『ドリトル先生と幸せになる犬』




                第九幕  人気の動画

 先生はこの時大学のご自身の研究室で論文を書いていました、今度の論文は一体どういったものかといいますと。
「ああ、今度は犬なんだ」
「犬の進化についてなのね」
「そのことについて書いているんだ」
「うん、犬もね」
 この生きものもというのです。
「面白い進化を遂げてきたね」
「僕も犬だけれど」 
 ジップが言ってきました。
「色々な種類がいるからね」
「狼が家畜になってよね」 
 ポリネシアがこのことを言いました。
「犬になったのよね」
「そして色々な種類の犬が出て来て」
 そしてとです、チーチーは言いました。
「かなりのものになっているね」
「一口に犬といっても」
「本当に多いわね」
 チープサイドの家族も言います。
「一体どれだけいるか」
「わからない位だよ」
「その進化について今書いているんだね、先生は」
 老馬も言いました。
「それってかなりのものになるね」
「かなりというか」
 ダブダブは思いました。
「どれだけ大きな論文になるか」
「ちょっとわからないわね」 
 ガブガブは首を捻りました。
「一体」
「先生は研究も執筆も早いけれど」
「それでも何時終わるかな」
 オシツオサレツは二つの頭で言いました。
「一体何ページになるか」
「見当もつかないよ」
「それでも書くのが先生だけれど」
 ホワイティは先生の学究精神の素晴らしさから述べました。
「それでも書ききれるかな」
「応援させてもらうけれどね」
 トートーは先生が論文を書ききれるか不安になっています。
「脱稿出来るかな」
「いや、進化といってもね」 
 それでもとです、先生は皆に微笑んでお話しました。
「ブルドッグのことだよ」
「ブルドッグ?」
「あの犬のことなんだ」
「ブルドッグの進化のことなんだ」
「そうだよ、流石に犬全体の進化となると」 
 それこそと言う先生でした。
「図鑑になるからね」
「そうした論文だね」
「あまりにもスケールが大きくて」
「それでだね」
「そう、だからね」
 それでというのです。
「僕も軽々しくはね」
「書けないね」
「犬全体の進化の論文については」
「とてもね」
「そうだね、だからね」
 それでというのです。
「僕としてもね」
「書かないんだ」
「犬全体の進化については」
「そうなんだ」
「うん、書くのはね」 
 それはといいますと。
「ブルドッグだよ、ブルドッグは闘牛用の犬だね」
「そうなんだよね」
「あの犬はね」
「闘牛のことを考えて」
「そしてあの外見になったね」
「そうだよ、牛の身体を噛むのにお口とお鼻の間が長いとね」
 それならというのです。
「問題があるね」
「噛みきれないよね」
「牛の身体は大きいから」
「どうしてもね」
「そうだよね」
「広く噛めて」 
 牛の身体をというのです。
「そして噛んでも呼吸しやすい」
「その為になんだ」
「ああしたお顔になったんだ」
「ブルドッグは」
「そうなる様に進化したんだ」
 そうだったといいうのです。
「これがね」
「そうだったんだね」
「いや、ブルドッグの進化も面白いね」
「闘牛のことを考えると」
「本当にね」
「そう、だからね」 
 それでというのです。
「どうしてそのお口になったのかを書いているんだ、それとね」
「それと?」
「それとっていうと」
「ブルドッグは大人しいんだ」
 先生歯ブルドッグのこのこともお話しました。
「実はね」
「そうそう、外見は怖そうでも」
「それでもね」
「ブルドッグは大人しいんだよね」
「噛むことは少ないよ」
「昭和の頃の日本の漫画やアニメじゃ怖い犬だね」
 先生はその頃の日本のそうした創作のお話もしました。
「そうだね」
「そうそう、もうやたらとだよね」
