『ドリトル先生と日本の鉄道』




               第九幕  レール

 先生は朝にお家で朝御飯を食べながらテレビを観ていてです、テレビに出ている眼鏡をかけて白髪を短くしている学者さんと紹介されている人が自衛隊のことをとかく言っているのを観て一緒に食べているトミーそして皆にどうかというお顔で言いました。
「この人はおかしいね」
「真栄田哲史さんですね」
 トミーがその学者さんのお名前を言いました。
「元新聞記者で今は大学教授で」
「軍事学舎らしいけれどね」
「この人自衛隊批判ばかりしますね」
「批判というか事実無根のことばかり言ってね」
「誹謗中傷していますか」
「戦前に戻るとか徴兵制が復活するとかね」
「今もそう言ってますし」
 トミーは朝御飯のトーストを食べつつ先生に応えました、トーストの他にはハムエッグとトマトのスライスしたものそれに牛乳があります。
「本当に自衛隊が嫌いですね」
「自衛隊、戦前の日本軍が嫌いでね」
 先生はさらに言いました。
「北朝鮮は好きっていうね」
「本当にお約束の人ですね」
「調べたら十年以上前に学生さん達が北朝鮮に行く番組があったけれど」
「あの国そう簡単に行けます?」
「そんな筈がないよ」
 すぐに答えた先生でした。
「鎖国しているからね」
「事実上そうですよね」
「日本から入ろうと思ったら」
「新潟に入る船はもう動いてないですよね」
「あの船はもう入らないよ」
 そうだというのです。
「だから中国に一旦行ってね」
「そうしてですね」
「入ることになるけれど」
「あそこ入る人のチェックも厳しいですね」
「それこそあの国に近い人じゃないと」 
「入られないですね」
「つまりこの人はね」
 今もテレビで喋っているその人はです。
「そうした人なんだよ」
「お約束の人ですね」
「日本のテレビでよく出るね」
「平和とか戦争反対とか言っていて」
「一番危険な国には何も言わないというか」
 それどころかというのです。
「擁護して支持している」
「そんな人なんですね」
「その最右翼だよ、北朝鮮なんてね」
 この国はといいますと。
「国民皆兵制で核兵器や生物兵器、化学兵器を密かに造っていてね」
「拉致はするし偽札や麻薬も手を出していて」
「そんな国だよ」
「殆どマフィアですね」
「マフィアそれもかなり悪質な人達が政治をしている様な」
「そんな国ですね」
「先軍政治とかも言っているしね」
 つまり軍事、軍隊が政治で最優先される国だというのです。
「日本なんてね」
「それこそですよね」
「戦前の日本は普通の国だよ」
「普通のモラルの人達が政治していましたから」
「マフィアじゃなかったからね」
 戦前の日本で政治をしていた人達はです。
「普通の人とマフィアは違うね」
「全然違うね」
「自衛隊なんか特に」
「自衛隊は今の日本に合ったね」
「そんな組織ですね」
「結構アメリカ軍のカラーも入っているし」
 自衛隊はというのです。
「それでいて災害救助が得意で」
「立派な組織ですね」
「そうだよ、日本人を守ってくれるね」
「警察みたいな組織ですね」
「ああした人は警察も嫌うけれど」
「何か今の日本が嫌いなんですね」
「昔の日本もね、そしてね」 
 それと共にというのです。
「北朝鮮みたいな国が好きで」
「それでああしたことを言うんですね」
「今もね」
「そうですか」
「ああした人がだよ」
「今回の鉄道博物館のことで」
「出て来るかも知れないよ」
 そうした可能性があるというのです。
「その時はね」
「先生がですね」
「反論するから、どれだけこうした人達が来ても」
 例えそうなってもというのです。
「僕一人で充分だよ」
「大丈夫ですか」
「この人達の論理は明らかにおかしいからね」
 だからだというのです。
「自衛隊が駄目で北朝鮮の軍隊がいいとか」
「それ普通の人が考えたら無茶苦茶おかしいですね」
「そう、どう考えてもおかしいから」
「何故かそうした人は」
 こうも言うトミーでした、トーストにバターをたっぷりと塗りつつ。
「日本の皇室も嫌っていて」
「天皇制反対とか言ってね」
「それで北朝鮮の将軍様はいいんですよね」
