『ドリトル先生と牛女』




                第二幕  六甲へ行こうか

 先生はこの時大学の研究室でティータイムを楽しんでいました、飲んでいるのはミルクティーでセットはといいますと。
 今日は苺やパイナップル、マンゴー等をふんだんに使ったカラフルなケーキにゼリーそしてレーズンクッキーでした。
 そのセットを食べつつ先生は一緒にいる動物の皆に言いました。
「この憩いの一時がね」
「最高だよね」
「ティータイムがね」
「何とも言えないよね」
「うん、この時間こそがね」
 まさにというのです。
「僕にとってはね」
「一日で絶対に必要なね」
「そうした時間だね」
「本当にね」
「そうだよね」
「この時間がないと」 
 先生にとってはです。
「僕は困るよ」
「そうだよね」
「こうしてお茶を飲んでお菓子も食べる」
「三段のティーセットを」
「さもないとね」
「先生は元気が出ないね」
「三時かその頃にね」
 その時にというのです。
「これがないとね」
「先生は駄目だね」
「その辺りまさにイギリス人だね」
「ティータイムが欠かせないことは」
「イギリスは食べものの評判はよくないけれど」
 そうした国ですがというのです。
「けれどね」
「それでもだよね」
「ティーセットはいいよね」
「ミルクティーとティーセットは」
「それはね」
「今食べているのは純粋なイギリスのものとは言えないけれど」
 それでもというのです。
「そして来日してから和風、中華風、アメリカ風ってね」
「色々なセット楽しんでるね」
「そうだよね」
「飲むものも色々になったし」
「日本のお茶や中国茶、レモンティーってね」
「コーヒーも飲む様になったし」
「けれどティータイム自体は」
 これ自体はというのです。
「欠かせないね」
「そうだよね」
「こうして楽しんでるね」
「今だってね」
「そうしているわね」
「うん、それとね」
 先生はさらにお話します、お話しつつ紅茶を飲みます。
「この紅茶、葉もいいし」
「お水もいいしね」
「六甲のお水でね」
「そしてミルクもいいね」
「これも」
「そうだね、どれも日本のもので」
 それでというのです。
「美味しいね」
「そうだよね」
「日本はどれも質がいいからね」
「素敵に楽しめるわよ」
「紅茶にしても」
「全くだね、もうこうして飲んでいるだけで」
 香りも楽しみつつです、先生は言います。
「最高に幸せだよ」
「些細な幸せでもね」
「それがまたいいんだよね」
「少しのことでも幸せを感じられる」
「それって素敵な人生だよね」
「幸せやよかったことを沢山見付けられたら」 
 そうした人生を送れたらというのです。
「もうね」
「それだけでね」
「最高に幸せよね」
「誰でもね」
「そうよね」
「些細な幸せも沢山になると」
 それこそというのです。
「物凄いものになるからね」
「そうそう」
「だから先生も僕達も幸せだね」
「ちょっとしたことに最高の幸せを見付けられて」
「それで満喫出来るからね」
「凄くね、僕はいつも満足しているよ」
 今度はケーキを食べながら言います、その美味しさにも皺背を感じています。
「こうしてね」
「学問も出来るし」
「そしてお仕事もいいお家もある」
「それでだね」
「しかも皆がいるからね」 
 尚更というのです。
「これ以上はないまでにだよ」
「幸せなんだね」
「僕達もいて」
「それに王子にトミーもいる」
「だからだね」
「イギリスのサラもご主人も子供達も元気だしね」
 妹さんとそのご家族のお話もします。
「だからね」
「うん、皆元気だよね」
「今も」
「そうだよね」
「そのこともね」
 本当にというのです。
「いいことだよ」
「そうだね」
「またサラさん来日するっていうし」
「そのことも嬉しいね」
「そうだね」
「うん、今度会った時は」
 先生は笑顔で言いました。
「サラの好きな西瓜を出そうか」
「いいねえ」
「日本の西瓜も滅茶苦茶美味しいしね」
「それじゃあね」
「それを出して」
 そしてというのです。
「楽しんでもらおう」
「そうしようね」
「僕達も日本の西瓜を食べて」
「それで楽しもうね」
「是非ね」
