斥候の情報では、敵の伏兵の数は一万八千とのこと。
 伏兵とはいえ、俺たちの軍の三倍以上の兵数だ。
 これを撃ち破るとなると、決して楽な事ではない。
 
「ここは、なんとか時間を稼ぎつつ、敵の突撃を凌ぎ、袁紹軍が反転してくるまで持ちこたえましょう。敵も私たちの軍を撃破出来なければ、退却を余儀なくされるはずですから!」

 しかし我らには天才軍師諸葛亮がいる。
 伏兵の出現に慌てていた彼女だが、もう冷静に策を練る事が出来るあたり、生粋の軍師なのだろうと、呆れ半分感心半分の割合で考えを巡らす朱里を見ていた。

「敵は伏兵がうまくいった時点でもう勝ちを意識しているみたいなので、陣形も取らずにガムシャラに突撃してきます。我々はしっかりと鶴翼の陣を布いて、敵軍を迎え撃ちましょう!」

 そして朱里はこの慌ただしい中でもしっかりと情報を集め、適切な策を俺に語る。彼女の明晰な頭脳に絶大な信頼を寄せている俺は、それを即座に了承し、愛紗に号令を掛けさせた。
 鶴翼の陣の最前線中央部に愛紗。左翼に俺、そして右翼は鈴々が出て、董卓軍の兵たちを迎え撃った。
















『恋姫†無双異聞 〜高町恭也伝〜』
 第十五章

















「ふむ……今回は正規軍が相手だから、厳しくなると思ったんだが」

 左翼の最前線で二刀の小太刀を振るいながら、俺は予想していたよりも敵勢力の圧力を感じない事に違和感を覚えていた。
 俺たちの軍の兵力は約五千。
 相手はおよそ一万八千。
 その兵力差を情報で知っていた事と、相手が黄巾党ではなく敵の正規軍である事から、今までとはレベルの違う圧力が来るのだろうと予測していただけに、実際に互いの軍がぶつかり合い、こうして剣を交えてみると、拍子抜けしてしまった。
 敵兵は思った以上に統制が取れておらず、遮二無二突撃を繰り返すばかり。錬度も正直低そうだ。

「伏兵による奇襲という作戦は評価出来ても、これではな……」

 右手より斬りかかってきた敵兵をあっさりと斬り捨てながら、冷静な目で相手の策を見据える。
 そして手早く刃に付着した血と脂を用意した手ぬぐいで拭き取った。最初の戦いで多くの敵を斬っていった際に、付着した血と脂のせいで『八景』の切れ味が落ちた事をふまえ、戦場に立つ時はそれらを拭き取る用の手ぬぐいを何枚か用意していたのである。
 もっとも、ここでの処置はあくまでも応急処置的な方法なので、戦いが終わった後にしっかりと手入れをしなければならないのだが。
 閑話休題。
 刃を拭った俺はすぐに前線に戻り、再び群がる敵兵を沈黙させていく。今日も相変わらず戦場で標的とされるべく、聖フランチェスカの制服に身を包んでいるのだが、乱戦になるとその効果は薄い。
 元々、戦いに慣れていない他の兵士たちの負担を減らすため、あえて戦場で狙われるという自殺行為にも近いやり方を取っている俺だが……

「いつの間にか……周りの兵士たちもたくましくなっていたんだな」

 俺の周りで前線を形成する味方の兵たちの奮戦ぶりを見ていると、時間の経過を感じずにはいられなかった。相変わらず愛紗の言いつけを守り、二人一組で敵に臨むという戦い方をしているが、敵兵との純粋な戦闘力の差を見ても、我が軍の兵たちは見劣りしていない。むしろ一対一でも勝てるくらいだ。
 これも鈴々や愛紗が少しずつ兵を鍛え上げた事による、一つの結果なのだろう。
 そんな感傷にも似た思いを持ちながらも、手は動かしていて、次々と敵兵を屠っていった。
 とはいえ、このまま目立たないままでは前線にいる意味がない。
 俺はあくまで“誘蛾灯”でなくてはならないのだから。

「董卓軍の兵士たちよ! 刮目せよ! 俺の名は高町恭也! この軍の総大将だ! 勝利を手に入れたい者、そして手柄が欲しい者はかかってこい! 全て俺が相手をしてやるっ!」

 左翼に群がる敵兵すべての耳に入る程の大声で、挑発した。
 その結果、

 おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっっっっっっ!

