『ドリトル先生の野球』




                第九幕  ドラフトの日

 遂にドラフトの日になりました、動物の皆は先生に朝から言いました。
「今日だね」
「今日ドラフトの日だよね」
「今日あの人がどうなるか」
「それが決まるね」
「そうなるよ、だからね」
 先生は皆に朝ご飯を食べつつ応えました。
「僕もどうなるかね」
「気になってるよね」
「気になって仕方ないわね」
「そうだよね」
「凄くね」 
 こう皆に答えます。
「このドラフトはその選手の人生を決めるだけじゃないからね」
「チームの戦力もことだしね」
「凄く大事だよね」
「いい選手を獲得出来るかどうか」
「それの分かれ目だから」
「凄く大事だよ、ドラフトで失敗すると」
 その場合はといいますと。
「後々影響が出るからね」
「そうだよね」
「今の巨人なんかそうだしね」
「毎年ドラフトで失敗してるし」
「指名した人に入団拒否されることもあるし」
「特に下位指名の人にね」
「巨人はフリーエージェントでの補強をはじめてから選手の育成を止めたね」
 先生はこのことを指摘しました。
「そうだね」
「そうそう、一位や二位の人は育てるけれど」
「下位の人はね」
「本当に育てないから」
「今はフリーエージェントでも選手来なくなってるけれど」
「お金もなくなってるし」
「それでいてずっと育成をしなかったから完全に忘れているんだ」
 選手の育成の仕方をです。
「だからだよ」
「あの有様なんだね」
「いい選手も入ってこないし」
「しかも育成が出来ていない」
「万年最下位のチームになっているんだ」
「そうなんだ、ああなったらね」
 今の巨人みたいな事態に陥ればというのです。
「どうしようもないよ」
「全くだね」
「ああなったらね」
「万年最下位間違いなしだね」
「そうなるからね」
 だからだというのです。
「ドラフトは大事だよ」
「まんべんなくいい選手を獲得する」
「チームの戦略に沿って」
「それが大事だね」
「何といっても」
「そうなんだ、ただね」
 こうも言う先生でした。
「逆に言えばね」
「逆?」
「逆っていうと」
「いい選手を獲得して」
「的確な育成が出来れば」
「チームの戦力を段違いに上げるよ、一回のドラフトでいい選手を三人獲得出来ればチームの戦力は飛躍的に上がるとも言われているしね」
 先生はこの言葉も出しました。
「ドラフトは重要だよ」
「三人なんだ」
「三人優秀な選手を獲得出来れば」
「それでチームの戦力は段違いに上がるんだ」
「これは阪急ブレーブスのことでね」
 このチームのことだというのです、かつて存在した。
「山田久志投手、福本豊選手、加藤秀治選手の三人を同じ年のドラフトで獲得して」
「物凄く強くなったんだ」
「その人達を獲得して」
「そうなったんだ」
「そうなんだ、他にも近鉄バファローズもね」
 やはりかつて存在したチームです。
「毎年みたいにいい選手をドラフトで獲得してね」
「それでなんだ」
「チームの戦力を整えたんだ」
「そうだったんだ」
「阪急は後にこの人達が主軸となって黄金時代を築いて」
 そしてというのです。
「近鉄も連覇してるよ」
「そのチームもなんだ」
「ドラフトでいい選手を獲得して」
「その結果なんだね」
「梨田昌考選手、羽田耕一選手、栗橋茂選手、佐々木恭介選手、有田修三選手と次々にいい選手を獲得してね」
 ドラフトによってというのです。
「そうして連覇出来たんだ」
「そういえばソフトバンクにしても」
「あのチームもだよね」
「松中選手、井口選手、城島選手と獲得したし」
「和田投手もそうだよね」
「それで今だってね」
「いいドラフトしてるね」
「そのことを見るとね」
 実際にというのです。
「ドラフトは大事だよ」
「そうだよね」
「失敗すれば巨人みたいになって」
「成功すれば阪急や近鉄みたいになる」
