袁紹軍の遼西侵攻。
 実に十万という大兵力で幽州東部の遼西に攻め入った袁紹軍は、容赦なく公孫賛軍を蹂躙した。
 公孫賛軍も奮闘し、敵の兵力を八万近くまで減らしたモノの、やはり数の差は圧倒的。
 更に言えば、この遼西遠征には“袁紹が参加していない”という利点もあって、袁紹軍はスムーズに公孫賛の居城を包囲するに至ったのだった。
 そんな総大将不在の袁紹軍を束ねるのは──

「あー、やっとここまで来たかぁ。けっこう手こずったな、斗詩」
「ホントに……さすが公孫賛将軍って感じ。でも、さすがにここまで来れば、ね」
「……これで姫が参加していたらどうなっていたことやら……」
「あははは……猪々子(いいしぇ)ったら、怖いこと言わないでよぉ。そんなの……言うまでもないでしょ?」
「あー、そうだなぁ……半分は減ってたかもなぁ」

 ──袁家の二枚看板、文醜と顔良である。



















『恋姫†無双異聞 〜高町恭也伝〜』
 第三十四章




















 遼西攻略の袁紹軍は大将に文醜、副官に顔良を据えていた。
 これまでの戦いは、圧倒的な兵力差ゆえに野外戦闘はほとんどなく、大半が攻城戦となっていたのである。まあ、公孫賛軍の総兵力が二万五千で袁紹軍が十万なのだから、これは当然の形と言えた。
 公孫賛はこの絶望的な状況の中でも、諦めることなく抵抗し続ける。
 しかし、そんな公孫賛の必死の抵抗も……ここに来て限界が来ていた。

















「……外の様子は?」

 居城の玉座にどっかと腰を下ろしていた公孫賛はその隣に立つ副官に声を掛けた。

「兵たちの士気はいまだ高く、奮戦しておりますが……」
「いかんせん数が違いすぎるか」
「はっ……」

 悔しそうにうつむく副官。それに引き替え公孫賛はどこかサバサバとした表情で、今の報告に頷いていた。
 現在、この城は袁紹軍の攻撃に晒されている。
 公孫賛軍は籠城し、城門を破ろうとしている袁紹軍相手に、必死に抗戦していた。
 すでにこれまでの激戦で兵数は減り続け、今ではこの城に残る兵数はわずか三千弱。それでも誰一人諦めず、袁紹軍の攻撃を凌いでいた。
 それはひとえに、公孫賛軍の結束力の高さゆえ。

「みんな、本当に頑張ってくれている……そのことにはいくら感謝してもし足りないな」
「何を仰いますか。皆、御主人様のお人柄に惹かれ、貴方様の善政に感謝しているからこそ、恩を返すべく奮闘しているのです。そのようなお言葉は……」
「だが、私にもっと力があればこんなことには……と思ってしまうんだ」
「御主人様……」

 表情こそはいつも通りの公孫賛だったが、その心の裡にはやはり悔しさが滲んでいた。
 公孫賛軍は約四倍の兵力差の中で、それでも善戦していたと言える。この圧倒的な戦力差の中でも、公孫賛軍は自軍と同等のダメージを袁紹軍に与えていた。しかしそれでも、公孫賛が胸を張ることはない。
 戦争に必要なのは過程ではなく結果なのだから。
 どんなに善戦しても、負けてしまっては意味がないのだ。
 不意に、かつてこの地に客将として身を寄せていた少女の言葉が脳裏に蘇る。


『公孫賛殿は手ぬるいな。それでは一県の将となれても、一国の主にはなれまい』


 その言葉を聞いた時は腹も立ったし、そんなことをぬけぬけと言った少女の鼻を明かすべく、もっと大きくなってやろうとも思っていた。
 しかし現実はこうである。
 公孫賛は、かつての客将が残した言葉を実感せざるを得ない境遇に陥った事に対して、自虐的な笑みを浮かべた。

「まったく……これでは趙雲の言う通りではないか」
「は……?」
「いや、なんでもない。さて……せっかく兵たちが奮戦してくれているのに、ここで大将と副官がのんびりしているのも悪い気がするな。何か策はあるか?」

