『ドリトル先生のオーケストラ』
第三幕 グループの交響楽団
日笠さんに誘われて演奏会の曲を聴いてモーツァルトさんについて学んで論文を書いている先生ですが。
その先生にです、王子が先生のお家で言いました。
「八条グループも交響楽団持ってるよね」
「うん、音楽事業の一環でね」
先生は王子にその通りだと答えました。
「世界的な企業グループでね」
「そうしたこともしているね」
「オーケストラもビジネスだよ」
先生は穏やかな表情でお話しました。
「だからね」
「八条グループもやっているね」
「八条グループは私達が通っている八条学園も経営していて」
そうしてというのです。
「他にも色々とだよ」
「事業を展開していてね」
「音楽事業もその中にあって」
「オーケストラも経営しているね」
「劇場も持っているしね」
「色々やってるね」
「そうだよ、それでそのオーケストラは八条交響楽団といって」
その楽団名でというのです。
「やっぱりレベルが高いよ」
「よく勉強して練習して」
「楽器の質もいいからね」
「だからだね」
「日本のクラシックは本当にだよ」
「レベルが高いね」
「よく二流扱いされるけれど」
それでもというのです。
「それは偏見でね」
「その実は」
「凝り性でコツコツやっていく日本人の国民性に合っていて」
「レベルが高いね」
「本当に凝って名曲を名盤で聴いて」
CDでそうしてというのです。
「コンサートもそうでね」
「耳が肥えているね」
「それがファンの人達で」
「演奏家の人達はその人達に応えないといけなくて」
「そしてこの人達も名曲名盤コンサートを聴いて」
そうもしてというのです。
「耳が肥えていて練習もね」
「熱心にして」
「音楽自体も勉強してね」
そうもしてというのです。
「楽器も質がいいものを選んで」
「日本は楽器の品質もいいしね」
「しかもね」
それと共にというのです。
「よく手入れもしているから」
「いいんだね」
「そうだよ」
実際にというのです。
「楽器もね」
「耳が肥えていてよく学んで練習している人達が質のいい楽器で演奏する」
「それで悪い筈がないね」
「うん、指揮者の人だってそうだしね」
「だから日本のクラシックはレベルが高いんだ」
その実はというのです。
「聴いて損はしないよ」
「八条交響楽団にしても」
「そうだよ」
まさにというのです。
「これがね」
「そうなんだね」
「そしてクラシックといっても幅が広いね」
先生はこうもお話しました、王子と一緒にティータイムを楽しんでいますが今日はアメリカ風でレモンティーにドーナツ、キャラメル、フルーツの三段セットです。
「オーケストラもあれば歌劇もあって」
「ピアノもあってね」
「独唱だってあるし」
「音楽の種類だってそうだね」
「交響曲とかあって」
「他にも色々とね」
「そのそれぞれの造詣が深いからね」
先生は動物の皆にもお話しました。
「尚更だよ」
「日本のクラシックはレベルが高い」
「そうなんだね」
「決して馬鹿に出来ない」
「二流じゃないね」
「そうなんだ、クラシックの世界は本場欧州への崇拝が強くて」
日本のクラシックはというのです。
「日本はどうしてもね」
「二流だって思うね」
「そのイメージがあるね」
「僕達も感じるよ」
「そうだってね」
「指揮者だとね」
このお仕事の人ならというのです。
「フルトヴェングラーとかトスカニーニとかね」
「お二人共有名だね」
「二十世紀中頃の人達だね」
「偉大とさえ言える指揮者の人達で」
「クラシックの歴史に名前が残っているよ」
「その人達が最高で」
そう考えられていてというのです。
「日本の指揮者の人達はね」
「落ちるっていうんだね」
「どうしても」
「そう考えられているんだね」
「そうなんだ」
日本ではというのです。
「確かにこの人達は物凄いけれど」
「それでもだね」
「日本の指揮者の人達を下に見ていいか」
「ちゃんと聴かないで」
「それはよくないね」
「やっぱりね」
「そうだよ」
まさにというのです。
「それは間違いだよ」
「全くだね」
「ちゃんと聴いてから確かめる」
「そうすればわかるね」
「日本のクラシックはレベルが高い」
「指揮者の人達も」
「だからいいんだ、あと比較的しがらみが少ないかな」
