『ドリトル先生と悩める画家』




                 第三幕  今度はキャンバスで

 先生は朝御飯を食べて歯を磨いてお顔を洗ってから登校しました、皆と一緒にご自身の研究室に入ってです。
 この日はパソコンで論文を書いています、皆はその先生に尋ねました。
「昨日書きはじめた論文だよね」
「それを書いてるんだね」
「そうだよ、僕は論文は一つずつ書いていくんだ」
 複数の論文を書く様な状況でもです。
「一つの論文を書き終えてね」
「そしてそれからだよね」
「次の論文にかかるんだね」
「そして一つずつ書いて」
「そうして終わらせていくんだね」
「そうしているよ、だから今はね」
 書きながらです、先生は研究室の中に一緒にいる皆にお話します。
「美術の論文を書いているんだ」
「その論文の次の論文は?」
「書く予定あるの?」
「美術以外の学問で」
「どんな論文を書くの?」
「今度は数学の論文を書くよ」 
 理系の学問をというのです。
「そちらをね」
「ああ、数学ね」
「難しいよね」
「あれは難しいよね」
「とてもね」
「うん、ガロアの公式についてね」
 若くして決闘で命を落としたフランスの数学者です、天才と言われています。
「論文を書くんだ」
「ガロアね」
「何か数学の話はね」
「僕達よくわからないけれど」
「どうにもね」
「数学はね、教えるのが下手な先生の授業を受けたら」
 先生はこうしたこともお話しました。
「もうどうしようもないね」
「他の学問以上になんだ」
「どうしようもないんだね」
「もうわからなくなる」
「さっぱり」
「そうだよ、中には生徒さんに授業がわからないって言われても全然改善するつもりもない先生もいるからね」
 日本にはです、こうした先生として全く無能な先生もいるのです。
「お寿司屋さんが実家だからお寿司屋さんになればって言われたって笑ってた先生がね」
「それつまり先生辞めろってことだよね」
「結構以上にあからさまに言われてるね」
「教えるの下手だから辞めろって」
「転職しろって」
「そうしたことに気付かない様な人だから」
 生徒の人達にあからさまに教師不適格と言われていてもです。
「改善しないんだよ、けれど数学はわかりやすく」
「そう教えるものだね」
「人にお話するもので」
「論文もなんだ」
「そうあるべきなんだ」
「そうだよ、だから僕は今はね」
 書きつつ言うのでした。
「ガロアの公式もわかりやすく書いていくよ」
「そうしていくんだね」
「そこは先生らしいね」
「学問は楽しくわかりやすく」
「そのことに徹していくから」
「教えるのが下手なのは自分でもわかっていないからじゃないかな」
 数学、それがです。
「そんな人が学校の先生だっていうのは酷いね」
「本当に日本の学校の先生って酷い人多いね」
「おかしな人の割合異常に高くない?」
「セクハラする人とか暴力振るう人とかね」
「先生なのに人に教えられない人とか」
「色々いるよね」
「そんな人ばかりだから」 
 だからだというのです。
「日本の教育はおかしいんだよ」
「先生様っていうけれど」
 チーチーは首を傾げさせて言いました。
「偉くないんだね」
「というか駄目過ぎる人の割合高過ぎるわ」 
 ガブガブもこう言います。
「日本の学校の先生は」
「イギリスよりも遥かに酷いね」
 ジップもこう思うのでした。
「どうにも」
「こんなに先生の質が悪いと」
「教えられる子供達も可哀想ね」
 チープサイドの家族も思うことでした。
「立派な人でないと駄目なお仕事なのに」
「人間失格な人ばかりじゃ」
「先生みたいな人とは言わないけれど」
 ホワイティは学者としての先生を見て思うのでした、先生は少なくともセクハラも暴力もないですし公平でいじめは絶対にしません、そして学問をわかりやすくお話を出来ます。
「それでもね」
「幾ら何でも酷過ぎる人が多過ぎるね」
 トートーの指摘も厳しいものでした。
「日本は」
「この学園もそうした先生いるのかしら」
 ポリネシアは少し不安になりました。
