『仮面舞踏会』




               第四幕 決意


 あの破滅の夜から一夜明けた。アンカーストレーム伯爵とその妻は自宅の書斎にいた。伯爵の書斎である。
 内装は質素であるが書物は豊富にあった。様々な国の書物が置かれ、政治や軍事に関するものがその殆どを占める。頑丈そうな樫の木の机とテーブルの前に夫婦はいる。その壁には巨大な絵画がかけられていた。二人はそれを背にして話をしていた。
「裏切りの罪は償わなくてはならない」
 夫は怒りに燃える声で妻に言った。
「わかっているな。それは」
「・・・・・・はい」
 夫人は青い顔をして頷いた。罪のことは彼女もわかっていた。
「裏切りの償いは血によって償われる」
 彼は言葉を吐き出す様にして言う。
「選ぶがいい。自ら償うか。それとも」
 言いながら腰にある剣を引き抜く。
「私が償わせるか。どちらだ」
「私は」
 妻は青い顔で夫に答えた。
「自分で全てを決します」
「そうか」
 彼はそれを聞き剣を収めた。そして冷たい声で宣告した。
「ではすぐに償うがいい。毒は用意してある」
「はい。ですが」
「怖気づいたのか」
「いえ」
 妻は首を横に振った。そしてようやくその顔をあげた。
「最後にお願いがあります」
「わかっていると思うが命乞いはするな」
 夫は冷たい声で言い放った。
「貴族の妻として。わかっているな」
「はい。ですが最後に母としてのお願いです」
 彼女は言った。
「最後に・・・・・・我が子に合わせて下さい」
「息子にか」
「はい」
 彼女は青い顔のまま頷いた。二人の間に生まれたただ一人の息子である。まだ幼い息子である。
「我が子を。最後に抱き締めさせて下さい」
 こう懇願した。86
「この胸に。そして最後の別れを」
「最後のか」
 伯爵の声も沈痛なものとなっていた。その子は自身の子でもあるのだ。
「お願いです」
「わかった」
 彼はそれに応えると同時に妻に背を向けた。そして扉を指し示した。
「行くがいい。そして会うのだ」
「はい」
「そして自分でその罪を清めよ。よいな」
「わかりました」
 夫人は力ない足取りで部屋を後にした。まるで死霊の様に音もなく。そして不吉な音と共に開かれた扉が閉まった。後には伯爵だけが残った。
「全ては壊れた」
 彼は沈痛な声で呟いた。
「何もかも。だがまだ私にはしなければならないことがある」
 今度は妻が去った閉じられた扉に背を向けた。そして部屋の中を歩きはじめた。
「私は討たなければならない」
 彼は言う。
「それは妻ではない。そして罪は妻の血で償わなければならないものでもない」
 冷静になってきた。そのうえで言う。
「他の者の血が必要だ。それは」
 ここで顔を上げた。
「御前だ!」
 彼は叫んだ。
「御前の血が罪を清めるものなのだ!」
 後ろに掛けられていた絵画を怒りに満ちた目で見ながら言う。その絵は王の肖像画であった。誇り高い顔をし、立派な服装に身を包んだ王がそこにいた。そして伯爵を慈愛に満ちた顔で見下ろしていた。だが今彼はそれを怒りに燃えた目で見据えていたのであった。
「御前か、彼女の心を汚したのは。私の愛する妻の心を汚したのは」
 彼は怒りと憎しみに燃えた声で言った。
「私を信頼していると言いながら毒を盛った。友情に対する報いがそれなのか」
 言葉を出す度に怒りが燃え盛っていく。
「妻は失われた、貴様の手によって」
 言いながら椅子に向かう。
「あの幸福な日々も清らかな思い出も。今の私にあるのは憎しみと怒りだけだ」
 そう言いながら椅子に崩れ落ちる。そして沈痛な顔で下を見詰めるだけであった。
 暫くして扉をノックする音が聞こえてきた。伯爵はそれに気付き声を向けた。
「誰か」
「ホーン伯爵とリビング伯爵でございます」
「そうか、来たか」
 彼は召使のその声に応えた。
「如何為されますか」
「お通ししてくれ。この書斎までな」
「わかりました。それでは」
 召使の声が遠のく。そして暫くして二人の伯爵が部屋に案内されてきた。
「どうも」
 二人はまず挨拶をした。
「ここに来るのははじめてだったか」
「宴等では何回か会っているな」
「そうだったな。まさかこんなところで話すことになるとは」
「だがあえて呼ばせてもらった」 
 伯爵は二人に対して言った。
「重大な話の為にな」
「ほほう」
「それは」
 二人は探る目で伯爵を見据えた。
「まず言っておくが君達のことはわかっている」
「何をだ?」
「計画のことをだ。以前より王を暗殺しようと計画していたな」
「昨夜のあれでわかるだろう」
 ホーン伯爵は居直ったようにして返した。
「それがどうしたのか」
「実は私は以前よりそれを知っていた」
 アンカーストレーム伯爵は二人を見据え返して言う。
「その証拠も持っている」