先生はこのこともお話しました。
「日本のクラシック業界は」
「ああ、ウィーン国立歌劇場なんて凄いよね」
王子はキャラメルを食べつつ言いました、言いつつ林檎やバナナといったフルーツを見てもいます。
「あそこは色々聞くよ」
「錚々たる顔ぶれの人達が音楽監督に就任してね」
「色々揉めて辞めてるね」
「そうなんだ」
先生もまさにとお話します。
「グスタフ=マーラー、カール=ベーム、ヘルバルト=フォン=カラヤンといいね」
「ロリン=マゼールやクラウディオ=アバドもだね」
「皆就任したけれど」
それでもというのです。
「政治的なことや何やらでね」
「音楽監督の座を巡ってもあって」
「あまりにも酷くてね」
「陰謀渦巻くとも言われていて」
「そんな場所だから」
それ故にというのです。
「あそこはね」
「凄いね」
「へえ、そうだったんだ」
ジップはそのお話を聞いてお顔を顰めさせました。
「あそこは有名な歌劇場だけれどね」
「そんなにゴタゴタしているんだね」
「意外ね」
チープサイドの家族も言います。
「人が集まれば何かとあるけれど」
「音楽についてもなんだね」
「そういうのはあって欲しくないね」
チーチーは純粋に思いました。
「どんなことでもね」
「音楽でもよ」
ポリネシアはぴしゃりと言いました。
「そうしたしがらみはいらないわ」
「皆が仲よくは無理でもね」
老馬はそれでもと言いました。
「揉めてばかりとか足の引っ張り合いは駄目だよ」
「折角音楽という素晴らしいものをしているのよ」
ダブダブの声は厳しいものでした。
「それなら奇麗でいたいものよ」
「何でそう揉めるかな」
「お金とか権力とかが欲しいのかな」
オシツオサレツはどちらの頭も傾げさせました。
「そんなのいらないよね」
「別にね」
「先生を見ればわかるよ」
トートーは実際に先生を見ています。
「お金や権力はなくても十分幸せになれるよ」
「美味しいものを沢山食べてよく寝られたら幸せになれるよ」
ガブガブは自分の考えを言いました。
「それでね」
「ウィーンって奇麗な街で確かに最高の音楽があるけれど」
ホワイティは残念そうに言いました。
「陰謀ばかりの場所もあるんだね」
「あの歌劇場はそうでね」
そうであってとです、先生はお話しました。
「日本人だと小澤征爾さんがなっているよ」
「それは凄いけれど」
「小澤さんも大変だっただろうね」
「そんなところの音楽監督になったら」
「やっぱり」
「うん、そうだったんじゃないかな」
先生も思うことでした。
「やっぱりね」
「日本にもしがらみがあっても」
「ウィーン国立歌劇場程じゃないんだね」
「遥かにましなんだね」
「流石に」
「私はそうしたしがらみが苦手だとね」
先生は皆に言いました。
「皆も知っているね」
「うん、よくね」
「お金がない社会ならそれでいいって言ってるし」
「権力に興味がないし」
「名声にもね」
「そうだよね」
「社会や文明は大切でもね」
それでもというのです。
「生臭いしがらみはね」
「先生は苦手でね」
「距離を置いてるね」
「いつもね」
「日本でもね、日本にもあるけれどね」
人の世のしがらみはというのです。
「距離は置いているよ」
「そうだね」
「先生のいいところの一つだよ」
「お金や権力にこだわらない」
「そうしたところもね」
「権力に反対するならテロをして多くの人が犠牲になってもいいなら」
ここで王子が言いました。
「そうした考えは間違っているけれどね」
「それは殺人でね」
「絶対にやったらいけないことだね」
「それをどんな立場でもやっていいというのはね」
先生はどうかというお顔でレモンティーを手にお話しました。
「とんでもないよ」
「最低の考えだね」
「じゃあ自分がそうなってもいいのかな」
「権力に反対する人達のテロで殺されても」
「家族の人達でもね」
「若し自分がそうなったらどうかな」
「絶対に自分だけは助かろうと人を押し退けて逃げるか」
そうするか、というのです。
「他の人を差し出して泣いて命乞いするよ」
「そんな考えの奴はだね」
「いざ自分がそうなるとね」
その時はというのです。
「そうするよ」
「絶対にそうだね」
「そしてね」
そうであってというのです。
