『ドリトル先生の林檎園』




               第五幕  諏訪大社

 先生達は木曽に行った次の日は諏訪に向かいました、そして先生は皆をすぐにある場所に案内することにしました、その場所はといいますと。
「諏訪大社に行こうね」
「諏訪っていえばそこだね」
「諏訪大社だね」
「そこに行くよね」
「これからそうするね」
「うん、そしてね」
 そのうえでというのです。
「お参りしよう」
「今度は諏訪大社なんだ」
「昨日は徳音寺でね」
「その次はだね」
「諏訪大社だね」
「そう、そして」
 さらに言う先生でした。
「どんな場所か観ようね」
「うん、じゃあね」
「今日は諏訪大社に行こう」
「この長野県でも有名な神社だったね」
「日本の中でも特にね」
「そんな神社だし」
「そう、長野県でとりわけ有名な神社の一つで」
 先生は皆にさらにお話しました。
「歴史的に重要なんだ」
「そういえばね」
「あの神社武田信玄さんとも縁があったね」
「諏訪家を攻めてね」
「それで一時期あの神社の主にもなっていたね」
「うん、当時はお寺も沢山の僧兵さんがいて」
 つまり武力を備えていたというのです。
「そして神社も豪族でね」
「独自の勢力だったんだね」
「戦国大名みたいになってたんだ」
「神主さんのお家も」
「そんな風だったんだ」
「例えば織田家はね」
 織田信長で有名なこのお家はといいますと。
「元々は越前、福井県の神主さんだったし」
「名古屋の人じゃなかったんだ」
「織田家って尾張、愛知県と思ってたけれど」
「そのはじまりは違ったんだ」
「福井県だったんだ」
「しかも神主のお家だったんだ」
「そうだったんだ、それが尾張に移ってね」
 そうしてというのです。
「尾張を治めていた人に仕えて」
「尾張一国を治めるまでになったんだ」
「そこまでなったんだね」
「それで信長さんも出たんだ」
「そうなんだ、厳島神社もね」
 今度は広島にある有名な神社のお話をしました。
「豪族、日本で言う国人になっていたから」
「諏訪大社もだね」
「当時は諏訪家っていう家が神主さんだったね」
「そういえば苗字一緒だね」
「地名にもなってるね」
「地名がそのまま姓になっているんだ」 
 先生はその諏訪家のお話もしました。
「ちなみに武田家が滅んでも諏訪家は残っているよ」
「その時に滅んでいないんだ」
「そこで終わっていないんだ」
「あの時信玄さんに滅ぼされたと思ったら」
「違っていたんだね」
「そうだよ、諏訪家は武田家に乗っ取られた形になっていたけれど」
 それがというのです。
「武田家は滅んだね」
「そうそう、信長さんによってね」
「今僕達がお話したその人と戦ってね」
「長篠で負けてね」
「その七年位後で滅ぶんだったね」
「そうなったから」
 だからだというのです。
「武田家は滅んだけれど」
「諏訪家は残っていたんだ」
「何か凄いね」
「負けても残ってるなんて」
「乗っ取られていても」
「そして戦前は爵位を持っていたんだ」
 今度は明治時代のお話でした。
「つまり華族だったんだ」
「江戸時代も残っていて」
「明治時代もだったんだ」
「物凄く息の長いお家だね」
「諏訪家も」
「そうだね、僕もそう思うよ」
 実際にとです、先生も答えました。
「諏訪家はかなり息の長い家なんだ」
「そしてその諏訪大社にだね」
「僕達は今から行くんだ」
「そうするんだ」
「そうしようね」
「そういえばね」
 ここで老馬が先生に言ってきました。
「日本の神社には二つの流れがあったね」
「あっ、そうだったね」
「そういえばそうだったよ」
 オシツオサレツは老馬の言葉に二つの頭で応えました。
「天津神と国津神」
「この二つの流れがあったね」
「確か天津神が伊勢神宮で」
 トートーはまずはこの大社の名前を出しました。
