『ドリトル先生と春の花達』




        第五幕  小鳥達の言葉

 先生は朝になるとすぐに登校して学園の小鳥達に元気がない様だけれどと聞きました、するとです。
 小鳥の皆はこう先生に言いました。
「ちょっとね、虫の様子がよくないんだ」
「僕達が食べる虫達がね」
「何か春はね」
「今一つなんだ」
「今年はそうなんだ」
「どうにもね」
「それでなんだね」
 先生は皆のお話を聞いて納得しました。
「だから君達もだね」
「何かね」
「今一つ浮かないんだ」
「折角春になったのにね」
「あったかくなって天気もよくなったけれど」
「お花も咲いてるのにね」
 小鳥達もこの春の素晴らしさは満喫していますが。
 それでもとです、こう言うのでした。
「何かね」
「どうにもね」
「気が晴れないんだ」
「御飯が美味しくなくて」
「今一つね」
「ううん、虫の数はどうなのかな」
 それ自体についても聞く先生でした。
「それで」
「それは別に変わらないよ」
「特にね」
「むしろ去年より多いかな」
「そうよね」 
 虫の数自体はというのだ、つまり食べものの量は。
「別にね」
「変わらないよ」
「だから食べる量には困ってないよ」
「そちらは」
「けれど味がね」
「違う感じがして」
「味ねえ」
 虫達のです、先生はこう聞いて思いました。
「それはひょっとしてね」
「ひょっとして?」
「ひょっとしてっていうと?」
「種類かな」
 それの問題ではというのです。
「ひょっとしてね」
「ひょっとして?」
「ひょっとしてっていうと」
「種類かな」
 それの問題ではというのです。
「それは」
「ううん、そうかな」
「いつも食べている種類だけれど」
「蟻とかね」
「他の虫にしても」
「特に変わらないわ」
「そうだよね」
 小鳥達はそこは変わらないというのです。
「そちらは」
「特に」
「それじゃあ虫の環境かな」 
 それではないかとです、先生は考えました。
「虫も環境が変わると身体の感じが変わるから」
「環境っていっても」
「この学園全然変わらないわよ」
「そうだよね、ここ暫くは特に」
「これといってね」
「別に」
「僕もそう思うけれど」
 先生から見てもです。
「それでも何かが変わっていてね」
「それでなんだ」
「虫の味が変わってるんだ」
「そうなの」
「うん、そうじゃないかな」
 これが先生の考えでした。
「やっぱり」
「何か変わってるかな」
「別に変わってないんじゃ」
「これまでとね」
「別に」
「そう思うけれど」
 それでもというのでした。
「僕達も気付かないうちにね」
「そうなってる?」
「ひょっとして」
「そうなっているのかしら」
「そうかもね、まあ君達が実際にどう思ってるかはわかったから」
 だからだというのでした。
「ちょっとこっちで調べてみるね」
「うん、頼むよ」
「先生からもね」
「そうしてね」
「僕達も御飯が美味しい方がいいから」
「虫達がね」
 小鳥達も言います、何はともあれでした。
 先生は学園の虫達について調べて小鳥達にその味の変化についてお話することにしました、ですが。
 研究室に入るとです、いつも一緒にいる皆が聞きました。
「あの、何かね」
「僕達が見ても一緒だよ」
「この学園変わってないよ」
「前とね」
「これといってね」
「そうだね、虫の味が変わってるって」
 これがというのです。
「理由があるけれど」
「何で味が変わるか」
「そこが気になるわ」
「どうにもね」
「そこが」
「お水か土か草か」
 先生がその変化の根拠を求めたのはこうしたものでした。
「そうしたものかな」
「それで変わった?」
「それでなの?」
「変わったの」
「虫の味も」
「同じ種類の生きものでもその食べるものや飲む水、住んでいる環境でね」
 そうしたもの次第でというのです。
「変わるからね」
「だからなんだ」
「虫も味が変わる」
「それじゃあだね」
