『こうもり』




               第三幕 大団円
 刑務所の所長の事務室。機能的なものしかない何の面白みもない部屋である。自然に置かれている感じの木の机や椅子に暖炉が置かれている。そこにアルフレートが座らせられていた。
「ねえ君」
「何でしょうか」
 留守番をしているらしい口髭を生やした看守に声をかけた。見れば彼はかなり酔っている。
「かなり飲んでいるみたいだね」
「貴方もそうではありませんか」
 見れば二人でよろしくやっていた。酒を飲みながら向かい合って座って暖炉であったまっているのだ。チーズやソーセージまでぱくついている。
「違いますか?」
「いや、その通り」
 アルフレートは彼の言葉に答える。
「これも抑留期間に入れられるんだよね」
「ええ」
 看守はそれに答えた。
「そうですが」
「いや、実にサービスがいい」
 アルフレートはそれを聞いて笑みを浮かべた。そして茹でられたソーセージを口に入れてから赤いワインを口に含んだ・
 絶妙なハーモニーが口の中で漂う。彼はそれを堪能しながらまた話をするのであった。
「それでね」
「ええ」
「君はここに三日前に来たんだよね」
「そうです。それでまあこうやっています」
「いいところみたいだね」
「まあ飲んでも怒られないんで」
 本当にいい刑務所である。どうやら貴族用、それも軽犯罪者向けの場所であるかららしい。
「所長も穏やかな人ですしね」
「そういえば所長さんは何処かな」
 ここでふと思い出した。酔った頭なので思いが至らなかったのだ。
「見ないけれど」
「そろそろ帰られると思いますがね。あっ」
 ここでベルが鳴った。看守はそれを聞いて顔をあげた。
「帰られました」
「噂をすればというやつだね」
「そうですね。では迎えに行きますので」
「じゃあ三人で飲もう」
 刑務所にいるとは思えない。アルフレートは呆れる程くつろいでいた。図々しいとかそういう問題ではない。本当に刑務所なのかとさえ思える程だ。これもオーストリアだからの陽気さであって隣のプロイセンならば想像もできないことであったであろうが。
「では少し席を外します」
「うん」
 看守が席を立つと。もう扉が開いた。
「おや」
「迎えに来ずとも」
「やあやあフロッシュ君」
 看守の名を呼びながら礼装の所長が上機嫌で入って来た。千鳥足で相当飲んだことがわかる。
「明けましておめでとう」
「はい、所長」
 看守はそれに応えて姿勢を正す。だが彼もかなり飲んでいるので足の動きはふらふらとしたものである。
「明けましておめでとうございます」
 真面目な軍隊ならば一喝されるような敬礼をした。アルフレートも立ち上がってそれに続いていたのは酔っているからこその冗談であった。
「いやあ、飲んだものだ」
「所長もですか」
「何だ、君もか」
 ここで看守も飲んでいることに気付いた。
「楽しくやっているな」
「ええ、まあ」
 にこにこと笑いながら言葉を返す。
「結構なことだ」
 本当に怒りはいない。とんでもない刑務所と言えばとんでもないことである。
「伯爵も楽しんでおられるようで」
「ええ、まあ」
 伯爵のふりをしているアルフレートはそれに応えた。
「これはいい酒ですね」
「そうでしょう。まあ八日間ですがごゆっくり」
「刑務所でなければもっといいのですがね」
「ははは、それは言わない約束でお願いしますぞ」
「わかりました。では」
 ここでまたベルが鳴った。
「おや、来客か」
「新年早々何とまあ」
 所長と看守はベルの音を聞いて顔を上げた。
「まあいい。誰かな」
「はいです」
「所長さんはおられますか」
 そこにイーダとアデーレの姉妹がやって来た。所長は二人を見て目を少ししばたかせた。それから述べた。
「おや、貴女達は」
「はい」
「実はシュヴァリエさんこと所長さんにお願いがありまして」
「いえ、私はシュヴァリエでは」
「いえいえ、存じていますので」
「私達のことも御存知ですし」
「ううむ、しまった」
 それを言われてはどうしようもない。迂闊であった。
「ですよね」
「ええ、まあ」
 仕方なくそれを認めることにした。腹を括ったのであった。嫌々ながら。
「シュヴァリエさんというと」
「ああ、君には関係ない話だよ」
 所長はそう看守に対して述べた。
「それでだねフロッシュ君」
「はい」
 そのうえで彼の名を呼んで言う。
