『ドリトル先生と奈良の三山』




                第十幕  天理の神殿

 先生達は天理市に来ました、そうして瓦の屋根の五階や六階建ての大きな建物達を見てぎょうてんしました。
「何、この建物」
「無茶苦茶大きいじゃない」
「日本風の建て方で」
「とても独特ね」
「これが天理教の建物なんだ」
 先生は驚く皆にお話します。
「おやかたって言って天理教の神殿本部を囲む様に建てられていってるんだ」
「そうなの」
「これおやかたっていうの」
「そう呼ばれてるのね」
「そうだよ、そしてあれがね」
 先生はここで皆に南の方を指し示しました、すると右手にはおやかたと同じ瓦の屋根の建物左手にはキャンバスがあります。
「天理高等学校、右手にあるのがね」
「ああ、あの高校野球で有名な」
「ラグビーや柔道でも有名ね」
「あと吹奏楽とか雅楽とか弦楽でもね」
「何かと有名な学校よね」
「左手にあるのが天理大学だよ」
 キャンバスの方も指し示してお話をするのでした。
「あちらがね」
「あの大学も有名よね」
「凄く大きな図書館があって」
「色々な本があるのよね」
「そうだったわね」
「そう、そして僕達が今見ているおやかたは天理博物館だよ」
 そこのお話もするのでした。
「ここには世界のあちこちから集められた色々な資料があるんだ」
「じゃあここに入ってもね」
「学問が出来るのね」
「そうなのね」
「そうだよ、だからね」 
 それでというのです。
「僕も機会があればね」
「この博物館に入ってね」
「色々な資料を見たい」
「そうなのね」
「そう考えているよ」
 こう動物の皆にお話しました。
「今はそこまでの時間がないけれど」
「そうだね、じゃあこれからね」
「あそこに行くのね」
「皆で」
 前、北の方を見れるとです。そこには。
 黒い大きな門の向こうに日本の神社を思わせる建物があります、その建物を見て皆はまた驚いて言いました。
「何、あれ」
「大きいなんてものじゃないわよ」
「あれ神殿?」
「あんな大きな神殿ないでしょ」
「大三輪神社より大きいじゃない」
「あれは何なのかしら」
「あれがその天理教の神殿なんだ」 
 先生は皆ににこりと笑ってお話しました。
「神殿本部というけれどね」
「ふうん、そうなの」
「あの神殿がなのね」
「天理教の神殿なの」
「そうなの」
「そうなんだ、今からあそこに行くからね」
 こう言ってそしてでした。
 先生は皆をその天理教の神殿に案内しました。黒い大きな門を潜ってそうして天理教の神殿の前まで来ますが。
 その大きさにです、皆あらためて驚いて言いました。
「うわ、間近で見ると」
「余計に大きいね」
「大きいっていうかね」
「巨大だよね」
「そうだよね」
「これは」
「そういってもいいよ」
「本来は動物は入られないけれど」
 そでもというのです。
「今は皆も入られるからね」
「他のお寺とか神殿もね」
「お城とかだってそうなのよね」
「けれど僕達も先生と一緒だからね」
「こうして中に入られるのよね」
「うん、僕のことは日本でもよく知ってもらっていてね」
 それでなのです。
「僕が説明すればね」
「僕達も通してくれるね」
「先生の家族ってことね」
「本来は入られないけれど」
「先生と一緒ならね」
「だから安心してね」
 そうしてというのです。
「今から行こうね」
「そうしようね」
「これからね」
「神殿の中にも入って」
「そうして参拝させてもらおうね」
「ところで先生」
 老馬が神殿に参拝をしに入る人や出る人達を見て先生にこんなことを言いました。
「法被着てる人多くない?」
「あっ、そういえばね」
「そうね」
 チープサイドの家族も気付きました、見れば実際に黒い前に天理教とか何処かの大教会と書かれた法被を着ている人が沢山います。
「八条学園の中の天理教の教会の人も着てるね」
「あの黒い法被は」
「前から思っていたけれど」
 チーチーは首を傾げさせて言いました。
「あの法被は天理教の法被だよね」
「何であの法被なのかな」
 ガブガブも首を傾げさせています。
「前から不思議に思っていたけれど」
「日本の宗教だからかしら」
 ポリネシアはこう考えました。
「法被なのかしら」
「色が黒なのも独特だね」