 敵兵の獣じみた殺気がこもった視線が俺に集中し、連中はこぞって雄叫びを上げ、こちらに突進してくる。
 ──狙い通り!

「だが……この首、そうやすやすとくれてやるほど安くはないぞ!」

 敵兵達は俺を四方から取り囲み、同時に襲いかかってきた。
 しかし、

「御神流……薙旋っ!」

 二刀の刃はいとも容易く獣たちを駆逐していく。
 もっと……もっと引き付けてやる!
 それが共に戦う味方の兵士たちを。
 そして愛紗達の負担を減らすと信じて。





















「うりゃりゃりゃりゃ〜〜〜〜〜〜っっ!」

 甲高い子供の声が戦場に響き渡る。
 吹き飛ぶ董卓軍の兵士たち。
 それは、彼ら──董卓軍の兵の目にはどう映るのか?
 姿そのものは、町中を元気に駆け回る子供のよう。
 しかし、その子供の手には己の身長の倍以上はあるのではないかと思われる長大な矛。更に恐るべきは……その矛を少女は自由自在に使いこなしているという事実。
 その姿はまさに圧巻。
 あまりに理不尽極まりない脅威。
 戦場に突如出現した、鮮血で彩られた幻想。
 少女の姿を借りた鬼神。
 張飛翼徳──鈴々の非現実的な強さの前に、伏兵に成功した董卓軍の兵士たちもその突進力を弱めてしまう。

「むぅ〜、戦いなんだからさっさとかかってくればいいのだ!」

 そして、当然と言えば当然だが。
 敵兵達はあえて鈴々を避け、他の兵士たちに向かっていき、違うところから前線を突破しようとする。が、鈴々としてはそれがつまらないのだ。

「もういいもん! そっちが来ないなら、鈴々が敵のど真ん中まで行ってやるのだ!」

 いつしか敵が自分を無視していくという状況に陥っていた事を認識した鈴々は、傍で剣を振るう部隊の副官に「ちょっとだけ出てくるから前線を維持しとくのだ」と言い含めると、猛然と敵軍に突進。
 難攻不落の壁として立ちふさがっていた鬼神が、今度は積極的に自分たちに突撃してきたのを見た董卓軍兵士たちの顔を青ざめさせるのだった。


















 そして中央部。

「はぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!」

 勇ましい裂帛の声。
 まるで激しくも美しい舞踊。
 絹のようにきめ細やかな黒髪が揺れ、青龍偃月刀が閃き、血しぶきが舞う。
 高町軍随一の忠臣にして、大陸にその武名を響かせる猛将、関羽雲長──愛紗は噂に違わぬ戦闘力を最前線でまざまざと敵兵達に、そして味方の兵士たちに見せつけていた。
 敵兵はその青龍刀の豪撃に震え上がり、味方はその次元の違う強さに奮い立つ。
 彼女の存在そのものが敵を萎縮させ、味方を鼓舞するのだ。
 ゆえに、常に味方の士気は高く、勢いがあったはずの敵兵を蹂躙していく。

「勇敢なる高町軍の兵士たちよ! 恐れる事はない! 奸賊董卓の軍など恐るるに足らず! 我に続けぇっ!」

 そして愛紗の声がさらに味方に力を与えていった。
 その姿。
 その強さ。
 その存在感。
 味方の兵士たちは彼女に心酔し、彼女のために命を懸ける。
 この軍の総大将は“天の御遣い”と呼ばれていて、彼の事を疑う者は皆無だ。しかし同時にこうも思っている。総大将が“天の御遣い”ならば、関羽将軍は“戦女神の生まれ変わり”だと。
 天と神。
 この二人がいる限り、俺たちが負けるはずはないのだと。
 その考えが、高町軍の兵士たちを屈強の武人へと仕立て上げる。
 鶴翼の陣を布いた時、やはり中央部は最大の激戦区となるのだが、もしかしたらここが一番優勢なのかも知れない。
 その事実を感じていたのは──