「だったらどうするのか?」
「我等をここで消すつもりか。生憎そう簡単にやられるつもりはないぞ」
 二人は身構える。
「むざむざな」
「これは以前から王に出すタイミングを見計らっていた」
 だが彼はここでさらに言った。
「それが掴めないでいた。だがもうそれを出すことはない」
「わかった」
「ではここで死合うとするか」
「待て」
 だが伯爵は二人を制止した。
「出すことはないというのは私にその意志がなくなったからだ。君達を殺すつもりもまたない」
「では何故だ」
「我等をここに招いた理由は」
「それが重大な話なのだ。私は君達の同志になりたい」
「何っ!?」
 二人はそれを聞いて思わず動きを止めた。
「我等の仲間に入りたいだと」
「そうだ。君達の同志となり王を暗殺する仲間になりたいのだ」
 彼は強張った顔でこう言った。
「駄目だろうか」
「信じられないな」
 だがリビング伯爵はそれを疑った。
「卿が。王の第一の腹心であった卿が」
「何故急にそんなことを」
 ホーン伯爵もそれは同じだった。だが彼等には思い当たるふしもあった。
「昨夜のことか」
「理由は聞かないでくれ」
 彼は言った。
「だが加わりたいことは事実だ。何なら我が子を人質に差し出そう。それでいいか」
「そこまで言うのなら」
「信じよう。ではここに誓うぞ」
「うむ」
 アンカーストレーム伯爵はここで召使を呼んだ。そして杯を一杯持って来させた。
「ここにそれぞれの熱き想いを入れて」
「飲み干して誓いとしようぞ」
 彼等は手に傷をつけてそこに血を注ぎ込む。そしてその血を混ぜ合わせたものを回し飲みした。彼等は今血の誓いを固めたのであった。
「これで我等の心は一つ」
 声を揃えて言う。
「恥辱も復讐も一つだ。そして我等が恨みを王に晴らそう」
 かってバイキングが支配していた頃の心に戻っていた。今彼等の心はキリストから離れていた。そこには復讐に燃える荒ぶる神々の青い目が燃え盛っていた。
「そして君達に一つ頼みがある」
「何だ?」
 二人は伯爵に尋ねた。
「復讐は。私の手で」
「いや、それは駄目だ」
 だが二人はそれは認めようとはしなかった。
「私も彼も。王とは長きに渡る因縁がある」
 ホーン伯爵が言った。彼等は軍人として、政治家として。二人はかねてより王と因縁浅からぬ関係にあった。だからそれは容易には認められるものではなかったのである。
「十年来の因縁だ。それを容易に渡すことはできぬ」
「その通り、私とリビング卿の間ですらどちらが王を殺すかで問題になっている。それを容易には」
「そうか。ではどうすれば」
 アンカーストレーム伯爵は顎に手を当てて思案に入った。だがここで夫人が部屋に入って来た。
「お邪魔します」
「別れの挨拶は済ませたか」
「はい。それで御客様が来られました」
「御客様」
「小姓のオスカルさんですが」
 彼女は言った。
「如何致しましょうか」
「少し待ってもらえ」
「はい」
「いや、待て」
 だが伯爵はここであることを思いついたのであった。
「ここにいてくれ。そして自分で決めなくてよい」
「えっ」
 夫人はそれを聞いて青い顔を動かした。だが決して喜んではいなかった。
 夫の顔を見たからだ。その顔は暗く笑っていた。よからぬことを考えているのは明らかだったからだ。そんな彼を見て
とても気が晴れるものではなかった。
「まずはこの壷にだ」
 伯爵はそう言いながら三切れの紙に何かを書いていた。そしてその後でその紙を丁寧に折って壷の中に入れた。
「紙を入れた。この中から一つだけを取りなさい。私が御前に与える罰はそれだけだ」
「わかりました」
 断ることはできなかった。夫の言葉にはえも言われぬ暗い力があった。それに従わずにはいられなかったからだ。
「それでは」
「何をするつもりだ」
「これは天の配剤だ」
 伯爵は暗い顔のまま二人に対して言った。
「彼女に選ばせる。誰がやるのかをな」
「成程」
「これならいい」
 二人もこれに納得した。下手に揉めるよりも事情をよく知らないであろう彼女に選ばせることに。それで選ばれればまさにそれこそ配剤であるからだ。
 夫人は壷の中から一枚の紙を取り出した。伯爵は妻に問うた。
「あの」
 そこで妻は問うた。
「ここには一体何が」
「御前は言う通りにすればいいだけだ」
 伯爵は暗い、それでいて何かが燃える声で返した。
「言われただけにな。よいな」
「はい」
 夫人は頷いた。だが彼女は感じていた。夫が自分を何か血生臭い仕事に加えようとしているということに。だがそれにあがらうことはもう出来なくなっていた。まるで運命に導かれるかの様に。
「そしてだ」
 伯爵は妻に問うた。
「そこには誰の名が書かれているのか」
「貴方の御名前が」
 妻は夫に顔を向けて答えた。