「そうだよね」
 オシツオサレツもお話をします。
「汚れが目立ちそうにもないし」
「洗濯もしやすそう」
「天理高等学校で書かれてる法被着てる女の子がいるわね」
 ダブダブはそうした娘に気付きました。
「何か小柄で可愛い娘ね」
「あっ、他にも大教会や所属が書いてあるよ」
 ジップは法被の白い文字をよく見て気付きました。
「そうしたこともわかるんだね」
「何か法被ってあれだね」
 最後にホワイティが言いました。
「天理教を象徴するものの一つだね」
「うん、あの法被は天理教の象徴みたいなもので」
 実際にこう答えた先生でした。
「どの大教会か勤めている場所かもわかるんだ」
「それで着ていると暖かいよね」
「寒い時とか着ると」
「しかも動きやすいし」
「すぐに洗濯も出来るし」
「だからいいんだ、この天理市にいると」
 まさにというのです。
「法被着ている人を見ないではいられないね」
「そうみたいだね」
「神殿にも沢山いるし」
「他の場所も行き来していて」
「法被あってこそね」
「そうだね、じゃあね」
 こうお話してそしてでした、先生はまた皆にお話しました。
「これから中に入ろうか」
「うん、神殿の中にね」
「そうしましょう」
「これからね」
「是非ね」
 皆も先生の言葉に頷いて神殿の中に入ります、まずは靴を脱ぐ場所で靴を脱いでそうしてからでした。
 皆で神殿本部に入るとです、真ん中に台がある畳の神殿に入りました。するとその台を囲んで沢山の人が手を合わせていました。
 その台を見てです、皆は言いました。
「あの台何かな」
「近くに太鼓とか日本の楽器もあるけれど」
「あれ何?」
「何か凄く大事そうなものだけれど」
「あれはかんろだいというんだ」
 先生は皆にここでも答えました。
「あの場所に天理王命、天理教で親神様という神様がおられてね」
「そうなんだ」
「じゃああそこに神様がいて」
「あのかんろだいにも何かあるの」
「そうなの」
「人が神様の望むようきぐらし、心が豊かな生活を送れる様になればね」
 その時にというのです。
「あそこに甘いお水が降りると言われているんだ」
「ああ、それを受けるんだ」
「その為の台なの」
「だからあそこにあるのね」
「かんろだいっていうものが」
「本来は石造りだけれどこのことは色々あってね」
 天理教の歴史の中にです。
「今は木なんだ」
「本当はそうなのね」
「石造りの予定なの」
「そうしたこともあるんだ」
「天理教には」
「うん、じゃあまずはお参りをして」
 そうしてというのです。
「またね」
「うん、じゃあね」
「それから他の場所を巡る」
「そうするのね」
「そうしようね」
 是非にとお話してそうしてでした。
 先生は実際に神様の神殿から通路に出ました、その通路は見事な木造りのものですが皆はその通路を進みつつ気付きました。
「これ檜だね」
「この神殿全部檜よね」
「これだけ立派な檜の建物ってね」
「日本にもないよね」
「そうそう」
「うん、この檜も用意されていてね」
 そしてというのです。
「山があって」
「その山からだね」
「檜を取り寄せて造られているのね」
「そうなのね」
「そうだよ、これだけの檜を用意するのも大変だけれど」 
 それでもというのです。
「ちゃんとね」
「手配してなの」
「造られているのね」
「そう、そしてこの通路を使って神殿を一周して回るとね」
 そうすると、というのです。
「その人の運気が上がるらしいよ」
「神様のご守護を受けて」
「それでかしら」
「そうだよ、この神殿は風水的にも立派らしくて」
 それでというのです。
「その意味でも素晴らしい場所なんだ」
「そうなのね」
「じゃあここも回って」
「そうしてなのね」
「僕達も運勢を上げていくべきなんだ」
「そうしようね、皆で」
 こうお話をしてそしてでした。
 皆で通路を進みます、すると時々通路を屈んで拭いている人を見ますが先生はこの人達のお話もするのでした。
「回廊ひのきしんっていってね」
「ああ、通路を拭く」
「そうしたこともするんだ」
「ひのきしんって奉仕っていうかボランティア?」
「他の宗教とかだとそうなるっていうけれど」
「まあそう言っていいね」
 実際にと答えた先生でした。
「ひのきしんはね、キリスト教の考えだと」