「殺された人や残された人の痛み、悲しみ、苦しみなんてね」
「わからないね」
「わかろうともしていないよ」
「冷酷だね」
「思いやりも全くないよ」
「法律の意味もわかっていなくて」
「何もわかっていないね」
「究極の馬鹿だね」
「そんな人を雇う場所には注意しないとだめだよ」
先生は強く言いました。
「そんな愚かな人を雇うとなると」
「その会社やお店はだね」
「相当に人を見る目がないから」
「まともな人がいなくて」
「まともなお仕事が出来なくてね」
そうであってというのです。
「潰れるよ」
「そうなるね」
「問題のある人を雇っても」
それでもというのです。
「程度の問題でね」
「そこまで馬鹿な人を雇うなら」
「他の人達もどうか」
「採用する方の人を見る目がないね」
「私もそこまでの愚かな人は知っているよ」
「日本でもいたね」
「いてね、実際にそんな人を雇っていたお店は」
そうしたお店はというのです。
「親会社の出版社ごとね」
「潰れたんだね」
「親会社もまともな人がいなくなっていて」
「おかしな人ばかり採用する様になって」
「どんどんね」
それこそというのです。
「その分会社が傾いて」
「親会社がそうなって」
「お店の方もおかしくなって」
そうしてというのです。
「潰れたんだ」
「そうなんだね」
「結局そうした人も権力にこだわっているんだ」
「兼職者になろうとしていなくても」
「権力に逆らってね」
「何もかもを否定しているだけだね」
「よく権力にこだわる人は自分だけになるけれど」
利己主義者になるというのです。
「権力を否定する人もだよ」
「そんな馬鹿になって」
「同じだよ、裏返しでしかないんだ」
「そういうことだね」
「それでその権力のことも」
このこともというのです。
「お金のことも含めてね」
「日本のクラシック業界はまともかな」
「少なくともウィーン国立歌劇場程じゃないよ」
そうだというのです。
「まだね、だからこのこともね」
「いいね」
「そう思うよ」
そうだというのです。
「私はね」
「成程ね」
「それで今モーツァルトさんの論文書いてるけれど」
先生はこちらのお話もしました。
「日本の研究もね」
「いいんだね」
「かなりね」
そうだというのです。
「読んでいるとね」
「二流じゃないね」
「全くね、小林秀雄という人が書いてるけれど」
「あの思想家の」
「こちらもいいよ」
「そうなんだね」
「小林秀雄の作品は何も知らないでは読めないけれどね」
そうであるというのです。
「これがね」
「ある程度の知識や教養が必要だね」
「モーツァルトのことを書いていても」
「モーツァルトの知識が必要だね」
「そうであるけれど」
それでもというのです。
「知識を備えて読むとね」
「いいんだね」
「わかりやすくて内容もね」
「優れたものなんだね」
「これが変な思想家だとね」
そうであるならというのです。
「もう知識があって読んでも」
「わからないんだ」
「何を言ってるかわからないんだ」
「難解っていうのかな」
「うん、小難しいって言うんだよ」
「ああ、人にわかる様に書いていないんだ」
「日本の学校の先生の質は恐ろしく低いね」
先生はこちらのお話もしました。
「暴力にセクハラ、モラハラ、パワハラのお話が非常に多くて」
「授業が下手な先生も多いね」
「それで教えるのが下手な先生は言ってることがわからない」
「わかりやすく言えないんだね」
「酷いと黒板に向かって数学の式を書いて言っているだけで」
ただそれだけでというのです。
「生徒さんに理解してもらおうなんてね」
「思ってもいないね」
「思うにもそれなりの能力が必要だけれど」
「その能力すらないね」
「全くの無能でね」
そうであってというのです。
「人が読んでわかる文章を書くにも」
「能力が必要だね」
「そして小難しい文章は」
何を書いているのかわからないものはというのです。
「実は中身はね」
「ないね」
「普通に書いたら」
誰でもわかる様にです。
「何でもない」
「そんなものだね」
「けれど小林秀雄は違っていて」
この人はというのです。
「モーツァルトも彼の知識を備えて読んだら」
「わかりやすいんだね」
「そして内容も素晴らしいんだ」
「そうなんだね」
