『ドリトル先生の名監督』




                 第十二幕  監督をした後で

 顧問の先生が戻ってきました、それでです。
 先生はフリーになりました、その時に顧問の先生に言われました。
「私がいない間有り難うございます」
「いえいえ、こちらこそです」
 先生は顧問の先生、部では親方と言われているその人に笑顔で応えました。
「素晴らしい経験をさせてもらって」
「だからですか」
「はい、有り難うございます」
 こう笑顔で言うのでした。
「今回のことは忘れないです」
「そこまで素晴らしい経験でしたか」
「実に」
 そうだったというのです。
「色々と学ぶことが出来ました」
「そうなのですか」
「実は僕はスポーツはしないので」
 このことからお話する先生でした。
「こうした経験はこれまでなかったです」
「スポーツの監督等をすることは」
「それが出来てです」
 本当にというのです。
「よかったです」
「そうなのですか」
「はい、ただ僕はお相撲の内容自体は一切です」
「指導されていないのですね」
「そこは彼等に任せました」
 お相撲のこと自体はです。
「僕は食事等の指導だけですね」
「そのことは聞いています、それもです」
「よかったですか」
「食事と相撲に合った稽古をすることは大事ですからね」
「柔軟もですね」
「私がいない間怪我が多かったことは聞いていて心配していました」
 親方にしてもです。
「ですが先生の指導で怪我がなくなったと聞いてよかったと思っていました」
「そうだったのですか」
「怪我はしないに限ります」
 スポーツをするならというのです。
「本当に有り難うございます」
「いえいえ、スポーツマンシップはです」
「まずはですね」
「怪我がないに限ります」
 実にというのです。
「本当に」
「そうなるからですね」
「はい」
 先生も答えます。
「僕はこのことをスポーツマンシップを大事に考えました」
「それと楽しくですね」
「間違っていたでしょうか」
「いえ、スポーツマンシップを守ることは」
 何といってもとです、親方も答えます。
「何よりも大事ですから」
「お相撲においてもですね」
「先生の指導は」
 まさにというのです。
「素晴らしいと思います」
「そうだといいのですが」
「勝敗にはこだわられなかったとも聞いています」
「はい、それよりもでした」
「怪我をしないこととスポーツマンシップですね」
 そして楽しむことです。
「素晴らしいですね」
「はい、本当に」
 また言った先生でした。
「スポーツマンシップを守れないとスポーツをする意味はないですから」
「そこはですね」
「若しそんなことをしたら」
 それこそというのです。
「スポーツをする資格はないです」
「だからですね」
「守るべきものを守って」
 そしてというのです。
「絶対にすべきです」
「そういうことですね」
「全くですよ」
 こうしたことを言うのでした、そして。
 親方は先生にです、また言いました。
「あとちゃんこ鍋ですね」
「はい、美味しかったです」
「ちゃんこ鍋を食べて」
「そしてですね」
「強い力士を育てますし」
「そうですね」
「そうでなくても素晴らしい栄養があるので」
 それでというのです。
「力士でなくてもです」
「食べていいですね」
「先生もこれからも食べられて下さい」
「そうさせてもらいます」
「ではこれからは」
「はい、時々食べさせてもらいます」
 こう親方に言う先生でした、そして。
 先生は臨時顧問、監督を辞めました。すると先生はご自身の研究室で少し寂しそうに笑って言いました。
「ううん、終わるとね」
「寂しいっていうんだね」
「顔に書いてるよ」
「そうね」
 動物の皆が先生に言います。
「先生も楽しんでだしね」
「監督としての指導ね」
「それをね」
「うん、皆が怪我をせずにスポーツマンシップを守ってね」
「楽しくだね」
「出来る様にだね」
「考えていてね」
 そして実際にそう指導していました。
「神経も使ったけれど」
「楽しかったから」
