『ドリトル先生と春の花達』




           第二幕  和歌会への参加者

 お昼御飯を食べてです、先生はお花見の後研究室でまた論文を書いていましたそこにでした。
 王子が来てです、先生に聞いてきました。
「先生も和歌会に出るんだよね」
「そのつもりだよ」
 先生は王子に穏やかな声で答えました。
「もう参加申請は出したよ」
「それで許可もだね」
「うん、貰ったよ」
「そうなんだね」
 王子は先生の返事を聞いて笑顔で頷きました。
「じゃあ僕も参加しようかな」
「王子も参加するんだ」
「今年はね、実はね」
「実は?」
「うん、日本の皇室の方々も和歌をされるじゃない」
「日本の皇室が和歌の本元みたいなところがあるからね」
 先生は王子にこのこともお話しました。
「勅撰和歌集もあるしね」
「古今和歌集とかだね」
「そう、勅撰和歌集じゃないけれど万葉集もあるね」
「ああ、奈良時代の」
「それこそアーサー王の頃からだよ」
 先生は笑ってお国のお話を出して例えました。
「日本の和歌の歴史は」
「確か万葉集には実際その頃のものもあったんだよね」
「そうだよ」
「古いね」
 王子は先生が出してくれた紅茶をお礼を言って受け取って飲みながら言いました。先生も同じ種類のお茶を飲んでいます。
「日本の歴史自体は」
「そうだよね」
「それで和歌の歴史も古くて」
「アーサー王の頃にはだよ」
 伝説でその頃ではないかと言われている時代には既にというのです。
「謡われていたんだ」
「皇室も存在していて」
「そうだよ」
「日本の歴史は違うね」
 王子は先生の説明にしみじみとして言いました。
「文化一つ取っても凄いね」
「僕もそう思うよ」
「それでね」
 さらにお話する王子でした。
「僕もね」
「王子としてだね」
「日本に留学しているからね」 
 それだけにというのです。
「日本文化にも親しんで学ばないといけないから」
「だからだね」
「和歌もね」
 それもというのです。
「謡おうと思っているんだ」
「それはとてもいいことだよ」 
 先生は王子のその言葉に笑顔で答えました。
「和歌も日本文化の重要なものの一つだからね」
「だからだね」
「うん、是非ね」
「和歌もだね」
「してみるといいよ」
「それじゃあはじめてだけれど」
 和歌を作ることもです。
「挑戦してみるね」
「是非ね」
「やってみるよ、ただはじめてなんだ」
「いやいや、はじめてはね」
 先生ははじめて和歌を歌うこといついては笑顔で言いました。
「誰でも何でもそうだね」
「する時は」
「はじめることに恐れたりしたら駄目だよ」
「何でもやってみるだね」
「そう、何でもね」
 それこそというのです。
「やってみないといけないんだ」
「そういうものだね」
「さもないとね」
「はじめられなくて」
「することは出来ないよ」
 はじめることを恐れてはというのです。
「はじめてだから失敗したり拙くてだよね」
「笑われたり変に思われるか」
「そう思ったら駄目なんだ」
「かえってだね」
「そうしたことは一切恐れないで」
 そしてというのです。
「やるんだ」
「それが大事なんだね」
「うん、そしてね」
「そしてだね」
「どんどんやってね」
 そのはじめたことをです。
「楽しんでいけばいいんだ」
「上手下手は関係ないんだ」
「それをしたい、好きなら」
「それならだね」
「他の人がどう思うとかね」
 それこそというのです。
「どうでもいいんだ」
「自分が楽しむんだ」
「どんな学問でもそうだし」
「和歌もだね」
「そうしていくといいんだ」
「成程ね」
「だからね」
 それでというのです。
「王子もだよ」
「楽しめばいいんだ」
「和歌もね」
「わかったよ、じゃあね」
「うん、楽しむんだね」
「今日のうちに参加の願書を出すよ」
 まさにそれをというのです。
「そうしてくるよ」