「やっぱり」
「どんないい林檎の箱にも腐った林檎はあるよ」
 食いしん坊のダブダブらしい言葉でしょうか。
「だからいるんじゃないかな」
「日本の先生は腐った林檎ばかり?」
「半分はそうかもね」
 オシツオサレツは言いつつこれはとんでもないと考えました、自分で。
「そんなのだとね」
「箱の林檎も全部腐りそうだよ」
「日本の学校の先生ってどうにかならないのかな」
 最後に言ったのは老馬でした。
「先生みたいな人ばかりだったらいいのね」
「いや、僕は全然立派な人間じゃないよ」
 先生はこう皆に断りました。
「ただ、人としてそうしたことはしないだけでね」
「間違ったことは」
「そうなんだ」
「暴力とかセクハラとか」
「一切だよね」
「しないね」
「人に教えるのならそのことをしっかりと理解してわかりやすく話す」
 相手のことも考えてです。
「そうすることが常識だからね」
「だからその常識がね」
「ない先生が多いんだよね」
「日本はね」
「どうにも」
「人しての常識がないのね」
「それでいて威張ってるのよね」
 先生『様』だからでしょうか。沢山の生徒達の上に立っていると思って。
「それじゃあね」
「どうしようもないわ」
「先生は威張らないし」
「そのことも大きいよ」
「僕は威張ることは嫌いだよ」
 先生が絶対にしないことの一つです。
「何があっても」
「そうだよね、先生は」
「それもしないよね」
「絶対に威張らない」
「お鼻は高くならないね」
「威張っている人を見て嫌な思いをしたんだ、子供の時に」
 先生の子供の時のお話です。
「だから僕はね」
「威張らない」
「そのことにも気をつけているんだね」
「そういうことなんだね」
「そうだよ、じゃあ十時まで書いて」 
 論文をです、美術のそれを。
「そして十時になったら」
「うん、お茶だね」
「ティータイムだよね」
「そうしようね、昨日トミーとお話したけれど」
 このことから言うのでした。
「今日はウィンナーティーを飲もうか」
「あの生クリームの紅茶だね」
「紅茶に上に生クリームを乗せた」
「あれを飲むんだ」
「うん、そうしよう」
 今日の十時はというのです。
「そうして楽しもうね」
「うん、じゃあね」
「十時まで論文を書いて」
「それでだね」
「十時になったらウィンナーティーだね」
「それを楽しもうね」
 こうしたお話をしつつです、先生は頑張って論文を書きました。そして十時になると実際に皆と一緒にでした。
 ティータイムとなりました、熱い紅茶をカップに淹れてそうしてそこの上に生クリームをたっぷりと乗せます。
 そしてです、いつもの三段のティーセットも出しました。
「今日は上はチョコレート」
「中はチョコレートケーキでね」
「下はチョコレートクッキーなんだ」
「チョコレート尽くしだね」
「うん、チョコレートを食べたくてね」 
 それでとです、先生はご自身でティーセットも用意して言いました。
「出したんだ」
「そうなんだ」
「じゃあ今からだね」
「ウィンナーティーとチョコレートのセット」
「全部楽しむのね」
「そうするよ、じゃあ飲もうね」
 先生はにこにことしています、そしてでした。
 早速紅茶とお菓子を楽しみはじめました、生クリームをたっぷりと入れた紅茶を飲んでそしてなのでした。
 先生はにこりとしてです、皆に言いました。
「うん、いいね」
「ええ、確かにね」
「この紅茶美味しいよ」
「お茶とクリームがいい感じに合わさってて」
「ミルクティーとはまた違った美味しさね」
「そうだよね」
「どうにも」
 こうお話するのでした、皆も飲みながら。
 そしてお菓子を食べてです、こうも言いました。
「チョコレートもいいね」
「かなり美味しいね」
「チョコレートとの味がね」
「合ってるね」
「お菓子とも」
「うん、お菓子はね」
 これはとです、また言う皆でした。
「生クリームとも合ってるね」
「チョコレートにはコーヒーっていう人も多いけれど」
「紅茶もいいね」
「こうして一緒に飲んで食べると」
「絶妙に合わさっていて」