「終わるとだね」
「寂しいんだね」
「どうしても」
「うん、寂しいね」
 実際にそうだというのです。
「どうにもね」
「まあね、はじめてだったしね」
「色々考えてやってたし」
「それがなくなるとね」
「やっぱり寂しいよね」
「そうなんだ、けれどね」
 それでもとです、先生は皆に言いました。
「今回はいい経験だったよ」
「先生にとってね」
「そうなったね」
「全くだよ、スポーツはしないし」
 本当にこれまで縁のなかった先生です。
「監督やコーチをするなんてね」
「これまでだよね」
「一回も考えたことなかったよね」
「そうしたことをするなんて」
「それこそ」
「うん、そうだったからね」
 それがというのです。
「予想もしていなかったし」
「けれどそれでもね」
「それが出来て」
「だからだね」
「満足してるんだね」
「何だかんだで」
「そうだよ、それとね」
 ここでまた言った先生でした。
「お相撲についても勉強出来たよ」
「そうそう、お相撲ってね」
「深いよね」
「ただ土俵の上で勝負をするんじゃなくて」
「色々な決まりがあって」
「技も多くて」
「歴史もあってね」
 そしてとです、また言った先生でした。
「それの勉強にもなったよ」
「お相撲の歴史って長いんだね」
 トートーが言います。
「それもかなり」
「千年以上の歴史があるなんてね」
 それこそと言ったのはダブダブです。
「イギリスが一つの国になった時よりも長いじゃない」
「それもずっとね」
 ジップはダブダブの言葉に頷きました。
「何百年も」
「そんなに歴史の長いスポーツなんてね」
 ホワイティもしみじみとした口調になっています。
「そうそうないよ」
「剣術もね」
 ポリネシアが言うには。
「今みたいな感じになったのはそんなに古いことじゃないっていうし」
「フェシングとかボクシングも最近よね」
 ガブガブも言います。
「お相撲程古くないよ」
「お相撲はそれこそ千数百年」
 老馬の口調はしみじみとしているものでした。
「本当に長いね」
「日本の歴史も長いけれど」
「お相撲の歴史もね」
 チープサイドの家族もお話します。
「長いね」
「それも相当に」
「そしてその歴史の間色々なことがあったんだね」
 チーチーが言うことはといいますと。
「強い力士さん達も出たりして」
「今も強い力士さん達がいるしね」
「昔もだしね」
 最後にオシツオサエレツが前後の頭で言います。
「そうしたことも調べると」
「面白いんだね」
「うん、双葉山や大鵬といった力士もいてね」
 先生は過去の強い力士さん達の名前を出しました。
「その強さは相当なものだったんだ」
「その人達そんなに強かったの」
「双葉山さんや大鵬さんは」
「そんなにだったの」
「何でも大鵬が一番強かった頃はね」
 その時のことはといいますと。
「巨人軍、大鵬、卵焼きって言われてたらしいよ」
「巨人と卵焼きも一緒?」
「どういうことかな」
「巨人は野球チームよね」
「あの万年最下位の」
「うん、あのチームは昔強かったんだ」
 今では信じられないことですが。
「色々と悪いことをしていい選手を集めてね」
「ああ、前もそうしてたんだよね」
「お金にもの言わせて」
「それで巨人って強かったんだ」
「悪いことをして」
「昔はその悪いことがばれなかったからね」
 そして頭が悪いと気付かないのです、悪いことをしていてもマスコミの報道で正しい人達になってしまっていたのです。
「巨人は子供達に人気があったんだ」
「ううん、酷いね」
「悪い奴が人気あったなんてね」
「当時の日本って何だったのかな」
「モラルなかったの?」
「そうかもね、まあとにかくね」
 あらためて言う先生でした。
「巨人は昔は強くて子供達にも人気があったんだ」
「そうだったんだね」
「卵焼きみたいに」
「そうだったんだね」
「そう、卵焼きは美味しいからね」
 だからというのです。
「子供に人気があったんだ」
「今も美味しいしね」
「先生も大好きだよね」
「御飯のおかずにもしてるし」
「お酒の肴にもしてるよね」
