『ドリトル先生のオーケストラ』
第九幕 お野菜の楽器
先生は八条学園の初等部に赴いてお野菜の楽器を演奏したいという子供達にオーケストラについてお話しました。
そしてです、先生はこうも言いました。
「したいならしてね」
「したくないならですか」
「しなくていいんですか」
「そうですか」
「そうだよ、君達はね」
まさにというのです。
「したいならして」
「したくないならですか」
「しなくていいんですか」
「楽器の演奏を」
「そうしなくていいですか」
「楽しいと思ったら演奏して」
そうしてというのです。
「楽しくないと思ったらね」
「しなくていいんですね」
「絶対じゃないんですね」
「オーケストラは」
「子供は自分が楽しいことを見付けることもだよ」
このこともというのです。
「大事だからね」
「そうなんですか」
「だから音楽が楽しくないと思ったら」
「そう思ったらしなくていい」
「そうですか」
「そして私は絶対に怒らないから」
先生は穏やかで優しい声でお話します。
「安心してね」
「わかりました」
「じゃあ演奏します」
「楽しいと思うなら」
「そうします」
「是非ね」
こう言ってでした。
皆に音楽を教えます、するとそこにいる子供達は皆お野菜で作った楽器に興味を持って音楽にもそうで。
「面白いね」
「お野菜で作った楽器なんてね」
「ちゃんと音出るし」
「後で食べられるそうだし」
「こんな楽器があるんだ」
「それに音楽を演奏するって」
このことはというのです。
「凄く面白いね」
「そうだよね」
「楽しいよ」
「音楽って楽しいんだ」
「面白いものなんだ」
皆笑顔で練習していきます、先生はその彼等を見て温かい笑顔になりました。そして練習の間本当に誰も音楽のことで起こりませんでした。
その練習が終わって研究室に戻ってです、先生は皆にお話しました。
「本当にだよ」
「うん、大事なのは音楽を好きになることだね」
「お子さん達にとっては」
「だから技術は問わない」
「楽しく思えないなら止めていい」
「そうしてるんだね」
「実際に」
皆も言います。
「先生が言った通りにね」
「そうしているね」
「それでどの子も楽しく演奏していたね」
「明るく楽しくね」
「そうだよ、好きこそものの上手なれで」
先生はミルクティーを飲みつつお話します。
「まずは何でも好きにならないとね」
「音楽をね」
「それでどんどん演奏してもらう」
「楽しいと思うなら」
「そうなんだ、絶対に怒鳴らないし暴力も振るわない」
先生はそれは絶対だといました。
「このことは注意しないとね」
「先生紳士でそんなことしないけれど」
「怒鳴ったり暴力振るったり」
「そんなことしないけれど」
「今回も気を付けてるね」
「うん、若し音楽をはじめたばかりで」
その時にというのです。
「下手だとか言われて殴られて蹴られたらどうかな」
「嫌になるね」
「音楽が嫌いになるよ」
「練習に行くことが」
「それで上達しないよ」
「これは教育者として失格だよ」
そうだというのです。
「全く以てね」
「その通りだね」
「そしてその失格の人が多いね」
「日本の学校の先生には」
「とてもね」
「こんな人はお手本にならないよ」
先生は断言しました。
「日本に来てからよく言ってるけれど」
「その通りだね」
「反面教師にすべきだよ」
「お手本とは真逆に」
「そうすべきよ」
「竹刀を持っていてそれで殴るなんて」
そうした行為はというのです。
「何の意味があるのか」
「疑問だね」
「それで上達するのか」
「そんな筈ないしね」
「何かがね」
「痛みと恐怖で人を縛るだけだよ」
そうした行為はというのです。
「全く以てね」
「最低な行為でね」
「普通でもやったらいけないし」
「教育でもだね」
「やってはいけないね」
「その子の興味のあることなら何でもさせて」
そしてというのです。
「楽しいと思うことがあるなら」
「それをやってもらう」
「才能を伸ばしていく」
「どんどんやってもらって」
「それがいいよ、その子の好きなものが何かは色々やってみないとね」
そうでないと、というのです。
「わからないけれどね」
「どうしてもね」
「そうだよね」
「実際にやってみないとね」
「わからないね」
「経験論で考えると」
この考えに基づくと、というのです。
「本当にね」
