『フィガロの結婚』




                           第三幕  婚礼の式でも

 フィガロ達との話を終えた伯爵だがそれでも自室であれこれと考えていた。白く左右に鎧や剣といったもの、それに壁には先祖や自分の妻の肖像がかけられている部屋の中を歩き回りながらそのうえで考えているのだった。
「こんな厄介なことは久し振りだな」
 歩くのを止めて言う。
「匿名の手紙に化粧部屋に小間使い。これは慌てているし」
 ここで壁にかけられてある妻の肖像を見る。実物そのものと言ってもいい程美しい。伯爵はその肖像を見てさらに考えるのだった。
「バルコニーから庭に飛び降りた男がいたかと思うと他の奴が自分だと言い出す」 
 フィガロのことである。
「少し疑えばこれは騒ぎ出す」
 まだ妻の肖像を見ている。見ているその目は決して嫌悪を見せているものではない。
「自尊心が傷付けられたと言って。しかし私の名誉はどうなるのだ」
 自分のことも思うのだった。考えれば考える程わからなくなった。ここで夫人とスザンナがこっそりと部屋に入って来た。そうして夫人はそっとスザンナに囁くのだった。
「それじゃあ御願いね」
「はい、庭でお待ちしますとですね」
「そう。言ってね」
「わかりました」
 こんな話を交えさせた後で伯爵に声をかけようとする。しかしまだ二人に気付いていない伯爵はまだ浮かない顔をして呟いていた。
「あの小僧、ケルビーノの処罰もどうしたものか。士官にするのは止めたが」
「まだ言っておられるのね」
 夫人は夫のそんな言葉を聞いてまた呟いた。
「こちらもどうなるのかしら」
「とりあえずは私が」
「そうね。まずは御願いね」
「わかっています」
 そんな話をした後でまず夫人はそっと部屋の隅の鎧の裏に隠れる。スザンナはそのうえでそっと伯爵に近付こうとする。だがここで伯爵はまた囁くのだった。
「それにしてもあのことの裁決だな」
「マルチェリーナとの婚約の話ね」
 スザンナはすぐにその裁決が何かを察した。
「それなのね」
「それもだが」
「どうされるおつもりかしら」
「あ奴を懲らしめる為だ。ここはやってやるか」
「本当にまずいわね。これは」
 意を決したスザンナは一旦入り口まで戻った。そうして入る動作をしてからそのうえで伯爵に対して一礼してから声をかけたのだった。
「伯爵様」
「スザンナか」
「はい」
 わざとにこりと笑って一礼してみせてきた。
「御機嫌が宜しくないようで」
「一体何の用だ?」
「奥方様のことですが」
「むっ!?」
 また妻の肖像を一瞬だが見ることになった。そのうえでスザンナに顔を戻す。
「あれのことか」
「そうです。お薬を頂きたいと」
「気が弱っているのか」
「はい。ですから」
「わかった。それではだ」
 伯爵はまずはスザンナの言葉に頷いてからまた述べた。
「持って行くといい。テーブルの側に置いてある」
「わかりました。それではすぐにお返しに」
「それには及ばぬ」
 伯爵はそれはいいとしたのだった。
「後はそなたが持っていればいい」
「私がですか?」
「そうだ」
 こうスザンナに述べてきた。
「そなたが持っているといい」
「私には必要ないと思いますが」
「それを手に入れたうえに愛しい花婿を失うことになるかも知れないのだぞ」
 真顔であるが明らかに脅しをかけての言葉であった。
「そうなった場合必要だと思うが」
「その場合はマルチェリーナさんにお返しします」
 スザンナはまずは平然と言葉を返した。
「伯爵様が私に下さると約束されたお金で」
「待て」
 伯爵は今のスザンナの言葉にぎょっとした声で問い返した。
「私がそなたに約束をしたというのか?」
「そうではないのですか?」
「そういえばそうだったか。いや」
 ここで頭が動いた。好機だと気付いたのだった。
「そうだな。それならばだ」
「何でしょうか」
「約束はしたな」
 自分で自分に言い聞かせて自分で納得してほくそ笑むのだった。
「確かにな」
「覚えておられたのですね」
「しかし。それならばだ」
「何でしょうか」
「私とても条件があるが」
「はい。わかっております」
 わざとにこりと笑ってみせたスザンナであった。
「伯爵様のお屋敷にお仕えしている以上伯爵様のお望みは私のお望みであります」
「そうか。それならばだ」
 ここまで聞いてどうしても引っ掛かるものがあった伯爵だった。
「何故今まで長いこと私を焦らしていたのだ?」
「伯爵様、女は複雑な生き物です」
「それはわかっているが」
 伯爵とてそれは認識していた。伊達に今まで生きているわけではない。
「何故今までなのだ?」
「すぐにお答えするには時間がかかります」
「ではよいのだな」
「はい。それでお時間と場所は」
「夜に庭だ」
(やったわ)
 スザンナは伯爵の今の言葉を聞いて心の中で会心の笑みを浮かべたのだった。
(向こうから言ってくれたわ。これで)
「はぐらかしたりはしないな」
 伯爵はそんなスザンナの内心に気付くことなく問うてきたのだった。
「それはないな」
「勿論です」