「僕は巨人は嫌いだけれどね」
 悪い存在だからです、先生はことの善悪ははっきりと見極められるので人類の永遠の敵にして戦後日本のモラルの崩壊の象徴である邪悪の権化読売ジャイアンツは嫌いなのです。
「卵焼きは好きだよ」
「美味しいからね」
「だから当時の子供達も好きだったんだね」
「そうだったんだね」
「そうだったんだよ、そしてね」
 それにというのです。
「大鵬も強かったからね」
「子供達に人気があったんだね」
「巨人軍、大鵬、卵焼きってね」
「並んで言われてたんだね」
「そう、そこまで人気があったんだ」 
 先生は動物の皆にお話しました。
「まあ巨人が人気があったのは恥ずべきことだけれどね」
「そうだね、それは悪いことだけれど」
「大鵬が人気があったことは確かだね」
「物凄く強くて」
「有名だったんだね」
「そうだよ、第二次世界大戦後の大横綱だったんだ」
 そこまでの人だったというのです。
「そして双葉山もね」
「強かったんだね」
「その人も」
「大鵬みたいに」
「うん、実際にね」
 それこそというのです。
「今も語り継がれる位に強かったんだ」
「そうだったの」
「今は白鵬って人が強いけれど」
「モンゴルから来たあの人が」
「あの人位に強かったのね」
「第二次世界大戦前の人だけれど」
 その双葉山という人はというのです。
「今はね」
「そんなになんだ」
「強かったんだね」
「そうだったんだね」
「大鵬さんにも負けない位に」
「どっちが強かったかな」
 先生は腕を組んで言いました。
「双葉山と大鵬」
「どっちがどっちかっていうと」
「もうそこまではわからない」
「そうなんだ」
「それは」
「うん、活躍していた時期が違うからね」
 そのこともあってというのです。
「それで勝負もしてないから」
「だからなんだ」
「どちらが強いかっていうとわからない」
「そうなんだね」
「うん、それはね」
 どうしてもというのです。
「わからないね、こうした話ってあるけれどね」
「色々なスポーツでね」
「ラグビーでもラクロスでもね」
「クリケットでもあるし」
「勿論サッカーでもね」
「野球やバスケでもあるね」
「どの選手が一番凄いか」
 そうしたお話はといいますと。
「これもロマンだからね」
「皆それぞれのロマンを言い合って」
「それで引かないから」
「中々難しい」
「そうなるんだね」
「永遠に答えが出ないね」
 それこそというのです。
「こうした話は」
「どうしてもだね」
「そうなるんだね」
「その辺りは」
「どうしても」
「うん、そこはね」
 本当にというのです。
「永遠の議論だね」
「お相撲にしてもだね」
「双葉山と大砲どっちが強いか」
「それは今もかな」
「何時のどの力士さんが一番強いかは」
「昔千代の富士という力士がいたけれど」
 先生はこの人の名前も出しました。
「この人も強くてね」
「やっぱりなんだね」
「双葉山や大鵬とどちらが強いか」
「そうした話になってたの」
「そうした話をする人がいたのね」
「そうみたいだよ、やっぱりね」
 こうした誰が一番強いか凄いかというお話はというのです。
「白熱するしね」
「凄くだね」
「熱中するんだね」
「そうなんだね」
「その辺りは」
「そうだよ、本当にね」
 それこそというのです。
「僕も考える時があるけれど」
「答えは出ないんだね」
「けれどあれこれ考えるだけでも楽しい」
「そういうものなんだね」
「うん、野球だとね」
 先生はこのスポーツの話題も出しました。
「ゲームで昔の選手が出るけれど」
「稲尾さんとか杉浦さんとか?」
「そうしたピッチャーとかね」
「あと中西さん野村さん」
「そうした人達も」
「その頃の選手と今の選手がゲームの中だけれど」
 それでもというのです。
「その中で勝負が出来るよ」
「実際にだね」
「それが出来るんだね」
「ゲームの中でも」
「そうなのね」
「うん、そうしたゲームをしている子から聞いたら」
 そうすると、といいますと。
「今の選手も充分凄いみたいだよ」
「昔の選手も凄いけれど」
