『ドリトル先生と和歌山の海と山』




               第六幕  高野山の前に

 先生達は忍者に会えないことは残念に思いました、しかしキャンピングカーに乗ってからなのでした。
 ふとです、先生は皆に言いました。
「そうそう、高野山の前に九度山があったよ」
「九度山?」
「そこどんな山なの?」
「はじめて聞いたけれど」
「どういった山なの?」
「うん、真田幸村さんがいた山だよ」
 ここでこの人の名前を出した先生でした。
「大坂の陣で活躍したね」
「物凄い人だったよね」
「獅子奮迅の働きをして」
「そうして壮絶に散った」
「そんな人だったね」
「うん、戦国時代の最後に出て来た人でね」
 まさにその最後の大坂の陣にです。
「それまでも活躍をしていたけれど」
「それでもだね」
「大坂の陣で活躍したよね」
「もう誰もが驚く位に」
「徳川家康さんまであと一歩まで迫った」
「そう、戦国の最後に最高の武士の戦を見せたね」
 まさにというのです。
「とても凄い人だったんだよ」
「日本でも有名だったね」
「最後の最後まで大活躍をした」
「そんな人だったね」
「大坂の陣で敗れて華々しく散ったけれど」
 それでもと言う先生でした。
「素晴らしい日本の英雄の一人だよ」
「そしてその幸村さんがいた場所だったんだ」
「その九度山は」
「じゃあそこに行く?」
「九度山に」
「そうする?」
「そうしよう、それに幸村さんはね」
 あらためてこの人のことをお話した先生でした。
「忍者とも縁があるしね」
「あっ、十勇士ですね」
 この人達のことはトミーが言いました。
「幸村さんに仕えていたっていう」
「そうだよ」
「本当にいたんですか?」
「それぞれの人にモデルがいてね」
「そうした意味で実在していたんですか」
「そうみたいだよ」
 真田十勇士の人達はというのです。
「三人か四人、若しくは六人しか実在しないって言っている人もいるけれど」
「モデルになった人がいたって考えるとですか」
「十勇士は実在したよ」
 十人全員がいたというのです。
「歴史上ね」
「そして幸村さんと一緒に戦ったんですね」
「信濃、長野でも大坂でもね」
「そうだったんですね」
「僕はそう考えているよ、あの人はね」
 幸村さんはというのです。
「十勇士達と共に最後の最後まで戦って」
「散ったんだよ」
「武士らしく」
「そうだよ、華々しく正々堂々と戦い見事に散る」
「武士の在り方の一つですね」
「それもまたね」 
 先生はトミーにもお話しました。
「日本の武士道だよ」
「死ぬこともですね」
「武士道なんだ、これは西洋の騎士道とはまた違って」
「死に際もですね」
「華を求めるところがあるんだ」
「卑怯未練な死に方ではなく」
「壮絶であったり美しくあったりね」
 先生はキャンピングカーの中で悲しいお顔で遠くを見つつ先生にお話しました。幸村さんのことを思ってでしょうか。
「散るものだよ」
「騎士道も卑怯未練を嫌ってますよね」
「うん、正々堂々あれってね」
「そうですよね、けれど」
「武士道はまた違うね」
「正々堂々としつつですね」
「死ぬその時もね」
 まさにその最期の時もというのです。
「華があるんだ」
「幸村さんみたいに」
「平家物語からだね、そして第二次世界大戦までね」
「武士道があって」
「そして散る時はね」
「華々しくですね」
「散っていくことをよしとしていたんだ」
 死ぬその時はです。
「切腹した人も多いし」
「あれも日本ならではですね」
「そうだね、自害の仕方もね」
「あれは怖いよ」
 切腹についてダブダブは剣呑そうに言いました。
「腹を切って自殺するとか」
「あんなのよく出来るね」
「全くだよ」
 オシツオサレツも切腹についてはこう言います。
「日本の歴史にはよく出て来るけれど」
「武士の最期としてね」
「あんなのして死んだら」
 それこそと言ったのはガブガブでした。
「どれだけ痛いかしら」
「何か十字に切ったり横三段で切った人もいるのよね」
 ポリネシアは切腹の切り方を思いました。
「そうよね」
「どっちも嫌だね」
 ジップは即座に駄目出しをしました。
