第一幕 グリマルディ家庭園
シモンがジェノヴァの総督になり二十五年が過ぎた。一度は貴族達の策謀により職を退いたが再び総督になり今もジェノヴァを統治している。その統治は平民と貴族の対立を宥めながら街の繁栄をもたらしており市民達からの評判は高かった。
だがそれでも彼に反発する者はいた。平民出身である彼を嫌う貴族達であった。
彼等は自分達が街の繁栄をもたらしてきたと自負しており事あるごとにシモンや彼を支持する平民達に反発していた。シモンはそんな彼等を宥める方針だったが中には彼の命を狙う者もいた。彼はそれに対しては容赦なく処断を下していた。
そうして平民と貴族の対立は続いていた。貴族達はシモンを除こうとし平民達は貴族達を追い出すか皆殺しにしようと考えていた。平民達にとって貴族とは憎むべき敵でしかなく事実有力貴族への讒言や暗殺が後を絶たなかった。
これの中心にいたのがパオロであった。シモンの腹心となった彼は街の有力な貴族を根絶やしにしようと考えていたのだ。
だがシモンはそこまで考えてはいなかった。貴族も必要でありまた同じジェノヴァの者であると考える彼はその横暴を抑えながらも権利は保護していたのだ。
そういった状況でこの二十五年は進んでいた。対立は結局一向に収まらなかった。むしろ激化する一方であった。
ここはそのジェノヴァの有力貴族グリマルディ家の邸宅である。かってはシモンと対立していたが今は和解して彼に最も協力的な貴族の門閥の一つとなっている。
その邸宅はジェノヴァの郊外にあった。海を臨むその屋敷は美しくまるで海の神の宮殿のようであった。
その庭園もまた実に美しい。古代ローマの趣きがある建物に緑の草や色とりどりの花が囲まれている。
夜が去り朝が来ようとしている。海に今茜色の太陽が昇ろうとしている。
それを見る一人の女性がいる。薄い青のドレスに身を包んだ小柄な女性だ。
髪は金である。それが太陽の光に照らされ輝いている。
瞳は青い。まるで海の様に深い青をたたえている。
その整った顔立ちは今海から上がって来たニンフのようだ。肌は白く透き通る様である。
彼女の名はアメーリア=グリマルディ。この家の娘である。美しく心優しい女性として知られている。
彼女は今昇って来ようとしている太陽を見ている。そしてうっとりとした眼差しで言った。
「今消えようとする星や月が瞬いてるのね。まるで名残りを惜しむように」
明るくなろうとしている空にはまだ星達があり白い月が世界を照らしていた。
「この屋敷を夜の間照らしてくれた月や星達よさようなら。またお会いしましょう。そしてまたこの美しい屋敷を照らして下さい」
星の光は空に消えようとしている。月もその輝きを失い消え去ろうとしている。
「花には露が落ちている。そしてその露を今度は太陽が照らしてくれるのね」
海の方を見る。暗い闇の中にその波音だけを聞かせる海はその姿を太陽に照らし出されようとしている。
「空が白んできてそして朝がやって来る。それと共に私の愛しいあの人も目覚めるのね」
その時遠くから声がした。
「アメーリア!」
女の名を呼んでいる。高く澄んだ男の声だ。
「あの人ね」
アメーリアはその声を聞いて微笑んだ。
「何処にいるんだい?」
どうやら彼女を探しているらしい。彼女はそれを聞いて微笑んで言った。
「こっちよ。庭園にいるわ」
それを聞いた男の気配がこちらにやって来る。そして彼が姿を現わした。
黒い髪に黒い瞳の若々しい青年である。歳はアメーリアより少し下のようだ。まだ少年の面影が残るその顔立ちはそこに気品や熱さも漂わせていた。
赤と黄色の上着に黒いズボンを身に着けている。細身の引き締まった身体である。背は普通位か。
彼の名をガブリエレ=アドルノという。ジェノヴァの有力貴族の一人である。
「またここにいたのかい?」
ガブリエレは彼女の姿を認めて言った。
「ええ。ここの景色がとても綺麗なので」
彼女は微笑んで答えた。
「うん、確かにここの景色は素晴らしいね。何度見ても飽きないよ」
彼はそれに同意して言った。
「気に入ってもらえて嬉しいわ。出来る事なら貴方とずっと見ていたいわ。ずっとね」
彼女は彼の目を見て言った。
「ずっと、って。何か思わせぶりだね」
ガブリエレはそんな彼女に対して言葉を返した。
「それは・・・・・・」
アメーリアはそれに対し言葉を濁らせた。
「どうしたんだい?」
彼は尋ねた。
「私に何か隠してない?」
アメーリアは彼に逆に問うてきた。
「えっ、それは・・・・・・」
彼はそれを聞いて狼狽した。それが答えだった。
「総督に対してクーデターを考えている・・・・・・。昨日貴方が話しているのを聞いてしまったの」
「そうか、聞いていたのか」
ガブリエレはそれを聞いて表情を暗くした。
「貴方のお父上の事は知っているわ。その気持ちはよくわかるわ。けれど・・・・・・」
アメーリアも話しているうちに表情を暗くさせていく。
「私は貴方が断頭台で無残に死ぬのを見たくはないの。お願い、そんな事は止めて」
「けれど・・・・・・」
ガブリエレは言葉を詰まらせた。
「出来ない、僕は父の仇を討たなくてはいけないんだ」
彼は頭を振って言った。
「それは無理よ、総督はいつも貴方達を監視しているから」
「いや、それでもやらなくちゃいけないんだ。それが僕の務めなんだ」