「今の選手も凄い」
「そうなんだ」
「うん、同じ人間だから」
 別に超人でもサイボーグでもないからというのです、同じ人間が同じスポーツをするから個人差があってもというのです。
「別にね」
「いいんだね」
「そうなのね」
「普通になのね」
「勝負出来るの」
「そうみたいだよ、凄くても」
 それでもというのです。
「同じ人間だからね」
「どの時代の人も凄い」
「勝負出来るんだ」
「さっき名前が出た人達は確かに凄いよ」
 稲尾さんや杉浦さんといった人達です、どちらの人達も恐ろしいまでの選手でした。
「けれど一番凄いかっていうと」
「それはだね」
「また議論が分かれて」
「答えは出ない」
「そういうものなんだ」
「野球もね」
 お相撲と同じくというのです。
「そこはね」
「どうしても答えは出ない」
「そしてこうしたお話をすること自体が楽しい」
「そうなんだね」
「その子も楽しんでるしね」
 昔の選手の人達と今の選手の人達をゲームの中で勝負させてです。
「これは野球だとチームでも出来るね」
「ああ、それぞれのチームの黄金時代」
「その時の選手の人達を入れて」
「それでだね」
「勝負してみるんだ」
「実際に」
「そうしてみると」
 これがというのです。
「また面白いみたいだよ」
「チームでも出来るんだね」
「そうみたいだね」
「それサッカーでも出来るね」
 皆はすぐにこのことに気付きました。
「ラグビーでもね」
「バスケでも出来るし」
「どんなスポーツでも出来るね」
「そうだよね」
「うん、それでね」
 そしてというのだ。
「その彼は野球チームでしてるんだ」
「それも楽しく」
「そうしてるんだ」
「それぞれのチームの黄金時代のチームを再現して」
「それで遊んでるんだね」
「何でも一番強いのはね」
 その人が言うにはです。
「昭和三十年代の南海ホークス、九十年代の西武らしいね」
「その二つなんだ」
「その二つのチームが最強?」
「あと昭和五十年代の阪急、近鉄も強いらしいよ」
「その二つのチームもだね」
「強いんだね」
「特に南海は強いって言ってたね」
 とりわけこのチームがというのです。
「エースが桁外れでね」
「そのエースって誰?」
「凄いエースっていうけれど」
「その人は」
「杉浦忠さんだよ」
 この人だというのです。
「さっきお話にも出てたけれどね」
「ああ、そういえばそうだね」
「さっき名前出たね」
「凄いピッチャーだってね」
「稲尾って人と一緒に」
「その人がエースで打線も強くて」
 それでというのです。
「凄く強かったらしいよ」
「ううん、そうなんだね」
「そこまで強いんだ」
「この頃の大毎も強かったっていうしあと昭和五十年代だと五十六年頃の日本ハムもね」
 先生はこの二つのチームもお話に出しました。
「同じ頃の広島もよかったって言ってるよ。ヤクルトは平成になって古田選手がいた頃が強かったらしいね」
「ううん、それぞれのチームでなんだ」
「強かった時代があって」
「その強さを観るのも楽しい」
「そうなんだね」
「そう、ただ彼は巨人嫌いだから再現していないらしいよ」
 このチームだけはというのです。
「優勝した時の横浜や日本一になった時の中日も再現したらしいけれど」
「じゃあ阪神は?」
「阪神タイガースは?」
「何時強かったの?」
「それで」
「阪神は昭和六十年だって言っててね」
 それでというのです。
「その頃を再現してるよ、その強さはね」
「どんなのなの?」
「南海よりも強いの?昭和三十年代の」
「九十年代の西武よりも」
「どうも甲乙つけ難いみたいだよ」
 その頃の阪神の強さはというのです。
「打つだけじゃなくて守備もよくてね」
「ふうん、そうなんだ」
「阪神は昔にも強かった時期あるんだ」
「今は三連覇してるけれど」
「その頃みたいになんだ」
「阪神が強かった時代があったんだね」
「その強さは一時期だけだったけれど」
 昭和六十年だけのです。
「物凄く強かったらしいね」
「じゃあ大鵬さんみたいにだね」