「その辺りを調べたら」
「わかるんだね」
「うん、ただこれは」
 先生は真剣に考える顔で言いました。
「かなり時間がかかりそうだね」
「学園全体の土やお水を調べるから」
「だからだね」
「草まで調べる」
「そうするから」
「この学園は広いしね」
 このこともあってというのです。
「調べようと思ったらね」
「そうなるんだね」
「かなり時間がかかるんだ」
「じゃあ小鳥さん達に約束したけれど」
「このことは」
「約束は守るよ」
 先生はとても誠実な人です、ですからこのことは絶対だというのです。
「論文それに和歌会のこともしながらね」
「それでだね」
「そちらもやっていくんだね」
「そうだね」
「うん、そうするよ」
 そちらもというのです。
「暇を見付けてね、そしてね」
「じっくりとだね」
「やっていくんだね」
「そうするよ」
「うん、ただ虫の味はね」
 トートーが言うにはです。
「微妙なことで変わるんだよね」
「そうそう、本当にちょっとしたことでね」
 ダブダブも言います。
「変わるよね」
「気温がちょっと違うと」
 ここで言ったのはポリネシアでした。
「味が変わるから」
「今年の三月は寒かったから」
「そのせいじゃないかしら」
 チープサイドの家族も言います。
「それで虫達の味が変わった」
「そうじゃない?」
「ううん、あれだけ寒いと」
 ホワイティも三月の寒さを思い出します、今は暖かくなっていますがそれでもあえて思い出したのです。
「虫の体調も変わるしね」
「僕は虫は食べないけれど」
 それでもとです、ジップは言いました。
「食べものって確かに些細なことで味や匂いが変わるね」
「そうそう、それはね」
 チーチーはジップの言葉に頷きました。
「すぐに変わるね」
「だから虫もね」
 ガブガブも言いました。
「味が変わるんだね、僕も虫は食べないけれどね」 
「まあ気候が原因なら」
 老馬も言います。
「調べるのは簡単かな」
「というか土とか草とかお水の種類は一緒だよね」
「変えてたら変えたって学校のそうしたところから報告あがるよ」
 オシツオサレツはこのことに気付きました。
「だったらね」
「その報告調べたら?」
「うん、そうだね」
 また言った先生でした。
「土や草を変えたかどうか事情を調べよう」
「どういった土を入れたか」
「それをだね」
「調べてそしてだね」
「確かめるんだね」
「うん、そうしてね」
 そのうえでというのでした。
「小鳥君達に話そうね」
「そうだね、それじゃあね」
「今からね」
「そこを調べて」
「そのうえで」
「例えば園芸部が庭園に入れる土とかね」
 そうしたものをというのです。
「調べていこうね」
「よし、それじゃあね」
「今からだね」
「そうしたこと調べよう」
「学園に仕入れている土とか草をね」
「その種類を」
「それが変わっていたら」
 それならというのです。
「味も変わるから、ただ」
「ただ?」
「ただっていうと?」
「うん、何かね」
 また言った先生でした。
「今回の理由は大体わかったよ」
「気候だね」
「そのせいだね」
「寒いから虫の調子も変わっていて」
「味もなんだ」
「うん、変わっていたんだよ」
 こう言ったのでした。
「そのせいだったんだよ」
「よし、謎は解けた?」
「まだそこまでははっきりしないけれど」
「若し学園全体の土や草が変わってないなら」
「そこね」
「気候ね」
「そうだね、しかし思うことは」
 また言った先生でした。
「前から知っていたにしても」
「それでも?」
「それでもっていうのね」
「気候が変わると何かと変わることは」
「このことについては」
「あらためて認識したよ」
 そうなったというのです。
「僕もね」
「若しこの仮定が確かなら」
「それならだね」
「いや、本当にね」
「気候の影響って大きいね」
「そうだよね」
「全くだよ、思うことはね」
 それはというのです。