「それがいいよ」
「それじゃあね、あとね」
「あと?」
「いや、この和歌会って色々な人が参加するよね」
 王子はここで先生にこうしたことも言いました。
「そうだよね」
「うん、そうだよ」
「生徒の人達も」
「中学生や高校生の子達もね」
「大学生の子達も」
「参加するよ」
 そうだというのです。
「僕達先生達も職員の人達も」
「誰もね」
「そうなんだね」
「小学生の子達もだよ」
 先生は笑って子供達もというのです。
「参加するしね」
「へえ、子供達もなんだ」
「そうだよ」
 その通りだというのです。
「参加したい人はね」
「誰でも参加出来て」
「楽しめるんだ」
「それはいいね」
「そもそもね」
「そもそも?」
「和歌は誰もが謡っていいものだから」
 先生は王子にミルクティーを飲みつつ笑顔でお話しました。
「謡おうと思えば」
「その時はなんだ」
「昔からそうだしね」
「ああ、万葉集の頃から」
「名もなき防人の人や庶民の人も謡ってるよ」
「皇族や貴族の人達だけでなくて」
「本当に誰もがね」
 それこそというのです。
「謡っているんだ」
「それはまた」
「凄いね」
「うん、そこまでなんて」
「僧侶や神主や武士の人達も謡っていて」
 こうした人達もというのです。
「戦の前にも連歌会とかしたりしているんだ」
「へえ、戦の前に」
「そう、武士同士のね」
「それは優雅だね」
 王子は先生がお話する日本のそのならわしについても言いました、聞いて驚いたお顔になっています。
「風流っていうか」
「そうだね」
「そんな典雅なこともしていたんだ」
「日本ではね」
「戦の前に和歌を謡い合っていたんだ」
「そして謡うとね」
「謡う?」
「そう、謡ってね」
 そしてというのです。
「戦の場に出ていたんだ」
「武士の人達もだね」
「そうだよ、そうしたこともしていたしね」
「ううん、凄いね」
「本当に誰もがね」 
 それこそというのです。
「文字さえ書けて謡おうと思ったら」
「誰でもだね」
「和歌は謡っていいんだ」
「そういうものなんだ」
「それが和歌というものなんだ」
「垣根はないんだね」
「ないよ」
 それこそ一切というのです。
「そうしたものだよ、だから僕達もだよ」
「外国人でもだね」
「そしてはじめてでもね」 
 王子もというのです。
「謡っていいんだよ」
「謡いたいなら」
「そうしたものなんだ」
「成程ね、そんなものなんだ」
「だからはじめてでも胸を張って」
 恥ずかしがることなく、というのです。
「謡えばいいんだ」
「そういうものだね」
「そうだよ、それじゃあね」
「和歌会に出ようね」
「そうするよ、いやそんなものなんだね」
 王子は紅茶を飲みつつしみじみとした口調で先生に言いました。
「和歌は」
「そうだよ、本当にね」
「それじゃあ」
「楽しんで謡おうね」
「そうさせてもらうよ」 
 こうお話してです、そしてでした。
 王子はさらにです、先生にこんなこともお話しました。
「桜楽しみだね」
「あっ、王子もだね」
「桜楽しみなんだ」
 オシツオサレツが王子の言葉を聞いてぱっと明るくなりました。
「やっぱりね」
「日本の春は桜だよね」
「何だかんだで桜がないとね」
 ジップも言います。
「春じゃないね、日本は」
「和歌会も桜の前でするし」
「他に梅や桃もあるけれど」
 チープサイドの家族も彼等の間でお話をします。
「日本の春は桜だね」
「それがないと日本の春じゃないから」
「それで王子もだね」 
 チーチーは王子を見ています。
「桜が楽しみなんだね」
「確かに桜はいいね」
 ガブガブは目を細めさせています。
「特に満開だとね」
「あの色合いと咲き方がいいのよ」 
 ダブダブの目には桜が見えています、まだ咲いていないのに。
「桜は」
「そうなんだよね、見ていてね」
 ホワイティもその桜を見ています、これから咲くそのお花を見ることが楽しみで。