「まずやってみる」
「何でも」
「それが大事だね」
「何事もね、そしてね」
そうであってというのです。
「若し楽しいと思うことに才能がなくても」
「いいね」
「プロになれなくても」
「それでも」
「それが趣味になって」
そうなりというのです。
「その人の心の支えや柱になるならね」
「いいね」
「それならそれで」
「構わないね」
「そうだよ」
まさにというのです。
「そうであるならね」
「無駄にならない」
「好きなことに打ち込むことは」
「それで食べていけなくても」
「そこから多くのことを学んで」
楽しいと思うことを行ってというのです。
「人間として成長出来るしね」
「いいことだね」
「けれど暴力を振るってね」
「折角はじめたことを嫌いにさせるなら」
「駄目だね」
「厳しくすると言ってね」
先生はお茶菓子のクッキーを食べつつ言いました。
「暴力を振るって人が育つかはね」
「先生が何時も言ってる通りだね」
「今だってね」
「よくなる筈がないよ」
「絶対にね」
「ベートーベンさんだってね」
この人もというのです。
「子供の頃お父さんに暴力を受けながら音楽を教えられて」
「ああ、音楽が嫌いになったね」
「そうだったね」
「あの人はね」
「あまりいい人とは言えなくて」
ベートーベンさんのお父さんはというのです。
「酒好きで行いもよくなくて」
「それでだね」
「ベートーベンさんにそうしたことをして」
「ベートーベンさんは音楽が嫌いになったね」
「幸い音楽に残って」
ベートーベンさんはというのです。
「それでね」
「そのうえでだね」
「多くの名曲を残したね」
「そうしたね」
「そうだよ、けれど若しもだよ」
先生は眉を曇らせてお話しました。
「ベートーベンさんが音楽を捨てたら」
「とんでもないことになったね」
「音楽界の損失だったわ」
「それもかなりの」
「そうなっていたよ」
「そうだよ、本当によかったよ」
先生は心から思って言いました。
「ベートーベンさんが音楽に残って」
「本当に暴力は駄目だね」
ジップはそのお話を聞いて心から思いました。
「マイナスでしかないね」
「感情的になって殴って蹴ってよくなるか」
トートーも心から言います。
「そんな筈ないしね」
「いや、本当によかったよ」
老馬は胸を撫で下ろさんばかりになっています。
「ベートーベンさんが音楽から離れなくて」
「モーツァルトさんと並び称される音楽家なのに」
それでもと言うガブガブでした。
「音楽を捨てていたら」
「考えるだけでずっとするわ」
ポリネシアは怒って言いました。
「お父さんは取り返しのつかないことをするところだったわ」
「そして日本の先生にはこんな人が多いわね」
ダブダブも怒って言います。
「ベートーベンさんのお父さんみたいな人が」
「大体生徒や子供は道具じゃないよ」
「ちゃんと心があるのよ」
チープサイドの家族も言います。
「それで何かあったら暴力を振るうなんだ」
「自分がやられたらどうかな」
「自分が殴られたりしないから振るうんだね」
ホワイティも怒っています。
「暴力なんて」
「そう思うと最低だね」
「暴力なんて」
オシツオサレツも二つの頭で言います。
「振るう人だって」
「最低だよ」
「全く。ベートーベンさんのことを思うと」
チーチーもどうかとなっています。
「暴力が如何に駄目かわかるね」
「あの頃は体罰は普通だったけれど」
先生はそれでもと言いました。
「あれだけの才能を潰しかねなかったからね」
「そうだよね」
「暴力が如何に駄目かわかるわ」
「そして先生は絶対に暴力を振るわない」
「絶対に」
「そのことを守ってね」
そうしてというのです。
「常に教育にもあたっているよ」
「それこそまさに紳士だし」
「先生は常に紳士であれと心掛けているし」
「そうあるべきだね」
「まことに」
「うん、そしてね」
そうであってというのです。
「巨人は昔球界の紳士とか言ってたね」
「そうそう、偉そうにね」
「そう言ってたんだよね」
「そうあれとかね」
「自分達は特別だとか言わんばかりね」
「その実態たるやね」
巨人のそれはといいますと。
「ヘッドコーチが選手に暴力を振るっていたよ」
「九連覇の時にエースだった」
「その人がだよね」
「ロッカーを整理していた人にね」
「いきなり後ろから飛び蹴りしたんだよね」