「モォツァルトという作品だけれど」
小林秀雄のそれはというのです。
「名作だよ」
「随筆かな」
「そうなるよ、小説ではないよ」
その作品はというのです。
「それで読んでね」
「損はしないね」
「だからね」
それでというのです。
「こうした作品もあって」
「日本のモーツァルトさんへの研究はだね」
「素晴らしいよ」
「よく研究されているんだね」
「もう徹底解剖みたいに」
そこまでというのです。
「研究されているよ」
「そこは日本人だね」
「そう言えるね」
「うん、日本人って興味を持つと」
「徹底的に研究するからね」
「それぞれの人がね」
「だからここまでの国になったんだ」
日本はというのです。
「クラシックもそうだしね」
「他のことでもだね」
「鉄道なんて元々イギリスのものなのに」
先生はドーナツを食べつつ笑ってお話しました。
「今ではね」
「イギリスを遥かに超えているね」
「まさに鉄道大国になったよ」
「鉄道好きな人が多くてね」
「私は最初鉄道に否定的だったけれどね」
「今は違うね」
「立派な科学文明の利器だよ」
そうだというのです。
「人の世を発展させてくれるね」
「素晴らしいものだね」
「その鉄道もね」
それもというのです。
「日本人は興味を持って」
「徹底的に学んで造って」
「鉄道大国になったんだ」
「イギリス以上の」
「新幹線だってね」
こちらもというのです。
「生み出したしね」
「新幹線は最高だね」
「あそこまでのものはイギリスにはないからね」
「あれだね、藍は青から出て」
「青より青しだね」
「日本はそうだね」
「そう、そうしたことを行える国だから」
それ故にというのです。
「ここまでなったんだ、これからもね」
「取り入れたものをさらによくしていくね」
「そうしていくよ、日本人のそうしたところは素晴らしいよ」
「全くだね、僕もね」
王子もというのです。
「日本に留学してね」
「そのことを見てだね」
「凄いと思ってるよ、だからね」
そう思うからこそというのです。
「これからはね」
「日本の長所を取り入れるね」
「僕の国にね」
「そうしていくね」
「イギリスにも留学したし」
「日本にも留学していて」
「そうしていてね」
それでというのです。
「多くのものを学んでいるから」
「その学んだことを祖国に持って帰るね」
「そして発展するよ」
そうするというのです。
「必ずね」
「それではね、私も学んでいくよ」
「これからも」
「日本のこともね」
こう言ってでした。
先生はモーツァルトさんの論文を書いていきます、その中で多くの論文を読んで音楽も聴いていきます。
その中で先生は研究室で皆に言われました。
「この学園管弦部ってあるよね」
「高等部にね」
「吹奏楽部だけでなくて」
「雅楽部もあって」
「そうだよ、高校でオーケストラが出来るんだ」
先生は皆にそうだと答えました。
「この学園はね」
「大学の音楽部にもあってね」
「高等部もだね」
「高校でオーケストラが出来るなんてね」
「凄いよね」
「それが出来る高校は少ないよ」
先生は皆に言いました。
「やっぱりね」
「そうだよね」
「高校でオーケストラなんてね」
「吹奏楽は兎も角」
「それは凄いことだね」
「文化事業に力を入れている学園で」
そうであってというのです。
「グループもお金を出してくれているからね」
「だからだよね」
「オーケストラも出来るね」
「劇場もあるしね、学園の中に」
「コンサートホールだってね」
「それでそのオーケストラはね」
高等部の管弦部はというのです。
「かなりのレベルだよ」
「コンクールで優勝したりしているね」
「全国の」
「確かに高校でオーケストラって少ないけれど」
「凄いことは事実だよ」
「皆も聴いたね」
先生は微笑んで皆に言いました。
「そうだったね」
「うん、聴いたよ」
「先生と一緒にコンサートに行ってね」
「時々学園の中でコンサート開いてるけれど」
「いいよね」
「そうだね、吹奏楽部も凄いけれど」
この学園の高等部はというのです。
「そちらもだよ、だからまたね」
「聴きに行こうね」
「高等部のオーケストラも」
「そうしようね」
「是非ね、そしてあちらの曲の傾向は」
それはといいますと。
