袁紹の命に従い、仕方なく軍を前進させていた俺たち。
 そんな時、悲鳴にも似た響きの朱里の報告が俺たちの耳に届き、

「魏軍、呉軍、ともに後退していきます!」
「「「な──っ!?」」」

 俺たちは絶句するのだった。















『恋姫†無双異聞 〜高町恭也伝〜』
 第十七章




















 いくら信じている朱里の言葉とはいえ、これはさすがに疑いたくなってしまう──というよりも、ウソであってくれという願いの方が強かったからこその疑問型だったが、現実は無情だった。
 俺たちの軍が進もうとする先は、まるでモーゼの十戒での有名なシーンを見るかのように、魏と呉の兵たちが左右に分かれ、そして速やかに退いていく。そんな様子が俺たちの目にも見えていた。

「どういうことなのだ!? これじゃ鈴々たちが先鋒になっちゃうのだっ!」

 さしもの鈴々もこの状況の危険さを認識しているらしく、その声には焦りがある。

「御主人様! このままじゃ敵の攻撃が私たちに集中しちゃいます! 後退を──っ!」

 更に焦っているのは、誰よりも早くこの異常に気づき、この状況の意味するモノを理解している朱里だった。
 言うまでもない。このままでは俺たちが最前線に押し出される格好になる。そうなれば……

「よしっ! 全軍後た──っ」
「城門が開きました! 敵軍、突出してきます!」

 ……こうなるだろうさ、当然。
 “全軍後退”という俺の号令よりも先に届いた予測出来ては居た報告に、俺は自分の反応の遅さに腹を立て、悔しさを噛みしめた。

「とにかく、今は軍の前進を止めるんだ!」
「は、はいっ! 全軍止まれーっ!」

 前に向かって行軍する兵たちをいきなり後退させるのは無理がある。今はとりあえず全員の足を止めるのが先決だった。
 うちの軍の錬度は高い。愛紗の号令の後、兵たちの足はすぐに止まった──のだが、今度は水関より敵軍が迫ってきていた。
 ここで迷っている時間はないし、朱里にここで一発逆転の策を出せ、と言う方が無茶だ。朱里は優れた軍師だが、彼女とて人間なのだ。決して万能ではないし、不可能を可能には出来ない。
 まず俺たちがすべき事は速やかに軍勢を下げること。そして、せめて下がった魏軍や呉軍と同じくらいの位置で戦線を確保することだ。
 しかし、ここで転進して下がったとしても、確実に前から迫る水関からの軍に捕まるのは間違いない。
 となれば、すべき事は一つ。

「朱里、俺の直衛部隊を最前線に。俺が殿に立って敵の進軍速度を落としてる間に、本隊を下げるように。出来るな?」
「「「なっっっ!?」」」

 俺の案に愛紗、鈴々、朱里が呆気にとられていた。
 しかし、そんな事をしてる時間はない。迷いが軍の被害をより甚大にさせる事は俺にだってわかる。ここは迅速な動きが……

「ふざけないでくださいっ!」

 真っ先に硬直から抜け出したのは愛紗だった。
 その愛紗の怒鳴り声で、鈴々と朱里の硬直も解け、

「いくらなんでもそれは無茶なのだ!」
「何を考えてるんですか御主人様!」

 一斉に反対の集中砲火を浴びる事となる。

「何を……って。言うまでもないだろう? すぐに俺たちの軍を下げる必要がある。しかし、敵の進軍速度を考えた時、ただ下がるだけでは魏や呉の連中がいる位置まで辿り着く前に追いつかれてしまうだろう? だから俺が殿に立って──」
「それがふざけてるというのですっ! 御主人様は我が軍の大将なのですよ! その大将がもっとも危険な殿に立つなど、もってのほかです!」

 特に愛紗の怒りようは半端ではなく、俺が主でなければ殴っているとでも言わんばかりの迫力だった。ただ、トーンの違いはあるものの、鈴々と朱里も愛紗の言葉には頷いていて、

