『ドリトル先生とめでたい幽霊』




               第三幕  上本町で

 先生達は今度は大阪の天王寺区に来ました、今回は王子は公務があるので一緒ではなくトミーと動物の皆が一緒です。
 先生はまずは皆をうどん屋さんに案内してきつねうどんを食べつつ言いました。
「きつねうどんは大阪のあるお店がかけうどんを注文した時に店長さんがサービスで薄揚げを入れたのがはじまりだよ」
「それからなんだね」
「きつねうどんが生まれたんだね」
「それが大阪のお店だったから」
「大阪の食べものになったのね」
「そうだよ、元々大阪は狐に縁があるしね」
 おうどんとは別にとです、先生は動物の皆にお話しました。
「晴明神社でもね」
「安倍晴明さんだね」
「あの人お母さんが狐だって話があるね」
「それで狐との縁が深いんだ」
「そうなのね」
「そうだよ、それできつねうどんもね」
 この食べものもというのです。
「強いて言うならね」
「大阪で狐」
「そこでも狐だね」
「そうなるね」
「そう思うよ、それと」
 先生はさらに言いました。
「皆これを食べたらここを巡るよ」
「天王寺区を」
「そうするんだね」
「これから」
「そうしようね」
 こう言ってでした。
 皆まずはきつねうどんを食べました、そうしてから街を巡りますが先生は皆をまずは学校の前に案内しました。
 そしてその前で、です。先生は皆に言いました。
「ここが織田作之助さんの出身校だよ」
「高津高校ですね」
「そうだよ、当時は中学校だったんだ」
 トミーに笑顔でお話しました。
「戦前だったからね」
「戦前の中学が今の高校ですね」
「そうだよ、当時中学校に合格して」
 そしてというのです。
「近所の人達は驚いたらしいよ」
「そうなんですか」
「下町で中学に行くのかってなって」
「それで、ですか」
「大騒ぎになってそのうえでね」
「この学校に通ったんですね」
「そしてこの学校は卒業しているよ」 
 高津高校はというのです、当時の高津中学校は。
「それで京都の第三高校に入学しているんだ」
「今の京都大学ですね」
「そうなんだ」
「そしてここで、ですね」
「織田作之助さんは学んでいたんだ」
「そうなんですね」
「それで中には織田作之助さんの肉筆の原稿もあるけれど」
 見れば校門は閉まっています、それで先生はこう言いました。
「今日は日曜だしアポも取っていないから」
「だからですね」
「今日は校門だけだよ」
「中には入らないですね」
「残念だけれどね」
「それでは」
「また来ようね」 
 原稿を見る為にというのです。
「そうしようね」
「わかりました」
「じゃあ次の場所に行こう」
 こう言ってでした。
 今度は緩やかな坂道、蛇みたいにくねった感じの坂を降りました。それから皆にまた言ったのでした。
「ここは見たら蛇みたいにくねっているからね」
「ああ、だからだね」
「ここは口縄坂っていうんだ」
「こっちじゃ蛇を口縄とも言うから」
「頭があって細長いから」
「そうだよ、蛇はくねっているからね」
 それでというのです。
「そう呼ぶんだ」
「そうなんだね」
「だからここは口縄坂ね」
「くねった坂道だから」
「その名前になったんだ」
「そうだよ、それでここがね」
 坂を降りたそこにでした。
 碑がありました、その碑を皆に紹介しました。
「これが織田作之助さんの記念碑だよ」
「そう書いてあるね」
「何か文章が書いてあるね」
「これ何かな」
「何の文章かな」
「この人の作品の一つ木の都の一文だよ」
 それだというのです。
「ここを書いたからね」
「だからなんだ」
「それで記念碑が置かれているんだ」
「そうなのね」
「丁度この場所を書いたから」
「そうなんだ、それでね」
 先生はさらに言いました。
「この記念碑があるんだ」
「まさにここで生まれ育った」
「それでよく来たから書いたんだ」
「この口縄坂のことも」
「そういうことだね」
「そうなんだ、この記念碑は目立たないかも知れないけれど」
 それでもというのです。
「そうした場所ということでね」
「うん、覚えておくよ」
「私達もね」
「先生のフィールドワークにもなっているし」
「そうさせてもらうね」
「お願いするよ」