 公孫賛は先ほどの自分の弱音を誤魔化すように、副官に冗談じみた問いかけをする。自軍は寡兵ながら必死の防戦。相手はもう完全な力押しで城を攻め続けていた。そんな中で今更策を弄しても意味がないことは公孫賛自身が一番理解している。
 だからこそ、今のは冗談──だったのだが。

「……一つだけ、私に考えがあります」
「おいおい……珍しいな。お前がこんな冗談に乗って──」
「我々が敵を引き付けている間に、御主人様は城を脱出していただくというのは、いかがでしょうか? こちらですでに逃走経路は……」
「ちょっ! な、何をいきなり……?」

 冗談のつもりだった公孫賛に対し、副官の返答はまったくもって冗談ではなかった。
 副官の表情は真剣そのものである。
 それを見て、公孫賛も表情を引き締めた。

「何を言い出すんだお前は? そもそも逃げると言ってもどこに逃げろと言う? 私たちの領土でまだ袁紹軍の支配下になってないのはこの城しかないんだぞ? それに、みんなが今も諦めずに戦い続けている中、私だけが逃げるなんて……」
「……啄県ならば、きっと御主人様を受け入れてくださるのではないでしょうか?」
「……っ」

 啄県──それは、現在“天の御遣い”と呼ばれる青年、高町恭也が治める地。
 副官は、公孫賛に恭也の元へと落ち延びよと言っているのだ。
 不意に出てきた啄県、という地名に戸惑いを見せる公孫賛。

「な、何を言い出すんだ! 我々は高町と同盟関係を結んでなどいないのだぞ!」
「確かに正式な同盟は結んでませんが、友好的な関係にあるのは間違いないでしょう。それに高町殿は私が見たところでは、義理堅く誠実な御仁です。快く御主人様を受け入れてくれると思いますが」
「う……っ」

 副官の冷静な予測に、公孫賛は言葉を詰まらせた。
 彼の予測はおそらく間違ってはいないだろう。恭也ならばどんな状況であれ公孫賛を受け入れてくれる……彼はそんな男だ。
 しかし、だからこそ公孫賛は、

「それでも……私はここを逃げ出すことはしたくない。一緒に戦ってきた仲間を置いて、一人逃げ出すなど、どうして出来る!?」

 誰よりも仲間を大切に思っている彼の前に立てるはずがない。
 それこそ……仲間を見捨てて逃げ出すなど、論外だった。
 しかし、それでも副官は引こうとしない。

「……御主人様。そのお気持ちは正直、嬉しいです。だが、勘違いしないで頂きたい」
「勘違い?」
「我らは決してバカではない。この状況で勝利を信じている兵なんて一人も居ません」
「…………」

 思わず押し黙る公孫賛。
 それは言われるまでもなかった。この戦いは最初から敗色濃厚だったのだから。

「それでも最後まで戦おうと、士気高くあるのは……貴方様という希望にすがりたいからなのです」
「私が……希望?」
「御主人様さえ生き延びてくれれば……いつかまた、この遼西は救われるのだと。この地はしばし、袁紹軍が統治することになるでしょう。占領地となった遼西は重税に苦しみ、民達は理不尽な思いをするかもしれません。それでもいつか公孫賛様がこの地を取り返し、再び善政を布いてくださると……それだけを希望として、今、兵たちは奮戦しているのです」
「そ、そんな……」
「事実、すでに兵たちには御主人様を何とかこの城から脱出させたいという旨を私は話してあります」
「なっ!? 何を勝手な事を──っ」
「皆、納得してくれましたよ」
「ま、まさか……」
「嘘ではありません。だからこそ、今もなお兵たちはこうして戦い続けているのです」

 この現状こそが、兵たちからの雄弁な答えだった。
 彼らが寡兵ながら……敗北を悟りながらもなお愚直に戦い続ける理由。
 それはこの絶望的な中で、一つの希望を見出しているからだった。