「愛紗の言う通りなのだ。お兄ちゃんは何でも自分でやりすぎなのだー」
「お二人の言う通りです。御主人様の案は頷けますが、その役目を御主人様にやらせるわけにはいきませんっ」

 これだけは一歩も退かないと言う気迫に満ちあふれている。
 三人が怒るのも分かるし、言いたい事だって理解は出来る。俺はこの軍の大将という立場なのだから、殿に立たせるわけには行かないと言う事も。だが、俺としてはこの危険な役割を他の誰にもやらせたくはないんだ。
 しかし、

「朱里、私が直衛部隊と共に前に出る。御主人様と鈴々は本隊の防衛を。朱里は作戦の指揮を頼む」
「愛紗!」

 やはりと言うべきか、愛紗が進んで殿を申し出る。責任感の強い彼女の事だ。こういった場合、必ず前に出ると思っていたし、実際に鈴々も朱里も、愛紗ならばと反対はしない。
 愛紗は一歩も退かないと言いたげな眼差しで、俺を見つめてきた。

「……よろしいですね?」
「…………」

 理性ではイエスだが、感情ではノーだ。
 愛紗はうちの軍でも鈴々と並ぶ双璧で、その強さは勿論俺以上。彼女以上に殿をつとめるのに相応しい人間はいない。だが、それでも……っ。

「御主人様。私を……信じてはいただけませんか?」
「え……?」

 俺の前に立つ、愛紗の声のトーンが変わった。
 先ほどまでは有無を言わせぬ、という不退転の意志を込めた言葉だったのに、今の愛紗の眼差しは優しさに満ちている。

「御主人様が心配してくださるのはもちろん嬉しいです。ですが、今の私は信頼を頂きたいのです」
「愛紗……」

 ……俺は何をバカな事を考えていたのか。
 愛紗の言う通りだ。俺がここで迷う事……それは、俺が彼女の力を信じていない事と同義となる。それは武人である彼女に対しての侮辱に他ならないのだ。
 まったく……俺は男としても、軍の将としてもまだまだだな。

「……頼めるか。愛紗」

 俺はあらためて彼女に殿を頼んだ。
 すると、愛紗の凛々しい顔に再び不敵な笑みが浮かぶ。

「お任せ下さい御主人様。我が名は関羽……幽州の大地より出でし大徳を守る最強の矛。最強を名乗る以上、あの程度の兵どもに遅れは取りません」

 決して声を張ってるわけではない。だが、その穏やかな声での言葉は誰よりも力強く、聞く者全てに安心感を与えてくれた。
 これが愛紗──関雲長か。
 大きいな……とてつもなく。

「では、殿は愛紗に任せ、俺たちは軍を下げるぞ! 本隊は速やかに転進!」

 俺の号令に鈴々と朱里が頷き、兵たちがそれに応え、すぐに動き始める。その場に愛紗と彼女の直衛部隊だけを残し。
 だが、ここでただ後退するだけじゃないのが我らが軍師、諸葛亮──朱里だった。