 先生は笑顔で応えました、そしてです。
 さらに次の場所に向かいました、今度はです。
 神社に来ました、ここでまた先生は言いました。
「ここは生圀魂神社というんだ」
「ここも織田作之助さんに縁があるんだ」
「そうした場所なんだ」
「どういった場所かっていうと」
「そうなんだね」
「そうだよ、ここもね」
 この神社もというのです、木々が沢山ある静かなこの場所も。
「織田作之助さんがよく来たんだ、子供の頃によく遊んだそうだよ」
「へえ、ここを遊び場にしてたんだ」
「子供の頃の織田作之助さんはそうしていたんだ」
「ここによく来て遊んでいたんだ」
「そうだったんだ」
「そうだよ、子供の頃の織田作之助さんがね」
 先生は暖かい目でその緑が多い落ち着いた場所を見回しながら言うのでした、見れば遊んでいる子供達もいます。
「遊んでいたんだ」
「子供の頃の織田作之助さんがいた」
「まさにそうした場所なんだ」
「そしてここにはもう一つあるんだ」
 先生はこうも言いました、そして。
 今度はある銅像の前に案内しました、帽子を被って着流しの上からマントを羽織ったブロンズ像です。その銅像はといいますと。
「これが織田作之助さんの銅像だよ」
「へえ、銅像もあったんだ」
「それもこの神社に」
「まさか銅像もあるなんてね」
「思わなかったけれど」
「大阪文学の重要な人だからね」
 だからだというのです。
「こうしてだよ」
「銅像もあるんだ」
「そうなのね」
「ただ作品が残って通っていたお店が残っているだけでなく」
「こうしたものもあるんだ」
「しかしね」 
 ここで言ったのはホワイティでした。
「随分独特なお洒落だね」
「着流しの上にマントとかいいね」
「そうよね」
 チープサイドの家族も言います。
「そこに帽子なんて」
「ちょっとない服装でね」
「和服の上にマントなんてね」
 ジップも唸っています。
「そこに帽子って」
「これって当時の日本のファッションよね」
 ガブガブも言いました。
「着物にパラソルなんてのものあったわね」
「戦争までのファッションね」
 ポリネシアもそのファッションを見ています。
「これはこれでいいわね」
「これで街歩いたら」
 どうかとです、チーチーは言いました。
「かなり粋だね」
「今このファッションで出てもいいと思うよ」
 老馬もこう言います。
「かなりお洒落だよ」
「マントに帽子、着流しなんて」
 ダブダブも見事という感じです。
「ちょっとやそっとじゃないね」
「織田作之助さんって粋でもあったのかな」
 こう言ったのはトートーです。
「やっぱり」
「いやあ、いい具合の粋だね」
「これは凄いよ」
 オシツオサレツも二つの頭で言います。
「何かこうね」
「戦争前までのファッションのよさを感じるよ」
「うん、僕も見て思うよ」
 先生にしてもでした。
「織田作之助さんは街、つまり都会で生まれ育ったって一面もあるんだ」
「大阪人ってだけでなくて」
「都会人でもあるんだね」
「当時都会は流行の最先端だったね」
「そうだったね」
「モダンとかモカは戦後だったけれどね」
 この言葉も出しました。
「ロカビリーとかね、けれど戦前の日本もね」
「お洒落だったんだね」
「それで織田作之助さんもそうで」
「都会人のお洒落を身に着けていたんだ」
「そうだったんだ」
「大阪の庶民性と人情にね」
 そういったものに加えてというのです。
「都会人の粋さもね」
「備えていたんだ」
「それでこのファッションだね」
「粋で恰好いい」
「そうした人でもあったんだ」
「それで着流しの写真も残っていて」
 そしてというのです。
「洋服も着ていたよ、バーで飲んだ時の写真も」
「粋だったんだ」
「その時の写真を見ても」
「そんな人だったのね」
「そうだよ、お顔はこんな風でね」
 銅像のそちらも見ます、面長で目は小さいです。
「こうした服装だったんだ」
「結構もてる感じね」
「このファッションも相まって」
「それでね」
「そうだね、しかし着流しにマントに帽子なんて」
 また言う先生でした。
「日本ならではだよ」
「まさに日本だからこそ」
「それで生まれるセンスだよね」
「日本古来のものに西洋を加えた」
「そうしたものだね」
「喫茶店が好きだったらしいよ」
