『カヴァレリア=ルスティカーナ』




 第一幕 オレンジは花の香り


 イタリアの中でもシチリアという場所は独特の場所である。ここはそれぞれ地域性の強いこの国の中でもとりわけ強烈な個性を放っていることで有名だ。
 あの有名なマフィアはここにルーツがある。かつては山賊であったが時の王が治安維持の為に彼等を警察にしたことがはじまりであるとも言われていればフランスへのレジスタンスがはじまりであるとも言われている。実際はどうやら前者の方が正しいようであるが。後者は神話であると言われている。
 そのマフィアはファミリーを中心として独自の規律を持っている。一族の絆を重んじ、そして苛烈である。血には血を、報復には報復を。それがマフィアである。
 これはマフィアだけではない。シチリア全体にある規律だ。やられたらやり返すといった考えはこの場所においては絶対的なものがある。とりわけ裏切りには厳しい。
 そう、裏切りには。そこには不貞も含まれる。これはその不貞と制裁の流血の話である。
 シチリアの復活祭の日。人々はこの有り難い日を祝い宴に興じていた。その朝に遠くから歌声が聴こえてくる。
「ミルク色のシュミーズを履いたローラ」
 若々しい声である。高く、艶もあるが何処か物悲しい声であった。
「御前がその口許に笑みを浮かべるとそれは桜桃の様に白く、赤くなる」
 それは男の声であった。恋人を想っているのであろうか。
「御前に口付けを出来る者は幸福だ。そこに何があろうともそれが出来れば俺はそれでいい」 
 深い愛である。彼はそこに全てを賭けているようである。
「天国に行こうとも御前がいなければ意味はない。俺にとっては」
 その歌声はシチリアの朝に聴こえてくる幻だったのだろうか。何処かに消え失せてしまった。だがそれは確かに耳に残るものであった。シチリアの者達の耳に。
 そんな歌が残る祝いの朝。この村でも人々は宴に興じていた。
「ほらほら、オレンジも出して」
 教会の前であった。着飾った女達が朗らかに言う。
 服は赤に青に緑に。どれ一つとして地味なのはなかった。若い娘達も夫のいる中年の女達も皆着飾っていた。彼女達は晴れの日に相応しく晴れ晴れとした顔であった。
「この季節はオレンジよ」
「花もね」
 その中の幾人かが言う。
「オレンジの実だけじゃ足りないわ」
「花がないと。それで祭を飾りましょうよ」
「そうね、花も必要ね」
 皆それに頷く。
「オレンジのかぐわしい花の色と香りで」
「この祭を祝いましょう」
「おい、娘さん達」
 その女達に村の男達が声をかける。
「何かしら」
「今日は機は織らないのかい?」
「あのリズミカルな音は今日はないのかい?」
「ないわよ」
「今日はお祭なんだから」
 彼女達は元気よくそう返す。古い教会の前はもう色取り取りの服と朗らかな笑顔、そして豊かな物で溢れ返っていた。そこにはそのオレンジもオリーブも、そして赤ワインもあった。まさにシチリアの祭であった。
「その代わり神様の恵みがあるわよ」
「恵みが」
「そうよ、今日は復活祭」
 元々は異教の祭であったがキリスト教に取り入れられた。キリストの復活した日であるとされるが実は太陽がまたその照らす時を増やすはじまりだと言われている。こうした他の宗教を取り入れている祭はキリスト教にも多い。クリスマスにしろそうななのである。
「黄金色の恵みがあるわよ」
「その恵みは」
「そう、麦よ」
 女達はここで嬉しげに言った。
「主から」
「そしてマリア様から」
「そう、今日は恵みの日」
「蘇られた主が我等に恵みをもたらす日」
「この日ばかりは」
「歌いましょう、優しい歌を」
「そして恵みをもたらす歌を」
「皆で」
 その場で酒や果物で乾杯をはじめた。教会の前で皆歌い踊る。
 教会の中から賛美歌が聞こえる。そこでも神と主が讃えられていた。誰もがこの日を祝っていた。だがそれをすることが許されていない者もいたのであった。