「ソフトバンクも然りで」
「強くなるんだ」
「そうなんだ、広島だってね」
 広島東洋カープ、このチームもだというのです。
「毎年しっかりとしたドラフト戦略考えてるね」
「そうそう、あのチームもね」
「しっかり考えてるね」
「あそこは育成もしっかりしてるし」
「猛練習で有名だし」
「あのチームはずっと低迷していたけれど」
 それでもというのです。
「強くなったのはその低迷してた時も努力していたからだよ」
「ドラフトに育成に」
「頑張って来たからだね」
「今の広島があるんだね」
「阪神と対抗している」
「そうしたチームになったんだ」
「不思議と阪神は広島には毎年負け越しているけれどね」
 先生はこのこともお話しました。
「あのチームが強いのもそのお陰だよ」
「そうだとね」
「いつもちゃんとしたドラフトしてて」
「育成も怠らない」
「だからだね」
「あの強さなんだね」
「そうだよ、本当にドラフトは大事だよ」
 先生はまた言いました。
「チームの将来を左右するからね」
「全くだね」
「強いチームにするにはドラフトを頑張る」
「それが第一だね」
「若しそれを怠ったら」 
 また言う先生でした。
「本当に巨人みたいになるよ」
「ずっとドラフトをおろそかにしていて」
「他チームから選手を掠め取ることしか考えてなくて」
「掠め取ることが出来なくなったら」
「ああなるんだね」
「そうなんだ、ドラフト戦略の立て方も育成も忘れてしまっているから」
 長い間補強ばかり考えていてです。
「ああなるんだ」
「もう自前の戦力を育てられなくて」
「獲得も出来なくて」
「それでだね」
「万年最下位になってるんだね」
「そうだよ、本当にね」 
 まさにというのです。
「ああはなるまいだよ」
「反面教師だね」
「文字通りの」
「今の巨人を見ていたら」
「本当にそう思えるね」
「何ていうかね」 
 トートーがどうかというお顔で言ってきました。
「補強ばかりだとチームは駄目になるんだね」
「他チームのから選手を掠め取るばかりだと」
 ジップも言います。
「最後はああなるんだね」
「というかね」 
「ドラフトを忘れたら本末転倒よ」
 チープサイドの家族もこう言います。
「ドラフトの下位選手を放置とかね」
「そんなことしたら駄目だよ」
「助っ人もいい人来なくなってるしね、巨人って」
 ダブダブは外国人選手のお話をしました。
「まともな助っ人獲得しないよね」
「所謂ネタ選手ばかりになってるわね」
 ガブガブはこう言いました。
「悪い意味で印象に残る人ばかりで」
「本当にまずドラフトなんだね」
 チーチーはしみじみとした口調で言いました。
「チームづくりは」
「いい選手が補強のせいでずっと二軍にいたら」
 どうかとです、ポリネシアは言いました。
「よくないわよ」
「その選手の人にとってもチームにとっても」
 実にとです、ホワイティは指摘しました。
「いいことは一つもないね」
「それじゃあ指名されても断られる様になるよ」
 老馬はこのことを当然としました。
「活躍出来ないんだからね」
「というかそれでまだ球界の盟主を気取ってるから」
「余計に始末に負えないよ」
 最後にオシツオサレツが二つの頭でお話します。
「弱いし人気も十二球団最低になってるのに」
「それでプライドだけ高いからね」
「本当にああなっては駄目だね」
 また先生が言いました。
「何もならないから」
「そうだよね」
「ああなるとね」
「どうしようもないね」
「うん、昔の栄光とやらにしがみついて」
 そうしてというのです。
「今の状況を見ようとしない」
「最悪のケースだね」
「それが続く様だと巨人は最下位のままだね」
「というか最下位の方がよくない?」
「巨人が最下位の方がね」
 皆ここであることに気付きました。
「今日本景気いいけれど」
「巨人が弱いからじゃないかな」