「そのことをしてるの」
「回廊を拭いて奇麗にして」
「それでなんだ」
「務めているの」
「そうだよ、これは誰でも出来るからね」
 先生は皆ににこりと笑ってお話しました。
「僕達も機会があれば」
「うん、拭かせてもらおう」
「私達なりにね」
「そうさせてもらおうね」
「さて、次はね」
 さらにお話した先生でした。
「教祖殿に行くよ」
「教祖さんをお祀りした場所ね」
「ああ、あそこね」
「あそこも立派な場所ね」
「お参りしている人もいるし」
「そう、あそこにもお参りするよ」
 皆でというのです、こうしてです。
 皆で実際にお参りする為に教祖殿に入りました、そこで先生は全体的に何処か赤い感じのする赤いものはない筈ですがその場所において皆にまたお話をしました。
「天理教では教祖様は生きているというお話だからね」
「あっ、そうなの」
「お亡くなりになってなくて」
「そうなの」
「生きておられるの」
「お身体はないけれどね」
 それでもというのです。
「魂はまだこの世にあってね」
「あっ、それでなのね」
「日本独特の考えね」
「生まれ変わりもあるけれど」
「魂もある」
「そうなのね」
「そう、そしてね」
 そのうえでというのです。
「今も人を助けて回っているとされているんだ」
「そうなの」
「魂になってなのね」
「生きておられて」
「それで人を助けておられる」
「そうした人なの」
「お身体をなくした時は九十歳だったんだ」
 そのお歳でというのです。
「本来は百十五歳、天理教で言われている人の寿命は心を確かにして生きていればそれだけになるけれど」
「二十五年ね」
「二十五年縮まって」
「それでなの」
「そう、魂だけになって」
 先生は天理教の教祖様のことを皆にわかりやすい様にお話していきます。
「今はね」
「世界のあちこちを回って」
「人を助けて回ってる」
「凄い人ね」
「キリスト様やお釈迦様みたい」
「そうした方なの」
「そう思っていいよ、八条学園を経営している八条家は天理教の人だけれど」
 このことにもお話をしました。
「信仰を持っているのもわかるよ」
「うん、いい教えでね」
「それで教祖様も素晴らしい方で」
「だからなのね」
「八条家の人達も信心しているのね」
「そうなるよ、あとここは赤い感じがするね」
 先生もこのことを感じ取っていました。
「何かね」
「そうそう、不思議とね」
「優しい赤って感じよ」
「派手じゃなくて親しみやすい」
「そんな気がするわ」
「それは教祖様が赤い服を着ているからだよ」
 そのせいでというのです。
「天理教では教祖様の色は赤だからね」
「だからなのね」
「照明が何処か赤い感じがするけれど」
「それ以上に赤を感じるのは」
「それはなのね」
「赤いのね」
「その感じがするんだ」
 皆わかりました、どうして教祖殿の中が赤い感じがするのは。そのこともわかってなのでした。そうしてです。
 皆は一緒にです、教祖殿での参拝を終えてそうしてでした。次は。
 また廊下を通ってでした、これまでよりは少し小さめでそれでいて開かれた感じの場所に来ました。そこはといいますと。
「ここは祖霊殿だよ」
「そうなの」
「神様、教祖様と続いて」
「今度はご先祖様の霊なのね」
「そうした人達が祀られているの」
「うん」
 こう皆にお話しました。
「そうした場所なんだ」
「ご先祖様も大事にする教えなのね、天理教って」
「神様に教祖様に」
「さらに」
「ご先祖様は大事にするのは多くの宗教でもそうで」
 そしてというのです。
「天理教でもそうでね」
「こうして祀られていて」
「皆こちらにもお参りしているの」
「そうなのね」
「そうだよ」
 まさにというのです、ここでも人がお参りしています。
「それじゃあ僕達もね」
「うん、お参りしようね」
「この祖霊殿でもね」
「そうしてね」
「全部お参りして」
「回廊も一周しましょう」
「そうしましょう」
 皆も先生に賛成してそうしてでした。
 祖霊殿でもお参りをしてです、それを終えてから皆で靴脱ぎ場に戻っていきます。そうして一周しますと。
 皆ふとです、こう言いました。
「ううん、こうして一周したら」
「結構な距離あるわね」
「そうよね」
「一キロ近くある?」
「それ位は」