 そうでもあったというのです。
「そこに入ってコーヒーを飲むのがね」
「それも織田作之助さんだね」
「ハイカラね、当時で言うと」
「流行もわかっていて」
「その中で生きていたのね」
「バーに行っていたと言ったけれどどうもお酒は苦手だったらしいんだ」
 その実はというのです。
「これがね、それでね」
「甘いものだね」
「お酒が苦手となると」
「そっちだよね」
「そっちの人だったのね」
「だから作中でもね」
 こちらでもというのです。
「自分がモデルみたいなニコ狆先生の主人公が言ってるよ」
「お酒が飲めないっていうんだ」
「そう言っていたんだ」
「その実は」
「そうだったのね」
「そうだったんだ、実はね」
 織田作之助はというのです。
「それでお酒よりもね」
「甘いものが好きで」
「コーヒーをよく飲んでいて」
「それでなんだ」
「甘いものが好きだったんだ」
「だから善哉も食べていたんだ」
 この日本の甘味もというのです。
「実はね」
「成程ね」
「そうなんだね」
「夫婦善哉にはそうした事情もあったんだ」
「甘いものが好きだったっていう」
「そうだろうね、ただ煙草を吸っている写真もあるけれど」
 このことについても言う先生でした。
「結核にはね」
「よくないですよね」
 トミーが言ってきました。
「やっぱり」
「当時はそれでも吸ってる人が多かったけれどね」
「煙草は肺に悪いですからね」
「身体全体に悪いけれどね」 
「肺には特にですよね」
「悪いからね」
 だからだというのです。
「それはよくなかったよ、ただ若しかしたら」
「どうしたんですか?」
「そのニコ狆先生で煙草も吸わないって言っていたから」
 だからだというのです。
「若しかしたらね」
「実はですね」
「煙草もね」
「吸っていなかったんですね」
「ただのハッタリみたいなものでね」
 それでというのです。
「吸う様な写真を見せていただけかもね」
「知れないんですね」
「そうも思うよ」
「そうですか」
「当時は煙草を吸うのも粋だったしね」
「ファッションの時代もありましたね」
「だからね」
 その為にというのです。
「そうした風にね」
「見せていたかも知れないですね」
「本当に生粋の大阪人でね」
「都会で生まれ育ったので」
「粋でもあったからね」
「お洒落で」
「そう見せていたかもね」 
 こう言うのでした。
「織田作之助さんは」
「そうですか」
「じゃあ次の場所にね」
「行くんですね」
「そうしよう」
 こう言ってでした、今度は。
 上本町のお寺が沢山集まっている場所に来ました、ここで先生は皆に対して笑顔でこうお話しました。
「ここも秀吉さんが関わっているんだ」
「ここでもだね」
「何ていうか大阪は秀吉さんだね」
「あの人がお城築いてからだし」
「ここでもなんだ」
「あの人が関わっているんだ」
「秀吉さんがここに大坂のお寺を集めたんだ」
 そうしたというのです。
「一纏めにして治めやすい様にね」
「当時お寺は政治にも関わっていたしね」
「何かとね」
「本願寺なんてあったし」
「それでだね」
「ここに集めたんだね」
「そうしたからね」
 その為にというのです。
「ここにお寺が集まっているんだ」
「成程ね」
「他の場所にない位にお寺が集まってるけれど」
「秀吉さんの頃からなんだ」
「じゃあ織田作之助さんの頃からも」
「同じだよ」
 その頃からというのです。
「やっぱりね」
「そうだね」
「そういうことだね」
「ここにも織田作之助さんがいたかも知れないんだね」
「そうなんだね」
「そうかもね」
 先生も否定しませんでした。
「少なくともここを歩いたことはあっただろうね」
「この辺りに生まれた人だしね」
「近くに通っていた学校もあったし」
「それじゃあね」
「ここにもよね」
「そうかもね、そして」
 ここで、でした。先生は。
 そのお寺の中の一つの前で足を止めました。そのお寺は。
 楞厳寺とあります、先生はそのお寺の前で皆に言いました。
「ここは織田作之助さんにとっては絶対に避けて通れない場所だよ」
「そのお寺が?」
「そうなの」
「普通のお寺だね」
「ここも織田作之助さんに縁があるんだ」
「それも絶対に」
「うん、じゃあ今から中に入ろう」