 こうしたお話をしてお茶を楽しんでからです、先生はティータイムの後はこれといってやることがなかったので動物園に行きました。
 そこで動物の皆を見て学問に励んでいましたが。
 先生はバイソンを見て言いました。
「大きいよね」
「バイソンって大きいね」
「それもかなりね」
「牛の中でもね」
「うん、ウシ科の生きものの中でも」
 皆にもお話します。
「バイソンは大きな方だよ」
「それでアメリカバイソンとヨーロッパバイソンがいて」
「それぞれ違うんだよね」
「同じバイソンでも」
「そうだよね」
「今僕達が見ているのはアメリカバイソンでね」
 それでというのです。
「隣のコーナーのバイソンがね」
「ヨーロッパイソンだね」
「そうだったね」
「それぞれ違うね」
「同じバイソンでも」
「少し見ただけではわからないけれど」
 それでもというのです。
「やっぱりね」
「何かと違うんだね」
「住んでいる地域が違っていると」
「そうなるのね」
「他の生きものと同じでね」 
 そうなっているというのです。
「そしてこの辺りはね」
「ウシ科の生きものが集まってるね」
「スイギュウとかジャコウウシとかね」
「ヌーもいるし」
「ヤクもね」
「牛といってもね」
 その仲間といってもというのです。
「本当にね」
「多いね」
「こうしてみたら」
「そうだね」
「そうだよ、家畜にされている牛を入れたら」
 それこそというのです。
「世界中にいるよ」
「そういえば」 
 ここでガブガブが言いました。
「牛さんがいない国ってないね」
「そうそう、世界中にいて」
 ジップも言います。
「何かと役に立っているね」
「野生の牛さんの仲間もこれだけいるし」
 トートーはヤクのその長い毛も見ています。
「多いよね」
「僕達より数は多いだろうね」
 老馬は自分のことから言いました。
「牛さんは」
「日本でも凄く多いし」
 ダブダブも言います。
「他の国だってそうだしね」
「特に多いのはインドだね」
 ホワイティはこの国を思い出しました。
「国のあちこちに普通にいるしね」
「あの国は街で歩いてるしね」
「人と一緒にね」
 チープサイドの家族はインドに行った時のことを思い出してそのうえでお話をしています。
「あの国独特の光景で」
「人も多いけれど牛さん達も」
「あの国はまた特別にしても」
 それでもとです、ポリネシアは言いました。
「確かに牛さんは世界中にいるわ」
「本当にいない国は殆どないかな」
「そうだよね」
 オシツオサレツも言います。
「日本だってそうだし」
「他の国だって」
「うん、家畜の中でもね」
 特にというのです。
「多いだろうね」
「そうだよね」
「本当に世界中にいるね」
「ウシさんと仲間は」
「そして牛の妖怪も」
 これもというのです。
「多いね」
「頭がそうだったりね」
「角があったり」
「それも多いね」
「そうだね」
「うん、ミノタウロスもそうで」
 そうしてというのです。
「件もでね、中国にもいるね」
「確か蚩尤だったかな」
「神様だよね」
「軍神で黄帝って人と戦った」
「物凄く強い神様だね」
「とにかく牛に縁のある妖怪も神様も多いね」
 先生は皆に今度はヌーを見つつお話します、見ればオグロヌーとオジロヌーの二種類のヌーがいます。
「世界的に」
「そして牛女も」
「この前話題に出た」
「あの妖怪もだね」
「言うなら女性の和風ミノタウロスだね」
 そうなるというのです。
「牛女は」
「まさにそうだね」
「言うならね」
「お話を聞くと」
「体当たりでトラックを吹き飛ばしたというお話もあるけれど」
 それでもというのです。
「温厚だっていうのがね」
「その実なんだ」
「悪い妖怪じゃないんだ」
「そうなのね」
「日本は悪い妖怪は少ないかな」 
 先生の見たところではです。
「実は」
「そうなんだ」
「そんなに多くないんだ」
「日本に悪い妖怪は」
「人を襲ったりする妖怪はね」
 そうした意味で悪い妖怪はというのです。
「調べたら少ないかな」
「そういえば狐さんや狸さんも」
「人を化かしたりするけれど」
「そんな極端に悪いことはしないね」
「言われてみると」
「悪戯は多いけれど」