彼は恋人の訴えを必死に振り払おうとする。
「今日もそれで集まりがあるんだ。奴を倒す為のね」
「止めて!」
「出来ない!」
彼は頑迷にそれを振り払った。
そしてその場を立ち去ろうとする。だがその時誰かが屋敷に来たようだ。何やら複数の足音が聞こえて来る。
「ムッ!?」
ガブリエレはそれを確認して身構えた。腰の剣に手をかける。
「待って、貴方の命を狙ってるんじゃないわ」
アメーリアは彼を落ち着かせる様に言った。
「貴方の敵には変わりないけれど」
「敵!?もしかして」
「ええ、総督よ。今日は狩猟に行かれる際にこちらに来られる予定だったの。少しお早いけれど」
「あいつが!?ならば!」
ガブリエレはそれを聞き剣を手に門のところへ行こうとする。
「駄目、人が大勢いるのよ!」
アメーリアはそんな彼を必死に止めた。彼は次第に落ち着き剣から手を離した。アメーリアはそれを見てホッと胸を撫で下ろした。
そこに使用人が入って来た。
「こちらに総督の使者が来られます」
「誰?」
アメーリアは尋ねた。見れば顔が強張っている。
「ピエトロ様です」
アメーリアはそれを聞いて胸を撫で下ろした。
「何かあるのか?」
ガブリエレはそれを見て不思議に思った。そこへピエトロがやって来た。
「これはどうも」
ピエトロもアメーリア達も互いに礼をした。
「間も無く総督が来られます」
ピエトロは簡潔に言った。
「わかりました。喜んでお待ちしております」
アメーリアは慎ましやかに答えた。ピエトロはそれを伝えるとすぐにその場を立ち去った。
彼が立ち去ったのを見てガブリエレはアメーリアに尋ねた。
「さっき顔が強張っていたけれどどうしたんだい?」
「ええ、実は総督が私に結婚を勧めていて」
アメーリアは嫌そうな顔をした。
「誰だい?」
「パオロなの。あの男の後妻にって」
「パオロ!?よりによってあの男か」
ガブリエレも彼の名を聞いて不快感を露にした。パオロは総督の腹心として貴族達を次々と陥れている為彼等から蛇蝎の如く忌み嫌われているのだ。これには総督であるシモンや平民達もいささか辟易している程である。
「総督の腹心だから縁組になるわね。けれど私は嫌、あんな男と一緒になるのは」
そう言ってガブリエレの胸に飛び込んだ。
「アメーリア・・・・・・」
彼はそんな彼女を抱き締めた。その時彼女を呼ぶ声がした。先程の使用人の声だった。
「あら、何かしら」
「行っておいで、何かあったらすぐに行くから」
「ええ」
アメーリアはその場を離れた。庭園にいるのはガブリエレ一人になった。
「朝日が昇ったか」
彼は海から昇って来る太陽を見て言った。
「とりあえずお腹が空いたな。何か食べるとするか」
その場を去ろうとする。そこで一人の老人と出会った。この家の使用人の一人でアメーリアの養育係を務めている。心優しく堅実な老人でアメーリアも彼を深く信頼している。
白い髪と髭の長身の老人である。服は黒っぽいゆったりとした長いものを着ている。
「あ、これはどうも」
老人はガブリエレを認めると一礼した。二人は顔見知りである。
「いえいえ、こちらこそ」
ガブリエレも挨拶を返す。身分は彼の方が上だがこの老人には敬意を払っているのだ。
「何かお悩みのようですね」
老人は彼の顔を見て言った。
「ええ、まあ」
彼はそれに対して口ごもった。まさかクーデターの件をこの老人にも悟られたのかと思った。
「お嬢様の事で、ですね」
ガブリエレはその言葉を聞いてホッとした。
「はい、そうなんです」
彼はそれに対し言った。これもまた事実であった。
「実は彼女と結婚したいのですが」
「我が家の主人には了承は?」
「既に得ています。快諾してくれました」
「ならば何の問題もないですが」
「それが、総督が・・・・・・」
「総督が!?」
それを聞いた老人の目が一瞬憎悪で燃え上がった。だがそれはほんの一瞬だったのでガブリエレは気が付かなかった。
「実は彼女をパオロの後妻にしようと考えておられるようなのです」
「ほほう、それはまた」
「どうしたらいいでしょうか?何か良い考えはありませんか?」
「ありますが」
「本当ですか!?それは・・・・・・」
「それは後でお話します」
彼はそこで話を一旦切った。
「ところで」
話題を変えてきた。
「はい」
ガブリエレもそれに乗った。
「これから私がお話する事を驚かずに聞いて頂けますか?」
「?はい」
何のことかわからなかったが了承した。
「わかりました。それではお話しましょう」
彼はゆっくりと口を開いた。
「お嬢様の事ですが」
「はい」
「実は私とご主人様しか知らない秘密があるのです」
「秘密!?」
ガブリエレはその言葉を聞いて目の光を強めた。
「・・・・・・ひとつ言っておきます。これを聞いても貴方はまだお嬢様を愛せますか?」
老人は険しい顔をして問うた。
「はい。例え彼女が人の腹から生まれた者ではないにしても」
彼は強い声で言った。
「そうですか。ならばお話しましょう。お嬢様は貴族の出ではありません」
「なっ!?」
これにはガブリエレも驚いた。
「ではアメーリアは・・・・・・」
「そうです。お嬢様は本当はこの家の者ではないのです」
老人は彼を見据えて言った。その目はまるで彼の心を見ているようであった。
