『薔薇の騎士』




                          第三幕  結ばれる二人

 居酒屋エレクトラ。名前はともかくとしてあまりいい酒屋ではない。ウィーンの下町にある騒がしい酒屋だ。ここで男爵が店の客達と既にいい加減に出来上がっていた。
 木造で質素だが広い店だ。樫の木のテーブルの上には雑然とハムやソーセージやワインにビールが置かれている。男爵は店の中央の円卓に大きく陣取りそこに店の常連や自分の従者達を従えて陽気に飲んでいるのであった。
「バッカス万歳!」
「バッカス万歳!」
 皆男爵の言葉に合わせて杯を掲げる。木製の大きいが軽い杯だ。そこにはワインやビールがほんの少しばかり残っている。ほんの数滴だけであるが。
 賑やかな場所であり奥には二階に続く階段がある。その後ろの階段をちらりと見つつも男爵は陽気に彼等と飲み続けていた。
「旦那様」
 そこにアンニーナが来た。ヴァルツァッキも一緒だ。二人はそれぞれ礼装をしてはいる。アンニーナは黒いドレスでヴァルツァッキは黒いタキシードである。同時になりこそはいいが何か得体の知れない怪しい感じの老婆もやって来て店の二階へと入るのであった。
 そこに少女が来た。マリアンデルである。アンニーナは彼女を見て楽しげな笑みを向けた。
「あら、来たのね」
 しかしマリアンデルはまずは一礼してからそっと彼女に歩み寄りポケットの中に手を入れて金貨がたっぷりと入った袋を手渡した。ヴァルツァッキにもだった。そのうえで彼等に囁く。
「そうなのですか」
「わかりました。それでは」
 二人は彼女の囁きに真剣な顔で頷く。これまでの明るい顔が消えていた。そうして今度は五人のこれまた怪しい男達がやって来てマリアンデル及び二人と話した後で店のそれぞれの場所に入った。だが男爵はそれに気付くことはなく従者や客達と飲み続けている。その彼のところに太ったエプロンの男が来た。この店の親父である。
「男爵様」
「おお、親父か」
 男爵は酒に酔った朗らかな顔で彼に顔を向けた。むしゃむしゃとハムを食べながら。
「美味いな、ここの酒も料理も」
「有り難うございます」
「いやいや、これはいい」
 そう言いながら黒ビールを一気に飲み干した。
「幾らでもいける。しかも安いときたものだ」
「貴族の方がこの店に来られるのは珍しいのですが」
「こいつ等に教えてもらったのじゃよ」
 満面の笑みで自分の従者達を指差すのだった。
「美味い酒と料理の店があるとな。それでここにしたのじゃ」
「左様ですか」
「左様じゃ。そしてじゃ」
 横目で親父を見つつ問うてきた。
「二階はどうなっておるか」
「既に用意はできております」
「うむ、御苦労」
 それを聞いてまずは満足気に笑ってみせた。
「何よりだ。それではな」
「ではそろそろ上がるぞ」
 そう言って一人立ち上がった。
「ああ、御主等はそのままでいい」
 まだ盛んに飲み食いしている自分の従者や客達にはこう告げた。
「これでな。つりはいらんぞ」
「おお、これは中々」
「太っ腹な御仁だ」
 客達は男爵が袋ごと金を置いていったのを見て思わず声をあげた。
「気前のいい男爵様だ」
「俺達にまでおごってくれるなんて」
「困った時は何時でもレルヒェナウに来るがいい」
 男爵は朗らかに彼等に言葉を返す。
「助けてやるし御馳走もしてやるぞ」
「それでこそ我等の領主様」
「いよっ、この色男」
「本当のことを言うな」
 少なくとも半分は本気で言葉を返す。それから親父に向き直ってそっと囁くのであった。
「あの娘が来たら二階にこっそりとな」
「畏まりました」
「燈火の用意は?」
「もうできております」
 こう男爵に答えた。
「葡萄酒やおつまみもまた」
「よいぞよいぞ、上出来だ」
 それを聞いて満足した顔で親父のエプロンのポケットにそっとコインを入れた。
「少ないがな」
「すいません」
 親父は笑顔でそのコインを受けていた。
「給仕はいらないのでしたね」
「ああ、わしがやるさ」
 これを聞くのは野暮なことだったがそれでも機嫌よく言葉を受け返した。
「休んでおれ。いいな」
「はい、それでは」
「ではな。娘が来たらな」
「わかりました」
 こうして男爵は二階に消える。二階は少し薄暗く燈火に照らされ一つのテーブルと二つの椅子があった。そこは一つの部屋だが二階にしてはかなり広い。しかも隣に怪しい部屋がある。男爵はその中で一人楽しげにワルツのステップを踏んでいた。そこにそのマリアンデルがやって来たのだった。
「男爵様」
「おお、遂に来たか」
 そのマリアンデルの顔を見て満面の笑顔になる。酒でもう真っ赤だがそれが余計にいい。
「では。まずは」