「その後も何度も殴って」
「こんなことは言語道断だよ」
先生は完全に否定しました。
「間違ってもだよ」
「やったらいけないね」
「そんな行いだよね」
「最低としか言い様がないね」
「暴力にしても」
「まずだよ」
先生はこの事件について皆にお話しました。
「何かのペナルティで僭主の人達を雨の中グラウンドでランニングさせたんだ」
「最初からね」
「どうかってなるよね」
「その時点でね」
「雨の日に走ってもね」
「ちゃんとしていないと風邪ひくよ」
「雨を弾くものを着ないと」
「それで自分はだよ」
この人自身はというのです。
「球場の中の食堂にいたんだ」
「そうだったよね」
「それでマスコミの人達とお喋りしていたね」
「見守りもせず」
「勿論自分も走りもせず」
「これで自分も走るならね」
それならというのです。
「いいけれどね」
「まだね」
「そうならいいね」
「それこそ」
「それならね」
「そう、けれどね」
それでもというのです。
「この人はそんなことをして」
「それでだよね」
「自分だけはだったね」
「そんなことをして」
「選手で怒った人がいたね」
「その人がロッカーで暴れて」
そうしてというのです。
「別の人がそのロッカーを整理していたんだ」
「そうしたらその人が荒らしたと思って」
「後ろから飛び蹴りだね」
「話も聞かないで」
「それも背中から」
「しかもそこから何度も殴ったから」
そうしたからというのです。
「全く以て最低だよ」
「本当にそうだね」
「立派な暴力だね」
「紳士は暴力振るわないよ」
「絶対に」
「ロッカーで暴れることも暴力で」
そうであってというのです。
「もっと酷いよ」
「そのヘッドコーチがしたことは」
「いきなりお話も聞かないで後ろからだから」
「暴力の中でも最低だね」
「不意打ちみたいなものだよ」
「かつての日本軍も暴力はあったよ」
先生はお話しました。
「体罰でね」
「何かあると殴ったよね」
「昔の日本軍ってね」
「鉄拳制裁だね」
「そのことでも有名だったね」
「精神注入棒もあってね」
こうしたものもというのです。
「本当にね」
「暴力が普通だったね」
「かつての日本軍も」
「そうだったね」
「実際に」
「けれどその日本軍でもまずは行うと言ったよ」
殴る相手にというのです。
「目を瞑り歯を食いしばれって言って」
「それで殴ったね」
「確かに暴力を振るったけれど」
「そう言ってだったわね」
「何故殴るかも言って」
そうもしてというのです。
「正面からだったよ」
「殴る理由も言って」
「事前に気構えもさせて」
「それからだったね」
「いきなり後ろからの暴力はかなり悪質だよ」
先生は今度はスコーンを食べました、そのうえでお話します。
「訳も聞かないでね」
「この人後で監督になったけれど」
「大失敗したね」
「最低の監督って言われてるね」
「実績はゼロどころかマイナスの」
「そうなったのも当然だよ」
先生は断言しました。
「こんな人に誰がついていくか」
「慕うか」
「人望がある筈ないよ」
「指導者の資格ないよ」
「到底ね」
「だから大失敗してね」
そうなってというのです。
「無能と言われているよ」
「実際にそうだしね」
「この人無能だよね」
「そのことだけでもわかるよ」
「私達だってね」
「そして今もね」
監督として無能と評価されてもというのです。
「随分居丈高に言ってるよ」
「過去の栄光にしがみついてるんだね」
「エースだった頃のそれに」
「それも巨人っていう昔は強かったチームの」
「それだけの人だね」
「また言っていることが全く不勉強で時代遅れで」
そうしたものであってというのです。
「今の野球のものじゃないよ。この人はエースは馬鹿では務まらないって言ったけれど」
「少なくともこの人は違うね」
「例外ね」
「言った本人さんがね」
「そうなっているね」
「そう、だからね」
それでというのです。
「私はこの人を全く評価していないよ」
「評価するところないね」
「何一つとして」
「昔はエースだったかも知れないけれど」
「今はね」
「その通りだよ」
こうしたことを言う先生でした、そしてです。
皆と暴力を否定的にお話していきました、先生はそれからも小学生の子達に楽器の使い方やオーケストラの在り方を教え練習を見ましたが。
「好評です」