「うん、あの国の国民が支持しているって言ってね」
「あの国独裁国家ですよね」
「ナチスやソ連よりも遥かに酷いね」
「そんな国での支持とか」
 それこそというのです。
「強制ですよね」
「そうだよね、それで世襲制の共産主義国家なんだよ」
「世襲制の共産主義自体が有り得ないですけれど」
「そんな将軍様はいいからね」
「あの、自衛隊批判と同じだけおかしいですが」
 それでもと言うトミーでした。
「その人達の思考が理解出来ないです」
「だから北朝鮮の人達に近いんだよ」
「日本人よりも」
「普通にね」
「そんな変な人もいることはわかっていても」
「理解出来ないね」
「どんな頭の構造をしているのか」
 こうも言ったトミーでした。
「僕は理解出来ないです」
「僕は理解出来るけれど」
 それでもというのです。
「それでもね」
「変な人とですか」
「思っているよ、それでこうした人が出て来ても」
「論破してですか」
「帰ってもらうから」
 そうしてもらうというのです。
「是非ね」
「それじゃあ」
「うん、そうさせてもらうよ」
 こう言ってです、そしてでした。
 先生は朝御飯を食べてから歯を磨いて顔も洗ってでした。学校に行きました。そうして講義と論文の準備に午前中を費やしてです。
 午後にはです、鉄道博物館の方から連絡が来てそうしてでした。鉄道博物館に行きますと。
 ドーラの模型が完成していました、そしてディオラマもです。
 レールが幾つも連なっていてその周りにドイツ軍の人形が沢山置かれています。先生はそれを見て唸りました。
「ここまで完成しているとは」
「思いませんでしたか」
「はい、しかも見事に出来ていますね」
 連絡をしてくれた宮田さんにもこう答えました。
「鉄道もディオラマも」
「はい、新垣君と和田君が頑張ってくれて」
「それでなんですか」
「毎日講義がない時は朝早くから夜遅くまでです」
「頑張ってくれたんですか」
「鉄道博物館のスタッフも」
 二人だけでなくというのです。
「そうしてくれて」
「それでなんですね」
「もうここまで完成しました」 
 ドーラは今にも動きそうです、細かいところまで忠実に再現されていてまるで金属そのものの様です。
「そしてです」
「さらにですね」
「はい」
 まさにというのです。
「ドーラの大砲は操作で動いて」
「しかも火花もですね」
「出る様になっています」
 砲撃を表すそれもというのです。
「SLの時と同じ様に」
「それは何よりですね」
「あと室内に換気がいいとわかったので」
「それでは」
「SLの火打石を工夫しまして」
「火花でなくてですか」
「煙が出る様にしました」
 本物のSLの様にというのです。
「そうしました」
「そうですか」
「後はドーラをレールの上に置いて」
 そしてというのです。
「動かすだけです」
「そして実際に動けばですね」
「成功です」
「そうですね、では」
「そのことを先生にお伝えしたくてです」
 来てもらったというのです。
「どうでしょうか」
「素晴らしいです、では」
「はい、実際に動けば」
「その時にもですね」
「また呼ばせて頂きます」
 是非にと言うのでした。
「そして観て頂きますので」
「ドーラの模型が動くのをです」
「楽しみにしていますか」
「はい、あとドーラのレースは他のレールとつなげて」
 そしてというのです。
「幅も統一していますので」
「普通の列車のドーラのコーナーに入って走れますね」
「そうなっています、ただドーラは普通の場所に入られませんね」
「どうしても」
 それはというのです。
「出来ません」
「そうですね、ドーラ自体は」
「この場所だけです」
「左様ですね、ですが」
「こうしてです」
 まさにというのです。
「ここまで完成しました」
「そうですね」
 先生も笑顔で応えてです、そうしてでした。
 宮田さんと今度は一緒に駅弁を食べて研究室に戻りました、すると動物の皆が先生に尋ねてきました。
「あの、他の列車はドーラのコーナーにも入られるっていうけれど」
「ドーラは無理って言ってたね」
「それやっぱりドーラが大きいから?」
「それでよね」
「うん、見てもわかったよね」
 そのドーラの模型をとです、先生も皆にお話します。
