『ドリトル先生と不思議な蛸』




                   第一幕  蛸料理

 ドリトル先生は今は皆と一緒にお家でたこ焼きを食べています、王子がその中で先生に言いました。
「この関西じゃたこ焼き多いよね」
「大阪名物だね」
 先生は王子に笑顔で答えました。
「まさにね」
「そうだよね」
「それでこの神戸でもね」
「よく食べるよね」
「神戸には明石焼きもあるしね」
「あれも美味しいよね」
 王子は明石焼きと聞いて笑顔で返しました。
「たこ焼きだけれどね」
「おつゆに漬けていてね」
「あれはあれで美味しいね」
「そうだよね」
「僕はあちらも好きだよ」
 明石焼きもというのです。
「そちらもね」
「そうだよね」
「そしてたこ焼きも好きでね」
「結構食べてるね」
「そうだよ」
「日本に来てからね」
「日本は蛸を普通に食べる国だからね」 
 それでというのです。
「僕もね」
「よく食べているんだね」
「たこ焼きも好きだけれど」
 それでだけでなくというのです。
「お刺身も唐揚げもね」
「好きだね」
「酢のものにしても蛸わさびも好きだし」
 こうしたお料理もというのです。
「今は蛸料理を色々と食べているよ」
「そうなったね」
「イギリスでは蛸を食べるなんて」
 先生の祖国ではです。
「考えられないけれどね」
「烏賊にしてもね」
「日本では烏賊も普通に食べるけれど」
 それがというのです。
「イギリスではね」
「やっぱり食べないね」
「英吉利の食文化は色々言われているけれど」
「特にシーフードが弱いかな」
「蛸も烏賊も食べられること自体知らない人がいるよ」
 そうだというのです。
「本当にね」
「それは日本にいたら信じられないね」
「逆にね」
「僕にしてもそうだしね」
 王子は爪楊枝にたこ焼きを刺してお口の中に入れて食べながら言いました。
「イギリスにいたらね」
「蛸や烏賊を食べられるなんて」
「思いも寄らなかったよ」
「そうだったね」
「それがだから」
「今こうして普通に食べていて」
「そんな自分にも驚いているよ」
 こう言うのでした。
「本当にね」
「蛸を食べる自分に」
「そうなっているよ」
「僕もだよ」
 先生もというのです。
「そのことはね」
「そうだよね」
「外見はイギリス人から見たら」
 蛸や烏賊のそれはです。
「もうとんでもなくね」
「気持ち悪いものだね」
「お化けみたいなね」 
 そうしたというのです。
「外見だよ」
「そうそう」
「足が八本も十本もあって」
「吸盤が一杯あって」
「身体はぶよぶよしていて」
「もうお化けみたいよ」
 動物の皆も言います。
「本当にね」
「欧州じゃそう言う人多いしね」
「蛸や烏賊を食べない国も多くて」
「悪魔だって言う人もいるわ」
「そこまでね」
「それが日本だとね」
 皆が今いる国ではとです、先生はさらに言いました。
「殆ど誰も気持ち悪いなんて言わなくて」
「もう姿を見ると美味しそう」
「それで実際に食べるから」
「そこが違うね」
「もう食文化の違いを実感するわ」
「映画とかで巨大な蛸は烏賊は定番で」 
 それでというのです。
「気持ち悪いとか怖いとか思われるのが」
「それが日本だと」
「一体何人前食べられるか」
「そう言うからね」
「暴れ回る巨大な蛸や烏賊見ても」
「全然怖がらなくて」
「平気だからね」
 そんな風だとです、動物の皆もそれぞれたこ焼きを食べながら言います。たこ焼きはおソースに青海苔、鰹節も上にあってとても美味しいです。
「逆に何処が怖いの、だから」
「そんな蛸や烏賊見ても」
「特に蛸だと大きな壺用意すればいいだし」
「それで捕まえればいいって言うから」
「うん、日本人は蛸も烏賊も怖がらないよ」
 先生は言い切りました。
「図鑑を読んでもどうしたら美味しいとかね」
「書いてあるだね」
「どのお料理なら美味しいか」
「そう書いているだけなのね」
「ミズダコなんか大きくて」
 この蛸はというのです。
「人を襲ったりもするけれど」
「日本人そんなこと知らないよね」
「ミズダコは絶対に食べものとしか思っていないね」
「実際のところ」
「そうよね」
「うん、日本の図鑑を読むとね」
 蛸のその部分をです。
「人を襲うとか書いていなくて」