「ちっ! 寡兵の軍の前線すらも崩せないのか! 無能な連中め!」

 水関防衛の司令官でありながら、あえて今回伏兵部隊の指揮を直接執った華雄将軍である。
 今回の、彼女発案だった伏兵による後方からの奇襲。連合軍の背後を取り、あわよくば連合軍の中核である袁紹の軍にダメージを与える──それが彼女の目論見だった。
 しかし、その袁紹軍へと攻撃する前に自分たちを受け止めようとする軍があった──それが高町軍である。華雄が率いる伏兵部隊一万八千に比べ、ざっと見ただけでもこちらの半分以下の兵数。そんなモノならば、自分たちの障害にすらならないと判断した華雄は、兵たちにとにかく突撃をするように、と命じて高町軍を蹂躙する──はずだった。

「くそっ……これでは袁紹軍が態勢を立て直すではないか……っ」

 焦る華雄。
 無理もない。相手は鶴翼の陣を布いて迎撃する事で、あからさまに時間を稼いでいるのだ。その目的はもちろん軍を反転させるのに時間がかかる袁紹軍を待つため。元々大軍である袁紹軍に、この一万八千の兵でダメージを与えるのは、背後を奇襲するという条件下でないと成立しないのだ。
 しかし……

「華雄将軍! ダメです! 高町軍の前線は抵抗激しく、突破出来ません!」
「将軍に報告します! 袁紹軍が軍を反転させました。徐々にこちらへと接近してきます!」

 耳に届く報告は全てが状況悪化を意味するモノばかり。
 華雄とて認めたくはないだろうが、今回の作戦は失敗に終わったのだ。

「ちぃ! 押し切れなかったか……全軍転進! 水関に戻るぞ!」

 華雄は失敗してしまった悔しさを隠そうともせずに、部隊に号令を下す。作戦の成否を判断し、速やかに決断を下す、という意味では、彼女はなかなかの判断力と言えた。
 しかし彼女は冷静ではなく、ある事に気づいていなかったのである。
 そう──

「逃がさんっ!」

 ──元々部隊の中核にいたはずの自分が、「前へ前へ」という気持ちが出過ぎたのだろう、いつしか最前線近くまでその身を出していた事に。





















 敵兵の中で号令を下す銀髪の女性を見つけた時に、愛紗は直感した。
 彼女こそがこの伏兵部隊の統率者である事を。
 ならば──っ!

「逃がさんっ!」

 愛紗は迷うことなく飛び出し、銀髪の女性に向かって青龍刀を振り下ろした。
 しかし、

「ふんっ!」

 ぎっっっっっっっっっっぎぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃっっっっ!

 鈍くも耳障りな金属同士の衝突音を戦場に響かせ、銀髪の女性は愛紗の一撃を捌いたのである。手にしていた戦斧で。
 ここで愛紗は確信した。
 自らの豪撃を捌いたこの女性こそが、水関の司令官である華雄なのだと。
 だが、その華雄も今の一撃から愛紗の事を見抜いたようだ。

「ん? その青龍刀に今の一撃……ほぉ。お前が噂の関羽とやらか」
「我が名を知っているのか。ならば話は早い。華雄将軍よ、尋常に私と立ち合え!」

 ここで華雄を叩けば、連合軍の水関攻略はより楽になるし、何より自分の武名が──ひいては高町軍の評価が連合内でも上がる。
 そう考えた愛紗は華雄に一騎討ちを申し出たのだ。
 しかし、