「席を外してくれ給え。ワインを持ってね」
「わかりました。ではチーズも持って」
「宜しくやっておいてくれ」
「ええ、では」
 こうして彼は本当にワインとチーズを持ってその場を後にした。この時所長はアルフレートのことを酔ってそこまで考えておらずそのままにしていた。
 そして二人に顔を戻す。そして問うた。
「それでですな」
「ええ」
 イーダがにこりと笑って彼に応える。
「私に何の御用件で」
「実はですね」
 イーダはそれを受けて話をはじめた。まずはアデーレを右手で指し示した。
「実はうちの妹は女優ではないのです」
「あれっ、そうなのですか」
 自分も化けていたのでこれには特に驚かない。
「そうなのです。それでですね」
「ええ」
「女優になりたいのです。それでですね」
「私に後見人になって欲しいと」
「駄目ですか?」
 アデーレが彼に問うてきた。
「それは」
「ふむ。しかしですな」
 酔ってかなり頭の回転が無茶苦茶になっているがその中で述べてきた。
「才能は」
「才能ですか」
「はい、女優は才能です」
 酔っていてもこれは言えた。そのうえでアデーレを見やる。
「そこのところはどうですか?」
「宜しいですか」
 アデーレはそれを受けて話をはじめた。
「村娘の時は短いスカートで子リスの様にはしゃいで若者をまばたきしながら笑い掛けます。田舎娘らしく前掛けの紐をいじくって雀を捕まえて」
「ふむ」
 所長はその言葉をじっと聞いていた。それでアデーレを見定めようとしていた。
「若者が後を追ってきたら一旦退けて一緒に草原に座って楽しげに歌いますわ」
「成程」
「そして女王になれば威風堂々華やかな服を着て人々の垣根の間を歩きましょう。そして優雅な微笑で国を治めてみせますわ」
 ここではマリア=テレジアのことが念頭にあるのであろうか。言わずとしれたオーストリア中興の祖であり十六人の子供に恵まれた偉大な母でもあった。女帝としても母親としても妻としても偉大な女性であった。
「そしてパリの貴婦人になれば」
「どうされるのですか?」
「侯爵様の奥様になって若者とのアバンチュール寸前で。相手は若い伯爵様」
「ほう、それは」
 ありそうなシチュエーションであった。どうやらアデーレはそうしたことも考える才能があるようであった。所長はそれを見抜いたのであった。
「三度目にあわや陥落。ですが突然やって来た夫に涙を流して謝りお客様もそれで涙を」
「ふむ、全ての役を演じられるというわけですな」
「そうです」
 自信たっぷりに頷いてきた。
「ですから」
「そうですな」
 頷こうとした。しかしここでまたベルが鳴った。
「おや、またお客様か」
「またですか」
 ベルを聞いて看守がやって来た。
「新年なのに人が多いですな」
「多いという問題ではないな」
 所長は言った。
「何かおかしいな」
「おかしいですか」
「うむ。まあいい」
 だが酒のせいで深くは考えられなかった。かなりいい加減である。
「お通ししてくれ」
「わかりました」
 そして暫くして看守は戻って来た。見ればいるのは伯爵である。
「ルナール侯爵です」
「あら、旦那様」
 アデーレは彼の顔を見て名前を聞いて呟いた。
「あれっ、貴方は」
「貴方も」
 伯爵と所長はここでお互いに気付いた。
「どうしてここに」
「いや、それはこちらの台詞です」
 所長はこう返した。
「どうしてこちらに」
「といいましても」
 伯爵もかなり酔っていて頭の回転がごちゃごちゃしている。だから殆ど考えられなかった。しかし言葉は出た。
「実は私はアイゼンシュタイン伯爵で」
「伯爵ならもうおられますが」
「えっ!?」
 その言葉に目を丸くさせる。それで酔った頭で考えはじめる。
「ええと」
「こちらに・・・・・・あれっ」
 気付けばアルフレートはもういない。実は奥で看守とまた飲んでいるのだ。
「何処へやら」
「ほら、いないでしょう。ですから私なのですよ」
「いや、そんな筈は」
 しかし彼は言う。
「おかしいな」
「何か話が見えないのですが」
 伯爵も訳がわからなくなってきていた。そのうえで言うのである。
「何が何なのか」
「ええとですね」
 所長は少し頭を静かにさせることにした。とりあえずは水を飲んだ。
 水を飲んでから話を再開する。まずは正式な身分を出した。
「私はシュヴァリエではありません」
 彼は言った。
「ここの所長です」