「いいわね」
「うん、僕もその組み合わせは嫌いじゃないけれど」 
 それでもというのです。
「やっぱり僕は紅茶だね」
「そちらだよね、先生は」
「第一はね」
「そうよね」
「本当に」
「お茶ね」
「うん、チョコレート菓子にもね」
 こう言うのでした。
「ウィンナー、オーストリア風だからチョコレートを出したけれど」
「ザッハトルテだね」
「それを考えて」
「それでなんだ」
「うん、そうしたんだよ」
 笑顔で言う先生でした、そのうえで皆で十時のティータイムを楽しむ飲んで食べてからまた論文を書いてです。
 お昼は食堂で食べました、この日はさんま定食を楽しく食べました。そのうえでキャンバスを散歩していましたが。
 ふとです、皆が先生に言いました。大学の芸術学部の校舎の近くを歩いていた時にです。
「あれっ、あの人は」
「確か昨日の」
「昨日美術館にいた人?」
「そうじゃないの?」
 見れば昨日美術館にいた人がキャンバスを前にして立って描いています、右手には筆そして左手には絵の具達を置いたパレットがあります。
 その人を見てです、皆は先生に言うのでした。
「やっぱり画家さんだったんだね」
「何か凄く必死に描いてるね」
「絵と格闘するみたいに」
「必死に」
「そうだね」
 先生もその人を見て言います。
「普通に描いてるんじゃなくてね」
「格闘してるみたいだよ」
「本当に絵とね」
「絵の具を筆にべたべたに付けて」
「その筆を乱暴に動かして」
「凄い動きだよ」
「何かね」 
 先生はその描き方とです、絵も見て言いました。
「ゴッホみたいだね」
「ああ、オランダの画家さんだよね」
「ひまわりとか描いてた」
「凄く有名な人で」
「その絵の価値も凄いね」
「そんな感じかな、ただ」
 先生はその人を見ながら少し首を傾げさせてこうも言いました。
「どうも苦しんでいるね」
「そんな描き方だね、確かに」
「格闘していても押されてる?」
「絵にね」
「そんな風だね」
「表情も険しいね」
 どうにもとです、先生はまた言いました。
「見たところ」
「やっぱりスランプなのかな」
「だからああした苦しさなのかな」
「そうなってるのかな」
「そうなのかしら」
「ううん、スランプはね」
 先生は難しいお顔のまま皆にお話していきます。
「芸術家には付きものでね」
「よくそう言われてるね」
「どうしても避けられないって」
「才能があればある程スランプに陥る」
「それで苦しむって」
「そうだね、僕は芸術家でないけれどね」
 それでもと言う先生でした。
「論文を書いたり講義をしていても調子が悪いって時があるからね」
「先生もなんだ」
「そうした時があるんだ」
「先生にしても」
「そうなんだ、本当にね」
 そこはというのです、先生も。
「だからわかるかな、ただ僕は芸術家じゃないから」
「それでなんだ」
「スランプかっていうと」
「また違うんだ」
「誰でもスランプはあると思うけれど」
 それでもというのです。
「僕はスランプの経験はないかな、あっても気付いていなかったのかもね」
「そうなんだ、先生は」
「先生はそうなの」
「調子が出ない」
「そうした風なんだ」
「うん、ただ芸術家の人のスランプは特別でね」
 だからこそというのです。
「誰もが抜け出ることに苦労してきているね」
「そう聞いてるけれどね」
「だからあの人も?」
「今スランプで」
「苦労している?」
「そうなの?」
「そうかもね、表情を見ていたらね」
 どうにもというのです。
「そんな感じだね」
「とても必死だけれどね」
「苦しんでいる感じがするわね」
「負けていそうな」
「そんなので」
「そういうのを見ていたらね」
 思うとです、また言った先生でした。
「スランプだとね」
「何かスランプっていうと」
「本当に苦しいっていうけれど」
「もう苦しくて仕方のない」
「そんなのらしいけれど」
「スランプはどうして抜け出られるのかしら」
「それはわからないんだ」
 スランプから抜け出る方法はというのです。
「その人その時それぞれでね」
「そうなんだ」