 笑ってです、チーチーがこんなことを言いました。
「その頃の阪神強かったんだね」
「じゃあこうなるかな」
 ジップも陽気に言います。
「阪神、卵焼きでね」
「そして大鵬さんだね」
 ダブダブはジップに続きました。
「そうなるね」
「そっちの方がずっといいね」
 トートーもお顔をにこりとさせています。
「阪神、卵焼き、大鵬の方が」
「巨人なんて何処がいいのかしら」
 ポリネシアも巨人が嫌いです。
「全然いいことないじゃない」
「阪神は絵になるのよ」
 ガブガブは阪神のよさを指摘しました。
「何があってもね」
「だから巨人よりも阪神だね」
 ホワイティが阪神で言うことはというと。
「虎だから干支でね」
「そうそう、干支なんだよね」
 老馬も干支です、馬なので。
「阪神はね」
「そう思うと余計に親しみ沸くね」
「私達は干支には入ってないけれど」
 チープサイドの家族は雀なので入っていません。
「干支だしね、虎は」
「そのことも親しみ持てるわ」
「少なくとも阪神の方がずっといいね」
「巨人なんかよりも」 
 オシツオサレレツは二つの頭でお話します。
「だから阪神、卵焼き、大鵬」
「これがいいね」
「僕もそう思うよ、まあ阪神は長い間大して強くなくて」
 だから長い長い間優勝出来ませんでした、そして巨人が優勝を独占するという誤った歴史が続いていたのです。
「当時の子供達はそうも思ってなかったけれどね」
「大鵬さんはいいけれど」
「巨人なんか応援したらね」
「あのチームは子供の教育にも悪いし」
「悪いことをして勝つチームだから」
「そう、悪いことをするチームが子供に人気があったらね」 
 それこそと言う先生でした。
「子供はことの善悪がわからなくなるからね」
「よくないよね」
「巨人をいいチームって言ったら」
「むしろあんなに悪い存在はないよね」
「極悪非道のチームだね」
「うん、日本のマスコミは酷いけれど」
 とかくいつもこのことを噛み締める先生です。
「そのマスコミが親会社の巨人もね」
「悪いよね」
「お金にあかせて選手集めてね」
「そんなことばかりするから」
「よくないね」
「どうもテレビに出ている巨人ファンのタレントさんも酷い人が多いしね」
 先生はこのことも問題視しています。
「巨人が負ける筈がないとか悪魔になりきれとか」
「悪魔って何?」
「悪いことをやり続けろってこと?」
「その人モラルあるのかしら」
「ことの善悪が理解出来ない人?」
「だから巨人がやることは全部正義って言う人もいるんだよ」
 日本にはです。
「おかしなことにね」
「ううん、日本もおかしな人がいるのね」
「特にテレビに出ている人には」
「テレビもちゃんと観ないと駄目なんだね」
「善悪を弁えたうえで」
「さもないと騙されてね」
「自分もことの善悪のつかない人になるわね」
 動物の皆も思うのでした。
「そうなるから」
「だからよね」
「テレビも注意して観て」
「巨人が悪いチームってわかる様にならないとね」
「駄目ってことね」
「巨人がマスコミに持て囃されていて正義だと信じている人が多い限りはね」
 先生は深い憂いと共に言うのでした。
「日本は本当の意味でよくならないね」
「まずは巨人をやっつけること」
「それも徹底的にだね」
「悪いことは悪いってわかった」
「正義の鉄槌を下していかないと」
「そう思うよ、だから今みたいに巨人が負け続けている状況はね」
 そして人気が右肩下がりでどんどん落ちている状況はというのです。
「いいことだよ、巨人は栄えたらいけないんだよ」
「聖書でも神話でもそうだけれど」
「日本でもなのね」
「むしろ巨人はもっとそうあるべき」
「負けるべきね」
「本当にそう思うよ、まあお相撲に関してはね」
 野球の後でこちらにお話を戻しますと。
「最近は外国の力士の人達も参加していてね」
「白鵬さんがそうだよね」
「朝青龍さんもいたしね」
「琴欧洲さんもよかったね」
「最近増えたよね」
「僕はいいことだと思うよ」
 外国人出身の力士さんが出て来ていることはというのです。