「貴方の御名前が書かれています」
「そうか、神は私を選び給うた」
 彼は暗い笑みを浮かべて言った。
「私をな。これで納得してくれただろうか」
「うむ」
「確かに」
 二人はそれを認めて頷いた。
「これであの男を倒す者は決まった」
「後は何時それを行うかだ」
「まさか」
 夫人はそれを聞いてその顔をさらに青くさせた。
「私で異論はないな」
「運命の女神が決めたことならば」
「我等に異論はない」
「よし。では問題は何時それを行うかだ」
「間違いないわ」
 夫人はこの時夫がチラリと王の肖像画を見たことで彼等が何を考えているのか悟った。
「あの人は」
「よし」
 伯爵は王の肖像画から顔を戻し夫人に声をかけてきた。
「使者はオスカルだったな」
「はい」
 為す術もなく頷く。
「すぐに連れて来てくれ。いいな」
「わかりました。それでは」
 夫人はまた頷いた。そして扉を開けオスカルを招いた。
「お待たせしました」
「いえ、それ程待ってはおりません」
 オスカルは夫人の沈痛な声に対して明るく返した。
「気持ちのうえでは」
「そうですか」
「伯爵」
 彼はアンカーストレーム伯爵に対して恭しく一礼した。
「ホーン伯爵もリビング伯爵も。三人が一緒なのは珍しいですね」
「そうか」
「ええ。また面白い顔合わせです」
「そうかもな」
 三人はそれを受けて顔に暗い笑みを浮かべた。
「そして何の用件で」
「今宵の宴のことです」
 オスカルは軽やかに言った。
「仮面舞踏会を開くことになっております」
「仮面舞踏会」
 それを聞いた三人の伯爵の目が光った。
「そういえばそうだったな」
「仮面舞踏会を開くのだったな」
「左様で。覚えておられましたか」
「まあな。それでだ」
「はい」
 彼等は言葉を続ける。
「それに我々を招待して頂けると」
「その招待役として参りました」
 オスカルはまた言った。
「伯爵御夫妻も。どうぞおいで下さい」
「オスカルさん」
 ここで夫人は何か言おうとした。
「何か?」
「いえ」
 だがそれは言えなかった。彼はアンカーストレーム伯爵の妻である。一度心は裏切ったとしてもその心はまだ夫のもとにある。それなのにどうして夫を裏切ることができようか。
「何でもありません」
「左様ですか。今夜はとりわけ華やかな宴となるでしょう」
「仮面舞踏会とは好都合だな」
「うむ」
 三人の伯爵達はヒソヒソと話をする。
「仮面が何もかも隠してくれる」
「我等の憎悪と憤怒に燃えた顔も」
「そして私の殺意も」
 三人を代表するかのようにアンカーストレーム伯爵が言った。
「何もかもを覆い隠してくれるだろう」
「そして計画を成功に導いてくれる」
「全ては天の配剤だな」
「その通りだ」
 その言葉に頷く。
「青白い美女との死の舞踏会が」
「今この幕を開く」
「卑劣な裏切者は私の手によって果てるのだ」
「間違いないわ」
 夫人はもう全てがわかってしまっていた。
「あの壷に書かれていたのはあの方の死が書かれていた」
 その顔はさらに青くなっていた。何処までも青くなっていた。
「そしてその死をもたらすのは」
 三人集まってヒソヒソと話をする夫の顔を見る。
「あの人。何と恐ろしいこと」
「さて、今宵は楽しい宴」
 オスカルだけは朗らかな調子であった。
「美女と美酒で彩られ。今から楽しみだなあ。今日はどんな花を追おうか」
「何とかしないと」
 夫人は決意を固めた。
「あの人にお知らせして」
 何とか王を救いたかった。愛する者同士が殺し合う。それだけは何として避けたかった。
「奥様は今宵の主役になられることでしょう」
「え、ええ」
 オスカルの話はもう半分耳に入ってはいなかった。
「今からなら若しかして」
「そしてだ」
 三人はなおも話をしていた。
「合言葉を決めておこう」
「それは」
「死、だ」
 アンカーストレーム伯爵が強い声で他の二人に言った。
「これでどうかな」
「悪くはないな」
「いや、むしろ相応しい」
 リビング伯爵がそれに賛成した。
「今の我々にはな。違うか」
「言われてみれば」
 ホーン伯爵もそれに頷いた。
「ではそれでいいな」
「うむ」
 三人はまた頷き合った。
「今宵全てが決まる」
「あの男の死が」
 三人は今暗い怒りに燃えていた。黒く、静かに、だが熱く燃え盛っている黒い炎の中にいた。
「そして運命が」
 彼等はその中に身を置き夜を待っていた。華やかな宴は今その影に暗い闇を抱えようとしていたのであった。





腹心だった彼が暗殺側に。
美姫 「王はどうなるのかしらね」
仮面舞踏会で何が起こるのか。
美姫 「次回を待っていますね」
待っています。



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