「お腹切って死ぬのは」
「というか誰がそんな痛い死に方考えたのか」
 チーチーはそこが気になりました。
「知りたいよ」
「切腹に美学があるみたいだけど」
「想像するだけで痛いわよ」
 チープサイドの家族もどうしても肯定出来ませんでした。
「自殺自体よくないし」
「日本人の風習で一番わからないものかな」
 トートーも理解出来ないです、切腹のことは。
「何といっても」
「そこに華なんてあるの?」 
 ホワイティは先生に本気で尋ねました。
「痛いだけなのに」
「日本の武士の人達って大変だったんだね」
 老馬の口調はしみじみとしたものでした。
「そんな風な切腹の仕方をしないといけなかったって」
「うん、確かに痛い死に方だね」
 先生も動物の皆にこう答えます。
「やっぱりね」
「自殺の仕方でもダントツでね」
「痛い方法よ」
「何か色々な時代劇で出るけれど」
「腹を切って介錯もあって」
「本当に痛そう」
「あれだけは」
 また言う動物の皆でした。
「よくあんなの出来るってつくづく思うよ」
「歴史でも色々な人が切腹して果ててるけれどね」
「源義経さんもそうだったし」
「忠臣蔵でもね」
 こちらでは浅野内匠頭も赤穂浪士の人達もです。
「皆痛い思いして死んで」
「何がいいのかな」
「切腹は名誉だっていうけれど」
「武士の死に方だって」
「本当にそうなのかしら」
「まあ自決しないことがベストだよ」
 先生もそれはと言います。
「やっぱりね、けれどしなければいけない時はね」
「その時はなんだ」
「見事切腹して果てる」
「それがいいんだ」
「そうだよ、そのせいか前にお話したハウスホーファーさんもね」
 この人もというのです。
「日本が好きで憧れるあまりかね」
「切腹してだったんだ」
「自殺したんだ」
「そうして人生を終えたんだ」
「普通ドイツ軍人は拳銃だけれどね」
 これを使って自殺をするというのです。
「毒を飲んでも駄目でね」
「それで最後は」
「切腹したんだ」
「日本刀で」
「そうしたの」
「そうだよ、そして見事ね」
 まさにというのです。
「その人生を終えたんだ」
「日本の武士の死に方なんだ」
「華なのかな、やっぱり」
「最後の最後の意地?」
「それもあるのかな」
「何か文献を読んで理由は読めるけれど」
 それでもと言う先生でした。
「理解出来るかっていうとね」
「それはだよね」
「難しいよね」
「何で切腹するのか」
「そこに美学があるのか」
「わからないね」
「さっき横三段の切腹が出たけれどね」
 先生は皆にこの切り方のお話もしました。
「これは武市半平太さんだね」
「ああ、幕末の」
「坂本龍馬さんのお友達だった」
「あの人がそうしたんだ」
「横三段の切腹をしたんだ」
「これはそれまで誰も出来なかったらしいんだ」
 この横三段の切腹はというのです。
「三段切る前に果ててしまってね」
「死んでしまって」
「それでなんだ」
「誰も出来なかったんだ」
「横三段の切腹は」
「そうだったんだ、けれど武市半平太さんはそれを果たしてね」
 それまで誰も出来なかったのに、というのです。
「死んだんだ」
「それで称賛されたんだ」
「見事三段の切腹を果たしたって」
「そう言われたんだ」
「武士として立派だってね」
 まさにそう言われたというのです。
「そのことでも知られたんだ」
「ううん、凄いことは凄いけれど」
「悲しいね」
「切腹して死んだんだし」
「そこで意地を見せてもね」
「称賛されてもね」
「そうだね、けれど見事果ててね」
 そうしてというのです。
「名を残したからね」
「そのことはなんだ」
「やっぱり凄いんだ」
「そうなんだ」
「そのことは」
「そうだよ、多分この感覚は日本人ならね」
 日本に生まれて日本で育ってきた人達ならというのです。
「僕達よりずっとよくわかる筈だよ」
「日本でのことだから」
「それでなのね」
「よくわかるのね」
「どうして切腹に華があるのか」
「そのこともね」
「日本人ならね」
 またこう言う先生でした。
「わかると思うよ」
「ううん、日本人ならわかること」
「何かそうしたこともあるんだね」
「そういえばイギリス人だってね」