「どうお料理すれば美味しいか」
「そんなことを書いているの」
「そのミズダコにしても」
「そうだよ、本当に蛸や烏賊が人を襲うとか」
 そうした考えはというのです。
「日本人にはないね」
「あくまで食べるもので」
「それ以外の何でもない」
「そうだね」
「何しろイカ墨のスパゲティも」
 このパスタもというのです。
「普通に受け入れているしね」
「そういえばそうね」
「あのスパゲティも」
「考えてみればかなり特異なスパゲティなのに」
「それでも」
「普通にイカ墨を受け入れて」
 そうしてというのです。
「食べているしね」
「あれはインクに見えますよね」
 トミーもたこ焼きを食べています、そのうえでの言葉です。
「ちょっと見たら」
「ははは、そうだよね」
「日本だと墨汁ですね」
「アジアだからね」
「それでも普通に食べて」 
 そうしてというのです。
「楽しんでいますね」
「日本人はね」
「それも最初からですね」
「蛸も烏賊も普通に食べているからね」
 それでというのです。
「ああしてだよ」
「普通に食べていますね」
「うん、最初は珍しがられたけれど」
 それがというのです。
「今ではね」
「普通にですね」
「受け入れられて」
 そうしてというのです。
「食べられているよ」
「そうなっていますね」
「ある漫画でインクをかけているのかと実際に言われていたけれど」
「日本でもですか」
「すぐに受け入れられてね」
 そうしてというのです。
「お店でもあってスーパーでもね」
「ソースが売られていますね」
「そうなっているよ」
「そしてそれがまた美味しいですね」
「そうなんだよね」
「ただ蛸の墨は使ってないね」
 ここでホワイティが言いました。
「お料理に」
「そうね、イカ墨はあってもね」 
 ダブダブも言いました。
「蛸墨はないわね」
「イカ墨はスパゲティだけでなくパエリアに使われていても」
 それでもとです、ガブガブも言いました。
「本当に蛸はないね」
「こんなに蛸を食べても」
 チーチーは首を傾げさせました。
「隅はないね」
「日本人って魚介類はそれこそ骨まで食べるのに」 
 トートーが言うことはといいますと。
「お吸いもののだしにしたり小魚だと骨まで本当に食べるよ」
「それなのに蛸の墨は食べないとか」
「そういえばおかしいわね」
 チープサイドの家族も不思議に思うことでした。
「言われてみれば」
「不思議なことだね」
「毒はないわね」
 ポリネシアは蛸の墨に毒があるとは聞いていません。
「そんなこと聞いたことないし」
「それだったらこんな普通に食べてないじゃないかな」
「そうなってるね」
 オシツオサレツは二つの頭で言いました。
「河豚みたいな扱いになってるよ」
「そうだったら」
「日本人は毒があるお魚とかも毒のある部分を取り除いて食べるのに」
 ここで言ったのはジップでした。
「蛸でそんなお話聞いたことないね」
「もう蛸も食べないところないのに」
 最後に老馬が言いました。
「墨だけなのかな」
「蛸の墨は量がかなり少ないんだ」 
 先生はいぶかしんだ動物の皆にお話しました。
「実はね」
「だからなんだ」
「蛸の墨は食べないんだ」
「食べられるだけの量が少なくて」
「そのせいで」
「そうだよ、烏賊の墨は量が多いけれど」
 それでもというのです。
「蛸は少ないからね、あと味もね」
「烏賊の墨程じゃないのね」
「それで食べない」
「墨は食べない」
「そうなんだね」
「そう、ただポリネシア達が毒のお話をしたけれど」
 蛸にはというのです。
「実は毒がある蛸もあるよ」
「じゃあ食べると死ぬんだ」
「そうした蛸を食べたら」
「そんな蛸もいるんだ」
「蛸も色々ね」
「うん、噛まれても大変なことになるから」
 毒があってです。
「注意しないとね」
「というか毒があるとかね」
「蛸もそうなんて」
「河豚だけじゃないのね」
「そうだよ、あと蟹にも毒がある種類がいるよ」
 この生きものにもというのです。
「これがね」
「そうなんだ」
「蟹にも毒あるの」
「じゃあその蟹を食べても大変ね」
「命に関わるね」
「スベスベマンジュウガニといってね」 
 先生はその蟹の種類もお話しました。
「沖縄の方にいるんだ」
「成程ね」
「じゃあその蟹も食べない」