「両翼の皆さん! 弓を持っている人はすぐに構え、合図と共に一斉射してください! 狙うは──敵の前線です!」

 後退しつつ、全速力で愛紗たちに迫る敵兵達の勢いを削ぐために、矢による攻撃で牽制する気なのである。

「三、二、一……発射です!」

 朱里の合図と同時に軍の両翼から矢が放たれ、敵軍の鼻先をかすめていく。それに驚いた敵兵たちは思わず足を止めてしまった。まさに狙い通りである。

「よしっ、弓兵たちはよくやった! 今度は全員駆け足だ! 俺たちが早く下がれば、その分愛紗達の負担が減るんだからな!」

 俺は必死に兵たちを鼓舞して、兵たちを走らせた。
 ただただ、愛紗の無事を祈りながら──。




















 後方より飛来し、自分たちの頭上を越えて敵軍先頭に降り注ぐ矢の雨。それにより敵の出足が鈍ったのを見て、愛紗は小さく笑みを浮かべた。

「ふっ……朱里の指示か。ありがたい援護だ。これで敵の進撃も遅れるし、こちらも準備が出来る」

 愛紗は今は必死に後退しているであろう小柄な軍師殿へ感謝をしながら、迫り来る敵兵の数を目算する。

「ひぃ、ふぅ、みぃ……ふむ。敵はおよそ三千とちょっとと言ったところか」

 そこに愛紗の直衛部隊の副官を務める部隊長が何かに気づいたらしく、声を上げた。

「関羽さま! 敵の旗が……っ!」

 副官が指を差した先にあるのは“華”の一文字が入った旗。
 それはすなわち、華雄自らが水関から出てきた事を表していた。それを見て、愛紗は呆れるような溜息を漏らす。

「ああ。華雄将軍自らお出ましのようだな……優れた将だと思っていったが、見込み違いのようだ」

 数時間前の奇襲攻撃の時は、その作戦実行能力と退き際の見極めから、華雄の将としての資質の高さを見た愛紗だったが、今回のこの出撃を見て認識を改めた。
 敵軍から見れば、魏と呉による苛烈とも言うべき攻撃に晒され防戦一方だったところ、突如魏と呉の大軍が下がり、寡兵の高町軍が進軍してきたのを見れば、その寡兵に軍を一当てしてダメージを与える事で下がっていく一方だった軍の士気を高める事が出来る。
 そう考える事は司令官としては決して間違いではないと、愛紗だって思っていた。しかし、そこにわざわざ司令官自らが出てくる事はない。仮に司令官が出ると言っても周囲の人間が止めるべきなのだ。
 それは奇しくも先ほどの恭也と愛紗のやりとりと似ている状況でもある。
 しかし恭也は下がり、華雄は出てきている。
 これが両軍の差となる──愛紗はそう断言出来るのだ。

「どういう作戦にするのですか? 関羽さま」
「わざわざ敵は司令官が出てきてくれたのだ。この隙を逃す手はない。狙うのは敵将華雄ただ一人。部隊そのものは敵に一当てしたあとすぐに下がるが、私は華雄の頸のみを狙う。兵の指揮はお前に任せる。いいな」
「分かりました。では私たちは関羽将軍が一騎討ちに専念出来るようにお守りします」
「……頼む」
「はっ!」

 殿を引き受けた愛紗の元には直衛部隊がおよそ千人。迫る敵の兵数は約三千。
 しかし愛紗に不安は微塵もない。

(あの方のためにも……あの方に、あのような顔をさせないためにも)

 思い出すのは、殿を決める際に見せた恭也の──心から自分の事を案じてくれているあの顔。
 愛紗には分かっていた。彼が武人としての自分を信じていなかったわけではない事を。
 彼は優しいのだ。そして、彼自身が今まで鍛え上げてきた戦闘技術が優れているが故に、自分が前に出ようと考える。
 彼はきっと、自分が身を挺してみんなを守ろうとする意識が強すぎるのだ。
 それがわかっているからこそ、愛紗は彼に対して苛立ちも怒りもない。
 もちろん──女性問題に関しては話は別だが。

「さて……そろそろか」

 敵の先頭が見えてきた。
 愛紗は得物──青龍偃月刀を握る手に力を込める。
 殿こそは武人の誉れ……だが、今の愛紗はかつてないほどに落ち着いていた。
 昂りもなく、気負いもない。
 己のすべき事はただ一つ。
 無事に……彼の元に戻る事。
 それだけだと思うと、愛紗の心は軽くなったのだ。
 愛紗は振り返り、この場に残った兵士たちを見据える。
 自分たちよりも多い敵軍を前にしても絶望した様子はない。
 そこにあるのは、自分たちだって戦えるという自信と……愛紗への絶大な信頼。

「では行こうか……皆の命、私が預かる」

 おおおおおおおおおおおおおおおおおおおっっっっっっ!