「イギリス人じゃないとわからない」
「そんなことがあるね」
「その国にいないとね」
 生まれ育っていないと、というのです。
「わからないことってあるよね」
「そうだよね、どうしても」
「そんなことってあるね」
「その辺りがね」
「難しいね」
「それぞれの国の人でないと」
「そう思えるね」
「全くだよ、何ていうか」
 また言う先生でした。
「切腹のことだってね」
「そして他にもあるね」
「日本の中のことで」
「それで他のことでもね」
「あるね」
「そうだね、イギリス人でもあるしね」
 先生は動物の皆が言ったこのことをご自身も言いました。
「その騎士道だってね」
「うん、イギリス人でないと完全にはね」
「どうしてもわからないものだろうね」
「そういうものだね」
「本当に」
「そうだよ、欧州にあるものだから」
 騎士道、それもです。
「欧州の人間でないとわからないものがあるよ」
「その根元にあるものはね」
 どうしてとです、王子も言ってきました。
「僕もわからないよ」
「王子もだね」
「だって僕はアフリカ生まれだから」
 確かにイギリスにいたこともあるけれど、です。
「だからね」
「騎士道はだね」
「ある程度はわかるけれど」
「その根幹は」
「やっぱりわからないよ」
 どうしてもというのです。
「僕もね」
「そうなんだね」
「そして武士道もね」
「日本のそれもだね」
「根幹はわからないし、そして」
「切腹のことも」
「やっぱり僕はわからないよ。三島由紀夫さんもね」
 昭和に活躍した作家さんです、数多くの名作を残しそうして切腹をして死んだことでも知られている人です。
「あの結末はね」
「どうしてもだね」
「何であんなことをしたのかね」
「王子にはわからないね」
「日本語、原文でのあの人の本も読んだよ」
 王子は眉を曇らせて先生にお話しました、キャンピングカーは和歌山市からもう高野山に向かう山の中の道を走っています。
「とても素敵な作品だよ」
「そうだね、華麗な文章だね」
「ストーリーもしっかりしていて」
「人物の書き方も心理描写もね」
「全て見事だよ、そこには確かな知性と教養があるね」
「あんな素晴らしい作品を書けるなんて」
 それこそというのです。
「どれだけの才能、知性があるのか」
「だから戦後日本文学に名前を残しているんだ」
「偉大なまでにね」
「そうなんだ、けれどね」
 それがとです、王子はまた言いました。
「何故切腹したのか」
「ああしたことをしてね」
「それがわからないよ、僕には」
「そうだね、けれど日本人はね」
 三島由紀夫さんのその最期もというのです。
「やっぱりわかるみたいだよ」
「そうなんだね」
「感性、無意識の下でね」
「不思議な話だね」
「王子もアフリカでの話でわかるものがあるね」
「そうだろうね、先生がわからないことでも」
 それでもとです、王子は先生に答えました。
「わかるものがあるね」
「そして僕がわかることもね」
「あるんだね」
「その根幹を理解するのはね」
 それこそというのです。
「かなり難しい、けれどね」
「日本の中に入っていけば」
「きっと何時かわかるとね」
「そうも思うんだね」
「そうだよ、同じ人間だからね」 
 確かに生まれ育った国は違います、けれどそれでもというのです。
「きっとね」
「理解出来るんだね」
「人間は同じだね」
「そのことはね」
「国や宗教、民族や人種が違っても」
「人間なのは同じで」
「そう、だからね」
 国、文学が違ってもです。
「絶対に理解出来るよ」
「切腹のことも」
「必ずね」
「そこで前向きになれるのが先生だね」
「諦めたらね」
 そうしてしまうと。
「もうそれで終わりだね」
「よく言われるね、日本では」
「そう、だからね」
 それでというのです。
「僕も諦めないんだ、いつも前向きであって」
「諦めないで」
「学んでいくよ」
 そうしていくというのです。
「そして切腹のことも何時かね」
「理解するんだ」
「学問を積んでね」
「じゃあ僕もね」
「学ぶね」
「そうするよ、絶対に」
 王子は先生に笑顔で約束しました。
「僕は学問がメインじゃないけれど」