「皆巨人が負けるの見て元気が出てね」
「それでお仕事にも勉強にも励めて」
「それで日本景気がいいんじゃないの?」
「巨人が弱いから」
「僕もそう思うよ、日本の長い不景気はマスコミが連日連夜不況ばかり言っていたことがとても大きかったけれど」
 先生はここでもこのお話をしました。
「病は気からっていうしね」
「不況不況ばかり聞いてたらね」
「本当に不況になるよ」
「仕事から帰ったり休日にテレビ点けたらね」
「不況ばかり言ってたら」
「気が滅入って」
「不況にもなるよ」
 皆にもお話します。
「やっぱりね」
「そうだよね」
「それだけでね」
「不況になるね」
「けれど皆マスコミの正体がわかって」
 日本のマスコミの、です。
「テレビの言うことを鵜呑みにしなくなって」
「巨人が弱くなった」
「その二つが合わさってなんだ」
「日本の景気はよくなったんだ」
「巨人が勝たないと日本の景気はよくならない」
 先生はこの言葉も出しました。
「この言葉は間違いだったんだ」
「むしろ逆だね」
「今の日本を見たら」
「巨人が弱くなると日本の景気はよくなる」
「そちらだよね」
「しかもだよ」
 先生は皆にさらにお話しました。
「テレビに出て来る巨人ファンのタレントの人達って酷い人が多いからね」
「あっ、確かに」
「品性下劣な人多いわね」
「もう何ていうかね」
「カルト教団の信者みたいで」
「おかしいわ」
「そうだね、そのこともね」
 どうもというのです。
「僕は気になるから」
「そうだよね」
「普通の人ならおかしいって思うよ」
「子供の教育に悪い人達ばかりで」
「それを見てるとね」
「僕もおかしいって思っているよ」
 テレビに出て来る巨人ファンのタレントさん達の発言を聞いていると、というのです。
「落語家の人でもいるけれどね」
「ああ、いるね」
「人のお家に上がり込んでご飯を貪るだけが取り柄の人だね」
「肝心の落語はどうか知らないけれど」
「言葉の全部から品のなさが出てるわね」
「強い相手には媚びて弱い相手は馬鹿にして」
「悪い生き方してるね」
「ああした人を見ているとね」
 どうしてもというのです。
「僕も思うよ」
「おかしいって思うよね」
「全部の巨人ファンがあんな人達の筈なくても」
「少なくともテレビに出て来る巨人ファンはおかしい」
「そう思うわね」
「実際にそう思っているよ」
 先生は皆に答えました。
「ガチャ目でスキンヘッドの人もね」
「あの北朝鮮大好きな人ね」
「あの人も品がないわね」
「言ってること全部滅茶苦茶だし」
「論理の欠片もないし」
「テレビは子供も観るからね」
 先生はこのことも指摘しました。
「やっぱり出来るだけおかしな人は出したらいけないよ」
「そうだよね」
「何といってもね」
「子供の教育に悪いから」
「どうしてもね」
「そう、だからね」 
 それでというのです。
「ああした人達は出したらいけないよ」
「全くだね」
「しかし本当にテレビに出て来る巨人ファンおかしな人が多いわ」
「大体巨人軍大鵬卵焼きって言われた世代?」
「そうした人達かしら」
「まさに巨人のプロパガンダを受けていた世代だよ」
 この世代の人達はというのです。
「だから今の年配の人には巨人ファンが多いんだ」
「大体学生運動していた時代かな」
「その時代の人達かしら」
「その人達はもう巨人しかなくて」
「品性もああなんだ」
「そうじゃないかな、しかし」
 ここでまた言った先生でした。
「日本のマスコミの問題点を凝縮した存在とも言えるね、巨人は」
「全くだね」
「親会社自体がマスコミだし」
「そのことを考えると」
「巨人はそう言えるね」
 先生の言う通りだとです、動物の皆も応えます。
「言われてみると」
「そうだよね」
「二十世紀後半の日本はマスコミが癌だったけれど」
「その癌細胞を凝縮させたのが巨人」
「そうだよね」
「だから余計にね」