「長かったわね」
「運動と言ってもいい距離だったよ」
 こう言うのでした。皆で。
「それだけの距離で」
「歩いていてね」
「何か確かに心が清らかになって」
「参拝もさせてもらって」
「すっきりしたわ」
「距離も歩いて」
「そう、この神殿の通路は結構距離もあるんだ」
 先生もこうお話します。
「実際にね」
「一キロ近くあって」
「歩くと運動にもなる」
「そうした場所でもあるのね」
「回廊ひのきしんになると」
 それこそというのです。
「もうそれこそね」
「大変そうね」
「一周したら」
「廊下には段差もあるし」
「上がる時辛いわよ」
「そうよね」
「そうだね、けれどさせてもらっている人達を見ていると」
 特にお顔を、です。
「清々しくて明るいね」
「うん、とてもね」
「素晴らしいことをさせてもらってる感じね」
「スポーツをしているみたいな」
「そんな風ね」
「ひのきしんというけれど」
 そのひのきしんにも思う先生でした。
「かなり気持ちよく明るくさせてもらうものってことがね」
「よくわかるね」
「素晴らしいことをさせてもらっている」
「そういえば強制されてするものじゃないし」
「自分から進んでするものだから」
「明るくね」
「笑顔でさせもらってるのね」
「そうだね、神戸に帰ったら」
 その時のことをまた思う先生でした。
「天理教の教会にお邪魔してね」
「そうしてだね」
「天理教のことを聞かせてもらうのね」
「そうするのね」
「そうさせてもらうよ。お寺も神社もね」
 どちらもというのです。
「お邪魔して」
「そうしてね」
「お話を聞かせてもらうのね」
「仏教のことも神道のことも」
「奈良で学んだことから」
「そうさせてもらうよ、いや天理にも来て」
 そうした結果というのです。
「よかったよ」
「そうよね」
「天理教のことも学べたし」
「この神殿にお邪魔して」
「そうしてね」
「そうだね、何ていうか」
 また言った先生でした。
「僕は天理教の神様にここに連れて来てもらったのかな」
「だから天理に来てね」
「こうしてお参りもしたのね」
「そうかもっていうのね」
「そう思うよ。じゃあ参拝の後は」
 靴を履いて階段を降りつつ言う先生でした。
「ラーメンを食べようか」
「あっ、天理ラーメンね」
「確か彩華っていうお店の」
「あのラーメン食べるのね」
「そうするのね」
「そうしよう、ちょっと晩御飯には早いけれど」
 それでもというのです。
「食べようね」
「奈良は天理ラーメンも有名ね」
「今は奈良名物の一つって聞いてるよ」
「じゃあ皆でそのラーメン食べよう」
「今からね」
「そうしよう、辛くて美味しいよ」
 その天理ラーメンのお店に行くことになりました、先生は皆と一緒に神殿を後にしてそうしてでした。
 商店街に入りましたがその商店街を進んで皆また言いました。
「長くない?」
「結構以上にね」
「先が見えない感じで」
「こんな長い商店街そうそうないよ」
「ちょっとね」
「この商店街のことも聞いていたけれど」
 先生も言います。
「実際に入るとね」
「凄いね」
「この長さは」
「何かお店の一つ一つが大きい感じがするし」
「そういえば小さなお店ないね」
「大きなお店ばかりよ」
 普通の商店街に比べてです。
「ここは」
「天理教のものを売っているお店もあるし」
「本とか楽器をね」
「こうしたところで買って学べるのね」
「天理教のことを」
「そうだね、こうした本も持ってるけれど」 
 先生は八条学園で買っています、この学園の大学に宗教学部があるのでそこで購入出来るからです。
「ここに来るとね」
「何時でも買えるのね」
「それも色々な本がありそう」
「いい太鼓とか笛とか琴も売ってて」
「天理教のものなら何でも買えそう」
「それで揃えられるわね」
「そうだね、ここはね」
 実際にと言った先生でした。
「まさに天理教の中心だから」
「商店街も天理教のものが多い」
「そうしたものを売っているお店も」
「まさに天理教の街ね」
「宗教の街ってことね」
「日本人は宗教への関心が薄いというけれど」
 俗に言われる言葉ではあります。
「けれどね」
「あながちそうも言えない」
「そういうことね」
「少なくともここは違うわね」
「信仰心のある人が多くて」