「それは本当ですか!?」
「私は嘘は言いません。誇りにかけてそれは誓います」
「ならば彼女の本当の出生は・・・・・・」
「それは私も知りません。ご主人様はお嬢様をピサの修道院で拾われたと仰ってます」
「それはどういう経緯でですか?」
「ご主人様の本当のご息女はピサの修道院で亡くなられたのです。ご主人様がその修道院に葬儀と永遠の別れを告げる為に来られた時その前に捨てられていたのがお嬢様だったのです」
「そしてグリマルディ家の娘となったのですね」
「はい、その通りです」
「しかし何故家督まで継ぐ事になったのです?確かに形式上は一人娘だとしても」
「あの総督のせいですよ」
彼は顔を顰めて言った。
「あの男の」
ガブリエレも顔を顰めた。彼も総督とは対立しているからだ。
「あの男は事あるごとに貴族の財産を狙い奪い取ろうとしております。それを防ぐ為とやはりお嬢様がいとおしかった
からです。まるで亡くなられた本当のお嬢様のようだと」
「そうですか。それはあの人らしい」
ガブリエレもこの家の当主と交際がある。非常に優れた人格者である。
「どうですか、お嬢様は貴族ではなく素性の知れぬ孤児だったのです。由緒正しき家柄である貴方はそれでもあの方を妻に迎え入れられますか?」
彼はガブリエレの目を見て問うた。
「・・・・・・当然です」
彼はそれに対して毅然として言った。
「僕はアメーリアを愛しています。これは彼女の姿と心が好きなのです。さっきも言いましたが僕は例え彼女が何者であろうとも愛しています、そしてこの気持ちは永遠に変わりません」
「そうですか」
老人はそれを聞いて微笑んだ。
「それでは認めます。貴方はお嬢様に相応しいお方です」
「有り難うございます!」
ガブリエレはその言葉に大喜びで答えた。
「そのかわりお嬢様を永遠に幸福にして下さい。あの方はそうあるべき方なのですから」
「はい、天の主と子に誓います。彼女を幸せにします」
彼は高揚して言った。その時ラッパの音がした。
「む、あの男が来たか」
ガブリエレはその音を聞いて言った。
「では私はこれで」
老人はそれを聞くとそそくさと庭を後にした。
「ごきげんよう。それでは婚礼の日に」
「はい」
二人は庭園から立ち去った。
その誰もいなくなった庭園に総督であるシモンとその部下達が入って来た。シモンの隣にはパオロがいる。皆豪奢な服に身を包んでいる。
「おや、アメーリア=グリマルディはここにはいないのか」
シモンは庭に入ると言った。
「どうやらそのようですね。一体何処に行ったのだ、総督が来られたというのに」
パオロはそれに気付いて眉を顰めた。
「まあ待て、そんなに怒る必要は無い」
シモンはそんな彼を窘めた。
「ハッ、これは失礼」
「わかればいい。じきに来るだろうしな。ところでここはすぐに離れた方がいいぞ」
「何故ですか?」
「うむ。ガブリエレ=アドルノがこの辺りに潜伏しているらしいのだ」
「あの男がですか!?まさかまた総督の御命を」
「おそらくな。何しろわしはあの男の父の仇だ」
「だとしたら厄介ですな」
「何、気をつけていれば心配は無い。だが油断をしてはいけないな」
「御意に」
そこへアメーリアがやって来た。
「来たか」
シモンはそれを見て微笑んだ。そしてパオロ達に対して言った。
「皆少し休むがいい。長旅で疲れただろう」
そう言うと部下達を庭から下がらせた。
「あの娘がもうすぐ俺の妻になるのだな」
パオロは下がりざま彼女の顔を見て言った。後にはシモンとアメーリアだけが残った。
「お久し振りです、総督」
アメーリアは一礼して言った。
「はい、お元気そうで何よりです。ところで」
シモンは早速彼女に尋ねた。
「貴女のご親戚はまだこのジェノヴァに帰っては来られないのですか?」
「それは・・・・・・」
アメーリアはその質問に口ごもった。シモンとは友好的な関係にあるグリマルディ家だがやはり彼と仲が良くない者もいるのだ。彼等はピサ等に亡命している。
「仕方ありませんな。ここに帰れば私に頭を下げなければならない。プライドの高い彼等はそれが嫌なのです」
その通りであった。彼等はその誇りを維持したい為に平民出身であるシモンに頭を下げたくはなかったのだ。
「まあ良いだろう。そのプライドに対する礼はこれだ」
そう言うと懐から一枚の紙片を取り出した。そしてアメーリアに手渡した。
アメーリアはそれを読んだ。すると急に顔色を変えた。
「これは・・・・・・赦免状ですか!?」
「そうだ。今この街はヴェネツィアという敵と戦っている。彼等に勝つ為には内で争っていてはいけない、こうした慈悲の心も忘れてはいけないのだ」
「有り難うございます・・・・・・」
アメーリアは深々と頭を下げた。
「礼を言う必要は無い。私は政治として必要だからこうしただけだからな」
シモンは彼女を宥める様に言った。
「ところで一つ聞きたいのだが」
「はい」
アメーリアは答えた。
「貴女は何故いつもこの邸宅にいるのだ?グリマルディ家はここの他にもこのジェノヴァに多くの邸宅を持っているというのに」
「この屋敷が気に入っておりますので」
「そうか、確かにここから見える海は素晴らしいな」
シモンは海を眺めて言った。
「そしてもうそろそろ身を固めたらどうかね。恋をしてもいい頃だが」