「ブルドッグって悪役になってるね」
「怖くてよく吠えて噛む」
「今だと大騒動になることしてるね」
「そうだね、けれどね」 
 それでもというのです。
「実は違うんだ」
「それゴリラでもだしね」
「ゴリラも怖く思われていたね」
「これアメリカの映画でもだったけれど」
「キングコングとか」
「実はゴリラもだよ」
 先生は皆がゴリラのことをお話したことにも応えました。
「怖そうでね」
「とても優しいよね」
「ゴリラみたいな優しい生きものいないよ」
「頭もいいし」
「絶対に暴力を振るわないしね」
「そう、ゴリラは胸を叩いて威嚇したりうんこを投げるだけだよ」
 攻撃はしないでというのです。
「本当にね」
「大人しくて優しい」
「そうした生きものでね」
「キングコングみたいなことしないね」
「そう、そんなことはね」
 絶対にというのです。
「しないよ」
「そしてブルドッグもね」
「外見は怖いけれど」
「実は穏やかで」
「大人しいね」
「そもそも犬のはじまりの狼も」
 この生きものもというのです。
「人を襲わないね」
「殆どね」
「冗談抜きで犬が人を襲う位のレベルだよ」
「野生の狼も人襲わないから」
「相当に餓えているか攻撃しないとね」
「そうだよ、狼はね」 
 本当にというのです。
「だから家畜になってね」
「犬になったね」
「そうだね」
「狼もね」
「そうした生きものだから」
「狼は家畜を襲うから」
 それでというのです。
「恐れられて嫌われていたんだよ」
「欧州ではそうだよね」
「家畜を襲うからね」
「それで忌み嫌われて」
「童話でも悪役だね」
「狼と七匹の子山羊でも赤ずきんちゃんでも三匹の子豚でも悪役だけれど」
 それでもというのです。
「狼は充分な食べものがあるとね」
「襲わないしね」
「あんな貪欲でもなくて」
「狡猾でも残忍でもないね」
「残忍でもないね」
「賢明で堅実な生きものだよ」 
 それが狼だというのです。
「だから日本では『おおかみ』なんだよ」
「大きな神様だね」
「それでその呼び名なんだね」
「中国語読みだろ『ろう』だしね」
「狼と書いてね」
「そうだね、日本は農業の国でね」
 それでというのです。
「畑を荒らす獣が問題だね」
「今はかなりだね」
「言われているね」
「畑を荒らす獣が問題で」
「何かと言われているね」
「その獣達を食べてくれるから」
 そうして畑の害を防いでくれるからです。
「狼はね」
「日本では有り難い」
「そう思われていたんだね」
「そうなんだね」
「そうだよ、日本の民間伝承でも狼が人を襲うお話があるけれど」
 それでもというのです。
「どの生きものでもあるからね」
「日本ではね」
「そうだよね」
「だから狼が特別悪いんじゃないね」
「そうだね」
「犬も猫も狐も狸も熊もだからね」 
 日本ではというのです。
「化けたりして悪いことをするね」
「もう日本だとそうだね」
「もう何かとあって」
「それじゃあね」
「狼だけが悪い訳じゃないわね」
「勿論人間もだからね、それでね」 
 さらに言う先生でした。
「狼だけが悪いことをする訳じゃないし」
「日本ではね」
「だから狼を特に悪いと考えていない」
「むしろ全体的に見て有り難い生きものだったのね」
「畑の獣害をなくしてくれる」
「狼もそうした生きものでね」 
 それでというのです。
「外見だけで判断したらいけないよ」
「全くだね」
「人もそうだしね」
「例えお顔が怖くてもね」
「いい人っているからね」
「ブルドッグだってそうね」
「そうだよ、偏見なく見て」
 そしてというのです。
「学んでいって一緒に暮らしてもね」
「怖いと思わずに」
「それでだよね」
「飼っていくべきだね」
「そうすべきね」
「そうしないとね、そして外見が可愛いからといって」
 怖い場合とは逆にというのです。
