『ドリトル先生と琵琶湖の鯰』




                第八幕  高野山で聞いたこと

 先生は動物の皆と一緒に比叡山に入りました、すると先生は皆に入ってすぐに言いました。
「このお寺を開いた人は知ってるよね」
「最澄さんだよね」
「伝教大師と呼ばれてるね」
「あの人が開いたお寺だね」
「空海さんと並び称されている人でね」
 その最澄さんはというのです。
「日本の仏教の歴史や教えでとても重要な位置にいる人だよ」
「それでこのお寺を開いてだね」
「比叡山はずっと歴史に影響を与えてきたね」
「そうだったね」
「そうだよ、このお寺はね」 
 まさにというのです。
「それだけのものを持っているんだ」
「平安時代からここにあるんだよね」
「千数百年もの間」
「多くの有名なお坊さんも出したし」
「歴史的にも有名な場所だね」
「そうだよ、一度来たいと思っていたから」
 それでというのです。
「今来られてよかったよ」
「そうだよね」
「先生何度か比叡山にもって言ってたからね」
「だからだね」
「今こうして来られて」
「物凄く嬉しいよね」
「うん、凄くね」
 まさにというのです。
「嬉しいよ」
「そうだよね」
「じゃあここも見て回って」
「そうして楽しむね」
「そうするよ」
 こう言って実際にでした。
 先生は皆と一緒に比叡山の本堂等有名な場所を見て回りました。ですがお寺の中はとても広くてです。
 回るにも一苦労です、それで先生は朝早くに来たのですが十時にはティータイムで一休みをしている時にです。
 ミルクティーを飲みつつ皆にこう言いました。
「いや、見て回るだけでもね」
「大変だよね」
「どうしてもそうなるよね」
「広い山の中だから」
「疲れるね」
「うん、運動になるけれど」 
 それでもというのです。
「大変だよ」
「そうだね」
「けれど先生生き生きとしてるよ」
「お顔が明るいよ」
「楽しんでることがわかるわ」
「大変だけれど楽しいよ」 
 これが先生の偽らざる本音でした、ビスケットを食べながら言います。今のセットはそのビスケットと干しレーズン、それにチョコレートです。
「本当にね」
「僕達もだよ」
「比叡山ってどんな場所かって思っていたから」
「そこに入って色々観られて」
「面白いよ」
「本当にそう思ってるわ」
「それは何よりだよ、じゃあ一休みの後は」
 ティータイムのその後はというのです。
「またね」
「観て回るね」
「そうしていくね」
「このまま」
「うん、それとね」 
 さらに言うのでした。
「さっきちらっと聞いたけれどね」
「ちらっと?」
「ちらっとっていうと」
「琵琶湖に河童が出たそうだよ」
 この日本の妖怪がというのです。
「どうもね」
「ふうん、河童だね」
「そういえば僕達河童にはまだ会ったことないね」
「これまで色々な日本の生きものや妖怪と出会って来たけれど」
「河童はまだだったわね」
「そうだね」
「河童は日本各地にお話があるけれど」
 それでもとです、先生は言うのでした。
「面白い妖怪だよ」
「川とかお池にいるのよね」
「頭に皿があって甲羅を背負ってて」
「お相撲と胡瓜が大好きでね」
「泳ぐのが得意だったね」
「うん、イギリスで言うと水の妖精だよ」
 それが河童だというのです。
「調べてみるとこれが面白いんだ」
「そうだよね」
「何か尻子玉を抜くっていうけれど」
「それは怖いけれど」
「実際は人の身体にそうしたものはないよ」
 尻子玉というものはというのです。
「だから河童のそのお話は間違いでね」
「そんなことはしなくて」
「そのことは安心していいんだ」
「尻子玉を抜かれるとかいうことは」
「全くね、ただ悪戯好きだから」 
 この困ったことはあるというのです。
「そこは気をつけないとね」
「子供みたいなものかな」
「悪戯好きだったら」
「それだったら」
「そう思っていいよ、九州では悪戯があまりにも酷くて加藤清正さんが懲らしめたなんていうお話があるから」