 二つある木製の杯の両方にワインを注ぐ。そのうちの一つをマリアンデルに手渡そうとするが彼女は俯いてその申し出を断るのであった。
「私はお酒は」
「駄目なのか」
「すいません」
「それならいい。酒は楽しく飲むものだ」
 これは男爵の哲学だ。
「無理強いはせぬさ。ところで」
「はい」
「まあ楽しく話でもしよう」
 陽気に笑いながら彼女に言う。さりげなくにじり寄ってもいる。
「ではな」
「お隣の部屋は」
「気にすることはない」
 何があるのかさえも言いはしない。
「何ということはないさ。休む場所だ」
「そうなのですか」
「そしてここは騒ぐ場所」
 言いながらテーブルの上のお菓子を手に取って食べる。チョコレートクッキーである。特別にここに取り寄せたものだ。親父に金を弾んで。
「さあ。では楽しく話をしよう」
「ですが男爵様」
 しかしマリアンデルは畏まったまま男爵に対して尋ねるのであった。
「貴方様は確か花婿様では」
「おや、そうだったかな」
 その質問にはあえてとぼけてみせる。目が上を向いて知らないふりだ。
「さて、どうだったかな」
「そうなのですか」
「ここではそんな世間のことは関係ないのだよ」
 またマリアンデルににじり寄る。しかし彼女はコケテイッシュな動作で彼をかわす。
「おや、これは可愛い動きだ」
「そうでしょうか」
「おなごにしては。しかも」
 ここでマリアンデルの顔をあまり明るくはない部屋の灯りの中で見る。見ればその顔は。
「似ているな」
「誰にでしょうか」
「まあ当然か。血縁だったか」
 この前の朝の元帥夫人との話を思い出す。うろおぼえだがそれが心に引っ掛かる。そのせいでマリアンデルにこれ以上近付くことができなくなっていた。それで困っていると。
「むっ!?」
 部屋の隅のカーテンが動いたのが見えた。窓は全部閉まっている。それも確かめて首を捻るのであった。
「妙だな」
「どうなさいました?」
「うむ、今カーテンがな」
 そのことをマリアンデルにも言うのであった。
「動いたのだが」
「気のせいでは?」
「そうかのう。それに」
 またマリアンデルの顔を見る。見れば見る程似ているように思えるのだった。
「本当に気のせいかのう」
「さっきから何を」
「いや、何でもない」
 ここではこれ以上言わなかった。ふと下から音楽が聴こえてきた。
「むっ」
「いい曲ですね」
「確かに」
 ここではマリアンデルと男爵の考えが一致した。表向きは。男爵は心からであるが。
「しかしだ」
「はい?」
「どうしたのだ、急に」
 マリアンデルの異変に気付いたのだ。その異変とは。
「しんみりとしだしたな」
「あまりにもいい曲ですから」
「そうだな、確かに」
 男爵もその言葉には頷くことができた。彼のお気に入りの曲であるからだ、
「この曲はな」
「何か?」
「聴いていると落ち着いてくるだけではない。心が優しくもなる」
「優しくですか」
「センチメンタルにもなる」
 意外にも目を閉じての言葉にもなっていた。しんみりとした感じに彼もなっていたのだ。
「どうにもこうにも」
「心ではどんなことを望んでいても」
 マリアンデルは不意に言ってきた。
「結局は全ては同じです」
「またどうして急にそんなことを」
「何でもかんでも。皆下らないものでしかないわ」
「そうともばかり限らないさ」
 男爵は優しい言葉を彼女、実は彼にかけた。下心も復活させながら。顔の笑みにそれが浮かんでいる。
「いいかね」
「いえ」
 しかもマリアンデルは男爵からさっと逃れてまた言葉を続ける。
「時は過ぎ去り風は吹き去る」
 乙女の顔の哀しい言葉であった。
「私達だっていずれは。人は皆いずれは」
「また悲しいことを。歌のせいか」
「いいえ」
 とは言ってもマリアンデルとしての哀しい言葉は続く。
「どんなに力があってもどうにもできないのです。貴方のことも私のことも」
「ワインを飲み過ぎたのかな?」
 男爵は彼女、実は彼の様子を見てこう考えた。
「そういえばわしも。飲み過ぎたか」
「飲み過ぎですか」
「うむ」
 マリアンデルのその問いに頷く。
「少し済まんな」
「あっ、はい」
 彼はここで鬘を取った。何と彼のその頭は鬘であったのだ。というよりはこの時代の貴族は皆鬘を着けている。驚くべきというかその本当の髪型が毛髪のないものだったからだ。見事なまでにそれがなかったのだ。どうもそれをかなり気にしているようであるがここでまた言った。
「暑い」
 そう言いながらハンカチでその頭を拭く。
「しかし本当に」
「何か?」
 またマリアンデルの顔を見るがここでもオクタヴィアンにそっくりに見えるのだった。
「いや、何でもないが」
「左様ですか」
「しかしな」
 ワインを飲みながら部屋の中を見回す。どうも気配を感じているのだ。