「国津神が出雲大社だったね」
「天津神が天照大神で」
 ポリネシアも言います。
「国津神が須佐之男命だったわね」
「姉弟で系列が別れたのね」
 ガブガブも言います。
「そういえば日本の神話でそんなお話があったわ」
「そうそう、天岩戸だったね」
「あの時だったわね」
 今度はチープサイドの家族がお話しました。
「須佐之男命が大暴れして」
「天照大神が岩戸に入ったね」
「あの時に須佐之男命は高天原を追放されて」
 ジップも日本の神話のことは詳しくなっていて言います。
「それで後で出雲に入るんだったね」
「その子孫が大国主で」
 チーチーは先生から教えてもらった知識を辿りつつ言葉を出します。
「国津神のはじまりだね」
「そして日本の神様はどちらかだね」
 ホワイティが言った言葉です。
「天津神か国津神だね」
「それでこの神社はどちらなのかな」
 最後に言ったのはダブダブでした。
「一体」
「古事記によると国津神になるね」
 先生は皆にこちらの系統だとお話しました。
「どうやらね」
「そちらなんだ」
「国津神なんだ」
「そっちなんだね」
「どちらかというと」
「そうなんだ、ただね」
 先生は皆にさらにお話しました。
「他の説もあるんだ」
「国津神とも限らないんだ」
「何か凄い複雑だね」
「国津神かと思ったら」
「他の系統の神様かも知れないなんて」
「日本神話は凄く複雑だから」
 先生も学んで実感していることです」
「もうそれこそね」
「天津神、国津神で説明出来るか」
「その二つだけで」
「それも出来ないんだ」
「難しいんだ」
「そうなんだ、難しくて」 
 それでというのです。
「はっきり言えないんだ」
「本当に難しいね」
「そこではっきり言えないなんて」
「天津神と国津神だけでもややこしいのに」
「まだあるなんて」
「神様の数も物凄く多いのに」
「そう、神様の多さもだよ」
 先生は皆が言ったそのことに答えました。
「日本神話の特徴なんだよ」
「そうだよね」
「日本の神様って一体どれだけいるのか」
「ちょっとやそっとじゃわからないよね」
「神話だけでもね」
「次から次に出て来て凄いから」
「僕も調べていて」
 そしてというのです。
「中々整理出来なかったしね」
「そうだよね」
「キリスト教じゃ神様は唯一なのに」
「日本神話だと物凄く多くて」
「訳がわからない位だから」
「しかも現在進行形で増えているね」
 神話だけでなくです。
「そうだね」
「そうそう、神社に祀られたら」
「それで神様になるから」
「信長さんも神様になってるんだったね」
「神社に祀られたから」
「豊臣秀吉さん、徳川家康さんもでね」
 この人達もというのです。
「さっき話した信玄さんも信玄さんと戦って上杉謙信さんもね」
「皆なんだ」
「神社に祀られたから神様なんだ」
「そうなったんだ」
「そうだよ、本当にね」
 こうした人達はというのです。
「神様になったよ、明治の軍人の乃木大将だって」
「あっ、乃木神社」
「あの神社だね」
「乃木大将はあの神社に祀られていたね」
「だからあの人も神様になっているんだ」
「そうだよ、そう考えたら」
 先生はご自身で考えつつ言います。
「もうね」
「日本の神様はどれだけいるか」
「もうわからない位なんだね」
「天津神、国津神どころか」
「もっと多いんだ」
「そうなんだ、八百万の神というけれど」
 それでもというのです。
「実際はもうどれだけいるか」
「わからない位で」
「これは大変だね」
「僕達も話していてわからないし」
「本当に大変ね」
「日本の宗教を学ぶことは大変だよ」
 学問なら何でも学べる先生でもです。
「仏教もあるしね」
「日本って神道と仏教が一緒にあるしね」
「はっきり混在してるし」
「そう考えるとね」
「余計に大変だね」