 そうしたことをする妖怪はです。
「それでもね」
「人を襲ったりする妖怪は少ない」
「言われてみればそうかな」
「むしろ愛嬌のある妖怪の方が多いかな」
「言われてみると」
「ただ、血を吸う妖怪はいるよ」
 そちらはというのです。
「日本にもね」
「所謂吸血鬼だね」
「吸血鬼のいない国もいないね」
「言われてみたら」
「うん、中国にはいないって言った小説家の人がいるけれど」
 それでもというのです。
「中国にもいるしね」
「キョンシーだよね」
「キョンシーも吸血鬼だしね」
「中国で特に有名な妖怪だけれど」
「キョンシーがそうだね」
「うん、南洋にも中南米にもアフリカにもいるし」
 それにというのです。
「北米でもだしね」
「東欧は一番有名だけれど」
「あそこがね」
「ドラキュラ伯爵のお話もね」
「東欧の吸血鬼がもとだし」
「そして日本でもね」
 この国でもというのです。
「吸血鬼はいるよ。濡れ女とか首は飛ぶろくろ首とかね」
「ろくろ首って首が伸びるけれど」
「飛ぶ種類もいて」
「それでそちらのろくろ首は吸血鬼なんだ」
「そうなんだね」
「そして首が伸びるろくろ首は穏やかだけれど」
 それでもというのです、先生は日本の妖怪の中でも特に有名なものの一つをここで皆にお話していきました。
「けれどね」
「そっちのろくろ首はだね」
「首が飛ぶ種類は」
「吸血鬼で怖い」
「そうなんだね」
「そう言われているよ、また妖怪の種類が豊富で」
 日本はというのです。
「今も生まれているしね」
「ああ、トイレの花子さんとかね」
「この学園にも出るっていうしね」
「口裂け女もね」
「そして人面犬もだし」
「テケテケもそうね」
「日本は妖怪の国でもあるね」 
 先生は考えつつ言いました。
「そして牛女もね」
「そうなのね」
「日本の妖怪の一つで」
「しっかりと存在しているんだ」
「それで六甲にいるんだ」
「そうなるね、本当に機会があれば」
 その時はというのです。
「牛女にもお会いしたいね」
「そうだよね」
「どんな妖怪さんかね」
「お会いして確かめたいね」
「そうだね」
「そう思っているよ、それとね」
 先生はさらに言いました。
「日本では牛は今は食べているけれど」
「そうそう、昔はね」
「昔は牛は殆ど食べなかったんだよね」
「農業に使う家畜でね」
「お乳も飲まなかったね」
「牛乳を飲むとかバターをお料理に使ったりチーズやバターを食べることは」
 そうしたことはというのです。
「日本では明治になるまで殆どなかったよ」
「そうだったね」
「日本では殆どなかったね」
「牛肉を食べることも乳製品を口にすることも」
「牛乳を飲むことも」
「殆どなくて」
 それでというのです。
「馴染みがなかったんだ」
「昔の日本人はそうだね」
「それで件も乳牛や肉牛じゃないね」
「農業に使う牛さんから生まれたね」
「そうだったね」
「体毛の色は黒や茶色だった筈だよ」
 先生は体毛のこともお話しました。
「かつてはね」
「そうだったんだね」
「今の日本の牛さんはホルスタインが多いけれど」
「あの牛さんって乳牛や肉牛でね」
「農業には本来使わないし」
「日本には昔はいなかったね」
「そうだよ、牛乳を飲むなんて」 
 そして乳製品を口にすることもというのです。
「日本では凄く限られていたよ」
「本当に明治まではそうで」
「江戸時代とかはね」
「牛肉はお薬ってことで食べてはいたけれど」 
 これはあったというのです。
「それでも牛乳になるとね」
「本当に少なかったんだね」
「日本では」
「食文化になかったんだ」
「上流階級の人達が食べていたよ」
 これはあったというのです。
「蘇とか酪とか醍醐とかをね」
「それでもだね」
「殆どの人は食べていなかった」
「そうなんだね」
「ずっと」
「うん、けれど今ではね」
 現代ではどうかといいますと。
「皆普通に食べているね」
「そうだね」
「言われてみると」
「皆牛乳飲むし」
「牛乳だって普通に食べるね」
「だから件や牛女が生まれるとなると」
 それならというのです。
「その場合はね」
「ホルスタインだね」
「あの牛さんから生まれるね」
「そうなるわね」