「それでよね」
「日本人も信仰があるってこともわかるわね」
 皆もわかりました、その言葉はあながち言えないということも。
「ここにいると」
「じゃあ今からね」
「天理ラーメンを食べに行こう」
「そうしよう」
 こうお話してでした、そのうえで。
 先生達はその天理ラーメンのお店に入りました、注文したラーメンは唐辛子等で辛く味付けされてです。
 細めの麺の縮れた感じの麺に赤が入った茶色のスープ、お野菜とお肉が多めに入っています。皆はそのラーメンを見て言いました。
「これ何かね」
「確かに辛そうね」
「このお野菜はキムチかな」
「そんな感じするよね」
「カウンターにおろし大蒜もあるし」
「この大蒜も入れていいのね」
「胡椒以外に」
「そうだね、じゃあ大蒜も入れて」
 先生も応えてでした、そのうえで。
 胡椒も大蒜を入れて皆と一緒にラーメンを食べます、そのお味はといいますと。
「あっ、細めの麺に辛さが程よく絡まっててね」
「美味しいわ」
「辛いのがいいね」
「このラーメンって」
「そうだね、これはいいね」
 笑顔で応えた先生でした。
「名物になるだけはあるよ」
「量も多いし」
「それでももう一杯いけそうね」
「確かに晩御飯には少し早いけれど」
「ここで食べるのもいいね」
「こんなに美味しいし」
「それにどうせまた飲むし」
 皆は笑ってこちらのお話もしました。
「夜には」
「そうそう、楽しくね」
「やっぱり飲むしね」
「じゃあいいね」
「今食べても」
「こうした辛いラーメンもあるのね」
 ダブダブが言いました。
「日本には」
「それぞれのラーメンがあるよね」
 チーチーも言います。
「それぞれの場所で」
「そうそう、博多だと豚骨でね」
「麺も細めで」 
 チープサイドの家族はこちらのラーメンの話題を出しました。
「あれも名物でね」
「やっぱり美味しいよね」
「北海道のラーメンも美味しかったよ」
 ガブガブはこちらのラーメンを思い出しました、北海道に行った時に食べたあのラーメンをです。
「濃厚な感じでね」
「あちこちにラーメンがあるけれど」
 ジップも言います。
「それぞれの味があってね」
「奈良にもラーメンがあって」
「この天理ラーメンだね」
 オシツオサレツも言います。
「独特の味があって」
「辛口で食欲がそそられるね」
「スープもね」
 ホワイティはラーメンのそれを飲んでいます。
「いい味だよ」
「鶏ガラかな」 
 トートーもそのそのスープを飲んでいます。
「辛く味付けしていてダシもいい感じと取ってるよ」
「スープも麺もいい感じで」
 ポリネシアは両方を楽しんでいます。
「奈良の名物として看板になるのも道理ね」
「ううん、こうして食べてると」
 最後に老馬が言いました。
「また一ついいラーメンを知ったって思って嬉しくなるね」
「日本人はラーメンも好きだからね」
 かく言う先生も大好きになっています、だから今食べながらそのうえで二杯目もと考えていたりします。
「色々なお店のラーメンを食べるのを趣味にしている人もいるよ」
「ラーメンマニアね」
「日本人ってそちらのマニアもいるよね」
「何でもマニアがいる国で」
「それでよね」
「日本人にはそうしたマニアもいてね」
「凝ってるのよね」
 皆も食べながら言うのでした。
「ラーメンについても」
「カレーもそうだけれどね」
「ラーメンにも凝りに凝って」
「日本全国にそれぞれのご当地ラーメンがあって」
「そしてそれぞれのお店にもあるのよね」
「そのお店だけのラーメンが」
「それも凄いよ、この凝り性が」
 まさにと言った先生でした。
「日本という国を形成している一つだね」
「そうそう、どうもね」
「日本ってそうした国だよね」
「マニアで凝り性で」
「何でもこだわるから」
「凄いものが出来るのよね」
「この凝り性が何でも向けられるから」
 それでというのです。
「日本は凄いね、他のお国から入ったお料理も」
 それもというのです。
「こうしてアレンジもされるしね」
「あっ、ラーメンって元々は中国よね」
「中国の麺が入ってね」
「それでこうなったのよね」
「日本人がアレンジしていって」
「そう、最初は徳川光圀さんが食べたと言われているよ」
 あの時代劇で有名な水戸黄門様です、お殿様としても有名な人でした。