 まさにというのです。
「巨人のああした体質とかは考えるべきだよ」
「戦後日本の問題点の凝縮された姿だね」
「巨人っていうチームは」
「それにあたるんだ」
「僕はそう思っているよ」
 先生はまた言いました。
「本当にね」
「全くだね」
「じゃあ今巨人が弱いのはあれかな」
「戦後日本の問題点が解消されてきている」
「そういうことかしら」
「そうだと思うよ、じゃあ学校に行って」
 そしてというのです。
「後はね」
「研究室のテレビでだね」
「様子を見守るんだね」
「そうするんだね」
「そうしようね」
 ドラフトの実況を観ようというのです、そうしたお話を朝にしてでした。
 先生は皆と一緒に大学に出勤しました、そして午前中の講義も済ませ午後に、でした。
 研究室のテレビを点けました、ここで先生は言いました。
「そういえば研究室でテレビを点けるなんて」
「あっ、珍しいね」
「そういえばね」
「あまりないよね」
「そうだよね」
「そうだね、どうも日本のテレビ番組は僕に合わないからね」
 だからだというのです。
「そのこともあってね」
「それで、だよね」
「先生テレビはあまり観ないね」
「そうなってるね」
「特に報道番組はね」
 こちらの番組はというのです。
「そうだね」
「偏向してるからだね」
「それも極端に」
「事実を伝えてないから」
「だからだね」
「そうなんだ、事実を伝えないと」
 そうしないと、というのです。
「報道番組の意味がないね」
「確かにね」
「その通りだね」
「事実を報道しないと」
「もう報道番組じゃないよ」
「それだけで」
「だからなんだ、それも意図的なものだから」
 その偏向はというのです。
「余計にね」
「先生としてはだね」
「観ない」
「そうしてるんだね」
「そうだよ、事実を確かめるなら」
 それならというのです。
「もうね」
「ネットだね」
「それがいいんだね」
「それで事実を確かめるべきなんだね」
「そうしているよ、さもないと騙されて」
 そうしてというのです。
「色々間違えるからね」
「だからだよね」
「そうしたことはしない」
「テレビの報道番組は観ない」
「そうしているんだね」
「そうしているんだ」
 こう皆にお話するのでした。
「僕はね」
「それ凄いよね」
「事実を報道しないって」
「そこまで偏向してるって」
「とんでもないことだよ」
「そのことを見ると」
 どうしてもというのです。
「僕は報道番組は観られないよ」
「日本のそれは」
「観ていて得られるべきものを得られないから」
「だからだね」
「それでだね」
「野球でも関東だと酷いからね」
 テレビの実況はというのです。
「本当に」
「ああ、巨人偏向だね」
「向こうは今でも巨人贔屓の実況なんだ」
「そうしてるんだ」
「そうなんだ、それでね」
 さらにというのです。
「僕は出張で関東に行くと野球もテレビでは観ないよ」
「巨人に偏ってるから」
「だからだね」
「それでだね」
「もうね」
 それこそというのです。
「巨人が完全に正義みたいな実況はよくないよ」
「関西それはないからね」
「阪神よりも報道でもね」
「それでもね」
「まずね」
「そこまで酷くないから」
「そういえば」
 ここで先生はあることに気付きました、その気付いたことはといいますと。
「テレビ局は関西で放送してるのに東京のお店ばかり紹介するね」
「ああ、してるね」
「実際にね」
「神戸にいるのに東京のこと紹介されても」
「そうそう行くこと出来ないのに」
「やたら東京のお店紹介されるけれど」
「意味ないよ」
 皆もこう言います。
「神戸にいたら神戸のこと知りたいよ」
「神戸のお店をね」
「大阪や京都でもいいけれど」
「奈良や岡山でもね」
「そうしたところなら」
「それがだよ」
 関西でも放送しているのにというのです。
「東京のお店ばかり紹介するから」