「うっとりするからね」
「王子が楽しみなのもわかるわ」
 ポリネシアは王子を見ています。
「私達もそうだし」
「僕達は和歌は謡えないけれど」
 それでもと言ったトートーでした。
「桜は楽しめるからね」
「さて、じゃあね」 
 最後の言ったのは老馬でした。
「僕達も先生と一緒にいよう」
「皆も一緒だと」 
 王子も皆の言葉を聞いて言いました。
「いつも通りでいいね」
「そうだね、はじめてを恐れることはないけれど」
 先生が王子に応えました。
「一人だとどうしてもね」
「どうしてもだよね」
「寂しくて不安になるから」
「だからだね」
「皆もいるとね」
 それでというのです。
「全然違うから」
「だからだね」
「僕と皆はいつも一緒にいるから」
 先生はその動物の皆を見て王子にお話しました。
「安心出来ているしね」
「僕もだね」
「うん、王子もね」
「皆と一緒だから」
「安心してね」
 このことがあるからというのです。
「是非ね」
「そうさせてもらうよ」
「是非ね、それとね」
「それと?」
「この紅茶どうかな」
 そのロイヤルミルクティーのお話もするのでした。
「これは」
「いいと思うよ」
「そうなんだね」
「うん、どういった葉なのかな」
「スーパーで買ったものだよ」
「普通に?」
「そう、普通にね」
 それこそというのです。
「買ったものなんだ」
「ううん、日本は普通のお茶でも」
「凄く美味しいね」
「そうだよね」
「何杯でも飲めるよ」
 それこそというのです。
「僕もね」
「そうだね、あとね」
「あと?」
「お水は普通のおね」
「水道水を沸騰された」
「それだよ」
「本当にごく普通のお茶なんだね」
 王子は飲みつつしみじみと言いました。
「いつもの」
「そうは思えないね」
「うん、お茶の葉もお水もね」
 そのどちらもというのです。
「特別なね」
「そう思うね」
「そんな味だよ」
「勿論ミルクもお砂糖もね」
 そういったものもというのです。
「普通のもので」
「味はなんだ」
「いつものものでも」 
 それがというのです。
「こうした味になるんだ」
「ううん、それでこの味は」
「僕も飲んで驚いているよ」
 あまりにも美味しくてです。
「本当にね」
「ここまで美味しいんだ」
「そうだよ、じゃあね」
「もう一杯だね」
「飲もうね」
 こう言いつつです、先生はお茶菓子も出しました。それはいつもの三段のティーセットですが。
 そのティーセットもです、先生はこう言いました。
「これもなんだ」
「スーパーで買ったものなんだ」
「そうなんだ」
「何か全部ね」
「スーパーで買ったものだよ」
「それでもなんだね」
「こんなに美味しいんだ」
 そうだというのです。
「安く簡単に買ったものです」
「この味なんだ」
「そうだよ、じゃあね」
「うん、ティーセットもね」
「食べるよ」
「それじゃあ」
 こうお話してでした、王子はそのティーセットをしっかりと見ました。上はスコーン真ん中はサンドイッチそして下段はケーキです。
 そのセットの特にサンドイッチを見て王子は言いました。
「ああ、フルーツサンドなんだ」
「そうだよ」
 先生は王子に笑顔で答えました。
「これもスーパーで買ったんだ」
「そうなんだね」
「そしてこれもね」
 そのフルーツサンドもというのです。
「最近よく食べるんだ」
「ティータイムに」
「普通のサンドイッチも食べるけれど」
「こちらのサンドもだね」
「美味しくてね」
「そうだね、お茶に合うしね」
「それに日本の甘さがね」
 その味付けがというのです。
「気に入ってね」
「ケーキと一緒にだね」
「よく食べているんだ」
 そうしているというのです。
「こうしてね」
「それでお店で買ってもなんだ」
「これだけ美味しいんだ」
「安くても」
「値段以上の味だよね」