「オーソドックスなね」
「有名な曲が多いね」
「見てみたら」
「多くの人が知ってる様な」
「そうした曲を演奏するね」
「そうだね、この前はボレロを演奏していたけれど」
この曲をというのです。
「よかったね」
「あの曲もいいよね」
「ラヴェルさんの曲だったね」
「音が徐々に大きくなる」
「それがいいんだね」
「高校生はまだ基礎だから」
その段階だからだというのです。
「演奏する曲もね」
「基礎的なものが多いんだね」
「有名な曲が」
「まずはそうした曲を演奏して」
「基礎を固めるんだね」
「そして大学ではより難しい曲も演奏していっているんだ」
クラシックのというのです。
「そうなんだよ」
「難しい曲も多いよね」
「クラシックってね」
「演奏するにしても」
「どうもね」
「歌うとすればワーグナーさんだね」
この人の音楽だというのです。
「演奏も独特だけれど」
「ああ、あの人はね」
「歌が独特だよね」
「僕も聴いて思うよ」
「私だってね」
「ヘルデン=テノールといって」
先生はこの言葉を出しました。
「主役の男性役は大抵この声域だね」
「テノールはテノールでもね」
「男の人の高音で」
「主役を演じることが多いけれど」
「独特なテノールだね」
「テノールといっても声域が低くて」
そうであってというのです。
「バリトンに近いんだよ」
「男の人の低音だね」
「その下がバスだね」
「それでヘルデン=テノールはバリトンに近くて」
「かなり独特のテノールだね」
「そうであって」
そしてというのです。
「尚且つ輝かしい声で歌って舞台に大抵出ている」
「難しい役だよね」
「本当に」
「よくあんな役を考えたね」
「それで作曲したね」
「ワーグナーさんならではね」
そうしたテノールを生み出したのはです。
「このヘルデン=テノールを歌える人は少ないよ」
「そうだよね」
「いつも世界にそうはいなくて」
「歌手に苦労するね」
「舞台に出てもらうにも」
「そうなんだ、あと演奏で難しいのは」
それはといいますと。
「ベルクさんかな」
「アルバン=ベルクさんだね」
「あの人の曲も聴いたけれど」
「何か他の人の音楽と違うね」
「斬新っていうか前衛的っていうか」
「物凄いね」
「この人やドビュッシーさんの音楽は」
どうかといいますと。
「かなりね」
「難しいね」
「だからこの高等部でも演奏しないね」
「難しいから」
「大学でもだね」
「プロのオーケストラでもないと」
この人達の曲はというのです。
「出来ないね」
「クラシックも誰でもじゃないのよね」
ポリネシアが言ってきました。
「誰の曲を演奏してもいいか」
「それが違うんだよね」
トートーも言います。
「これがね」
「基礎を固めるのにい曲もあればね」
ジップが続きました。
「上級者向けのものもあるね」
「はじめたばかりの人がいきなり難しい曲をやっても」
「上手くいかないわね」
チープサイドの家族もお話します。
「やっぱり」
「まずは基礎だよ、基礎」
「ピアノだってそうだしね」
チーチーはこちらのお話をします。
「はじめたばかりで難しい曲なんて演奏出来ないよ」
「だから高校生だとね」
「まずは基礎の曲だね」
オシツオサレツは二つの頭でお話しました。
「それを演奏して」
「基礎を固めるんだね」
「いいことだね」
ホワイティはそうあるべきだと言いました。
「音楽もまずは基礎だよ」
「楽譜を読める様になって基礎の練習をして」
そしてと言う老馬です。
「上達していって」
「そこから難しい曲にチャレンジして」
ガブガブは陽気に言いました。
「さらに上手になればいいね」
「英語を学んだばかりの人に英語の詩が書けるか」
ダブダブは思いました。
「出来ないことよ」
「そうだね、まずはね」
何と言ってもという先生でした。
「基礎なのはクラシックも同じでね」
「オーケストラもね」
「そうであってね」
「一歩一歩確かに進んでいく」
「そういうものだね」
「そうだよ、本当にベルクさんの曲なんて難しいから」
だからだというのです。
「高校生ではね」
「やるべきじゃないね」
「やっぱり」
「まずは有名な基礎を固める為の曲」
「そうした曲だね」
「それで実際にね」
この学園の高等部の管弦部はというのです。