「それはわからないんだ」
「じゃあ急に出られる時もあれば」
「中々出られない時もあるのね」
「だからスランプは苦しいんだ」
 何時どうして抜け出られるかわからないものであるからです。
「余計にね」
「なりたくないね、スランプには」
「そうだよね」
「そんなに苦しいんだったら」
「抜け出られないものだったら」
 皆もこう考えるとです、辛いものがありました。
「そんなのだったらね」
「嫌になるわね」
「逃げたくても逃げられない」
「苦しくて仕方ないわ」
「そうだよ、その苦しみはね」
 先生も聞いた限りではです。
「これ以上のものはないっていうよ」
「芸術の道も大変ね」
「そんな苦しいこともあるなんて」
「絵を描くのも大変なのね」
「どうしても」
「あの人もそうなのかもね」 
 先生は今も必死に描きながら苦しいお顔をしている画家さんを見ました、本当に苦しいお顔のままです。
「スランプと戦っている」
「苦労して」
「そのうえでだね」
「何とかしようってしているの」
「自分自身で」
「スランプの一番怖いところはね」
 先生が知っている限りではです。
「自分でしかなんだ」
「抜け出ることは出来ない」
「そうしたものだからだね」
「一番怖いんだ、そのことが」
「自分でするしかないから」
「そう、自分でね」
 何としてもというのだ。
「原因があれば自分で見付けて」
「自分で解決する」
「そうするしかないんだ」
「結局のところは」
「そうしないと」
「そう、本当にね」 
 先生はこう言ってでした、画家さんを見ていました。動物の皆と一緒に。そしてそのうえでまたお散歩をするのでした。
 先生は学問を続けました、論文を書いて。そうしてこの日は過ごしました。ただ画家さんのことは頭の片隅にありました。
 そうして次の日でした、今度は大学に登校するとでした。
 その画家さんが朝のキャンバスにいて描いていました、やっぱり苦しいお顔です。
「あれっ、まただね」
「あの画家さんとお会いしたね」
「会ったていうか見かけたっていうか」
「そうなるかしら」
「うん、今日は朝からなんだね」
 先生もその画家さんを見て言いました。
「苦しいお顔をして描いてるね」
「やっぱり絵の具を沢山使ってね」
「絵を描いてるね」
「もう絵と格闘する感じで」
「そうしてるね」
「そうだね、時間があるし」
 先生はこの日は朝早いうちに来ました、まだ七時です。朝靄が残っています。講義はありますが九時からです。
「少し声をかけてみるね」
「うん、ちょっとね」
「お話しみよう、あの人と」
「三日連続でお会いするって縁だろうし」
「それなら」
「そうしてみようね」
 動物の皆も賛成してでした、そうしてです。先生は実際に画家さんのところに老馬から降りて歩み寄ってです。声をかけました。
「あの」
「はい」
 画家さんはすぐに先生にお顔を向けてきました、筆とパレットはそれぞれの手に持ったままですが止まりました。
「何でしょうか」
「絵を描いておられますが」
「はい、この通り」
「格闘されている感じ見えますが」
「そうかも知れないですね」
 画家さんも否定しませんでした。
「これが僕の描き方ですが。ですが」
「ですが?」
「最近どうもです」 
 微妙なお顔で言うのでした。
「絵を描いていてもこうじゃない」
「そう思われるのですか」
「僕の描きたい、僕が本当にそうしたい絵じゃない」 
「その様にですね」
「思ってしまいまして」
 そしてというのです。
「苦しいのです」
「そうですか」
「はい、どうにも」
 こう言うのでした。
「苦しいです」
「スランプですか」
「そうです」
 その通りというのでした。
「自分でもわかっています、苦しいですから」
「だからですね」
「余計に描く様にしています」
「普段以上に」
「スランプの時こそ描け」
 画家さんは言いました、強い声で。
「そう言われましたので、ある人に」
「それで今もですか」
「描いています、とにかく目に入ったものを」
「その場で」
「とにかく描いて美術館も毎日脚を運んで」