「将来の王様として」
「いつも前向きでいるよ」
「諦めないことだね」
「本当に諦めたら」
 王子もこのことはわかりました、切腹のことはどうしてもわからないけれどそれでもでした。
「何にもならないからね」
「それがいいことならね」
「そうしていくよ」
「それで日本のそうしたこともね」
 切腹への感情についてもというのです。
「頑張っていくよ」
「そういえば幸村さんも切腹してませんでした?」
 トミーはふとこう先生に尋ねました。
「あの人も」
「いや、戦いの後で疲れ果てていてね」
「そこをですか」
「敵が来てその人に討てと言って」
 そしてというのです。
「首を取らせたんだ」
「そうなんですか」
「幸村さんの首は三つ手に入ったっていうけれどね」
「影武者もいたんですか」
「この人も武田信玄さんみたいにいたらしいね」
 このこともお話した先生でした。
「どうやらね」
「そうですか」
「それでそうした話もあるんだ」
 幸村さんの首は三つあったとです。
「それで若しかすると死んでいない」
「落ち延びたというお話もですか」
「鹿児島の方にあるしね」
「本当は死んでいなかったんですか」
「そうしたお話もあるよ」
 実際にというのです。
「流説の類だけれどね」
「そうですか、若しかしたら」
「そう、生きていたかも知れないんだ」
「大坂の陣の後も」
「何か忍者みたいですね」
「うん、十勇士が家臣にいたしね」
 忍者と聞いてまた言った先生でした。
「幸村さんも忍者の色が強い人だね」
「じゃあその忍者の人のところにね」
「今から行くんだね」
「高野山に入る前に」
「そうするんだね」
「そうしよう、そしてね」
 さらにお話した先生でした。
「忍者のことも見ようね」
「幸村さんと一緒に」
「十勇士のことも」
「今からね」
「そうするんだね」
「そうしていこう、九度山に行ってね」
 こうお話してでした、そのうえで。 
 先生達は高野山に入る前にまずは九度山に入りました、そこには幸村さんについて何かと説明されているものがあってです。
 何かと書いていました、そうしたものを見て動物の皆は言いました。
「ここに幸村さんがいたのね」
「それも十年以上も」
「結構長くいたのね」
「そうだったのね」
「そうだよ、ここにね」
 実際におとお話する先生でした。
「幸村さんは流罪にされていたんだ」
「本当は高野山だったけれど」
「ここに入ってだね」
「十年以上暮らしていたんだ」
「家臣の人達と一緒に」
「そう、十勇士の人達とね」
 モデルになっている人達が実在しているとしてのお話です。
「ご家族の人達ともね」
「そうだったんだ」
「ここに十年以上ってね」
「寂しかっただろうね」
「どうもね」
「釣りをしたりしてのどかに暮らしていたらしいけれど」
 それでもというのです。
「もうこのまま世に出ることはないんじゃないか」
「そうも思ってなんだ」
「それでなんだ」
「ずっとここにいて」
「そうして逼塞していて」
「暗いままだったんだ」
「もうこのままここで終わるのかって」
「それが大坂の陣の前の幸村さんだったんだよ」
 あの歴史に残る奮戦の前のです。
「それでここに幸村さんのお父さんも一緒にいたんだ」
「その人はどうなったの?」
「幸村さんのお父さんは」
「大坂の陣で戦ったの?」
「そうして活躍したの?」
「その人はここで亡くなったよ」
 九度山で、というのです。この今も静かな山の中で。
「そうなったよ」
「そうだったんだ」
「考えてみれば幸村さんのお父さんだからね」
「お歳だっただろうしね」
「それでだね」
「結局また世に出ることはなくてね」 
 そうしてというのです。
「お亡くなりになって幸村さんだけでね」
「大坂に入ってだね」
「あの活躍をしたのね」
「他の国でもあそこまで戦った人は滅多にいないっていう位」
「物凄く戦ったのね」
「そうなんだ、このお父さんも凄い人でね」
 幸村さんのお父さんもというのです。
「若しこの人が大坂に入っていれば」
「ひょっとしたら勝っていたんだね」
「大坂の方が」
「豊臣家が」
「そうかも知れないね、けれどそのお父さんは亡くなっていて」 