 こうしたお話もあるというのです。
「これがね」
「ああ、あの戦国大名の」
「物凄く強かった人よね」
「虎もやっつけたっていう位に」
「この人は河童が苦手な猿を集めて」 
 そうしてというのです。
「河童の大軍を攻めて懲らしめたんだ」
「へえ、お猿さんをね」
「そんなことしたんだ」
「加藤清正さんもかなり強かったけれど」
「その時はそうしたんだ」
「そうしたお話もあるよ、あと河童は猿だけでなく犬も苦手みたいだよ」
 こちらの生きものもというのです。
「どうやらね」
「ふうん、僕も苦手なんだ」
 ジップは先生の今のお話を聞いて言いました。
「そうなんだ」
「それに僕も駄目だね」
 チーチーも言います。
「僕はこの国の猿じゃないけれど猿だしね」
「何か面白いことだね」
 ガブガブも言いました。
「河童がそうした生きものが苦手なんて」
「そういえば狐も狸も犬が苦手だよ」
 ホワイティはこのことを思い出しました。
「同じイヌ科だけれどね」
「それで河童もなんだね」
 老馬の口調はしみじみとしたものでした。
「成程ね」
「河童も弱点があるんだね」
「頭のお皿のお水がなくなったら弱いとは聞いていたけれど」
 オシツオサレツはこのお話もしました。
「犬や猿も苦手なんだ」
「そうだったんだ」
「じゃあ悪戯をしてもね」
「チーチーやジップがいれば安心ね」
 チープサイドの家族はお友達を見てお話をします。
「私達の場合は」
「そうみたいだね」
「胡瓜が好きなのは面白いわね」
 ダブダブはこのことに注目しました。
「それなら西瓜やトマトも好きかもね」
「それで胡瓜の巻き寿司を河童巻きって言うし」
 ポリネシアはお寿司のお話をしました。
「河童は日本では親しみのある妖怪だね」
「怖いところもあって悪戯好きでもあるけれど」
 それでもとです、トートーは言いました。
「親しみの持てる妖怪だね」
「うん、日本の妖怪らしくてユーモアがあってね」 
 そうしてというのです。
「面白い妖怪だよ」
「物語にもよく出て来るしね」
「童話にも」
「日本の妖怪の代表の一つだね」
「一つ目小僧やろくろ首と並ぶね」
「そうだよ、じゃあ東塔の辺りは見て回ったし」
 先生はあらためて皆に比叡山のお話をしました。
「西塔や横川も回って神社にも行こうね」
「ああ、比叡山にあるのは延暦寺だけじゃないね」
「神社もあったね」
「そちらも」
「そう、だからね」
 それでというのです。
「そちらにも行こうね」
「本当に今日は行くところが多いね」
「この延暦寺だけじゃないんだね」
「日吉大社だったね」
「あそこにも行くんだね」
「あとロープウェイを使って」
 そうしてというのです。
「山頂にも行こうね」
「何かと行く場所多いね」
「これは大変な一日になるね」
「じゃあ丸一日使って」
「今日は比叡山巡りだね」
「そうしようね」
 こう言ってでした。
 先生は皆と一緒に延暦寺の中を観て回りました、そしてその中でふと皆がこんなことを言いました。
「延暦寺って織田信長さんに焼かれたよね」
「焼き討ちされたよね」
「それで全部燃えたんだよね」
「そうだったね」
「そのお話はどうもね」
 先生はそのお話にも応えました。
「実際は違うそうだよ」
「っていうと?」
「信長さんが焼いたんだよね」
「そうだよね」
「織田信長さんが延暦寺と対立したことは事実でも」
 それでもというのです。
「昔言われていた様な皆殺しじゃなくてね」
「あれっ、そうだったんだ」
「徹底していたって思っていたけれど」
「違ったんだ」
「そうだったの」
「信長さんが攻める前からもう廃れていた場所が多くて」
 当時の延暦寺にはというのです。
「そうした場所は置いておいて焼かれた場所も一部だったみたいだよ」
「そうだったんだ」
「山全体を焼いたと思っていたら」
「違ったんだ」