「これは、この城に残った三千十二名の願いです。御主人様……この城を脱出してください!」

 副官が深く頭を下げて懇願する。
 その姿に──そして、今だからこそわかる兵士たちの思いに、それまで脱出など全く考えなかった公孫賛に初めて迷いが生じていた。

「私は……私は……っ」

 しかし……時はあまりに無情である。
 公孫賛と副官しかいなかった玉座の間に、悲鳴のような報告が聞こえてきたのだ。

「じょ、城門を突破されましたーっ! 袁紹軍が一気に雪崩れ込んできますーっ!」
「「っ!?」」

 その声に、場内は騒然となる。
 そして、

「やれやれ……どうやら説得は遅かったようだな」

 公孫賛は、その報告をキッカケに迷いを捨てた。

「こうなってしまえば、もう……脱出するにも遅すぎるだろう?」
「そ、そんなことはっ! まだ時間は──っ」
「無理だな。仮にお前の言う抜け道を使って脱出したところで、すぐに奴らには見つかってしまう。敵の目的は私の頸なんだ。奴らは追ってくるさ」
「…………」

 彼女の言葉は正論で、副官は何も反論は出来ない。自分の説得が遅すぎたのだと、副官は唇から血が滲むほど、己の不甲斐なさを悔しがっていた。
 そんな彼の姿に微苦笑を浮かべながら、公孫賛はゆっくりと玉座から立ち上がる。そして、腰に帯びていた鞘から己の剣を抜き放った。

「私に希望を託して戦ってくれた兵たちには、本当に申し訳なく思ってる。せいぜい地獄で腰が痛くなるまで頭を下げさせてもらうさ」
「御主人様……」
「だからせめて……最後は多くの袁紹軍の兵士たちを道連れにして、前のめりに死なせてもらおう」

 副官は公孫賛の瞳を見る。
 そこにあるのは、覚悟を決めた武人の瞳だった。
 もう、彼女を逃がすことは出来ない……それを痛感するほどに潔い目の光を見て、副官もまた剣を抜く。

「では……せめて最後までお側で戦わせてください」
「好きにしな」
「はっ!」

 二人は並んで待った。
 この玉座の間を……より多くの袁紹軍の兵士たちの血で染めるべく。





















「よっしゃーっ! どんどん突っ込めーっ! 敵の大将の頸を取れーっ!」

 もはや日も暮れかけた頃、ようやく城門を突破したのを見て、文醜は景気のいい声を上げて、兵士たちを城内へと突入させていた。
 そして、

「斗詩! あたいたちも行こうぜ! 公孫賛をぶっつぶしに!」
「え〜? 私たちも行くの? 大将と副官だよ? 今の私たち」
「構うかっての。それに、公孫賛だってけっこう強いって言うし。あたいたちが行かないと兵士たちがいっぱい死んじゃうだろ?」
「それは……まあ」
「んじゃ、とっとと公孫賛倒して、冀州に戻ろうぜ!」

 その兵たちと共に、文醜と顔良もまた敵城内へと突貫する。

 今回の攻城戦でも、袁紹軍は多くの兵を失っていた。
 当初十万で遼西に攻め込んでいたのに、今ではその兵数は八万をきっている。だがそれは、この軍を率いている文醜と顔良が将として無能だったというわけではない。むしろ、突撃バカと言っても過言ではない文醜を顔良がしっかりと宥め、最善の策をとっていたのだ。しかし、敗戦濃厚にもかかわらず公孫賛軍は兵の士気が高く、予想以上の奮戦ぶりを見せて二人を苦しめてきたのである。
 ゆえに、常に優位に戦いを進めてきた袁紹軍ではあったが、それを指揮する文醜は思った以上に手こずってることに苛立ち、副官の顔良としても正直気疲れが溜まっていた。
 だからこそ、二人とも今回の戦いにケリをつけて、さっさと冀州へと戻りたいというのが本音だったのである。












 半ば暴徒と化した兵たちと共に城内を突き進む文醜と顔良。
 そんな二人に次々と、城内の各施設を制圧したという報告が入ってくる。
 しかし、ただ一つだけ。
 この戦いの終結を意味する報告だけは一向に入ってこなかった。
 それは──