「お相撲は日本の国技だけれど」
「それでもだね」
「世界の皆が楽しんでくれている」
「そのことがだね」
「いいよ、それにね」
 さらにお話する先生でした。
「お相撲のよさが世界にも広まるから」
「ああ、そのこともあってなんだ」
「日本以外の国から来た人達がお相撲をすることはいいんだね」
「その人達がお相撲を世界にも広めてくれるから」
「お相撲の心も」
「そして日本文化もね」 
 ひいてはです、お相撲を内包している日本のそれもというのです。
「だからいいんだよ」
「そうなんだね」
「お相撲、日本文化が世界に広まるから」
「外国人力士の人もいい」
「そう考えているんだね」
「そう思うよ、そして外国からの人が活躍すれば」
 さらに言う先生でした。
「日本人の力士さん達も発奮するしね」
「自分達も負けていられない」
「そう思ってだね」
「日本人の力士の人も強くなる」
「だからいいんだね」
「そうも思うよ、お相撲は日本人だけで独占していいかっていうと」
 こうした考えはといいますと。
「もっと広く持ってね」
「そしてだね」
「そのうえでだね」
「考えていくといい」
「そうなんだね」
「僕の考えではね、アメリカのメジャーだってね」
 こちらもというのです。
「世界各国から人が集まってるからね」
「ドミニカとかね」
「ベネズエラやキューバの人もいるし」
「勿論日本の選手もいるし」
「それで凄く賑やかだからね」
「だから本当にね」
 日本のお相撲もというのです。
「世界から色々な人が来てくれているのは喜ばしいことだよ」
「そうなんだね」
「先生はそう考えてるんだね」
「まさに」
「そういうことだよ、ちゃんこ鍋もね」
 先生はにこりと笑ってこのお鍋のこともお話しました。
「国際色豊かになるかもね」
「今以上にだね」
「そうなるかも知れないんだね」
「うん、例えばね」
 先生がここでお話に出すお鍋はといいますと。
「ブイヤベースとかアヒージョみたいな」
「ああ、ああしただね」
「トマトや魚介類メインのちゃんことか」
「あとオリーブオイルだね」
「それも使ったちゃんことかだね」
「色々あるかもね、ビーフシチューみたいなのとかね」
 そういうものもお話に出した先生でした。
「モンゴル人の力士さんが多いからモンゴル風とかね」
「じゃあ羊だね」
「羊肉のちゃんこだね」
「確かにそっちもいいね」
「ラムやマトンのちゃんこ鍋も」
「うん、僕も言ってみてね」
 実際にとです、先生は動物の皆に答えました。
「いいと思ったよ」
「ラムもマトンも美味しいからね」
「羊のお肉もね」
「日本人はあまり食べないけれど」
「美味しいんだよね」
「美味しくて安くてしかも」
 先生が言う羊肉のよさはといいますと。
「身体にもいいんだよ」
「脂肪を燃やすからだね」
「カロリーも少なくて」
「だからだね」
「うん、まあ力士さんはカロリーとある程度の脂肪も必要だけれど」
 お相撲をする為の体格故にです。
「けれどね」
「それでもだね」
「羊肉もいいんだね」
「あのお肉をちゃんこにしても」
「それでも」
「そう思うよ、まあモンゴルというと」
 この国についてはこうも言った先生でした。
「羊肉と乳製品ってイメージが強いね」
「というかその二つがメイン?」
「モンゴルはね」
「あの国のお料理っていうと」
「逆に言うと他の食材はね」
「弱い感じね」
「お茶をよく飲むんだよ」
 モンゴルはというのです。
「それでビタミンも摂取しているんだ」
「ああ、お茶もなんだ」
「お茶も飲んでなんだ」
「そちらでも栄養摂って」
「健康なんだね」
「そうだよ、そのモンゴル料理もね」
 羊肉や乳製品、お茶がメインのこのお料理もというのです。
「ちゃんこ鍋になるかもね」
「今後は」
「そうなるかもなんだね」
「そうも思ったよ」
 こうしたこともお話した先生でした、そして。
 お家にいる時にお相撲の試合の実況を観ていました、そこには動物の皆とトミー、それに王子も一緒でした。皆でテレビ観戦を楽しんでいます。