「まず織田信長さんは以前言われていた様に残酷で殺戮を好きな人じゃなかったよ」
 このことが大きいというのです。
「流す血は最低限でいいっていう人だったからね」
「それでなんだ」
「延暦寺でも極端なことはしていない」
「そうした人だったんだ」
「そうだよ、それにね」
 先生は皆にさらにお話します。
「実は一部を焼いてその時の戦いで死んだ位で」
「言われてる程殺してないのね」
「焼き討ちをした時も」
「そうだったのね」
「そうみたいだよ、信仰心がないという人でもなかったし」
 このことも言われていたけれどというのです。
「そのことは安土城跡に行った時も話したね」
「そうそう、そうだったね」
「その時もね」
「安土城も色々な宗教を集めていて」
「結界みたいにしていた一面もあったね」
「神仏を頼む人ではなかったかも知れないけれど」
 それでもというのです。
「あの人なりの信仰心はちゃんとあったんだ」
「そこも違っていたし」
「延暦寺に対してもだね」
「そこまでしなかったんだね」
「そうだよ」
 そこはというのです。
「どうもね」
「何か色々残酷なイメージがあったのに」
「大勢の人を殺したり」
「実はそうしたことがなくて」
「意外と穏健な人だったの」
「どうもね、それでね」
 さらに言う先生でした。
「この延暦寺もだよ、当時実は現場で見て書き残した人もいなかったし」
「伝聞ね」
「それでしかなくて」
「真実は知らない人が書いていたの」
「今でも聞いたことだけで書く人がいるね」
 当時だけでなくです。
「そうだね、当時はもうね」
「それこそだよね」
「都から比叡山に行くことも時間がかかるし」
「それでだね」
「そう、そしてね」
 それでというのです。
「実際にその時の比叡山を観た人はいなかったんだ」
「焼き討ちのことを書き残した人が」
「じゃあ実際はどうだったかは」
「書いていない可能性があるんだ」
「そうだよ、どうしてもね」
 このことはというのです。
「どうしてもね」
「成程ね」
「じゃあ山全部焼き討ちしたとか」
「あと三千もの人を殺したとか」
「山にいる人を誰も彼も殺したとかは」
「違っていた可能性があるよ」
 実はというのです。
「これがね」
「織田信長さんがしたことで有名なことの一つだったけれど」
「比叡山の焼き討ちと殺戮は」
「それが実は違ったとか」
「驚きね」
「全く以てね」
「そこも調べていかないとね」 
 しっかりと、というのです。
「駄目だよ」
「そうだよね」
「それじゃあね」
「そうしたことも頭に入れつつ」
「史跡研修をしていこうね」
「是非ね」
 まさにというのです、そしてです。
 先生は山の中を歩いていってお昼ご飯も食べて観て回りました、そして日吉大社にも入ったのですが。
 皆はここでしみじみとして言いました。
「ここ延暦寺だけじゃないとかね」
「比叡山にある宗教の場所は」
「神社もあるなんてね」
「凄いものがあるね」
「これが日本だからね」
 先生はその皆に笑ってお話しました。
「いつも言っているけれどね」
「そうだよね」
「それが日本だよね」
「神道と仏教が一緒にある」
「そうした国だね」
「神仏を両方敬う国でね」
 それでというのです。
「この比叡山もだよ」
「そうだよね」
「延暦寺っていう凄いお寺もあるけれど」
「日吉大社もある」
「そうだね」
「そう、だからね」 
 それでというのです。
「この日吉大社があることもね」
「事実だよね」
「それも」
「そうだよね」
「だからおかしいことじゃないよ」
 日本ではというのです。
「普通のお寺の中に神社があったり神社の中にお寺もあったりするからね」
「それどっちがどっちかわからないよね」
「神宮寺とか言うよね」
「これも他の国にはないから」
「そうそうは」
「それがあるのも日本で」
 それでというのです。
「面白いところだよ」
「安土城もあらゆる宗教集めてたしね」
「それじゃあね」
