『ナブッコ』




              第三幕  予言

 バビロニアの女王となったアビガイッレはすぐに玉座についた。そして王の間に主だった高官や司祭、将軍達を集めてこれからのことについて話をはじめた。
 あの紅の衣もマントも彼女のものとなっていた。彼女はそれを着て今玉座において全てを見下ろしていたのである。
「では話を聞こう」
 彼女は下に控える全ての者達に対して言った。
「今どうするべきかを」
「はっ」
 それに応えてイシュタルの巫女長が進み出て述べてきた。
「まずは今のバビロニアですが」
「うむ」
 彼女は巫女長の言葉に鷹揚に応えた。
「繁栄を極めております。兵は強く富が集まっております」
「そうだな」
 まずはその言葉に頷いた。
「ですが」
「ですが何だ?」
 そのうえで巫女長の言葉に問う。
「申してみよ」
「はい。その中で不穏な者達がおります」
 彼女はそう語った。
「言うまでもなくヘブライの者達です」
「そうだな」
 アビガイッレはそれに頷いた。
「特にあのザッカーリアめは今でも我々への攻撃を止めません。このまま置いていれば」
「危険だというのだな」
「はい」
 巫女長はそれに答えた。
「その通りです」
「そうだな。確かに」
 国の中に不穏分子を置いておくわけにはいかない。そういうことであった。
「置いてはおけぬか」
「そうです。それに」
「フェネーナのことか」
 アビガイッレはそれに問うた。
「そうなのか?」
「フェネーナ様にも困ったものです」
 巫女長は顔を顰めてそう述べた。
「そのヘブライの者達を庇い立てするとは。どうしたものでしょうか」
「ふむ」
 アビガイッレはそれを受けて考える顔を見せてきた。
「放ってはおけぬか」
「そうです。そしてそれを解決する方法は」
 巫女長はここでアビガイッレを見てきた。目と目でも話をしていた。
「女王の御心にこそあります」
「私にか」
「左様です」
 アビガイッレには巫女長が何を言いたいのかわかっていた。そのうえで話をしているのである。
「どうされますか」
「そうだな・・・・・・むっ」
 だがここで誰かが王の間に入って来たのに気付いた。
「誰だ、呼んだ覚えはないぞ」
「ここに私が来るのに呼ばれる必要があるのか」
 威厳はない、いや消えてしまっていたが確かな声であった。今王の間にナブッコが姿を現わしたのだ。
 あの紅の衣もマントもなくみすぼらしい服である。だが彼はそれでも王の間にやって来たのであった。
「王よ」
「どうしてここに」
「言った筈だ」
 ナブッコは驚く貴族達に対して言った。
「ここは私の場所だ。来る為に理由はいらぬと」
「しかし今は」
「それは」
 皆口ごもってしまっていた。やはり王であった者だ。それをむげにはできなかったのである。
 彼等が戸惑っているところにアビガイッレが言った。有無を言わせぬ声であった。
「よい」
「女王よ」
「今何と」
「聞こえなかったのか。よいと言ったのだ」
 アビガイッレはそう述べた。
「そしてだ」
「はい」
「下がれ」
 全ての者達に対して言った。
「よいな、下がれ」
「は、はい」
「それでは」
 王の命令は絶対である。聞かぬわけにはいかなかった。それを受けてナブッコ以外の全ての者が立ち去った。後にはアビガイッレとナブッコだけが残った。
 父と娘は今向かい合った。玉座の上と下で。しかし立場が全く変わっていた。アビガイッレはナブッコを不遜に見下ろしナブッコはそれを見上げていた。何もかもが変わってしまっちた。
「父上」
「まずは聞こう」
 ナブッコは娘に対して言った。
「何故御前がそこにいるのだ」
「知れたことです」
 アビガイッレは臆することなく言葉を返した。
「私は私がいるべき場所にいるだけです」
「何を言うか」
 だがナブッコはそれを否定した。
「そこは私の場所だ。そして」
「父上」
 しかしアビガイッレはそこから先を言わせなかった。
「今このバビロンでは深刻な問題が起こっております」
「それは何だというのだ」
「災いです」
 アビガイッレは言った。
「災いが今バビロンを悩ませております」
「その災いとは何だ」
「ヘブライです」
 それがアビガイッレの答えであった。
「そしてそれを庇い立てする者」
「まさか御前は」
「そうです」
 傲然とした声であった。
「私は決めたのです、フェネーナとヘブライ人達の粛清を」
「それはならぬ」
 ナブッコはすぐにそれに反対の考えを示してきた。
「それだけはならぬ」
「ヘブライの者達を救うというのですか?」
「そうではない」
 これもまた否定した。
「あの者達は王である私にも背いてきた。しかし」
 そのうえで言うのだ。
「フェネーナは」
「そう、彼女は」
 アビガイッレはここで酷薄な笑みを浮かべて述べた。
「次にこの玉座に座るべきだと。そう仰りたいのですね」
「そうだ」
 毅然としてそれに頷いた。
「だからこそ」
「そう、そして私は血筋からもここに座るべき者ではない」
「むっ」
 ナブッコはこの言葉からあることを悟った。
「アビガイッレ、御前はまさか」