アメーリアはその言葉に眉をピクリ、と動かした。
「それは・・・・・・」
「丁度パオロが後妻を探しているのだが」
話を振ってきた。
「それはお断りします」
「何故だ?」
「それは・・・・・・」
アメーリアは顔を俯けた。
「そんなに悪い話ではないと思うが」
このままではあの男と結婚させられる、そう思った彼女は咄嗟に言った。
「私は実はこの家の者ではないので」
「えっ!?」
シモンはそれを聞いて思わず驚いた。
「私はピサの修道院の前で捨てられていたのです。そしてそこをお養父様に拾われたのです」
「何と、そういうことだったのか」
「はい。私は本当の両親の顔を知りません。唯一つの手懸かりはこれだけです」
そう言って胸のペンダントを見せた。
「それは・・・・・・」
シモンはそれを見てハッとした。
「生まれた時から私の首にかけられていたもの。この中にある肖像がお母様だと思うのですけれど」
ペンダントを開けた。するとその中に美しい女性の肖像があった。
「・・・・・・・・・」
シモンはその肖像を見て沈黙した。彼は自分の首をまさぐった。
「これを見てくれ」
そして胸に架けてあるペンダントを見せた。それはアメーリアが着けているのと全く同じものであった。
「あっ・・・・・・」
中にある肖像も同じであった。アメーリアもそれを見てハッとした。
「私にもかって娘がいた。生き別れのな」
シモンは静かに語りはじめた。
「二十五年前に生き別れたのだ。八方に手を尽くして探したが遂に見つからなかった」
「・・・・・・・・・」
アメーリアはそれを黙って聞いていた。
「私は娘にペンダントを与えていた。自分が持っているのと全く同じものをな」
彼は言葉を続けた。
「そしてそれを持つ者こそ私が長い間捜し求めていた娘なのだ」
「では私は総督の・・・・・・」
アメーリアはそれを聞いて身体が震えるのを覚えた。
「そうだ、そなたは私の娘なのだ」
それはシモンも同じであった。長い間捜し求めていた娘が今ここにいるのだ。
「こんなところでお会いするなんて・・・・・・」
「それは私も同じだ。これも神の御導きか・・・・・・」
二人はヒシ、と抱き合った。涙が零れる。
「マリア、ようやく会えた」
「それが私の本当の名前ですのね」
「そうだ、心優しき聖母の名だ」
シモンは娘の顔を見て言った。
「私は長い間一人だった。そしてそなたを捜し求めていた。だが今ここにこうして出会えた。もうこれで満足だ。私の願いが遂にかなったのだ」
「出会える筈もないと思っていた本当の親に出会えるなんて・・・・・・。これが奇跡でなくて何なのでしょう」
「私はもう一人ではないのだ」
「これで私は孤児の哀しみから解き放たれる」
二人は口々に言う。
「場所を変えよう。つもる話がある」
シモンは娘を屋敷の中へ導いた。
「はい」
娘はそれに従った。こうして二人は出会いの喜びを二人で確かめ合ったのだ。
その後シモンはある静かな部屋に入った。パオロも一緒である。
「ここなら誰もいないな」
シモンは辺りを見回して言った。
「総督、お話とは何でしょうか」
パオロは不思議そうな顔をして彼に尋ねた。
「うむ。そなたの結婚の事だが」
「はい」
パオロの顔に期待の色が入った。パッと明るくなる。
「諦めるがいい。そなたにはもっと相応しい者がいる」
「えっ・・・・・・」
パオロの顔が絶望に支配される。
「総督、それはどういう意味ですか!?」
「そのままだ。彼女との結婚は諦めよ」
「そんな、総督だって賛成してくれたではないですか」
彼はなおも食い下がる。
「事情が変わったのだ。そなたも男ならずっぱりと諦めよ。良いな」
シモンはそう言うとその場を後にした。
「クッ、一体どういう事だ」
シモンはそれを見送ると歯軋りして呻いた。
「事情とはどういう事だ。そのそも総督が勧めてくれた事だというのに」
彼は閉じられた扉を見る。怒りと憎しみが沸々と湧いてきた。
「大体総督になれたのも返り咲く事が出来たのも俺のおかげではないか。その恩義まで忘れるとは」
彼にも自負がある。そしてそれはみるみる肥大化していった。
「クソッ、ならば俺にも考えがある」
彼はその場を後にした。そしてピエトロのいる部屋に向かった。そして事情を話した。
「それは気の毒に」
ピエトロは社交辞令的に言った。
「ああ、全くはらわたが煮えくり返る思いだ」
彼は歯軋りしながら言った。
「それでどうするつもりだい?他に誰かいい女はいるのかい?それとも今から探すか?」
彼はパオロに対して言った。
「探す?馬鹿を言わないでくれ」
彼は顔を顰めて言った。
「ではどうするつもりだ?」
ピエトロはそんな彼に対して言った。別に彼の様子がおかしいとは思っていない。
「諦めてやもめ暮らしを続けるか?」
普通はそう考えるだろう。しかし今の彼は常軌を逸していた。
「俺がそんなたまか。かっさらってやるのさ」
彼は顔に陰惨な陰を漂わせて言った。
「・・・・・・おい、何を馬鹿な事を言ってるんだ」
彼はそれを聞いて驚いてそれを止めようとした。だが無駄だった。
「いや、やってやる。ここまできたら止められるか」
パオロは顔を獣のようにして言った。
「夕方になるとあの娘は何時も一人で浜辺にいる。その時を見計らってさらうんだ。そして俺の家まで連れて行く」