「おかしいよね」
「その時点で」
「もうね」
「日本のマスコミはどうかしてるよ」
「本当にね」
「日本の大手マスコミは本社が東京に集中していてね」
 それでというのです。
「その大手マスコミこそがお金も情報も独占していたから」
「だからなんだ」
「権力も持っていて」
「それでだね」
「東京のことばかりなんだ」
「特にテレビはね、だから全国に放送している番組でも」
 それでもというのです。
「東京のお店ばかりなんだ、取材も楽だしね」
「後半が大事だね」
「取材が楽だっていうのが」
「そのことが」
「そう、地方に行かなくていいからね」
 東京を出て、です。
「それで出来るからだよ、だから毎朝やってる面白いとは言えない番組も」
「ああ、どのテレビ局でもあるね」
「そうした番組ね」
「朝にいつも流していて」
「全然面白くないんだよね」
「関西で観ても」
「一体何考えてるのかな」
 皆もそこがわかりませんでした。
「地方の人が観て面白くない、為にならない番組全国で放送するとか」
「確かに関東は人多いけれど」
「東京も一千万いるしね」
「そこに横浜とか川崎とか千葉とか入るし」
「埼玉だってね」
「まさにメガロポリスだけれど」
「それでも関東だけじゃないね」
 先生はまたこう言いました。
「そうだね」
「うん、そこはね」
「言うまでもないよ」
「関西だってあるし」
「東海、北陸、甲信、東北、北海道とあって」
「山陽、山陰に四国」
「九州だってあるよ」
「それで関東のお店ばかりにこにこととして紹介されても」
 そのうちの一つ関西の神戸に住む先生としてはです。
「意味がないよ」
「全くだね」
「そんなことしても意味ないよ」
「関東でだけ放送すればいいのに」
「それも毎朝なんてね」
「しかもその司会の人がね」
 この人がというのです。
「また的外れなことばかり言うし」
「それも駄目だよね」
「そうだよね」
「関東のお店ばかり紹介するし」
「そのこともあって」
「だから日本の心ある人はどんどんテレビから離れていくんだ」
 そうなっているというのです。
「何の役にも立たないどころか有害な番組ばかりだから」
「報道番組だけじゃないんだね」
「そうした番組は」
「だったら余計に観る価値ないよね」
「関西にいたら」
「全く、昔はそうした時間は子供向けの番組を報道して」
 毎朝そうしていたというのです。
「これが面白くて為になったんだよ」
「そっちに戻ればいいのに」
「何で戻らないのかな」
「下らない番組ばかり流さないで」
「そっちを放送すればいいのに」
「本当にそう思うよ」
 先生にしてもです。
「日本のマスコミは最初からとんでもなく質が悪いけれど」
「それでもだね」
「最近は特になんだ」
「どうしようもなく質が悪くて」
「ネットの動画の方がずっと為になるよ」
 そうなっているというのです。
「実際ね、視聴者数を確保する為に努力もしてるしね」
「テレビと違って」
「もうテレビは手抜きだらけでね」
「どうしようもないけれど」
「ネットは違うんだね」
「そちらは」
「そうだよ、だから僕も日本のテレビはすぐに観なくなったよ」
 来日してです。
「そうなったよ」
「先生はわかる人だからね」
「まともな番組かどうか」
「偏向しているかどうか」
「そうだからだね」
「日本のテレビ番組は観なくなったんだ」
「ドラマとアニメと特撮かな」
 その三つだというのです。
「日本のテレビ番組で観ていいのは、それとスポーツ番組だね」
「関東の野球の実況以外はだね」
「スポーツも観ていいんだ」
「そうなのね」
「それでも時々おかしな実況があるから」
 先生はあるとても下品なボクサー一家を思い出しました。
「だからね」
「それでだよね」
「スポーツの実況も注意が必要なんだ」
「そうなんだね」
「これがね、しかしね」
 また言う先生でした。