「この比叡山も同じで」
「おかしなことじゃないね」
「延暦寺とずっと一緒にここにあるからね」
 今いる日吉大社はというのです。
「何百年単位で」
「その何百年っていうのも凄いね」
「もう家族みたいだね」
「そこまでいったら」
「うん」
 本当にというのです。
「延暦寺と日吉大社はそうした関係に近いかもね」
「欧州でカトリックの教会とプロテスタントの教会が同じ敷地内にあったら」
「何か居心地悪いかも」
「両方共ね」
「何しろ戦争もやったしね」
「物凄い戦争があちこちであったから」
 欧州ではというのです。
「イギリスでもカトリックかどうかで揉めたからね」
「国教会も出来たしね」
「そうしたことも考えると」
「同じ山にお寺と神社があって何百年と暮らしているとか」
 それはというのです。
「日本は違うね」
「それで都をずっと一緒に護っていたんだね」
「そう、比叡山は京都から見て北東にあるね」
 先生は皆のお話を受けて今度は方角のお話をしました。
「北東は鬼門だからね」
「鬼が入って来るんだよね」
「丑寅の方角っていって」
「だからそこはちゃんとしないと駄目なんだよね」
「鬼が都に入らない様に」
「だからそこに延暦寺を置いたんだ」
 京都の北東のそこにというのです。
「そして南西は裏鬼門というけれど」
「そっちには高野山だね」
「金剛峯寺を置いたんだね」
「そうだね」
「そうだよ、そしてね」
 そのうえでというのです。
「都を守護していたんだ」
「成程ね」
「そのことも面白いね」
「ほんとに」
「うん、僕も面白いと思っていて」
 それでというのです。
「こうしたことについても学んでいるよ」
「風水とか陰陽道とか」
「そうしたお話だね」
「先生日本に来てから実際そうした本も読んでるね」
「そうしているね」
「そうだよ、それはオカルトに入るお話でもあり」
 先生はそちらのことも学問と考えています。
「歴史でもあるよ」
「陰陽道は皇室にも関わっていたからね」
「陰陽師の人達がね」
「安倍晴明さんもそうだし」
「それでだね」
「そう、そちらも学んでね」
 そうしてというのです。
「わかっていないとね」
「駄目だよね」
「だからだね」
「先生はそうしたことも学んでいるね」
「そうだよ」
 その通りだというのです。
「そのことはね」
「そうだよね」
「先生はあらゆる学問が好きだからね」
「偏見なく学んで」
「そしてそこから色々と考えているね」
「それでそうした学問から考えると」
 どうかといいますと。
「この比叡山は京都にとって大事な場所なんだ」
「護るという意味で」
「それでもだね」
「物凄く大事な場所で」
「僕達は今そこにいるんだね」
「そうだよ、だから最澄さんはここに延暦寺を開いたし」
 それにというのです。
「日吉大社にもその意味があると思うよ」
「神仏を置いて」
「そうして鬼が都に入ることを防ぐ」
「そうしていたんだね」
「そうなんだ、これは東京も同じでね」
 今の日本の首都もというのです。
「北東、鬼門の方に日光東照宮があるね」
「ああ、あそこね」
「徳川家康さんの場所だね」
「あそこがあったね」
「あの場所に東照宮を置いて」
 そうしてというのです。
「鬼門を護っているんだ」
「東京に鬼が入らない様にしている」
「そうしているのね」
「東京についてもそうなんだね」
「そうだよ、そして京都も東京も」
 どちらもというのです。
「その中にも色々結界を置いているしね」
「そうそう、京都って凄いんだよね」
「もう街全体が結界みたいで」
「お寺や神社も一杯あるしね」
「風水や五行の考えを取り入れていて」
 それでというのです。
「霊的な結界の塊なんだ」
「それが京都や東京で」
「凄い街なんだね」
「霊的に」
「僕は東京については詳しくないけれど」
 それでもというのです。
「あの街は高層ビルや環状線、東京タワーまでがそうだって言われているね」