「そうしていっているからいいんだよ」
「そうだね」
「本当にまずは基礎だね」
「基礎を固める」
「それからだね」
「大事なのはね」
先生は笑顔で言います、そうして傍にあったCDの音楽を聴きますがそのCDはオーケストラのCDでして。
「あれっ、クラシックじゃないね」
「そうだね」
「これはゲームかな」
「ゲーム音楽かな」
「そんな感じだけれど」
「そうだよ、日本の有名なRPGのシリーズでね」
先生は皆にお話しました。
「音楽でも有名でね」
「それでなんだ」
「その曲をオーケストラで演奏したんだ」
「そうしたCDなんだ」
「そうなんだ、オーケストラはクラシックだけじゃないんだよ」
演奏するのはというのです。
「ゲームやアニメの音楽だってね」
「演奏していいね」
「そうなんだね」
「それで実際にいいしね」
「ゲームの中で聴くのもいいけれど」
「オーケストラもいいね」
「私もこの発想はなかったよ」
先生は音楽を聴きつつ言いました、その手にはミルクティーが入ったコップがあります。紅茶を飲みつつ聴いています。
「ゲームやアニメの曲までなんてね」
「オーケストラで演奏するなんて」
「確かにオーケストライコールクラシックだね」
「そんなイメージあるわ」
「どうしても」
「それがだよ」
そのイメージがというのです。
「こうしてだよ」
「変えられたね」
「ゲームの曲もなんて」
「斬新な発想で」
「それでいて聴きがいがある」
「素晴らしいね」
先生は笑顔で言いました。
「本当に、組曲にもなっているしね」
「ゲームの曲で組曲なんだ」
「そういうのも出来るんだ」
「その発想はなかったよ」
「全くね」
「そうだね、けれど日本じゃあるんだ」
ゲーム音楽の組曲もというのだ。
「これがね」
「それも斬新だね」
「凄い発想だね」
「それでこれだけ素晴らしいから」
「唸るしかないね」
「僕達も」
「全くだね」
まさにと言う先生でした、そしてです。
ゲーム音楽のオーケストラを聴いていきます、そして夜に夕食の時にトミーと王子にもこの音楽のお話をしますが。
王子はです、先生に笑顔で言いました。
「自衛隊でもね」
「行っているね」
「アニメの主題歌をね」
それをというのです。
「オーケストラでね」
「演奏するんだね」
「先生アニメもっていうけれど」
それでもというのです。
「実際にね」
「やっているね、日本では」
「そうだね」
「日本だとね」
この国ではというのです。
「ゲームやアニメも凄いから」
「その音楽もだね」
「名曲が多くて」
それでというのです。
「オーケストラでもだね」
「演奏しているね」
「それで自衛隊でもなんだ」
「あの、自衛隊って真面目な組織ですが」
トミーが言ってきました、今日の夕食はお素麺とサラダそれに冷奴で冷えたビールを飲みつつお話をしています。
「結構そうした」
「遊びもあるよ」
「そうですね」
「ユーモアもあるんだ」
そうだというのだ。
「自衛隊はね」
「ユーモアがありますね」
「遊び心もあるんだ」
「余裕ですね」
「実はね」
先生はお素麺、生姜や梅で味付けしたおつゆで食べつつ言いました。
「自衛官の人達はアニメやゲームが好きな人が多いんだ」
「そうなんですね」
「趣味人の人が多くてね」
そうであってというのです。
「身体を鍛えるから格闘技もね」
「人気がありますね」
「そういった分野のマニアの人達がなんだ」
「自衛官の人達には多いですね」
「そしてね」
そうであってというのです。
「アニメの音楽もね」
「オーケストラで演奏しますね」
「そうもするんだ」
「そうですね」
「そしてその遊びやユーモアをね」
そうしたことをというのです。
「全力で練習もして」
「演奏しますね」
「札幌雪祭りでもね」
こちらでもというのだ。
「遊び心のある雪の巨大な雪だるまをだよ」
「作っていっていますね」
「そうなんだ」
実際にというのです。
「全力でね」
「全力で遊びやユーモアを出してるんですね」
「そうなんだ」
そうであってというのです。
「自衛隊はね」
「そこが面白いね」
王子も言ってきました、サラダに入っているレタスやセロリ、トマトを食べています。
「本当に」
「うん、昔の日本軍は恰好よくて強くて」