「今だと」
「そうなると思うよ、妖怪の姿とかも」 
 そうしたものもというのです。
「時代によってね」
「変わるんだね」
「牛の妖怪でも」
「そうなるものなんだ」
「時代によって」
「一つ目小僧だって」
 この妖怪はどうかといいますと。
「今だとね」
「今の服着たりするかな」
「一つ目小僧ってお寺の小僧さんの服着てるイメージだけれど」
「今だと違うんだ」
「洋服なんだ」
「そうなっていてもね」
 その場合もというのです。
「おかしくないよ」
「妖怪の服も時代によって変わるんだ」
「江戸時代とかと今じゃ」
「そうなるのね」
「同じ妖怪でも」
「だって僕達の服も変わっているよ」
 先生は人間のお話もしました。
「時代によってね」
「ああ、そう言われるとね」
「確かにそうね」
「人間の服も時代によって変わってるわ」
「それもかなりね」
「だから妖怪の服もね」
 彼らのそれもというのです。
「変わっていても不思議じゃないよ」
「そういえば姫路城の宴で洋食も出したしね」
「色々と現代風にアレンジしたし」
「そういうことも考えてみたら」
「妖怪も何かと時代によって変わる」
「そういうものなのね」
「そうだよ、どんなものでも変わるしね」
 この世にあるものはというのです。
「そういうことだと考えればいいよ」
「成程ね」
「そう考えたらわかるよ」
「それもかなりわかりやすく」
「先生のお話はわかりやすいけれど」
「今回もそうよ」
「よくわかったわ」
「わかってくれて何よりだよ」
 先生も満足しました、そうして皆で動物園を巡ってです。
 閉園の時間になったので帰ろうと門を出た時にでした。
 トレンチコートを着た黒いロングヘアに切れ長の目にマスクという恰好の女の人が先生の前に来て言ってきました。
「こんにちは、ドリトル先生」
「はい、こんにちは」
「口裂け女ですが」
 自分から名乗ってきました。
「実は先生にお話したいことがありまして」
「それで、ですか」
「お伺いしました」
「といいますと」
「実は六甲にお招きしたいのです」
 口裂け女はこう先生に言いました。
「日をあらためて」
「六甲にですか」
「今度の日曜先生に予定がなければ」
「はい、その日は何もありません」
 先生は笑顔で答えました。
「特に」
「ではその日の朝に先生のお家にお迎えに参りますので」
「それで、ですか」
「六甲まで案内させて頂きます」
 先生に礼儀正しくお話します。
「その様に」
「それでは」
「また日曜に」
「お待ちしています」
 先生も笑顔で応えます、こうお話してでした。
 口裂け女と名乗った人は先生にお別れの一礼をしてから去りました、その後で動物の皆は先生のお家に帰りながら言いました。
「口裂け女ってね」
「研究室でお話していたね」
「日本の妖怪じゃない」
「この学園にもいるって聞いてたけれど」
「本当にいたんだね」
「うん、この学園は世界屈指の妖怪心霊スポットだけれど」 
 先生も皆に応えて言います。
「実際にね」
「出て来たね」
「僕達の前に」
「何でもない感じで」
「六甲にお誘いかけてきたね」
「そうだね、今度の日曜日に」 
 まさにその日にというのです。
「なったね」
「そうだね」
「何ていうか急にね」
「日曜行くことになったね」
「口裂け女さんの車で」
「そうなったね、しかしね」
 ここで先生は皆にこうも言いました、夕暮れの道を彼等と一緒に歩きつつ。
「口裂け女さんは色々言われていたんだ」
「そうだったんだ」
「別に悪い感じじゃないけれど」
「そんな妖怪さんだけれど」
「最初はあの姿で出て来てね」
 マスクをした姿でというのです。
「あたし奇麗?って聞いてきたんだ」
「ああ、そのお話聞いたことあるよ」
「それでいいえって言ったら何もなくて」
「はいって言ったらマスク取ってね」
「耳まで裂けたお口見せて」
「これでも美人かって言うんだね」
「最初はそれだけだったのが」
 皆が言う通りだったというのです。
「それがね」
「変わっていったんだ」
「そうだったのね」
「最初はそんな風でも」
「それが」
「男女二人連れになったり」
 それかというのです。