「へえ、全部結界なんだ」
「あの街を護る」
「そうだったんだ」
「そうしたことも言われているから」
 だからだというのです。
「街全体が結界なんだよ」
「日光だけじゃじゃないんだね」
「そういえば東京って火事や地震多いよね」
「空襲も受けたし」
「何度も廃墟になってるね」
「その状況からいつも蘇っているから」
 江戸という名前の頃からそうだったというのです。
「やっぱり霊的にも何かあるんだろうね」
「結界のお陰?」
「何があってもそうなってきたのは」
「そのせいかしら」
「僕はそうも考えているよ」
 実際にとです、先生は皆にお話しながら日吉大社の中も見て回りました。この神社もかなり見事なものでした。
 それで動物の皆は中を巡っていて言うのでした。
「何かこうして歩き回っているとね」
「神聖な気持ちになるよね」
「お寺に神社にだから」
「神仏と共にいる」
「そう思えるね」
「僕もだよ。キリスト教徒でも」
 宗教は違っていてもというのです。
「そう思えてくるね」
「そうだよね」
「宗教の垣根を越えてね」
「そう思えてくるよね」
「本当に」
「全くだよ、日本に来て何度も思ってきたけれど」
 それでもというのです。
「何度もね」
「そうなんだね」
「それじゃあだね」
「この日吉神社も巡って」
「もっと神聖な気持ちになるんだね」
「そうなろうね、それと」
 先生はさらに言いました。
「山頂にもね」
「あっ、ロープウェイがあるから」
「それに乗ってだね」
「あそこまで行くんだね」
「そうもしようね」
 皆にこうも言うのでした。
「折角の機会だから」
「そうだね」
「じゃあそうしよう」
「日吉大社の次はね」
 皆も頷いてでした、そうして。
 皆は日吉大社の後はロープウェイに乗って比叡山の山頂に入りました、そこから見る景色は絶品のもので。
 それで、です。皆はここでまた言うのでした。
「奇麗だね」
「壮観だよ」
「来て本当によかった」
「そう思えるね」
「僕もそう思うよ」
 先生は皆ににこりとして答えました。
「山頂にも来てよかったよ」
「そうだよね」
「延暦寺にも日吉大社にも入ってね」
「山頂にも上って」
「満喫した気分だよ」
「コンプリートっていうかね」
「そう、巡りたいところを全部巡ると」
 先生は皆ににこにことしてお話しました。
「最高の達成感が得られるね」
「先生はその達成感も好きだよね」
「やり遂げたって思えて」
「論文を書き終えた時もそう思うんだよね」
「それで今もだよね」
「そうだよ、それで今その達成感を味わっていて」
 それでというのです。
「最高の気持ちだよ」
「それはよかったね」
「じゃあ後はだね」
「山を下りて」
「それでだね」
「ホテルに戻ろうね」
 そうしようというのです。
「それでいいね」
「うん、じゃあね」
「色々巡ったし」
「満足したし」
「ホテルに戻りましょう」
 皆で頷いてでした、そのうえで。
 皆は実際に皆と一緒にホテルまで戻ることにしました、それでホテルで晩ご飯を食べるのですがこの日の晩ご飯は鯉のお刺身にたにしを煮たものに滋賀県のお野菜にです。
 鯖素麺もあります、皆その素麺を見て言いました。
「鯖って海だよね」
「海の幸よね」
「それで何で滋賀県にあるのかな」
「ホテルの人がこれも滋賀県の名物って言ってたけれど」
「鯖が獲れる筈ないのに」
「滋賀県だと」
「これは日本海で獲れた鯖なんだ」
 先生はいぶかしむ皆にお話しました。
「これはね」
「というと福井県とかだよね」
「京都だと舞鶴の辺り?」
「そっちの方だね」
「そこで獲れた鯖なんだ」
「そう、そしてね」
 それでというのです。
「その鯖を滋賀県の西を通って京都まで運んでいたんだ」
「そうだったんだ」
「それで滋賀県は鯖も名物なんだ」
「運ぶ道だったから」
「それでなんだ」
「そうなんだ、佐和山の方にも行ったけれど」
 石田三成さんのお城があったその街です。