 こう言ってでした。
 先生は皆をそのお寺の中に案内しました。そこはごく普通のお庭の様な境内でしたがその中に一つ大きな碑の様な墓石がありました。
 そのお墓の前で先生は皆に言うのでした。
「織田作之助さんのお墓だよ」
「へえ、ここがなんだ」
「織田作之助さんのお墓なんだ」
「そういえば大阪にお墓あるって言ってたね」
「大阪で眠っているって」
「それでだよ」 
 だからだというのです。
「ここにね」
「織田作之助さんは眠っているんだね」
「それで僕達をここに案内してくれたんだ」
「そうだったんだ」
「そうなんだ」
 その通りというのです。
「東京で。昭和二十二年一月十日に亡くなって」
「それでだね」
「大阪に帰ってきて」
「それでこちらでもお通夜やお葬式して」
「その後でだね」
「ここで眠っているんだ、毎年命日になるとね」
 その一月十日になるとです。
「供養も行われるよ」
「そうなんだね」
「毎年そうしているんだね」
「今も尚」
「亡くなって七十年以上経っても」
「それでも」
「そうだよ、今も大阪の人に愛されていて」
 そしてというのです。
「日本の近現代の文学でもね」
「名が残っていて」
「それでだね」
「今もだね」
「命日には供養されているんだね」
「そうなんだ、僕も好きだからね」
 温かい目での言葉でした。
「今も大阪の人に愛されていることはね」
「嬉しいんだね」
「先生にしても」
「織田作之助さんがそうなっていることに」
「とても」
「そうなんだ、そうした作風だしね」
 作品もというのです。
「これからもね」
「読まれていってだね」
「そしてだね」
「そのうえでだね」
「愛されていって欲しいよ」
 こう言うのでした、そしてです。
 先生は皆とお寺が立ち並ぶ中を歩いて帰路につきました、そこでふと動物の皆がこんなことを言いました。
「あれっ、何かね」
「さっき擦れ違った人だけれど」
「面長で目が小さくて」
「織田作之助さんの銅像みたいだね」
「そっくりだったわ」
 ハイハイタウン、上本町にある沢山のお店がある建物の中で言いました。ここで今から串カツを食べるつもりなのです。
「不思議とね」
「何でかしら」
「そんな人だったけれど」
「そうだったんだ、気付かなかったよ」
 先生は皆の言葉に応えました。
「とてもね」
「ああ、先生はそうなんだ」
「けれど本当にそっくりだったわ」
「さっき擦れ違った人はね」
「織田作之助さんにね」
「まあそっくりな人もいるね」
 先生はこう言って頷きました。
「世の中にはね」
「そうだよね」
「そっくりな人三人いるっていうし」
「だったらね」
「今もそっくりな人いるね」
「そうだと思うよ、そういえばね」
 ここで、でした。
 先生はふとです、こうも言いました。
「織田作之助さんには通称があったよ」
「仇名あるんだ」
「そうなんだ」
「それで今もそう呼ばれてるのかな」
「うん、織田作っていうんだ」
 それがこの人の仇名だというのです。
「略してね、それでオダサクさんとも織田作さんとも言われるよ」
「それ大阪っぽいね」
「大阪って神社もさん付けだしね」
「役職の人もね」
「住吉さんとか社長さんとか呼んで」
「何とかさんって呼ぶこと多いね」
「そうだね、『はん』って呼ぶ時もあるけれどね」
 大阪ではというのです。
「さん付けが多いよね」
「それも大阪の特徴だね」
「親しみやすい表現だよね」
「大阪っぽくて」
「愛嬌があるわね」
「そうだね、それでこの人もね」
 織田作之助もというのです。
「織田作さんって呼ばれてるんだ」
「本当に親しみやすいですね」
 トミーも笑顔で言ってきました。
「その呼び方は」
「大阪ならではだね」
「全くですね」
「本当に大阪はね」
 先生は笑顔で言いました。
「親しみやすい、愛嬌と人情のあるね」
「素敵な街ですね」
「気取りがなくてね」
「親しみやすい街ですね」
「町人の町だからね」
 それ故にというのです。
「飾らなくてね、明るくて活気に満ちていて」
「そして賑やかで」
「楽しい街だよ」
「本当にこんな街他にないですね」
「世界の何処にもね、ではね」
「今からですね」
「串カツを食べようね」
 この大阪の食べものをというのです。