「それだけで飼うこともね」
「よくないよね」
「その生きもののことをよく知らないと」
「勉強していってね」
「それで一緒に暮らさないと駄目ね」
「それをしないと」
 それこそとです、先生は論文を書きながら皆にお話しました。
「ふわりの前の飼い主の人達と同じだよ」
「そうだよね」
「可愛いって言って衝動買いして」
「それで可愛いって可愛がったけれど」
「別の可愛い相手が来たら捨てる」
「そんな最低な人達になるね」
「可愛いだけじゃないんだ」 
 外見のことだけではないというのです。
「やっぱりね」
「そうよね」
「可愛いだけじゃなくてね」
「大事なのは心」
「内面が大事よね」
「ふわりなんてその性格を見たら」 
 それこそというのです。
「本当に素晴らしいね」
「全くだよね」
「あんないい娘いないよ」
「優しくて思いやりがあってね」
「よく気がついて」
「愛嬌もあって謙虚で」
「ふわりの心は宝石だよ」
 そこまでのものだというのです。
「本当に素晴らしいからね」
「宝石みたいに素晴らしくて」
「国崎さん達はふわりの性格にも惚れ惚れしているね」
「見ていてわかるわ」
「いつも性格を褒めているしね」
「動画でもね」
「そうだね、ふわりは可愛い外見にね」
 それに加えてというのです。
「素晴らしい頭を神様から与えられて」
「性格は後でついてくるわね」
「それは育まれるもので」
「後になって作られるわね」
「徳川家康さんもね」 
 江戸幕府を開いたこの人もというのです。
「鳴くまで待とうというね」
「我慢強い人だよね」
「気が長い」
「そうした人で有名だね」
「最初は結構我儘だったらしいから」
 子供の頃のこの人はというのです。
「それがだよ」
「後になってだね」
「そうした性格になったんだね」
「我慢強い性格になったのね」
「そうだよ、ふわりを産んだ父犬と母犬も」
 そしてというのです。
「ブリーダーの人もペットショップの人達もしっかりしていたね」
「いいご両親でね」
「いい人達だったね」
「どの人達の」
「ふわりの前の飼い主の人達はどう見ても誰かを育てる能力はないから」
 聞く限りではです。
「そう考えるとね」
「御両親と最初に接した人がいい人達で」
「優しくしっかり育ててもらって」
「それであの性格になったのね」
「そうだよ、そしていつも前の飼い主の人達のことを思いやって」
 例えそれが自分をおもちゃと思っていない人でもというのです。
「お姉ちゃんになるって聞いて生まれてくる子を思いやって」
「そうしてだね」
「さらにいい性格になったのね」
「いつも誰かを思いやっていたから」
「愛情を持っていて」
「誰かを思いやると優しさを持ってね」
 そうしてというのです。
「心も磨かれるよ」
「そうだよね」
「ただおもちゃで遊んでるだけとは違うね」
「そう考えると」
「ふわりはいつも自分で心を磨いていたんだ」
「育ててくれた人達が授けてくれたものをさらに」
「だからああした娘になって」
 そしてというのです。
「今に至るんだ」
「ただ可愛いだけじゃない」
「頭がいいだけじゃない」
「心も素晴らしい」
「そうした娘だね」
「そして外見で判断したらいけないけれど」
 それでもとです、先生はパソコンで論文を書き続けつつお話しました。
「性格、生き様は顔に出るからね」
「人相だよね」
「顔の相に出るね」
「性格とか生き方って」
「そうだね」
「素晴らしい人のお顔の相はいいね」 
 そうした人はというのです。
「そして悪い生き方をしていると」
「人相悪くなるね」
「日本だとマスコミの人とか野党の人に学校の先生に多いね」
「驚く位人相の悪い人いるよね」
「ああした人達は」
「相当に悪いことばかり考えてしていって」
 そしてというのです。
「それがだよ」
「お顔に出たんだね」