 そうしたことをしてというのです。
「描いて描いてですが」
「どうにもですね」
「抜け出られません」
 そのスランプからというのです。
「中々」
「ご自身の描かれたい絵ではない」
「はい、そう感じて仕方ないのです」
「拝見したところゴッホの影響がありますね」
 先生は画家さんの絵を見て言いました。
「そう思いますが」
「はい、好きな画家です」
「だからですか」
「ゴッホの様に描きたい、ですが」
「それでもですね」
「ゴッホのコピーにはならないです」
 このことははっきりとです、画家さんは言い切りました。
「そのことは心に誓っています」
「そういえばゴッホの影響はありますが」
 先生は画家さんの絵を見て答えました。
「違いますね」
「そう思われますか」
「ゴッホの絵の具の使い方ですが」
「それでもですか」
「タッチや他の多くの部分がです」
「僕のものですか」
「そうだと思います」
 こう言うのでした。
「僕としては」
「そうであればいいですが」
「はい、しかしスランプだからですか」
「普段よりもです」
「描く様にされていますか」
「立ち止まっても仕方がないので」
 ご自身でもそう考えているというのです。
「ですから」
「だからですか」
「そうです、何としてもです」
 こう言うのでした。
「抜け出たいので」
「描かれますか」
「苦しいですが何もしないと」
「より一層ですね」
「苦しいですから」
 それでというのです。
「描いています」
「描かれたくないと思われることは」
「常に思っています、正直描くだけでもです」
 それこそというのです。
「辛いです、ですが」
「それでもですか」
「何もしない方がずっと辛いので」
「描かれていますか」
「そうしています、何とかです」
「スランプをですね」
「抜け出たいですから」
 何としてもというのです。
「僕は描いでいきます」
「そうですか」
「そして何としても」
「抜け出ます、自分で」
 強い声で言ってです、画家さんは筆とパレットから手を離さないのでした。先生はそうしたものを見てです。 
 思うところがありました、ですがそれは今は言わない様にしてそうしてです。ふとこうしたことを言ったのでした。
「あの、お名前は」
「僕のですね」
「何といいますか」
「はい、太田喜一郎といいます」
「太田さんですか」
「この大学の芸術学部に所属しています」
「学生さんですね」
 先生は太田さんにさらに尋ねました。
「そうですね」
「はい、二回生です」
 このこともです、太田さんは先生にお話しました。
「美術学科でこうしてです」
「絵をですね」
「描いています」
 そうしているというのです。
「中学から美術部でして」
「絵を描かれていましたか」
「小学生の時からです」
 まさにというのです。
「もうずっと描いてきました、何度か賞も取りました」
「それは凄いですね」
「いえ、凄くはないです」
「そう言われますか」
「こうして自分の描きたい絵を描けない」
 太田さんは苦々しいお顔で言うのでした。
「そんな僕ですから」
「凄くない」
「はい、そうです」
 全く以てというのです。
「凄くないです」
「では今まで凄いと思われていたことは」
「ありました」
 このことは隠さずに答えた太田さんでした。
「かつては。ですが今は」
「そうはですね」
「思っていません」
 また答えた太田さんでした。
「自分は何と情けない、才能がないのかと」
「自己嫌悪ですか」
「その感情に陥っています」
「苦しいですか」
「本当に、何とか抜け出たいです」
 そのスランプからというのです。
「苦しくて仕方ないですから」
「どうしたらいいのか」
「わからないのです」
「ですがそれでもですか」
「はい、描いていきます」
 このことは変わらないというのです。
「そうしていきます」
「そうされますか」
「明日も明後日も」
「スランプから抜け出られるまで」
「そうしていきます、あとですが」
 今度は太田さんから先生に言ってきました。
「貴方はドリトル先生ですね、医学部の」