「おかしなものだ」
「そうでしょうか」
「何かが感じられるのだ」
「何を!?」
「むっ!?」
 声が聞こえてきた。それは。
「あの人だ」
 女の声であった。
「あの人は私の夫です」
「あの人!?」
 男爵はそれを聞いて顔を顰めさせた。同時に青くもさせている。
「誰がだ」
「まさか幽霊が!?」
「いや、違う」
 マリアンデルのその言葉を恐怖と共に否定する。
「これは。違う。有り得ない」
「ですが今のは」
「あそこです」
 何とアンニーナが変装して出て来た。店の給仕達に止められているがそれでも部屋にやって来たのであった。ずかずかとした調子で。
「あの人が私の夫です」
「!?誰だ」
(いよいよか)
 男爵は慌ててアンニーナが変装した女に顔を向けるがマリアンデル、実はオクタヴィアンはここでにんまりと笑う。そうした差が見事なまでに出ていた。しかし男爵は気付いていない。
「あの人を訴えます」
「わしをか!?」
「神が私の証人で貴方達が私の証人です。女帝陛下の御前で裁判を」
「何なのだ、今度は」
「さあさあ男爵様」
 アンニーナは戸惑う男爵にさらに言う。
「早くお認めになって下さい」
「誰だ御前は。しかも」
 彼女だけではない。他にも大勢いた。
「男達も来た。しかも」
「御可哀想に」
 店の親父が来て泣いていた。
「お気の毒な奥様」
「奥様も何も」
 男爵は唖然としながら言葉を発する。
「わしはまだ結婚も」
「パパ!」
 今度は四人の小さな子供達まで出て来ていた。そうして男爵にまとわりついてきている。
「パパ!パパ!」
「わしは御主等のパパではないぞ!」
「嘘を申し上げなさるな」
「そうです」
 周りから男達が言う。
「ですからお認めになって下さい」
「わしは子供は一人だ」
 男爵は慌てて釈明する。
「女好きだが。ちゃんと認知は」
「嘘です」
 しかしそれはアンニーナが否定する。
「その証拠に私は」
「わしはそなたなぞ知らん!」
 ムキになって否定する。
「それで何をだ!」
「さて」
 喧騒の中でマリアンデルはオクタヴィアンに戻っていた。その顔でヴァルツァッキに問い掛ける。実は彼とアンニーナがオクタヴィアンが買収して取り込んでいるのだ。
「ファニナルさんの方は」
「万事怠りなく」
「ならよし」
 それを聞いて微笑む。その間にも喧騒は続いている。
「パパ!パパ!」
「さあ男爵、お認めになって下さいまし」
「早く!」
「だから知らん!」
 男爵は必死になって否定する。
「わしはこんな女は!」
「ああ、酷い!」
 アンニーナは今度は嘘泣きに入った。
「何という惨いお方!」
「重婚は重罪ですぞ!」
「神に反します!」
「風紀警察に通報を!」
「今度は風紀警察か!」
 いい加減男爵も嫌になってきていた。
「何故どうもこうも。わしは潔白だ!」
「潔白なら御証明を!」
「さあ!」
「わしはカトリックだ!」
 怒って宣言した。
「プロテスタントも領内では認めておる。しかしあくまでカトリックだ!」
「ではやはり」
「そうですな。重婚のかどで」
「だから何故そうなるのだ」
 うんざりした顔になっている。
「警官を呼んでくれ。早く」
「はいはい」
 ヴァルツァッキ達は頷きはする。しかし。
「ではすぐに風紀警察を」
「こちらに」
「だから違う!普通の警察を!」
「パパ!パパ!」
「警察ですが」
 何故かとんでもないタイミングでここで警官達が部屋に入って来た。警部が二人の巡査を連れて出て来ている。何とも絶妙な、怪しいまでのタイミングだ。
「呼ばれましたが」
「何が起こっているのでしょうか」
「重婚です!」
「違う!」
 アンニーナと男爵双方から叫び声があがる。
「私は騙されたんです!」
「こんな女は知らん!」
「何が何だか」
「ああ」
 オクタヴィアンがにこにことした顔で警部の方に来た。それからそっと囁く。
「私ですが」
「むっ、貴方は」
「まあ話を聞いて下さい。静かにさせて」
「わかりました。それでは」
 オクタヴィアンの言葉に頷いて。すぐに笛を吹いて皆を沈静化させた。この辺りは流石であった。
「さて、それではですな」
「はい」
 皆警部に顔を向けて話を静かに再開させた。
「ここの主は」
「私です」
 店の主人が答えた。
「そうですか。それでこの騒ぎは」
「この男爵様が」
「ふむ」
 主人の言葉を受けて男爵に顔を向ける。
「こちらの大きな方がですね」
「そうです、その方がですね」
 見れば男爵は必死に鬘を探している。しかしどういうわけか見つからない。
「レルヒェナウ男爵様といいまして」
「知らないのですが」
「何っ!?」
 自分の名前が出て慌ててそちらに顔をやる。
「わしを知らないと」
「少なくとも証明はできませんが」