「姉妹三人とか赤い車に乗って移動するとか」
「確かに変わっていってるね」
「どんどんね」
「何でそうなったのかな」
「不思議だね」
「襲ったりする様になって」
 驚かせるだけだったのがです。
「いいえって答えてもそうなって」
「狂暴になっていったんだ」
「次第に」
「最初は驚かせるだけだったのが」
「そうなったんだ」
「そう、鎌とか鉈持ってね」
 そうした刃物をというのです。
「口を裂いたり殺したり」
「それもう事件じゃない」
「人殺されてわからないの?」
「普通にわかるよね」
「切り裂きジャックみたいに」
「そしてどんどん凄くなって」
 その狂暴さのお話がというのです。
「それでね」
「どうなったのかな」
「一体」
「今の時点で凄いけれど」
「人殺す様になったっていう点で」
「死神が持つみたいな大鎌を振り回して」
 そうしてというのです。
「電話ボックスを真っ二つにしたとかね」
「もう滅茶苦茶だね」
「漫画でも物凄い迫力だよ」
「どんどんお話が大きくなって」
「遂にはそこまでいったんだ」
「これは皆があれこれ噂して」
 先生は皆にお話しました。
「大きくなっていってね」
「それでなんだ」
「そんなとんでもない妖怪になったんだ」
「もう切り裂きジャック真っ青の」
「そんな風になったんだ」
「そうだよ、口裂け女のお話は都市伝説でもあるけれど」
 先生は民俗学のお話もしました、実は先生は民俗学についてもかなりの識見を持っている人なのです。
「これがね」
「どんどん大きくなって」
「尾鰭が付いて」
「それでなんだ」
「そこまでいったんだ」
 大鎌で電話ボックスを真っ二つにするまでというのです。
「それで当時の子供達が怖がってね」
「そりゃ怖がるね」
「誰だってね」
「そんな妖怪本当に襲ってきたら」
「どうしようもないから」
「集団下校したり」
 そうした風になってというのです。
「べっ甲飴やポマード持つ様になったんだ」
「飴?」
「それにポマード?」
「何、その二つ」
「よくわからない組み合わせだね」
「べっ甲飴は口裂け女の好物で」
 先生はまずこちらからお話しました。
「これを投げると食べてその間に逃げられるって言われていたんだ」
「妖怪にはよくある話だね」
「そうしたお話もね」
「言われてみれば」
「そうだね」
「それでポマードはね」
 今度はこちらのお話でした。
「口裂け女の苦手なものだったんだ」
「好物もあれば苦手なものもある」
「これも妖怪の特徴ね」
「人間も動物もあるけれど」
「妖怪もそこは同じね」
「そしてね」 
 それでというのです。
「嫌いな理由はポマードをべっ甲飴と間違えて食べて」
「ポマードは整髪料だから」
「食べられないからね」
「食べてとんでもないことになったんだ」
「それで嫌いになったの」
「そうしたお話なんだ、けれど実際の口裂け女は」
 どうかといいますと。
「この学園にいるそのままで」
「ああ、驚かせるだけね」
「夕方に校門にいて」
「それで驚かせてくる」
「この学園じゃそう言われているね」
「だからね」
 それでというのです。
「驚かさせられるけれど」
「それでもだね」
「襲われることはないし」
「安心していいのね」
「口裂け女については」
「そうだよ、特にね」
 これといってというのです。
「怖い妖怪じゃないから」
「だったらいいよ」
「まあ驚かされる位ならね」
「それ位ならいいかな」
「襲われないなら」
「それなら」
「というかね」
 老馬が言ってきました。
「妖怪のお話って後で色々つくよね」
「大きくなったり怖くなったり」
「そんな風にね」
 チープサイドの家族も言います。
「どんどんね」
「そうなっていくね」
「というか人が殺されたなら」
 こう言ったのはチーチーです。
「行方不明でも大事件だからね」
「普通に大騒ぎになるよ」
 トートーも言います。
「実際に起こったら」
「そもそも襲われたり殺されたりとか」
 ポリネシアも言いました。
「生き残った人いるのかしら」
「いたら警察に行くね」
 ガブガブは断言しました。
「日本だと」
「というかあんな目立つ格好だと」
 ダブダブは口裂け女の服装から言います。