「……もしかして公孫賛のヤツ、逃げちゃってたりして?」
「可能性はなくはないかな。逃げるだけの時間は与えちゃったし……でも、あのひとの性格上、ちょっと考えづらいかも」
「あれ? 斗詩は公孫賛と面識あんの?」
「うん……ちょっとだけ、ね」

 公孫賛を倒すか捕らえたという報告だけは、未だ二人の耳には届いていない。
 城内の大半を制圧し、抵抗していた公孫賛軍の兵士たちも殲滅したのに、肝心の大将撃破の報告だけがないことから、文醜は公孫賛脱出の可能性を考えたのだ。
 しかし、顔良はそれを否定する。
 かつて連合軍で顔を合わせたことがある顔良は、公孫賛という女性がこの場から一人逃げ出すとは思えなかったのだ。
 そんな顔良の否定の言葉に、文醜は特に気分を害した様子はない。それどころか、

「ま、あたいとしては斗詩の言う通りの方が助かるけどね! ちょーっとイライラしてっからね。ここまで来たら強いヤツと剣を交えて、このイライラを解消したいし」

 強い相手と戦えるかも、という期待のせいか嬉しそうでもあった。
 この殺伐とした現状にそぐわない無邪気な顔を見せる文醜に苦笑する顔良。
 そんな二人の元に、味方の兵の一人が慌てて駆け込んできた。

「ぶ、文醜様っ! 顔良様っ!」
「んだよ、斗詩と話をしてる時に……うっさいなぁ。下らない用事だったらぶっ飛ばすぞ?」
「もう、文ちゃん!」

 話の最中に割り込まれたのが気に入らないのか不機嫌になった文醜を窘めてから、顔良は兵に報告を促す。

「敵の玉座の間にて、敵将公孫賛とその副官らしき者がいまだ抵抗を続けています! 敵は鬼神のごとき強さで我が軍の兵を次々と斬り伏せていってまして……我らではとても」
「鬼神たぁ、大袈裟なんじゃねーの? 公孫賛は腕は悪くないって聞いてるけど、そこまで言うほどはなぁ、斗詩?」
「油断はダメだよ文ちゃん。死を覚悟した人間ってけっこう厄介なんだから」
「そんなもんかね……まあ、いいや。ならお前!」

 文醜は報告しに来た兵士に命令する。

「あたいらを公孫賛のいるところに案内しな! この文醜様が公孫賛を倒してやるよ!」

 文醜は背中の大剣を抜き放ち好戦的な笑みを浮かべながら、その兵士の案内の元、公孫賛の元へと向かった。
 兵士の案内でずかずかと歩を進める文醜の後に、顔良も続く。
 そして程なくして、二人は玉座の間へと到着した。

「おらおら! 大将様のお通りだ! どいたどいた!」

 玉座の間の前には、多くの兵士たちが群がっており、文醜達はその兵士たちを押しのけて、中へと入る。すると、

「……へえ」
「…………」

 かつては荘厳さと美しさを兼ね備えていたであろう玉座の間は……数え切れないほどの袁紹軍の兵士“だったモノ”と、おびただしいほどの鮮血に彩られ、凄惨な空間へと成り果てていた。
 そしてその空間の中央の玉座の前には、息を切らせながら剣を構える女性の姿。そしてその隣には、これまでの戦闘で負傷したのか、剣を杖代わりにしてかろうじて立っている副官の男がいた。
 その光景に、文醜は不敵な笑みを見せ、顔良は息を飲む。
 その二人の顔を見て、女性──公孫賛は乱れた呼吸を整えつつ、

「やれやれ……さすがに剣が重くなってきたなって思った時に、袁家の二枚看板の登場とはね」

 死を前にしているとは思えないくらいの軽口を叩いた。
 それが決して虚勢には見えないことが、かえって文醜は気に入ったらしい。

「へへっ、随分と余裕じゃないか」

 彼女を強敵と見なしたのか、文醜は笑みを浮かべながら、大剣を構えた。
 しかし、そんな文醜の前に手を出し、彼女のやる気を削ぐ者が一人。

「……斗詩?」
「ごめん、文ちゃん。その前に少しだけ話をさせて」

 顔良が文醜の前に割って入り、公孫賛と向かい合った。
 そして、穏やかな声で挨拶を交わす。

「ご無沙汰してます、公孫賛将軍」
「よう、顔良じゃないか。連合の時以来か」
「はい」

 今の顔良に敵意がないことを察知した公孫賛は、構えていた剣を下ろした。
 ……正直なことを言えば、構えるだけでもしんどいくらいに公孫賛は疲れ果てていたので、これは良い休憩となる。