「そうですね。それは私もです」
 伯爵も言ってきた。
「フランス帝国の侯爵ではなくオーストリア帝国の伯爵です」
「それでは貴方は御自身がアイゼンシュタイン伯爵だと名乗られるのですね」
「その通りです」
 彼は答えた。
「そしてこれから八日間の拘留に」
「待って下さい」
 ここでまた所長が言ってきた。
「宜しいですか」
「はい」
「私は昨夜貴方を自分で取り調べました」
 彼はこう述べてきた。
「それは書類にもなっています」
 刑務所もお役所である。お役所は書類で動くものだ。だからちゃんと書類になっているのである。
「何ならお見せしてもいい」
「では私はここに自分で来ていたと」
「いえ、私がお屋敷まで迎えに」
「ああ、あの時ね」
 アデーレはそれを聞いて一人頷いた。だがそれを周りには言わない。
「参りまして。それでくつろいでおられた貴方を」
「私を!?」
「そうです。奥方と一緒におられた貴方をね」
「馬鹿な」
 伯爵はそれを否定してきた。何を言っているのだと言わんばかりである。
「そんな筈がない」
「しかし貴方は昨日からこちらにおられるわけで」
「私はここにいるじゃないか」
 自分で自分を指差して主張する。
「じゃあ何かね。もう一人の私がいると」
「姿形は全く違いますが。あと声も」
「では別人ではないか」
「そうなりますね」
 所長は答えた。
「確か彼は・・・・・・ええと」
 やはり酔っているので頭の中の記憶が滅茶苦茶になっていてアルフレートの今の居場所を口に出せない。すぐ奥の部屋にいるというのにだ。
「何処だったかな」
「ここにいるのですね、もう一人の私は」
「ええ、それは」
 それははっきりとしていた。
「ですから」
「ううん」
 伯爵が腕を組み唸るとまたしてもベルが鳴った。今度やって来たのはあの弁護士のブリントであった。
「どうして君がここに来たんだね」
「あれ、伯爵」
 彼は部屋の中に入るとすぐに伯爵に気付いた。
「拘留されておられるのでは?」
「今来たばかりだ」
 彼は腕を組んだまま憮然として答えた。
「それでどうしてここに来たのかね」
「いえ、貴方とお話がしたいと思いまして」
「私と!?」
「はい、そうです」
 彼は答えてきた。
「あのですね」
「言った筈だぞ」
 たまりかねた顔で返す。
「もう君はいらないのだと」
「あのですね」
「信頼されるに値しない」
 きっぱりと言い切った。
「自分で自分のしたことを一切理解できんのだからな」
「それは誤解です」
「誤解なものか」
 酔いが醒める程頭にきだした。
「つまみ出してやる。来い」
「ですからあれは仕方なく」
「仕方なくで済むか!」
 彼を放り出しに行く。所長はそんな二人を見て述べた。
「よくあんなのを雇ったな」
「御存知なんですか、あの人を」
「うん、ウィーンじゃ有名な無能弁護士だ」
 彼は看守にそう答えた。
「法律やルールを一切出来ないし思慮分別が全くない」
「それはまた」
「おかげで信頼は全然ないんだが。平気で嘘もつくしな」
「最悪ですね」
「自分ではいいことをしていると思っているんだ。始末が悪い」
 こうした人間は実在する。いずれは大変なことをしでかして破滅するのが常であるが。
「まあ放っておけばいい。近寄らないでな」
「わかりました」
「やあやあ」
 そこにアルフレートがやって来た。
「フロッシュ君、飲もう」
「あれ、出て来られたのですか」
「一人で飲んでも面白くないからね」
 彼は述べる。
「だから」
「じゃあ」
 それに応えようとしたところでベルが鳴った。
「あれっ」
「またか」
 また来客であった。今度は奥方であった。宴の場のドレスのままやって来た。仮面は外している。
「ロザリンデ、来てくれたのか」
「アルフレート、今のうちよ」
 彼女はアルフレートに対して囁いてきた。
「帰りましょう」
「帰るのかい」
「そうよ、今のうちに。うちの人が来ないうちに」
「それだけれどね」
「どうしたの?」
「どうも」
 そこに伯爵が戻って来る。フリントの変装をしている。結構上手く化けていてイーダとアデーレ以外にはわからなかいようであった。
「弁護士さん」
「おお、奥様」
「貴方はいらないのですが」
「そう邪険には為さらないで」
 彼の口真似をして述べる。
「どうか」
「旦那様よ」
「そうなの。おかしいと思ったら」