 兵士たちの呼応の声が、雄叫びのような音量で愛紗の身を震わせた。力強い信頼の証に愛紗は小さく笑い、

「全騎突撃! 狙うは敵将華雄の頸一つ!」

 一直線にこちらへと向かってくる敵軍に、自ら先頭に立って突撃を敢行するのだった。




















 武人である華雄にとって、先ほどの伏兵による奇襲で袁紹軍に届かなかった事は屈辱だった。
 水関に籠もるようにと言われ、配置された兵数は三万五千。しかし、向かってくる連合軍の兵数は十万を超えるのだ。軍師賈駆に大口を叩いたのはいいが、まともにぶつかれば勝ち目がない事など、華雄にだって分かっている。だからこそあの作戦を立案し、自らが伏兵部隊を指揮したのだ。伏兵でありながら軍の半分の兵数を伴い、総大将の頸だけを狙った会心の策。成功は間違いない──はずだった。
 しかし、結果は…………失敗。
 自分が率いた奇襲部隊は袁紹軍に届くどころか、その前に立ちはだかった寡兵の高町軍によって勢いを殺されてしまい、結果として敗走することとなったのだ。
 なりふり構わぬ逃走が功を奏し、水関に戻る事は出来たが、奇襲部隊として連れて行った一万八千の兵は半減。その後の水関での魏、呉の両軍からの苛烈な攻撃の前に、更に兵は減り続けた。
 屈辱だった。
 こうしてただいたずらに兵士の数が減っていく事が──ではない。
 武人として、自分が何も出来ていない事こそが屈辱なのだ。
 今の華雄は“武人としてのプライド”だけが突出し、将としての自分を見失っていたのである。
 そんな時だったのだ。
 魏と呉の軍勢が下がっていき、代わりにあの──寡兵の高町軍が前面に出てきたのは。
















 ──全ては奴らが居たからこそ、何もかもが上手くいかなかったのだ!
 華雄は怒りの矛先を向けられる相手を見つけたのである。
 そして武人としての自分の見せ場も。
 どういう意図なのかは知らないが、魏と呉が下がり高町軍が上がってきた事は華雄にとってはチャンス以外の何物でもなかった。兵数も多く錬度も高い魏や呉に比べれば、高町軍程度なら出撃しても勝てる相手。それに弱小とはいえ敵の一軍を撃破したとなれば、味方の士気も一気に上がる──という、武人として暴れる事が出来る免罪符じみた言い訳も立つ。

「すぐに出撃し、高町軍を潰す!」

 自ら先頭に立ち、水関を出ようとする華雄。
 しかし、副官達は当然彼女の行為を制止する。それは副官としてはごく当たり前のことだ。
 敵の弱い部隊を倒して士気を上げる、という意見そのものは問題はない。しかしそれをこの水関の司令官が自ら出る必要はどこにもないのだ。

 ──ただでさえ、華雄将軍は先ほど自ら出た奇襲部隊でも失敗を……。

 だが、そう口を滑らせた副官の一人は、華雄によりその言葉を言いきる前に物言わぬ肉片と成り下り、彼女の出撃を止める者はいなくなった。
 そして華雄は精兵を引き連れ、水関の門を開け、果敢に突撃していくのである。

 それを見送った副官達は、静かに水関から脱出した。
 彼らに未来予知など出来ない。だがそれでも、華雄が二度と水関には戻らない事だけは予測出来ていたから。




















 愛紗の直衛部隊と、華雄の精鋭部隊。
 互いに進軍速度を上げ続け、両部隊の距離は一気に縮まっていった。
 愛紗には華雄達の。
 華雄には愛紗達の。
 敵の馬蹄の音が大きくなっていくのを感じる。
 そして、自分たちの足音と敵の足音が激しく混ざり合った時。

 おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっっっっっっっ!

 両軍は激突した。
 それぞれの部隊の先頭を駆けるは、部隊を率いる将。

「関羽! 我が戦斧の血錆となれ!」

 馬上から降り、長い柄の先についた全てを叩き割る刃──戦斧を自在に操る董卓軍、華雄。

「笑止! 我が名は関雲長! 我が一撃を天命と心得よ!」

 同じく下馬し、見目鮮やかな業物──青龍偃月刀を我が手足のごとく扱う高町軍、関羽。
 二人の英傑はこの戦場での決着を望み、互いに武人としての誇りを賭けて、刃を交える。

「ほざくな関羽っ!」

 一気に間合いを詰める華雄。
 しかし愛紗はその迫力に圧されることもなく、

「華雄ーーーーーーーーーーーーーっ!」

 気合いを込めた叫びと共に、青龍刀での横薙ぎの一撃を華雄に浴びせた。

 ぎぃぃぃぃんんっっっ!