「で、話って?」
「……ここまで来てなんですが……投降しませんか? そうしてくだされば、姫……袁紹様には私の方から上手く取り次いで、極刑は免れるようにしますから」
「……斗詩?」

 突然の顔良からの申し出に、公孫賛は勿論、相棒である文醜すらも驚いていた。
 今回、袁紹からこの二人が受けた命は、公孫賛軍の殲滅と公孫賛を討ち取ること。仮に捕らえたとしても極刑は間違いないと、文醜は理解していた。だが顔良の申し出は、その袁紹の命を覆す内容だったのだ。
 では、何故顔良がこんな事を言い出したのか?
 それは──

「随分とお優しいじゃないか、顔良将軍」
「別に……ただ、あなたは遼西の民に慕われてますから。あなたを殺すより生かしておいた方が遼西の統治はやりやすいと思っただけです」
「へぇ……そんな理由だったのか」

 公孫賛は顔良の言葉を聞いて、意地の悪い笑みを浮かべた。

「私はてっきり、高町のことを気にしていたんじゃないかと思ったんだけどね?」
「なっっっ!?」

 公孫賛のからかうような指摘に、顔良は一瞬にして顔を上気させて絶句してしまう。
 その顔良の後ろでは、彼女の内心の事情など知る由もない文醜が「なんでここで西幽州の太守の名前が出るんだ?」と言わんばかりに首をひねっていた。
 そんな顔良のリアクションを見て、公孫賛の冗談じみた指摘は、実は間違ってはいなかったことが見て取れたのである。
 つまり、

「ここで高町と仲の良い私をあんたが殺したりすれば、次にどんな形で向かい合うにしろ、顔向けが出来ないとか考えていたんじゃないのか?」

 そういうことだったのだ。
 しかし、その本心を文醜や味方の兵の前で認めるわけにもいかず、顔良は力一杯否定する。

「か……関係ありません! べ、別に高町さんのことなんてっ! そ、そんなことより……どうなのですか!? こっちの問いにまだ答えをもらってませんよ!」

 いまだに意地の悪い笑みを浮かべている公孫賛に、先ほどの問い──投降への呼びかけ──の答えを迫る顔良。
 公孫賛はその顔良の剣幕に合わせるかのように、からかうような笑みを引っ込めた。
 そして逆に顔良を睨むように見据える。そのあまりに冷たい公孫賛の視線に、顔良は上気していた顔の温度が一気に零下まで下がったような感覚を覚えた。

「悪いな……あまりに馬鹿げた問いだったから、答える必要なんて無いと思ってた」
「な……っ!?」
「だって馬鹿らしいだろう? そもそもこっちに投降を勧めるのなら、どうして開戦前に降伏勧告をしなかった? そもそも一方的な宣戦布告をしたのもそっちだろうに。それでここまでうちの軍をタコ殴りにしてから投降しろだって? これが冗談だとしても笑えないし、本気だとすれば……それこそ悪質じゃないか?」
「そ、それは……」
「だから、少しは笑えるようにしたやったのに……いらない気遣いだったか?」
「…………」

 言葉こそはいつものサバサバした公孫賛らしいモノではあったが、先ほどのからかう口調とは全く違う痛烈なまでに尖った語調は、まるで吐き捨てるかのよう。
 だが、公孫賛の怒りすら含んだ言葉は正論であり、顔良は自分の発言がいかに無神経なモノであったのかを思い知らされてしまったのだった。

「……これが答えでいいだろう? で、どうするよ、顔良?」

 簡単に言えば、誰が袁紹軍なんかに降るかバーカ、ということである。
 こうなってしまえば、もう公孫賛に情けをかけることなど誰にも出来ない。それを待っていたかのように、顔良の肩に手を置くモノが一人。