「そうだね」 
 王子も食べつつ先生に答えました。
「そう言っていいと思うよ、僕も」
「じゃあ楽しんでね」
「そうさせてもらうね、こちらも」
「そして桜が咲いたら」
「うん、和歌も楽しむよ」 
 そちらもというのです。
「是非ね、はじめてでもね」
「胸を張って参加してね」
「そして心から楽しむよ」
「和歌に垣根はないからね」
「そうだね、とはいってもね」
「とはいっても?」
「歌は誰でも歌っていいし」
 そちらの歌のお話もする王子でした。
「他の詩もそうだね」
「うん、やっぱり誰でもね」
「創作したいと思ったら」
「そうしていいんだ」
 そうしたものだというのです。
「垣根なんてないんだ」
「詩も歌も」
「難しく考える必要はないんだ」
「そうしてだね」
「創りたいなら創ればいいんだ」
「そうだね、じゃあ和歌もね」
「創ろうね」
「そうするね」
 王子はそのフルーツサンドを食べつつ先生に応えました、そうしてティータイムを楽しんでからです。
 その後で叔父は先生に今度はこんなことを言いました。
「さて、春になって桜が咲いたら」
「和歌以外のことかな」
「うん、日本人は桜のことをいつも言うよね」
「テレビでもね」
「あれは凄いね」
「それだけ日本人にとって特別なお花なんだ」
「桜はだね」
「だからいつもね」
 桜の咲く頃になると、というのです。
「テレビでも言う様になるんだ」
「そうだよね」
「そう、そしてね」 
 さらにお話する先生でした。
「お花見もするんだ」
「そうだよね」
「あのお花見もいいよね」
「お弁当とか食べてお酒も飲んでね」
「あれも日本人の楽しみなんだよ」
 桜を見るそれだというのです。
「まさにね」
「そうだね、あれもね」
「王子も好きだよね、お花見」
「好きだよ、学友の皆に誘われて行って」
 そしてというのです。
「桜が奇麗でお弁当も美味しくて」
「お酒もだね」
「そう、それで皆でお喋りやカラオケもしてね」
 そうしたことも楽しんでというのです。
「凄くよかったよ」
「じゃあ和歌会とだね」
「お花見も楽しむつもりだよ」
「それだったらね」
 ここで先生は王子に提案しました。
「僕達と一緒にどうかな」
「先生と?」
「うん、一緒にしないかい?」
 お花見をというのです。
「そうしない?」
「そうだね、じゃあ皆を連れて」
 今も自分の傍に控えてくれている執事さんを見てです、王子は先生に答えました。
「そうしてね」
「待ってるよ」
「うん、それとね」
「それと?」
「お弁当も持って行くからね」
「いや、お弁当もいいけれど」
 ここでこう提案した先生でした。
「焼肉なんてどうかな」
「焼肉?」
「そう、ホットプレートを持って来てね」
 そうしてというのです。
「そこでお肉を焼いてね」
「それを食べながらだね」
「皆で楽しまないかい?」
「それでビールとかも持って来て」
「そう、そしてね」
 まさにそうしてというのです。
「楽しんだらどうかな」
「それも確か」
「そうだよ、日本のお花見なんだよ」
「桜を見ながら焼肉を食べるのも」
「焼きながらね」
 先生は実際にお外でホットプレートを使って焼肉を食べる姿を想像しつつ王子にお話していきます。
「そうするのもいいよ」
「そうだね、じゃあそっちもね」
「考えてだね」
「お花見しようね」
「うん、それとティーセットもだね」
「そちらも楽しまないとね」
「そうだね」
 こうしたことを二人でお話してです、そしてでした。 
 王子は先生の研究室を後にして自分の家に帰りました、そうして先生は王子を見送った後で動物の皆に言いました。
「何か日本の春はね」
「うん、何かね」
「他の国の春と違うよね」
「桜が軸にあって」
「そこからはじまるよね」
「そうなんだよね、梅や桃もあるけれど」
 そうしたお花も見られるにしてもというのです。
「何といってもね」