 そうしてというのです。
「幸村さんだけで戦ったんだよ」
「何か残念だね」
「若し幸村さんのお父さんがいたら」
「大坂で戦っていたら」
「そう思うとね」
「そうだね、幸村さんは最後の最後で歴史に残る活躍をしたけれど」
 それでもというのです。
「もう一人その人がいてくれたら」
「ひょっとしたら」
「勝っていたかも知れない」
「それで幸村さんも死ななかったかも」
「若しかしたら」
「僕は歴史に若しも、とも考えるしね」
 よく歴史に若しも、はないと言われますが先生はそうなのです。ここから色々なことを考えたりもするのです。
「幸村さんのことも」
「そうだよね、先生は」
「そうした風にも考えるよね」
「それで幸村さんのこともだね」
「そう考えるんだね」
「そうなんだ、僕としては大坂で死んでいないで」
 それでというのです。
「生きていて欲しいね」
「全くだね」
「何処かで生きていてね」
「十勇士の人達とずっと楽しく生きていて欲しいよ」
「戦う時は凄かったけれど」
 日本の表現ではまさに鬼神の如くでした。
「それでも普段は穏やかでとてもいい人だったらしいよ」
「だから十勇士の人達もついてきていたんだね」
「この九度山でも」
「もう出られるかわからないのに」
「そんな中でも」
「そうだよ、ずっとね」
 それこそというのです。
「幸村さんについていっていたんだ」
「ううん、いい人だからだね」
「人もついていっていたんだ」
「十勇士の人達も」
「流罪になっていてもう負けるって時でも」
「幸村さんと一緒に戦ったんだ」
「そうだよ、モデルになった人達もね」
 そうした意味で実在していた十勇士の人達もというのです。
「最後の最後まで戦ったよ」
「凄いお話ね、ただね」
「十勇士ってどんな人達だったかしら」
 ふとチープサイドの家族がこんなお話をしました。
「ええと、まずは猿飛佐助?」
「この人が一番有名よね」
「次は霧隠才蔵だね」
 ジップはこの人の名前を挙げました。
「恰好いい名前だね」
「そして三好清海入道」
「怪力のね」 
 オシツオサレツはお坊さんでもあるこの人を挙げました。
「それでいて愛嬌のある」
「この人がいたね」
「弟さんが三好伊佐入道だったね」
 ダブダブがすぐに続きました。
「やっぱり怪力の」
「海野六郎が実はリーダーだったね」
 トートーはこの人がそうだと言いました。
「そう聞いてるけれどね」
「お次は穴山小助」
 チーチーの名前の挙げ方は何処か楽しそうです。
「この人もいるね」
「六郎なら望月六郎もだね」
 ホワイティはこの人を思い出しました。
「同じ六郎だから名字で確認だね」
「由利鎌之介って名前がいいわね」
 ガブガブはこの名前が気に入っているみたいです。
「如何にも忍者で」
「筧十蔵って名前もいいわね」
 ポリネシアはこの人がお気に入りみたいですy。
「恰好いいわ」
「そして最後は根津甚八」 
 にこりとして言ったのは老馬でした。
「これで全員だね」
「そうだよ、合わせて十人の一騎当千の忍達だよ」
 先生もこう答えます。
「普通忍者はあまり戦わないけれどね」
「この人達は違うよね」
「まさに大活躍」
「幸村さんと共にね」
「獅子奮迅の働きをしてくれるのよね」
「それがまた痛快なんだよ」
 先生は自然と笑顔になっています。
「読んでいてね」
「小説とか漫画でね」
「よく題材になってるしね」
「それで出て来る度に大活躍」
「そんなのだからね」
「うん、まさにヒーローだよ」
 幸村さんと十勇士の人達はです。
「最後は悲劇的でもね」
「もう大活躍」
「小説や漫画の中だと」
「どんな相手でも果敢に戦って負けない」
「そんなヒーローよね」
「アーサー王と円卓の騎士とはまた違うけれど」
 お国のヒーローを思い出した先生でした。
「凄いヒーローだね」
「何か僕が思うにはね」
 王子が先生にこう言ってきました。
「ロビンフッドに近いかな、幸村さん」
「王子はそう思うんだね」
「そう思ったけれどどうかな」
 こう言うのでした。
「痛快で権力者と戦うから」
「それも悪い権力者になってるね」