「下に従者達がいるぞ」
 男爵はそう言われてすぐにこう答えた。
「それはな」
「おや、ですが」
「何じゃ」
 すぐに警部の様子がおかしいのを察して問い返す。
「何か不都合でもあるのか?」
「下にいる客は皆酔い潰れておりますが」
「ううむ」
 男爵はそれを聞いて難しい顔になった。それと共に腕を組んで考え込むふうになった。
「何とも。困ったことじゃ」
「他に証明できる方法はおありでしょうか」
「この者じゃ」
 次に出してきたのは丁度いいタイミングで隣にいたヴァルツァッキであった。無論これはヴァルツァッキの方からも狙ってのことである。
「この者ならわしが誰かを証明できるぞ」
「いえ、私は」
 しかしここでそのヴァルツァッキがとぼけるのであった。オクタヴィアンはそれを見て内心よし、となる。しかし顔はマリアンデルのままなのだった。
「それはできません」
「何だと!?」
「果たしてこの方が男爵様かどうか。わたしにはわかりかねます」
「何と。貴様どういうつもりだ!?」
「まあまあ落ち着かれて」
 また警部が男爵を宥める。わかってはいるから落ち着いたものである。
「ところでこちらの若い娘は」
「ああ、この娘か」
 まだ彼はマリアンデルと思っている。だから娘なのだ。
「何でもない。わしが面倒を見ておってな」
「貴方がですか」
「何かあるか?」
「あります。貴方の身元がわからないというのに」
 どうしてそれで保護なのだと。そう言いたいのである。
「どうして保護なぞをできましょうか」
「ではこの娘の名前を言おう」
 らちが明かないと見てこう言い切り出してきた男爵であった。
「よいか、この娘の名はファニナルという」
「おいおい、またこの人は」
「言っちゃったわね」
 ヴァルツァッキとアンニーナは男爵のとんでもない嘘に思わず呆れてしまった。これはオクタヴィアンも彼の周りにいる者達も同じだったが声には出さなかっただけである。
「ソフィア=アンナ=バルバラ」
「むむっ」
 警部はその名を聞いてわざと身構えてみた。これもまた演技だ。
「フォン=ファニナル閣下の御令嬢だぞ」
「その方が何故メイドの格好を?」
「ま、まあそれはそれで」
 警部に突っ込まれてしどろもどろになる。だがそれでも言い繕うとする。
「色々と事情があってな」
「事情ですか」
「左様。そういうことだからな」
 この場を強引に終わらせようとすると。そこにそのファニナルがやって来たのだった。これも全てオクタヴィアンの策略であるのだが。
「何故こんな時間にこんなところに」
 所謂体面を気にするパターンの上流階級にある者特有の猥雑なものを嫌う風潮をそのまま出しながらこの場にやって来たのはそのファニナルであった。彼は男爵の姿を認めるとその面持ちをさらに出して彼に対して問うのであった。
「何故貴方がこんな所に?」
「どうしてここに」
「どうしてここにと言われましても」
 ファニナルの方で困った顔になって彼に問い返すのだった。
「貴方が私を呼んだのではありませんか」
「わしが!?」
「そうです。それでどうしてその様なことを」
「何が何だか」
「あのですな」
 タイミングを見事に見計らって警部がまた話に入ってみせてきた。
「この方は一体」
「あっ、まあこの方は」
 立場がさらに苦しくなった男爵は何とかこの場を取り繕おうとまた嘘をつくことにした。
「唯の知り合いです」
「どちら様でしょうか」
「ファニナルです」
 男爵が答える前に本人が答えてしまった。男爵はあっと思わずその口を大きく広げてしまった。
「フォン=ファニナルです」
「むむっ、それではですな」
 警部はそれを聞いて彼なりに事情を察して述べた。芝居のうえで。
「こちらの方のお父上ですな」
「こちらの?」
 そう言われても訳がわからずまた怪訝な顔になるファニナルであった。
「何のことでしょうか」
「いやいや、何でもありませんぞ」
 男爵はまだ必死にこの場を取り繕おうと努力するのだった。
「御気になされずに。さあ帰りましょう」
「実はこちらの方がですな」
 しかしそれを逃がす警部ではなくまた男爵を指差してファニナルに対して言うのであった。それを見た男爵はまた非常にバツの悪い顔になる。彼にとってはまさに惨劇だ。
「こちらの娘さんが貴方の娘さんだと」
「えっ、私のですか」
「そうです」
 ここでまた。アンニーナが子供達にチョコレートをやってから男爵にけしかける。
「パパ!パパ!」
「うわっ、まだいたのか!」
「パパ!?」
 それを聞いてまたファニナルが顔を向けた。
「パパとは!?」
「ですから何でもありません」
 男爵はもう泣きそうな顔になって言い繕う。
「わしにはもう何が何だか」
「この人の妻です」