「そして諏訪大社はね」
 先生達が今向かっているそちらはといいますと。
「これまた独特な大社だから」
「そうみたいだね」
「何かこれまでのお話だけでわかるわ」
「そのことはね」
「何と泣くにしても」
「まだ中に入っていなくても」
「そうだね、あと物凄く広いから」
 先生は大社の大きさのお話もしました。
「そのこともわかっておいてね」
「広いんだね」
「じゃあはぐれない様にしないと」
「先生と一緒にいて」
「絶対に離れない様にしないとね」
「そう、皆離れないでね」
 実際にこのことを言う先生でした。
「今もだけれどね」
「大社に入ってからもね」
「絶対にはぐれない」
「その様にしてね」
「しっかりと行かないと駄目だね」
「どうしても」
「そうだよ、そこはね」
 本当にと言う先生でした。
「しっかりとしていこうね」
「そうだね」
「若しはぐれたらどうなるか」
「その時は先生の匂いを嗅がないと」
「先生の匂いはもう覚えてるけれどね」
「最初からはぐれない様にしないとね」 
 絶対にと言う先生でした、そしてです。
 そうお話してです、先生はまた言いました。
「さて、そろそろだよ」
「大社だね」
「大社の入り口ね」
「そこに着くんだね」
「そうなるよ」
 実際にと言う先生でした。
「あと少しでね、ただもういい時間だね」
「あっ、十時ね」
「十時になるね」
「あと少しでね」
「十時になるね」
「だからね」
 それでというのです。
「今はちょっとね」
「喫茶店に寄ってね」
「それでお茶飲もうね」
「午前のティータイムだね」
「それに入ろうか」
「そうしよう、お茶を飲んで」
 先生は皆に笑顔でお話します。
「一服しよう」
「いい時間だしね」
「じゃあ早速お茶飲んで」
「それで一息ついて」
「それから大社に入りましょう」
「皆でね」
「是非ね」
 こうお話してです、そのうえででした。
 先生は皆と一緒に喫茶店に入ってティ―セットを楽しみました、今日のティーセットはレモンティーにです。
 アーモンドとケーキ、そしてフルーツでしたがそのフルーツは。
「あれっ、梨だね」
「そうだね」
「林檎じゃなくてね」
「梨ね」
「長野県はこちらも名産だからね」
 それでというのです。
「梨もあるんだ」
「成程ね」
「じゃあ梨も食べて」
「それでお茶を楽しもう」
「今から」
「そうしようね、何しろ日本に林檎が入ったのは明治以降だから」
 この時代からだというのです。
「それまでは長野県にもなかったから」
「林檎は実は新参者で」
「昔からの名産は梨ね」
「こちらになるんだね」
「レモンティーと梨って面白い組み合わせだけれど」
「これから楽しもう」
「飲んで食べて」
 そうしてとお話してでした。
 皆で午前の軽いティ―セットを口にしました、先生はレモンティーを一口飲んでから皆に言いました。
「このレモンティーも美味しいね」
「そうだね」
「あっさりとした味でね」
「凄く美味しいよ」
「甘くて飲みやすくて」
「ほっと出来るわ」
「十時と三時のお茶はね」
 先生はお茶をまた一杯飲んで言いました。
「素晴らしいね」
「お茶を飲んでセットも食べてね」
「ほっとしてからね」
「大社に入ろうね」
「そうしようね」
「是非共ね」
 先生はお茶を飲んで、でした。梨とかも食べて。
 それから皆と一緒にお店を出て諏訪大社に入りました、皆は大社の中に入ってすぐに神聖なものを感じました。
 そしてです、こう言ったのでした。
「木と社でね」
「凄くいい雰囲気ね」
「清らかでね」
「神様がおられる場所だってね」
「肌で感じるよ」
「うん、日本の神々が座している」
 先生は目を閉じる様なお顔になって言いました。
「そうしたものを感じるよ」
「そうだよね」
「僕達もそうだよ」