 皆が宴に興じているその端に彼女はいた。暗い顔で黒い服に身を包んで。悲しげな顔でそこに立っていた。宴は彼女とは関係がないようであった。
 黒い髪に茶色の目、鼻が高く彫が深い。整った顔立ちと言えた。
 だがその表情は実に暗かった。祭は心にすらないようであった。そこに寂しそうに立っていた。
 彼女の名をサントゥッツァという。この村に生まれこの村で育っている。だが以前妻子ある男と密会していたことから教会に破門を言い渡されていた。シチリアではマフィアの他に教会の力も強い。その為彼女はいつも黒い服を着て一人寂しく暮らしているのである。それが破門された者の宿命であった。
 賛美歌が終わり教会の中から人々が出る。その中に一人の中年女がいた。中年といってもまだ若さが残っている。赤い髪に黒い目の気のしっかりしていそうな女性であった。
「ルチーアさん」
 サントゥッツァは彼女の姿を認めると声をかけてきた。
「あら、サンタ」
 ルチーアは彼女の声に気付き顔をそちらに向けた。
「どうしたの?ここに」
「トゥリッドゥの姿が何処にもないんです」
 サントゥッツァは彼女にそう答えた。
「村中探したんですけれど」
「そろそろ帰ってくる頃よ」
 ルチーアはそれに答えてこう述べた。
「実は昨日酒の買出しに言ってもらって」
 彼女の家は居酒屋をやっているのだ。夫がなくなってからは息子と二人で店をやっている。ルチーアの料理と気さくな人柄でこの村では評判の店だ。
「フランコフォンテに行ってもらったのよ」
「本当に!?」
「ええ、そうよ」
 彼女は素直に事実を述べたつもりであった。
「もうすぐ帰って来るわよ」
「嘘よ」
 だがサントゥッツァはそれを否定した。
「それは嘘よ、絶対に」
「どうしてそう言えるの?」
「だって聞いたから。真夜中にあの人を見たって」
「えっ!?」
 それを聞いてルチーアも思わず声をあげた。
「それは本当なの!?」
「ええ。アントニアさんから。間違いないわ」
「アントニアが。じゃあ嘘ではないわね」
 アントニアはこの村の老婆である。正直者で有名である。
「何でかしら」
「私不安なの」
 サントゥッツァの顔がさらに暗くなった。
「よくない予感がするわ」
「サンタ、まあ落ち着いて」
 ルチーアはそんな彼女に温かい声をかける。
「私の家にいらっしゃい。お酒でも飲んで落ち着いて」
「御免なさい」
 だが彼女はその申し出は首を横に振って拒んだ。
「私は・・・・・・破門されているから」
「そうなの」
 それでも彼女はサントゥッツァを慰めようとする。そこにまた人々がやって来た。
「今日は本当にいい日だよ」
「ああ」
 その中心の背が高く、立派な体格の男がいた。髭が顔中を覆い、それが如何にも彼を大物に見せていた。
 彼の名はアルフィオ、この村の馬車屋であり村一番の金持ちだ。裕福で幸せな家庭も持っている。サントゥッツァとは全く違う立場の人間だ。
「馬車屋にとってもかい?」
「ああ」
 彼は村人達の問いに頷いた。
「馬は蹄の音を立て鈴は鳴り響き鞭を鳴らして進む」
 彼は高らかに言う。
「凍てついた風も雨も雪もものとはしないぞ。馬車屋にそんなものが効くものか」
「男だねえ」
 村人達はその言葉を聞いて感心したように頷く。
「馬車屋は。男の仕事だな」
「ああ」
 彼はその言葉に機嫌をよくして応じた。
「家に帰れば美人の女房も待っている。だから俺はここまで急いで帰って来たんだ」
 どうやら彼は仕事が終わった直後らしい。その為かやけに機嫌がいい。
「さあ皆一杯やろう」
 人々に酒を勧める。
「ルチーアさんのところに行くかい?」
「ああ、あそこの酒は美味いしな」
「そこで乾杯だ」
「赤ワインだ。記憶が失うまで飲むぞ」
「それはいいことだね」
 ルチーアはそれを聞いて顔をほくほくとさせていた。
「あっ、ルチーアさん」
「そこにいたんですか」
「さっきからいたよ」
 彼女は笑顔でアルフィオと村人達に対して言う。
「上機嫌だね、皆」