 絶好のタイミングでアンニーナが大芝居を打つ。
「そしてこの子達は私達の」
「何っ!?正式に結婚しておったのか!?」
「違う!」
 男爵は思わず絶叫する。
「わしはまだ。それに子供は一人だけしかいないし」
「一人だけとなると」
「この子供達ではない!」
「いえいえ、まだまだ一杯いますぞ!」
「よっ、もてますな!」
「もててもおらん!」
 必死に周りの囃しに言い返す。
「どうしてだ。何が何だか」
「むっ、ここで」 
 オクタヴィアンが一人声をあげる。ゾフィーがやって来たのだ。
「お父様」
「どうして御前がここに」
「お父様が呼んだのではないのですか?」
 娘は思わぬ本当の娘の登場に目を丸くさせる父に対して言葉を返した。
「それで私も参上したのですが」
「!?呼んでいないが。だが丁度いい時に来た」
 顔を顰めさせて娘に告げる。
「いいタイミングですか」
「そうだ。見よ」
「パパ!パパ!」
「知らないと言っている!」
「ですが証明することはできませんね」
「その子供達が何よりの証拠ですよ」
 子供達と実は役者達に囲まれて右往左往している男爵を忌々しげな目で見ながら語るのであった。
「さあお認めになって下さい」
「御自身のされたことではないですか」
「旦那様!」
「どうされましたか!?」
 ここでようやくといった感じで彼の従者達が来た。彼等はすぐに子供達やアンニーナ達を押しのけて主を取り囲んで守る。男爵は彼等に守られだしてようやく落ち着いた。それでやっと話すのであった。
「こういうことですじゃ。わしはオックス男爵ですぞ」
「酔っ払いに証明できるとでも?」
「だからどうしてこう」
 わざと納得しない警部に対してまた泣きそうな顔になるのだった。
「信じてくれんのだ」
「あの」
 またマリアンデルとしてオクタヴィアンが警部のところに来た。
「むっ!?」
「ああ、そうだ」
 男爵は彼女、男爵がそう思っている相手を見て活路を見出した気になってまた述べるのだった。
「わしは彼女に何もしておらんよ。誓って言う」
「私にも結婚を誓われましたわね」
「だから貴様なぞ知らんわ!」
 横から言ってきたアンニーナに対して叫ぶ。
「何故そうなるのだ、一体全体」
「やはり信用できませんね」
「そうだな」
 警部はわざとらしく警官の言葉に頷く。
「任意同行を願うか」
「なっ、貴族であるわしが」
「ですから」
「あっ!」
 だがここで。また新たな声が聞こえてきた。店の主人の声だったが思いも寄らぬ客、この日のこの店で何人目かわからないその客の来訪に声をあげたのである。
「どうして貴女様がこちらに」
「貴女様!?」
「それは一体誰だ!?」
 皆とりあえず男爵から目を離して声の方を見る。男爵もとりあえず目が離れたのに感謝して声の方に顔を向けるのであった。するとそこにいたのは。
「どうして・・・・・・」
 オクタヴィアンは思わず声をあげてしまった。何とそこにいるのは元帥夫人だったのだ。白いシックな外出着に身を包み羽根飾りのついた帽子を被っている。穏やかかつ優雅な物腰で部屋に入って来たのであった。
「ようこそここに」
 男爵が最初に彼女に頭を垂れる。オクタヴィアンは慌てて着替えの為にカーテンの奥に消える。夫人は静かに警部のところに来て告げるのであった。
「お久し振りですわね」
「はい」
「んっ!?」
 男爵は警部が夫人に丁寧に頭を垂れたのを見てふと不思議に思った。
「奥様はあの警部とお知り合いなのか」
「主人の伝令をされていた時にはどうも」
「はい」
 二人はそうやり取りを続ける。そうした間柄だったのだ。
「どうしてあの方がここに」
 オクタヴィアンはカーテンの中で必死に服を脱ぎながら呟く。彼は既に自分の服をメイド服の下に着込んでいたのである。それで今こうして着替えているのだ。
「何がどうして」
「あの」
 ゾフィーがここで怒りを抑えた様子で呆然としている男爵に声をかけてきた。
「むっ!?」
「私の父からの言伝えですが」
「言伝え!?」
「そうです。それは」
「奥様」
 今度姿を現わしたのは。オクタヴィアンであった。男爵は彼の姿を認めてまた顎が外れる程驚いた。しかしそれは彼とその従者達だけの驚きであった。
「何故ここに」
「何が何なのか」
「今申し上げます」
 そんな男爵達をよそに夫人の前に来た。それから優雅に片膝を着いて述べるのであった。
「このお嬢様は」
「伯爵」
 夫人はあえて彼を。今伯爵と呼んだ。しかしオクタヴィアンは今はそれには気付かず当然ながらその意味にも気付かない。若さ故に。
「はい?」
「いい方ね」
 微笑んでゾフィーを見ての言葉であった。
「あの方は」
「は、はい」
 無意識のうちに夫人の言葉に頷く。片膝をついたまま。