「ドーラは実際とても大きかったんだ」
「八十センチの大砲を搭載してね」
「そんなの搭載して動いていたから」
「それは巨大だよね」
「実際に」
「うん、だからレールもね」
 列車砲を動かすそれもというのです。
「普通の列車、これは列車砲もだけれど」
「一本じゃなかったんだ」
「幾つも必要だったんだ」
「そうだったんだね」
「まずドーラ自体がその上を走るレールが四本でね」
 これだけ必要でというのです。
「組み立てる時に動かす貨物列車とかクレーンのものも含めて八本も必要だったんだ」
「それ凄いね」
「八本ものレールが必要って」
「そういえば貨物列車とかクレーンもあったね」
「そっちの模型も再現していたね」
「本格的にね、まあ貨物列車は普通の場所も走っているけれど」
 鉄道博物館のディオラマの上をです。
「色々なものを乗せたね」
「あれもいいよね」
「人を乗せる列車だけ走ってないってね」
「リアルさが出て」
「いいことだよ」
 木や生きものを乗せたそれがです。
「そこまで考えているとか」
「素晴らしいよ」
「よく造られているよ」
「そのこともね」
「そう、そしてね」
 さらにお話をする先生でした。
「ドーラはね」
「ああしてだね」
「実際にだね」
「八本のレールを使っていて」
「それも忠実に再現したんだね」
「そうだね、凄いことだよ」
 先生も唸ることでした。
「本当にね」
「いや、レールが一本なのは」
 それはと言ったガブガブでした。
「どの列車もって思っていたけれど」
「それは違うんだね」
 ジップも言います。
「あまりにも大きいと何本も使うんだね」
「そんな列車もあるのね」
 ポリネシアもドーラのことからお話します。
「あまりにも大きいと」
「新幹線も貨物列車もSLもレールは一本」
 トートーも言います。
「けれど列車によっては何本も使うだね」
「列車があまりに大きいと」
 チーチーもドーラを思い出しています。
「ああして何本も使うんだね」
「そんな列車もある」
「世の中にはね」
 チープサイドの家族もお互いでお話をします。
「列車のレールは一本とは限らない」
「それは固定観念なんだね」
「そして一本だけしか使ってはいけないか」
 ホワイティはチープサイドの家族の固定観念という言葉から述べました。
「そうでもないんだね」
「普通の列車はレールは一本でも」
 こう言ったのは老馬でした。
「一本だけしか使っていいかというとそうでもない」
「必要なら何本でもいい」
「そういうことだね」
 オシツオサレツもこの考えを受け入れることが出来ています。
「ドーラみたいに」
「そうしていいんだね」
「これも面白い考えね」
 最後にダブダブが言いました。
「レールをどう使うかも」
「うん、どうしても普通に暮らしていたらね」
 先生もこう言うのでした。
「列車のレールは一本って思うからね」
「それが複数でもいい」
「ドーラはドーラだけでも四本でね」
「合わせて八本も使っていたから」
「そうなってもいい」
「必要なら」
「そうだよ、まあ幾ら何でもドーラは特別だけれどね」
 単独でも四本も使うそれはというのです。
「けれどね」
「レールは一本でなくてもいい」
「そのことも大事だよね」
「ドーラでそのこともわかるね」
「鉄道博物館に行けば」
「そうなるね、これは最初思わなかったよ」 
 先生にしてもです。
「ドーラがそうした列車砲だったことは知っていても」
「後で気付いたのね」
「先生にしても」
「そうなんだね」
「そうだよ、気付けばね」
 本当にというのです。
「その通りなんだよね」
「そうだよね」
「本当にまさかだけれど」
「そのまさかがね」
「思わぬことを博物館に来た人達に教えてくれるね」
「そうだね、運んでレールをそれだけ敷いて組み立てて」
 そうしてというのです。
「沢山の人を使って動かしたから」
「とんでもない兵器だよね」
「周りやお空も守らないといけないし」
「手間暇かかって」
「とんでもない兵器だね」
「戦艦よりも手間はかかったよ」
 列車砲、それもドーラになるとです。
「列車砲は砲撃出来ても列車砲自体は空にも周りにも攻撃出来ないからね」