 スザンナはここでもにこりと笑みを作っていた。
「それはもう」
「よし。それならばいい」
 伯爵はスザンナの今までの言葉を聞いて満足した顔で笑うのだった。
「これでな」
「有り難き御言葉」
「しかしそれにしても」
 伯爵はここであらためて考える顔になった。そしてそのうえでまたスザンナに対して問うてきたのだった。
「何故今朝はあれだけ手厳しかったのだ?」
「ケルビーノがいましたので」
「それでか。まあこれで話は終わった」
 彼にとってはであった。しかも満足のいく形だったので最高であった。
「これでな。それでは夜に庭でな」
「わかりました」
 ここで伯爵は部屋を後にした。暫くはスザンナと隠れている夫人だけが残っていた。だがここでフィガロが入って来たのだった。
「あれ、伯爵様がおられないな」
「あら、フィガロ」
「それでどうして御前がいるんだい?」
 伯爵のかわりにスザンナがいるので首を傾げてしまった。
「またどうして」
「これで話は終わったわ」
「話は!?」
「ええ。貴方と私には幸せな結末が待っているのよ」
 こうもフィガロに言うのだった。
「よかったわね」
「よかった!?」
「そうよ。私にとってもね」
 こう言い終えてから部屋を後にするのだった。それから夫人もこっそりと部屋から消える。フィガロは夫人には気付かなかったがそれでもスザンナが何かを考えていることには気付いた。しかし何を考えているのかまでは気付いていなかったのだった。
「何かあったな」
 それだけはわかったがあくまでそれだけだった。だがとりあえず誰もいなくなったので彼も姿を消すのだった。こうして部屋には誰もいなくなってしまった。
 伯爵は一人廊下を歩いていた。そのうえで呟いていた。
「しかしあのスザンナの顔」
 先程の彼女の表情からあることを察したのだった。
「何かあるのか?だとするとまた罠にかかったか」
 こう感じ取ったのだった。やはり只者ではない。
「ではその場合は然ることをしよう。判決は私の思うままだ」
 呟きながら足を進めていく。
「あの男とマルチェリーナを結ばせてやるか。それがいいな」
 呟きながら考えを纏めそうしてここで機嫌をあげてきた。
「私が溜息をついている間にあの男が幸せを手に入れる。私が望んで叶わぬものを手に入れる。それはやはり腹立たしいことではある」
 フィガロに対しての言葉であった。今ここに当人はいないが。
「私を出し抜きあざむこうとするならばやり返してみせよう。尊い生まれの者としてここは復讐こそがやるべきことだ。だからこそ」
 こんなことを言いながら廊下を歩いていた。そしてその廊下のすぐ外の緑の庭ではあのケルビーノが一人の小柄で波がかった黒髪の少女と話していた。少女は黒と白のメイドの服を着ており顔は少しばかりふっくらとしていて黒い目が眩しい。笑顔がとても可愛らしい。
「それじゃあケルビーノ」
「何?バルバリーナ」
「行きましょう」
 笑顔で彼に言うのだった。
「私の小屋にね」
「君の小屋に?」
「そうよ。あの家族で住んでいる小屋にね」
 こう彼に話していた。朗らかに笑いながら。
「そこでね」
「それはいいけれど」
 ところがケルビーノはあまり晴れやかな表情をしてはいなかった。
「ちょっと。ね」
「どうかしたの?」
「うん。伯爵様がね」 
 その浮かない顔でバルバリーナに話す。
「まだ怒ってると思うから」
「伯爵様がなの?」
「とりあえず連隊に入ることはなくなったけれど」
 それはとりあえず、であった。
「けれど。それでも」
「それが不安なのね」
「うん」
 こう答えるケルビーノだった。
「だから。今はちょっと」
「そんなことで心配しても何にもならないわ」
 だがバルバリーナはこう言うのだった。
「別にね」
「何にもならないって?」
「そうよ。伯爵様よね」
「そうだよ」
 バルバリーナの言葉を受けてもまだ不安げな顔をしているケルビーノだった。
「だからまずいんだよ」
「貴方にとってまずくても私にとっては好都合よ」
 しかしバルバリーナは楽しげに笑ってこう述べるのだった。
「相手が伯爵様ならね」
「どうしてそうなるの?」
「それもすぐわかるわ。じゃあ行きましょう」
 ケルビーノの手を握ってそのうえで誘ってきた。
「私達皆で貴方を飾ってあげるわ」
「僕を?」
「そうよ。こんなに奇麗なんだから」
 ケルビーノのその少女の如き顔を見詰めての言葉である。
「だから。皆で貴方を私達と同じように飾ってあげるわ」
「僕を飾るって」
「そうして皆で奥方様にお花を捧げましょう」
「奥方様にお花を」
「さあ。だから」
 掴んだままのケルビーノの手をグイ、と引っ張ってみせた。
「行きましょう。私に任せてね」
「う、うん」
 ここはバルバリーナに引っ張られていくケルビーノだった。その上にあるバルコニーのあるあの伯爵夫人の部屋では部屋に戻っていた夫人が一人でいた。そうして昔のことを思い出しながら物思いに耽っているのだった。
「スザンナは来ないのね」
 まずはスザンナのことを想う。