「まことに」
「素晴らしい方だわ。そう」
 ここでまた何かを言おうとしたが。ゾフィーが男爵に怒った言葉を続けていたのでそれは中断せざるを得なかった。
「貴方はもう」
「何なのだ?」
 ゾフィーは扉を背にして立ち。小柄な身体に怒りを込めて話す。その剣幕に男爵は退いていた。既にこの時点でもう負けてしまっていた。
「わしが何と」
「我が家の屋敷、いえ関係するどの場所にも近付かないで下さい。若し近付けば」
「どうなると」
「何が起こっても責任は持てません。以上です」
 これはほぼゾフィーの言葉であったが。この場では絶対のものとなるものであった。有無を言わせない程強いもののある言葉であった。
「おわかりになられましたね。それでは」
「ううむ」
「男爵」
 夫人は今度は。男爵に対して囁くのだった。そっと彼の側まであえて寄って。
「もうお止めになっては如何?」
「お止めになってはとは」
「彼女はもう」
 あえてここで言葉を止めた。男爵を気遣って。
「おわかりですわね」
「それは」
「そういうことです。ですから」
「そうですな」
 遂に夫人の言葉に頷いた。彼ももう何をしても駄目だということがわかったからだ。彼とても決して愚かではないからわかることである。だからこそ頷いたのである。
「ここは」
「そうです。では」
 夫人は今度は。警部に声をかけた。
「警部さん」
「はい」
 警部もそれに応える。二人のやり取りに移った。
「今夜のことはただの馬鹿なこと」
「左様ですか」
「そうです。ですからそういうことで」
「わかりました。全ては馬鹿げた冗談ですね」
「ええ」
 結論はこういうことになった。夫人はあえて誰も表立っては恥をかかないようにしたのである。これが彼女の配慮であった。
「男爵」
 夫人は話を収めたところでまた男爵に声をかけた。
「何でしょうか」
「おわかりですね。あの娘は」
「全く何が何だか」
 オクタヴィアンであることはわかったが。それでも頭が混乱して何が何なのかわからなくなった。オクタヴィアンのことも今ようやくわかったからだ。驚かなかったのはその前にゾフィーに縁切りを告げられてそのショックの中にいるからだ。だからである。
「似ていると思えば」
「仮面舞踏会です」
「仮面舞踏会!?しかしそれは」
 マリア=テレジアは風紀に非常に厳しい。仮面舞踏会はいかがわしい逢引にも利用されていたので彼女はそれを徹底的に取り締まっていたのである。男爵はそれも知っているのだ。
「ウィーンの仮面舞踏会です」
「ウィーンの!?」
「そうです」
 こう男爵に対して答えた。穏やかなままで。
「それだけです」
「何が何なのかわかりませんが」
「それでも男爵」
 静かに。また男爵を気遣っての言葉を述べるのであった。
「騎士で。貴族であられるならば」
「貴族であるならば」
「そうです。ですから」
「わしは。そうだ」
 確かに彼は貴族だ。その誇りもある。今それをあらためて思うのであった。これこそが夫人の導いたものであった。
「貴族であった」
「ですから今はお考えになられずに」
「そうですな。それは」
 ちらりとオクタヴィアンにゾフィーを見る。何故かもうオクタヴィアンへの恨みは消えていた。自分でもそれが不思議ではあったが。
「わかりました」
「有り難うございます。そうして頂けると」
「レルヒェナウ家の者は他人の楽しみを妨げる程野暮ではありません。では」
「ええ。それでは」
「所詮わしはレルヒェナウの者」
 言葉と表情に自嘲が見えた。だがそれはほんの一瞬のことですぐに打ち消したのであった。夫人だけがそれを認めたがあえて言いはしなかった。
「ウィーンには用はなかったのだな」
「さて」
 夫人は彼の言葉を聞きながら。今度はヴァルツァッキやアンニーナ、それに役者や子供達に対して顔を向けるのだった。騒動の脇役達に対して。
「貴方達も。お帰りなさい」
 そう言いながら懐からそっと何かを出す。それは数個の宝石であった。
「これを」
「えっ、これは」
「こんなに」
「今夜の。仮面舞踏会の出演のものです」
 こう述べてその宝石達を手渡すのであった。
「ですから」
「これはお店のお勘定も入っているのですね」
「勿論」
 店の主人に対しても答える。
「ですから。もうこれで静かに」
「わかりました。それでは」
「もうこれで」
 彼等は去った。そしてそれを受けて男爵も。夫人に対してまずは一礼したのであった。最初と同じフランス風のあのお辞儀であった。
「奥様。それでは」
「ええ、これで」
「ウィーンとはお別れです」
「もう来られないのですか?」
「今回のことでよくわかりました」
 これが男爵の出した結論であった。
「そういうことです」