「そして明治の頃にお店が出来ていったんだ」
「ああ、あの頃になんだ」
「お店が出て来たの」
「それで広まったの」
「そうだったの」
「そうだよ、夏目漱石さんも食べていたそうだよ」
 その明治の頃の文豪です、日本では誰もが知っている作家さんの一人です。
「当時はその頃の中国の呼び名で志那そばと言われていたんだ」
「そういえば中華そばって言葉あるね」
「たまに聞くわよね」
「中国の麺類だからなのね」
「それで中華そば、志那そばなのね」
「そう、戦争までの日本では中国を志那と呼んでいたからね」
 先生はこのことも知っています。
「これは別に差別用語でもないからね」
「普通に使われていたのね」
「そうだったの」
「大学でも当時は中国語学科じゃなかったんだ」
 語学部でもというのです。
「東京外国語大学でも八条大学でも最初は清語学科で清が倒れてね」
「志那語になったのね」
「その表現になったの」
「公の呼び名で差別用語なんて使わないから」
 このこともしっかりとお話する先生でした、ラーメンを食べつつ。
「そのことからもわかるね」
「うん、よくね」
「そういうことね」
「いや、そのこともわかったよ」
「ラーメンの呼び名一つにも歴史があるんだね」
「ラーメン自体にも歴史があって」
「それもまた面白いからね」
 ラーメン、ひいては食べものの歴史もというのです。
「調べていくと」
「そうみたいだね」
「いや、ラーメンも一日にしてならずだね」
「そこには歴史がある」
「そうなんだね」
「そうだよ、しかし多分明治時代のラーメンは違っていたよ」
 そうだったというのです。
「こうした味だったかっていうと」
「違ったいたんだ」
「夏目漱石さんが食べていたラーメンは」
「また違うんだ」
「そう、これは天理のラーメンだしね」
 この街で生まれたラーメンだというのです。
「漱石さんは東京にいたね」
「確か代々江戸っ子よね」
「あちらに住んでいたのよね」
「愛媛にはお仕事で行っていて」
「イギリスにも留学されていたけれど」
「元々は東京の人で」
「あちらのラーメンを食べていたのよね」
「そうだったのね」
 皆も頷くのでした。
「東京のラーメンはお醤油ね」
「結構シンプルなラーメンみたいね」
「私達東京には縁が薄いけれど」
「どうにも」
「そう、僕もあまりね」
 先生にしてもです、東京については。
「縁がないね」
「愛媛も北海道も沖縄も行ってて」
「関西はしょっちゅうだけれどね」
「それでもよね」
「こと東京については」
「関東自体について」
「そう、だからラーメンもね」
 東京のそちらもです。
「あまり知らないね」
「うん、ちょっとね」
「具体的にどんなのか」
「東京自体に縁が薄くて」
「しかも当時のラーメンは」
 明治の頃はです。
「百年以上昔だしね」
「調味料とか調理器具も違うし」
「もっと言えば食材も」
「だったらね」
「もう全然違うラーメンね」
「それこそ」
「そうだよ、漱石さんは絶対にこのラーメンも知らなかったし」
 先生はここで一杯目を食べ終えました、そして二杯目となりました。
「九州のラーメンも北海道のラーメンも」
「ご存知なかった」
「食べたことがなかったのね」
「そうだったんだね」
「うん、ある筈がないよ」
 到底というのです。
「残念ながらね、北海道にもいたことがあるけれど」
「あの北海道にも行ってたの」
「それでおられたことがあったの」
「色々行ってる人ね」
「まあ結構波乱万丈な人生だったかな」
 漱石さんについてこうも言った先生でした。
「結核で苦しんだり被害妄想に悩んだり胃潰瘍にもなったりしてね」
「本当に色々だったのね」
「あの人は」
「平穏無事な人生だったかというと」
「違ったのね」
「そう、それで小説だけじゃなくて」
 小説家として有名な人でもです。
「俳句とか漢詩も書いているから」
「あれっ、俳人でもあったんだ」
「漢詩っていうと詩人でもあったの」
「そうだったの」
「そうだよ、元々先生でイギリス留学までさせてもらっていた有望な知識人だったからね」
 それが漱石さんだったというのです。
「俳句も漢詩もね」
「どちらも出来ていて」
「詠んでおられたの」
「そうした方だったの」