「あの人とのやり取りがどうなったのか気になって仕方がない。申し出は大胆過ぎるではないかしら。それが悪いようにはならないかしら」
 そうしてさらに想うのだった。
「あの人にとっても私にとっても。それにしても」
 想いはさらに続く。
「私のこの服とスザンナの服を取り替えてそのうえで私と一緒に夜の闇を幸いにして。こんなことをしてまであの人を懲らしめないといけないのね」
 そのことが後ろめたくて仕方ないのであった。彼女にとっては。
「あれだけ愛してくれたのに、今ではスザンナの助けを得てやっとここにいる始末。あの甘く幸せに恋に生きた楽しかった日々は何処に」
 こう語るのだった。椅子にもたれかかり物思いに沈んだ愁いのある顔で。
「あの唇に交あわされた誓いは。私にとっては涙と苦しみの中で全てが変わってしまった。幸せの思い出は私の胸から去って。それでも」
 己の心をも見るのだった。今の彼女は。
「あの人への想いはそのままなのに。あの人はもう私を愛してはいないのかしら」
 こんなことばかり考えていた。だがやがて席を立ちそのうえで何処かへと去って行った。その背に深い愁いを背負い。そのうえで姿を消したのだった。
 屋敷の大広間では伯爵がマルチェリーナにバルトロ、それと自分の部下である白髪の太った男を連れていた。その前にはフィガロが置かれていた。
「ではドン=クルツィオよ」
「はい」
 伯爵はまずその白髪の男の名を呼んだ。
「判決を言うのだ」
「わかりました。それでは」
「くっ・・・・・・」
「訴訟は決定された」
 クルツィオは伯爵の言葉に頷いてから歯噛みするフィガロに対して述べるのだった。
「金を払うかそれとも早く結婚するように。そういうことだ」
「悪夢だ」
「やっとね」
 フィガロは嘆息しマルチェリーナはにこにことしていた。
「わしの人生は終わった」
「これで私の第二の幸せな人生がはじまるのね」
「伯爵様」
 フィガロは一礼してから伯爵に対して述べた。
「控訴します」
「判決は正しい」
 だが伯爵は彼の言葉を退ける。当然ながら。
「クルツィオの言う通りだ。金を払うか結婚するか」
「見事な判決だ」
「何が見事なものか」
 バルトロに対してもくってかかるフィガロだった。まだ彼は心で負けてはいなかった。
「この判決の何処がだ」
「さて、これで復讐が成った」
 バルトロもバルトロで内心ほくそ笑んでいた。
「善き哉善き哉」
「私は彼女とは結婚しません」
「それは駄目だ」
 伯爵はフィガロの言葉を突っぱねる。
「諦めるのだな」
「金を払うのかそれとも結婚するか」
 ここでまたクルツィオが言う。
「彼女があんたに貸したお金を払えればいいんだけれどね。二千ペソ」
「くっ、ここでわしの両親がいてくれれば」
「両親だと!?」
 伯爵は今の彼の言葉に目を向けた。
「まだ見つかっていなかったのか」
「十年ばかりになりますが」
 こう伯爵に対して述べるフィガロだった。
「それはまだです。ここで両親がいてくれれば助けになったのに」
「そういえばそなたは理髪師の親父に拾われたのだったな」
「いや、盗まれたのだ」
 バルトロに少しムキになって言葉を返した。
「わしはな。かつて。それで理髪師の親父さんに助けられてだ」
「盗まれただと!?」
「本当に!?」
 何故かその盗まれたという言葉に変に反応するバルトロとマルチェリーナだった。
「その証拠は?」
「あるの?」
「その盗人共がまだ赤ん坊のわしを何処かに売ろうとしたが理髪師の親父に阻まれてそのわしを置いて逃げ去った」
 このことを話すのだった。
「その時わしには金と宝石を添えて縫い取りさせてあった服を着けさせていた」
「金と宝石!?」
「まさか」
 フィガロの今の言葉を聞いてさらに驚くバルトロとマルチェリーナだった。だが周りは二人がどうしてそんなに驚いているのかわからない。
「しかもわしの右手には」
「右手には?」
「絵文字があるとか?」
「何でわかったのだ?」
 フィガロも今の二人の言葉には目を丸くさせた。
「そのことが。どうして」
「間違いないわ」
「若しかしたら」
 マルチェリーナとバルトロはここで顔を見合わせた。
「フィガロは私達も」
「うむ、間違いない」
「わしがあんた達の何だというのだ?」
「もう一つ聞くが」
 バルトロは真顔になってフィガロに対して問うてきた。
「盗人共が御前を盗んだのは何処だ?」
「お城の近くらしいが」
「やっぱりだ。間違いない」
「そうね」
 また顔を見合わせる二人だった。
「わし等の子供だ」
「ラファエロよ」
「ラファエロ!?」
 これまた周りにはさっぱりわからないことであった。
「誰だ、それは」
「聞いたこともない名前だが」
 伯爵もフィガロも首を捻る。しかしここでバルトロがマルチェリーナを指し示しながらフィガロに対して言うのだった。
「驚くなよ」
「あんたの顔の方が驚いてるんだが?」
「違う。あのな」
「ああ」
「御前の母さんだ」
 マルチェリーナを指差しての言葉であった。
「これがな」
「何の冗談だ?」
「冗談ではない」
 真顔でフィガロに告げる。
「それでこの人が」