「スポーツの実況も今ではネットで観られるね」
「そうそう」
「野球だったら全球団ね」
「シーズン中はいつも実況してるわ」
「昔の日本はとにかく巨人だけだったけれど」
「それが変わって」
「ネットじゃ全球団だからいいんだ」
「そうだよ、そう出来るのがね」
 実際にというのです。
「ネットのいいところだよ」
「何ていうかね」
「もう日本でテレビは役割を終えているんだ」
「そうなんだね」
「そしてネットがあって」
「それでだね」
「そう、だからね」
 その為にというのです。
「テレビは観なくても充分やっていけるんだ」
「むしろ観たら駄目ね」
「そうしたら」
「むしろ」
「その方がいいね」
「特に酷いのは何といっても」
 それはといいますと。
「平日の夜にやっているニュース番組だね」
「ああ、評判悪い番組があるね」
「昔から風評被害とか起こしてる」
「そうした番組があるね」
「そうだよ、ある農家の人達のダイオキシンの誤報を流したけれど」
 それでもというのです。
「日本や日本人にいつも謝罪しろとか言うのに」
「自分はだね」
「違うんだね」
「そうなんだ」
「何故日本や日本人にいつも謝罪しろと言えるか」
 その理由もお話する先生でした。
「それは自分のことじゃないからだよ」
「あれっ、じゃあその人日本人じゃないんだ」
「国籍日本だよね」
「じゃあその人何者?」
「一体全体」
「地球市民かな、そんなものはまだ存在しないと思うけれど」
 先生は首を傾げさせつつ言いました。
「とにかく自分は謝る話じゃないから」
「そう言えるんだ」
「日本や日本人には」
「それが出来るんだ」
「それで自分がその報道で謝罪することになったら」
 その時はどうかといいますと。
「頬杖を突いて謝罪したんだよ」
「それ謝罪じゃないじゃない」
「報道で農家の人達がどれだけ迷惑したと思ってるの?」
「よくそんな謝罪出来るね」
「酷いなんてものじゃないよ」
「他にはあるニュースを挙げて日本の株価は下がると楽しそうに言ったこともあるよ」
 そうしたこともあったというのです。
「流石にこの人はもう表舞台には殆ど出て来ていないけれど」
「出て来れなくなった?」
「その番組で色々悪いことして」
「そのせいでね」
「そうなったのかな」
「僕もそうだと思うよ、ネットではその発言や行動がいつも槍玉にあげられていたから」
 だからだというのです。
「それでね」
「そうなったんだ」
「まあ自業自得だね」
「悪いことをしたら報いがあるよ」
「ましてずっと悪いことをしたら」
「そうなるよ」
「この番組の後番組はまだ続いてるけれど」
 それでもというのです。
「やっぱりね」
「観たらいけない番組ね」
「何があっても」
「いい影響を受けないから」
「そうした番組だから」
「そう、本当にね」
 そこはというのです。
「観たら駄目だよ」
「そうした番組があるのが凄いよ」
「日本っていう国には」
「というかそうした番組がずっと続いていたとか」
「それも凄いことだよ」
「しかしね」
 チーチーが言ってきました。
「日本ってそんなテレビ番組ばかりでよくまともな人が沢山いるね」
「もうそれだけテレビ観てる人が少ない?」
「そうなのかな」 
 オシツオサレツはこう考えました。
「酷過ぎることはネットで有名だし」
「それでかな」
「そういえば昔から日本ではテレビを観ると頭によくないとか言うね」
 ホワイティはこの言葉を出しました。
「この言葉が生きていたのかな」
「それで今はネットもあって」
 ジップも言います。
「余計にそうなったのかな」
「テレビは必要にしても」
 それでもと言う老馬でした。
「観られる番組は本当に少ないんだ」
「むしろ観たらいけない番組が多くて」
 それでとです、ダブダブは言いました。
「気をつけないといけない程なんだ」
「イギリスもどうかって番組あるけれど」