「それで人相悪いんだね」
「目も濁ってる」
「そうなっているんだね」
「そうだよ、ふわりの両親を飼っているブリーダーのご家族もペットショップの人達もいい人相だったね」
 この人達もというのです。
「トミーも王子もね」
「確かにね」
「二人共人相いいね」
「性格がいいから」
「だからだね」
「ヤクザ屋さんはどうしてすぐわかるか」
 まさに悪いことをして生きている人達です。
「それは人相でだよ」
「まさにだね」
「本当にそれでわかるわね」
「ヤクザ屋さんの場合は」
「人相が悪くて服装も姿勢も」
 そうしたものもというのです。
「独特だね」
「もう如何にも悪い」
「歩き方もね」
「如何にもヤクザ屋さん」
「そんな風だね」
「それは生き方が出てだよ」
 ヤクザ屋さんのそれがというのです。
「だからだよ」
「すぐわかるんだね」
「物凄く悪いものが出ているから」
「それでだね」
「卑しい人の人相が卑しくなって文句しか言わないで自分しかない人の人相も険しくなるのも」
 そうしたこともというのです。
「全部だよ」
「生き方が出ている」
「それで人相が悪い」
「だから外見で判断したら駄目でも」
「お顔の相は見ることね」
「だからね」
 それでというのです。
「そこは見ることだよ」
「そうだね」
「一体どんな人か」
「お顔は大事だね」
「ある学生の子が言ってたよ」
 先生は遠い目になってお話しました。
「中学までの同級生でとんでもなく性格も行いの悪い人がいたけれど」
「その人がどうなったか」
「一体」
「それもだね」
「この前会ったらチンピラみたいだったとね」
 そうした外見だったというのです。
「お話したよ」
「物凄く性格と行いが悪くて」
「それで生きてきて」
「チンピラになったんだ」
「どうしようもない人に」
「みたいだね、人相は見ないとね」
 それはというのです。
「外見で判断はしたら駄目でも」
「お顔が怖いとかはよくて」
「相ね」
「それを見ることね」
「そうだよ」 
 まさにというのです。
「それが大事なんだ」
「性格や生き方が相や目の光に出る」
「そのことよく言われるね」
「だから人相って言われるんだ」
「それがいいか悪いか」
「前に日本で平日の夜の報道番組の司会者の人を見たよ」
 先生はここでも日本のマスコミの人のお話をしました、先生にとってはとても肯定出来ない人達です。
「その人はずっと酷い報道に積極的に関わってきてね」
「人相悪いんだね」
「今のお話の流れだと」
「そうだね」
「凄く悪いんだね」
「うん、物凄く人相が悪いけれど」
 実際そうだというのです。
「三十数年前は違ったんだ」
「どんなお顔だったの?」
「その三十数年前は」
「どうだったの?」
「穏やかですっきりした顔だったんだ」
 そうだったというのです。
「かつてはね」
「そうだったんだ」
「じゃあその報道番組の司会者になってなんだ」
「ずっと酷い報道をしてきて」
「悪いことをしてきたから」
「驚く位に変わったよ」
 その人相がというのです。
「物腰も謙虚だったのが凄い傲慢になっていたし」
「その人相当悪い生き方してきたのね」
「そこまで変わるって」
「人間変わるっていうけれど」
「悪く変わったんだね」
「そうだよ、織田信長さんも言っていたけれど」
 戦国時代を導入したこの人もというのです。
「立派な人はやっぱり人相とかもしっかりしていてね、悪い人はね」
「悪い相なんだね」
「あの人もそう言っていたんだ」
「日本の歴史で凄い有名人だけれど」
「そうだよ、とあるカルト教団の教祖みたいな人と会ってね」 
 その時にというのです。
「その人を一目見て卑しい相と言ってね」
「流石だね」
「流石織田信長さんだね」
「人を見る目は見事だね」
「伊達に豊臣秀吉さんを用いただけじゃないね」