「生真面目だったね」
「武士だったんだ」
日本軍の人達はというのです。
「だからそうしたものはね」
「遊びやユーモアはだね」
「少し縁がなかったけれど」
それでもというのです。
「自衛隊はね」
「そして自衛官の人達はだね」
「武士かっていうと」
「違うね」
「だからね」
「遊びやユーモアもだね」
「あってね」
そうであってというのです。
「オーケストラでもね」
「アニメの曲もだね」
「演奏するんだよ」
「それも全力で」
そうであってというのです。
「何度も練習したうえで」
「演奏するね」
「そうだよ、ゲームやアニメは馬鹿に出来ないよ」
先生はビールを飲みつつお話しました。
「絶対にね」
「低俗とか馬鹿にするって人いるね」
「うん、けれどね」
その実はというのです。
「これがね」
「違っていて」
「それでね」
そうであってというのです。
「オーケストラでもだよ」
「演奏されるね」
「いいことだよ、オーケストラはね」
「クラシックだけじゃないね」
「そしてクラシックも」
この音楽もというのです。
「アニメやゲームの音楽もだよ」
「採り入れられるね」
「クラシックだから高尚、アニメやゲームだから低俗」
先生は今度は冷奴を食べてから言いました。
「そんなことはあるかな」
「ないね」
王子はきっぱりと答えました。
「そうしたことはね」
「そうだよね」
「うん、全くね」
「要は一つだよ」
それは何かといいますと。
「素晴らしい曲かどうか」
「そのことだね」
「そして日本のゲームやアニメにはね」
「名曲が多いね」
「ドラマの主題歌でもだよ」
こちらでもというのです。
「名曲が多いよ」
「大ヒットする様な」
「そうした曲が多いし」
「音楽はジャンルじゃないね」
「素晴らしい曲はね」
そうした曲はというのです。
「ジャンルは関係なくて」
「オーケストラで演奏してもいいですね」
トミーがまた言ってきました。
「そうですね」
「そうだよ、そしてね」
さらに言う先生でした。
「そうした曲を聴くこともね」
「いいことですね」
「そうなんだ、私も発想になったけれどね」
「先生はですね」
トミーはビールをジョッキで飲みつつ笑って言いました。
「お野菜の楽器で」
「ああ、あの時だね」
先生も応えました。
「サーカスの時に」
「それで音楽もコミカルな感じでしたね」
「そうだったね、けれどね」
「アニメやゲームの曲は」
「あの頃はそうしたものもなかったし」
「発想になかったですね」
「とてもね」
そうだったというのです。
「私もね」
「そうでしたね、ですが」
トミーはそれでもと言いました。
「あのお野菜の楽器はです」
「よかったんだね」
「今思いましても」
「ああした楽器があってもいいよね」
「はい」
トミーは笑顔で答えました。
「本当に」
「楽器も音楽もね」
「発想一つで大きく変わりますね」
「閃いたら」
「やってみることですね」
「思い付きはよくないけれど」
「閃きと思い付きは違いますね」
「違うよ、閃きは努力の中でね」
先生はお話しました。
「頭に下りるものだよ」
「そういうものですね」
「何かをして考えて」
「そうして」
「そして考えた瞬間周りのことも見るよ」
閃きはというのです。
「ちゃんとね、そしてね」
「ことを為しますね」
「成功させるよ、けれどね」
「思い付きはどうなのか」
「ただふと思って」
そうしてというのだ。
「条件反射で後先周りのことも考えないで」
「言うものですね」
「だから失敗するか」
思い付きはというのです。
「迷惑をかけるんだ」
「そんなものですね」
「そもそも閃いたらね」
その時はというのです。
「すぐにそれは出来るか、大丈夫かとね」
「思いますね」
トミーも言われて頷きました。
「閃きは」
「そうだね」
「はい、しかし思い付きは」
「そんなこと考えないでね」
「何も考えず言います」
「それじゃあ駄目だよ、だからね」
「閃きと思い付きは違っていて」
「それでね」
そうであってというのです。
「その違いをよくわかる」
「そのことが大事ですね」
「閃きは尊んで思い付きは戒めるものだよ」
こうお話するのでした、そうしたお話もしてです。先生は今もしっかりと学問を楽しみ音楽もそうするのでした。