「そうよね」
「列車砲自体が攻撃されたら終わりだよ」
「そんなの観てわかるし」
「線路の上しか動けないし」
「線路を敷いてから攻撃開始だし」
「組み立ててだから」 
 皆もそうしたことを考えます、考えればその通りでした。
「これだけ手間がかかる兵器だと」
「もうどうしようもないよ」
「今は使えないよ」
「そもそもドーラ動かすのに千人以上使ったっていうから」
 先生はドーラを動かすのにどれだけの人が必要であったのかもお話しました。
「このことだけでもね」
「どれだけ使いにくいか」
「今使われなかったのも当然ね」
「ミサイルも出来たし」
「そうなんだ、ミサイルを開発したのもドイツ軍だしね」
 ドーラを造ったこの軍隊だというのです。
「因果と言えば因果かな」
「歴史の因果?」
「それになるかしら」
「ドーラを造った国がドーラを不要なものにした」
「そのことは」
「ヒトラーは巨大な兵器が好きで新しい兵器も好きだったから」
 当時のドイツの独裁者だったこの人がです。
「こうしたことも起こったんだ」
「そういうことね」
「それでドーラはもう過去のものになった」
「色々な問題もあったし」
「ミサイルの時代になったのね」
「その前に航空機もあったしね」
 ドーラのお話にも出たこの兵器のお話もしました。
「一次大戦の頃から登場していてね」
「二次大戦の時にはかなり凄くなっていて」
「日本でもそうだったけれど」
「ドイツ軍でもかなり使っていたし」
「あの戦争の頃はとんでもないことになっていたね」
「空から攻撃したらもっと凄いから」
 列車砲で攻撃するよりもというのです。
「しかもすぐに動かせるしね」
「列車砲と違って」
「そこはミサイルと同じね」
「戦争で航空機が凄い発達もしたし」
「列車砲は余計に使われなくなったのね」
「そうだよ、列車砲は二次大戦の頃には過去のものになっていたんだ」
 その時に既にというのです。
「そして今ではね」
「完全になくなったんだね」
「ミサイルや航空機の時代になって」
「それでよね」
「そうした意味で日本軍は時代を先取りしていたかな」
 こうも考えた先生でした。
「日本の地理的な状況もあってね」
「これだけ山が多くて平地が少ないと」
「しかも四方は海だし」
「それじゃあ列車砲よりもね」
「航空機の方がずっといいよ」
「そうした意味で正解だったね」
 日本軍が列車砲にあまり力を入れなかったことはというのです。
「本当に」
「当時の日本軍は自衛隊に比べて技術的に未熟だったっていうし」
「結構精神主義だったっていうけれど」
「そうした先見の明はあったのね」
「そうした面もあったのね」
「うん、だからイギリス軍も圧倒したんだよ」
 その第二次世界大戦で、です。
「シンガポールまであっさり陥落させられたね」
「本当にあっという間にね」
「あの戦争が終わってからインドまで独立したし」
「イギリスってあの戦争で日本には凄い負けてるのよね」
「海軍も陸軍も」
「戦艦は爆撃で沈んでいるしね」
「その航空機のね」
 まさにそれでとです、先生は戦艦が航空機の爆撃で沈められたことにも言及しました。
「そうなったよ」
「凄い負け方だったよね、海でも」
「その戦艦沈められた時は」
「チャーチルさんこの世の終わりみたいだったっていうし」
「マレーもシンガポールも攻め落とされて」
「僕も驚いたよ」
 当時イギリスにいた先生もでした。
「日本軍の強さにはね」
「その中心が航空機だった」
「そう言えるかもね」
「それだけ航空機が役に立って」
「日本軍も強かったんだね」
「そうなるよ、僕は航空機はあまり乗りたくないけれど」 
 実は苦手なのです、他の皆は違ってもどうも先生は航空機に乗ることは今でも慣れていないのです。
「けれどね」
「それでもだね」
「凄く役に立つね」
「このことは事実だね」
「そうだよ、だから列車砲もなくなったんだ」
 使われなくなったというのです。
「ミサイルや航空機になったんだ」
「そうだよね」
「今はそうなったね」
「列車砲は過去のものになった」
「鉄道博物館にある様なものになったんだね」
「そうだよ、まあ実物はね」