「左様ですか」
「所詮わしは田舎者」
 また自嘲の言葉が出た。
「そういうことです。それでは今度は」
「レルヒェナウで、ですね」
「ええ、お待ちしておりますぞ」
「わかりました。それでは」
「ささ、旦那様」
 ここで。従者達が素早く彼を取り囲む。こんな時でも主のことを気遣っている。酔ってはいてもだ。
「鬘を」
「コートを」
「おお、済まんな」
 彼等からそういったものを受け取って目を細める。
「探していたのだがな」
「今見つけました」
「ですからすぐに」
「うむ、済まんな」
 彼等に礼を告げて身に着けて。それから後にするのだった。
 とりあえず胸に想うことは見せない。貴族としての体面は保ちつつ従者達を従えて酒場を、ウィーンを後にするのであった。何も残さずに。
 男爵がいなくなると。後に残ったのは。
「私は一体」
 オクタヴィアンは戸惑ってその場をうろうろとしていた。どうしていいかわからなかったのだ。
「何が何だか。こんな筈では」
「こんなことがあるなんて」
 そしてそれはゾフィーも同じだった。二人の若者達は夫人の周りでおろおろとしていた。ただ静かにそこに立っている夫人の周りで。
「あの人はあの方のお側にいて。私はあの人にとってはからっぽに過ぎない」
「私があの娘さんをお助けして。それがどうして」
「伯爵」
 ここで夫人は。またオクタヴィアンをあえて伯爵と呼んだのであった。
「はい?」
「早くお行きなさい」
「行くとは」
「そうです」
 表情はにこやかな笑みのままで。静かに告げるのであった。
「行くのです。貴方の心に従って」
「私の心に」
「そうです」
 また告げた。
「だからもう」
「あの、テレーズ」
 夫人をその名で呼んだ。
「僕には貴女のお考えが」
「合っているわ」
 そんなオクタヴィアンを突き放すような言葉を出した。あえて。
「あの娘には」
「どうしてそんな。いや」
 オクタヴィアンはそれを聞いて。無意識のうちにやけになった。そして言った。
「それならいっそのこと。しかし」
 ゾフィーの方を見たがすぐに顔を戻し。また夫人に向かう。
「どうしてこんな。親切な御言葉さえも。挨拶さえも」
「それはもう私からは」
「私もです」
 ゾフィーも言うのだった。
「どうしてこんなことを。私は」
「えっ、貴女は」
 オクタヴィアンはゾフィーのその言葉を聞いて驚く。
「あの男爵とは」
「それはそうですけれど」
 ゾフィーもそれは認める。認めはするが。
「それでも。こんなふうには」
「そうだったのですか」
「はい。恥ずかしいですし」
 娘として。この騒ぎはということである。
「それに奥様が私をどう御覧になっているかわかりますし」
「ですが僕は」
 ここでオクタヴィアンは。自分でも気付かないうちに決定的な行動に出た。遂にだ。
「違います。決して貴女を」
「あっ」
 その手を取ったのだった。ここで。
「離しません。そして守ってみせます」
「ですが私は」
 ゾフィーはそれから必死に逃れようとして言うのだった。
「お父様のところへ」
「ですが僕は」
 オクタヴィアンも引き下がらない。
「貴女を誰よりも。何よりも」
「御口では何とでも言えるでしょうが」
「愛しています」
 次の決定的なものであった。
「今それを貴女に告げます」
「それは本当ではありません」
 ゾフィーはオクタヴィアンのこの言葉も拒んだ。言葉のうえでは。
「ですからもう私は」
「いえ。本当です」
 オクタヴィアンも退かない。己の心に素直になっていた。だからこそであった。
「貴女は私の全てです。何があろうとも」
「忘れて下さい」
「私の想いは貴女にだけ」
 また言う。
「貴女の笑顔を見ることを望んでいるのです」
「今日か明日か明後日か」
 夫人はそんな二人を見ながら独白する。誰にも知られることなく。
「わかっていた筈。誰にも一度は来るこの日を。けれど私は」
 悲しい。何かが壊れ死んでいき二度と戻ってはこないことを感じていた。寂しさと悲しさと共に。その中で彼女一人で呟くのであった。
「ああ、どうしようか」
「忘れて下さい」
 二人のやり取りは続いていた。
「どうしても言葉がうまく出ない」
「忘れて下さい。貴方には」
「うっ・・・・・・」
 彼女もわかっていたのだ。オクタヴィアンのことを。それを言われるとオクタヴィアンはついつい夫人の方を見てしまう。しかし夫人はその彼に対して。ただこう言うだけだった。
「どうしてそう迷っているの。迷うことはないのに」
「何故そのようなことを」
「お顔を見ていれば」
 言葉はあえて他人行儀にしていた。オクタヴィアンを突き放すように。
「わかりますわ」
「僕は・・・・・・」
「私も」