「そうだったんだ、まあ奈良とはあまり縁がない人だね」
 愛媛や北海道、イギリスはともかくとしてです。
「一度志賀直哉さんが住んでいたけれどね」
「あっ、城の崎にての」
「あの作品の人ね」
「あの人が奈良にいたことがあるって」
「先生前にお話してたね」
「そうだったんだ、まあラーメンにも漱石さんにもね」
 どちらにもというのです。
「歴史があるんだ」
「そういうことだね」
「奈良県は歴史の宝庫で」
「ラーメンにも歴史があって」
「漱石さんもなのね」
「そうだよ、このラーメンにしてもそうで」
 二杯目も美味しく食べる先生でした。
「そうしたことを調べて学ぶのも楽しいね」
「全くだね」
「じゃあ夜は奈良に戻って」
「そうしてよね」
「飲みましょう」
「またね」
「そうしようね、しかし奈良はね」
 また言った先生でした。
「昔は名物料理とか美味しいものはないって言われたけれど」
「今は違うのね」
「この天理ラーメンだってそうで」
「他にも名物がある」
「お菓子だってそうね」
「そう、お菓子も名物が増えて」
 そうしてというのです。
「食べものも美味しい場所になったよ」
「お素麺もあるしね」
「西瓜だって」
「そう考えると奈良も変わったね」
「歴史だけじゃなくなったのね」
「そうだね、食べものも楽しめる」
 本当にというのです。
「いい場所になったよ」
「全くだね」
「聖徳太子さんも喜んでくれてるかしら」
「奈良に美味しい食べものが増えて」
「鑑真さんもね」
「ははは、そうだといいね」」
 笑顔で応えた先生でした。
「皆が喜んでくれてるなら」
「美味しいものも増えて」
「そうしてね」
「当時は絶対になかったけれど」
「奈良時代のお料理も楽しめるしね」
 その頃のお料理もです。
「あの蘇だってそうだし」
「昔のチーズもね」
「昔のお酒も今のお酒も飲めるし」
「そちらもいいわね」
「全くだよ」
 皆も笑顔で応えます。
「じゃあ今はね」
「このラーメン食べましょう」
「二杯目もね」
「そうしましょう」
「是非共ね」
 先生も笑顔で応えてそうしてでした。
 その二杯目も食べて満足したうえでお店の外に出ました、すると商店街にも法被を着た人が行き来していまして。
 あるおばさん達のお話を聞いて先生は言いました。
「あの人達は津軽の人達だね」
「法被に津軽大教会って書いてるわね」
「本当に津軽の人みたいね」
「あちらのね」
「うん、あの方言はね」
 まさにというのです。
「津軽だよ」
「青森県よね」
「青森の北ね」
「本州の北の北」
「そこね」
「そこの方言だね、あとね」
 今度は別の人達の方言も聞きました。
「熊本の人達もいるね」
「熊本大教会ね」
「今度は法被にそう書いてあるわ」
「九州の熊本の人達もいるのね」
「そういえば高知の人もいるわよ」
「高知大教会って書いてあるよ」
「日本全国から人が集まる場所だからね」
 この天理市はというのです。
「方言もそうだね」
「いや、津軽に熊本って」
「全然正反対の場所だけれど」 
 日本の中で、です。それぞれ南北にかなり離れています。もっと言えば東西でも結構な距離になっています。
「この街では一緒におられるのね」
「それぞれの人達が」
「そうなのね」
「うん、日本全国から信者さんが集まる場所だから」
 それ故にというのです。
「ここはね」
「こうしたこともあるのね」
「滅多にないことよね」
「津軽の言葉も熊本の言葉も同じ時に同じ場で聴ける」
「高知の言葉も」
「高知の言葉も独特だね」
 そちらの方言もというのです。
「そうだね」
「うん、かなりね」
「坂本龍馬さんのお国よね」
「高知っていうと」
「そうだね、高知もね」
 先生は高知と聞いてそこのことも思うのでした。
「機会があれば行きたいね」
「そう言うんだ」
「坂本龍馬さんのお国にも」
「あちらにも」
「うん、四国は行ったけれどね」
 愛媛です、先生にとっては素晴らしい経験の一つです。
「高知にも行きたいね」
「確か鰹だったよね」
「高知はそうだったね」
「そうだよ、鰹も食べたいしね」
 高知名物のそれもというのです。
「是非ね」
「一度だね」
「あちらにも行きたいんだね」
「先生にしても」
「うん、そう思うよ。漁師の場所にもね」