「平安神宮や春日大社は三輪大社とはまた違うけれど」
「神様を感じるわ」
「日本の神様をね」
「そうだね、神様が座していて」
 そしてというのです。
「そこにいるとね」
「凄くだね」
「神様を感じ取っていられて」
「この中を進んでいくんだね」
「これから」
「これまで他の神社を巡っていた時みたいにね」
 そうなるとです、先生は皆にお話してでした。
 そうして大社の中を巡りはじめました、ですが大社の中は先生が言った通りにかなり広くてでした。
 それで皆でその広さについて言うのでした。
「いや、凄いね」
「凄い広さよ」
「本当にちょっと油断したらはぐれそう」
「そうなるよ」
「はぐれたら大変だし」
「皆固まっていよう」
「先生と一緒にね」
 こう言って皆先生と離れません、すると先生も言うのでした。
「うん、僕もそうしてくれたらね」
「有り難いよね」
「先生にしても」
「僕達と一緒にいたら」
「はぐれないで済むから」
「僕も皆がいなかったら」
 先生にしてもです。
「一人だと困るしね」
「いや、先生は学問だと大丈夫じゃない」
「そちらだと」
「他のことは凄く心配だけれど」
「学問のことについてはね」
「誰よりも安心出来る人だから」
「そうだといいけれど皆がいてくれるなら」
 それならというのです。
「安心出来るから」
「だといいけれどね」
「僕達にしても」
「先生がそう言ってくれるなら」
「それならね」
「そういうことでね」
 実際にと言う先生でした。
「皆一緒にいようね」
「うん、絶対にね」
「誰もはぐれない様にしよう」
「さもないと大変だから」
「はぐれたりしたらね」
「その時は」
「そうなるから」
 先生も真剣です、皆の為に。
「このままいこう」
「そうして大社の中を巡ろう」
「皆でね」
「そうしていこうね」
「是非ね、それと」
 先生はさらに言いました。
「ここは色々な場所があるから」
「そうだよね」
「広いだけあってね」
「色々な場所があるし」
「一緒に観て回ろうね」
「そうしようね」
 こう言ってです、先生は皆を連れて彼等と一緒に大社の中を回っていくのでした。そしてその中で、です。
 ある渡り廊下を歩きました、皆廊下の真ん中が白くなっていることに気付いてそれで先生に尋ねました。
「ここ何で白いの?」
「真ん中が白くなってるけれど」
「どうしてなの?」
「どうして白くなってるいの?」
「ここはね」
 先生は皆にすぐにこの渡り廊下のことを説明しました。
「布橋っていうんだ」
「あれっ、橋なんだ」
「廊下なのにね」
「橋っていうんだ」
「そういえばここからある場所に行くしね」
「橋渡しってことだね」
「そえでそう呼ばれていて」
 それでというのです。
「廊下だけれど橋と呼んでいるんだ」
「ふうん、そうなんだ」
「そのことがわかったよ」
「どうして廊下なのに橋か」
「日本の言葉と考えに理由があったのね」
「そういうことね」
「そして布という名前が付いているのは」
 今度はその理由についてお話するのでした。
「真ん中が白いね」
「うん、確かにね」
「それがさっきから気になってるけれど」
「いつも何か敷かれていてそこだけ空気に触れてない白さだね」
「そうした白さだよ」
「それはそこに布が敷かれたからなんだ」 
 だからだというのです。
「それで布橋だよ」
「成程ね」
「そうした理由だったんだ」
「だから布橋だね」
「ここは布橋って呼ばれるんだ」
「上に布が敷かれる布橋だから」
「そういうことだね」
 動物の皆も納得しました、どうして布橋という名前になったのか。そして先生は皆にさらにお話しました。
「そしてここは特別な渡り廊下だったんだ」
「ただ名前だけじゃなくて」
「他にもあるんだ」
「そうなんだ」
「そうなんだ、ここは大社で一番偉いね」