「スベスベマンジュウガニも」
「食べないことだね」
「うん、そうしないと」
 今は普通の蛸のたこ焼きを食べながら言いました。
「実際にとんでもないことになるよ」
「そうだね」
「毒には気をつけないとね」
「河豚だけじゃない」
「そのことはね」  
 皆でこうお話しました、そしてです。
 皆はそれぞれたこ焼きを食べながらお話を楽しみました、今では皆たこ焼きを楽しんでいます。イギリスでは食べないこの生きものを使ったお料理を。
 そのお話の次の日です、先生は大学で研究室に来た人からこんなことを言われました。落ち着いた感じの中年の男の人です。
「三重県、鳥羽でのことですが」
「あの水族館のある」
「はい、その鳥羽の海で」
 そこでというのです。
「おかしな蛸がいるとです」
「噂になっていますか」
「そうなのです、ですから」
 男の人は先生にお話しました。
「時間がある時に」
「鳥羽まで行ってですか」
「調査をお願いしたいのですが」
「はい、それではです」
 先生は男の人に笑顔で答えました。
「今度の夏休みにです」
「その時にですか」
「鳥羽に行かせてもらって」
 それでというのです。
「調べさせてもらいます」
「宜しくお願いします」
「それでどういった蛸でしょうか」
 先生は男の人に尋ねました。
「一体」
「赤くない蛸とか」
「赤くないのですか」
「そして不思議な模様の」
「まさか」
 そう聞いてです、先生は。
 どうかというお顔になってそれで言いました。
「危ないかも知れないですね」
「危ないといいますと」
「鳥羽に行かせてもらいまして」
 先生はもう行くことを約束しました。
「そしてです」
「そのうえで、ですか」
「この目でその蛸を見てからお話させてもらいます」
「そうして頂けますか」
「はい」
 こう男の人に言いました。
「そうさせてもらいます」
「では宜しくお願いします」
「その様に、ですが」
「ですがといいますと」
「蛸で近付いていいのは赤い蛸です」
 先生は言いました。
「それ以外の蛸にはです」
「近付かないことですか」
「そうして下さい」
 こう言うのでした。
「ここは」
「それでは」
「夏休みに行ったらすぐに向かいます」
 先生は男の人にはっきりと答えました。
「鳥羽に」
「ではお願いします」
「近畿、関西は多く巡っています」
 先生は男の人に笑顔でこんなこともお話しました。
「これまで」
「そうなのですか」
「はい、ですが」
「それでもですか」
「実は見栄はまだでして」
「三重県は東海ですが関西に入れられることもありますね」
「そうですね」 
 確かに地理としては東海に入りますがそれでもです。
「時として」
「それで先生は」
「これまで関西の多くの府県に様々な用件で行かせてもらいましたが」
 それでもというのです。
「三重県はまだでしたから」
「いい機会ですか」
「はい、ですから」
 笑顔のままお話します。
「これからです」
「行かれますか」
「そうさせてもらいます」
 いい機会としてというのです。
「是非」
「それではお願いします」
 男の人も応えてでした。
 先生は夏休みのはじめに鳥羽に行くことになりました、研究室に一緒にいてそのお話を聞いた動物の皆は先生に言いました。
「今度は三重県だね」
「あそこに行くのね」
「兵庫にいてね」
「これまで奈良、和歌山、滋賀と行ってね」
「大阪はよく行くけれど」
「今度は三重だね」
「遂に関西全ての府県に行くことになったね」
 笑顔で言った先生でした、動物の皆にも。
「僕達は」
「そう、僕達もだね」
「私達いつも先生と一緒だから」
「そうなるね」
「実際に全部の府県に行ってるし」
「先生と一緒に」
「そうだよ、それじゃあ鳥羽にもね」
 是非にというのです。
「行こうね」
「うん、そうしようね」
「夏休みがはじまったらね」
「三重県に行こう」
「鳥羽に」
「三重県にも行ってみたかったんだ」
 先生は笑顔でお話しました。
「機会があればね」
「そしてその機会が来た」
「遂に」
「機会は時としてそちらからやって来る」
「今がその時だね」
「そうだよ、じゃあ是非行こうね」
 こう言ってでした。
 先生は実際にです、皆と一緒に三重県に行くことを楽しみにする様になりました。ですがそれでもです。