「ああ」
「祭だからね」
「祭だからうちのお酒もよく売れる」
「いや、あんたの店は何時でもさ」
 アルフィオはそれに返す。もう既に酒が少し入っているようだ。
「美味い酒に料理」
「うちの自慢だよ」
「特に赤ワインがいいな。あの古酒はあるかい?」
「トゥリッドゥが仕入れに言ったよ」
「ああ、彼がか」
「そろそろ着く頃だと思うけれど」
 ここではサントゥッツァの言葉は隠した。今彼女はルチーアの隣にいて小さくなっていた。
「もうここにいるしな」
「あれっ、もう?」
 言いながら頭の中でサントゥッツァの言葉と繋がった。
「ああ、今朝見かけたよ」
 アルフィオが言った。
「何処でだい?」
「仕事から帰ってすぐに。俺の家の近くでな」
「やっぱり」
 サントゥッツァはそれを聞いて呟いた。
「間違いなかったわ」
「じゃあもうすぐ酒が着くよな」
「そうね」
「後でそっちに行くよ。皆の分も用意しておいてくれよ」
 彼等は教会に入った。そしてまた賛美歌が聴こえてきた。だがルチーアとサントゥッツァはその前で暗い顔をして立っていた。
「ねえサンタ」
「はい」
 彼女はルチーアの言葉に頷く。
「まさかとは思ったけれど」
「はい」
「トゥリッドゥはここにいるみたいね」
「はい、間違いないです」
 暗い顔で頷き続ける。
「讃えて歌おう、主は亡くなられてはいない」114
 教会からキリストを讃える歌がする。その中にはアルフィオの声もあった。
「主は光り輝いて墓を開かれた」
「そう、主はそうして天に昇られたわ」
 サントゥッツァはその歌を聴いて呟く。
「けれど私には」
「サンタ」
 泣きそうな顔になった彼女をルチーアがまた気遣う。
「落ち着いてね」
「落ち着いているわ」
 それでも彼女の顔は悲しいままであった。
「けれど」
「けれど。何?」
「私は今は教会には入られない。この日も祝うことが出来ない」
「けれどそれは」
「それをどうにかしてくれるのは彼だったのに。トゥリッドゥだったのに」
 声も泣きそうになっていた。
「ルチーアさん」
「サンタ」
 ルチーアは優しい声でサントゥッツァの仇名を呼んだ。
「はい」
「貴女は私の息子と婚約しているからお母さんって呼んでいいのよ」
「えっ」
 見ればルチーアは優しく微笑んでいた。まるで母親の様に。
「けれど」
「いいのよ。貴女、身寄りもないのでしょう?」
「はい」
 こくりと頷く。その通りだからだ。
 サントゥッツァは他に兄弟もなく親戚もいない。天涯孤独なのだ。両親は彼女が破門される前に相次いで病気で亡くなっている。その寂しさに負けて不倫をして破門されたのだ。若し彼女に家族がいればこんなことにはならなかったであろう。思えば悲しいことだ。
「それじゃあ」
「ええ」
「お母様」
「何、サンタ」
 ルチーアはサントゥッツァを受け入れる声で尋ね返した。
「御存知でしょうけれどトゥリッドゥは兵隊に行く前にローラと付き合っていました」
「確かそうだったわね」
 それはルチーアも知っていた。
「けれど兵隊から帰って来たら」
 もう彼女のトゥリッドゥへの想いは冷め他の男と付き合っていたというのだ。よくある話だ。結局恋愛というものは時間と距離が大きく関係するのだ。離れてしまえば冷めるものなのだ。
「彼女はアルフィオさんと結婚していて。それで腹を立てた彼は」
「貴女と付き合ったのね」
「はい」
 サントゥッツァはその言葉にこくりと頷いた。
「新しい愛を選んでローラへの腹立ちも悔しさも忘れようと」
 古い恋を忘れる為には新しい恋、これは何処でも同じである。何時の時代の何処の誰でもこの件に関して考えることは似たり寄ったりである。
「そして私はそれを受け入れました」
 寂しかったのだ。そして二人でいられることが嬉しかったのだ。不倫をしたのもそれだったから。彼女は二人になれたことが本当に嬉しかったのだ。
「けれどローラは」
 サントゥッツァは悲しい顔のままだった。そこに嬉しさはない。