 先生は皆にお話します。
「大祝という人だけが通れたんだ」
「うわ、そんな場所だったんだ」
「そんな特別な場所だったの」
「今は僕達も普通に通ってるけれど」
「そうした場所だったの」
「そうだったんだよ」
 こう皆にお話するのでした。
「ここは元々ね」
「ううん、何か色々と凄い場所だね」
「普通の渡り廊下かなって思ったら」
「それがね」
「そんな特別な場所だったなんてね」
「思いもしなかったし」
「驚いたわね」
 皆本当に驚いています、その廊下を歩きながら。
 そしてです、先生にあらためて尋ねました。
「じゃあここも神聖な場所なんだ」
「大社の中でも」
「そうした場所なんだね」
「そうだよね」
「そうだよ、一見普通の渡り廊下だけれど」
 それがというのです。
「実はね」
「特別な場所で」
「それでだね」
「神聖な場所でもある」
「そういうことだね」
「そうだよ、ではこのまま歩いていこうね」
 その特別で神聖な廊下をというのです、皆でその境内を歩いていってそうして新たな場所に向かいます。
 皆は次は境内に出ましたがふとです。
 小石が敷かれ神社に相応しく石の境内の中に入り周りの木造の社達を見て動物の皆は先生にここでも尋ねました。
「あの、何かね」
「ここの境内ちょっと違うね」
「独特な造りしていない?」
「他の神社と違って」
「そうだよね」
「うん、諏訪大社はね」
 先生はここでも皆にお話しました。
「他の神社とは違う系統が入っているから」
「神様にだね」
「それでなんだ」
「境内の造りも他の神社と違うんだ」
「神社の造りはしていても」
「色々と違うんだ」
「そんな場所なんだ」
 こうお話しました。
「ここはね」
「成程ね」
「それで何か違うんだ」
「神社の境内は境内でも」
「それでもだね」
「そうだよ、そしてここでのお願いはね」
 今度はこちらのお話をする先生でした。
「大きなお願いでないと駄目と言われてるんだ」
「大きくないとなんだ」
「駄目なの」
「それはどうしてかな」
「どうして大きくないと駄目なのかな」
「大きなお願いってことか大きな声かは」
 それはというのでした。
「ちょっと諸説あるかな」
「大きなっていっても色々だしね」
「お願いかも知れないし声かも知れない」
「ちょっとそこはね」
「色々言われても仕方ないね」
「この辺り日本語の面白さだね」
 こうもお話する先生でした。
「そうだね」
「確かにね」
「日本語そこが難しいよね」
「日本語独特の言葉の合わせがあったりするし」
「英語とはまた違った形でね」
「そういうのもあるしね」
「そう、だからね」
 それでというのでした。
「そこはわからないよ、ただこうした場合は」
「大きな声で大きなお願いを」
「そうすればいいね」
「どっちかわからなくても」
「両方を一度にすればいいね」
「そう、だからね」
 先生は皆に笑顔のまま言いました。
「ここは皆で大きな声で大きなお願いをしようね」
「うん、じゃあね」
「今からそうしましょう」
「大きな声で大きなお願いをしましょう」
「皆でね」
 皆でお話してです、そしてでした。
 先生も皆もお賽銭を入れて手を合わせてからでした、お願いをしました。ただ先生と皆のお願いは別でした。
「皆が幸せになりますように」
「先生が今以上に幸せになります様に」
「よし、これでいいね」
 ホワイティはお願いが終わるとすぐに言いました。
「先生はもっと幸せになるよ」
「今以上にね」
「そうなるわね」
 チープサイドの家族はホワイティに応えました。
「これでね」
「あの人とのことも適うわ」
「諏訪の神様達にもお願いしたし」
 ダブダブも言います。
「もう安心ね」
「これまで色々な神様と仏様にお願いしてるし」
 トートーが言うにはです。
「教会でもだしね」