「そう、人を見る目があったからね」
 織田信長さんという人はというのです。
「だからね」
「豊臣秀吉さんがお百姓さんでも」
「その能力が凄いとわかって」
「それで重く用いた」
「そうなんだね」
「そうだよ、そしてね」
 そのうえでというのです。
「悪い人も見抜いて成敗したんだ」
「うん、そこも信長さんだね」
「やっぱりそうするよね」
「織田信長さんだと」
「そうするね」
「悪人には容赦しない人だったからね」 
 そうした人だったからというのです。
「実は家臣にも領民にも優しくてそんなに怒らないで無闇に人を殺したりしなかったけれど」
「よくかっとしてすぐに殺すイメージあるけれど」
「実際はそうじゃなくて」
「無闇な殺戮はしない」
「そんな人だったのね」
「そうだったんだ、ちなみにお酒も飲まなかったし」
 下戸だったというのです。
「酒乱でもなかったよ」
「お酒もかなり飲みそうだけれど」
「それで酒乱そうだけれど」
「違ったんだ」
「お酒も飲まなかったの」
「そうなんだ、お酒もね」
 これもというのです。
「飲まなくてね」
「意外だね」
「それはまた」
「けれど織田信長さんのそのお話からもわかるね」
「生きものは外見じゃなくて性格で」
「そしてその性格は相や目の光に出るんだね」
 動物の皆も頷きました、そしてです。
 先生は論文を書いていってお家のパソコンでもそうしました、ですが論文が一段落したところでユーチューブのある動画を観ました。
 それはふわりの動画でした、ふわりは家族の人達がおもちゃをお部屋の端に置くとすぐにケージから飛び出て。
 それを取って家族の人達の前に持って来ます、そして。
 そのおもちゃで尻尾をぴこぴこと振って遊びます、家族の人達が取ろうと思ったものもすぐにケージから出てです。
 そのものを取って咥えて家族の人に差し出します、他にもです。
 ピンクのリボンやピンクと白のチェック柄の女の子の服を着た動画やお散歩の動画、ご飯やおやつを食べる動画にです。
 家族の人達と一緒に遊ぶ動画もあります、どの動画もです。
 視聴数が普通に何万もあってコメントも千以上あります。動物の皆はその動画自体だけでなく視聴数やコメントも観て言いました。
「凄いね」
「ふわり大人気だね」
「可愛いとか頭いいってコメントばかりで」
「皆名犬って言ってるね」
「実際に名犬だしね」
「人気あるわね」
「うん、人気出ると思ったけれど」
 先生も笑顔で言います。
「やっぱりだね」
「この外見でね」
「頭も抜群によくて」
「性格はその外見や頭よりもさらにいいから」
「家族思いだし」
「しかも公平だしね」
「うん、ちょっと空気を読まないで鳴いたりすることもあるけれど」
 先生はふわりの欠点にも気付きました。
「家族を呼んでよく鳴くね」
「トイプードルって結構鳴くよね」
「元狩猟犬だしね」
「小さい犬ってよく鳴くし」
「それでね」
「その中でも結構鳴くね、家族に振り向いて欲しいと思ったら」
 その時はというのです。
「まず鳴くね、今のご家族も言ってたけれど」
「けれどだよね」
「今のご家族はすぐにふわりに応えるのよね」
 チープサイドの家族が言ってきました。
「そうよね」
「今の人達は」
「前の家族の人達は無視して」
 ダブダブは彼にしては珍しく怒っています。
「そして五月蠅いって怒鳴ったけれど」
「けれど鳴くには何かあるからね」
 ホワイティは生きものの立場から述べました。
「無駄吠えにしても」
「そうそう、人から無駄吠えと思っても」
 ポリネシアはホワイティに応えました。
「何かあるのよ」
「そうなんだよね」
「だからどうして鳴くか考えないとね」
 オシツオサレツもこのことはわかっています、
「ちゃんとね」
「そうしてどうするかだよ」
「ふわりは無駄吠えしていないよ」