「桜だね」
「このお花だよね」
「何といってもね」
「第一にはそれがあるね」
「そのことをつくづく思うよ」 
 日本にいて猶更というのです。
「日本人は本当に桜が好きだね」
「というか桜好き過ぎない?日本人って」
 ホワイティはしみじみとした口調になっていました。
「どのお花よりもだからね」
「それでも咲いているのは少しの間だけよね、桜って」
 ポリネシアはこのことを指摘しました。
「春の本当に一時期」
「少しだけ咲いて散っていく」
 ダブダブはしみじみとした口調で言いました。
「あんなに咲いている時期が短いお花ってそうないわよ」
「どうして長く咲いていないのかな」
「せめて一月は咲いて欲しい?」
 オシツオサレツはその短い咲いている時期に思うのでした。
「もっとね」
「あれじゃあ短過ぎるよ」
「僕もそう思うよ」
 ジップはオシツオサレツに完全に同意でした。
「もっと長く咲いていればいいのに」
「今だったら一年中咲いている桜を創られない?」
「今の技術ならね」 
 チープサイドの家族はこう言いました。
「それも可能なんじゃ」
「今だったら」
「植物園の設備でも出来るんじゃ」 
 こう言ったのはダブダブでした。
「温室の気温を調節したりして」
「何で日本人そうしないのかな」
 チーチーは人間みたいに腕を組んで考えるお顔になっています。
「あれだけ桜が好きなのにね」
「いつも見たいと思うけれどね」
 老馬もこう考えます、日本人の桜への愛情を見て。
「それでもなのかな」
「何で春の一時期だけ見るのかな」
 最後にトートーが首を傾げさせて言いました。
「一年中見ようとしないのかな」
「それ不思議よね」
「どうにもね」
「どういうことかな」
「日本人は桜を一年中見たくないの?」
「春の一時期だけでいいのかな」
「それもまた日本人なんだ」
 まさにとです、先生は不思議がる皆にお話しました。
「四季のそれぞれを楽しむからね」
「春だけじゃなくて夏も秋も冬も」
「それでなんだ」
「そう、秋の紅葉も冬の雪もそうで」
 そしてというのです。
「夏の海もね」
「全部だね」
「全部楽しむんだね」
「四季のそれぞれを」
「そうしているからなんだ」
「うん、そうしてね」
 そしてというのです。
「桜もね」
「春の一時期だけなんだ」
「これからはじまろうとしているけれど」
「今の一時期だけ楽しんで」
「それで充分だっていうんだね」
「そしてね」
 それにというのです。
「春は桜だけじゃないね」
「あっ、梅も桃もあるしね」
「菊も蒲公英も」
「そうしたお花もあるから」
「そうしたものも楽しむんだね」
「そうしたお花もあって桜の後はね」
 その次のお花はといいますと。
「次は皐があるね」
「ああ、皐」
「そういえばあのお花もあったわ」
「日本にはね」
「あのお花もあったんだ」
「そう、桜が散ったのを寂しく思ってもね」 
 その気持ちは確かにあってもというのです。
「すぐに皐が咲いて、そして梅雨になれば」
「ああ、まただね」
「梅雨は梅雨でいいお花があるしね」
「だからそちらも楽しむんだね」
「春の終わりから梅雨のお花は」
 日本のそれはといいますと。
「百合や菖蒲、菫そして何といってもね」
「紫陽花だね」
「あのお花も凄く奇麗よね」
「赤からピンク、紫、水色、青になっていって」
「色が凄く奇麗よね」
「何といっても」
「そうだね、本当にね」
 先生は顔を綻ばせて皆に言いました。
「だから日本人は桜を今からの一時期でもいいんだ」
「他のお花も楽しめるから」
「そうした心があるから」
「四季の全てを楽しめるから」
「桜をいつも見ようとしないんだ」
「それに夏や秋に桜が咲いても」 
 そうした季節にというのです。
「風情に合わないからね」
「あっ、確かに」
「日本のそうした季節に花が合わないね」
「その時の気候にね」