「そしてこちらでもお願いしたし」
 ポリネシアの声は確信しているものでした。
「余計にいいわね」
「先生は僕達の幸せを願って」 
 ジップは先生を見てから言いました。
「僕達は先生の幸せを願う」
「これでいいよね」
 チーチーは笑顔になっています、そのうえでの言葉です。
「バランスが取れていて」
「そうだよ、先生がどう思っていてもね」
 このことはガブガブもいつも思っていることです。
「もっと幸せになっていいから」
「だから大きな声でお願いしたね」
「僕達にとっては大きなお願いだしね」
 オシツオサレツも二つの頭でお話します。
「それならね」
「ここでもお願しないとね」
「そしてお願いしたから」
 最後に言ったのは老馬でした。
「絶対に適うね」
「皆また変なこと言うね」
 先生にとってみればでした、何しろ皆はわかっているのに先生だけは全くわかっていないことあなのですから。
「ここでも」
「何度でも言うし」
「何処でもお願いするよ」
「だって先生の為だしね」
「お願いしないと駄目だから」
「絶対にね」
「本当にわからないよ、ただ」
 先生は皆の心がわかって笑顔でこうも言いました。
「有り難いよ」
「僕達がこうしてお願いすることが」
「そのことがだね」
「先生も嬉しいんだね」
「そう言ってくれるんだね」
「うん、僕を大事に思ってくれてのことだから」
 先生もこのことはわかります。
「だからね」
「そうだよ」
「本当に大事に思ってるよ」
「このことは事実だからね」
「先生も安心してね」
「私達嘘は言わないから」
「動物は嘘を言わないよ」
 こうしたことも言うのでした。
「そうだからね」
「先生のことはこれからもお願いしていくから」
「僕達皆でね」
「トミーも王子もだよ」
「皆でそうしていくからね」
「皆がそうしてくれるならね」
 先生は皆の真心をわかっているからこそ応えました。
「僕も嬉しいしね」
「うん、じゃあね」
「これからもお願いしていくから」
「そういうことでね」
「これからもたっていくから」
「それじゃあね、それと」 
 今度はこう言った先生でした。
「土俵にも行こうか、上社拝殿にも行くけれど」
「土俵もあるんだね」
「神社には結構あるよね」
「お相撲は神事でもあるからね」
「力士さんも神主さんと縁が深いし」
「だからね」
 それでというのです。
「土俵もあるしね」
「そこも観ていって」
「そしてだね」
「先生は土俵入りはしないけれど」
「若しお相撲をしていたらね」
「観ようね」
 こんなこともお話して土俵も観に行きました、すると。
 先生はです、ここでこんなことを言いました。
「残念ながらお相撲はしていないね」
「まあそれはね」
「時期があるからね」
「お相撲をしていない時もあるし」
「そこは仕方ないね」
「どうしてもね」
「そう、だからね」 
 それでというのです。
「今は諦めて」
「それでだね」
「土俵だけ観ようね」
「土俵を観ただけでもいいし」
「それじゃあね」
「それで満足しようね、じゃあ次は」 
 お相撲を観られなかったことは少し残念でもです、先生は落ち込まないでそのうえで皆に言うのでした。
「いよいよね」
「上社だね」
「そこの拝殿だね」
「この大社で一番大事なところ」
「そこに行くんだね」
「そうしようね」
 是非にとです、先生は皆にお話してでした。
 今度はその上社の拝殿に皆を案内してそちらに入りました、拝殿も木造の見事な造りでした。
 その拝殿の前に来てです、動物の皆はここでも神聖なものを感じてそうして自分達と同じく神聖な気持ちになっている先生にお話しました。
「この気持ち覚えておかないとね」
「絶対にね」
「神々の前にいる」
「このことをね」
「忘れたらいけないね」
「そうだよ、宗教は違っても」
 それでもというのです。