 今度はマルチェリーナがバルトロを指差してフィガロに告げる。
「あんたのお父さんよ」
「何っ!?」
「嘘だ!」
 これにはフィガロだけでなく伯爵とクルツィオも唖然となった。
「何でそうなるんだ!?」
「両親がここで!?」
「そういえばだ」
 伯爵はここであることを思い出したのだった。
「この二人は夫婦だった」
「そうだったんですか」
「そうだ、かつてはな」
 クルツィオに対しても話す。
「しかし。今こうして息子が出て来るとは」
「しかもそれがフィガロとは」
「思いも寄らなかった」
 伯爵ですらそうであった。
「全く。何ということだ」
「まさかこんなところで出会うなんて」
「嘘みたい・・・・・・」
 バルトロとマルチェリーナもやはり唖然としている。しかしその目からは嬉し涙が溢れ出てきていた。
「息子に出会えるとはな」
「フィガロがラファエロだったなんて・・・・・・」
「お父さんにお母さん・・・・・・」
 フィガロもまた呆然としていた。
「ここで出会えるなんて・・・・・・」
 三人で静かに抱き合いはじめた。衝撃の感動の再会であった。
 クルツィオはこの光景を温かい目で見ていた。そうして伯爵に顔を向けて告げるのだった。
「伯爵様」
「うむ」
「結婚のことですが」
「わかっている」
 この話になると憮然とした顔になるしかなかった。
「親子であるな」
「そうです」
「ならばこの話はなしだ」
 当然のことであった。
「幸せの再会なのだからな」
「その通りです」
 伯爵は忌々しげにこの場を去ろうとする。しかしここでスザンナが部屋に入って来て彼に財布を差し出したうえで言うのであった。
「伯爵様、その二千ペソです」
「金か」
「はい。それですが」
「もうよい」
 彼は右手を横に振って金はいいとした。
「そんなものはな。もうよい」
「よいといいますと?」
「見ればわかる」
 こう言ってスザンナに背を向けるのだった。スザンナはこれでいよいよ訳がわからなくなってしまった。
「!?」
「私が言うのはそれだけだ」
「それだけですか」
「そうだ」
「はあ」
 とりあえず伯爵の言葉に応えながらフィガロを見る。見てその途端に怒りのボルテージを見る見るうちにあげるのだった。顔が真っ赤になっていく。
「あんな女と!」
 怒り狂ってその場を後にしようとする。しかしここでフィガロが呼び止めてきた。
「待ってくれ、スザンナ」
「知らないわ!」 
 彼に呼び止められても足を止めようとはしない。
「もう二度と会わないわ。さようなら」
「だから聞いてくれって」
「こえが返事よ!」
「おっと!」
 スザンナは振り返りざまに平手打ちを繰り出すがそれは何とか頭を引っ込めてかわすフィガロだった。本当に間一髪のタイミングだった。
「危ないじゃないか」
「ひっぱたかれないだけましと思いなさい」
 今自分が放ったことはとりあえずなかったことにしている。
「それじゃあね」
「まあまあスザンナ」
 そんな彼女に優しい声をかけて宥めてきたのはマルチェリーナだった。
「そんなに怒らないでいいのよ」
「あんたに言われたくはないわ!」
「実はね」
 怒り狂ったままのスザンナに対して優しい笑顔も向けて話すのだった。
「あんたは私の娘になるのよ」
「娘って!?」
「そうよ。あんたは私の娘で私はあんたの母親になるのよ」
 こう語るのだった。
「私がね」
「お母さん!?」
「そうよ」
「どういうことなの?」
 スザンナはここでようやく顔色を元に戻して話を聞くのだった。
「お母さんだの娘だのって」
「つまりこうなんだよ」
 またフィガロが彼女に説明してきた。
「わしの両親が見つかったんだよ」
「あの十年間探していたっていうあの?」
「そうさ。まずはお父さん」
 バルトロを指し示す。バルトロはにこやかに笑ってスザンナに一礼する。
「そしてお母さん」
「これでわかったかしら」
 マルチェリーナはあらためてスザンナに対して声をかけてきたのだった。
「話が」
「嘘・・・・・・」
「嘘じゃないさ」
 フィガロは笑ってそのスザンナの言葉を否定した。
「本当だよ。わしの両親が遂に見つかったんだよ」
「それがバルトロさんとマルチェリーナさんだったの」
「そうだ」
 伯爵は背を向けたまま忌々しげにスザンナに告げる。
「全く。世の中何が起こるかわからん」
「はあ。確かに」 
 クルツィオはまだ呆然としている。
「その通りですね」
「これで何もかもが終わりだ」
 流石にこうなっては伯爵も諦めるしかなかった。
「婚礼の時になったら呼ぶがいい」
「わかりました」
 伯爵は腹立たしげにその部屋を後にした。クルツィオも彼について場を去る。後は四人とバジーリオだけが残っていたがそのバジーリオも気を利かしてかバルトロにこう声をかけてきたのだった。
「私はこれで」
「何処に行くのだ?」
「急用を思い立ちましたので」
 右目でウィンクしてから彼に述べたのだった。
「ではこれで」
「済まないな」
「いえいえ。お気遣いなく」
 にこりと笑ってバルトロに言葉を返した。
「それでは」
「うん。それじゃあな」