「そうなのですね」
「とてもわかりすく教えてくれて」
教授は先生にお話しました。
「しかもそれぞれの子が上達している」
「いいものだとですか」
「とてもです」
こう言っていいまでにというのです。
「好評です」
「それは何よりですね」
「はい、そして」
そうであってというのです。
「本当にわかりやすいとです」
「私の教え方はですか」
「評判です」
「このことも本当にです」
先生は教授とホールでお話します。
「気を付けていまして」
「わかりやすい様にですね」
「教える人達と向かい合って」
そうしてというのです。
「教えさせてもらっています」
「向かい合ってですね」
「黒板に公式を言いながらそれを書いてもです」
数学に例えてお話するのでした。
「教わる人達はわかるか」
「わからないですね」
教授も答えます。
「それはただ言っているだけで」
「教えていないですね」
「それではです」
そうしたものならというのです。
「教わる人も困ります」
「左様ですね」
「人を教えるのですから」
「人に言わないと駄目です」
「それを黒板に向かって言うだけでは」
「理解される筈がありません」
「公式を書いてそれを言ってるだけがです」
先生にさらにお話します。
「授業ではない、いえそれはです」
「授業ですらないですね」
「ですがそれがわかっていない教師が多いです」
「日本ではそうですね」
「それで何十年も教師をしているのなら」
「酷いことです」
先生は眉を曇らせて答えました。
「全く以て」
「左様ですね」
「はい、日本の公立学校では先生は公務員ですね」
「ですから相当な不祥事を犯さない限り責任を問われません」
「しかもその不祥事も隠蔽されることが非常に多いですね」
「学校は閉じられた世界ですから」
「不祥事を隠蔽しやすいです」
そうした問題点が存在するというのです。
「それで、です」
「不祥事を犯す先生も残って」
「何の努力も竹刀無能な教師なぞ」
「普通に問題とされないですね」
「生徒の人に授業がわからないと面と言われても何年も改善しない」
「出来ないというよりですね」
「わかっている筈だとそれを自覚もしない」
自分の授業が生徒に理解されていないとです。
「そして努力もしない」
「真の無能ですね」
「はい、そうした無能な教師問題のある教師がです」
こうした人達がというのです。
「処分されず残るので」
「何十年も教育の世界にいますね」
「しかもそこに極端な思想も入ります」
「あの、流石にです」
先生は困ったお顔で言いました。
「北朝鮮の教育が理想とは」
「恐ろしいことですね」
「そうした考えの人が先生としていますと」
「生徒に何を言うのか」
「わかったものではありません」
「はい、ですから」
教授もそれでと答えます。
「日本の教育は問題が多く」
「その問題が改善されないままですね」
「腐敗していると言いますと」
「まさにそうですね」
「そうとしか言えません」
こう先生にお話します。
「無論他の国の教育も問題があります」
「そうですね」
「アメリカの教育も見ますと」
この国のというのです。
「州によりますが小学校の段階でまともなことを教えていない」
「そうしたレベルですね」
「ですから容易にです」
「衆愚政治に陥りますね」
「そしてとんでもない人を選挙で当選させます」
「そうした人達に騙されて」
「そして国全体がおかしなことになります」
そうなるというのです。
「アメリカもそうです、そして欧州も留学した時も見ましたが」
「問題がありますね」
「ですが日本の教育は先生の質がです」
まさにそれがというのです。
「問題でして」
「どうにかしないといけないですね」
「設備やシステムはいいのですが」
それでもというのです。
「教える人のレベルがです」
「酷いですね」
「冗談抜きにヤクザ屋さんになるしかないか」
「全く努力しない人がなりますね」
「そうした世界になっています」
日本の教育の世界はです。
「まことに問題が多いです」
「そう言うしかないですね」
「この学園は教育者も教育を受けまして」
「チェックもですね」
「ですから問題のある先生は非常に少ないですが」
「他の学校はそうはいかないですね」
「どうしても。ですが何とかです」
先生に確かな声でお話します。
「改善しようと考え動かないとです」