 その時にです、王子はお相撲の試合を観ながら先生に言いました。
「そうそう、この場所でなんだ」
「王子は観戦していたんだね」
「内親王殿下と一緒にね」
「そうなんだね」
「うん、凄くいい試合だったけれど」
 それでもというのです。
「緊張したよ」
「どうしてもだね」
「だって横に日本の皇室の方がおられたから」
「そうだとね」
「イギリス王家の方も他の王家の方も緊張するけれど」
「日本の皇室の方とご一緒しても」
「本当に緊張するよ、特にね」
 そうしたお仕事の中でもというのです。
「いや、リラックスはしにくいよ」
「けれど王子慣れてるとも」
「慣れていても緊張するよ」
 トミーにもこう答えます。
「どうしてもね」
「そうなんだね」
「うん、凄く気品のある方だから」
「目の前で失礼も出来なくて」
「マナーもね」
 そちらもというのです。
「気をつけていたし」
「何から何までが」
「緊張したよ、けれど今はね」
 先生達と一緒の観戦はというのです。
「こうしてリラックスしているよ」
「うん、じゃあ今はね」
 先生も王子に笑顔で言います。
「リラックスしてね」
「そしてだね」
「観ようね」
 こうしたことをお話してです、そしてです。
 先生達はリラックスしながら観戦しました、ですが。
 観戦中にお客さんが来ました、そのお客さんはといいますと。
 サラでした、サラは先生の案内を受けてお茶の間に入ってです、お相撲の試合を観てこんなことを言いました。
「兄さん最近お相撲に凝ってるの?」
「この前まで監督をやってたんだ」
「お相撲のチームの」
「うちの大学の部活のね」
「兄さんがスポーツチームの監督ね」
 そう聞いてです、サラは。
 とても不思議だというお顔になってです、こう言いました。
「全く縁がなかったのに」
「それがっていうんだね」
「どうにもね」 
 首も傾げさせています。
「ぴんとこないわね」
「ははは、そう言うんだね」
「だって兄さんって」
 それこそと返すサラでした。
「スポーツとはね」
「子供の頃からだね」
「ずっと縁がないから」
 妹さんだけあってよく知っています。
「馬に乗ってお散歩はしても」
「それ以外はね」
「全部苦手だったから」
 それこそスポーツはどんなものでもです。
「陸上競技も器械体操も球技も」
「水泳もね」
「全部全く苦手だったでしょ、ビリヤードだって」
「ビリヤードはスポーツなのかな」
「そう言う人もいるわよ」
 実際にというのです。
「ビリヤードもね」
「球技としてだね」
「そう、それでそのビリヤードもね」
「僕は出来ないよ」
 そちらもというのです。
「実際にね」
「だからね」
「ああした洒落た遊びもね」
 笑って言う先生でした。
「縁がないね」
「とにかくスポーツはからっきしだから」
 先生は、というのです。
「その兄さんが監督さんね」
「そうだよ」
「それをするなんてね」
「意外過ぎるんだね」
「ええ、どうしようもない位にね」
 それこそというのです。
「実際にそう思ってるわ」
「けれど縁があってね」
「監督さんしてたのね」
「一時期ね」
「凄いことね、日本に来てから」
 その時からというのです、先生は。
「かなり変わったわね」
「色々とだね」
「そう、色々とすることになったわね」
「学会にも顔を出してるしね」
「手術もしてるでしょ」
「うん、医師としてもね」
「本当に変わったわ、イギリスにいた時は閑古鳥が鳴いている病院にいるだけだったのに」
 それでも幸せなことは幸せでしたが。
「それが今はね」
「うん、この通りね」
「色々と学会に出たり旅行もして」
「監督もしたよ」
「本当に変わったわね」
 しみじみとして言うサラでした。
「日本に来てよかったかしら」
「そう言うんだ」
「だってそれこそよ」
 まさにというのです。
「兄さん自身は変わっていなくても」
「それでもだね」
「環境が変わったわ、後はね」
「結婚?」
「だって力士さんもよ」
 サラもお相撲を観戦しています、そのうえでお話します。
「この人達も結婚してるでしょ」
「うん、そうだよ」