「それに嫉妬して彼を誘惑して」
「昨日密会していたというのね」
「そうなんです。トゥリッドゥもそれを拒まずに」
「サンタ」
 ローラはあえて悲しい顔をするサントゥッツァを優しく抱き締めた。
「今日は復活祭の日」
「けれど私は」
 破門されている。それを言おうとしたがルチアはそれを制止した。
「教会がなくても私がいるわ」
「お母さん」
「そう、貴女は一人ではないのよ」
 ルチーアはサントゥッツァにこう返す。
「私がいるから。いいわね」
「はい」
 優しいその胸の中でこくりと頷く。
「だから。安心して」
「わかりました」
 その言葉にようやく少し明るい顔になった。
「では。少し落ち着きます」
「後で私の店に来て」
 離れた後でこう声をかける。
「あの古いワインを用意しておくから」
「いいのですね?」
「貴女はもう私の娘なのよ」
 娘とまで呼んだ。彼女を抱擁しているのは身体だけではなかった。
「遠慮することはないわ」
「有り難う、お母さん」
「それではね。私の可愛い娘」
 そう言い残すとその場を後にした。サントゥッツァは一人になった。
 彼女は少し晴れた顔になって教会の前から離れる。そして村の広場に行くとそこで赤いチョッキに黒がかった青ズボン、それに白いシャツの粋な男に出会った。
 髪は縮れていて顔は彫が深い。背は高く筋肉質だ。シチリアの匂いのする男臭い格好よさを持っていた。黒い目の光がそれをさらに際立たせていた。
 彼がトゥリッドゥである。本名はサルバトーレ。ルチーアの一人息子でサントゥッツァの今の恋人だ。彼女が今まで話していたのは他ならぬ彼のことだったのだ。
 兵役に就くまではローラと付き合い、今はサントゥッツァと付き合っている。女に苦労したことはなく常に誰かと一緒にいる。田舎の伊達男であった。
「どうしてここに?」
「どれは私の言葉よ」
 彼の姿を見てその顔がまた暗くなった。
「トゥリッドゥ」
 サントゥッツァは彼の名を呼んだ。
「聞きたいことがあるの?」
「何だい?」
 予想はしていたのだろう。彼はそれを聞くと露骨に嫌な顔になった。
「俺は母さんを探しているんだけれど」
「別の人じゃなくて?」
「何を言ってるんだ?」
 憮然として返す。
「変なことを言って」
「正直に言って」
 サントゥッツァは恋人の顔を見ながら問う。強い目の光と声だった。
「昨日、何処へ行ってたの?」
「フランコフォンテだよ」
 トゥリッドゥはその質問にあらかじめ用意していた返答を返した。
「ワインを買いに行ってたんだ。母さんに聞けばわかるさ」
「嘘よ」
 彼がそう言うのはわかっていた。そしてローラ自身こう返すのもわかっていた。
「アルフィオさんの家の側で見たって人がいるわ」
「そんな筈ないさ」
 トゥリッドゥのこの言葉もあらかじめ決まっていたのであろうか。二人の会話は何処までも予定めいていた。悲しいまでに。
「だって俺は」
「私も見たわ」
 彼女はここで切り札を出してきた。
「トゥリッドゥ、貴方昨日ローラと会っていたわね」
「馬鹿な」
「白を切らないで。もうわかっているんだから」
 その声はもう泣きそうになっていた。
「全部。まだあの女に未練があるの?」
「いや」
 ここでそうだと答える者はいない。これは彼も同じであった。
「じゃあ」
「何でそんなことを言うんだ」
 トゥリッドゥはたまりかねてこう漏らした。
「ローラ、少し落ち着け」
「落ち着いてなんかいられないわ」
 この言葉は逆効果でしかなかった。今彼女はもう真実を知ってしまっている。その真実を壊してもう一度彼が自分の側にいて欲しいのだ。
「こんなことって」
 彼女は叫ぶ。
「あの女が私から貴方を奪うなんて。こんなことって・・・・・・」
「サンタ」
 彼は彼女の仇名を呼んだ。
「俺は御前の奴隷じゃないんだ」
 これはたまりかねたうえでの言葉であった。
「えっ!?」
「俺は御前の下らない嫉妬の奴隷じゃないんだ。いい加減にしろ」