 ドーラのそれはとです、笑って言った先生でした。
「流石に飾れないけれどね」
「大き過ぎてね」
「流石に無理だよね」
「それだけで線路四本使う位大きなものなんて」
「とてもね」
「無理だよ。けれど模型なら置けて」
 そしてというのです。
「動かすことも出来るよ」
「じゃあ実際に動くの楽しみにしてね」
「そうしてだよね」
「今はね」
「先生は論文を書くんだね」
「そうするよ、本を読んでね」 
 そうしてからというのです、こうお話してでした。
 先生は本を読んでいきますがお昼にはです。
 この日は大学の食堂で食べました、ハンバーグ定食を食べていましたが。
 動物の皆は先生と一緒に食べながらそれでこんなことを言ったのでした。
「食堂列車もあるよね」
「欧州では鉄道の旅もあるしね」
「先生も旅の時に楽しんだけれど」
「日本では駅弁があるね」
「昔は食堂列車もあったしね」
「うん、新幹線にもあったしね」
 実際にと答えた先生でした。
「日本にもあったよ、今は駅弁が主流だけれどね」
「そうだよね」
「それでこうしたのも食べていたんだね」
「先生今ハンバーグ定食食べているけれど」
「そうしていたんだね」
「そうだったんだ」
 こう皆にお話するのでした。
「今はね、ただね」
「ただ?」
「ただっていうと?」
「日本は島国だからね」
 他の国と地続きでないからだというのです。
「鉄道の旅も短くなるからね」
「だからよね」
「食堂車もね」
「今はなくて」
「それよりも駅弁になったのね」
「日本では」
「そうなるよ。日本は世界一と言ってもいい鉄道大国だけれど」
 それでもというのです。
「長旅だけは楽しめないね」
「そうだよね」
「そこは仕方ないね」
「じゃあね」
「駅弁を楽しもう」
「鉄道の旅の時はね」
「それがいいね、しかし日本の駅弁は物凄い数と種類で」
 それでというのです。
「食べるのが大変だよ」
「全部食べようって思ったら」
「本当にね」
「一日一個食べたとしても」
「何時食べ終えるか」
「そうだね、気長に食べていくよ」
 先生は笑って皆に言いました、そのうえで。
 先生はハンバーグを食べてからそれをおかずとして白い御飯も食べますが今度はこんなことを言いました。
「いやあ、このハンバーグは御飯に合うね」
「不思議と合うんだよね」
「ハンバーグと白い御飯って」
「本当にね」
「パンとも合うけれど」
「御飯にも合うんだよね」
「僕はハンバーガーもハンバーグサンドも好きだよ」
 ハンバーグとパンの組み合わせもというのです。
「けれどこうしてね」
「ハンバーグ定食もね」
「好きだよね」
「ハンバーグと御飯の組み合わせも」
「そちらも」
「好きだよ、ハンバーグカレーも好きだしね」
 こちらのお料理もというのです。
「この定食も好きだし」
「というかハンバーグカレーっていいよね」
「あれも凄く美味しいよ」
「トミーもよく作ってくれるし」
「王子だって好きだしね」
「そうだね、カツカレーと同じタイプのカレーだけれど」
 カレーとしてのタイプはというのです。
「カツカレーも美味しくてね」
「ハンバーグカレーも美味しい」
「そうよね」
「日本にしかないカレーだけれど」
「絶品だよ」
「ハンバーグも日本で大きく変わったよ。そういえば」 
 そのハンバーグを食べつつさらに言う先生でした。
「ハンバーグもドイツなんだよね」
「そうそう、モルトケさんの国でね」
「ドーラを造った国でもあるし」
「そのドイツのお料理なんだよね」
「名前はハンバーグじゃないけれどね」
「いい食べものだよ、普通のステーキもいいけれど」
 先生はこちらも大好きです。
「けれどね」
「それでもよね」
「ハンバーグも美味しくて」
「ドイツにはこれもあるのよね」
「この食べものも」
「ソーセージとアイスバイン、ジャガイモとザワークラフトに」
 先生はこうしたドイツの食べものを挙げていきました。
「ビールも外せないけれど」
「ビールは絶対だよね、ドイツは」
「あの国は」
「もうビールなくして語れない」
「そんなお国だね」
「うん、あの国はそうでね」
 それでというのです。
「ハンバーグも生み出したんだ」
「ドイツ料理って美味しくないって言う人もいるけれど」