 バジーリオも場を後にすると残るはよ人だけになった。マルチェリーナは四人になると早速バルトロに対して声をかけてきたのだった。
「ねえあなた」
「何だい?」
 早速よりを戻してきている。マルチェリーナはバルトロに寄り添ってきている。
「ここでフィガロが子供だってわかって」
「うむ。そうだな」
 バルトロも満面の笑顔でマルチェリーナに対して頷く。
「それでは今日は」
「ええ。婚礼ね」
「あの時は正式に結婚してはいなかった」
「忘れていたのね」
「それがそもそもの間違いだったのだ」 
 今更であるがこんな話をするのだった。
「だからだ。ここはだ」
「ええ。私達もね」
「そうするべきだ」
「それでフィガロ」
 もう完全に母親の顔になっていた。
「あのお金だけれど」
「お金?」
「あんたのものよ。息子にお金を貸す親はいないわ」
「じゃあいいのかい?」
「いいのよ。親子じゃない」
 だからいいというのだった。
「だからね。取っておいて」
「有り難う、お母さん」
「話は幸せに終わるのね」
 スザンナはもうそれを確信していた。
「よかったわ。これでね」
「さて。それではだ」
 バルトロが三人に声をかけてきた。
「早速その準備に入ろう」
「そうだね」
 フィガロが父の提案に頷いた。
「時間もないし。それじゃあ」
「急いで楽しもう」
 バルトロの今度の言葉はこれだった。
「それでいいな」
「ええ。それじゃあ」
「そうしましょう」
 マルチェリーナとスザンナがバルトロの言葉にそれぞれ頷く。こうして今二組の夫婦が生まれることになったのだった。
 スザンナはバルトロ達と別れるとすぐに夫人の部屋に向かった。そうしてそこで夫人と今までのこと話すのだった。
「そうだったの。バルトロさんが」
「はい。フィガロのお父さんでした」
 まずはバルトロのことを話していた。
「そしてマルチェリーナさんが」
「それは思いも寄らなかったわ」
 夫人ですらそうであったのだ。
「まさか。フィガロが」
「御二人がかつて親密だったのは知っていましたけれど」
「ええ。それはね」
 夫人もそれは知っていたのである。
「子供がいたのも知っていたけれど」
「それでもですか」
「想像もしなかったわ」
 これはその通りだったのだ。
「本当に。世の中不思議なものね」
「全くです」
「それでよ」
 夫人はここまで話すと話題を変えてきた。
「スザンナ。それでね」
「はい」
「あの人とはそのままね」
「はい、そうです」
 静かに夫人の言葉に応えて頷くのだった。
「夜に庭で」
「わかったわ」
 夫人はまずはそれを聞いて納得した顔になった。
「それじゃあ」
「どうされるのですか?」
「これから言うことを書いて」
 こうスザンナに言うのだった。
「これから。いいかしら」
「私がですか!?」
 スザンナは夫人の言葉の意味がわからず目をしばたかせた。
「奥方様ではなくて」
「貴女よ」
 しかし夫人はそのスザンナに対してまた言うのだった。
「貴女が書くのよ」
「またどうして」
「いいから」
 穏やかに笑ってスザンナに書くようにまだ言う。
「私の言うことを聞いて。いいわね」
「はい。それでは」
「私が責任を持つから」
「奥方様がですか」
「貴女が書いて責任は私」
 少し軽めだが知的で気品のある言葉で述べた言葉だ。
「それでいいわね」
「奥方様がそこまで仰るのなら」
「わかってくれたわね。じゃあ早速書きはじめましょう」
「それでは」
 こうしてまず書くものが用意されスザンナは夫人の机に座らされた。夫人はその側に立ってそのうえでスザンナに対して言うのだった。
「まずは」
「まずは」
「そよ風に寄せて」
「そよ風に寄せて」
 スザンナは夫人の言葉のまま書く。
「そよ風甘く」
「そよ風甘く」
「西風が吹く今宵」
「西風ですね」
「ええ」
 スザンナの問いに頷いてみせる。
「西風がいいわ。雰囲気が出るから」
「そうですね。それで庭の何処に」
「庭の森の松の木の下がいいわね」
「そこですね」
「ええ、そこよ」
 夫人は少し考えたが結局はそこにしたのだった。
「そこにするわ」
「はい。それでは」
「後は。貴女が書いて」
「わかりました。それでは」
 こうして手紙が作られた。スザンナは書き終えた手紙を丁寧に折り畳んだ。そのうえでまた夫人に対して尋ねるのだった。
「それで奥方様」
「何かしら」
「封はどうしますか」
「ああ、それもあったわね」
「はい」
 このことも夫人に告げたのであった。
「それですけれど」
「もう考えてあるわ」
 夫人はすぐに答えてきた。
「それもね」
「では封はどのようにして」
「これを使いましょう」
 すぐに側にあった空の瓶をスザンナに差し出してきた。
「この瓶をね」
「それをですか」
「ええ。どうかしら」
 瓶を差し出したうえでにこりと笑ってスザンナに問う。
「それで手紙の裏にね」
「何か書いておくのですね」
「そうよ。封印をお返し下さいと」
 少し笑ってスザンナに告げた。
「瓶だったらその字が見えるわよね」
「はい」
「だからよ」
 だからだというのだった。