「幸村さんが主人公の時はね」
「家康さん、そして幕府はね」
「そうなっているね」
「家康さんは他だといい人であることが多いけれど」
 幸村さんが主人公の作品ではどうしてもです。
「その場合は悪役で」
「ジョン王みたいにだね」
「幸村さんにやられてるから」
 だからだというのです。
「そう思ったんだ」
「幸村さんはロビンフッドだね」
「民衆じゃなくて豊臣家を助けてね」
「森に隠れて森を拠点として戦う訳じゃないけれどね」
「けれど義の為に戦っているからね」
 このことがあってというのです。
「僕はそう思ったんだ」
「そうだね、そう言われるとね」
「アーサー王よりもだね」
「幸村さんはロビンフッドだね」
 先生も王子に答えました。
「そちらのヒーローだね」
「そうだよね」
「ヒーローといっても色々で」
「幸村さんはロビンフッドに近いね」
「そうだね、義に生き義に死す」
「悲しいけれど恰好いいヒーローだよ」
「そう思うと余計に死んでいるとは思いたくないね」
 大坂の陣で、です。先生は遠いものを見る目になって言いました。
「きっと秀頼さんを助けて落ち延びてね」
「そうしてだね」
「生きていたよ、この説は流説と言ったけれど」
「根拠あるんだ」
「鹿児島の方にあるんだ」
 そちらにというのです。
「あそこにね」
「そうなんだ」
「生きているって話がね、秀頼さんもね」
「幸村さんが秀頼さんを助けて落ち延びたんだ」
「それで薩摩藩に匿われてるって話があってお墓も残ってるよ」
「お墓も?」
「秀頼さんのお墓もね」
 この人のものもというのです。
「そう言われてるよ」
「そうだったんだ」
「秀頼さんじゃないかっていう浪人のお話もあるし」
「じゃあ本当に鹿児島まで逃れたのかな」
「何しろ幸村さんの首もね」
「さっきお話した通りに」
「そう、首も三つあったし」
 幸村さんのものとされている首のお話をまたしました。
「本当はどうなのか」
「諸説あるんだ」
「そうなんだ、これが」
「ううん、そうしたお話って世界中にあるけれど」
「日本にもあってね」
「源義経さんにもあったね」
「うん、西郷隆盛さんにもあるし」
 明治の元勲のお一人で西南戦争で死んだこの人にもというのです。
「そして幸村さんにもね」
「あるんだね」
「そうだよ、そして僕はね」
「死んでいるとはだね」
「思いたくないよ」
 こう言うのでした。
「絶対に大坂の陣で生き延びてね」
「十勇士の人達と一緒に」
「秀頼さんを助けて鹿児島まで逃れたんだよ」
「そうであって欲しいんだね」
「うん、一度鹿児島に行く機会があれば」
「そのこともだね」
「是非調べたいね」
 本当に幸村さんが鹿児島に逃れたのかどうかということをです。
 そしてです、こうも言った先生でした。
「幸村さんの恰好よさはまた特別だからね」
「戦国時代では織田信長さんも恰好いいですね」
 トミーはこの人のお名前も出しました。
「あの人も」
「そうだね、型破りな改革者でね」
「我が道を行き天下布武を目指した」
「日本の歴史で最も有名な人の一人だけれど」
「あの人も恰好いいですね」
「うん、やっぱりヒーローだね」
「何か西洋の甲冑とマントを羽織っていて」
 日本人ですがそれでもです。
「颯爽と軍勢を率いて戦う」
「そんなイメージだね、信長さんは」
「戦争に勝って天下統一を目指す」
「幸村さんとは違う格好良さがある人だよ」
「そうですね、幸村さんは武将の恰好良さで」
「信長さんは天下人の恰好良さになるかな」
「そうですよね、そこが違いますね」
 トミーもこう言います。
「幸村さんと信長さんは」
「同じ戦国時代のヒーローでも」
「本当に全く違います」
「勝っていって歴史に名を遺した人と」
「負けても歴史に名前を残した人で」
「また違うんだよね」
「はい、ただ負けた人でも格好良くて慈しむのは」
 ここでトミーはこうしたことも言いました。
「日本的ですね」
「日本人は負けた側にも優しいからね」
「はい、幸村さんだけでなくて義経さんも」
「頼朝さんに追われて自害した」
「あの人にも優しいね」
「楠木正成さんにも」
「そこも日本人だね、勝った人を褒め称えるけれど」 