「どうにもならないですね」
「自分で考え動くものですね」
「それが民主主義で世の中です」
先生は確かな声で答えました。
「まさに」
「その通りですね」
教授も確かな声で答えます。
「ですから何とかです」
「日本の教育の現状を変えていく為にですね」
「声をあげてきましたし」
「これからもですね」
「そうしていきます、改善の仕方もです」
解決案もとです、教授は先生の小学生の子達への教育の仕方を見てからこうしたことを言いました。
そして先生は教授が帰った後でまた学問に励みます、音楽の論文なので楽譜を読んでいますが皆はその楽譜を読んで言いました。
「日本の音楽ってイタリア語だよね」
「イタリア語で教えてるよね」
「クレッシェンドとかソプラノとかね」
「用語もイタリア語だしね」
「そう、明治維新から近代教育をはじめてね」
先生は皆にその時からとお話します。
「それからだよ」
「イタリア語だよね」
「欧州の音楽でもイタリア語強いけれど」
「日本は特に強いね」
「音楽の世界では公用語扱いよ」
「そうだからね」
それでというのです。
「普通にそうなってるよ、ただね」
「ただ?」
「ただっていうと?」
「ヘルデンテノールってあるね」
先生は皆にこの言葉を出してお話しました。
「ワーグナーさんのテノールだけれど」
「ああ、あの人の作品に出るね」
「独特のテノールね」
「声域が普通のテノールより低い」
「それでいて輝かしく歌うね」
「物凄く難しいんだよね」
「テノールでも滅多にいない声域だけれど」
それでもとお話する先生です。
「ヘルデンはイタリア語じゃないね」
「ドイツ語だね」
「それを使ってるね」
「ドイツ語で英雄的っていうとヘルデンになって」
「所謂英雄的なテノール」
「そうなるね」
「そう、ドイツ語が入る場合もあるよ」
日本のクラシック音楽はというのです。
「時としてね」
「そこはイタリア語じゃないね」
「そうした場合もあるね」
「イタリア語とドイツ語は違うからね」
「言語の体系からね」
皆でお話します。
「ドイツ語は英語に近いよ」
「イタリア語は元々ラテン語だからね」
「フランス語やスペイン語に近いよ」
「もうお互い普通に通じる位にね」
「そうしたこともあるよ、ただね」
先生はここで少し苦笑いになってお話しました。
「日本語は明らかに欧州のどの言語とも違うからね」
「違うにも程があるね」
「文法も文字もね」
「文字は三種類あるし」
「単語ごとに分かれていないし」
「発音は桁外れに複雑だし」
「物凄く独特な言語だよ」
「その日本語の世界にイタリア語を入れると」
音楽の世界にというのです。
「翻訳でも難しいね」
「日本語が独特過ぎてね」
「日本語って普通に難しいにも程があるし」
「悪魔の言語って言われる位あるよ」
「日本語だけ違うって感じがするからね」
「中国語は何だかんだで文字は漢字だけでね」
こちらの言語はというのです。
「発音も方言はあっても日本語よりかなりわかりやすくてね」
「文法欧州の言語と同じだからね」
「実はわかりやすいんだよね」
「漢字覚えたらいいからね」
「漢字は確かに多いけれど」
「漢字が多くても漢字だけで」
中国語はというのです。
「覚えやすいね」
「発音一種類だしね」
「日本語みたいに音読み訓読み訓読読みってないし」
「これでもかと違和感あるとか」
「特に文法が英語やイタリア語と同じだからね」
「私も学んでずっとわかりやすかったよ」
中国語の方がというのです。
「そしてそれはね」
「音楽でも同じだね」
「日本だと色々翻訳でも難しいけれど」
「中国だとここまでじゃないんだよね」
「つくづく日本語は難しいわ」
「音楽の世界でもね。日本人にとっては普通でも」
それでもというのです。
「私達から見るとね」
「難しいね」
「どうしても」
「心から思うわね」
「私もね、それと」
先生はさらに言いました。
「さっきお話したヘルデンテノールは本当に難しい役だよ」
「滅茶苦茶独特なテノールだからね」
「バリトンに近い声域なのよね」
チープサイドの家族がお話します。
「それでいて輝かしい声で歌う」
「だから難しいんだよね」
「ワーグナーさんの音楽も独特で」
それでと言うトートーです。
「歌うには難しいとされているけれど」
「ヘルデンテノールは特になんだよね」