「決してそうじゃないよね」
「ソーセージもあるしね」
「ハンバーグだってあるし」
「そうだよ、ハンバーグはビスマルクも好きだったんだ」
 そのドイツを創り上げたと言っていいこの人もというのです。
「大食漢でハンバーグが大好きで」
「そうだったんだ」
「何か物凄く厳めしいイメージの人だけれど」
「もういつも苦い怖いお顔をした」
「そんな人だけれどね」
「まあ政治家としては強硬な手段を取ってもきたよ」
 ドイツを統一しその繁栄の為にです。
「それでもね、食べることは大好きで」
「ハンバーグ大好きだったんだ」
「あの人は」
「そうだったんだ」
「それで卵も好きで茹で卵を十数個一度に食べたこともあるけれど」
 こうしたことをしたこともあるというのです。
「ハンバーグの上に目玉焼きを乗せて食べることをはじめてしたんだ」
「あれ美味しいよね」
「ハンバーグと目玉焼きって合うのよね」
「これが絶妙で」
「僕も好きだよ」
「私もよ」
「うん、実際にやってみたら美味しくて」 
 ビスマスク本人がです。
「それで食べはじめてね」
「皆が食べる様になった」
「そうなったのね」
「そうだよ、今は普通のハンバーグだけれど」
 濃いソースがたっぷりとかけられています、その大きさはかなりのものです。
「あの食べ方もいいよね」
「そうだよね」
「じゃあ今度トミーに作ってもらう?」
「この食堂にもあるけれど」
「お店にも結構あるし」
「何処かで食べようね、あとビスマルクは大食漢って言ったけれど」
 この人自身のお話もするのでした。
「牡蠣を百個以上食べたこともあるんだ」
「えっ、そんなに食べたの」
「それはまた凄いわね」
「牡蠣を百個以上って」
「そんなに食べたの」
「そうなんだ、背は百九十もあって」
 大柄でもあったというのです。
「食べる量も多かったみたいだね」
「ううん、先生より大きいね」
「先生も百八十あるけれどね」
「その先生よりも十センチも大きいって」
「かなりだよね」
「そうだね、ちなみにドーラを造らせたヒトラーも百七十二あったんだ」
 ナチスの総統だったこの人の背のお話もしました。
「百七十五だったという説もあるよ」
「それ前聞いたけれどね」
「小柄じゃないわよね」
 チープサイドの家族もこう思いました。
「髭の小男とか言われていたけれど」
「それだけあれば小柄じゃないね」
「写真とか映像でも」
 トートーはテレビとかで観るヒトラーが他の人達と一緒にいる場面から言いました。
「小さくないしね」
「どうしてそれで小さいって言われていたか」
「わからないよね」
 オシツオサレツの二つの頭が傾げさせられました。
「ちょっとね」
「当時のドイツ人って皆大きかったの?」
「ドイツ人は確かに背の高い人多いけれど」 
 ホワイティはこのことから考えました。
「百七十あって小さいとかないよね」
「時代によって人の背は栄養の関係で変わるんだったね」
 ジップはこのことから考えています。
「だったら当時のドイツ人ってそこまで大きかったの?」
「それでも百七十あって小柄ってかなりよ」 
 ポリネシアはそのジップに言いました。
「先生と横にいてもあまり変わらないし」
「それで小さいってどういうことかな」
 ガブガブも首を傾げさせています。
「幾ら聞いてもわからないよ」
「周りがビスマルクみたいに大きかったとか」
 チーチーはこう言いながらもそれはないと考えています。
「そうだったのかな」
「実際どうだったのかしら」
 ダブダブも考えていますがこのことには答えが出ませんでした。
「ヒトラーは当時のドイツじゃ小さかったのかしら」
「実は平均身長位だったんだ」 
 先生がヒトラーの背のことで考える皆にお話しました。
「当時のドイツ人のね」
「じゃあやっぱり小柄じゃないじゃない」
「平均身長位なら」
「道理で写真とか映像で全然小さくない筈だよ」
「むしろ高い時もあるし」
「周りに軍人さんが多かったからね」
 ヒトラーはというのです。
「軍人さんはどうしても体格が必要になるからね」
「背が高い人も多かったし」
「だからなのね」
「大柄な軍人さんの中にいたら」
「平均位じゃ低く見えるのね」