 鰹だからこう言うのでした。
「是非」
「そうね、奈良に海の漁師さんはいないけれどね」
「どうしてもね」
「そこは仕方ないよね」
「そう、海がないからね」
 だからと言う先生でした。
「どうしてもそうなるね、それと天理教のことだけれど」
「天理教がどうかしたの?」
「また神殿にお参りするの?」
「そうしようかな、奈良に戻る前に」
 もう一度というのです。
「そうしてもいいね、ただ思ったことがあってね」
「天理教について」
「何を思ったのかな」
「山の民の話をしたけれどね」
 こちらの人達のお話も交えてお話するのでした。
「飛鳥時代、奈良時代と農耕文化に基づく政権が形成されていったよね」
「そうそう、田んぼからね」
「お米からね」
「お米を作ってね」
「農業を営んで定住をしてね」
「そこから政権を形成していったね」
 動物の皆もこれまで見てきてそれはわかっています。
「飛鳥時代からね」
「僕達そういうのも学んできたね」
「日本の土台には農業、お米がある」
「稲作から出来た国ね」
「他の多くの国でもそうだけれどね」
「農業文明の国だね」
「そう、そしてね」
 さらにお話する先生でした。
「天理教は完全に農業の宗教だね」
「あっ、そうなんだ」
「天理教はそうなんだ」
「ユダヤ教やキリスト教は遊牧から出ているものが多いけれど」
「天理教は完全にそうなんだ」
「うん、天理教の経典の類を読んでいるとね」
 この宗教の学問をしていると、というのです。
「農業や大工の教えが土台になっているからね」
「それでなんだ」
「農業の宗教なんだ」
「そうして大工さんもなの」
「大工さんなのは天理教の創成期にかなり貢献した人で大工さんだった人がいてなんだ」
 だからだというのです。
「その人の影響が強いんだ」
「そうだったの」
「それで大工さんの教えも入っている」
「そうだったのね」
「そして本当に農業の教えが強いのは」
 またこのことをお話するのでした。
「日本が農業社会だったからだよ」
「この天理市もね」
「よく見たら今も田んぼが多いしね、ここ」
「そういうのを見たら」
「天理教が農業の宗教なのも当然なのね」
「日本で生まれた宗教だから」
「そうだよ、天理教は農業と大工の宗教だね」
 また言った先生でした。
「このことはよく覚えておくよ」
「先生もなのね」
「キリスト教やユダヤ教とはまた違う」
「日本の宗教ってことね」
「そう、日本は確かに山の人達もいたけれど」
 それでもというのです。
「農業社会よね」
「そうよね」
「神道もそうだしね」
「農業の宗教だし」
「特に稲作の」
「天理教もだよ、天理教と神道はまた別の宗教だけれど」
 先生はこのこともわかっています、天理教と神道はまた別の宗教だということを。同じ日本の宗教でもです。
「農業、稲作が土台にあるよ」
「成程ね」
「天理教はそうした宗教ってことね」
「そういえば教祖さんは女性だし」
「そこもユダヤ教やキリスト教とは違うし」
「天理市にいても女の人が多いし」
 今も法被を着た人達の半分以上が女の人です。
「神道も天照大神は女神様だし」
「女神も多いしね」
「それで天理教もね」
「教祖さんが女の人で」
「女の人も強いのね」
「そう、女の人の教会長さんも普通だしね」
 天理教ではです。
「それは女の人も働く農業文化からだね」
「そのことも農業が影響しているんだ」
「天理教は農業の宗教で」
「だから女の人も強い」
「そうした宗教なのね」
「そうも思うよ、天理教の論文もまた書く予定があるし」
 だからというのです。
「そちらも学んでいくよ」
「じゃあ今日ここに来てよかったね」
「奈良県に来たから」
「これも神様と仏様のお導きかな、宗教は違うけれどね」
 笑ってお話してです、先生は奈良市に戻りました。そうしてまた学問には励むのでした。



ラーメンか。
美姫 「偶に食べたくなるわね」
だな。皆も美味しそうに。
美姫 「良いわね」
次回は何を食べるんだろう。
美姫 「ちょっと食べてばかりいるだけじゃないからね」
分かってるって。
美姫 「兎も角、次回も待っていますね」
ではでは。



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