「気候の影響の大きさだよ」
「ただ暖かい寒いだけじゃなくて」
「虫の味にも影響してね」
「それで小鳥さん達の機嫌も変わる」
「そうなのね」
「そうなるね、まあ些細っていったら些細だね」
 それでもというのです。
「そのことは、けれどね」
「大きいっていえば大きいね」
「そうだよね」
「小鳥さん達にとっては」
「それで小鳥さん達の機嫌に気付く人には」
「大きいわね」
「そう思ったよ」
 こう言うのでした。
「このことについても」
「そして日笠さんのことも?」
「あっ、そうかも」
「そうだよね」
「世界から見れば小さいことでも」
「日笠さんについては大きいね」
「それで先生にとっても」
「また僕のこと言うけれど」
 先生は皆に首を傾げさせつつ応えました。
「けれどね」
「うん、わかってないよね」
「そうだと確信していたけれど」
「やっぱり先生だね」
「学問のことは出来ても」
「ことこういうことはね」
「あとスポーツと家事もね」
「てんで駄目だから」
「うん、昔からスポーツとか家事はね」
 先生はこうしたことは本当にです。
「駄目なんだよね」
「そうだよね」
「昔からね」
「全く出来なくて」
「そして何よりもね」
「恋愛は」
「だってもてたことがないんだよ」
 一度もというのです。
「僕はね」
「うん、それ聞いてるから」
「よく知ってるよ、僕達も」
「先生はそう思ってることはね」
「だから駄目だってことは」
「いやいや、子供の頃からもてたことはね」
 ご自身が思うにはです。
「ないよ。いつも何かと声をかけてもらって親切にしてもらっておやつも作ってもらっているにしても」
「うんうん、先生はね」
「そうでしょうね」
「お友達としてね」
「お付き合いしてるのね」
「お友達になってくれている人は多いんだ」
 そうした人はというのです。
「実際にね、けれどね」
「恋愛は、だね」
「そうした感情を抱いてくれる人はいない」
「そうだっていうのね」
「そうだよ」
 あくまで先生ご自身が思うところはです。
「まあこの外見だから仕方ないね」
「スポーツも出来ないし」
「それでなのね」
「もうそれはわかっているから」
 そう思い込んでいるからです。
「もういいかなってね」
「そこが違うと考えないのもね」
「本当に先生ね」
「イギリスの頃からずっとだから」
「私達と一緒になった時もそうで」
「それで前からもなのね」
「こんな感じなのね」
 それはサラが言っています、サラにしても先生が実は女の人達からも人気があることを知っています。
「やれやれね」
「けれどそこはまあね」
「日笠さん次第?」
「あの人にかかってるわね」
「日笠さんと海に言って」
 先生は日笠さんのことはこう言いました。
「そしてね」
「そして?」
「それからは?」
「うん、和歌のインスピレーションをね」
 それをと皆に答えるのでした。
「得ないとね」
「はい、駄目」
「五十点よ」
「というかもっと点数悪い?」
「和歌だけじゃないから」
「もっと必要でしょ」
「あれっ、そうかな」 
 先生は皆の呆れた返事にかえって戸惑って応えました。
「これで駄目なんだ」
「駄目も駄目過ぎて」
「もう何て言えばいいのか」
「だからそう言うのが先生でね」
「先生らしいにしても」
「今のは不合格よ」
「不合格になったのは体育だけだったよ」
 先生のお返事は相変わらず的を得ないものでした。
「僕はね」
「だからそういうのじゃなくて」
「もっと違うことだよ」
「そこでそう言ったら駄目なの」
「もっと考えないと」
「日笠さんのことを」
「ううん、日笠さんって言われても」
 それでもと言う先生でした。
「皆何が言いたいのかな」
「だからずっと言ってるじゃない」
「それもはっきりと」
「それでわからないんだから」
「先生には困るよ」
「本当にね」
「私達にしても」
「ううん、皆何を言ってるのかわからないよ」