ガブガブもいいます。
「先生前に言ってたね」
「だからそうはいないんだよね」
老馬も言うのでした。
「ヘルデンテノールの人は」
「クラシックの世界で五人位とかなんだよね」
ホワイティは考えるお顔でお話しました。
「確かなヘルデンテノールの人って」
「だからいつも稀少で」
「ワーグナーさんの作品の上演も難しいっていうね」
オシツオサレツは二つの頭で言います。
「他の人の作品よりも」
「そうだっていうし」
「よくそんな声域考えたわ」
ポリネシアはしみじみとした口調でお話しました。
「ワーグナーさんは」
「この人も凄い音楽家だったけれど」
チーチーはポリネシアに続きました。
「よくそんなの考えたものだよ」
「しかもあの人の殆どの作品に出て」
それでと言うダブダブでした。
「主役なのよね」
「しあかもワーグナーさんの作品って長いんだよね」
ジップはこのことについて言及しました。
「普通歌劇って二時間か二時間半だけれど三時間以上普通にあるし」
「だから本当に難しいんだ、主役の中でも出番が多いしね」
「主役といっても出番に程度あるしね」
「中には影の薄い主役もいるね」
「日本の漫画でも時折あるね」
「影の薄い主役ってね」
「けれどワーグナーさんの作品は違うね」
この人の作品はというのです。
「よく歌劇でなく楽劇って呼ばれるけれど」
「その楽劇がね」
「長い作品が多いね」
「そして主役の出番が多いんだよね」
「出ずっぱりっていう位に」
「体力も必要でね」
そうであってというのです。
「本当に物凄く数が少ないんだ」
「ヘルデンテノールの人はね」
「どうしてもね」
「クラシックの世界でも稀少で」
「作品の上演にも影響しているね」
「そうだからね」
それでというのです。
「私もよく考えたって言うよ」
「本当にそうだね」
「ワーグナーさんはね」
「革命みたいだね」
「そう言っていいね」
「うん、そして」
そうであってというのです。
「今日本にいるかな」
「どうだろうね」
「日本にヘルデンテノールの人いるかな」
「果たして」
「どうなのかな」
「いてくれたら嬉しいね」
こうお話するのでした、そして今回大学のオーケストラが演奏する音楽の中にワーグナーさんの曲はといいますと。
「一曲入ったね」
「ローエングリンね」
「第一幕前奏曲」
「教授さん入れたね」
「これはいい曲だよ、前にアドルフ=ヒトラーが音楽に造詣があったって言ったけれど」
またこのお話をする先生でした。
「ワーグナーさんの曲が大好きだったんだ」
「先生そのこともお話してくれたね」
「あの人はワーグナーさんの曲が大好きだってって」
「そうね」
「特にローエングリンが好きで」
この作品がというのです。
「自分の本にもはじめて聴いた時の感動を書いているよ」
「我が闘争だね」
「あの本で書いているのね」
「ローエングリンを聴いて感動したって」
「それで生涯ワーグナーさんの曲が好きで」
「特にローエングリンがお好きだったのね」
「そうだよ、この作品はルードヴィヒ二世も好きだったんだ」
この人もというのです。
「バイエルンの王様だったね」
「ワーグナーさんを助けた」
「その活動を全面的に支えた王様だね」
「あちこちに立派なお城や宮殿を建てたね」
「物凄い美形の王様だったわね」
「狂王と言われたけれど違ったんだ」
この人はというのです。
「ただ繊細で純粋な人だったんだ」
「そうだったね」
「先生その人のこともいつも言ってるね」
「おかしくなんかなかった」
「そうした人だったって」
「科学の発展を望んで芸銃と平和を愛してね」
そうであってというのです。
「政治的にも確かな識見があった」
「そんな人だったね」
「おかしくなんかなくて」
「あちこちに築いたお城や宮殿が今はドイツの観光資源になっているし」
「同性愛もね」
この人のこのこともというのです。
「この人は心は女性だったんじゃないかなって私は考えているよ」
「そう言えば女性的よねあの人」
「言われてみると」
「お姿は長身の美男子だったけれど」
「どうもね」
「だから女性を愛せなかったのかもね」
そうだったのではないのかというのです。
「心は極めて女性的だったせいでね」
「そうかもね」
「あのお城だって女性的だしね」
「何かそんな感じがするわ」