「本当にやる気か!?」
ピエトロはパオロの顔を見て言った。
「ああ。協力してくれるか」
パオロは逆にピエトロの顔を見据えて問うた。
「・・・・・・・・・」
ピエトロは彼の顔を見ながら考えた。彼との付き合いは長い。その間共に多くの事をやってきた。無論悪事も。シモンに見つからぬよう二人で隠蔽しながらやってきた。こっそりと貴族を暗殺しその財産を懐に入れる事もやった。彼等にとって貴族とは憎むべき敵でしかないのでこれは悪事とは思っていなかったが。
そういったことから二人は一蓮托生の間柄であった。片方がいなくなればもう片方もいなくなる運命なのである。
「・・・・・・わかった」
ピエトロは納得した。納得せざるを得なかった。
「そう言うと思っていたよ」
パオロはそれを聞いてニヤリ、と笑った。
「その代わり分け前は弾んでくれよ」
ピエトロもそう言うと笑った。
「おお、勿論だとも」
二人は手を握り合うとその場を後にした。
それから数日後。シモンは市の会議室にいた。
彼は総督用の専用の豪奢な造りの椅子に腰掛けている。そして彼の右手には貴族出身の議員達がいる。十二人いる。そして左手には平民出身の議員達がいる。これも十二人である。その中にはパオロとピエトロもいる。彼等は激しく睨み合っている。そしてジェノヴァの海事を司る審議官が四名と軍の司令官達がいる。彼等はシモンと向かいに座り貴族や平民達の間に割って入る形となっている。
「さて、本日の議題だが」
シモンは彼等を前にして口を開いた。
「モンゴル帝国から使者が来た」
「ほう、あの国から」
一同その言葉に反応した。この時代モンゴルは分裂し衰えが顕著になっていたとはいえその勢力はまだまだ侮れないものであったのだ。
「講和の贈り物とそれとは別の贈り物を持参して我々の船に対して黒海を開きたいと申し出てきている。同意するかね?」
「はい」
一同それに同意した。
「よし、この件はこれでよし。今日はもう一つ重要な議題がある」
「それは?」
一同シモンへ顔を向ける。
「これだ。これはペトラルカからの伝言だ」
「ペトラルカから?」
ペトラルカとはルネサンス期の詩人である。ヴェネツィアと関係があり彼等には快く思われてはいなかった。
「リエンツィの運命を予言した自分が言おうと言っている」
リエンツィとはローマ最後の護民官である。法皇のローマ復帰や新憲法の制定に尽力したが貴族との闘争に明け暮れ彼等が煽動した民衆により命を落としている。
「ほう、またえらくご親切に」
パオロが露骨に顔を顰めてみせた。
「その予言と同じ響きがこのジェノヴァにも響いてきているそうだ。そしてヴェネツィアと講和してはどうかと言って来ている」
シモンの言葉が終わるとピエトロが口を開いた。
「相変わらずですな、また連中の太鼓持ちですか」
口の端を歪め皮肉を込めて言った。
「そんな事言っている暇があったらアヴィニョンにいる女との関係の清算でもしたらどうかな」
彼の交際について揶揄する。
「そうですな。そんな男の戯言を聞く必要はありません」
パオロも彼に同調して言った。
「総督、迷う必要はありません。連中の息の根を止めてやりましょう」
「そうだ、あの連中を海に沈めてしまえ」
平民派の議員の一人が言った。
「そうですな。そうすれば我等の最大の敵が減ります」
他の左側の議員達もそれに同意した。それに対して貴族派の議員達は主導権を取られて面白くなさそうだが賛成は
している。
「諸君はそう思うか。そうだな、やはりここは彼等を叩いておくか」
シモンもそれは同じであった。彼等の意を汲む形でそれを決めようとしていた。
「そうなさるべきかと」
一同それに賛同した。そしてそれは決定した。
「よし、この件に関しても決定だ。ヴェネツィアには近いうちに艦隊を送り込むことにしよう。規模及び司令官は後程決定する」
「異議なし」
この件も程無く終了した。
「これで外交は終わりだな。さて、次は内政に関してだが」
シモンが言葉を続けようとしたその時だった。不意に外で騒ぎが起こった。
「何だ!?」
一同ハッと騒ぎが起こった方へ顔を向けた。
「フィエスキの広場の方だな」
それはジェノヴァ市民の憩いの場所の一つである。
一同バルコニーへ出た。そして広場の方を見る。
「暴動か!?」
見れば大勢の群集がある一団を追い立てている。
「亡命者の連中か!?誰かが騒ぎを起こしたのか」
「それにしては様子がおかしいぞ」
彼等はめいめい話し合う。シモンはそれを冷静に見ていた。断を下す為だ。
「待て。暫し様子を見てみよう」
シモンは彼等に対し言った。
「見たところ群集は平民みたいだな」
パオロは目を凝らして言った。
「やっつけろ!」
群集は口々に叫んでその一団を追い立てている。かなり興奮しているようだ。
「おい、あの若い男は」
ピエトロは追い立てられている一団の中にいる若い男を指差してパオロに囁いた。
「どうした?」
シモンはそれに気が付いた。ピエトロに尋ねる。
「いえ、あそこにいる若い男ですけど」
そう言ってシモンにもその若い男を指し示した。
「何だ、あれはガブリエレ=アドルノではないか」
それはシモンも認めた。何やら剣を振るって興奮した群集から必死に逃げている。
「一体何があったんだ?」