「ふん。いくら名が高まっているとはいえ、寡兵の将を討って何になる……疾く退くぞ!」

 高町軍の後方から袁紹軍が迫ってるという現状を鑑みて、ここでの一騎討ちは得策ではないと考えた華雄はその申し出を無視した。馬の首を翻し、水関へと駆け出す。

「待てっ!」

 自らに背中を見せる華雄に向かい、再び青龍刀一閃。しかしそれを予想していたのか、逆に戦斧でその一撃を受け止め、自慢のパワーで押し返した。

「失せろっ!」
「ぐ……っ!」

 反撃を許さないとばかりに押し返された愛紗に向かい、華雄は馬を走らせる。その去り際に、

「ふっ、縁があればまた会おう」

 武人としての一面を、その不敵な笑みに浮かべながら。
 そして敵伏兵部隊は袁紹軍がこちらへとやってくる前に、素早く退却。
 高町、袁紹の両軍を迂回するようにして水関へと戻っていったのだった。

















「くっ……逃がしたか」

 華雄の追撃もままならず、千載一遇のチャンスを逃した愛紗の口からは、悔しさを滲ませた言葉が漏れる。
 そこへ、

「姉者ーーーーーーーーっ!」
「愛紗! 無事か!」

 右翼の鈴々、そして左翼の俺がとりあえず中央の愛紗と合流した。
 愛紗は見た目は怪我を負った様子もなく、しっかりと戦線を維持していたように見えたのだが、その表情は悔しそうに、そして申し訳なさそうにしている。

「御主人様。それに鈴々……無念です。敵将華雄を取り逃がしました」

 ……なるほど。今回の奇襲部隊は華雄自らが率いていたのか。で、愛紗が直接対面し刃を交えたモノの決着には至らなかったと。そのことを愛紗は自らのミスとでも考えて居るんだろう。
 俺はやれやれと肩をすくめてから、悔しさでうつむいている愛紗の頭を撫でた。

「ご……御主人様?」
「愛紗はよくやってくれているぞ。この激戦区をしっかりと維持もしたし……何より、怪我する事もなく、無事に俺の前にいてくれる。それが一番だ」

 うつむいていた顔はいつしか上がり、頬をほんのり赤くして潤んだ瞳でこちらを見上げる愛紗。

「御主人様……」

 む……何か、俺たち二人の間に妙な空気が? 甘いような、暖かいような……お、落ち着かない。
 しかしそこへ、

「ねーねー愛紗ー。華雄、強かったー?」

 鈴々が絶妙なタイミングで割って入ってくれたおかげで、その変な空気は霧散。硬直しかけていた俺も、なんとかいつもの自分を取り戻す事が出来た。
 心の中で安堵の息を漏らす俺。
 だが……鈴々が割って入った瞬間、愛紗の表情が残念そうに翳った気がしたのは……俺の見間違いだろう。
 その愛紗も、今はいつも通りの顔を見せ、鈴々の問いに答えていた。

「うむ。連合軍の動きを察知し、後方の山麓に兵を伏せていたようだ。先ほどの退き際も見事だったし。将としてはかなりのものと見ていいだろうな。それに先ほどの一撃……」

 愛紗はそこで一旦、自分の手のひらを見る。もしかして、華雄と戦った際に痺れを感じ、それがまだひいていないのか。

「……おそらく個人としての豪勇もかなりのものだろうな」

 愛紗の冷静な華雄の分析を聞いた鈴々は、何故か嬉しそうな笑顔を見せる。

「そうなんだー。う〜ん、鈴々はすごくワクワクしてきたのだ!」

 どうやら強敵がいるとわかって、かえってやる気になっているようだった。いや、まあ……それは心強いし頼もしいのだが……

「ワクワク……か。だがな鈴々。これは遊びじゃないんだぞ? そーゆーことをあまり兵士たちの前で言わないように」

 とりあえず、やんわりと窘めておいた。
 とにかく、これでなんとか連合軍がダメージを受ける事もなく、伏兵をやり過ごせたというわけだ。華雄率いる部隊も水関に戻るためには、現在水関を攻撃中の連合軍を突破しなければならないし、華雄達が水関に向かってる事は、当然今の戦いを見ていたはずの袁紹軍から前曲にも伝わってるはず。そうなれば、華雄は水関の手前で追い詰められるはず──