「そうだよ、ナポレオンも百六十四とか百六十七とか言われているけど」
 今度はナポレオンの背のことをお話しました。
「当時のフランス人の平均身長は百六十位だったよ」
「じゃあむしろ高い方ね」
「ナポレオンも小さいって言われていたけれど」
「高いって言っていいわね」
「この人の周りも軍人さん達ばかりだったからね」
 元々軍人であったこともあってです。
「近衛兵は百七十八以上あることが条件だったし」
「そんな人達に囲まれていたら」
「やっぱり小さく見えるわね」
「平均的なフランス人より高くても」
「百七十八以上の人にばかり囲まれていたら」
「飛行機のお話をしたけれどレッドバロンはね」 
 先生は第一次大戦のエースパイロットのお話もしました。
「フォン=リヒトホーフェン大尉はね」
「赤い機体の人ね」
「日本のアニメの赤い彗星の機体のモデルになった人だね」
「プラモ部にもその機体のプラモあったし」
「赤い複葉機もあったし」
 まさにリヒトホーフェンが乗っていた機体のプラモもあったのです。
「それであの人もなの」
「背のことで何かあったの」
「やや小柄って言われていたけれど」
 この人もというのです、ヒトラーやナポレオンの様に。
「百八十あったんだよね」
「先生と同じ位じゃない」
「何処が小さいんだろうね」
「つまりそれだけ周りが大きかったのね」
「軍人さん達が」
「日本では軍人さん、自衛官の人達も背丈は普通の日本人と変わらないね」
 先生の見る限りそうなのです。
「筋肉質の人は多くても」
「鍛えられているからね」
「筋肉は当然あるね」
「そちらは」
「うん、けれどね」
 それでもというのです。
「背は変わらないけれどね、日本では」
「欧州では違うね」
「普通の人より軍人さん達大きいわね」
「特に昔だとね」
「貴族出身の士官の人は特に」
「貴族の人は生活に余裕があって栄養も多く摂れたからね」
 それで体格、背丈もあったというのです。
「しかも軍人さんになるとなると」
「もう自然にね」
「体格いい人が余計によくなって」
「背の高い人も多い」
「そうなるのね」
「貴族の人達の中でもね」
 そうなるというのです。
「まさにね」
「だから百八十でもなのね」
「レッドバロンでも小さく見えた」
「そうだね」
「うん、あの人もね」
 まさにというのです。
「小柄に見えたんだ」
「百八十って小柄って」
「アメリカのバスケットボールのプロじゃないんだから」
「そんな社会もあったんだ」
「凄いわね」
「僕だってラグビー選手の間に入ると小さいよ」
 先生は定食のお皿にあるポテトサラダを食べつつ言いました。
「ずっとね」
「ああ、あの人達も大きいしね」
「普通に百九十以上あるし」
「身体も筋肉質で」
「巨大よね」
 動物の皆も頷くことでした。
「もう戦車軍団みたいで」
「あの巨体で突進するから」
「アメリカンフットボールでもそうだけれど」
「大きな人ばかりね」
「プロレスやお相撲でもそうだね」
 先生は格闘技のお話もしました。
「大きな人ばかりだね」
「確かにね」
「力士さん達も大きいよ」
「百八十以上が普通で」
「先生が小さく見えるわ」
「結局背は比較なんだよ」
 先生はこう考えているのでした。
「明治維新の頃の日本人の平均身長は百五十四位だったし」
「小さいね」
「今じゃ女の人でも小柄よ」
「日本の大人の女の人の中でも」
「百五十四位だとね」
「先生がその中に入ったら」
「物凄く目立つね」
 先生もこう言います。
「頭一つ分は」
「今の日本でも大きいけれど」
「昔だともっとだったのね」
「大きかったのね」
「そうだよ、それに僕は背があっても」
 それでもというのです。
「スポーツはからっきしだからね」
「乗馬は出来てもね」
「速く走らせることは苦手だし」
「先生とスポーツはね」
「何の縁もないことだね」
「恋愛とスポーツはね」
 ポテトサラダと同じく定食にあるレタスやトマトも食べてです、そうして言う先生でした。
「僕には無縁だね」
「うん、恋愛はともかくとしてね」
「スポーツはそうね」
「先生とスポーツって」
「残念ながら縁がないわ」
「あれっ、恋愛はともかくって言うけれど」