 アデーレとイーダは彼を見ながらヒソヒソとやっていた。
「さて、様子を見るか」
 伯爵は変装の裏で呟いた。
「どうしてくるのか」
「怪しいわね」
 奥方もその弁護士に化けた伯爵を見て呟いた。
「何か雰囲気が違うわ」
 だが酒のせいではっきりとは気付かない。酒の悪戯であった。
「それで奥様」
 伯爵は素性を隠して妻に言ってきた。
「何でしょうか」
「宜しいでしょうか。ここでですね」
(さて、正念場だ)
 彼は心の中で呟いた。
(頭にくるが慎重にだな。慎重に)
(落ち着いていかないと)
 奥方も同じことを考えていた。目指すものは違うが。
(何か怪しいし)
「仔細を私にお話して下さい」
 伯爵はこう申し出てきた。
「宜しいでしょうか」
「いえ」
 だが奥方はそれを話そうとはしない。用心していた。
「これは独特なお話ですので」
「だからこそ私がいるのではないですか」
 彼は言う。
「弁護士が。違いますか」
「実はですね」
「ちょっと」
「いいから」
 かなり酔っているアルフレートが勢いのまま言ってきた。奥方の制止も聞かない。
「昨日のことです」
「はい、昨日の」
 伯爵はさらに言うように急かす。
「間違えられてここに連れて来られて」
「間違えられてですか」
「そうです」
(やはりな)
 伯爵はそれを聞いて心の中で呟いた。
(これで間違いない)
「まあ当然ですな」
「ちょっと待ってくれ」
 アルフレートは伯爵に突っ込みを入れた。彼は正体には全く気付いてはいない。
「君は弁護士だよね」
「そうです」
 胸を張って答える。
「その通りです」
「最低の弁護士だがね」
「ですか」 
 看守は所長の囁きを聞いていた。
「どんな無実も有罪に、刑罰を増やしてくれる弁護士だ」
「どうしようもないですね」
「そのわりにはおかしくはないかね」
 アルフレートは伯爵に問う。
「その様子は」
「何処がでしょうか」
(当然だ)
 伯爵はまた心の中で呟いた。
(見ていろ。今に)
「全ては偶然なのです。何もありませんでした」
 奥方は潔白を言い出してきた。
「けれどうちの人がそれを知ったならば」
(そら、来たな)
 これこそが伯爵の待っていた言葉であった。心の中に棘が宿る。
(そうきたなら)
「絶対に潔白だとは思わないでしょう」
「そうでしょうな」
「そうでしょうなとは」
 奥方も伯爵の言葉に顔を顰めさせてきた。
「貴方は弁護士さんですよね」
「先程から何度も申し上げている通りです」
 また胸を張ってみせてきた。
「ですから弁護を今」
「そうしているようには見えませんが」
「それは気のせいです」
「いえ、気のせいではなく」
 奥方だけでなくアルフレートも言う。
「明らかにおかしいですわ」
「その通りだ」
 二人は同時に言ってきた。
「どういうつもりなんだ、一体」
「私達の潔白を証明してもらうどころか」
(当然ではないか)
 伯爵は二人の言葉を聞いてまた心の中で呟く。
(私は復讐の準備をしているのだからな)
「とにかく」
 威厳ぶって言ってきた。
「申し上げて頂きましょう」
「だから何を」
「貴方は一体」
「よいですか」
 アルフレートと奥方に対して述べる。
「何が起こったのかを全て申し上げて下さい」
「どういう意味ですか」
 奥方も流石にむっとしてきた。整った眉を歪めさせてきた。
「それは」
「ですから良心に問うて下さい」
「やっぱりおかしいですね」 
 看守もここで気付いた。
「何か弁護士の言葉じゃないような」
「どっちかというと神父様だな」
 所長もそれに頷く。オーストリアはカトリックの国だ。だから神父なのである。
「この口調は」
「そうですね。弁護士のものじゃないです」
「やっぱりおかしいな。あの弁護士は無能極まるがこんなことは言わない」
「誰なんですかね」
「さてな」
 そこまでは酒のせいで頭が回らない。完全に酒に溺れていた。
「私は弁護士なのですよ」
 伯爵はそれをまたしても強調してきた。
「だから全てを知る権利があります」
「弁護士さん」
 いい加減奥方も切れてきた。
「貴方は主人の肩ばかり持っていませんか?」
「気のせいです」 
 しれっとしてとぼける。本人だから当然なのであるが。
「ですからそれは忘れて」
「いえ、では申し上げましょう」
 頭にきてきたのでここで彼女も言うことにした。
「私は夫はですね」
「はい」
(何を言い出すつもりだ?)
