『ロミオとジュリエット』




               第四幕  愛は流転し


 ロミオとジュリエットは神父の教会の礼拝堂にいた。そこで二人深夜に会っていた。
「僕達のことは神によって認められた」
「はい」
 ジュリエットはその言葉に頷く。
「ですが俗世では」
「俗世は所詮俗世でしかないというのか」
 彼はそれを想い悲しい思いになる。
「だからこそ君の大切な人を」
「いえ」
 だがジュリエットはそれを許した。
「ティボルト様は貴方のお友達の御命を奪われたのですよね」
「ああ」
「なら。同じです。私も貴方も」
「僕を許してくれるのか」
「はい」
 悲しみを胸にそれを認めた。
「私も貴方も同じなのですから」
「ジュリエット・・・・・・」
「ロミオ様、行かれるのですね」
「そうだ、行かなくてはいけないんだ」
 彼は言う。
「それが僕に下された罰なのだから」
「惨い運命です」
 ジュリエットは今にも泣き出しそうな顔になっていた。
「こうして愛し合っているというのに。どうしてこのような」
「仕方がありません。全ては俗世でのこと」
「若し俗世で結ばれないのなら」
「その時は」
「天界で共に」
「そう、天界なら」
 ロミオはそれに応えて言う。
「共に参りましょう」
「この愛が実らぬ時は」
「ええ」
 二人は言い合う。
「そして永遠に」
「結ばれることを」
 十字架の前で抱き合う。ジュリエットの目には真珠が宿っていた。
 その時であった。窓から雀の声が聞こえてきた。そして空が白くなろうとしていた。
「光だ」
 ロミオはその光を見て目に悲しみを宿らせざるにはいなかった。
「別れの光だ。朝の光」
「今それが私達に」
「夜が何時までも続けばよかったのに」
「聖なる夜が」
「私達は俗世の昼には会えない運命」
「はい」
「夜にしか。どうして世界には昼と夜があるんだ」
 そのことを嘆いていた。
「夜だけならば何時までもいられたのに」
「これで永遠のお別れでしょうか」
「また何時の日か」
 ジュリエットを見て言った。
「会えることができれば。その時は」
「その時は」
「永遠に離れることがないように」
「さようなら」
「さようなら」
 二人は挨拶を交あわせた。それが終わってからロミオは姿を消しその場を後にした。ジュリエットは悲しい顔でそれを見送り涙を流すだけであった。
 悲しみにくれるジュリエット。そこに神父が入ってきた。
「神父様」
「最後のお別れだったのですね」
「はい・・・・・・」
 涙を拭いた後でそれに答える。
「今しがた」
「左様ですか」
「私の愛はもう」
「それでジュリエット様」
 神父は悲しみに打ちひしがれるジュリエットに対して言う。
「これからのことですが」
「はい」
「どうされますか」
「どうしたらいいのでしょう、私は」
 自分ではそれがとてもわからなかった。
「今の私にはどうすることも」
「お嬢様」
 そこにジェルトルードがやって来た。
「婆や」
「お話は御聞きしました」
 彼女はジュリエットに対してこう述べた。
「ロミオ様を想われているのですね」
「ええ」
 乳母に対してこくりと頷く。
「そうよ」
「そうでしたか」
「それでそれをどうするの?」
 ジュリエットは彼女に問う。思い詰めた顔で。
「お父様に言うの?それとも」
「いえ」
 だがジェルトルードはその問いには首を横に振った。
「そのようなことは」
「しないの?」
「はい、お嬢様の為には」
 彼女は言う。
「そのようなことは決して」
「有り難う」
 自分を護ってくれる彼女に深い感謝の言葉を述べた。
「私の為に」
「私はお嬢様の為にいますから」
「私の為に」
「そうです、だから今ここに来たのです」
「どうするつもりなの?」
 ジュリエットは顔を上げて彼女に問う。