 先生は皆のその指摘に眉を動かして尋ねました。
「僕は本当にもてたことないから」
「主観と客観ね」
「背は比較だけれど」
「それは先生の主観よ」
「客観はどうかしら」
「そして現実は」
「いやいや、僕はもてないんだよ」
 先生は真剣にこう思っています。
「この外見でスポーツも出来ないから」
「だから人間中身でしょ」
「先生みたいないい人いないわよ」
「温厚で紳士的で気配りも出来て公平で」
「こんないい人いないのに」
「そうは言ってもね」
 先生は気付かないまま主観だけで皆に返します。
「僕がもてたことはないしね」
「だから近く見たらいいのに」
「これまでずっとこうだったけれど」
「先生好きな人っているわよ」
「それも凄くいい人が」
「そうは思わないけれどねラブレターとかプレゼントだって」
 そうしたものはといいますと。
「挨拶とか義理のものを貰うだけだったし」
「どうだか」
「手書きで直接渡す挨拶のお手紙?」
「お顔を真っ赤にさせて渡してきて」
「義理のプレゼントが手作りとか」
「ないよ、絶対に」
 皆はわかっているからこそ言うのでした。
「そんなことって」
「有り得ないから」
「先生が気付いていないだけで」
「実際は」
「いやいや、対人恐怖症の人もいてね」 
 お顔を真っ赤にして手紙を渡した人がそうだというのです。
「手作りは誠実な人だからだよ」
「いや、緊張してたり誠実でも」
「それでもね」
「その人達だってよ」
「先生のことがよ」
「だから僕がもてるってことはないから」
 先生はあくまでこう思い込んでいるのです、外見とスポーツが出来ないからこそこう考えているのです。
「何があってもね」
「だから見ている人は見ているのよ」
「先生のいいところを」
「人はお顔じゃない」
「そうだってね」
「そうだといいけれど皆最近よくそう言うね」
 先生はこのことはわかっています。
「僕が実はって」
「僕達がそう思っているからだよ」
「本当にね」
「だからこう言うのよ」
「周り見てみたら?」
「それで何時かはね」
「結婚もね」
「結婚ね。それはね」
 先生にとってはといいますと。
「僕には恋愛以上にね」
「縁がない?」
「一生僕達やトミーや王子と一緒?」
「そうして暮らしていくの」
「そうなるね、皆がいてくれたら」
 にこりとして言う先生でした。
「僕はこれ以上はないまでに幸せだからね」
「だから幸せには際限がないし」
「先生いつも言ってるじゃない」
「どうしてそこでいつも無欲になるのか」
「このことについては」
「そうは言ってもね」
 先生にしてみればです。
「自分がわかっているから」
「だからなの」
「そう言うの」
「今も」
「そうだよ、僕はもてないし恋愛も結婚もね」
 どれもというのです。
「無縁だよ」
「やれやれだよ」
「もっと自分に自信持ったら?」
「人間自信も持たないと駄目だよ」
「恋愛のことでもね」
「先生の場合は性格だね」
「それに自信を持ったらいいのに」
「地味な性格だからね」
 性格についてはこう言う先生でした。
「服装だってね」
「いつも奇麗にしてるのに」
「スーツでね」
「正装だから服装は誰にも文句言われないよ」
「サプールの人みたいに決まってるよ」
 コンゴにいるとてもお洒落で平和主義の人達みたいだというのです。
「というか先生も平和主義だしね」
「絶対に争わないし」
「サプールみたいだか」
「そこもポイント高いわよ」
「見ている人は見て」
「好きになっているから」
「そうだといいね、けれど僕は本当に女性には縁のない人生で」
 あくまでご自身の思うところを言う先生でした。
「これからもそうだろうね」
「こう思っているうちはね」
「先生もまだまだだよ」
「実際にね」
「早く気付けばいいのに」
「それが僕達の一番の願いだよ」
 やれやれと思うことしきりの皆でした、ですが先生はやっぱり気付かないで。
 今は学問に励むのでした、こちらのことは安定していてしかもよく気付きますが恋愛については本当に駄目なままです。








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