「く……っ!」

 戦斧の柄でなんとか防いだモノの、愛紗の一撃は華雄の手を痺れさせるほどの豪撃。そのあまりの威力にさすがの華雄も表情を歪めた。
 それを見た愛紗が不敵に宣言する。

「預けておいたその命、今こそいただこう!」
「舐めるな! それは私の台詞だっ!」

 が、華雄もまだその戦意が萎えたわけではなかった。
 二人の誇りと、意地と、武技が、激しくも耳障りな刃の衝突音をBGM代わりにしてぶつかり合う。
 それは豪快にして繊細。
 華麗にして粗野。
 激しくも美しい。
 互いの兵士たちが最強と信じ、従ってきた将軍同士の激突。
 二人の戦女神の競演に、いつしか周囲を囲む兵士たちは目の前に敵がいる事も忘れ、ただただ魅入られていたのだった。
 そして両軍の兵士たちが見守る中で、愛紗と華雄の一騎討ちは続いていく。
 互いに相手の肉はおろか骨まで断つ程の斬撃を放ちながら、決定打が出ない中、徐々に変化が生まれ始めていた。
 それは周囲の兵たちの目から見ても、気づくほど……“華雄の動きが鈍って”いたのである。
 最初は互角に打ち合っていた二人だったのだが、時間が経つに連れ華雄が受けに回る事が増えてきたのだ。

「どうした華雄! その戦斧は飾りかっ!?」
「くっ……」

 なおも苛烈を極める愛紗の攻撃。
 やがて防戦一方になっていく華雄。
 この二人の差は何なのか?
 もちろん、単純に言えば二人の実力の差、と言うモノがあるだろう。
 愛紗の膂力、技術ともに華雄をわずかに上回っているのは間違いなかった。しかし、それだけではこれほどの差は生まれない。
 では、その決定的な差とは何かと言うと……それは、精神状態の差だった。
 武人としての誇りを取り戻すためだけに戦斧を振るい、その焦りが攻撃に反映されている華雄。
 この戦いで生き残る事だけを考え、目の前の華雄を撃ち破る事のみに集中している愛紗。
 この二人の心の在り方こそが、最大の違いなのであった。

「その程度か華雄!」
「ぐっ……調子に乗るなっ、関羽!」

 自分が追い詰められている事に気づいていながらも、それでも虚勢を張る華雄。
 そんな華雄に、愛紗が挑発的な笑みを浮かべて見せた。

「調子にも乗るさ! 我が相手に不足があるのだからな!」
「……っ!」

 その言葉は、焦りで波立つ華雄の心に、さらなる波紋を生む。
 これは自らの武人としての誇りを取り戻すための出撃。
 そして武人としての矜持のための一騎討ちだった。
 しかし、その一騎打ちで自分の実力が出し切れていないことに華雄自身も気づき、何故今になって実力を発揮出来ないのかと内心で自問自答していたのである。その雑念こそが、彼女の戦斧をより鈍らせる事も理解出来ないままに。
 そこへ、今の愛紗の一言が来たのだ。

 ぎり……っ!

 その歯ぎしりの音は、愛紗の耳まで届く。
 その音の大きさは、自分自身への不甲斐なさに対する焦りと、目の前の強敵──関雲長に嘲りを受けた事による怒りゆえのものだった。
 そして華雄の瞳に、狂気にも似た怒りの炎が宿る。

「許さん……許さん許さん許さんっ!」

 それはもはや獣の咆哮のようだった。

「武において私を愚弄するなど断じて許さん! 我が武の器は無比! 我が武技は無双! 貴様などに遅れはとらんっ!」

 完全に冷静さを失っていた華雄に、

「ふっ……」

 愛紗はなおも挑発的な笑みを見せる。
 それが例え、挑発だと分かっていても、

「嗤うなぁぁぁーーーーーっ!」

 もう華雄には己の怒りを律する事は出来なくなっていた。
 もはや華雄が守らんとするモノは、己の矜持のみ。
 その思いの、なんとちっぽけな事か。
 それに比べ愛紗の“守る思い”は桁が違った。