「瓶を使うのは。どうかしら」
「宜しいですわ」
 スザンナはにこりと笑って夫人の案に賛成の意を示した。
「辞令の印より面白いですね」
「そうでしょ?だからよ」
「はい。それではそのように」
「御願いね。さて」
 スザンナが手紙を瓶に入れてそのうえで封をしたのを見守った。これで準備は整ったのだった。
「後は夜になるのを待つだけね」
「そうですね。では夜を楽しみに待つと致しましょう」
 こう言い合ってから部屋を後にしようとする。スザンナが手紙を懐に入れたその時にふと扉をノックする音が聞こえてきたのだった。
「どなた?」
「私です」
 バルバリーナの声だった。
「奥方様、宜しいですか?」
「ええ、よくてよ」
 夫人は穏やかな声で扉の向こうの彼女に応えた。
「どうぞ」
「わかりました。それでは」
 バルバリーナは夫人の言葉を受けてから部屋に入って来た。だが部屋に入って来たのは彼女だけではなかた。多くの可愛らしい服に身を包んだ村娘達が入って来たのだった。
 そしてバルバリーナが代表して一礼する。そうして村娘達が言ってきた。
「お受け下さい奥方様」
「このお花を」
 こう言って夫人に花を差し出してきたのだった。
「是非貴女様にと思いまして」
「持って参りました」
「この花を私になのね」
「はい」
 皆にこりと笑って夫人に答える。
「その通りです」
「今朝摘み取ってきました」
「有り難う」
 夫人はその花を受け取ってから気品のある笑みで返す。彼女の手には花が溢れんばかりとなった。
 彼女がそれを受け取ったのを確かめてから。バルバリーナがまた言ってきた。
「如何でしょうか。この贈り物は」
「この上ない贈り物よ」
 これは彼女の心からの言葉だった。
「どうも有り難う」
「はい、どうもです」
「ところで」
 ここでスザンナがふと言ってきた。
「この娘は?」
 村娘の中の一人に気付いたのだった。スザンナは気付いてはいなかったがそれはケルビーノだった。村娘達の中に紛れ込んでいるのだ。
「遠慮がちなこの娘は」
 ケルビーノはスザンナの声を受けて娘達の中に隠れた。だがここでバルバリーナが出て来てさりげなく彼をフォローするのだった。
「私の従妹です」
「従妹なの」
「はい、そうです」
 こういうことにするのだった。
「結婚式を祝う為にこちらに来まして」
「そうだったの」
「お屋敷の娘達もいるわね」
 夫人は村娘達を見てこのことに気付いた。
「ところで」
「はい」
 バルバリーナが夫人の言葉に応える。
「そちらの娘だけれど」
 彼女もまたバルバリーナを見ていた。
「まだ花を持っているわね」
 今度はそのことに気付いたのだった。
「ここに来て。そして貴女の花を頂戴」
「わかりました」
 何とか女の子の声を出してそれに応える。ケルビーノはおずおずと夫人の前に進み出る。夫人は彼の顔を見てふと思ったのだった。
「ねえスザンナ」
「何ですか?」
「この娘だけれど」
 夫人はスザンナに声をかけて言うのだった。
「誰かに似てないかしら」
「あっ、そういえば」
 スザンナも伯爵の言葉で気付いた。
「何処かで見たような」
(まずいよ)
「まずいわね」
 ケルビーノもバルバリーナもこの展開に肝を冷やす。しかし二人が気付く前に伯爵とアントーニオが慌しく部屋に入って来た。アントーニオがケルビーノの帽子を荒々しく取って言うのだった。
「えっ!?」
「ケルビーノ!?」
「まだ処罰をしないとは言っていない筈だがな」
 伯爵はその女装しているケルビーノを見据えて言った。
「全く。何をしているかと思えば」
「ケルビーノだったなんて」
「そういえばそっくりだったけれど」
 夫人もスザンナもこれには言葉がなかった。二人にしてもまさかの展開だったのだ。伯爵は今度は夫人に顔を向けて言うのだった。
「これは何の遊びだ?」
「私も驚いているのですが」
「全く。しかしだ」
 とりあえず妻のことはよしとしてまたケルビーノに顔を向けた。そうして厳しい、威圧感のある声で彼に対して言うのだった。
「最早勘弁ならん。処罰はだ」
「お許し下さい」
「ならん。今言い渡す」
 こうした場合において彼が考えられる限りの極めて重い罰を与えようとした。しかしここでバルバリーナがそっとケルビーノを守るようにして伯爵の前に進み出て来たのだった。
「お待ち下さい、伯爵様」
「バルバリーナか」
「はい。ケルビーノをどうかお許しになって下さい」
「許せというのか?」
「その通りです」
 にこりと笑いそのうえで頭を垂れての言葉であった。
「どうか。ここは」
「それはならん」
 彼女の頼みも退けようとする。しかしであった。
「伯爵様はいつも仰っているではありませんか」
「私が何をだ?」
「人は些細なことは許さなくてはならないと」
 このことを言うのだった。
「仰っていますよね」
「それはその通りだ」
 伯爵もそれは認める。
「人は些細なことでいちいち怒っていてはならない。寛容の心が大事だ」
「それでは今も」
「今は些細なことではない」
 こう言ってそれを退けようとする。