 先生にわかる筈もないです、だから戸惑っているのです。
 ですがその戸惑いは置いてです、先生はちょっと学園の土壌や草、お花や水質についてのここ数年のデータを調べました。
「植物園にあるのを思い出したよ」
「あっ、学園の中の」
「そこにあったんだ」
「そうだったの」
「うん、だからね」
 それでというのです。
「すぐにわかるよ」
「それは便利だね」
「学園の中にある植物園だから調べているんだ」
「この学園に植物園があってよかったわ」
「そこは熱い勝ったね」
「うん、だからね」
 それがあるからというのです。
「今からね」
「調べるので」
「そちらを見て」
「そのうえで」
「うん、今からそうするよ」
 こうお話してでした、そのうえで。
 先生は早速ここ数年の学園の土壌や草やお水についてのデータを見ました、そして見終わってから言いました。
「全部変わってないよ」
「ああ、そうなんだ」
「全然変わってないんだ」
「そうしたものは」
「全部なのね」
「今年のデータは何と一昨日出たものだけれど」
 それもというのです。
「去年までと同じだよ」
「じゃあ虫の味が変わったのは」
「やっぱり気候のせいなんだ」
「寒いからそのせいで」
「それで味が違うっていうのね」
「そうみたいだね、寒いからだね」 
 まさにそのせいでというのです。
「味も変わったんだよ」
「成程ね」
「三月が寒かったからだね」
「虫の味も違ってて」
「小鳥さん達も浮かなかったのね」
「うん、これはね」
 気候のせいならというのです。
「仕方がないね」
「気候のことはどうしようもないから」
「寒いことについては」
「だからだね」
「小鳥さん達にしても」
「うん、暫くは我慢してもらうしかないよ」
 虫の味についてはというのです。
「このことはね」
「それじゃあだね」
「小鳥さん達にそのことをお話する?」
「そうする?」
「後で」
「いや、今日にでもするよ」
 虫の味が違う原因をというのです。
「そうするよ」
「うん、それじゃあね」
「今は我慢して」
「そしてだね」
「そのうえで」
「これからを期待してもらおう」
 虫の味が変わることをというのです、そしてでした。先生はお茶を一杯飲むとそうしてでした。
 お外に出て小鳥さん達にお話します、すると小鳥さん達は仕方ないといったお顔になって先生に言いました。
「そうなんだ」
「寒いせいでなのね」
「じゃあね」
「もう我慢するしかない?」
「土や草やお水のせいでないなら」
「それなら」
「うん、三月が寒いせいだからね」 
 だからだというのです。
「もう仕方ないよ」
「わかったよ、じゃあね」
「今はね」
「虫の味は我慢するよ」
「気候のことならね」
「どうしようもないから」
「寒いのは君達も嫌だったね」
 先生は小鳥さん達自身が寒さについて思っていたであろうことをあえて尋ねました。
「そうだよね」
「うん、やっぱりね」
「このことは嫌だったよ」
「どうしてもね」
「早く暖かくなってほしかったよ」
「本当にね」
「それは虫達も一緒でね」
 それでというのです。
「寒さに我慢していたから」
「味もだね」
「そうなっていたんだ」
「いつもと違っていたんだ」
「そうだよ、けれど最近暖かくなってきているから」
 だからというのです。
「もう少ししたらね」
「虫の味も違ってくる」
「そうなのね」
「暖かくなってきたから」
「そのことは安心してね」
 こう小鳥さん達に言うのでした、こうしてこのことは解決しました。そして先生は研究室に戻りました。
 その先生にです、皆が言いました。
「小鳥さん達も納得してくれたし」
「よかったね」
「納得してくれたみたいだし」
「これでよかったね」
「話が収まったね」
「ただね」 
 ここでチーチーが言いました。
「この三月の寒さはどうしようもなかったね」
「全く、寒さが小鳥さん達の機嫌にまで影響するなんて」
「虫の味が違うからってね」