「まさにあの辺りがね」
「京都まで鯖を運ぶ人が通っていたんだ」
「そうだったんだ」
「昔はそうだったんだ」
「それはまた」
「そう、そしてね」
 先生はさらにお話します。
「鯖以外のお魚も運んでいたんだ」
「日本海の湊から京都まで」
「そうしていたんだ」
「あの道を通って」
「けれど鯖が有名だったから」
 その為にというのです。
「あの道を鯖街道と呼んでいたんだ」
「成程ね」
「面白い名前ね」
「鯖街道なんて」
「本当に」
「京都は海がないから」
 山に囲まれていてです。
「どうしても海の幸がないからね」
「昔はそれであまり食べてなかったんだよね」
「どうしても」
「そこが困ったところで」
「海の幸があまりないことが」
「それでその海の幸を運んでいたんだ」
 その鯖街道を使ってというのです。
「そうしてその鯖を使ってなんだ」
「この鯖素麺が出来たんだ」
「鯖を煮たお汁をだしにしているんだね」
「また濃い味だね」
「かなり美味しいわ」
「そうだね、この味がね」
 本当にとです、先生もその鯖素麺を食べてにこにことして言います。
「いいよね」
「このお魚からだしを取ることがいいよね」
「和食では多いけれど」
「独特のだしが出てね」
「絶品よね」
「そう思うよ、これだけ美味しいから」 
 本当にとです、先生はまた言いました。
「病みつきになるよ」
「食べていてね」
「そうなるよね」
「どうしても」
「全くだよ」
「それと先生」
 ここでチーチーが先生に言ってきました。
「また鯉食べてるね」
「鯉お刺身美味しいよね」
 食いしん坊のガブガブは舌鼓を打っている感じです。
「これがまた」
「信頼出来るところでないと食べたら駄目にしても」
 ジップも鯉について言います。
「やっぱり美味しいんだよね」
「しっかり冷凍してから食べるといいんだよね」
 トートーはこのことを指摘します。
「川魚も」
「熱するか冷やす」
「消毒や殺菌の基本ね」
 チープサイドの家族は先生がよくお話していることを思い出しています。
「寄生虫もそうで」
「そこをしっかりしているといいいんだよね」
「それでだね」
 ホワイティもそのお刺身を見ています。
「このお刺身も食べていいんだね」
「若しそうしていないものだと」
 どうかとです、ダブダブはぴしゃりとした口調で言いました。
「食べたら駄目よ」
「さもないと後が怖いんだよね」
 老馬の口調はしみじみとしたものでした。
「だから先生も気をつけているね」
「先生はお医者さんだし」
 このことからです、ポリネシアは言います。
「そうしたことは特にしっかりしているね」
「若しそれを怒ったら」
「まさに医者の不養生だよ」
 オシツオサレツは諺を出しました。
「もうお話にもならないよ」
「その時点でね」
「そう、だから僕も気をつけているよ」
 先生は皆に答えつつそのお刺身を食べます。
「お刺身は好きでもね」
「それでもだよね」
「そこはしっかりとしてだよね」
「食べてるね」
「鯉のお刺身も」
「このお刺身はカチコチになるまで冷凍させて」
 鯉をというのです。
「それこそ冷凍の鮪みたいにね」
「あれ凄いよね」
「確かにあそこまで冷凍させると中の寄生虫も死んでるよ」
「それでこの鯉もだね」
「しっかりと冷凍させているのね」
「そうしてね」
 そのうえでというのです。
「長時間置いて」
「寄生虫をいなくして」
「それで解凍してだね」
「そのうえで食べているわね」
「そうだね」
「だからね」
 そこまでしているからだというのです。
「安心して食べられるんだ」
「そのことが本当に問題だね」
「いくら美味しくてもね」
「それでもあたったりしたら駄目だから」
「そこは守らないとね」
「さもないと大変なことになるからね」
 食べた後でというのです。
「僕も気をつけているんだ」
「若しそうしたことを忘れたら」
「その時はね」
「自分が大変なことになるから」