シモンはそれを見ていぶかしんだ。パオロとピエトロはヒソヒソと話している。
「おい、まずいぞ」
ピエトロはパオロに対して言った。
「ああ、あの計画が奴にばれたらしいな」
パオロは横目でガブリエレ達を見ながら言った。
「すぐにこの場から逃げろ。さもないと大変な事になるぞ」
「ああ」
パオロはピエトロの言葉に従いその場をこっそりと立ち去ろうとする。だがシモンがそれに気付いた。
「パオロ、何処へ行くのだ!?」
「ちょっとトイレへ」
咄嗟に誤魔化そうとする。だがそれは通用しなかった。
「今この場を離れる事は許さん。悪いが我慢しておいてくれ」
「はい・・・・・・」
パオロはうなだれてそれに従った。扉は海事審議官達が固めた。彼等仕方なくバルコニーへ戻った。
「貴族共をやっつけろ!」
群集が叫んだ。
「何っ!」
それを聞いて貴族出身の議員達の顔色が変わった。
「人民万歳!」
また群集達が叫んだ。
「また御前等の煽動か!?」
そう言って平民出身の議員達を睨み付けた。
「面白い、またそうやって言い掛かりをつける気か」
平民の議員達もそれに対して黙ってはいない。逆に睨み返す。場を不穏な空気が支配した。
「待て、そんなにいがみ合ってどうするつもりだ」
シモンが彼等の間に入った。そして双方を宥めようとする。そこへ群集がまた叫んだ。
「総督を殺せ!」
今度はシモンに対してだ。これは追われているガブリエレ達の言葉の様だ。シモンはそれを聞いて毅然とした態度で言った。
「私を殺せ、か。面白い」
そう言うと側に控えていた書記官の一人へ顔を向けた。
「この官邸の戸口を開けよ」
「えっ!?」
それを聞いて一同驚いた。
「そしてあの広場にいる者達に伝えよ。ここに来るがいいとな。私が待っていると」
「しかし・・・・・・」
書記官はそれを聞いて口籠もった。
「良い。私は猛り狂った者達など恐れはせぬ。彼等を説き聞かせ落ち着かせるのが私の仕事だ。さあそれがわかったら早く行くがいい」
「わかりました」
書記官はそれに従いその場を後にした。
「聞いたな、今の私の言葉を」
シモンは議員達に向き直って言った。
「はい」
議員達はそれに対して答えた。
「ならば気を鎮めよ。市民の代表としてな。わかったな」
「はい」
議員達はそれに従い気を落ち着かせた。
群集はまだ叫んでいた。だがすぐにそれも止んだ。
「収まったか」
そして突如叫び声が再び起こった。
「万歳!」
それはシモンを称える声だった。
「総督万歳!」
そして彼等は官邸へ入って来た。
彼等はすぐに会議室へと入って来た。皆平民達である。年寄りもいれば女も子供もいる。その手にはめいめいハンマーやツルハシ等得物を手にしている。彼等は自らの代表である平民出身の議員達の周りに来た。そして貴族出身の議員達を睨んでいる。
「ガブリエレ=アドルノはどうした?」
「こちらに」
シモンの問いに対して一人の髭を生やした男がガブリエレを引き立てて来た。両手を後ろで縛られている。アメーリアの養育係であるあの老人も一緒だ。
「ム・・・・・・!?」
シモンはその老人の顔を見て何か思ったようだ。だがすぐにそれは単なる思い過ごしだと考えた。
(あの男は死んだという。ここにいる筈はない)
そして群集達に対して問うた。
「諸君、一体何をそんなに興奮しているのだ?」
「決まってます、復讐です!」
彼等はそう言ってガブリエレと老人を憎悪に満ちた目で睨んだ。
「その二人が何かしたのか?」
「ええ、人殺しですよ、こいつ等はロレンツィーノさんを殺したんです!」
ロレンツィーノとは平民の実力者である。裕福な商人でパオロやピエトロとも関係が深い。
「おい、やっぱりそうみたいだぞ」
ピエトロはそれを聞いてパオロに囁いた。
「ああ、かなりまずいな」
パオロは顔を顰めた。
「これが民衆の声か?まるで血に飢えた野獣ではないか」
シモンは興奮する民衆に対して言った。
「このジェノヴァに多くの者が法による判決無しで人を殺すという法は無い。アドルノよ、そなたは一体何をしたのだ?」
シモンは改めてガブリエレに対して問うた。
「彼等の言う通りです。ロレンツィーノを殺しました」
彼は悪びれもうなだれもせず頭を上げて言った。
「それ見ろ、こいつは罪人だ!」
民衆達が叫ぶ。
「鎮まれ!」
シモンはそんな彼等に対して叫んだ。民衆はその声に沈黙した。
「何故彼を殺したのだ?」
改めてガブリエレに対して問うた。
「グリマルディ家の娘をさらおうとしたからです」
「何っ!」
シモンはそれを聞いて狼狽した。
「いや、それは本当か」
だがそれをすぐに打ち消した。そして再び問うた。
「ええ、本当です。そして死に際にある事を言い残しました」
「ある事!?」
パオロとピエトロはそれを聞いて顔を蒼ざめさせた。
「どうせ嘘に決まってる」
民衆の中の何人かが囁いた。だがガブリエレはそれに構わずに言葉を続けた。
「あの男が言いました。ある人物に唆されてやった、とね」
そう言ってシモンを見た。眼には憎悪の炎が宿っている。
「おい、まずいな」
「ああ、完全にばれている」
パオロ達は完全に蒼ざめている。そしてヒソヒソと小言で話し合う。
「そしてその男の名は!?」
シモンは冷静さを装って尋ねた。
「御安心下さい。あの男はそれを言う前に息絶えました」