 同じ犬のジップは誰よりもこのことがわかっています。
「ちゃんと家族の人達を呼んでるよ」
「あと自分の居場所を知らせてるね」
 トートーにもわかりました。
「私はここだよってね」
「それに応えて時には教育でスルーする」
 老馬はこのことを指摘しました。
「ちゃんとしてるね」
「いつも応えていたら絶対に自分の要求に応えると思って」
 こう言ったのはチーチーです。
「自分が家族で一番偉いとか思うんだよね」
「犬は順番付ける生きものだから」
 ガブガブはこのことをちゃんと知っています。
「一番偉いと思ったら家族ではよくないからね」
「うん、公平でも順番を付けるならね」 
 それが犬の習性だからとです、先生も指摘しました。
「ふわりがご家族の娘、妹さんであるならね」
「ちゃんとだね」
「その立場でいてもらう為にも」
「鳴くといつも応えるんじゃなくて」
「時にはスルーする」
「それも必要だね」
「犬の習性を知って教育する」
 こうも言う先生でした。
「このこともね」
「大事だよね」
「やっぱりね」
「若しそれが出来ないなら」
「ふわりの前の飼い主の人達みたいになりかねないね」
「まさにああはなるまいだね」
 反面教師、ふわりの前の飼い主の人達はそうだというのです。
「何があっても」
「だから犬のことをちゃんと知る」
「ふわり自身のことを」
「よく見てよく勉強して」
「そしてよく教えることだね」
「可愛がる、いや遊ぶだけじゃないんだ」 
 犬と一緒にいることはというのです。
「正面から対して向き合ってね」
「認めてそして教える」
「理解して」
「それが大事だね」
「ふわりの動画観てもわかるね」
「ご家族の人達はちゃんと対して」
 ふわりと、というのです。
「理解して接して」
「教育して」
「お互いに成長していってるね」
「まさに家族の関係だよ」
 文字通りと、とです。先生は言いました。
「これはね」
「そうだよね」
「微笑ましいね」
「見ているだけで」
「凄く暖かいわ」
「その暖かさもね」
 先生はにこりとして述べました。
「好評なんだよ」
「そうだよね」
「実際観ていて」
「そうなるし」
「ほっこりするっていうかね」
「観ていて優しくなれるよ」
「それだけで」
「そう、このよさがね」
 まさにというのです。
「最高だよ」
「全くだね」
「それじゃあだね」
「これからも観ていこう」
「そうしていこう」
「是非ね、それとね」 
 さらに言う先生でした。
「僕達は動画のふわりとご家族を観て可愛いとか賢いとか性格いいとか思って」
「暖かくなって」
「優しい気持ちになってね」
「ほっこりして」
「それで楽しくなるね」
「けれどね」
 それでもと言う先生でした。
「そうでない人達もいるよ」
「そうなのね」
「人は色々で」
「そうなる人ばかりじゃない」
「そうなんだね」
「視聴数を観て」
 ふわりの動画のそれをというのです。
「凄いって思うね」
「それがどうかしたの?」
「僕達もそう思うけれど」
「何か違うの?」
「一体どう違うの?」
「これを凄いと思うか」
 純粋にというのです。
「羨ましいと思うかだね」
「羨ましかったらそうなれ」
「自分も生きものの動画を投稿してね」
「そうなれって思うね」
「自分と一緒にいる生きものの動画を撮って」
「そうなれば動画がより増えて」
 そしてというのです。
「凄くいいけれど」
「どういうこと?」
「先生が言うことだから何かあると思うけれど」
「そう思うならいいんじゃ」
「羨ましいと思っても動くなら」
「それならね、けれどね」
 それでもというのです。
「自分のものにしたいとかね」
「ふわりを?」
「ふわりをそうしてなんだ」
「自分達のものにして」
「自分達が動画を撮って」
「それで観てもらうんだ」
「ユーチューブの動画には広告も出せるね」 