「自分で気を付けないとね」
「そうだよ、確かに鯉のお刺身は美味しいよ」 
 このことは事実だというのです。
「たにしもね」
「そうよね」
「けれど美味しくてもね」
「そうしたことはちゃんとしないと」
「本当にとんでもないことになるから」
「たにしもじっくりと煮ているよ」
 見ればそうなっています、たにしをお醤油で煮たものも。
「中にまで火を通してね」
「じっくりと煮て」
「それで寄生虫をいなくして食べる」
「そうしているわね」
「僕は生水も飲まないね」
 先生はこのことも気を付けています」
「川やお池の水を飲む時は事前に沸騰させているね」
「そうそう、絶対にね」
「先生そうしているわね」
「それから飲んでるね」
「紅茶にして」
「それも安全と健康の為だよ」 
 そうした理由があるからだというのです。
「生水もよくないからね」
「殺菌していないとね」
「生水にも虫がいたりするから」
「飲んでも大変だから」
「そうしているわね」
「琵琶湖のお水もね」
 今調査しているそれもというのです。
「検査の結果安全だと出ているけれど」
「それでもよね」
「しっかりと沸騰させて」
「それから飲む様にしているわね」
「本当に生水は飲まない」
「何処でもそうしているね」
 動物の皆はまさにと言います、先生といつも一緒にいるだけあってこうしたことはよくわかっているのです。
「それから飲んでいるから」
「安全よね」
「本当に若し生水を飲んだら」
「一体どうなるか」
「わかったものじゃないから」
「気をつけてね」 
 そしてというのです。
「飲んでいるんだ」
「そうよね」
「そのことは絶対のことよね」
「旅をする時も」
「そして日常でも」
「今は水道水で」
 普段飲むお水はというのです。
「上水道ではしっかりと消毒されているね」
「濾過もされていて」
「徹底的に消毒されていて」
「物凄く奇麗になっているから」
「それで飲めるね」
「うん、けれどね」 
 水道水はそれでいいけれどというのです。
「本当にね」
「生水は危ないから」
「それでちゃんと飲む前に沸騰させる」
「そうしているわね」
「だからお魚も」
 今食べている鯉もというのです。
「同じだよ、ただね」
「ただ?」
「ただっていうと」
「どうしたのかしら」
「日本に来て本当に驚いたことは」
 それは何かといいますと。
「お魚だけでなく豚も生で食べることがあるからね」
「あっ、豚のお刺身ね」
「鹿児島の方にあったね」
「流石に豚肉も生で食べるとか」
「それは」
「史記にはあるよ」
 古典のお話にもなりました。
「中国の古いね」
「へえ、そうなの」
「昔の中国にはそうしたお話もあるの」
「豚肉を生で食べた人もいるの」
「うん、項羽と劉邦のお話の一つで劉邦の家臣の人が食べたんだ」
 そうしたことがあったというのです。
「その時もかなり特別なお話だったしね」
「じゃあその頃の中国でもだね」
「豚肉は生では食べなかったんだ」
「中華料理って絶対に火を通すけれど」
「その頃もだったのかな」
「その頃はまだ今みたいに何でも火は通していなかったよ」
 中華料理もというのです。
「けれどやっぱり基本生では食べなかったね」
「それで今もね」
「豚肉は生では食べないね」
「中国でも他の国でも」
「大抵は」
「日本もおおよそそうだけれど」
 それでもというのです。
「鹿児島でね」
「そうしたことがあって」
「それでだね」
「先生も驚いたんだね」
「まさかって思ったのね」
「そのまさかがね」
 まさにというのです。
「本当だったから」
「驚きだよね」
「豚肉を食べることはわかっても」
「それでもね」
「生で食べるなんてね」
「他の国にはないから」
「うん、牛肉や馬肉はわかっても」
 それでもというのです。
「流石にないね」
「豚肉については」
「けれど日本では食べていて」
「ちゃんとお料理にもなってるんだよね」