口の端を歪めて皮肉っぽく言う。それは明らかな揶揄だった。
「嘘だな」
シモンはそれに対してすぐに言った。
「本当は誰だか言い残しているな」
「お聞きになりたいですか?」
ガブリエレはそんな彼を睨みながら言った。
「当然だ。法の下審議する為にもな」
彼の心には娘を害しようとした者への怒りが隠されていた。だがそれは隠している。
ガブリエレの心は恋人をさらおうとした者への怒りで燃え盛っていた。それは表に出ていた。
「そうですか、では言いましょう」
ガブリエレはシモンを見据えて言った。
「おい、何か様子が変だぞ」
ピエトロがパオロのみ身元で囁いた。
「ああ、一度も俺達を見ないで総督ばかり見ているな」
「ご自分の胸に心当たりはありませんか?」
ガブリエレはシモンに対して言った。
「私のか?」
シモンはその言葉に顔を顰めた。
「そうですよ、ご自身で命令したというのに!」
ガブリエレは手を掴んでいる群衆から離れ彼を指差して叫んだ。
「何!」
それを聞いてシモンもその場にいる議員や群集達も思わず驚きの声をあげた。
「嘘をつけ、総督がその様な事を為されるか!」
群集の一人が叫んだ。
「そうだ、こいつは自分の罪を総督になすりつけろうとしているんだ!」
パオロが咄嗟に叫んだ。この際全ての嫌疑をガブリエレに被せて消してしまおうと考えたのだ。
「信じないか、だが私の潔白は神が御覧になっている!」
そう言うと腰の剣を引き抜いた。
「覚悟しろ、シモン=ボッカネグラ!」
そう言うとシモンに跳びかかろうとする。だがそれは出来なかった。
「見ろ、人殺しがまた剣を抜いたぞ、今度は総督を殺す為にな!」
パオロは群集を煽る様に叫んだ。
「そうはさせるか!」
群集がガブリエレに逆に跳びかかる。
「クッ、何をする!」
彼はそれを必死に振り払おうとする。だがそれは出来なかった。多勢に無勢で取り押さえられた。
「おのれっ、ここまで来て!」
取り押さえられながらシモンを決死の形相で睨み付ける。パオロとピエトロはそれを見てにんまりと笑った。シモンは身じろぎもせず彼を見ている。
「さっさと処刑場へ連れて行け!」
パオロが叫んだ。しかしその時だった。
「待って下さい!」
会議室に誰かが入って来た。アメーリアである。それを見たパオロとピエトロの顔が真っ青になった。
「アメーリア・・・・・・」
ガブリエレが彼女の姿を認めてその名を呼んだ。彼女はシモンとガブリエレの間に割って入る。そして恋人を庇う形で言った。
「彼の言った事は本当です。彼は私を助けようとしただけです」
「本当か!?」
群集も議員達も彼女の言葉に耳を傾ける。パオロとピエトロは群集の中にコソコソと隠れる。
「ですから総督・・・・・・」
シモンを見る。娘として。
「彼を助けて下さい」
懇願した。シモンはそれを黙って聞いていた。
「・・・・・・・・・」
チラリとガブリエレを見る。まだ自分を睨んでいる。だが取り押さえられ剣も奪われている。
「手荒な真似はするな」
彼を取り押さえている群集達に対して言った。
「もう害は無い。そこまでする事もあるまい」
群集達はそれに従った。ガブリエレは縛られたがそれだけに留まった。
「ではアメーリア」
シモンはそれを見届けるとアメーリアに顔を向けて問うた。
「では事情を話してはくれないか。そのさらわれそうになった経緯を」
「はい」
アメーリアはシモンに一礼して口を開いた。
「あれは心地良い夕方のことでした」
パオロとピエトロはそれを聞いて身体をさらに奥へ隠そうとする。
「どうしたんですか、お二人共」
市民の一人がそれに気付いた。
「いや、何も」
二人はそれを必死に誤魔化す。その間もアメーリアの告発は続く。
「その時刻私はいつも浜辺を散策しているのですがその時三人の暴漢に取り囲まれ小舟に押し込まれたのです」
「それはご災難でしたね」
貴族出身の議員の一人が言った。彼はガブリエレと親交のある議員である。
「はい。そして私が連れて来られたのはロレンツィーノの邸宅だったのです」
「何とそれでは彼の言った事は正しかったのか」
皆ガブリエレの方へ顔を向けた。
「そうです。そしてその邸宅にこの方が駆けつけてくれたのです。偶然私がその邸宅に連れ込まれるのを見て」
「それは非常に幸運でしたね」
その貴族の議員が言った。そうしてガブリエレを擁護しようと話を回そうと仕向ける。
「はい。これも神のご加護とこの方のお力あっての事です」
「では貴方はレディーを救った高潔な方ということになる」
議員はそう言ってガブリエレを見た。
「その通りです」
アメーリアもそれに同意した。彼女はさらに言葉を続けた。
「しかしロレンツィーノの後ろには黒幕がいたのです。私はそれを告発する為にここへ来たのです」
「それは誰だ!?」
「まさか・・・・・・」
群集達の脳裏に先程のガブリエレの言葉が浮かぶ。
「いえ、総督ではありません。総督は私を常に護って下さいます」
彼女はそれを否定した。シモンはそれに対し目でアメーリアに礼を言った。
「では誰なんだ」
群集達が少し前に出た。その時パオロとピエトロの姿がアメーリアの目に映った。目が合った。
それを見たアメーリアの目の色が変わった。パオロとピエトロの顔がさらに青くなった。最早蒼白である。