「よくそんなことが言えるわね」
 もう声は泣いていた。
「私にこんな仕打ちをして。裏切って」
「いい加減にしろ」
 そう返して黙らせようとする。
「こんな目出度い日に。馬鹿なことを」
「私には関係ないわ」
 破門されている女には関係ないと言う。
「そんなことは」
「全く」
 トゥリッドゥはさらに苦い顔になった。
「俺が何をしたっていうんだ」4
「自分の胸に聞いたらどう!?」
 二人は互いに引かない。ここで新たな役者がやって来た。
「あら、トゥリッドゥ」
 白い華やかな祭用の服をきたあだっぽい妖艶な女がそこにやって来た。金髪の波がかった髪と茶色の瞳が如何にも気を強そうに見せている。
 彼女がローザであった。アルフィオの妻でトゥリッドゥのかっての恋人、そして二人の喧嘩の渦中にいるいわくつきの人物である。
「どうしたの、こんなところで」
「ちょっとね」
 トゥリッドゥは何でもないといった様子で言葉を返す。サントゥッツァは暗い顔でローラを睨んでいた。
「何でもないよ」
「そうなの。ところで」
「何だい?」
「アルフィオを見なかったかしら」
「さあ」
 彼はその言葉には首を傾げさせた。これは演技ではなかった。
「俺も今この広場に来たばかりだし」
「そうなの。じゃあ皆で何処かで楽しくやっているのね」
「多分ね」
「じゃあいいわ。ところで」
 ローラはここでサントゥッツァに顔を向けた。皮肉な笑みを口の端に浮かべている。
 それに対してサントゥッツァは暗い顔で彼女を睨むだけであった。それだけで精一杯であった。
「何を話していたの?」
「大したことじゃないさ」
 トゥリッドゥはそう返しただけであった。だがローラはここで言ってきた。
「てっきり広場でミサをしているのかと思ったわ」
 破門されているサントゥッツァへの皮肉であった。これ以上ない皮肉であった。
「違うわ」
 サントゥッツァは怖気ずにそう返す。
「あそこは昼に行くには罪がないと思っている人だけが行くのだから」
「破門とかそういうことは関係なしに?」
「ええ」
 毅然としているように態度をとったがやはりそうはいかなかった。弱かった。
「私はそう思うわ」
「御立派なこと」
 それに対してローラはやはり嫌味で返した。
「それは貴女にお返しするわ」
「あらあら」
「ローラ」
 その陰にこもりながらも熾烈なやり取りにトゥリッドゥはうんざりしていた。それでローラに声をかける。
「俺の店に行こう。いい酒がある」
「いえ、ここにいるわ」
 だがローラはそれを受けようとはしない。サントゥッツァを見据えたままだ。
「別に何もないけれど」
「私も何もないけれど」
 サントゥッツァもそれは同じだった。二人は互いを睨み据えていた。
「まあ、ここは行こうかしら」
「そうだ、そうしよう」52
 トゥリッドゥはやっと逃げられると思ってほっとした。だがそれは甘かった。
「教会にね」
「えっ!?」
 トゥリッドゥはそれを聞いて思わず声をあげた。
「今何て」
「聞こえなかったかしら。教会へ行くって言ったのよ」
 しれっとしてこう答える。だがこれが破門されているサントゥッツァへの意趣返しなのは言うまでもない。
「行くの。行かないの?」
「いや、俺はいいよ」
 トゥリッドゥはその申し入れを断った。
「後で気が向いたら行くよ」
「そう」
 これでローラは教会の中へ入った。だが修羅場はまだ続いた。
 トゥリッドゥとサントゥッツァだけになった。彼女はトゥリッドゥを見ていた。
「ねえ」
「何だよ」
 二人の話が再開された。
「約束して」
「何をだ」
「あの女と別れるって」
「何で御前にそれを約束しなきゃいけないんだ」
 怒った声でそれに応える。
「さっきも言ったな、俺は御前の嫉妬の奴隷じゃないって」
「けど」
「けどもどうしたもにない」
 怒りはさらに高まっていた。
「行けよ、もう」
「えっ!?」
「行けって言ってるんだ」
 その声が怒っていた。
「今何て」