「先生の言う通りに」
皆もお話します。
「あの頃は今より戦争がずっと多くて」
「ドイツも統一される中で沢山戦争したわね」
「ビスマルクさんが首相だったプロイセンが中心になって」
「デンマークやオーストリアやフランスと戦ったよ」
「その中で戦争を好まないでね」
ルードヴィヒ二世はというのです。
「平和を愛してね」
「戦争を避けようともしたね」
「特にプロイセンとフランスの戦争は」
「日本じゃ普仏戦争って言うわね」
「あの戦争の時はね」
「普墺戦争でも軍隊を動かさなかったよ」
この人はというのです。
「オーストリアについたけれどね」
「それでもそうしてね」
「オーストリアと一緒に負けてもね」
「犠牲者は出さないで」
「プロイセンも賠償は然程求めなかったね」
「そうだったね」
「これは政治的な判断でもあって」
この王様のというのです。
「そしてね」
「あの人が戦争を嫌っていた」
「そのこともあったね」
「平和を愛する人で」
「そうした人だったから」
「そうなんだ、科学の技術を戦争によりも平和に使う」
先生はお話しました。
「そうした考えの人だったんだ」
「立派だね」
「そうした人は尊敬出来るわ」
「とてもね」
「立派な人だったのね」
「狂王どころか」
「そうだったんだ、その人もワーグナーさんの音楽が大好きで」
そうであってというのです。
「愛してさえいたんだ」
「そうだったんだね」
「戦争が好きよりずっといいよ」
「物騒な人もいてやたら戦争だって言うけれど」
「しかも自分は安全な場所にいてね」
「巷でもそんな人がいるけれどね」
戦争といいますか争い自体が好きでない先生は眉を曇らせてお話しました、このことはルードヴィヒ二世と同じなのです。
「戦争をしたらどうなるか」
「言うまでもないね」
「それこそね」
「多くの血が流れるわ」
「色々なものが壊されて」
「いいものなんてないよ」
「軍隊は必要で自分の身は守るべきでも」
それでもというのです。
「無闇に戦争が好きなんてね」
「碌なものじゃないよ」
「そんな考えは」
「到底ね」
「間違っているよ」
「そうだよ、だからね」
それでというのです。
「あの人はこのことも評価すべきだよ」
「全くだね」
「戦争をしなければならない時もあるけれど」
「北朝鮮みたいに無闇に好戦的なのは駄目よ」
「ああなったらね」
「そうだよ、かつてあの国を平和勢力と呼んだ人達もいたよ」
先生は皆にこのこともお話しました。
「ソ連もね」
「どっちの国も違うよ」
「むしろ好戦的だよ」
「北朝鮮なんて実際に戦争に参加しているし」
「テロもいつもやってきたし」
「何処が平和なのかな」
「むしろかなり好戦的だよ、軍隊だってね」
こちらもというのです。
「無闇に大きいからね」
「そうだね」」
「酷い国だよね」
「好戦的と言うしかないわ」
「あんな国と比べたら」
それこそというのです。
「ルードヴィヒ二世がどれだけ素晴らしいか」
「全くだよ」
「国民の人達には人気あったしね」
「ちゃんと国民のことも考えていたし」
「そうした人だったから」
「私はあの人は今でも好きだよ」
先生は心から言いました。
「そしてワーグナーさんの音楽を愛していたこともね」
「覚えておくことだね」
「そして特にローエングリンがお気に入りだった」
「そうだったことを」
「そのローエングリンの曲も演奏されるから」
だからだというのです。
「嬉しいね」
「全くだね」
「それじゃあ聴かせてもらおう」
「そしてお子さん達に教えてもいきましょう」
「音楽をね」
「そうしようね、そして」
さらに言う先生でした。
「私達もワーグナーさんの曲を聴こうか」
「今からだね」
「そうするのね」
「研究室の中で」
「これから」
「CDがあるからね」
こちらがというのです。
「ワーグナーさんのものもね」
「序曲や前奏曲を集めたものだね」
「他には合唱曲集もあるね」
「他の色々な人のCDもあるし」
「イギリス民謡だって」
「音楽はいいものだよ」
先生は心から言いました。
「本当にね」
「そうだよね」
「じゃあその音楽を聴きながらね」
「学問を楽しもう」
「そうしていきましょう」
皆も笑顔で応えてでした。
先生はパソコンにCDをセットしてそのうえで音楽を聴きます、ローエングリンの曲を聴きつつ快適に学問を楽しむのでした。