「そうしようね」
「それでは」
 トミーも笑顔で頷きます、そうしてです。
 皆で串カツ屋に入りました、そこで沢山の串カツとビールを頼みました。そのうえで皆で飲んで食べはじめますが。
 先生は串カツを食べてビールを飲んで言いました。
「最高の組み合わせの一つだよ」
「串カツとビールはね」
「こんないい組み合わせないよね」
「ビールってお好み焼きやたこ焼きにも合うけれど」
「それでもね」
「串カツにもなんだよね」
「こちらでも最高だね、ビールはどの国にもあるけれど」
 それでもというのです。
「串カツとの組み合わせは」
「最高過ぎるよ」
「どっちもどんどん進むわ」
「これこそ神の組み合わせよ」
「本当にね」
「これも大阪なんだよ」
 先生はにこにことして言いました。
「串カツもまたね」
「キャベツもいいね」
 老馬はこちらも食べています。
「串カツを食べながらこちらもだけれど」
「胸やけを防ぐんだよね」
 ホワイティも齧っています。
「串カツを食べ過ぎた時に」
「この組み合わせもいいわ」
 ポリネシアも太鼓判を押します。
「キャベツがあるのも」
「キャベツが無料なのはいいことだよ」
 チーチーはこのことをよしとしました。
「サービスいいよね」
「このサービスもいいね」
「大阪ならではね」
 チープサイドの家族も言います。
「キャベツが無料っていうのも」
「素敵だよ」
「しかも串カツってお肉だけじゃないからね」
 ジップはこのことを指摘しました。
「茸やコーン、魚介類もあるし」
「魚介類があるのは日本だからね」
 ガブガブはそれでと言いました。
「外せないわね」
「海老に蛸に烏賊、鱚に鱧ってね」
 食いしん坊のダブダブは具体的に挙げていきました。
「揃ってるね」
「あとウズラの卵もあるね」
「鶏肉もあって」
 オシツオサレツも言います。
「そちらも美味しいね」
「そうだよね」
「ソースも絶妙だし」
 トートーはこちらに注目しています。
「いい食べものだね」
「ざっくばらんな食べものだね、ただね」
 ここで先生は皆に笑顔でお話しました。
「一つ注意することがあるよ」
「何かな」
「確かにざっくばらんな食べものだけれど」
「何かあるの?」
「串カツに」
「前にも言ったけれど二度漬けは駄目だよ」
 絶対にというのです。
「それは何があってもね」
「ああ、それはルールだよね」
「大阪人の不文律だね」
「何があってもそれはしたら駄目」
「人の道に外れた行為だね」
「そうだよ、若しそんなことをしたら」
 それこそというのです。
「人間失格だよ」
「大阪ではそうだよね」
「それはしたら駄目だね」
「串カツについては」
「二度漬け厳禁だね」
「一度漬けて」
 そしてというのです。
「食べないとね」
「そうだよね」
「それは絶対に守る」
「例え漬けたソースが少なくても」
「そうしたら駄目だね」
「そこは守ろうね」
 何があってもというのです。
「いいね」
「うん、わかってるよ」
「僕達もそうするよ」
「動物だけれどね」
「守っていくよ」
「何があってもね、外国から来た人でも」
 先生の様にです。
「それは駄目だよ」
「知らないでは済まない」
「大阪だと」
「串カツの二度漬けは駄目」
「それだけは」
「そうだよ、公衆の面前で巨人を大声で応援することと」
 このことと、というのです。
「それとだよ」
「串カツの二度漬けはだね」
「何があってもしたら駄目だね」
「大阪では」
「そうよね」
「そうだよ、巨人もね」
 この忌まわしい邪悪そのものと言っていいチームもというのです。
「色々言われてるからね」
「大阪特にそうだよね」
「関西全体でそうだけれど」
「広島でもそうみたいだね」
「あと名古屋でも」
「けれど特に大阪ではそうでね」
 それでというのです。
「巨人の応援は好きでもね」
「おおっぴらには出来ないね」
「とてもね」
「そして串カツについても」
「それだけは」
「そういうことだよ、漬けるのは一度だよ」
 ソースはというのです。
「それは守ろうね」
「うん、それじゃあね」
「そうしていこうね」
「ソースは一度」
「それでね」
「何があってもね」
 こう言ってでした、先生は。
 また串カツ海老や烏賊のそれを食べて。