「貴女は」
「神父様」
 ジェルトルードは神父に顔を向けてきた。
「はい。ジュリエット様」
 神父はまたジュリエットに声をかけてきた。
「はい」
「貴女は今決めなければならないのです」
「ロミオ様のことですか?」
「そうです。キャブレット卿はあることを考えられています」
「あることを」
 それを聞いて怪訝な顔になった。
「貴女の婚約者はティボルト様でしたね」
「ええ」
「あの方が亡くなられてお父様は考えておられるのです。貴女の御結婚を」
「そんな・・・・・・」
 ジュリエットはそれを聞いて顔にためらいの色を見せた。
「私はもうロミオ様と」
「御相手はパリス様ですが」
「あの方のことは御存知です」
 ジュリエットはそれを聞いて述べる。
「ですが私は」
「ロミオ様ですか」
「そうです。だから」
 それを受け入れることは出来ないのだ。ジュリエットにとっては。
「私はもう」
「ロミオ様を愛しておられるのですね」
「あの方しか愛してはおりません」
 こうまで言い切った。
「ですから」
「どうしてもですね」
「この想いが変わることはありません」
 それ程までにジュリエットの想いは一途だった。それが変わることは決してなかった。
「ですから」
「それでは」
 神父はそこまで聞いて断を下した。
「ジュリエット様」
 まずは彼女を見てきた。
「はい」
「これから私は貴女に死を与えます」
「それで私達は永遠に」
 天国で結ばれるのだと思った。だがそれは違っていた。
「いえ、違います」
「違うのですか」
「そうです。死といっても一時的なもの。貴女を鉛の白が覆い、薔薇の紅を覆い隠す。貴女はゆっくりと目を閉じられ死を迎えられます」
「それではもう」
「ですから御聞き下さい」
 また念を押す。
「すると周りは思います。貴女が亡くなられたと」
「ええ」
「ですがそれは一日だけのこと。一日が過ぎれば」
「私は」
「目が覚めます。そしてキャブレット家の忌まわしい束縛から解き放たれ」
「ロミオ様と」
 ジュリエットはロミオの名を出してきた。
「まずはそれからです。今を逃れ」
「これからの為に」
「一時の死を」
 そして懐から一瓶の薬を取り出した。
「この薬です」
「それがですか」
「そうです。これを飲まれれば」
「私は死ぬ」
「一日だけです」
 彼はジュリエットの目を見て語る。これまで以上に真剣な顔と目であった。
「宜しいですね」
「その一日が過ぎれば」
「貴女はロミオ様と永遠に結ばれるのです」
「わかりました。それでは」
 ジュリエットはそこまで聞いて覚悟を決めた。
「僅か一日だけの死でロミオ様と永遠に結ばれるのなら私は」
「宜しいのですね」
「はい。では」
 薬を受け取った。そして蓋を開けすぐに飲んでしまった。
「こうしてその死をも」
「ジュリエット様」
「ロミオ様にもこのお薬が?」
「いえ」
 それには首を横に振った。
「あの方には必要ありません。ですから御安心下さい」
「ええ」
 答えると急に身体に緩慢な麻痺が漂ってきた。
「神父様、これが」
「そうです、死です」
 彼は答えた。
「その死が貴女を受け止められ幸福へと誘ってくれるのです」
「少しずつ目が見えなくなってきています」
「そうでしょう。ですがそれは眠りと同じ」
「目が覚めたならば」
「永遠の幸福が目の前にあるのです」
「ロミオ様が」
「そう、あの方が」
「私の側で永遠に」
「ジュリエット様、神は貴女達を見守って下さっています」
 神父は崩れ落ちていく彼女を優しい目で見ていた。
「ですから御安心を」
「わかりました。それでは」
「一時のお別れです」
「さようなら」
 ジュリエットはそのまま崩れ落ちた。神父はその身体を受け止めてから礼拝堂の中央に静かに寝かせて鈴を鳴らした。するとシスターが礼拝堂の中に入って来た。