「だから鹿児島に行ったら」
 その時はというのです。
「僕もね」
「食べてみるんだ」
「先生も」
「鹿児島に行った時は」
「そう考えているよ」
 実際にというのです。
「そうね」
「楽しみなのね」
「先生にしても」
「豚のお刺身を食べる時が」
「うん、それはね」
 先生は皆に笑顔で答えました。
「鹿児島に行った時はだけどね」
「ううん、鹿児島だね」
「鹿児島っていうとね」
「西郷さんだよね」
「あと島津家だね」
「戦国時代とか幕末?」
「その頃かな」
 皆は歴史から考えました。
「鹿児島っていうと」
「奄美大島とかも鹿児島県だけれど」
「歴史を意識するわね」
「どうしてもね」
「あと桜島だね」
「そう、あの火山は凄い火山なんだ」
 桜島と聞いてです、先生も言いました。
「世界一かも知れない活火山なんだ」
「もういつも噴火していて」
「火山灰を出しているんだよね」
「それで鹿児島県だとその火山灰を入れる袋も売っていてね」
「使われているんだよね」
「そうだよ、その桜島も見たいし」
 それにというのです。
「調べることもね」
「したいよね」
「そうだよね」
「先生としては」
「そう考えているんだね」
「だから機会を待っているよ」
 まさにその時をというのです。
「僕もね」
「そして桜島を調べたいんだね」
「あの火山を」
「そして鹿児島の歴史も」
「そうなんだね」
「鹿屋にも行きたいね」
 鹿児島のこの場所にもというのです。
「今は海上自衛隊の基地がある場所だけれど」
「ああ、あそこはね」
「戦争中は海軍の基地があって」
「あそこから特攻隊の人が飛び立ったんだよね」
「沢山の人が命を落としたね」
「どうしてあそこまで戦えたのか」
 先生は腕を組んで真剣なお顔で言いました。
「僕にはわからない部分が多いけれどね」
「凄過ぎるよね」
「普通あそこまで戦えないわよ」
「自ら敵に体当たりして倒すとか」
「命を完全に捨ててまで戦うなんて」
「戦争は確かに人が死ぬものだけれど」
 それでもというのです。
「最初から死なば諸共で戦うなんてね」
「ないよね」
「イギリスにも他の国にも」
「そこまでの気持ちで戦うなんて」
「他にはないことよ」
「そんなことがどうして出来たか、戦えたのか」
 先生は真剣なお顔で言いました。
「そのことも知りたいしね」
「沢山の人が特攻隊で命を落としたのよね」
「日本を護る為に」
「そうだよね」
「その人達は今は靖国神社にいるけれど」
 東京のこの大社にです。
「どうして出来たのか知りたいよ」
「そのこともあってだね」
「鹿児島に行きたい」
「そうなのね」
「そうした意味で広島にも行きたいね」 
 こちらにもというのです。
「江田島にね」
「ああ、海軍兵学校のあった」
「あそこにもなんだ」
「先生行きたいんだ」
「一度ね」 
 学問の為にというのです。
「そう考えているよ」
「先生の学びたいことは多いけれど」
「軍事のこともだね」
「歴史のことは言うまでもなくて」
「そう考えているんだね」
「そうだよ、それと明日はまた琵琶湖に行くけれど」
 その時にというのです。
「若しかしてね」
「河童さんだね」
「河童さんに会えるかも知れないんだね」
「ひょっとしたら」
「そんな気がするよ」
 先生としてはというのです。
「だからその時はね」
「うん、楽しくだね」
「河童さんとも仲良くね」
「お話するんだね」
「そうしようね、水の妖精と考えたらいいよ」
 河童はというのです。
「イギリスで言うね」
「そう思うと楽しいね」
「何といっても」
「それじゃあね」
「河童さんと会えることも期待していよう」
「そうしていようね」
 先生は笑顔で言ってでした、そのうえで。
 皆で晩ご飯にお酒を楽しんでそうして明日もと思うのでした。








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