「御主人様ーっ!」

 そんな事を考えていると、部隊後方で指示を送っていた朱里がこちらへと駆け寄ってくるのが目に入った。その様子はどこか慌てている。

「……どうした? 何かまた起きたのか?」
「そ、それが……」

 走ってきたせいで息を切らしていた朱里は何とか呼吸を整えてから、間者から受けた報告を俺に伝えてくれた。

「華雄将軍率いる別働隊が連合軍の包囲を突破し、水関に入りました!」
「なっ!?」

 今まさに華雄たちの事を考えていただけに、その報告には驚かされ、言葉を失ってしまう。隣でその報告を聞いていた愛紗も、そのあまりにお粗末な話に頭を抱えた。

「はぁ……連合軍は何をしているのだ。みすみす合流させるなどと……」

 連合軍の前曲は、あの曹操と孫権である。あの二人がそのようなミスを犯すのは考えがたいのだが……

「どうやら袁紹軍の方から前曲の軍に華雄将軍の部隊の情報がまったく行ってなかったというのが原因ですね。突如後方から現れ、魏呉両軍の境目を割って入るようにして前曲を突破した華雄軍はただ駆け抜ける事だけを考えて水関へと帰還したようです。両軍は、まったく情報のない謎の一軍の出現と、攻撃を仕掛けるでもなくただ駆け抜けていくという行為を前にして、対応に迷いが出たのでしょう」

 俺の疑問を見透かしたかのように、朱里が前線の様子を語ってくれた。なるほど、そういうことか。つまりは、

「袁紹はホントにバカなのだ」

 その一言に集約されるのだ。
 獅子身中の虫……では、さすがに意味が変わってしまうが。それでも、この戦いにおいて一番厄介なのが連合の総大将の無能さなのかと思うと、その下に付いている俺たちとしては暗澹たる気持ちに陥ってしまう。
 とはいえ、そんな表情を兵士たちに見せるわけにはいかない。俺はあらためて表情を引き締めた。

「……とにかく。この後の連合軍の動きとしては、完全に砦に籠もった敵を撃ち破るため。城門を破砕、突破することが目的となるんだな?」

 その問いかけに応じたのは愛紗。

「そうですね。ですが不落の城塞に拠った敵は意気軒昂。統率する将は優秀……突破には時間がかかるでしょう」
「鈴々に任せてくれれば。ドドーンババーンで突破してあげるのにぃ!」

 愛紗の冷静な分析の後の鈴々の言葉に、思わず苦笑が漏れてしまった。どうやら鈴々は先ほどの戦いではまだ物足りないようである。

「今はとりあえず、後曲である俺たちとしては様子を見るしかないか。恐らく二度続けて同じ奇襲はないだろうが念のために後方にも注意を払いつつ、前曲の様子を見定めよう」

 俺の意見に頷いたのは朱里。

「そうですね。じゃあ兵士の皆さんにはちょっと休憩してもらいましょう」
「そうだな。では、よろしく頼むな朱里」
「はいっ♪」

 こうして、敵の奇襲を防ぐ事が出来た俺たちは、再び陣容を整えつつ兵を休ませ、その上でしばらく戦況を見守る事にしたのだった。



















 それからしばらく経って。
 連合軍総本陣──すなわち、袁紹軍本陣内にて。

「ちょっと顔良さんっ! 城門はまだ突破出来ませんのっ!?」

 後曲ということで今のところは何も危ない事がないこの場所で、聞くに堪えないヒステリックな声が響いていた。
 その声の主は勿論、連合軍総大将(自称)の袁紹本初である。
 そんな彼女のヒステリーを前にしても平然としているのは、黒髪のおかっぱが似合う、清楚な雰囲気を持った少女である──もっとも、不似合いとも言える鎧は身につけているし、背中に大きな鉄槌を背負っているので、その清楚さが幾分損なわれ気味ではあるが。
 袁紹軍でも誉れ高い猛将二枚看板の一人、顔良である。