「僕のことをご存知ですか」
「先生は有名人ですから」
 だからというお返事でした。
「僕も知ってますよ」
「そうでしたか」
「あと年長の方ですから」
 太田さんは笑ってこうも言ってきました、疲れている感じのお顔ですがきちんとした礼儀正しいお返事でした。
「敬語もいいです」
「日本語のそれも」
「はい、そうです」
「では」
 先生も太田さんの言葉を受けてです、太田さんにあらためて言いました。
「太田君と呼んで」
「お願いします」
「では太田君」
「はい」
「若し何かあれば」
「その時はですか」
「僕の研究室に来てくれるかな」
 笑顔でお誘いをかけるのでした。
「そうしてくれるかな」
「そうしていいのですか」
「太田君がそうしたいのなら」
 その時はというのです。
「是非」
「それでは」
「うん、何時でも来ていいからね」
「先生が研究室におられる時は」
「何時でもね」
 先生も笑顔で答えます。
「いいからね」
「ではお言葉に甘えまして」
「それが君のスランプを出るきっかけになれば」
「そう思われてですか」
「うん、いいよ」
「では若しかしたら」
 こう返した太田さんでした。
「宜しくお願いします」
「それではね」
「はい、またお会いするかお邪魔した時は」
「宜しくね」
「そうさせて頂きます」
 こう先生に言ってでした、そのうえで。
 先生は太田さんにまたと言ってです、動物の皆と研究室に向かいました。そして太田さんは絵を描き続けるのでした。
 先生は研究室に入ってまずは紅茶、一番よく飲む紅茶であるミルクティーを飲みました。その先生にです。
 動物の皆は考えるお顔で、です。こう言いました。
「何か思ったよりもね」
「普通の人だったね」
「応対とかが」
「礼儀正しかったり」
「芸術家さんって独特な人が多いっていうけれどね」
「ごく普通の感じだったね」
「何かね」
 ここで、です。ガブガブが言いました。
「絵は独特だったけれどご自身は普通だったわね」
「芸術家さんは変わった人が多いっていうのは」
 チーチーも言います。
「ただそう言われてるだけかな」
「音楽家なんか凄いっていうね」
 トートーがお話に出す人はといいますと。
「ベートーベンさんとかモーツァルトさんとか」
「画家だと確かゴッホさんもね」 
 太田さんが影響を受けたこの画家さんをです、ジップはお話に出しました。
「凄い個性的な人だったんだよね」
「けれど太田さんは違っていたわね」
 ポリネシアはあらためて太田さんのことを考えました。
「普通の人だったわね」
「いや、格闘している感じだったからね」
「絵とね」
 チープサイドの家族は太田さんが描いているその時を思い出しました。
「必死にね」
「そんな風だったから」
「やっぱり個性的な人かって思ったら」
 老馬も太田さんの物腰を思い出しています。
「紳士って言ってもよかったね」
「着ていたエプロンはかなり汚れていたけれど」
 上着もです、ホワイティはそのことが気になっていました。
「それでも着ている服も髪型とかも清潔で」
「少しぼさぼさした髪型だったけれど」
 ジップが言うことはといいますと。
「毎日お風呂に入っている感じで匂いもしなくてお髭もちゃんと剃ってて」
「本当の普通の人だったね」
「そうだったね」
 オシツオサレツの言葉は太鼓判を押した感じでした、どちらの頭も同じ考えです。
「至って」
「むしろ先生よりもかな」
「考えてみれば先生もかなり個性的な人だしね」
 最後のダブダブは先生のことに言及しました。
「穏やかで公平な紳士でも」
「うんうん、僕達とお話出来るだけじゃなくて」
「家事とかスポーツとか全く駄目で」
「世の中のことにはかなり疎いところあるしね」
「学問は出来てもね」
「何かとね」
「個性的だよね」
 他の皆もダブダブのその言葉に頷きます。
「先生にしても」
「紳士ではあるけれどね」
「かなり変わった人だね」
「考えてみれば」
「僕達や王子やトミーがいないとどうなるかわからない」
「そんなところもあるしね」