 大ジョッキのビールを飲みました、そうして言いました。
「ああ、幸せだね」
「もう顔に出てるよ」
「先生がどれだけ幸せか」
「そう思っているか」
「満面の笑顔だからね」
「お酒で赤ら顔になってるしね」
「大阪にはこんな美味しいものもあるんだ」
 こうまで言う先生でした。
「全く以て素晴らしいよ」
「先生串カツに病みつきだね」
「他の食べものについてもだけれど」
「串カツについてもだね」
「心底惚れ込んでいるね」
「この通りね、いや幾らでも食べられるよ」
 言葉通りに本当に飲んで食べていきます。
「この通りね」
「そうだよね」
「私達も同じよ」
「お陰で食べ過ぎて飲み過ぎて」
「後で沢山歩かないとね」
「太るわ」
「いやいや、太るといってもね」
 それでもというのです。
「日本の料理は全体的にヘルシーだからね」
「あまり食べても太らないわね」
「実際日本の人達ってあまり太ってないし」
「アメリカや中国やオーストラリアやメキシコと比べたら」
「イギリスともね」
「カロリーが低くて栄養バランスもいいから」
 だからだというのです。
「肥満度もね」
「少ないね」
「そういえばこの串カツも魚介類多いね」
「茸なんてカロリーないし」
「鶏肉もカロリー少ないわよ」
「衣はカロリー高いけれど」
「それでもだね」
 ほたて貝を食べつつ言いました。
「カロリーはね」
「低いね」
「日本の料理はそうだよね」
「カロリー低くて」
「僕達もイギリスにいた時より痩せたよ」
「体重も脂肪率も」
「健康診断を受けたら」
 先生がです。
「健康そのものだったしね」
「先生来日してからかなり歩いていて」
 それでと言うトミーでした。
「食事もそうなったからです」
「だからだね」
「健康になったんですよ」
「イギリスにいた時よりもだね」
「そうです、僕もですしね」
 ビールを飲みつつ言いました。
「イギリスにいた時よりもです」
「健康になったんだね」
「そうなりました」
「それだけ日本の料理がヘルシーということだよ」
「そうですね、美味しくてです」
「しかも健康的だから」
「言うことなしですね、ただ」
 トミーはこうも言いました。
「関西はそれ程でもないですが東京は物価が高くて」
「食べものもだね」
「高いんですね」
「関西でも他の国と比べれば高いかな」
「それはありますね」
「そして量がね」
「はい、日本人少食ですよね」
 トミーは笑って言いました。
「飲むことも」
「そうだよね」
「同じ体格でも」
 それでもというのです。
「イギリス人と比べても」
「日本人は少食だね」
「そうですよね」
「アメリカ人と比べると」
「全く違いますね」
「同じアジア系でも中国人と比べても」
「少食ですね」
「日本人の少食はね」
 それこそというのです。
「世界的にもね」
「かなりのものですね」
「だから僕達にしてみると」
「一品一品の量の少なさが気になりますね」
「どうしてもね」
「そこはネックですね」
「日本の料理のね」
 それに他ならないというのです。
「そこがどうしてもだよ」
「気になりますね」
「だから日本人で沢山食べる人は」
 そうした人はといいますと。
「もうね」
「それこそですね」
「食べ放題飲み放題のお店に行くんだ」
「バイキング、ビュッフェのお店に行って」
「そしてだよ」
 そのうえでというのです。
「楽しんでいるんだ」
「そうなりますね」
「その辺り力士やレスラーの人達なんてね」
 食べる人達はです、こうした人達は食べることもお仕事のうちと言われていて兎に角食べるのです。
「もうね」
「そのことは苦労しそうですね」
「だからちゃんこ鍋なんてね」 
 力士の人達が食べるそれはです。
「かなり食べられるんだ」
「作ってですね」
「そうだよ、山みたいなお肉や魚介類、お野菜を使って」
「そうしてですね」
「作ってね」
「沢山食べるんですね」
「そうなんだ、だからね」
 それでというのです。
「沢山食べることについては」
「ちょっと難しいお国柄ですね」
「少食な人が多いからね」
「そこはネックですね」
「全部がいいことばかりかっていうと」
 先生は蛸の串カツを食べつつ言いました。
「やっぱりね」
「そうはいかないですね」
「日本はいいことに満ちていても」