 どうかとです、トートーは言いました。
「日本の比じゃないね」
「日本は新聞もかなり酷いし」
 ガブガブも言います。
「クオリティ=ペーパーとか言われる新聞紙が平気で嘘書く位に」
「それってあんまりだよ」
「どう考えてもね」
 チープサイドの家族も思うことでした。
「幾ら何でも」
「それはね」
「テレビからも新聞からも離れる」
 ポリネシアは結論の様に言いました。
「そうするのが大事なのかしらね」
「そうだね、もうネットこそがね」
 まさにと言う先生でした。
「一番の情報の確認源だから」
「そうよね」
「それじゃあね」
「ここはね」
「もうね」
「テレビや新聞はね」
「観なくてよくなってきているよ」
 現実としてです。
「何しろ目にしたら悪影響受けるから」
「だからだね」
「それじゃあね」
「もうね」
「観たら駄目なんだ」
「ネットだけでいくべきなんだ」
「ネットは情報元の検証とかもしっかり行われるからね」
 だからだというのです。
「それでね」
「偏向もないから」
「余計にいいんだね」
「そうなんだね」
「そうだよ、しかし日本のマスコミの腐敗は」
 こうもお話する先生でした。
「まさに中世のバチカンに匹敵するよ」
「それって凄いよ」
「あそこまでの腐敗って」
「そうそうなれるものじゃないから」
「流石に」
「けれどそうなっているのがね」
 まさにというのです。
「日本のマスコミなんだよ」
「そうなんだね」
「ある意味凄いね」
「よくそこまで腐敗したね」
「尋常な腐敗じゃないよ」
「お金と情報を独占してそこから権力も独占して」
 そしてというのです。
「何をしても責任を取らなかったからね」
「中世のバチカン並に腐敗した」
「そうなんだね」
「あそこまで酷くなったんだ」
「そうだよ、そのことを指摘する心ある人もずっとそれなりいたけれど」
 それでもというのです。
「マスコミの腐敗うはね」
「ずっとなんだ」
「ずっと続いていたんだ」
「そうだったんだ」
「残念なことにね」
 そうだったというのです。
「これが」
「何ていうか」
「言葉もないわ」
「日本ではマスコミが一番の問題でね」
「社会の木鐸どころか」
「全然違っていたんだ」
「また言うけれど害毒を垂れ流す世界でね」
 それでというのです。
「もう日本最大の権力者にもなっていたから」
「政府よりもだね」
「そうなっていたんだね」
「立法、行政、司法よりも」
「さらにだったんだ」
「そうだよ、マスコミの嘘のゴリ押しがどれだけあったか」
 戦後の日本においてです。
「わからない位だよ」
「考えるだけでうんざりするよ」
「日本のマスコミには」
「何というか」
「本当にね」
「僕もだよ、とにかくね」
 また言う先生でした。
「僕はこうした時しかテレビは観ないね」
「そしてその方がいい」
「日本ではね」
「さもないと本当にいいことにならないから」
「だからだね」
「そのことはね、しかし」
 こうも言う先生でした。
「ドラフト会議がはじまったけれど」
「ようやくね」
「十二球団のフロントの人達がそれぞれの席に着いて」
「そのうえでね」
「いよいよね」
「こうして背広の人達が話しているのを観ると」
 そうしていると、というのです。
「違った感じがするね」
「そうだよね」
「普段の野球とはね」
「チームとチームがぶつかり合う」
「そうした野球とはね」
「そうだね、けれどこれもね」
 それでもとお話する先生でした。
「野球でね」
「それでだね」
「皆頑張ってるんだね」
「フロントの人達も」
「チームの為に」
「言うなら選手や監督、コーチの人達は軍人さんで」
 先生はここでこうも言いました。
「フロントの人達は政府だよ」
「あっ、シビリアンコントロールだね」
「その論理と同じなんだ」
「野球のチームとフロントの関係って」
「そうなんだ」
「だから強いチームでもね」 