「現在、魏の軍隊が大攻勢を仕掛けていますから、もう少しで突破出来ると思いますけど……」

 その見た目に見合った、控えめな声で前線の様子を顔良が報告した。しかし、袁紹は膠着状態が続く現状に不満があるらしく、親指の爪を何度も噛んでいる。

「姫〜、少しは落ち着けってー」

 そんな袁紹に対し、随分と馴れ馴れしく声を掛けてくるのは、一見少年と見間違えそうな中性的な顔立ちの少女だ。その表情には野性味と愛嬌が同居しており、周囲の空気を明るくさせるムードメーカー的な雰囲気を持ち合わせている。彼女もまた鎧を身につけ、背中には夏侯惇の大剣にも引けを取らない幅の広い剣を背負っていた。
 彼女もまた、二枚看板の一人。名前は文醜である。
 文醜は苛つく袁紹を宥めようとしたのだが、彼女は一向に落ち着かなかった。

「文醜さんみたいにのほほんとなどして居られませんわっ! 連合軍が攻撃を仕掛けて一体何時間経ったと思っていますの!」
「まだ三時間ぐらいだろ? そんなので落ちるんだったら城塞の意味ないじゃん」

 袁紹と文醜は間違いなく主従関係なのだが、どうやら文醜に限ってはこの言葉遣いが許されているようである。なので袁紹自身も、そして周りも文醜の言葉遣いを咎めようとはしないのだ。
 それはさておき。
 文醜の言葉はまったくもって正論であった。

「うんうん。そうだよねぇ」

 顔良も文醜の言葉にこくこくと頷いている。
 しかし、それを呑気と見たのか、袁紹はさらにヒステリックな声を上げた。

「きぃーーーーーーっ! あなたたちは名門袁家の二枚看板ではありませんの! それなのになんですの! その落ち着きようは!」

 地団駄を踏む主君の姿に、その二枚看板は揃って溜息をつくと、こそっと互いに耳打ちをする。

「(そもそも、今の膠着状態って前曲に華雄たちの事を教えなかった姫のせいじゃんか)」
「(そうだよねぇ。『おチビの曹操さんや無愛想な孫権さんに、なんでわたくしがそこまで気を遣う必要があるのかしら? 華雄の情報なんて教えてあげませんわ』なんて言わずにちゃんと伝令を回しておけば、華雄将軍だって討ち取れたし、もっと楽に水関を攻略出来たのに)」
「(結局は姫の自業自得なんだよなぁ)」

 そんな二人の小声での愚痴などいざ知らず、

「もっと勇猛に、私が城門を破って差し上げます、ぐらいのこと、言えませんのっ!」

 相変わらず無茶で適当な事を言う袁紹。

「そりゃ先鋒を任せて貰えればそれぐらいは言ったと思うけど……あたいらは後曲じゃん? ならのんびり待ってれば良いと思うんだけど」
「そうだよね。のんびり待ってましょうよ、姫」