「どうかということもありますね」
「けれどそのどうかということばかり見て」
 そしてというのです。
「不平不満ばかりだとね」
「とてもよくないことですね」
「不平不満があったらそれを解決する為に努力することはいいけれど」
「それで言うだけだと」
「もうね」
 それはというのです。
「とてもね」
「よくないことですよね」
「不平不満ばかり言ってると」
 それならというのです。
「心が曇って人間性も暗く歪んでいってね」
「本当によくないですね」
「捻くれていくよ」
「そうなるからですね」
「やっぱりね」
「いいことを見ていくことですね」
「串カツだって美味しいよね」
 今食べているそちらもというのです。
「本当にね」
「そうですよね」
「だったらね」
「それで満足すべきですね」
「不平不満ばかり言って幸せか」
「そんな筈もないですね」
「そう、不平不満しか感じられないなら」
 それならというのです。
「それだけで不幸だよ」
「全く以てそうですね」
「僕は今幸せだよ」
「串カツを食べてビールを飲んで」
「そして織田作さんについて調べられて」
 先生はさらに言いました。
「大阪を味わえてね」
「幸せですね」
「凄くね」
 そうだというのです。
「それが顔にも出ていると思うよ」
「先生実際にこにことしているよ」
「いつもそうだしね」
「今もね」
「そうなっているよ」
「不平不満ばかりの人の顔は険しいよ」
 そうなるというのです。
「そうしたことを言う時の顔は歪むからね」
「そればかり感じて言ってると」
「自然と顔も険しくなるね」
「そんなこと考えて言っても楽しくないから」
「だからだね」
「そうだよ、けれど楽しいことばかり考えて」
 そしてというのです。
「言うならね」
「それならだよね」
「幸せだよね」
「それが出来る人は」
「それだけで」
「そうだよ、だからね」
 それでというのです。
「僕達もね」
「笑顔でだよね」
「そうして生きていこうね」
「幸せを感じて」
「そのうえで」
「というかいつも色々なことをしていると」
 それならというのです。
「不平不満を感じるか」
「感じないよね」
「そんな暇ないよね」
「先生の場合学問をしてね」
「食べて飲んでいたら」
「もうそれでね」
「ないよ」
 不平不満を感じることはというのです。
「全くね」
「そうだよね」
「先生はそうだよね」
「まず学問をして」
「それでだね」
「飲んで食べていたら」
「そして皆がいてくれたら」
 それでというのです。
「もうね」
「そうだよね」
「先生はね」
「僕達も一緒にいたら」
「トミーも王子も」
「それで」
「これ以上はないまでに」 
 まさにというのです。
「幸せだよ、これ以上求めることはね」
「あっていいよ」
「いつも言うけれど」
「僕達はそう思うよ」
「先生も織田作さんの作品の登場人物みたいにね」
「少しでも恋愛出来たらね」
「お話聞いてたらその要素もあるみたいだし」
 皆はこのことも言いました。
「夫婦善哉は不倫でもね」
「旦那さんがだらしなくても」
「恋愛関係はあったみたいだし」
「夫婦ではあったみたいだし」
「それじゃあね」
「あの人の作品にも恋愛はあったね」
「あったよ、市井の人達の恋愛でね」
 大阪の中でのそれだというのです。
「武者小路実篤や三島由紀夫みたいに主題になることは少ないしきらきらしたね」
「少女漫画みたいな?」
「もうそれが全面に出たみたいな」
「愛こそ全てとか」
「そういうのじゃないのね」
「そうではないけれど」
 それでもというのです。
「恋愛の要素もあるよ」
「そうした恋愛が出来れば」
「先生がそれを望めばね」
「ぼっと幸せになれるよ」
「絶対にね」
「いやいや、僕はもう充分過ぎる程幸せだよ」
 不平不満は言わないですがそれでもです。
 先生は本当にそれ以上のものは求めないのでした、周りは気付いていてあれこれ言ってもそうなのでした。
 そして串カツとビールの後で、でした。皆で神戸まで電車で戻りました。ですが神戸でも織田作之助さんについて学ぶのでした。








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