 付き従う兵たちのため。
 今もなお後退を続ける仲間たちのため。
 幽州で平和に暮らす民たちのため。
 そして……愛する主君のため。

 半狂乱で突っ込んでくる華雄に、愛紗は憐れみの眼差しを見せる。

「これしきの挑発に乗るとは愚か──だが、その心根こそはまさに武人。その素晴らしき武人の魂に。我が力の全てを込めた一撃で応えよう」

 そして愛紗の瞳に再び闘志が宿り、青龍刀を構えた。

「関羽ーーーーーーーーーーーっ!」

 特攻を掛けてきた華雄の怨嗟の叫び。
 しかし愛紗は彼女の全てを受け止め、悠然と名乗り上げた。

「そう……我が名は関羽。幽州の青龍刀にして天下無双の武人なり!」

 もはや愛紗の言葉も耳に届かないほどに怒り狂った華雄が戦斧を振り上げる。
 そして、愛紗もまた──
 
「うらぁぁぁぁぁぁぁぁぁっっ!」
「我が一撃を天命と心得よ!」

 隙だらけの華雄の肩口に、青龍刀の刃を走らせた──っ。





















 剣戟の響きと怒号、悲鳴が絶えない戦場において。
 今、この場所だけは静寂に包まれていた。

「………………」

 大地に倒れ伏しているのは銀髪の猛将。
 そして、その前に悠然と立っているのは、

「……華雄よ。あなたは素晴らしき武人であった。が、将としては未熟だった。それが、我らの差だ」

 黒髪の戦女神、関雲長だった。
 愛紗は絶命した華雄の遺体を前にして、黙祷を捧げる。
 それはまるで友との別れを惜しむような、悲哀を感じさせる表情だった。
 やがて瞼を開いた愛紗の顔にはもう、悲しみはない。
 そして、華雄の血で彩られた青龍刀を高々と掲げ、

「敵将華雄! 高町が一の家臣、関雲長が討ち取ったりーーーーっ!」

 戦場にいる全ての人間の耳に届けとばかりに、勝ち鬨を上げたのだった。




















「なるほど……関羽がね。さすがと言うべきかしら」
「華琳さま? 何かご不満が?」

 夏侯惇はその様子が不思議でならなかった。
 元々曹操は関羽に執心していて、彼女の強さと美しさに惹かれている。ならば彼女の活躍は、喜ばしいはずなのに。

「不満なんてないわ。あのコは必ず私のモノにしてみせる……その思いはますます強まったわ」
「はぁ……」

 しかし曹操の表情からはかすかな苛立ちが感じられた。
 それは、恐らく夏侯惇のように常に彼女の傍にいるモノでしか分からない変化。
 だが、その苛立ちの理由だけはわからないままだった。

「桂花」
「はっ!」
「頸を切った亀の甲羅を叩き割るのに、銀の剣は使う必要はないでしょう?」
「御意。あとの事はお任せを」
「ええ……春蘭、桂花。後は任せるわ。私は天幕で休ませてもらうから」




 二人に指揮権を預け、さっさと自陣の天幕へと入った曹操は、一人で自らの内から湧き出る苛立ちを制御していた。

「てっきり殿にはあの男が立つモノだと思ったけれど……臆病風に吹かれたか?」

 曹操から見た高町恭也という人物の性格からして、彼自身が殿に立つと予測していたのである。しかし殿に立ったのは関羽だった。恭也が戦う事を予見し、彼の戦闘能力を見極めようとしていた曹操は、この結末に不満があったのである。
 だが一方で、