「もういいだろ、斗詩?」
「……文ちゃん……」
「ややこしいことは抜きで。公孫賛は降る気ないんだし、だったらやることは一つ、だよな?」

 文醜はそのままやんわりと顔良の身を押しのけるようにして、公孫賛の前へと出てきた。
 戦いたくてうずうずしていた文醜は、もう待ちきれないといった様子である。
 この遼西侵攻のため、十万もの大軍を任され攻め入ったモノの、大半が攻城戦で出番がなかった。そしてなにより、ここまで予想外の苦戦を強いられてきたことで、文醜のストレスは溜まりに溜まっていたのである。
 だが、ここでようやく文醜はそのストレスのぶつけどころを見つけた。
 敵将との一騎討ちという、腕に覚えのある文醜にとってはこれ以上ない、諸々の感情を発露出来る絶好の機会。
 しかしそれも、相棒の顔良が「話があるから」などと言われ待ったをかけられたことで、ちょっとした“おあずけ”状態にされてしまったのだ。
 そして、今に至るのである。
 もう……これ以上は待てない。
 文醜の爛々と輝く瞳は雄弁にそう物語っていた。

「公孫賛の方はどうよ? お疲れみたいだけど、あたいと一騎討ちする気はあるかい?」

 好戦的であり、なおかつ挑発的な問いかけ。
 文醜の、早く戦いたいという気持ちが代弁されているような真っ直ぐさに、公孫賛は苦笑を浮かべた。

「まったく……単純でいいね、あんたは。羨ましいよ」
「む? なんかバカにされてる感じ?」
「いやいや。言ったろ、羨ましいって……まあ、もっとも袁紹なりあんたなりの傍にいる顔良あたりには同情するけどね」
「はっはっはっ! 何を言うかと思えば。姫はともかく、あたいは斗詩に迷惑なんて全然かけてないぜ。なあ、斗詩…………って、なんで目を逸らす斗詩!?」
「あはは……」

 笑って誤魔化すしかない顔良。
 そんな相棒の対応に不満を抱きつつ、文醜は再び公孫賛と向かい合った。

「ふんっだ。その辺あとできっちり追及するんだからな! っと、そんなこと言ってる場合じゃない。で、どうなんだよ公孫賛! やるのか? やらないのか?」
「……ここまで来てやらないなんて選択肢はないだろう? こちとら疲れてるんだから、そっちからかかってこいっての」
「上等っ!」

 それが──合図のようなモノだった。
 文醜は嬉々とした表情で大剣を肩に担ぐような構えで公孫賛へと突撃。公孫賛も剣を正眼で構えて文醜を迎え撃った。

「どっっっせぇぇぇぇぇぇい!」
「っっっ!」

 担いでいた大剣を袈裟斬りの要領で振り下ろす文醜。それはもはや暴風とも言うべき驚異的な斬撃だった。公孫賛にはすでにそれらの攻撃をかわすほどの体力も残されておらず、自らの剣でそれを受け防ぐのみなのだが。

 ぐぁぎぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃんっっっっ!

「くあ……っっ!?」

 受け止められても構うもんかと言わんばかりのフルスイングに、公孫賛が剣で受け止めたままの形で吹っ飛ばされる。公孫賛の足の裏が床に二本の直線を描きながらも、必死に踏ん張って数メートル後方でなんとか踏みとどまった。
 しかし、

「いつつ……なんつー馬鹿力だ」

 靴の裏は摩擦で焦げた匂いを上げ、剣を握っている両手は尋常ではない威力による痺れていて、公孫賛は顔をしかめる。
 武器だけで見れば、公孫賛の剣だって普通の剣に比べれば刀身も長く刃幅も広い“大剣”と言えるシロモノではあった。
 しかし、文醜のそれは桁が違う。文醜自身の身長にも届きそうな刀身と人の顔が丸々全部隠れてしまいそうな刃幅。そして何があっても折れそうにない重厚さを備えていた。それは、もし騎兵がいたならば、馬上の人間はおろか馬そのものまで真っ二つにしかねないほどの凶器である。
 公孫賛の剣も普通の剣よりも幾分重いのだが、文醜の大剣は“剣”でありながら、超重量武具と言っていいほどの重みがあった。ゆえに、この武具もまた使い手を選ぶのだが、文醜はこの大剣をしっかりと使いこなしている。
 恐るべきは文醜のパワーであった。