 そうしたお話をした時にでした。
 ふとです、先生はこんなことも言いました。
「鳥羽は海だから海の幸がいいというね」
「あっ、それじゃあね」
「そちらも楽しみましょう」
「鳥羽の海の幸も」
「そうしましょう」
「そしてね」
 そのうえでというのです。
「おうどんも食べようね」
「おうどん?」
「おうどんもなの」
「それも食べるの」
「鳥羽に行ったら」
「鳥羽というか三重県に行ったら」
 それならというのです。
「もうね」
「それならなんだ」
「何かあるんだ」
「おうどんにも」
「伊勢うどんといって柔らかくて太い麺でとても黒くて濃いおつゆのうどんがあるんだ」
 三重県にはというのです。
「それも食べないとね、あと海の幸だと特に伊勢海老だね」
「そうそう、伊勢海老」
「日本では海老も美味しいけれどね」
「伊勢海老は有名だよね」
「オマール海老もいいけれど」
「伊勢海老も美味しいわよ」
「その伊勢海老を食べて」
 そうしてというのです。
「皆で楽しもうね」
「是非ね」
「そうしましょう」
「三重県に行ったら」
「鳥羽でね」
「あと鰯料理で有名なお店もあるし」
 鳥羽にはというのです。
「松坂牛に赤福もちもあるし」
「美味しいの多いわね」
「三重県も」
「じゃあそうしたのを食べながら海を調べましょう」
「ただ先生」
 皆は食べもののお話をしてでした、その後で。
 先生にです、怪訝なお顔になって尋ねました。
「ちょっといい?」
「少しいいかしら」
「今おかしな蛸のお話したけれど」
「赤くない蛸とか」
「それはどういった蛸かしら」
「ううん、今回はどうもね」
 先生は考えるお顔で言いました。
「その蛸が実際に鳥羽にいて」
「それでなんだ」
「その蛸がいることを確かめて」
「そうしてなのね」
「その蛸を見て」
「そのうえでお話したいの」
「そう考えているからね」
 だからだというのです。
「お話はその時でいいかな」
「実際にその蛸を見て」
「それでなのね」
「蛸を見付けて」
「その時で」
「そうしようね」
 先生は動物の皆に言いました。
「今回は」
「わかったよ、けれど赤くない蛸なんて」
「そんな蛸もいるのね」
「ちょっと想像出来ないけれど」
「赤くない蛸なんて」
「蛸は赤いものだよ」
「それが蛸の色なのに」
 こう言うのでした。
「茹でたら特に赤くなるね」
「それが蛸の色で」
「烏賊が白いのと同じで」
「蛸は赤い」
「そうじゃないの?」
「そうじゃない蛸もいるんだ」
 先生の今の表情は穏やかですが真面目なものでした。
「これがね」
「世の中広いね」
「そんな蛸もいるなんて」
「赤くない蛸なんて」
「この世界にいるなんて」
「数はかなり少ないけれど」
 それでもというのです。
「いるにはいるよ、そして実はね」
「実は?」
「実はっていうと」
「どうかしたの?」
「蛸が赤いというのは一つの固定観念なんだ」
 それになるというのです。
「実はね」
「固定観念ね」
「もうそうだと思い込む」
「そんなものなんだ」
「蛸については」
「そう、烏は黒いということも」
 この鳥のこともというのです。
「絶対かというと」
「違うの」
「黒くない烏もいるんだ」
「烏といえば黒だけれど」
「それでも」
「何億の中に一羽白い烏がいれば」
 その時はというのです。
「そうじゃなくなるね」
「あっ、そうだね」
「言われてみれば」
「烏が黒いということもね」
「一羽でも白い烏がいれば」
「そうした烏がいれば」
「そうだよ、だからね」
 それでというのです。
「蛸が赤いということもね」
「固定観念なんだ」
「そうとは限らない」
「決して」
「そういうことなんだ、そして実際にね」
 蛸についてです。
「赤くない蛸もいるんだ」
「そうなのね」
「赤くない種類の蛸もいる」
「数は少なくても」
「それでも」
「このことを覚えておいていて」
 そしてというのです。
「鳥羽に行こうね」
「うん、そうしようね」
「赤くない蛸もいる」
「世の中色々な蛸がいるんだ」
「蛸は赤いものと思っていたら」
「そうだよ、だからね」
 それでというのです。
「世の中は面白いんだよ」
「成程ね」
「赤くない蛸もいるから」
「それでなんだ」
「じゃあ鳥羽に行ったら」