「これから貴女にお願いがあります」
「何でしょうか」
「使いを頼みたいのです」
「使いをですか」
「はい、マントヴァまで」
 彼は述べた。
「宜しいですね。馬で急いで」
「馬でですか」
「そうです。貴女は乗馬がこのうえなく見事ですから」
 このシスターの特技であった。彼女を使者によく使うのはこれが理由であったのだ。
「今回もお願いしますね」
「はい」
 シスターはそれに頷く。
「ではマントヴァに」
「おそらくその途中で御会いになられるでしょう」
「あの方に」
「そう、あの方にです。そして伝言をお伝え下さい」
「どの様な御言葉ですか?」
「すぐにヴェローナに戻って欲しいと。ただしこっそりと」
「こっそりとですか」
 その言葉に問う。
「そうです、そしてこの教会に来られるよう。宜しいですね」
「わかりました」
「それではすぐにお願いします。後はこちらでしておきますので」
「はい」
「すぐに」
「それでは」
 シスターは一礼して礼拝堂を後にした。神父はそれを見送って静かに述べた。
「さて、最後の詰めです」
 ジュリエットを見下ろして真摯な顔で述べた。
「これが上手くいけば御二人は結ばれて。そして」
 彼の願いが思い浮かぶ。
「ヴェローナもまた永遠の幸福と平和が。もうすぐです」
 最後の賽が投げられた。運命の賽が。それがどう動くのかは誰にもわからない。いや、神だけがわかっていた。若し神父が神ならば今この賽を投げはしなかっただろう。しかし彼は神ではなかった。それが悲劇を決定付けるものになってしまったのであった。
 シスターの伝言を聞いたロミオは真夜中に一人ヴェローナに戻っていた。そして教会で神父と会い今ある場所へと向かっていたのであった。
「あの、神父様」
 ロミオは戸惑った声で彼に問う。
「これから何処に行かれるのですか?」
「何処だと思われますか?」
「そこまでは」
 何か不吉なものを感じていたが何処に行くのかはわからなかった。
「ですがやがてわかります」
「はあ」
「貴方が今永遠の幸福に向かわれているということが」
「永遠の幸福ですか」
「そうです」
 神父は答えた。
「もうすぐです」
「ですが神父様」
 ロミオの顔は晴れてはいなかった。
「何でしょうか」
「この夜の道は」
 彼は心の中にある不吉な胸騒ぎを抑えられなくなっていたのだ。
「ここはまさか」
 何かがわかってきた。
「間違いない、神父様」
 前を進む神父に声をかける。
「ここは」
「ロミオ様」
 だが神父は彼には答えない。逆に声をかけてきた。
「は、はい」
「これからは貴方だけでお進み下さい」
「僕だけで」
「そうです。それではこれで」
 あえて気を利かして一人にしたのである。だがそれが間違いであった。
「間違いない、この道は」
 ロミオは道の中で一人言った。
「墓場への道だ。ならジュリエットは」
 墓場の方へ顔を向けた。
「いや、そんなことはない。そうだ、だから」
 自分に言い聞かせながら先に進む。
 墓場は暗闇の中に緑の草や蔦と赤い野の花が見える。それがまるで人の魂のようだ。それに白い墓標や十字架、それに捧げられている花。昼に見れば美しいのであろうが今は闇の中に浮かぶその白と赤、そして緑の世界がまるで異様な死の世界のようであった。
 ロミオはその中にいる。キャブレット家の墓に向かっていた。
「行こう。そして彼女と会うんだ」
 何かを否定しながら墓場を進む。だがそこにいたのだ。
 物言わぬジュリエットであった。静かに微笑んで棺の中に微笑んでいた。
「そんな・・・・・・ジュリエット・・・・・・」
 不安が今絶望となってしまった。
「どうしてこんなことを・・・・・・」
 亡骸にすがりついてさめざめと泣く。