 チープサイドの家族も言います。
「そこまで影響するなんて」
「想像以上だね」
「やっぱり寒いって嫌だね」
 老馬もその寒さについて思うのでした。
「春がそうだと」
「春は暖かくないと」 
 しみじみとした口調で言うガブガブでした。
「やっぱりよくないんだね」
「全くだよ、日本は特にね」
 ホワイティは日本の春自体について言うのでした。
「桜のこともあるから」
「桜が咲くのが遅れたら」
 ポリネシアはそのケースについても思いました。
「日本人がかなり嫌みたいだしね」
「若し遅れたら」
 桜がとです、ジップはポリネシアと同じことを考えました。
「想像するだけで怖いね」
「日本人の心の花だからね、桜は」
 トートーも言います。
「やっぱり大事だよね」
「大事過ぎて」
 それでと言うダブダブでした。
「この時期テレビでも桜一色になってない?」
「パソコンでも話題に出るし」
「ラジオでもだね」 
 最後にオシツオサレツが言います。
「桜のこと話して」
「今か今かって感じで」
「そう、どうも小鳥君達もね」
 先程の彼等のことをお話に出す先生でした。
「桜を楽しみにしていたみたいだし」
「とにかく桜なんだね」
「日本にいたら」
「イギリスと違ってね」
「日本はそうだね」
「だから余計にね」
 それでというのです。
「寒いと困るんだよ」
「虫の味も変わって」
「そして桜も咲くのが遅れる」
「だからだね」
「暖かい方がいい」
「そういうことだね」
「そうなんだよ、まあ最近暖かいから」
 だからと言う先生でした。
「咲くのは例年通りかな」
「そうなる?」
「だったらいいけれどね」
「日本の人達も安心するよ」
「いつも通りならね」
「これが早くても遅くても困るからね」
 日本人はというのです。
「早いと散るのが早くなるから」
「その分早く見られなくなるから」
「それでなんだね」
「それは嫌なんだ」
「日本人としては」
「そうだよ、それで遅くなるとこれも嫌だし」
 これまでお話した通りです。
「中々難しいんだ」
「日本人もややこしいね」
「桜はいつも通り咲いて欲しい」
「それが早くても遅くても嫌って」
「難しいよね」
「それだけこだわっているんだよ」
 桜に対してというのです。
「日本人はね」
「元々こだわる人達だけれど凄いね」
「桜へのその思い入れは」
「何ていうか尊敬に値するよ」
「そこまで桜に思い入れがあるなんて」
「イギリス人も薔薇好きだけれど」
 ふとです、先生はこのお花を思い出しました。
「日本人の桜への思い入れはそれ以上だよ」
「愛情すらあるよね」
「もうその域に達しているわ」
「桜は第一のお花」
「桜がないと春いや一年ははじまらない」
「そんな感じ?」
「そうよね」
「だからね」
 そこまでだからだというのです。
「桜が咲くのは早くても遅くても駄目なんだ、しかもね」
「しかも?」
「しかもっていうと?」
「それぞれの地域で咲く時期があるんだ」
 そのこともあるというのです。
「南から北に徐々にね」
「咲いていくんだ」
「そうしていくんだ」
「だからそれぞれの地域でなんだ」
「咲くその時期があって」
「それも問題なんだ」
「そうだよ、このことも本当に大事で」 
 それでというのです。
「日本ではそれぞれの地域のこともあるんだ」
「余計にややこしいね」
「地域によって咲く時期が違うって」
「そういえば日本で南北で気候がかなり違うんだ」
「北海道と沖縄ではもう別の国みたいだし」
「そこまで違うから」
「そうしたお国だから」
 それでというのです。
「桜が咲く時期も違うんだ」
「その地域によって」
「そういうことなんだ」
「それじゃあだね」
「それぞれの地域で咲く時期が早くても遅くても駄目」
「いつも通りでないと」
「そこも難しいんだよね、日本人のこだわりは」
 そうだというのです。
「何かと」
「というか凄いこだわりだね」