「神様を感じてね」
「そうしてそのうえでね」
「神聖なものを感じる」
「この気持ちを忘れないで」
「そのうえでいないとね」
「そうだよ、日本の神道は確かに学びにくいよ」
 先生でも難しいのです。
「神様はとでもなく多くて天津神と国津神、道祖神ってあって」
「人も神様になるしね」
「どんどん増えていくしね」
「あと妖怪でも神様だったりするし」
「本当に学びにくいね」
「難しいよね」
「そう、そしてね」
 さらに言う先生でした。
「古事記と日本書紀で内容が違ったりするし」
「ああ、本によってだね」
「神話のことでも書かれることが違ったりするんだ」
「同じ人についても」
「そうだったんだ」
「日本武尊のお兄さんは古事記ではその日本武尊に殺されているけれど」
 それがというのです。
「日本書紀では美濃、今の岐阜県に行けと命じられてそこを治めたんだ」
「全然違うね」
「何で古事記では殺されて日本書紀ではそうなの?」
「全く違うけれど」
「同じ人のお話なのに」
「それでその人の神社が岐阜県にあって」
 先生はその人のお話を続けました。
「神様として祀られているんだ」
「じゃあこの場合は日本書紀が事実?」
「そっちになるの?」
「というか日本武尊ご自身も実在の方?」
「神話の方よね」
「日本は神話がそのまま歴史になっているから」 
 そうしたお国だというのです。
「古事記も日本書紀も結末は歴史に続くって感じなんだ」
「そんな本もあるんだ」
「というか日本の歴史って神話に続いているんだ」
「そんな国本当にあるなんて」
「いや、聖書もキリストから歴史になっているから」
 先生は今度は先生達の宗教のお話もしました。
「別におかしくないよ、ただ日本は皇室が神武帝からはじまっていて」
「その神武帝が神話の方で」
「それでなんだ」
「そこから歴史になっているんだ」
「皇室から」
「そうだよ、皇室の正式な成立の時はわからないけれど」
 先生も学んでいますがわかっていません。
「少なくとも三世紀には存在したみたいでね」
「じゃあ日本武尊も実在の方?」
「それでお兄さんも」
「そうなるのかな」
「どうなのかな」
「そこもわからないしね」
 先生は皆にまたお話しました。
「本当にね」
「日本の神道はわかりにくいね」
「難しいね」
「どうにもこうにも」
「そのことは事実ね」
「そうだね、けれどこうして神社の中に入らせてもらうと」
 それならというのです。
「本当に神聖な気持ちになることは確かだね」
「大切にしないとね」
「こうしたものもね」
「宗教は違えど」
「神様は神様だから」
「そうだよ、最近僕は神道も仏教も学んで」
 そうしてというのです。
「天理教も学んでるけれどね」
「あの宗教もね」
「そういえば八条学園にも天理教の教会あるしね」
「神社もお寺もあって」
「キリスト教の教会もあってね」
「宗教は本来いがみ合うものじゃないんだ」
 先生のお考えではそうです。
「お互いに認め合って学び合って語り合う」
「そうしたものだよね」
「日本でもそうだしね」
「他の国でもそうでありたいね」
「宗教が違うだけで争うとか」
「そんなことは駄目だね」
「キリスト教の神も望まれているか」
 そもそもというのです。
「それはどうかな」
「そんな筈がないよね」
「神様は争えとかね」
「そんなこと思われる筈がないし」
「言われることもないね」
「絶対にないよ」
 先生は断言しました。
「だからこうしてね」
「他の宗教の場所に行ってもいいね」
「そして神聖なものを感じてもね」
「それでもいいね」
「いいよ、僕はそう考えているよ」 
 本当にこう考えているのが先生です。
「心からね」
「そうだよね」
「それが先生の考えだよね」
「その考え正しいと思うよ」
「そうあるべきだよ」