「どうにもね」
「そうだね、日本人もそのことがわかっているから」
 もう最初からというのです。
「だからなんだ」
「それでなんだ」
「もう最初からだね」
「桜を一年中見ようとしない」
「そうしているんだ」
「そうだよ、日本人は確かに桜が大好きだけれど」
 それでもというのです。
「それだけじゃないからね」
「ううん、凄いね」
「日本人の四季の楽しみ方は違うね」
「広いよ、とても」
「しかも大きいわ」
「あの広さと大きさこそがね」
 まさにというのです。
「日本人の真骨頂だろうね」
「どの四季の全てもあらゆるお花も愛せる」
「桜は大好きだけれど桜が全てじゃない」
「それがだね」
「日本人だね」
「僕も日本に来て肌でわかったよ」
 まさにそうなったというのです。
「いや、本当にいいよ」
「ううん、じゃあ僕達もだね」
「日本のそのことを知っていくんだね」
「あらためて」
「そうしていくんだね」
「そうだよ、もっとね」
 先生は皆に微笑んでさらにお話しました。
「皆で楽しみながらね」
「知っていくんだね」
「そうしていくべきだね」
「今は」
「そうあるべきだね」
「是非ね、僕もまだまだだよ」
 それこそというのです、先生もまた。
「日本についての学問が足りないよ」
「先生でもなんだ」
「学問が足りないんだ」
「先生みたいに日本を深く広く知っている人でも」
「まだまだなんだね」
「そうだよ」
 まさにというのです。
「もっと知りたいね、だからこそね」
「うん、皆で学んでいこう」
「それも楽しく」
「日本のことをね」
「学んでいこうね」
 こうしたことを皆とお話したのでした、そしてです。
 先生は論文をさらに書いていきました、それでまた一つ論文を書きましたがそれでさらにでした。
 次の論文を書きはじめます、そこで皆は新たな論文を書く用意に入った先生に対して尋ねました。
「今度の論文は何?」
「何についての論文なの?」
「先生色々な論文書くからね」
「今度は何の論文なのかしら」
「数学だよ」
 そちらの論文だというのです。
「これから書く論文はね」
「へえ、数学なんだ」
「今度の論文はそれなんだ」
「数学ね」
「本当に先生は色々な論文を書くね」
「うん、数学もね」
 先生は数学自体について皆に言いました。
「やっていると楽しいよ」
「そう?難しいだけで」
「訳がわからない世界じゃ」
「それこそね」
「訳がわからない」
「そんなのなんじゃ」
「数字とか公式ばかりでね」
「いやいや、その数字や公式を使って解いていくのがね」
 数学も難しいそこがというのです。
「いいんだよ」
「そういうものなの?」
「僕達数学はよくわからないよ」
「簡単な計算位ならともかく」
「もうそこは人間でないとわからないレベルで」
「というか人間でも滅多にじゃない?」 
 わかる人はというのです。
「それこそ」
「それでも数学っていいんだ」
「先生にとっては」
「まあ先生は学問なら何でもって人だけれど」
「数学だけじゃないしね」
「いい頭の体操になってね」 
 そしてとです、先生は皆に答えて言います。
「解いていく、正解に近付いていくのがよくて」
「それでなんだ」
「それがよくてなんだ」
「先生は数学も好きなの」
「そうなのね」
「そうだよ」 
 その通りだと答える先生でした、論文の用意はもうかなり進んでいます。
「今から書くのが楽しみだよ」
「さっき終わった論文もそう言ってたけれど」
「数学の論文もそうで」
「楽しむのね」
「そうするんだね」
「そして今度の論文はね」
 それはといいいますと。
「方程式についてなんだ」
「ああ、方程式」
「よく聞くけれど」
「それについてなの」
「論文を書くの」
「そうだよ、それをわかりやすく書くから」
 論文、それをというのです。
「していくよ、しかしね」
「しかし?」