「生活力は本当に心配になるから」
 とにかく家事が全く出来ないからです、何とパソコンは出来ても洗濯機もコンロも冷暖房も使えないのですから。
「変わった人だよ、先生も」
「それもかなりね」
「むしろ太田さんはかなり普通だよね」
「先生と比べたら」
「いや、そう言われるとね」
 先生はそんな皆の言葉に困ったお顔で返しました。
「僕も困るよ」
「けれど実際にだよ」
「先生変わってるよ」
「本当に太田さんよりもね」
「ずっとね」
「困ったな、けれど太田君はね」
 先生は皆の指摘に困りつつ太田さんのことを思うのでした。
「好青年だね」
「ええ、どう見てもね」
「礼儀正しくて身なりもしっかりとしている」
「そんな人だね」
「奇抜なところもない」
「そうした人だね」
「いい学生さんだね」
 こうも言った先生でした。
「正直ダリみたいな奇抜な人だったりベートーベンみたいな人だったら僕も困ってたよ」
「ベートーベンってかなり凄い性格だったっていうからね」
「尊大で頑迷で気難しくて癇癪持ちで」
「物凄く敵が多かったらしいね」
「そのせいでお友達も少なくね」
「親戚や家族にも恵まれなくて」
「恋愛も実らなくて」
「孤独だったらしいね」
「耳のせいもあったけれど凄く付き合いにくい人だったみたいだね」
 先生は残念そうに言いました。
「実際にね」
「だから先生でもだね」
「ベートーベンさんとは付き合えないかも」
「そうだっていうんだ」
「うん、偉大な音楽家だけれどね」
 このことは事実にしてもというのです。
「人間としてはね」
「凄くだね」
「お付き合いしにくい」
「そんな人だったんだね」
「素晴らしいものを沢山持っていたことは間違いないんだ」
 ベートーベンという人はです。
「清廉潔白で完璧主義者で理想が高くてね」
「悪い人ではなかったんだね」
「別に」
「そうだよ、悪意のある人じゃなかったんだ」
 このことは間違いないというのです。
「けれど本当にね」
「お付き合いのしにくい人で」
「そのせいで孤独だったんだね」
「悪意ある人でなくても」
「そうだったんだ」
「うん、だから可哀想な人ではあったんだ」
 先生が見るベートーベンはです。
「だから結婚も出来なかったしね」
「孤独だったんだね」
「ずっと」
「そうだよ、孤独で寂しい人だったんだ」
 また言った先生でした。
「あの人は」
「そう思うと残念だね」
「ベートーベンさんについては」
「その気難しさやプライドの高さのせいでそうしたことになっていたなんて」
「とてもね」
「悲しいことね」
「そう思うよ、僕としてもね」
 本当にというのでした。
「あの人とはお付き合い出来ないかも知れないけれど」
「それでもだね」
「悲しい人だとは思うんだね、先生も」
「あの人については」
「うん、幸せではなかっただろうね」
 ベートーベンの一生はです。
「本当にね、それで太田君はね」
「この研究室に来たいならだね」
「何時でも来ればいい」
「そうだっていうんだね」
「そうだよ」
 太田さんについてはです、先生は笑顔で答えました。
「そう言ったから」
「後は太田さんがどうするか」
「そのことが問題だね」
「あの人自身のだね」
「どうされるかだね」
「そう、スランプはね」
 このことについてもです、先生はまたお話しました。
「やっぱりね」
「自分でだね」
「どうかするかしかない」
「だからだね」
「この研究室に来て先生とお話することも」
「ご自身が決めることなんだね」
「そいうなんだね」
「そう、僕が出来ることは限られているんだ」
 太田さんのことについてはです。
「本当にね」
「難しいね」
「そうだよね」
「出来ることが限られていると」
「どうしても」
「そうなるよね」
「ご本人の問題なら」
 皆も言います。
「それじゃあ僕達もね」
「太田さんが来られても」
「何も出来ないんだね」
「直接的には」
「そうだよ、アドバイスとかは出来ても」
 それでもというのです。
「そこまではね、難しいね」
「だからこそだね」
「どうにか出来ることは少ない」