「全くよね」
「まさに桜の国?」
「少なくとも今の季節は」
「自衛隊もね」
 日本の今の軍隊にあたる組織のお話にもなります。
「よくマークに桜を使うしね」
「あっ、そういえば確かに」
「自衛隊でも使ってるわね」
「何かとね」
「桜使ってるわ」
「マークに」
「だからね」
 それでというのです。
「軍事組織にまで使われているから」
「思い入れが強い」
「そこまで強いということね」
「日本人の桜への思い入れは」
「そうなんだ、いや僕もね」
 こうも言う先生でした。
「このことは日本に来るまでわからなかったよ」
「僕達もだよ」
「このことはわからなかったわ」
「まさかそこまでなんてね」
「まずは桜」
「桜からはじまる国だなんて」
「そうだね、けれど桜もね」
 先生は笑顔でこうも言いました。
「そこまで愛情を込められているとね」
「嬉しいだろうね」
「こんなに愛されているとね」
「桜にしてもね」
「嬉しいよね」
「そう思うよ、幸せなお花だよね」
 実にというのです。
「ここまで想われているお花は少ないだろうからね」
「世界でね」
「本当にそうだろうね」
「ここまでの思い入れになると」
「本当にね」
「ないと思うよ」
 皆も言います、そしてです。
 先生は皆にです、今度はこのお話をしました。
「それで今日のティータイムだけれど」
「うん、何?」
「どうなるの?」
「それで何を飲んで食べるの?」
「飲むのは緑茶でね」
 日本のこのお団子でというのです。
「それで三色団子とういろうと桜餅だよ」
「あっ、そのお餅なんだ」
「桜色で桜の葉で包んだ」
「中に餡子のある」
「あのお餅を食べるのね」
「そしてういろうはね」
 こちらもというのです。
「桜だよ」
「ああ、ういろうもなんだ」
「そういえば三色団子にも桜入ってるしね」
「白、よもぎに桜」
「この三つよね」
「桜尽くしだよ」
 その和風ティーセットだというのです。
「僕も今から楽しみだよ」
「食べるものまで桜尽くしなんて」
「随分といいわね」
「華やかだね」
「贅沢だね」
 先生はにこにことしてこうも言いました。
「今日のおやつは」
「うん、確かにね」
「随分豪勢なおやつよ」
「桜尽くしで」
「季節の味を楽しめて」
「だからこう言ったんだ」
 贅沢と、というのです。
「僕もね」
「確かにそうだしね」
「この組み合わせは贅沢だわ」
「それもかなり」
「華やかなまでに」
「この華やかがね」 
 先生ご自身もというのです。
「贅沢だよね」
「日本の贅沢だね」
「季節の華やかさを楽しむ」
「それも味だけじゃなくて心でも」
「とても贅沢よね」
「この贅沢を満喫するよ」
 ティータイムにというのです。
「是非ね」
「日本の贅沢だね」
「まさにそれね」
「日本の贅沢を味わえるなんて」
「何ていいことなんだろう」
「皆と一緒にね」
 先生は一人で何かを楽しむ人ではありません、勿論皆でなのです。今一緒にいる動物の皆です。
「楽しもうね」
「いつもそうしてくれるのが嬉しいのよ」
「先生は一人で何かを独占する人じゃないから」
「楽しみや贅沢はね」
「僕達もいつも一緒に楽しませてくれるから」
「本当にいいのよ」
「一人で楽しんでも」 
 そうしてもというのです。
「楽しくも面白くもないから」
「だからだね」
「僕達もなんだね」
「一緒に楽しませてくれる」
「そうなのね」
「そうだよ」
 まさにと答えた先生でした。
「トミーも王子も呼んで」
「そうしてだね」
「皆で楽しむ」
「トミーも王子も入れて」
「日本の春の贅沢を楽しむのね」
「うん、けれど日本人の贅沢ときたら」
 まさにとも言うのでした。
「素晴らしいね」
「自然と一つになっていて」
「風流よね」
「その中にいて楽しむ」
「そうした贅沢よね」
「この贅沢ときたら」
 本当にと言う先生でした。
「もう何ていうか」
「特別だよね」
「これ以上はないまでのもので」