「しかしっていうと?」
「いや、学校の先生にはわかりやすくどころか」
 数学、それをというのです。
「僕が聞いてても全くわからない授業をする先生がいるからね」
「日本の先生って質悪い先生多いからね」
「教えること下手な先生っているから」
「そうした先生の授業は先生でもわからないの」
「論文を書く様な人でも」
「しかも生徒さんにわからないと面と向かって言われたり実家の寿司屋になったらとか言われても全く改善しないんだ」
 その下手な授業がというのです。
「そんな先生もいるよ」
「つまり無能ね」
「無能な先生もいるのね」
「日本の先生らしいわね」
「無能だったり暴力的だったりおかしな思想持ってたり」
「そうした先生が本当に多い国ね」
「日本にも悪いところがあって」
 それでというのです。
「先生が特にそうだけれど」
「酷過ぎるね」
「面と向かって言われても皮肉言われてもわからないんだ」
「改善しないんだね」
「改善する気がないの?」
「それとも改善する能力がないの?」
「どちらにしてもね」
 改善する気がなくてもその能力がなくてもというのです。
「あまりにも無能だからね」
「先生であるべきじゃない」
「そうなんだね」
「うん、そう思ったよ」
 その先生を見てというのです。
「酷過ぎたから」
「その授業が」
「あまりにもそうで」
「あと暴力を振るってもおお咎めなしはね」
 先生が生徒にです。
「これも酷いしおかしな思想を学生さんに吹き込むのも」
「どれもだよね」
「おかしいわね」
「日本の先生は酷いわね」
「酷過ぎるわ」
「このこともわかったよ」
 日本に来て、というのです。
「特に公立の学校が酷いね、国立の大学も」
「大学もなんだ」
「それも国立の」
「そうした大学でも」
「うん、とんでもない大学の先生もいたから」
 先生が見てびっくりする程だったのです。
「恥も外聞もない様な人がね」
「何でそんなに先生の質悪いの?日本って」
「無茶苦茶じゃない」
「教えるの下手だったり暴力振ってもお咎めなしとか」
「おかしな思想持ってたりね」
「その思想がマルクスとかカルトみたいなのだし」
「うん、戦後からみたいだね」
 日本の教育がおかしいのはというのです。
「日本の先生達の異常さは」
「ずっとじゃないんだ」
「第二次世界大戦からなんだ」
「あの戦争でイギリスは勝ったけれど日本は負けて」
「そこからなのね」
「うん、そこでマルクス思想が大きく入って」 
 そうしてというのです。
「かなりおかしくなってそのままみたいだね」
「だからまだマルクスが残ってて」
「共産主義が」
「それでおかしいままなの」
「ずっと」
「うん、それがマスコミもだからね」 
 こちらの人達もというのです。
「日本の先生達はマスコミとも一緒になっていてね」
「おかしいままなんだ」
「戦争が終わってからずっと」
「そうなのね」
「ソ連もなくなったけれど」
 共産主義のその国もというのです。
「この国ではずっと残ってるんだ」
「ソ連の影響が強い先生が」
「その人達がなのね」
「そうだよ、それでね」
 先生は残念そうに言っていきます。
「しかもそうした人達が反省もしないからね」
「自分達の考えや行いについて」
「全然なんだ」
「反省もしないでそのままで」
「ずっといるのね」
「そうした先生が残って」
 そうしてというのです。
「日本の教育をおかしくしているんだ」
「酷いわね」
「先生が聞いてもわからない様な授業する先生も酷いし」
「暴力を振るう先生もおかしな考えの先生もいる」
「そんな先生が多いとね」
「教えられる生徒さん達がかわいそうよ」
「そう、一番迷惑するのはね」
 まさにとです、先生は皆に答えました。
「生徒さん達だよ」
「教えを受けるね」
「その人達よね」
「まだ未成年だし余計にね」
「変な影響も受けるわね」
「僕が思うにね」