 妻の行動が読めなくなってきた。もっとも最初からそこまでは考えていないのであるが。
「とんでもない浮気者なのです。昨夜もオルロフスキー公爵のパーティーで異国の美女に声をかけて楽しくやっていたのです」
(なっ)
 これを聞いて流石に驚いた。
(どうしてそれを)
「家に帰ったら離婚です」
 カトリックでは離婚できないがそれでも言い出してきた。
「思い切り苦しめてやります」
(何故昨日のことを知っているんだ)
 彼はこのことに言葉もない。
(どういうことなんだ、これは)
「しかしですな」
 その思いを胸に秘め伯爵は言う。
「やはり」
「やはり?」
「あれです」
 彼はまたしても宗教家になった。弁護士ではなく。
「離婚はカトリックとしては」
「それでもです」
 奥方は強気だ。
「今度こそは」
「いい加減にするのだ」
 伯爵は本音を出してきた。
「いいかね」
「あれっ!?」
 アルフレートがその急変に目を丸くさせる。
「どうしたんだ、急に」
「いいかね」
「何がですか!?」
 奥方もそれに問い返す。
「言いたいことがあるのなら」
「では言おう」 
 伯爵は言ってきた。
「今から私は復讐をする」
「復讐!?」
「一体何を」
「全ては見た」
 彼は言う。
「そう、御前達の不貞をな」
「不貞!?」
「そう、ここで遂に髭も鬘も取ってきた。そこに姿を現わしたのは。
「私は。全てはお見通しだ」
「あらあら」
 アデーレはそんな彼を見て茶化したような声を出す。
「ようやく御本人のお出ましね」
「というか今まで気付かなかったのかしら」
 イーダがその横で言う。
「ばればれだったでしょう?」
「お酒のせいよ」
 アデーレは姉にそう説明する。
「お酒は全てを有耶無耶にするじゃない」
「まあね」
「だからよ。それに」
「それに?」
「奥様もアルフレートさんもやましいところがあって慌てていたから」
「成程ね。さて」
 あらためて注目する。
「どうなるかしら」
「見物ね」
「さて、妻よ」
 伯爵は勝ち誇った顔と声で奥方に声をかける。
「これでわかったな。正義は私にあるのは」
「あら、それはどうかしら」
 しかし奥方も負けてはいない。
「貴方だって」
「御前は私を裏切ったではないか」
 証拠を突きつける。
「今の言葉で」
「あら、では」
 きっと夫を見据えて言う。
「私を批判されるのね」
「その通り」
 彼は見据え返す。だが睨んではいない。
「だからこそ」
「言うわね」
「では伯爵」
 ここで所長が話に入って来た。
「では今から拘留をして頂きます」
「いや、それは彼が」
 平気な顔でアルフレートを指差す。指差されたアルフレートは目を丸くさせる。
「えっ、僕が?」
「君が捕まったのだし当然ではないのかね?」
「僕は何もしていないけれど」
 彼はそう反論する。
「裁判に出たこともないし」
「それでも君が入るべきだろう。私の妻に誘いをかけたのだし」
「それとこれとは関係が」
「あの、所長」
 ここで看守が所長に囁いてきた。
「どっちでもいいんでは?結局は」
「まあそうだがね。どうせここにいても飲むだけだし」
「そうですよね。何をそんなに言っているのかわからなくなってきましたよ」
「世の中ってのはそういうものさ」
 所長は酔った時に誰もがたまに言い出す哲学的なことを述べだした。
「訳がわからないものさ。おや」
 またしてもベルが鳴った。
「こんなにお客さんの多いのははじめてだな。しかも朝から」
「全くですよ。おやっ」
「どうしたのかね?」
 声をあげた看守に問う。
「いや、今度はですね」
「うん、今度は」
「団体さんです」
 看守は答えた。
「団体さんと」
「ぞろぞろ来られていますよ。まるで新年会のように」
「呼んだ覚えはないが」
「勝手に来られたんじゃ?ここにおられる方々と同じで」
「はて・・・・・・とここまでは首を傾げるところだ」
「!?」
「いいかね、フロッシュ君」
 所長は急に看守に対して笑ってきた。
「フィナーレだよ」
「どうしたんですか、急に」