「そうだね、あと実は」
 先生は皆に笑顔でこんなこともお話しました。
「信玄さんはこの大社に縁が深いことはお話したね」
「ええ、前にね」
「まあ乗っ取ることはよくないにしても」
「戦国時代だしね」
「相手も領主さんでもあったし」
「それならね」
「今言っても仕方ないしね」
 皆もそうしたことは納得しています。
「そのことはね」
「もう何を言っても仕方ないし」
「それはそれね」
「そういうことでね」
「この人はこの大社に縁が深かったけれど」
 あらためてお話する先生でした。
「お坊さんであったんだよ」
「あっ、信玄さんって出家してね」
「お坊さんになったお名前だったね」
「お坊さんとしてのお名前で」
「本来の名前は違ったね」
「そうだよ、お坊さんであったけれど」
 つまり仏教の人だったというのです。
「これがね」
「そこも日本ならではよね」
「そういえば謙信さんも神様になってるけれど」
「出家したから謙信さんで」
「そこは本当に日本だね」
「何しろ歴代の帝も」
 神道の本家本元であられる方々もというのです。
「出家されてるしね」
「だから法皇だったね」
「最初ローマ法皇かなって思ったけれど」
「これが違うからね」
「帝が譲位されて上皇になられて」
「出家されて法皇になられるんだったね」
「そこは違うね」
「どうしても」
「そう、だから神道にいても出家してもいいんだ」
 仏門に入ってもというのです。
「神社の中にお寺があったりお寺の中に神社があったり」
「日本ならではだけれど」
「どっちも一緒に信仰していい」
「そういうことだね」
「だから信玄さんもだったんだね」
「そうだよ、そしてあの白い鬣みたいなものがある兜も」
 こちらもというのです。
「諏訪の兜だからね」
「あれ恰好いいよね」
「まさに総大将の兜って感じで」
「映えるのよね」
「もう信玄さんの象徴ね」
「そう、あの兜もね」
 信玄さんならというこの兜もというのです。
「諏訪だからね」
「本当に諏訪と縁が深くて」
「それでいて出家もしていて」
「それでも問題ない」
「それが信玄さんで日本ということね」
「そうだよ、まあ本当に信玄さんは基本山梨の人で」
 当時甲斐と呼ばれた国のです。
「あちらのヒーローだけれどね」
「山梨じゃ今も大人気っていうわね」
「悪く言う人がいない位」
「新潟の上杉謙信さんと一緒で」
「そうだっていうわね」
「そう、本当にね」
 実際にというのです。
「山梨最高の偉人だよ」
「それでもこの長野に縁があるのね」
「諏訪大社にも」
「それでよね」
「今こうして僕達にお話してくれたんだね」
「そういうことなんだ、それと」
 今ここでメールの着信が来てこう言いました。
「トミーと王子が明日こっちに来るよ」
「あっ、明日なんだ」
「明日こっちに来るんだ」
「長野県に」
「そうなんだ、こっちに来てくれて」
 そしてというのです。
「僕達と一緒に長野県で楽しみたいそうだよ」
「遂にトミー達も来てくれるんだ」
「王子も」
「それじゃあ明日ね」
「明日トミー達と合流しようね」
「合流場所は長野県だよ」
 そこだというのです。
「だから楽しみだね」
「そうだね」
「じゃあ明日は長野市に行こう」
「あそこは確かこの県の県庁所在地だし」
「先生も行くつもりだったね」
「最初からね、じゃあね」
 笑顔で応える先生でした、今も。
「これからね」
「うん、じゃあね」
「明日は長野市に行こう」
「そうしましょう」 
 動物の皆も笑顔で答えました、そしてでした。
 諏訪大社の中をさらに歩いていきました、そのうえで明日の長野市のことを思ってそうしてそちらも楽しむのでした。








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