「うらうらうらーっ! まだまだいくぜーっ!」
「ちっ!」

 手の痺れも取れない中、再び猛突進してくる文醜の姿を見て、公孫賛は舌打ちをしながらも再び剣を構える。そして、

「どりゃぁぁぁぁぁぁぁぁっっ!」
「くぅ……っ!」

 再びの文醜渾身のフルスイング。
 受け止めても弾き飛ばされるだけの公孫賛。
 受け止めているにもかかわらず、公孫賛の体力は削られ、両腕には深刻なダメージが溜まっていった。
 公孫賛とて反撃だってしたいし、あんな馬鹿力の攻撃だってかわしたいというのが本音である。しかし文醜主導で始まる攻防では、完全にあちらに間合いを支配されていたのだ。同じ剣という武器ではあるが刀身に差があるので間合いは文醜の方が広いのだ。そして文醜はきっちりと自分の攻撃だけが届き、敵の刃が届かない位置からしっかりと攻撃をしている。考えなしに突撃しているように見えて、戦闘では案外冷静な部分を持ち合わせていた。これが、公孫賛が反撃出来ずにいる理由。
 そして、どうしてかわせないか……それは、単純に公孫賛が疲労しきっているからだ。すでにこの玉座の間にて三桁を数えるほどの敵兵士を斬り捨てている公孫賛は、その疲れもピークに来ている。そもそも、ここ連日の袁紹軍の大攻勢で大将である公孫賛はおちおちと寝ていられるはずもなく、すでにここ数日は徹夜続きなのだ。それで体力が持つはずもない。

「まったく……どうせなら疲れてない時に来いっての」

 小声で愚痴をこぼす公孫賛。
 その呼吸は疲労で乱れ、剣を構える腕も痺れて震えていた。表情にも疲労の色はありありと浮かび、立っているだけでやっとと言わんばかり。
 それを見ていた、負傷している副官は、

「このままでは、御主人様が……っ。せめて私が……」

 身を挺してでも公孫賛を守ろうと、死力を振り絞って前に出ようとした。
 しかし、

「……仮にも大将同士の一騎討ちなんですから、そこに割って入るのは野暮ですよね?」

 その副官の背後からかかる声。
 副官は目を見開き、慌てて振り向くと、そこには──鋼鉄製の巨大の槌を上段に構える少女──顔良の姿が。

「くっ……」
「大人しく見ていてください。今のあなたでは私の大槌はかわせないでしょ?」

 言葉こそは丁寧だが、そこにはしっかとした殺気が含まれていた。
 顔良とてただただ優しいだけの少女ではない。彼女もやはり“袁家の二枚看板”なのであった。
 こうして邪魔が入ることもなく、大将同士の一騎討ちは続く。
 とは言っても、一方的に文醜が攻撃し、公孫賛は受けるだけという一方的なモノ。
 それはもはや、一騎討ちというよりも“公開処刑”の意味合いすら感じさせるモノだった。

「しぶとい……なっ!」

 文醜が渾身の袈裟斬りを浴びせ、

「ぅぐっっっっっっっ!」

 公孫賛は必死に受け防ぐ。
 普通なら、文醜の一撃を一度受け凌ぐだけでも奇跡的だというのに、公孫賛はその体力の消耗しきった身体で、実に六度も耐えたのである。
 しかし……さすがに七度目の奇跡は、起きなかった。

「これで……どうだーっ!」

 ごぉぉぉぉぉっ!

 唸りを上げる文醜の大剣。

「く……っ」

 公孫賛は痺れて感覚のない腕を必死に上げて、その一撃を受けようとするが、さすがに限界だった。

 ぎっっっっっっっぎぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃんっっ!