「まあ、普通に考えれば一軍の大将が殿に立つことなんてあり得ないのだし、軍で最高の武を誇る関羽が殿に立つのは当たり前と言えば当たり前なんだけど」

 将としての恭也の事を考えた時、今回の采配は評価出来るのだ。
 だからこそ苛立つ。
 だが、その苛立ちを解消する術を見出すことが出来ずにいた。






















 関羽が華雄を討ち取ったのとほぼ同時。
 陣の天幕で休息を取っていた孫権は軍を指揮する周瑜の前に姿を現した。

「関羽が華雄を討ち取ったか……」

 英傑ゆえの素質が一人の武人の命の散り際を感じさせたのか。目に見えぬ何かを感じて出てきた孫権が何の感慨も持たない声で呟いた。
 それに驚くでもなく、周瑜は言葉を返す。

「はっ。関雲長……あの者はかなりの豪傑かと」
「ああ……あやつは今後、呉の難敵になるかもしれんな」
「御意……」

 強敵となる事を予感させる言葉をしみじみと呟く主君に、周瑜の意味ありげな視線が向けられた。無論それを感じる孫権ではあったが、やはりそれを咎めることはない。

「……興覇」

 そして、甘寧将軍を呼び、

「はっ!」
「あとは任せる。虎牢関攻略を念頭に置き、兵を無駄に損なうなよ」
「御意!」

 水関制圧の陣頭指揮を任せた。
 その命を横で聞いていた周瑜は表面上こそは不満を見せずに、主へ伺いを立てる。

「……蓮華(れんふぁ)様はお出にならないので?」

 主が命令を下した後にこのような問いかけをしてくる周瑜に、孫権は一瞥した後、

「雑兵を掃除するのに私の指揮が必要か?」

 聞くまでもない事を問うな、と言わんばかりの口調で問いかえした。
 しかし、やはり周瑜は悪びれた様子もないままに、孫権の問いに答える。

「いえ……ならばあとはわたくしが指揮を執りましょう」
「ああ……伯言、下がるぞ。供をしろ」
「はーい♪」

 再び天幕へと戻る孫権は、側に控えていた巨乳少女──陸遜伯言を連れてその場から退場した。

「では……ごゆるりとお休みください」

 とても主に向けているとは思えない、挑発的とも取れる笑みを浮かべながらの、含みを持たせた言葉を黙殺しながら。
 そんな主──孫権の背中を見送りながら、

「ふ……威風あり、しかして覇気は策に及ばずか」

 周瑜は誰の耳にも届かぬほどの小声でそう呟いたのだった。




















 愛紗が華雄を討ち取った後、それを見計らって魏と呉の軍勢は再び前線へと兵を戻し、ここぞとばかりに水関を再攻撃していた。
 司令官華雄を失い、そしていつしか副官すらも姿を消していた水関に、この両軍を抑える事が出来るはずもなく、その後呆気なく陥落する事となる。
 そんな中、愛紗と彼女の直衛部隊は水関への攻撃には参加しなかった。
 彼女には何よりも優先してすべき事があったから。
 それは──



「ただいま戻りました……御主人様」
「おかえり、愛紗…………無事で、良かった」



 ──彼の元に還る事。
 そして、彼の笑顔を見る事だった。






あとがき

 ……戦闘は書いてて不安だなぁ(ぉ
 未熟SS書きの仁野純弥です。
 今回は愛紗と華雄のガチバトルがメインとなりました。まあ、原作通りではあるのですが。自分なりの解釈だったり演出だったりを組み込んでみたのですが、それが成功したかどうかは……不安なところですね(苦笑
 今回で水関を突破した連合軍。次は……当然“彼女ら”が待ち受けてるワケです。まあ、連合軍の敵は、むしろ自分たちの中(袁紹)にあるのが問題なのですが。
 では最後に、ここまでこのお話を読んでくださってる読者の皆様と、SS公開の場をくださった氷瀬さんに最大級の感謝を。
 では〜。



とりあえず、第一の関門は突破。
美姫 「華雄、散ってしまったわね」
ああ。さーて、次回はいよいよ彼女が出るのか? 出るのか?
美姫 「どうなるのかしらね」
いやー、次回が楽しみだよ。
美姫 「次回も首を長くして待ってますね」
ではでは。



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