 チームとしてそうであってもというのです。
「フロントがおかしなことをするとね」
「弱くなるんだね」
「チームはそれだけで」
「軍隊と同じで」
「そうなるんだ」
「そうだよ、ナチスやソ連の軍隊はヒトラーやスターリンのせいで大変なことになったね」
 先生は歴史から事例を挙げました。
「そうだったね」
「そうそう」
「どちらも現場とかに介入し過ぎて」
「あれやこれやと口を出して」
「大変なことになったわね」
「先生昔そんなこと言ってたよ」
「そのことと同じでね」
 それでというのです。
「フロントがしっかりとしているとね」
「チームも強いんだね」
「それだけで」
「そうなるんだね」
「そうだよ、そしてしっかりしていないと」
 その場合はといいますと。
「弱くなるんだ」
「わかりやすいね」
「それも実に」
「チームがずっと強くあるのはフロント次第」
「そういうことね」
「昔の阪神はお家騒動が多かったけれど」
 その阪神のお話です。
「それはね」
「フロントがしっかりしていなかった」
「そのせいだね」
「そうなんだ、もうそれでね」90
 お家騒動でというのです。
「色々と問題があったんば」
「内輪揉めばかりだとね」
「どうしてもだからね」
「チームの補強とか出来ないから」
「どうしても」
「その時は」
「そうなるからね」
 だからだというのです。
「阪神は低迷していたんだ」
「けれど今は起きないし」
「選手同士がどうとかね」
「コーチとの確執とかもないし」
「監督についても」
「全部フロントがしっかりしたものになったからだよ」
 だからだというのです。
「それでなんだ」
「阪神はだね」
「そのことからも強くなった」
「そういうことだね」
「そうだよ」
 まさにというのです。
「やっぱり内輪揉めはね」
「よくないね」
「どんな場所でもだけれど」
「野球チームでもそうで」
「阪神でもなんだね」
「巨人もフロントは昔から色々あったけれど」
 それでもというのです。
「まだ現場のことは水原茂さんという凄い監督さんがいて介入するとか考えられなかったからね」
「若しフロントが何か言っても」
「それでもだね」
「何かあっても」
「それでもだね」
「名監督だったからね」
 それでというのです。
「フロントも言わなかったんだ、後もフロントはまだ弁えている人達だったから」
「現場に介入しなかったんだ」
「今みたいに」
「そうだったんだ」
「そうだったんだ、けれどね」
 それがというのです。
「あの悪名高いオーナーになってからね」
「ナベ何とかっていう?」
「あの人だね」
「あの人がオーナーになってからなんだ」
「フロントがおかしくなったんだ」
「そうなってね」
 そうしてというのです。
「ずっとおかしな補強や現場への介入を行って」
「ああなったんだ」
「巨人を万年最下位のチームにしたのね」
「そうしたことを繰り返して」
「そうだよ、如何にチームにとって野球を理解しているフロントが重要か」
 先生は感慨を込めて言いました。
「わかるね」
「軍隊に例えるとわかりやすかったわ」
「政府が変に口出ししたら駄目ってことと同じね」
「戦場のことは軍人さん達専門の人達のするべきことだから」
「そこに政府の人達がああしろこうしろって言っても」
「よくないね」
「フロントの人はグラウンドで野球をしないんだよ」
 そうだからだというのです。
「それであれこれ言っても仕方ないね」
「確かにね」
「そういうことね」
「今の阪神のフロントは違う」
「そしてだね」
「お家騒動もなくなったんだね」
「そうだよ、そのことも今の阪神が強い一因だよ」
 先生は皆にお話しました、そうしてそのうえでいよいよはじまろうとしているドラフトをその目で観るのでした。








▲頂きものの部屋へ

▲SSのトップへ



▲Home          ▲戻る