「この者の悪戯ときたらそれこそだ」
「それでは処罰されるのですね」
「その通りだ」
 今度ばかりは彼も引こうとしない。
「何としてもだ。わかったら下がれ」
「それではその処罰ですが」
 しかしバルバリーナも引かない。にこりと笑ったままであるがそれでも伯爵を前にして一歩も引かないのであった。
「誰かのものとするというのはどうでしょうか」
「奴隷か?」
「そんなところです」
 微笑んで述べてみせた。
「そうです。ケルビーノを私に」
「そなたにか」
「そうです。私の奴隷に下さい」
 こう言うのだった。
「私のお婿さんに。如何でしょうか」
「それでいいのではなくて?」
 夫人はすかさずこのタイミングで夫に告げた。
「処罰はそれで」
「ううむ」
「何とまあ」
 アントーニオは己の娘の今のやり取りを最後まで見聞きしたうえであらためて感嘆の言葉を漏らした。
「頭の回る娘だ。何だかんだで婿を手に入れたわ」
「参った」
 伯爵はまたしても呻くだけになってしまった。
「こうなっては。私も」
「寛容ですわね」
「その通りだ」
「それでは今度は」
 完全にバルバリーナのペースであった。
「寛容な処罰を」
「わかった」
 遂にそれを認めたのだった。バルバリーナはケルビーノを抱き締めて喜び伯爵は憮然とするしかなかった。伯爵にとってはまたしても納得のいかない結末になってしまった。
「あっ、こちらでしたか」
 伯爵がバルバリーナの言葉を受けるしかなく困っていると今度はフィガロがやって来た。そうして一礼してから明るい声で言ってきた。
「伯爵様、この娘達ですが」
「どうしろというのだ?」
「ここは残ってもらって宴の歌や踊りに」
「はい、そのつもりで参りました」
「宜しく御願いします」
 娘達も笑顔でフィガロに応える。これでこの話も決まったかと思われたが伯爵がここでフィガロに対していぶかしむ顔で問うたのだった。
「待て」
「何でしょうか」
「踊るのだな」
「はい、そうですが」
「そなたもか?」
 目は思いきり怪しむものであった。
「そなたも踊るのか?」
「それが何か?」
「くじいた足でか」
 先程の話を忘れていなかったのである。
「その足で踊るのか」
「はい、そうですが」
 足をまっすぐにしてみせてから踊りの仕草をしてみせるフィガロだった。
「それが何か?」
「くじいた足で踊れるのか?」
「そうだったわ」
 夫人は話を聞いていてこのことを思い出したのだった。
「フィガロ。さっき言い繕って」
「奥方様、御安心下さい」
 しかしここでまたスザンナが彼女にそっと囁いて安心させる。
「フィガロは切り抜けられますわ」
「けれどあの人もあれで結構鋭いから」
 夫のことはよくわかっていた。伊達に夫婦ではない。それで不安だったのだがそれでも。フィガロは充分に伯爵と渡り合っているのだった。
「運がいいことにですね」
「ふむ。運の女神がそなたに味方したのだな」
「はい。下の土が柔らかくて」
「鉢の上だけでなく花壇の上にも落ちたのか」
「花達には気の毒なことをしました」
「アントーニオに謝るようにな」
「まことに申し訳ありませんでした」
「お花と鉢の分は弁償してもらうからな」
「それはどうも」
 とりあえずこの話はこれで終わりだった。しかしであった。
「もう一つある」
「もう一つですか」
「そうだ。あの辞令だが」
「ケルビーノのですね」
「そうだ」
 フィガロに応えながらケルビーノをじろりと見るのだった。
「この悪戯坊主のな。何故そなたのポケットに入っていたのだ?」
「それですか」
「この者ではないのか?」
 まだバルコニーのことを言っているのだった。
「本当は」
「ケルビーノがそう言っていますか?」
 フィガロは今度はこう彼に問うてきた。
「それは」
「言っている筈がなかろう」
 伯爵は憮然として彼に言葉を返した。
「その様なことはな」
「私が飛び降りたとすればです」
 またフィガロは機転を利かしてきた。
「ケルビーノにも同じことができます」
「この者にもか」
「違わないでしょうか」
 また誤魔化すようにして伯爵に問い返す。
「それは。私は自分が知らないことに異議を挟んだことはございせん」
「では果たして誰が飛び降りたのだ?」
「ですから私です」
 このことは相変わらずこういうことにするのだった。
「それは御安心下さい」
「こうした場合のそなたには安心できん」
 伯爵はここでもフィガロに対して引かない。
「大体何故辞令があった?」
「偶然です」
「偶然だというのか」
「そうです。たまたま拾いまして」
 こういうことにしてしまうのだった。
「伯爵様が何処かで落としたものかと」
「私の失態だというのか」
「それは未然に防がれました」
 露骨に自分の手柄にしてしまおうとする。
「よいことですね、これは」
「しかしケルビーノは?」
 アントーニオはまだそこにこだわっていた。
「いたのではないのか?バルコニーに」
「ですからそれはわしだと」
 フィガロは彼には強引に言い繕う。
「ケルビーノはほら。こうしてあんたの娘と一緒にいるな」
「それはそうだが」