「僕は貴女だけが全てだったのに。貴女がいなくなったなんて」
 ジュリエットは答えはしない。ただ死に顔を彼に見せているだけであった。
「どうしてなのだ、答えてくれ」
 だがやはり答えはない。それがロミオの絶望をさらに深くさせたのであった。
「駄目なのか・・・・・・やはり」
 観念したかのように頭を垂れた。そしてその亡骸を抱き寄せた。
「これが最後の抱擁だ。そして」
 懐から黒い小瓶を取り出してきた。
「僕も貴女の下へ。これで」
 その中にあるのものを飲み干した。それからまたジュリエットを抱いた。
「もうこれで離れることはない。永遠に」
 その時であった。ジュリエットの瞼が微かに動いた。
「えっ」
 それに気付く。見ればジュリエットは少しずつ目覚めてきていた。
「ジュリエット、貴女はまさか」
「ロミオ様なのですか?」
 ジュリエットも今目に入っているロミオを見て問うてきた。
「まさか貴女が」
「僕はここにいる」
 ロミオはそれに答えて述べる。
「貴女は生きていたのか」
「どうしてこちらに」
「神父様に言われて」
 ロミオはそれに答えた。
「一人戻ってきたのだけれど。貴女は」
「生きていたのです」
 ジュリエットは言う。
「神父様のお薬で。一日だけ死んでいたのです」
「そうだったのですか。そんな・・・・・・」
「どうかなさったのですか!?」
「それをもう少し早く知っていれば」
 彼は言う。
「僕は死なずに済んだのに」
「死!?」
 ジュリエットはその言葉に不吉なものを感じた。
「まさか貴方は」
「はい、飲みました」
 ロミオは答えた。
「毒を。貴女が死んだと思い」
「そんな・・・・・・それでは」
「僕は間も無く死にます。もう指の先が」
「こんなに冷たくなって」
 触れるともう氷のようであった。
「どうしてですの、早まられて」
「貴女がいないのならもう意味がないからです」
 青くなっていく顔で言う。
「それならもう」
「けれど私もまた」
「僕が全てだって言ってくれるのかい?」
「そうです」
 その言葉に迷いはなかった。
「ですから私もまた」
 意を決した。懐から短刀を抜いてきた。
「これで・・・・・・私は貴方と共に」
「ジュリエット・・・・・・」
 自らの胸を刺した。紅の薔薇が胸に咲いた。それは死の大輪であった。
「共に参りましょう」
 ジュリエットの顔もまた青くなっていく。
「二人で」
「二人なんだね、僕達は」
「はい」
 ロミオのその言葉に頷く。
「これでもう永遠に」
「僕達は何があっても永遠に一緒だ」
 震え、冷たくなっていく手で握り合った。
「これからは。何があっても」
「ずっと。離れ離れになることはないのですね」
「そうさ。だからもう」
「悲しみも苦しみもなく」
「僕達だけの永遠の世界がはじまるんだ」
「それでは私達はもうすぐ」
「幸せを手に入れられる」
 こうジュリエットに告げる。
「ずっと二人で」
「離れることはないのだからね」
「ロミオ様・・・・・・」
「ジュリエット」
 最後に抱擁を交わした。
「これでもう」
「思い残すことは」
 抱き合ったまま静かにその場に崩れ落ちていく。その白い顔はもう目覚めることがない。だが二人の顔には微笑が浮かんでいた。まるで天使達に迎え入れられたかのような幸せそうな笑みを浮かべていた。



ロミオとジュリエット   完



              2006・11・13





本当に僅かな差が悲劇に。
美姫 「運命に翻弄された二人だったわね」
いや、やっぱり物悲しいよな。
美姫 「そうね。さて、少し気を取り直して」
だな。投稿ありがとうございました。
美姫 「ありがとうございました〜」



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