「普通に皆注意するでしょ」
「しかも姉妹三人とかだと」
 どうかとです、ホワイティは指摘しました。
「余計に目立つよ」
「人を襲ったり殺した現場誰か見たのかな」
「真っ二つになった電話ボックスとか」
 オシツオサレツも指摘します」
「そもそも」
「大変な話なのに」
「結局全部噂話で」
 ジップは思ったことを言いました。
「本当はそんなことなかったんだろうね」
「うん、実際はなかったよ」
 先生も言います。
「だって本当にそんなことがあったら」
「大事件だし」
「世の中もっと大騒ぎだね」
「実際テロでもそうなるのに」
「それじゃあね」
「騒ぎにならない筈がないわ」
「そうだよ、騒ぎにならない方が」
 まさにというのです。
「おかしいからね」
「もう集団下校どころじゃなくて」
「警察が特別にチーム組むね」
「それであたるわね」
「殺人事件とかになったら」
「そうなっていたよ、都市伝説は皆色々言って」
 そしてというのです。
「大きくなるからね」
「そうしたものだから」
「それでよね」
「大きくなっていくもので」
「妖怪の実像とも離れるんだ」
「そうなっていくんだ」
 先生は皆にお話しました。
「妖怪もね」
「何か凄いね」
「噂話も侮れないね」
「どんどん大きくなるとか」
「とんでもないものね」
「実際にそうだよ、これが人や国の根拠のないものだと」
 それこそというのです。
「どれだけ有害か」
「それはね」
「確かに思うね」
「根拠のない噂で人に危害が及んだら」
「どれだけ酷いか」
「例えばマスコミがね」 
 この人達がというのです。
「日本でもよくあるね」
「あっ、何の根拠もないことを書く」
「その人について」
「悪いお話ばかり書いて」
「それでだね」
「それがその人をどれだけ傷付けるか」
 それこそというのです。
「わからないね」
「そうだよね」
「人間でもそうだしね」
「国家でもだね」
「そうした噂を流されると困るね」
「日本はかつてイエローペーパーに色々書かれて」
 そうしてというのです。
「物凄く誤解されていたしね」
「先生よくお話してるね」
「マスコミのとんでもないお話を」
「日本もだね」
「色々書かれてきたんだね」
「残虐で邪悪で世界征服を企んでいる様な」
 そうしたというのです。
「ことを散々書かれてね」
「誤解されていたんだ」
「そうだったんだ」
「何かと」
「ハーストという出版社が行っていて」
 それでというのです。
「それでね」
「ううん、酷いお話だね」
「そんなことを書いたマスコミは許したらいけないね」
「それって絶対に許されないことだよ」
「人としてね」
「そして企業としてもね」
「日本でも多くの普通の新聞社や出版社が平気でするしね」
 日本においてもというのです。
「だからね」
「問題だね」
「そうしたことで実害が出たら」
「そうなったら」
「それで傷付いたり誤解される被害者が出たら」
「しかもね」
 先生は眉を曇らせてさらにお話しました。
「マスコミは責任を取らないからね」
「嘘吐き放題ね」
「書き放題」
「もうやりたい放題」
「被害者が出ても」
「妖怪でもそれで迷惑していたら」
 それならというのです。
「よくないね」
「噂は慎んだ方がいいね」
「そうした場合もあるわね」
「悪い噂は流さない」
「それに限るね」
「噂は噂だよ」
 それに過ぎないというのです。
「問題はその真実を確かめる」
「そのことが大事ね」
「真偽を確かめる」
「噂については」
「じっくりと」
「災害が起こった時は特に出るけれど」 
 その噂がでる。
「何といってもね」
「大事なことは確かめる」
「それも冷静にだね」
「そして偽なら否定する」
「そうすべきだね」
「イギリスではゴシップが好まれるけれど」
 先生の生まれたお国ではです、イギリスではこうした話題が好きな人が多くてよくお話されるのです。
「ゴシップはね」
「真偽を確かめる」
「それが大事だよね」
「インターネットでもそうだけれど」
「まず確かめる」
「それが大事ね」
「世の中には悪い人もいて」
 そしてというのです。
「わざと悪い噂を流すからね」
「ハーストみたいにね」