「それが証拠だ。やはりバルコニーにはいなかった」
 このことはこういうことにしてしまった。
「それで話はわかったな。よかったな」
「わかったようなわからなかったような」
「そうした場合はわかるのだ」
 フィガロの理屈はこれまた実に無茶なものだったが何故か説得力がある。
「わしがバルコニーから飛び降りた。そして足はもう無事だ」
「そうなるのか」
「そうだ。さて」
 ここで遠くから行進曲が聞こえてきた。
「いよいよですぞ」
「婚礼の式か」
「はい、そうです」
 伯爵に対して恭しく述べる。
「では今から」
「わかった。それではな」
「さあ。スザンナ」
 フィガロは傍らにいるスザンナににこやかに笑って優しい言葉をかけた。
「行こうか。今から」
「ええ。それじゃあ」
「私達も御一緒させてもらいます」
「それでは」
 バルバリーナやケルビーノ、村娘達がそれに続く。こうして彼等は婚礼の場である屋敷の庭の広場に向かう。後には伯爵と夫人だけが残った。
「完全にあの者の調子だったな」
「やれやれだわ」
 二人はそれぞれ己の心境を吐き出していた。伯爵は憮然としたままで夫人はほっと胸を撫で下ろしている。本当にそれぞれである。
「全く。調子のいい男だ」
「冷や汗どころではなかったわ」
「それでだ」
 伯爵はとりあえず妻に声をかけた。
「これからだが」
「式に向かいましょう」
 夫人はこう夫に告げた。
「もうすぐ二組の式がはじまりますから」
「そうだな。もうすぐだな」
「彼等を迎えてあげましょう」
 穏やかでかつ気品のある声でまた夫に告げる。
「是非」
「うむ。わかった」
 とりあえず妻の今の言葉には頷く。そうして二人も腕を組み合って式に向かう。二人が広場に着いた時にはもう準備はできていて伯爵のリョウチの猟師や農夫、娘達に子供達が集まっている。老若男女が皆いるような感じだった。皆二人の到着に言葉をあげた。
「伯爵様、ようこそ」
「奥方様も」
「うむ、皆元気そうで何よりだ」
 伯爵は領主としての威厳と寛容さを出しながら彼等の挨拶に応えた。
「それでは今よりだ」
「はい、はじめましょう」
「婚礼の式を」
 こうして式がはじまるのだった。娘達がそれぞれ花嫁の帽子やヴェール、手袋に花束を用意しており中央にはフィガロとスザンナ、それにバルトロとマルチェリーナがいる。彼等は皆奇麗に着飾り多くの者が集まっている。その彼等を祝う為にケルビーノもバルバリーナもいる。当然バジーリオやクルツィオ、アントーニオといった面々もだ。皆笑顔でそこにいた。
「さあ貞節な恋人達よ」
「名誉を守る人達よ」
 娘達は祝福の歌を唄う。
「この徳高い伯爵様」を讃えましょう」
「人を辱めるような忌まわしい権利を完全に消し去った伯爵様を」
「今ここで」
 この歌が終わると皆踊りに入った。フィガロはスザンナと共に二人で明るく踊る。しかし彼女は踊りながら夫人と共に踊っていた伯爵に近付くとそっと何かを懐に入れておいた。その時にさりげなく流し目を送るのも忘れてはいなかった。僅かな瞬間だがやるべきことはやったのだ。
「ふむ」
 伯爵は彼女が懐に何かを入れたのを感じながらほくそ笑んだ。
「そういうことか」
 踊りは終わり祝いは続く。伯爵はその間己の席において懐に手を入れそこから瓶を取り出していた。勿論手紙の裏の文字も見ている。
「恋文か?」
 当然ながらフィガロもそれに気付いている。
「また誰だろうな」
「誰かしらね」
 スザンナはここでは知らないふりをするのだった。その素振りのまま笑うだけだ。
「それにしても伯爵様も」
「ええ」
「ナルシスは今上機嫌ってわけだ」
「それではだ」
 伯爵は手紙をこっそりとしまうと式が終わったのを見届けたうえで皆に対して告げた。
「今宵は私がもてなさせてもらおう」
「おおっ」
「流石伯爵様」
「やっぱり気前がいい」
 彼は気前のいい領主としても有名なのである。何だかんだと言って中々いい領主として知られている。少なくとも愚かでも邪でもないのは間違いない。ただ女好きの傾向があるだけだ。それだけである。
「絢爛豪華な婚礼の祝宴を用意しておいた。歌に花火」 
 まず箱の二つだった。
「美酒に美食、舞踏会」
 どれも贅沢とされるものである。
「皆私のもてなしを受けてくれ。さあ、皆でな」
「はい、是非共」
「皆、伯爵様のもてなしを受けよう」
「ああ、是非共な」
 こうして皆伯爵をたたえるのだった。その中で伯爵とスザンナは目を合わせて笑い合っていた。だが伯爵はここでは気付かなかった。スザンナはそれよりも前に、それよりも後にも彼女と目を合わせて目だけで笑い合っていたことを。それには気付かなかったのだった。


フィガロのピンチだと思ったけれど、まさかの展開で無事に切り抜けることができたな。
美姫 「本当にね」
まさか親子の再会になるとは。
美姫 「でも、そんな中で伯爵だけは」
あははは。
美姫 「それでは、この辺で〜」



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