 このことも言う先生でした。
「そして広告収入があるね」
「そうそう、それで生活している人もいるよ」
「今ではね」
「一回何万もの視聴数があったら」
「もう毎日みたいに投稿したら凄いわよ」
「結構な広告収入になるよ」
「事実国崎さん達もかなりの収入を得ているよ」  
 ふわりのご家族もというのです。
「そのことを素直にお話してくれてもいるよ」
「素直にお話してくれるのも凄いね」
「国崎さん達も」
「疚しいことがないから」
「それでだね」
「前の家族の人達のことは名前は出していないけれど書いているけれどね」
 その人達が親戚でふわりをどういった経緯で捨てたかをです。
「それでもね」
「そうしたことも言ってくれたんだね」
「広告収入もあるって」
「ふわりの動画には」
「けれどふわりをお金の元とは思っていないよ」
 このこともしっかりしているというのです。
「確かにふわりの動画がかなりの収入になっているけれど」
「それでもだね」
「ふわりは家族」
「お金の元じゃないね」
「そう思ってるんだね」
「ふわりの動画はふわりが働いて」
 他のご家族の様にというのです。
「稼いでいるものだってね」
「あっ、ふわりが主人公のドラマ」
「そうした感じだね」
「それならそうだね」
「それだとふわりが働いてるね」
「ふわりもユーチューバーだね」
「その収入で」 
 ふわりの動画の広告収入はというのです。
「あくまでね」
「ふわりは働いていて」
「そのうえでの収入で」
「ふわりはお金の元じゃない」
「家族として働いているんだ」
「このことはふわりにもお話したよ」
 先生がというのです。
「そして僕はふわりに動画に撮ってもいいかって聞いたら」
「いいって言って」
「ふわりも承諾してなのね」
「それで動画に撮ってもらってる」
「そういうことだね」
「動画の宣伝もツイッターやフェイスブックでもしているけれど」
 それでもというのです。
「あくまでね」
「ふわりのお仕事」
「ふわりもいいと言ったうえでの」
「そうしたことだね」
「ふわりのご家族はこのこともわかってくれているから」
 それ故にというのです。
「本当にね」
「いいことだね」
「けれどそれでもなんだ」
「ふわりをお金としか観ていない」
「そんな人もいるんだ」
「そしてそう第一にそう思う人は」
 先生は皆で真顔で言いました。
「わかるね」
「ああ、わかったよ」
「もうはっきりわかったよ」
「ふわりをまずそう思う人は」
「というか人達だね」
「あの人達だね」
「そう思ったら終わりだけれど」
 それでもというのです。
「けれどね」
「全く反省も更正もしないで」
「悪い意味で子供のまま大人になって」
「優しさも思いやりも命のこともわからないで」
「ずっと成長しない人なら」
「もうね」
 それこそというのです。
「そうするね」
「羞恥心もなくてね」
「そうするね」
「人間羞恥心はとても大事だよ」
 先生はこのことも言いました。
「若しそれがないと」
「恥の心だね」
「何を恥と思うか」
「そのことがだね」
「大事だよ」
「そう、恥を恥を知って」
 そしてというのです。
「生きていかないと駄目でね」
「恥を恥を想わなくなったら」
「怖いよね」
「もうその時はね」
「その時は最も恐ろしい腐敗がはじまるよ」
 そうなるというのです。
「もう人間でなくなるまでに腐るんだ」
「それって餓鬼だね」
「餓鬼だよね」
「餓鬼ってそういうことだね」
「徹底的に浅ましくなって」
「腐っていって」
「そうだよ、餓鬼というのはね」
 今度は悲しいお顔で言いました。
「浅ましくてね」
「腐敗して」
「そしてだね」
「人間でなくなって」
「そうしてなるものだね」
「うん、恥を知らなくなることは」
 まさにといいうのです。
「餓鬼になるね」