「むしろいい家庭を築いてこそ」
「いい力士さんになれるっていうね」
「だったらね」
「僕も結婚して」
「イギリスにいる時よりもずっと縁があるでしょ」
 先生のお顔をお相撲よりもじっと見ての言葉です。
「そうでしょ」
「ははは、ないよ」
「どうだか、兄さんの鈍感さは尋常じゃないから」
 このこともよく知っているサラです。
「気付いていないだけでしょ」
「いや、僕のことは僕が一番よくわかってるよ」
 先生はこう言いますが。
 動物の皆は首を横に振ってトミーと王子も先生の言葉を聞いてどうだかというお顔になっています、そしてサラも。
 そう言った先生にです、こう言いました。
「それは絶対にないわ」
「絶対に?」
「ええ、ないわ」
 それこそというのです。
「間違ってもね」
「そう言うんだ」
「伊達に兄さんの妹じゃないわ」
 それこそというのです。
「それ位はわかるわよ」
「厳しいね」
「厳しいんじゃなくて知ってるのよ」
 先生をというのです。
「だからこう言ったのよ」
「そうなんだ」
「全く、兄さんなら」
 先生を知っているからこその言葉です。
「誰かいい人が絶対にいるのに」
「ここでいないって言うと」
「そうよ、違うから」
 だからだというのです。
「兄さんが気付いていないだけよ」
「そうかな」
「そうよ、いつも言ってるけれど」
 それこそというのです。
「日本に来た時も電話でもね」
「それはその通りだね」
「そうよ、何で恋愛小説も読むのに自分のことには駄目なのかしら」
「縁がないとわかってるからだよ、僕自身にはね」
「わかっていることと思い込みは違うわよ」
 サラはこう注意しました。
「そのこともわかってね」
「厳しいね、今日も」
「厳しくしてるのよ」
「やれやれだよ。けれどね」
「けれど?」
「今回いきなり来たけれどどうしたのかな」
「またお仕事で来たのよ」
 あっさりとです、サラは先生に答えました。
「主人の付き添いでね」
「それはいつも通りだね」
「そうよ、そんな遊びで来るなんてね」
「いつもそうして来日はね」
「出来る筈ないじゃない」
 サラも忙しいのです。
「主人のお仕事のことがあるからよ」
「今回もだね」
「来日してね」
 そしてというのです。
「これまたいつも通りね」
「僕のところに来てくれたんだね」
「そうよ、そうしたら兄さん達がお相撲観てたのよ」
「そういうことだね」
「こうして観ると日本独自で」
 文化的にというのです。
「面白いわね」
「そう、実際に面白いよ」
「そして兄さんが監督をしていたのね」
「相撲部屋じゃないけれどね」
 大学の部活でのことというのです。
「そうしていたよ」
「そうよね」
「また機会があれば監督をしてみたいね」
「いいと思うわ、本当に日本に来てね」
 サラは結婚のことには口を尖らせていましたが先生のこのことについては自然な笑顔になって言いました。
「兄さんは凄く幸せになったわね」
「イギリスにいた時も幸せだったと」
「あの時以上に幸せになったわ」
「そういうことなんだね」
「そうよ、じゃあもっと幸せになってね」
「ははは、サラもそう言うんだね」
「幸せは限りがないから」
 微笑んだまま先生に言うのでした。
「兄さんはもっともっと幸せになっていいのよ」
 こう言ってサラもお相撲を観るのでした。今は皆でお相撲の観戦を楽しむのでした。


ドリトル先生の名監督   完


                           2016・5・12



先生の監督も遂にお終いか。
美姫 「無事に親方が戻ってきたからね」
先生も楽しんだみたいだし、良かったな。
美姫 「確かにね。良い経験にもなったみたいだし」
まあ、最後は妹さんが来て。
美姫 「またいつものような事を言われているけれどね」
それもまた先生らしいか。
美姫 「そうね。今回も投稿ありがとうございました」
ありがとうございます。



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