「その蛸を探そう」
「そうしよう」
「そして絶対にその蛸には迂闊に近寄ったら駄目だよ」
 先生は皆に注意もしました。
「いいね」
「?そうなんだ」
「その赤くない蛸には」
「そうしないと駄目なんだ」
「それじゃあね」
「その蛸を見付けても」
「近寄らない様にね」 
 絶対にというのです。
「いいね」
「そうするね」
「先生が言うなら」
「僕達は先生の言うことは絶対に聞くよ」
「それこそね」
「そうしてくれると嬉しいよ、しかしね」 
 こうも言う先生でした。
「日本は狭いと日本の人達は言うけれど」
「実際そうでもないけれどね」
「世界では広い方の国だよ」
「欧州で日本より広い国って数える位しかないよ」
「もうロシアは別格として」
「それこそね」
「うん、そしてね」
 先生はさらにお話しました。
「面している海の面積はかなりで川や湖も多いから生きものの種類は多いよ」
「そういえば琵琶湖も色々な生きものいたし」
「山でもそうだし」
「植物の種類も多いし」
「それで海についても」
「かなり自然豊かな国だよ」
 日本という国はというのです。
「本当にね」
「そういえばそうだね」
「それで独特だっていうね」
「日本の生きものは」
「そうね」
「そう、山が多い国だから」
 その為にというのです。
「狐や狸や栗鼠も独特なんだ」
「ニホンギツネとかいうね」
「ニホンタヌキとか」
「それで栗鼠もホンドリスっていうし」
「狼もニホンオオカミで」
「独特の種類だね」
「それで学んでいると」 
 先生の大好きな学問です、学問を学ぶことは先生の生きがいですが生物学についても博士号も持っている位に造詣が深いのです。
「興味が尽きないよ」
「日本の生きものについても」
「そうなのね」
「だから学んで」
「それでだね」
「海についてもそうで」
「鳥羽でも学ぶのね」
 皆も先生に言いました。
「そうするのね」
「その蛸を探しながら」
「そして美味しいものも食べて」
「そのうえで」
「学問もするのね」
「そうするよ、鳥羽水族館にも行くよ」 
 そちらにもというのです。
「いいね」
「そうしようね」
「水族館にも行こう」
 先生は笑顔で言いました。
「是非ね」
「今回も色々なところ行くんだ」
「そうするのね」
「鳥羽に行って」
「そうして」
「うん、伊勢神宮にも行きたいしね」
 そちらにもというのです。
「あちらにも」
「ああ、お伊勢さんだね」
「日本一と言われる神社だね」
「日本の皇室と物凄く縁があって」
「天照大神を祀っているんだったね」
「そうだよ、伊勢に行って双子岩やあちらの水族館も観ていきたいけれど」
 それに加えてというのです。
「あの大社にもね」
「お参りして」
「その中を巡っていく」
「そうするのね」
「そうだよ、日本の神仏に触れることもね」
 このこともというのです。
「素晴らしいことだからね」
「だからだね」
「それでだね」
「あの大社にも行って」
「学ぶのね」
「そうだよ、あらゆることを学ぶのが僕の学問だから」
 だからだというのです。
「是非ね」
「伊勢神宮もだね」
「そちらにもお参りして」
「それでだね」
「学ばせてもらうよ、しかしこれまで日本の多くの神仏に触れていたけれど」
 そうしてきてというのです。
「僕はその素晴らしさがわかってきたよ」
「八百万の神だね」
「日本はそれだけの神様がいるというね」
「こんなに多くの神様がいる国はないわね」
「しかも仏教の仏様達もいるし」
「そのどれにも触れるとね」
「素晴らしさがわかって」
 そうしてというのです。
「次第に魅せられてきているよ」
「先生はクリスチャンだけれどね」
「宗派は国教会でね」
「それでもだね」
「次第に日本の神仏に魅せられて」
「そうなってきていて」
「その力を確かに感じられてきたよ」
 動物の皆に笑顔でお話しました。
「宗教は違ってもね」
「素晴らしい」
「先生の言う通りだね」
「日本の神仏も素晴らしいよ」
「その力も」
「これは他の国の宗教もだね」
 先生は笑顔で言いました、そうして鳥羽に行く時の用意もはじめました。








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