「そうなる危機だね」
「そうだね」
「だから恥を知らないことに気付いたら」
「すぐに何とかしないといけないね」
「こうした人も何処でもいるからね」
 恥を知らない、恥を恥を思わない人はというのです。
「まさにね」
「そうだよね」
「本当にそんな人いるね」
「恥を恥と思わないでね」
「恥知らずでどんな悪事もする人って」
「そうなったらね」
 それこそというのです。
「もうどうにもならないよ」
「餓鬼になっていて」
「人間でなくなっていて」
「それで今の人生を終えたら」
「餓鬼に生まれ変わるんだね」
「心がそうなっているからね」 
 餓鬼にというのです。
「そうなるよ」
「恐ろしいことだね」
「若しあの人達がそうなっていたら」
「救われないね」
「流石にそこまで酷い人達でないと思いたいけれど」
「僕もだよ、餓鬼になったら」
 その心がというのです。
「そこから戻ることは容易じゃないからね」
「人間になることはね」
「本当にどれだけ難しいか」
「多少悪くなるなら兎も角」
「そこまで堕ちたら」
「そうなったら人相や目の光にも出るよ」 
 先程お話したそれにもというのです。
「餓鬼のそれがね」
「ううん、怖いね」
「そうなるって思うと」
「僕達も注意しないと」
「餓鬼なんかになりたくないわ」
「絶対に」
「僕もそう思うよ。キリスト教で言うと」
 その餓鬼達はというのです。
「地獄で苦しんでいる亡者かな」
「氷や火で苦しめられている」
「そうした人達だね」
「先生が読んでいる本でもあるね」
「そうだね」
「神曲という本に詳しいよ」
 先生はこの本の名前も出しました。
「地獄のことはね」
「ダンテの神曲だったね」
「確かそう言ってたね、先生も」
「地獄と煉獄、天国について書かれていて」
「とても面白いんだったね」
「地獄の描写が特に凄くて」
 それでというのです。
「面白いんだ」
「それでなんだ」
「餓鬼はキリスト教で言うと亡者なんだ」
「地獄にいる」
「それもかなり深いところにいるね」
「うん、ダンテの神曲を読むと」
 この作品をというのだ。
「亡者、地獄で裁きを受けている人達の中にはね」
「そんな人達もいるんだね」
「餓鬼みたいな人達が」
「キリスト教の世界にもいるんだね」
「元々餓鬼はピシャーチャといってね」
 先生は餓鬼についてさらにお話しました。
「インドの妖怪だったんだ」
「そのピシャーチャもだね」
「餓えていて痩せていて」
「それでいつも苦しんでいる」
「そうなんだね」
「それが仏教に入ってね」 
 そうしてというのだ。
「餓鬼になったんだ、夜叉や羅刹と同じだよ」
「夜叉も仏教だね」
「そして羅刹もね」
「どちらも仏様にもなってるけれど」
「元々はインドの妖怪だね」
「夜叉はヤクシャ、羅刹はラークシャサといったんだ」 
 それぞれのインドでの名前もお話しました。
「やっぱり仏教に入ったんだ」
「仏教はインドからはじまったしね」
「それでそうなるね」
「妖怪も」
「そうだよ、だからね」
 それでというのです。
「そうなっているんだ」
「成程ね」
「そうなっているんだね」
「そして餓鬼もその中にあって」
「元はインドの妖怪なんだね」
「そうだよ、そして人はあまりにも酷い性格や行いだと」
 それならというのです。
「餓鬼になるんだ」
「地獄に落ちるよりも辛い」
「そんな風になるんだね」
「絶対にそうはなりたくないね」
「全くだね」
 皆も思いました。
「そしてふわりの前の飼い主の人達も」
「果たしてどうなるから」
「そろそろはっきりするんだね」
「そうだと思うよ」
 先生はその皆にお話しました、そして実際にその時が来るのでした。








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