“うむ。御前もな。ではまた会おう”
「はい」
 トラバント王は空へ戻って行った。そしてそのまま消えて行った。ハンニバルは空を見上げトラキアの敬礼で見送った。

 アリオーンとトラキア竜騎士団を新たに加えた解放軍はかねてからの計画通りユリウス皇子がいると思われるミレトス城へ進軍をはじめた。ミレトス城攻略は選りすぐりの精兵と主立った将で行なわれる事が決められ他の将兵達はミレトス各地の解放及び暗黒教団掃討に当てられた。
 アリオーンは解放軍に入った次の日の夜自分の天幕から出て一人空に瞬く星達を見上げていた。
 空には無数の星達が煌いていた。紅く輝く星もあれば蒼く輝く星もある。緑の星、白い星、黄色い星、星の数だけその色はあった。その大きさも輝きもそれぞれだ。だが共通している事が一つあった。美しく輝いているという事だ。アリオーンはその美しき星達を無言で見ていた。
「あの・・・・・・」
 声がした。そちらへ振り向いた。そこには茶の髪をした少年がいた。
「君は確か・・・・・・」
アリオーンが言おうとするとその少年が先に言った。
「リーフです。レンスターのキュアンとエスリンの子です」
「・・・・・・・・・」
 アリオーンは彼が何を言わんとしているかわかっていた。だが止められなかった。
「貴方の父を倒した男です・・・・・・」
 頭を下げた。夜の闇の中でも身体が震えているのが見えた。
「構わん」
 アリオーンは言った。
「え・・・・・・!?」
 リーフはその言葉に思わず頭を上げた。
「私の父はイードで君の父上とは母上を殺した。それも騙し討ちにしてだ。しかもレイドリックやグスタフの様な男を使ってまでしてレンスターに侵攻し多くの者を手にかけレンスター王家、君の親族も自らの手で殺した。その上君の姉を騙し己が手駒としてきた。君は自分の肉親と民達の無念を晴らしただけだ。父上は自らの悪行の裁きを受けただけだ」
「・・・・・・・・・」
「それに父上はこうなる事をわかっておられたのだと思う。御自身の結末を」
「結・・・・・・末・・・・・・!?」
「そうだ。父上は君との戦いに行かれる前に私にグングニルを託す、と言われたのだ」
「グングニルを!?」
「ああ。君も聖戦士の血脈を受け継いでいるならばこの意味がわかる筈だ。・・・・・・そしてゲイボルグを本来の場所に返すよう言われた」
「そんな、馬鹿な・・・・・・」
「信じる信じないは君の自由だ。だが君も父上と闘ってそのお気持ちを多少なりとも知ったと思う」
「うっ・・・・・・」
 その通りだった。トラバント王の槍からは敵意や憎悪、邪心といったものよりも苦しさ、哀しみ、やるせなさが伝わってきたからだ。その事はリーフも痛い程伝わり理解していた事であった。
「今まで私も愚かな意地だけでアルテナやセリス皇子と戦ってきた。そして多くの者に犠牲を強いてしまった。だがアルテナと槍を交え彼女は私の意地を払ってくれた。これからは私はダインの志を受け継ぎレンスターとトラキアの為だけでなく大陸の全ての者の為に戦いたい。今まで私の為に命を落としていった者達の為にもな」
「アリオーン王子・・・・・・」
「それはアルテナも同じだ。リーフ王子、行こう。帝国と暗黒教団を倒し大陸に平和と取り戻すんだ」
「はいっ!」
 二人は頷き合うと星々が煌く夜の空の下から姿を消した。
「これでダインも己が道に踏み出したな」
 レヴィンであった。遠くから二人を見て言った。
 夜空を見上げる。幾千幾万もの星達の中の緑の星がその輝きを一層増した。
「星達は完全に集いつつある。暗黒神が倒れる日もそう遠くはない」
 青い巨大な一際大きく輝く星を中心に多くの様々な星達が集っている。その中に緑の星もある。
「残るは二つ、トードとヘイム・・・・・・。トードもやがて目覚める時が来る。後はヘイムだけか」
 集う星達の向こう側の空にも星達が集っていた。赤く不気味な色で輝く巨大な星を中心に妖しき星や禍々しい星が集っている。とりわけ中心の赤い巨星の周りに輝く十二の星ともう一つドス黒い血の色の星の光には何やら邪悪ささえ感じられた。
「む・・・・・・!?」
 その中に白く優しく輝く星を認めた。大きいがその輝きは強くない。星よりも月の輝きに近い。
「まさか・・・・・・」
 レヴィンはその星を見て悟った。彼の他にも誰かが悟ったかの知れない。だが口に出したのは彼であった。
 よく見れば白い星の光にはかすかに青さも混ざっている。その輝きは青い巨星と同じものであった。
 同じく青い星にも白い光があった。赤い妖星にもそれは感じられる。
「そうか・・・・・・そういう事だったのか・・・・・・」
 レヴィンは全てを理解した。そして何を為すべきかも。
「シグルド、ディアドラ、心配するな。御前達二人の思いは二人に宿っている。そして二人への邪悪な手は私が必ず断ち切ってやる。必ずな・・・・・・」
 赤い星を見た。魔性の者が持つ宝玉に見えた。
「御前も・・・・・・。呪縛から解き放たれるのだ」
 レヴィンの言葉が何を意味するのか、わかり得るのはこの世の者では双瞳の男だけであろう。またこれから三つの星をどう動かさなければならないのかも。ミレトスの空の星達は何も語らないが輝きでその言葉を発しているかのようであった。


アリオーンもようやく解放軍へと。
美姫 「良かったわね〜」
うんうん。しかし、不気味に輝く星。
美姫 「これは一体、何を意味しているのか…」
ゆっくりと物語は終局へと向かう。



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