 先生は日本の教育についても思うのでした。
「そうした先生はどんどん排除していかないと」
「大変なことになってるのは事実だしね」
「さもないと大変なままよね」
「そうした先生達はどうしようもないから」
「何とかしないと」
「そう思うよ、まあそこは政治のお話にもなってね」
 先生は難しいお顔のまま言いました。
「複雑になるよ」
「日本の問題ね」
「先生はまだ日本人じゃないしね」
「国籍はイギリスのままで」
「そちらには思って言えるだけね」
「その二つだけでも素晴らしいけれどね」
 思って言える、そうしたことだけでもというのです。
「僕は政治学も学んでるけれど」
「日本のことはね」
「やっぱり日本人がどうしていくか」
「そうしたことね」
「どうしても」
「そうだよ、まあそうしたお話はそれ位にして」
 そしてというのでした。
「論文を書くよ」
「うん、今度は数学ね」
「その論文も書くのね」
「そうするのね」
「これからね」
 こう言って実際にでした、先生は数学の論文の執筆に入りました。学者さんとして論文を書くことに熱心です。
 そしてトミーにです、お家で言われました。
「先生教え上手って評判ですよ」
「学生さん達の間でだね」
「はい、とても」
 そうだというのです。
「評判がいいですよ」
「それは何よりだよ」
「何でもわかりやすくお話してくれるって」
「さもないとね」
「はい、講義をしたり説明をする意味がないですよね」
「人に教えるからにはね」
 それこそというのです。
「わかりやすいことを言わないと」
「駄目だね」
「授業がわからないと面と向かって言われても改善しないのは」
 そうした先生のことをまた言うのでした。
「もう辞めた方がいいよ」
「先生って学校の先生に厳しいですね」
「日本の先生にはそうかもね」
「酷過ぎるからですね」
「犯罪行為も異常に多いしね」
 日本の学校の先生達についてはというのです。
「おかしな思想の人も多くて」
「カルトみたいな」
「平和とか言うけれど」
 それがというのです。
「物凄く狂暴な抗議活動とかするし」
「民主主義と言いながらも、ですね」
「他の人の意見は認めず弾圧しようともして」
「戦争反対と言いますが」
「テロ支援国家は大好きだししね」
 日本の近くにある共産主義なのに世襲制の独裁体制でしかも軍隊ばかりに力を入れている国をです。
「あまりにもおかしいから」
「先生もですね」
「うん、厳しくなるんだ」
「どうしてもですね」
「酷過ぎるからね」
「日本の困ったところですね」
「どの国にも困ったところがあってね」
「日本は先生がですね」 
 この人達の世界こそがです。
「まさにね」
「最も困った世界ですね」
「そうだよ、どうしたものか」
「中々簡単には解決しない問題みたいですし」
「日本でも問題になってるよ」
「問題にならない方がおかしいね」
「そうですね」
「僕はそうした人達みたいにはなりたくないよ」
 絶対にと言う先生でした。
「そう思ってるよ」
「先生はそうした人達とは真逆ですから」
 教え上手で紳士で考えもしっかりしているからです。
「安心していいですよ」
「いや、そうした人になりたくないから」
「いつも反面教師にしてですか」
「やっているよ」
「そうですか」
「うん、ああはなるまいってしていくよ」 
 こうお話してでした、先生はトミー達と一緒に憩いの時間を楽しむのでした。春の夜の一時を。




今回は歌会の話になるのかな。
美姫 「どうなるのかしら」
それにしても、先生は多芸だな。
美姫 「確かにね。今度は数学で論文だものね」
和歌とか趣味も色々と増えているみたいだし。
美姫 「どんな話になるのか、次回も待っていますね」
ではでは。



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