 それと共になのです。
「負けた人にもね」
「慈しみを忘れずに」
「いいとろを見て」
 そうしてなのです。
「褒め称えるんだよ」
「そうした人達ですね」
「負けた人もヒーローなんだ」
 日本ではそうなのです。
「必死に、何かの為に戦った人は」
「英雄なんだ」
 本当にというのです。
「敗れて死んでもね」
「讃えられるんですね」
「そうなんだ、幸村さんみたいにね」
「そう思うと日本人の心を見た気がします」
 王子は遠い目になりました、幸村さんが住んでいたというその場所を見ながら。何百年も前に幸村さんは確かにそこにいました。
「その一面を」
「僕もだよ、負けてもね」
「それでもですよね」
「うん、見るべきものを見てね」
「そのことを忘れないんですね」
「日本人はね」
「それで幸村さんも今も讃えられているんですね」
 トミーだけでなく皆がその幸村さんがいた場所を見ています。
「英雄、ヒーローとして」
「そうなるよ、本当に幸村さんはね」
「日本人のヒーローですね」
「タイプは違うけれど信長さんと同じくね」
 まさにというのです。
「そうなんだよ」
「そうだね、けれどね」
「けれど?」
「いや、一つ思うことは」
 それはといいますと。
「幸村さんが活躍した時期自体はね」
「長野で戦っていてもですね」
「本当の力を発揮したのは大坂の陣だから」 
 この時だったというのです。
「短いね」
「あっ、確かにね」
「結局大坂の陣の人だよね」
「その時だけだね」
「そう思うと活躍した時期は短いね」
「一瞬だけだったね」
 動物の皆もこのことに気付きました。
「幸村さんは」
「結局ね」
「活躍の時期自体は短くて」
「あっという間だったわ」
「流星みたいに出て消えて」
「けれどその一瞬の輝きが凄かったのね」
「何しろ家康さんをあと一歩まで追い詰めたからね」
 大坂の陣の最後の戦いでそうしたのです。
「有名な真田丸でも活躍してね」
「その一瞬の戦いがあまりにも素晴らしくて」
「あまりにも格好良くて」
「歴史に残ったんだね」
「それも永遠に」
「そうした人だよ、日本人はその幸村さんを忘れていないんだ」
 今も尚です。
「ヒーローとして覚えているんだ」
「そういうことだね」
「果敢に戦って果敢に死んだ」
「その幸村さんをね」
「忘れていないんだ」
「そう、十勇士達もね」
 幸村さんに従って戦ったこの人達もです。
「忘れていないんだ」
「じゃあこのままずっと覚えていて欲しいね」
「日本の人達には」
「義に生き義に死んだ幸村さんのことを」
「その幸村さんにずっと一緒に戦った十勇士のことも」
「僕も忘れないしね、今度この人のことを英文で書いて」
 そうしてというのです。
「イギリスの人達にも伝えたいね」
「日本にこんな凄い人がいた」
「そのことをだね」
「知らせたいのね」
「是非」
「そう考えているよ」
 こう言うのでした、幸村さんがいた場所を見て。そうしてそのことをお話してからでした。先生は皆に今度はこう言いました。
「さて、いよいよね」
「うん、あそこだね」
「高野山に行きましょう」
「もうすぐだしね」
「高野山までは」
「そう、あそこに行こう」
 今回の旅の最大の目的地のそこにというのです。
「これからね」
「いや、色々あったけれどね」
「もう何かとね」
「白浜にも行ったし和歌山市も行って」
「幸村さんの場所も見てるし」
「次はね」
「そう、あそこに行こう」
 その高野山にというのです。
「いよいよね」
「そうだね、しかし高野山っていうのは」
 王子はふと空気を感じました、そのうえでの言葉す。
「寒いんだろうね」
「ここよりもね」
「やっぱりそうだよね」
「高い山だからね」



高野山かと思ったけれど。
美姫 「その前にちょっと寄り道ね」
ああ。先生たちの話も盛り上がって。
美姫 「いよいよ高野山ね」
それは次回かな。
美姫 「どんなお話になるのかしら」
次回も待っています。
美姫 「待っていますね〜」
ではでは。



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