「聞こえなかったのか!?何処にでも行ってしまえ」
 彼は遂に言い切った。
「もう俺の前に出るな。わかったな」
 本気で言ったわけではない。嫌になっただけなのだ。
 だが彼はここでこう言うべきではなかった。それがはじまりであったのだから。
「いいな」
「何よ」
 今度は恋人を睨み返す。
「私にそんなこと言って」
「どうなるっていうんだ?」
「この復活祭が縁起の悪いものにならなければいいわね」
「何ィ!?」
「言ったわよ。どうなるかわからないから」
「勝手にしろ」
 この時彼はそんなに大事になるとは思っていなかった。
「じゃあ俺は行くからな」
「教会に!?」
「そうさ」
 きっと見据えて答える。
「今日は復活祭だ。他に何処に行くんだ?」
「いい理由ね」
「フン」
 この時彼は実は心の中であることを彼女に言っていた。いずれ御前を連れて行ってやるからな、と。だがこれは彼も意識してはおらず、そして遂に彼女に言うことはなかった。
「じゃあな」
「このろくでなし!」
 最後にその言葉を聞いて教会に入る。サントゥッツァはまた一人になった。
 とぼとぼと何とも言えない恨みに満ちた顔で歩いていた。そこへ一人の男がやって来た。
「やあ、サンタさん」
 アルフィオであった。彼は上機嫌に酔っ払っていた。
「あんたも。一杯やったらどうだ?今日は無礼講さ」
「アルフィオさん」
 サントゥッツァは彼に顔を向けた。
「よかった」
「よかったって?」
 急に安堵した顔になった彼女を見て不思議そうな顔になった。
「これで」
「これでって。一体何の話をしているんだい?」
 当然彼は今まで彼女の身に何があったのか知らない。それが悲劇になろうとも。
「お話したいことがあります」
 彼女はアルフィオの顔を見て言った。
「俺にか!?」
「はい。貴方の奥さんのことで」
「ローラの」
 それを聞いて関心を持たない筈がなかった。顔を向けた。
「朝トゥリッドウを家の側で見たんですよね」
「ああ」
「それです」
 彼女は言う。
「それが何故か。おわかりですか?」
「何が言いたいんだい?あんたは」
 アルフィオには今一つわかりかねていた。サントゥッツァはそんな彼に対して言った。
「私は。恋に破れました」
「恋に」
「はい。貴方の奥さんの為に」
「何ィ!?」
 その言葉を聞いたアルフィオの顔が一変した。
「それはまさか」
「はい、そのまさかです」
 彼女は顔を上げて言った。
「貴方の奥さんがトゥリッドゥを」
「そうか、そうだったのか」
 アルフィオはそれを聞いて納得したように頷いた。
「だからあの時あそこにいたのか」
 濃い髭だらけの顔に憤怒の形相が浮かぶ。
「だからだったんだな」 
 そのうえでサントゥッツァに顔を向ける。
「サンタさん」
「は、はい」
 その顔を見て彼女は自分が何を言ったのかわかった。だが全ては遅かった。もうどうにもなるものではなかった。
「有り難うよ」
 アルフィオは酷薄な声で礼を述べた。
「おかげで。俺のやるべきことがわかったよ」
 シチリアの男がこうした時に何をするのか。もう言うまでもなかった。
「血が見たくなったよ。復讐でな」
「ええ・・・・・・」
「それだけだ。じゃあな」
 そう言い残してその場を後にする。サントゥッツァはまたしても一人になった。
「トゥリッドゥ・・・・・・」
 もう会えないのはわかっていた。自分がしてしまったことだ。どうにもならなかった。ただ教会の清らかな曲が彼女の後ろに、そして復活祭のシチリアに響き渡っていた。





これから復讐が始まるんだ。
美姫 「トゥリッドゥが悪いわね」
かもしれないけれど、血が見たくって恐ろしいな。
美姫 「どんな展開になるのかしら」
あまり良い予感はしないけれど。
美姫 「どんな結末が待っているのか、続きを待っていますね」
ではでは。



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