「はい」
 酷薄な笑みにさらに陰惨なものが加わった。
「そうです、私は知ったのです」
 声の色もその笑みと同じになっていた。陰気な声が王の間に響き渡る。
「私が奴隷の娘でありフェネーナこそが母上、いえ王妃の娘だということを」
「知ったのか、それを」
「そうです、だからこそ私は立ったのです」
 アビガイッレはそう言い伝えた。
「正当な座を得る為に」
「だが御前は玉座に座ることは適わぬ」
 ナブッコは今実際に彼女が玉座にいるというのにそれでも宣告した。
「御前には血筋がないからだ」
「血筋ですか」
 しかしそれは今のアビガイッレには冷笑の対象としかならないものであった。実際に彼女は冷笑を浮かべていた。
「そんなものが何になりますか」
「ではどうしてそこに座るのか」
「力です」
 傲慢そのものの目で父を見下ろして今言い切った。
「力によってです。王の力によって」
「馬鹿な、それだけでは」
「そして神の御加護も」
「神だと!?まさか」
「ふふふ、私もまたイシュタルと交わったのですよ」
 巫女長との交わりを今述べた。
「そして神にも認められました」
「それにより私の座を奪うというのか」
「自身の力と神の加護、そして皆の支持」
 アビガイッレは今やそれ等を全て握っていた。
「最早必要なものは何もありません」
「いや、まだだ」
 それでもナブッコは言う。
「御前には血筋の他にもまだ持っていないものがある」
「ほう」
 アビガイッレはその言葉を王座を追われた老人の遠吠えにしか見ていなかった。
「ではそれは何なのですか?」
「心だ」
 ナブッコは言った。
「御前には同じ父を持つ妹を思いやる心がないのか」
「では聞きましょう」
 アビガイッレは内心その言葉に反発を覚えた。だからこそナブッコにそのまま問うたのだ。
「貴女は私をどう思っているのかを」
「御前をか」
「そう。どうせ卑しい奴隷だと思っているのでしょう」
 言葉には自嘲の響きすらこもっていた。
「違うのですか?」
「馬鹿を言え」
 しかしナブッコはその言葉もアビガイッレの自嘲も否定した。
「そなたはわしの娘だ。フェネーナと同じだ」
「また戯言を」
 今のアビガイッレにその言葉を信じることはできなかった。
「そんなことを私が信じるとでも」
「では聞こう」
 ナブッコは言い返した。
「わしが今までそなたをむげに扱ったことがあるか」
 そう聞く。
「どうなのだ」
「ふん」
 この言葉に何故か不愉快なものを感じた。だがそれがどうしてかはわからなかった。
「これ以上何を話しても無駄ですね。それでは」
「フェネーナをどうするつもりだ?」
 ナブッコは今度はそれを問うた。
「言え。どうするのだ」
「決まっているではありませんか」
 アビガイッレの言葉は何故かここで揺らぎを見せてきていた。
「反逆者には死を」
「本気なのだな?」
「血を分けた者であっても国を脅かすとなれば」
 アビガイッレは王者の言葉を借りた。
「討ち滅ぼすまで。違いますか」
「御前にそれができるのか?」
「また馬鹿なことを仰る」
 しかし動揺はさらに大きくなった。
「どうやら王冠をなくされて老いを見せられているようですね」
「わしは老いてはおらぬ」
 それは真っ向から打ち消した。
「御前のことを知っているからこそ言うのだ」
「では私はフェネーナをどうすると」
「御前に妹は殺せない」
 ナブッコは今それをはっきりと言った。
「幼い頃から共にいた妹をな。殺せはしない」
「私は王です」
 ここで彼女は王という言葉を前に出してきた。
「王には鉄の意志こそが必要なのです」
「それを御前は持っているというのか」
「その通り」
 必死に動揺を隠していた。
「何を言われるやら」
「確かに御前はヘブライの者達は殺せるだろう」
 ナブッコはそれは認めた。
「だがフェネーナもそしてその側にいる者も殺せはしない。決してな」
「・・・・・・・・・」
 側にいる者を出されたところでアビガイッレは顔を青くさせた。さっと急に青くなったのである。
「御前は非情になりきれぬ。それは自分自身がもっともよくわかっている筈だ」
「幾ら言っても無駄です」
 アビガイッレは話を強引に打ち切ってきた。
「最早貴方と話すのは無駄ですね。それでは」
「無駄かどうかは御前が一番よくわかっている筈だ」
 ナブッコは玉座を立ち席を外そうとするアビガイッレに対してまた言った。
「よくな」
 だがアビガイッレはそれに答えない。そのままナブッコの前から姿を消すのであった。後にはあの王者の威厳を微かに取り戻し玉座を見るナブッコだけがいた。



ほうほう。ナブッコはまだ生存していたみたいだな。
美姫 「冠はなくとも、やはりは王というべきかしらね」
アビガイッレに一歩も引かず。まあ、相手が娘と言うのもあるのかもしれないけれど。
美姫 「さてさて、これからどう動くのかしら」
やはり宣言通りに妹を手にかけるのか。
美姫 「次回も待っていますね」
ではでは。



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