「その者は今ここにいます」
「えっ!」
アメーリアの言葉に一同騒然となった。
「それは誰なんだ!?」
皆口々に言った。そのうち誰かが言った。
「貴族の奴等がしたに決まってるさ」
平民の議員達と群集がその言葉に反応した。
「そうか、またやりやがったか」
その中の一人が言った。
「ああ、全く懲りない奴等だ」
平民達は貴族を睨み付けた。今にも跳び掛かり打ち殺さんばかりである。
「おい、出鱈目を言うな」
貴族の議員の一人が言った。
「何故我々が彼女を害さなければいけないのだ。そもそもロレンツィーノは平民だろうが」
さらに別の者が言った。
「そうだな、事件の経緯からするとこれは平民だ」
「いつも我々に罪を着せようとするな!」
そう言って反発する。場は二つに別れた。
「さっさとその剣を棄てろ!」
平民達が叫ぶ。剣は貴族の象徴である。つまり街から出て行けというわけだ。
「そちらこそ斧を棄てろ!」
貴族達が言い返す。斧は平民の象徴である。これも同じ意味だ。
場は一触即発の状況となった。だが数では平民たちの方が上である。しかも得物を手にする群集達までいる。彼等はそれを頼みに今にも襲い掛かろうとしていた。
貴族達も引くつもりは無い。彼等とて誇りがある。会議室は流血の舞台になろうとしていた。
「待て!」
その場を鎮めたのはシモンであった。彼は睨み合う双方の間に入った。
「そうやっていがみ合って何になるのだ。血を分けた者同士が争って何の利になるというのだ」
彼は双方を睨みながら言った。
「この美しい海の街が血で赤く染まる。それは悲しむべきことだ。我等は共にこの太陽の光やオリーブの枝を分かとうと誓ったのではなかったのか。それをどうして事あるごとに睨み合わなければいけにあのだ」
言葉を続ける。
「そうした醜い争いを私は非常に悲しく思う。そしてこの街の本当の意味での栄華、そして平和と愛を心から願いたい」
「・・・・・・・・・」
一同それを聞いて鎮まりかえった。そしてシモンに対し頭を垂れた。
「わかってくれたか。ならば剣と斧を納めようではないか」
「ハッ」
皆シモンの言葉に従う。だがその中で別の動きをする者達がいた。
「おい、これはこの街を逃げ出すしかないぞ」
ピエトロがパオロに囁いた。
「さもないと俺達は打ち首だ。今度は俺達が斧にやられる」
「いや、大丈夫だ」
パオロは顔を青くさせたままで言った。
「俺に考えがあるからな」
そう言ってガブリエレを見た。
「あの貴族の馬鹿息子を上手く使えばまだ何とかなるぞ」
もう一人別の動きをする者がいた。あの老人である。
しかし彼は別に動いても誰かに囁いてもいるわけではない。群集達から解放されただ立ってシモンを見ているだけである。
その目は憎悪に燃えている。そしてシモンを見ながら内心呟いていた。
(何時までもそうやって権力の座にいられると思うなよ)
憎々しげにそう呟いた。
(今に思い知らせてやる。わしの長年の恨みと復讐をな)
だがそれに気付く者はいなかった。彼は一人シモンを睨み続けていた。
(あの老人・・・・・・)
シモンもそれに気付いていた。彼をチラリ、と見る。
(恐ろしい程似ている。だがもう死んでいる筈だからな)
そう思い直しガブリエレへ顔を向けた。
「ガブリエレ」
「はい」
彼は答えた。
「そなたはとりあえず収監する。暫くは大人しくしておくがいい」
「わかりました」
ガブリエレは衛兵達に連れられてその場を後にする。アメーリアはそれを心配そうに見送る。
「さて、後は・・・・・・」
パオロへ目をやる。
「パオロ」
「は、はい」
顔が蒼ざめているのを不思議に思った。だがそれは放っておいた。
「そなたに今回の誘拐事件の真犯人の捜査を命じる。そなたに市民の厳粛な法と名誉を委ねよう」
「わかりました」
パオロはそれを了承した。断ることは出来なかった。
「その者はこの部屋にいるという。ならば捜査は容易な筈。おそらく今私の話を聞き顔を青くし震え上がっていることだろう。そう、今この場所でな」
パオロはそれを聞きながらアメーリアをチラリ、と横目で見る。彼を睨みつけている。
「私はその者を決して許しはしない。白日の下に曝し懲罰を与えてやる。そしてその者に言おう」
そこで彼は一息置いた。
「呪われよ!とな。この者には必ずや神の裁きが加えられる」
そう言うとパオロを見た。
「そなたも繰り返すがよい。そして必ずや犯人を見つけ出すと誓え」
「わかりました・・・・・・」
彼は青くなった唇で歯が鳴るのを必死に抑えながら言った。
「呪われよ!」
彼はこの時恐ろしくなった。まさか自分で自分に呪いをかけることになろうとは。
(恐ろしい・・・・・・)
彼は心の中で呟いた。アメーリアはそんな彼を睨み続けている。
「犯人よ、今ここにいるのなら姿を現わせ!」
ガブリエレが叫んだ。
「そうだ、逃げていないで出て来い!」
それを受けて貴族の議員の一人が言った。
「呪われよ!」
彼等が叫んだ。パオロはそれを聞きながら自分の身に破滅の時が近付いている事を感じていた。
シモンの娘が出てきたな。
美姫 「再会できて良かったわね」
でも、何かややこしい事に…。
美姫 「この後は、どんな展開を見せるのかしらね」
うーん、楽しみだな。
美姫 「次回もお待ちしてますね〜」
ではでは。