「シャンパンの用意を」
「用意をって刑務所にシャンパンなんか」
 普通はない。ある方がおかしいであろう。
「いや、ある。酒蔵にな」
「そうなんですか。何でまた」
「私が用意しておいたのだ。それを全部持って来てくれ」
「わかりました。では」
 看守はシャンパンを持って来る為にその場を後にした。それと入れ替わりに何と今度は昨夜の宴の客達がどやどやと入って来た。公爵や博士までいる。
「あれっ、皆どうしてここに」
「やあやあアイゼンシュタイン」
 博士がにこやかに彼に声をかけてきた。
「酷い目に遭っているようだね」
「それは否定しないよ」
 憮然として言葉を返した。
「酔いも醒めたし何が何なのかわからないよ」
「いや、それは結構」
 彼はその言葉を聞いて笑った。
「では僕の策略は成功したわけだ」
「策略!?」
「そうさ」
 彼は言ってきた。
「これが復讐なのだよ」
「復讐!?」
「だから言ったじゃないか」
 博士はにこにこしながら述べる。
「何時かあの時の復讐をすると」
「まさか」
「そう、そのまさかさ。君は今僕の復讐を受けているんだ」
「そうだったのか」
 ここまできてようやくそれがわかった。
「それで」
「そう、私達も」
 客達と所長が言った。
「私もなのですよ」
「貴方まで」
 公爵が笑いながら名乗り出てきたのには正直驚いた。
「何と」
「私もですか」
「アデーレまで。そんな」
「それでですね」
「むっ」
 続いてアルフレートが出て来て目を顰めさせる。
「では君も」
「そうです。安心されましたか」
「ううむ、ほっとしたような悔しいような」
「ははは、それでも楽しんでいたじゃないか」
「しかし一杯食わされた」
 博士を見て述べる。
「どうやら君の勝ちだな」
「そうだね」
「ところで」
 アデーレがイーダを側に置いて所長にそっと囁いてきた。
「私は」
「そうだね」
「待って下さい所長」
 しかしここで公爵が姿を現わしたそしてアデーレに声をかける。
「フロイライン」
「はい」
「貴女には私が援助致しましょう」
「宜しいのですか?」
「何、芸術と文化を愛するのが我がロマノフです」
 彼は言った。
「ですから私は貴女を」
「女優にして頂けるのですね」
「そうです。貴女ならすぐにでも」
「それじゃあ」
「はい、どうか御一緒に」
「畏まりました」
 彼女も女優になることになった。最後に伯爵と奥方の和解だった。
「いや、済まない」
 伯爵はバツの悪い顔をして妻に謝罪する。
「疑って悪かった」
「それだけかしら」
「ああ、わかってるさ」
 憮然として述べた。
「貴夫人に声をかけたのも」
「ハンガリーの方ですわね」
「どうしてそこまで知ってるんだい?」
「何故かしら。それはね」
「うん」
 奥方は優雅な笑みを浮かべながら何かを出してきた。その何かを顔につける。すると。
「あっ」
「そういうことよ。私じゃなかったら許さないところよ」
「君だったのか」
 これが一番の驚きであった。
「まさかそんなことだったとは」
「そうよ。だから今は」
「うん、仲直りに」
「またパーティーに」
「おや」
 妻にそう言われてふと思い出した。
「私の刑期は」
「勿論それも芝居だよ」
 博士が笑いながら言ってきた。
「驚いたかね」
「いや、もう驚かないよ。それではこうもりの復讐の成功に」
「乾杯!」
 皆でそのまま新年の宴に向かうことになった。大晦日のこうもりの復讐はそれで終わり今度は新年を祝う華々しい宴となったのであった。


こうもり   完


               2007・1・14



うーん、壮大なだましだな。
美姫 「でも、奥さんにとっては助かった展開になったんじゃないの」
だよな。
美姫 「これは喜劇になるのかしら?」
うーん、どうなんだろう。ともあれ、楽しめました。
美姫 「投稿ありがとうございました」
ではでは。



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