「っっっっっっっ!?」

 七撃目……ついに公孫賛の手から剣が弾き飛ばされ、文醜の豪撃を受けきれなかった身体は壁に強かに叩きつけられてしまった。

「かは………………っ!?」

 背中から叩きつけられた公孫賛は、壁にそのまま背中を預けるようにずり落ちてしまう。気絶してもおかしくない勢いで壁に叩きつけられたが、公孫賛には気絶すら許されなかった。

「うくっ!?」

 壁に叩きつけられた際に背中と共に右肩を強打したようで、右肩から激痛が走り公孫賛は表情を歪める。その状態を確認すべく、公孫賛は左手でその右肩を押さえようとしたが、

「……ちっ、もう左手も動かないか……」

 幾度も文醜の豪撃を受けてきた左手は、もう公孫賛の命令を受け付けず、だらりと下がったままだった。

「へっ、まあ良く耐えた方だと思うぜ、実際」

 そこへ、再び大剣を担いで文醜がやってくる。
 多少息は上がっているが、それでもまだ文醜には余裕があった。

「出来れば、あんたが万全の時にやっておきたかったけどな」

 壁に寄りかかるようにしてへたり込む公孫賛と、大剣を構える文醜。
 それは何よりも雄弁な勝者と敗者の姿だった。
 事実、文醜の顔には勝ち誇ったような笑みが浮かんでいる。
 しかし、

「……そんなこと言ってもいいのかよ? もし私が万全だったら、立場は逆転していたかも知れないんだぞ?」

 敗者である公孫賛の方には、敗者の絶望感は見られなかった。
 今もなお不敵な笑みを浮かべ、文醜を見上げている。だが、文醜はそんな公孫賛の虚勢が気に入ってるようだ。

「それが面白いんだろ? 戦いなんて所詮は賭けだよ賭け。どっちに転ぶかわかんないから面白いんじゃんか」
「……なるほどね。賭けるのは命……それが戦いってことか」
「そーゆーこと。で、あたいが勝って、あんたが負けたんだから……もう、覚悟は良いか?」
「覚悟なんて前から出来てるさ……好きにしな」
「上等!」

 公孫賛は笑みを見せたまま目を閉じ、文醜は彼女の潔さに共感し、やはり笑った。
 そして、

「んじゃ……あばよ、公孫賛!」
「──っ」

 文醜の大剣が公孫賛の首をはねるべく、無情にも振り下ろされる──。



















 ──だが。

「なにぃっ!?」

 後ろの壁ごと公孫賛を斬ろうとしていた文醜は、想像していた手応えではなかったことで驚きの声を上げ。

「え……?」

 公孫賛の最後を見届けようと、目を逸らさずに見ていた顔良は、文醜の大剣が公孫賛に届く寸前、彼女の身体が“消えた”ように見えたことで驚きの声を上げた。
 そして……











 次の瞬間、主不在だった玉座の前。

「ご……御主人様っ!」

 そこに、公孫賛を抱きかかえた漆黒の人影が佇んでいたことに最初に気づいたのは、公孫賛の副官の男だった。






あとがき

 ……やはり戦闘シーンは苦手です……(汗
 未熟SS書きの仁野純弥です。
 遼西攻防戦……と言うには一方的な戦局から始まる今回。すでに敗色濃厚な公孫賛軍と、大将不参加ということで余裕がある(笑)袁紹軍のそれぞれの様子を見てもらいました。
 悲壮感漂う公孫賛陣営がメインと言うことで、ちょっと暗くなっちゃったかもしれませんが、まあ今回の公孫賛編はこんな感じなので覚悟してもらえると助かります(ぇ
 では最後に、ここまでこのお話を読んでくださってる読者の皆様と、SS公開の場をくださった氷瀬さんに最大級の感謝を。
 では〜。



袁紹が居ないだけでここまで違うのか。
とまあ、冗談はさておき……冗談じゃないだろうけど。
ともあれ、いきなりピンチな戦局だな。
美姫 「数が違いすぎるわね」
だよな。顔良の態度に思わず笑みを零しつつ、公孫賛のピンチにハラハラ。
美姫 「最後の最後でようやく到着ね」
うあー、とっても気になる所で次回に。
美姫 「次回が待ち遠しいわね」
楽しみに待ってます。
美姫 「待ってますね〜」



▲頂きものの部屋へ

▲SSのトップへ



▲Home          ▲戻る