「こんな贅沢他にないわ」
「ささやかって言えばささやかだけれど」
「それでいてどんな宝石よりも高価な」
「そうした贅沢よね」
「しかもそうした中で和歌を謡ったりするんだよ」
 先生は和歌のお話もしました。
「これまた贅沢だよね」
「贅沢にさらに贅沢がある」
「それが日本なのね」
「この国なのね」
「そう、誰でも楽しめるけれど何よりも貴重な」
 先生は穏やかですが満喫している笑顔でした、その日本の中にいて。
「そうした贅沢だよ」
「桜餅もお団子もういろうも」
「そして和歌も」
「勿論桜も」
「しかも四季でいつもそうだから」
 春のこの時だけでなく、というのです。
「余計に素晴らしいよね」
「確かにね」
「夏は夏、秋は秋、冬は冬で」
「もっと言えば十二ヶ月の何時でもね」
「自然と一緒になっていてね」
「その贅沢を楽しんでいるわね」
「枕草子でもね」
 この作品についても言うのでした。
「言ってるしね」
「先生が読んでる古典ね」
「清少納言さんの書いた」
「あの古典よね」
「春はあけぼのとかね」
 まずはこの文章からです。
「言うね」
「ああ、先生がこの前読んでた」
「あの本だね」
「清少納言さんだったかな、書いてた人」
「日本の古典だったわね」
「そうだよ、古典でね」
 まさにそれでというのです。
「今で言う随筆なんだ」
「それでその随筆の文章なんだね」
「春はあけぼのだね」
「そう言ってるんだね」
「うん、春は明け方ってことなんだ」
 その言葉の意味はというのです。
「清少納言さんによるとね」
「明け方ねえ」
「つまりお日様が昇る時だね」
「その時が一番いいっていうのね」
「そうだよ、けれどね」
 先生はその春の明け方についてこう言いました。
「僕は日の出前より起きるってね」
「うん、僕達もね」
「殆どないわよ」
「大抵起きるのは六時」
「トミーもそれ位で」
「もうお日様上がってるわよ」
「春だとね」
「そう、だからね」
 それでというのです。
「その言葉を実感することは少ないね」
「春は明け方っていうことは」
「どうしてもだね」
「まあ何ていうかね」
「明け方に起きる人なんていないね」
「今はね」
「そうだよ、昔の日本人は早起きの人が多くてね」 
 清少納言さんだけでなくです。
「日の出を見るならわしがあったんだよ」
「つまりその頃には起きていたんだね」
「そうだったのね」
「それで起きて一日をはじめていた」
「凄い朝方だね」
「このこと前にもお話したけれど」
「あらためて凄いって思うね」
「うん、今もお仕事で早起きの人が多いし」
 このことは学生さんもです、中には本当に暗いうちから起きている人がいたりするのです。
「日本人は今でもね」
「早起きの人が多い」
「そういうことね」
「そうだよ、だから春の明け方をね」 
 そのよさをというのです。
「知っている人も多いよ」
「今の日本人でも」
「それは凄いね」
「僕達はそこまで早起きじゃないけれど」
「そうした人達もいるってことね」
「うん、けれど六時起きでもね」 
 明け方ではなくてもです。
「春の良さは実感出来るからね」
「食べてもね」
「そうだよね」
「その通り、じゃあ食べよう」
 是非にというのです。
「今日はそれをね」
「お団子と桜餅とういろう」
「桜の和風ティーセットを」
「僕達皆で」
「うん、食べてね」
 まさにそうしてとです、笑顔で言ってでした。
 先生はこの日はお茶を飲んで和風ティータイムも楽しむのでした。日本の春の楽しみの一つを。



虫の味か。
美姫 「流石にそれは私たちには分からないわね」
だな。でも、その原因も先生が。
美姫 「特に大きな問題もなかったしね」
だな。次回はどうなるのか。
美姫 「次回も待っていますね」
ではでは。



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