「日本の多くの出版社や新聞社みたいに」
「もう悪い考えでそうしたことをする」
「そんな人がいるから」
「注意しないと」
 本当にというのです。
「騙されるよ」
「僕達もね」
「そうなるのね」
「そんな悪い噂に」
「そして悪い人達に」
「世の中色々悪い人はいるけれど」
 それでもというのです。
「そうした噂を流す人達は」
「特に悪い人達だね」
「もう言うまでもなく」
「極悪非道っていうか」
「最低最悪かな」
「こうした人にはね」
 先生は悲しいお顔で言いました。
「間違ってもなってはいけないね」
「全くだね」
「若しそんな人になったら」
「天国に行けないよ」
「地獄に落ちるよ」
「そうした人こそ地獄に落ちるよ」
 実際にそうなるというのです。
「本当にね」
「そうだよね」
「噂は真偽を確かめる」
「それが大事だね」
「今は画像もかなり巧妙に造られるから」 
 だからだというのです。
「証拠写真と言ってもね」
「それでもだね」
「まずは確かめる」
「迂闊に信じないで」
「そうしないと駄目ね」
「騙されて後悔しても遅いからね」
 それ故にというのです。
「若しハーストに騙されて日本人を攻撃して」
「そうした人実際にいたよね」
「残念なことに」
「嘘に騙されたとはいえ差別した」
「そんな人が」
「その後で差別を糾弾する人に糾弾されたらどう言うのかな」
 その攻撃した人はというのです。
「騙されていたって言っても反省してもその罪は消えないって言って容赦なく攻撃してくる人が目の前に出て来たら」
「もうその時はね」
「どうにもならないね」
「そうした人に攻撃されても」
「そうされても」
「攻撃してくる人も善人とは限らないしね」
 差別という悪いことをした人を糾弾する人もです。
「どんなことをしても延々と攻撃してくる人もね」
「いるよね」
「やっぱり」
「そんなとんでもない人も」
「世の中にはいるね」
「こうした人に徹底的に攻撃されてからじゃ遅いから」
 まさに後悔先に立たずというのです。
「本当に気をつけないとね」
「そうだね」
「差別はしてからじゃ遅い」
「噂に騙されてからじゃ遅い」
「そういうことね」
「そうだよ」
 こう皆にお話しました。
「実際後世まで批判されるしね」
「そうだよね」
「差別した人はね」
「歴史的にも言われるよね」
「それもずっと」
「アメリカで日系人の人達は大戦中に収容所に入れられたけれど」
 先生はこのお話もしました。
「この人達を収容所に送ってずっとカルフォルニアに帰さないって言ったカルフォルニアの知事だった人は今も批判されているよ」
「そのことをだよね」
「随分とんでもない言葉言い続けてきたんだよね」
「根拠のないことまで」
「そうしていたのよね」
「戦争中で色々あったにしても」
 それでもというのです。
「今も言われているよ、ただね」
「ただ?」
「ただっていうと」
「この人は後にアメリカの最高裁判所の長官になって」
 そうしてというのです。
「アフリカ系の人達の権利獲得に貢献したんだ」
「そうそう、後でね」
「そうしたこともしたんだよね」
「キング牧師やマルコムエックスが凄い活躍したけれど」
「この人も貢献したんだよね」
「法律の専門家の立場から」
「確かに酷い人種差別政策を行ったけれど」
 カルフォルニアの知事だった時にです。
「けれどね」
「後でだね」
「多くの人の権利を守ってだね」
「その拡大に貢献したのね」
「十万の日系人の人権を冒涜して迫害したけれど」 
 それでもというのです。
「その後で二千万のアフリカ系の人達の未来を切り開いてね」
「今のアメリカの人権も確立した」
「そうした人だったんだよね」
「その人は」
「こうした人もいるよ、けれど差別をしたことは事実で」
 それでというのです。
「今も批判されているしね」
「差別はしないことね」
「最初から」
「それが第一だね」
「僕はそう考えているよ」
 こう言ってです、先生は皆とさらにお話をしました。そうして六甲に行って牛女に会うことも考えるのでした。








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