 そんな袁紹のワガママには慣れきっている二人は冷静に対処するばかりだ。
 その冷静さにつられてか、袁紹もようやくテンションが下がってくる。

「むぅ……あなた方二人がそう言うのなら待ってさしあげてもよいでしょう。ですがあと一時間しか待てませんわっ!」
「あぅ……姫、無茶苦茶言ってる……」

 それでも、袁紹のワガママな要求は直りそうにもなく、顔良はガックリと肩を落とした。
 二人はこれまでに前線の様子を見ていた斥候達の報告を聞いているのでわかるのである。あと一時間で水関が落ちる事などあり得ないと。
 水関は元々頑強な要塞として有名で、そこにある程度の軍兵が入って守りに徹すれば、それだけでも突破は容易ではなくなる。ただ、今回に限っては敵司令官の華雄が自ら水関の外に出て奇襲を掛けてきて、しかもそれを寡兵の高町軍が防いだことにより、千載一遇のチャンスが舞い込んできたのだ。難攻不落の水関の外に、敵将がいる。その敵将を討ち取れば、籠もる敵も瓦解し水関の撃破はずっと楽になるはずだったのだ。
 しかしそれを台無しにしたのが……誰あろう袁紹なのである。
 敵将華雄はまんまと水関への帰還を果たし、今は完全に砦に籠もって応戦しているのだ。こうなってしまっては、単純な力押しで攻めるしかない。

「うーん……ならさぁ」

 文醜は決して策略などに明るい方ではないが、それでもこの現状は──袁紹と違って──理解しているため、自分たちには今は手がない、という意味も含めて、ある案を口にする。
 ……これが、のちに高町軍を窮地に追い込むこととなることに気づかぬままに。

「さっき活躍した高町軍でも前に出してみるとか? 力押しなんだから、寄せ手は多いに越した事はないし」

 その意見に真っ先に反応したのは、この三人の中では圧倒的に軍略に秀でている顔良だった。

「ちょ……文ちゃん、それは危険だよぉ。ただでさえ今は前曲は乱戦になってきてるのに、ここで新しい部隊を投入なんてしたら、戦場が更に混乱しちゃうでしょ」
「いやまあ、そうだよなぁ。でもさ、もうあたいらに出来る事と言ったらそれくらいだし」
「まあ、だから静観するしか……」

 文醜もそのあたりは分かっていての言葉だったらしい。それに安堵する顔良ではあったのだが、

「なかなか面白い策ですわね」

 これを本気にした人間がこの場に一人だけいたのは、

「「姫っ!?」」

 袁家二枚看板も予想外だった。
 袁紹はどこか晴れ晴れとした表情で、文醜を褒めそやす。

「文醜さんにしては良い考えですわ。ほんの少しだけ文醜さんのこと、見直してあげてもよろしくてよ」
「わーい、うれしいなぁ、と」

 袁紹の恩着せがましい褒め言葉に、棒読みの言葉を返す文醜。
 だが、すぐに真顔に戻った文醜は、あらためて袁紹に問いただす。

「って、マジでいいのかよ姫? まあ、自分で言っておいてなんだけど、けっこう危険な案だと思うんだけど」
「構いませんわ。このまま退屈でいるよりかはマシですし、どうせ前曲が混乱したところで我が軍は何も痛みはありませんもの」
「うっわ……ひでえな姫」

 その袁紹のえげつない考えに、言い出しっぺの文醜もさすがにドン引きだ。
 この後、顔良が必死にその案のデメリットを延々と語るのだが、袁紹は聞く耳持たず、

「ちょっと顔良さん! さっさと高町軍に命令してきなさいな! これはもう決定事項ですわよ!」

 命令は下されてしまうのだった。






あとがき

 ……最初はまだこんな感じで(ぉ
 未熟SS書きの仁野純弥です。
 最初の戦闘シーンが入った今回ですが、まだまだ様子見といった感じのお話となりました。あとは華雄と愛紗の顔見せ。そして……やはり袁紹、でしょうか。
 原作と差異はさほどないとはいえ、やはりきっついキャラですね、袁紹は(笑
  では最後に、ここまでこのお話を読んでくださってる読者の皆様と、SS公開の場をくださった氷瀬さんに最大級の感謝を。
 では〜。



伏兵の攻撃を防いだのは良かったけれど……。
美姫 「まあ、袁紹だしね」
しかも、今度は混乱している戦場を更に混乱させるような手を……。
美姫 「まあ、袁紹だしね」
そればっかりだな。
美姫 「まあ、袁紹だしね」
はいはい。にしても、酷すぎるような。
美姫 「次回は袁紹のせいで高町軍が過酷な状況になるのね」
果たして無事に乗り切れるのか。
美姫 「次回も楽しみにしてますね」
ではでは。



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