「何かそう思うとね」
「歯痒いね」
「どうにも」
「スランプはね」
 芸術家のこの問題はとういうのです。
「自分自身のことだから」
「自分自身でどうにかする」
「解決して抜け出るしかないから」
「だからなんだね」
「先生も僕達も強くは出来ない」
「助けさせてもらうにしても」
「そうだよ、ただね」
 ここでこうも言った先生でした。
「スランプを抜けたらね」
「それを抜けたら?」
「抜けたらなんだ」
「その時はどうか」
「どうなるかなんだ」
「そうだよ、大きくなれたりするから」 
 芸術家としてです。
「成長のきっかけにもなるんだ」
「そうなんだね、スランプは」
「苦しいけれど抜け出たら成長出来るんだ」
「それが出来るから」
「それでなんだ」
「そう、大きくなれるものでもあるんだ」
 スランプ、そしてその苦しみはというのです。
「だからスランプを乗り切ることが出来れば」
「いいんだね」
「苦労してでも」
「かなり苦しんでも」
「そうだよ、人は苦しみもね」
 それもというのです。
「成長の粮に出来るんだ」
「ああ、よくそう言うね」
「人は色々なことから学んで」
「苦しみもなんだ」
「成長出来る」
「そうだったね」
「そうだよ、だからね」 
 是非にというのです。
「太田君もね」
「このスランプを乗り越えられれば」
「芸術家として成長出来るかも知れない」
「そうでもあるんだ」
「うん、そうでもあるからね」
 だからだというのです。
「乗り越えて欲しいね」
「それが成長になるかも知れないから」
「だからだね」
「太田さんには是非」
「そうなってもらいたいんだ」
「そうも思ってるよ、僕はね」
 こうも言った先生でした。
「どうもスランプはないし苦労もしてないけれど」
「いやいや、先生も色々あったじゃない」
「何度も大変なことがあったじゃない」
「冒険の旅にね」
「あと病院に患者さんが来なくなったり」
「お金のことも大変だったじゃない」
 皆先生のこれまでのことを一斉にお話しました。
「何かとね」
「先生の人生も波乱万丈だよ」
「日本に来てからも色々あって」
「凄かったじゃない」
「そうだったかな」
 先生としては苦労を苦労と思わない性格なので自覚がないだけです、先生はそうしたことは感じないのです。
「だといいけれど」
「先生もどんどん成長してるよ」
「人間としてね」
「いつも学問に励んでるけれど」
 学者さんとしての日々の精進だけでなくというのです。
「人間としてもだよ」
「どんどん温厚で公平になって」
「円満な性格になっているよ」
「だといいけれどね、僕はね」 
 またこうしたことを言った先生でした。
「苦労をしてこなかったから」
「だからそれは違うって」
「苦労も数多かったよ」
「先生は自覚ないけれど」
「スランプもそうじゃないの?」
「とにかく論文書き続けて気付いてないだけで」
「そうだったんじゃないの?」
 苦労と同じくスランプもというのです。
「結局のところ」
「そうだったんじゃ?」
「先生のことだから」
「誰かに助けてもらってって思ってるだけじゃ」
「そうかな、けれどね」
 実際にと言う先生でした。
「僕は本当に助けてもらってばかりだからね」
「やっぱりそう言うし」
「先生は皆を助ける方がずっと多いよ」
「私達やトミーや王子に助けてもらうよりも」
「ずっとね」
「先生の方がよ」
「そうだといいけれどね」
 やっぱり自覚のない先生でした、どうも先生も苦労やスランプの経験があるみたいです。ご自身が気付いていないだけで。



大学でもあの時の画家を見かけたみたいだな。
美姫 「みたいね。スランプみたいで先生も気にしていたようだし」
二日続けてだから、話し掛けたって所か。
美姫 「太田という画家と知り合ったけれど」
先生の所に来るかな。
美姫 「先生はどうするのかしら」
次回も楽しみです。
美姫 「待っていますね」
ではでは。



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