 ゾフィーも夫人に対して言う。自分が今どれだけ取り乱してしまっているかわかっていたから。
「ああしたことがありました。けれどそれは」
「僕はそれなしでも貴女を」
「貴方には感謝はしています」
 彼女もまた。言い繕うだけであった。
「ですが。それは」
「それでも僕は」
「貴女と伯爵様を」
 夫人はここではゾフィーに声をかけた。
「はい」
「ご一緒に家へ送らせて頂きましょう」
「えっ・・・・・・」
「それは・・・・・・」
 あまりにも直接的な言葉であった。二人はすぐにわかってしまった。
「貴女の御気分のことは」
「ええ」
 話しながらまたオクタヴィアンを見やる。
「この私の従弟が知っております」
「この方がですか」
「そうです。ですから私はもう」
「マリー=テレーズ」
 オクタヴィアンはその彼女の名を口にした。何故か。そこにはこれまでのような深いものは消えていた。表面上の儀礼的なものになろうとしていた。そんな言葉であった。
「貴女は。そうして」
「何でもありませんわ」
 口では言う。心を押し殺して。
「私が誓ったことは彼を正しい仕方で愛すること。だから彼が他の人を愛そうともその彼を愛そうと。けれどこんなに早くその時が来るとは思いませんでした」
「・・・・・・・・・」
 二人は夫人のその言葉の前に沈黙してしまった。夫人の言葉はさらに続く。
「この世にはただは無しを聞いているだけでは信じられないことが多くありますわ。けれど実際にそれをその身に受けた人は信じることができるけれどどうしてだかはわからない」
 それが人であるのだ。
「ここに彼がいて私がいて。そして彼女が。彼は彼女と幸せになるでしょう。幸福という言葉をよく知っている多くの人達と同じように」
「何かが来て何かが起こったのか」
 オクタヴィアンも独白する。
「それでいいのか。僕は聞きたい。けれど彼女はそれを許さない」
 夫人を見て呟く。
「何故こんなに震えているんだろう。何か途方もない過ちを犯してしまったのか。そして同時に僕は彼女を見詰める」
 その彼女は。
「ゾフィー」
 その名を口にした。
「僕は貴女を見詰める。貴女だけを。これは貴女を愛しているということなのだろうか」
「教会にいるような心の中」
 そしてゾフィーも。独白していた。
「敬虔で何処か不安な心の中。不浄なものもある」
 静かに揺れ動いていたのだ。
「自分の気持ちがわからない。あの方に対して跪きたくもあり怒鳴りたくもあり。どうしてこんな気持ちなのかしら」
 はっきりとはわからない。しかし心はさらに揺れ動くのであった。
「私には彼女が私にあの人を与えて下さるのがわかるし彼から何かを奪うことも感じている」
 相反していた。完全に。
「全てを知りたいとも思い知りたくもないとも想う。問いただしたいけれどそれを否定もしたい。暑くもなれば寒くもなってしまう」
 どれもこれも反対のものだった。まるで合わせ鏡の世界の様に。何もかもが。
「けれど。ただ一つ確かなことは」
 オクタヴィアンを見る。それは。
「あの方だけは。やっぱり」
「貴女だけしかいない」
 ここでオクタヴィアンは。ゾフィーにまたこの言葉を告げたのだった。
「何度も申し上げます。ですから」
「夢なのでしょうか。貴方と一緒に」
「貴女だけが心に残り他のことは消え去り」
 オクタヴィアンの言葉は続く。
「一つの宮殿の中に貴女がいて私は人々にその中に導かれ幸福の絶頂に導かれた。素晴らしい人達によって」
「私は不安で仕方がない」
 ゾフィーもそれに応えて言う。
「天の入り口に立った時の様に。今にも倒れてしまいそう」
「僕の側に倒れて下さい」
「・・・・・・はい」
 オクタヴィアンの中に抱かれた。全ては。これで完結したのだった。
「おや」
 そこにファニナルが出て来た。少し休んで楽になり部屋に戻って来たのだった。彼は夫人のところにやって来て娘達を見て声をあげたのだった。
「若い人達はこうしたものなのですか」
「そうなのです」
 夫人は静かに彼に答える。そして。
「去る者は。音もなく」
「そうですな。では私は」
 まずは彼が去った。いなくなったのを見てから夫人もまた。愛し合い抱き締め合う二人にそっと背を向けて去るのだった。音もなくカーテンコールもなく。ただ一人去るのであった。
 二人は夫人が去ったことに気付いていない。暗くなった部屋の中で誓い合っていた。
「貴女だけを感じて。一緒にあることを感じて」
「夢ではない。この幸せは」
 二人で言い合う。抱き締め合いながら。
「私達が共にあることを。私の中にあるのは貴女だけ」
「こうして。永遠に共に」
「そう、永遠に」
 それを二人で誓うのだった。その闇の中に消えていく。あとに残ったのはハンカチだけであった。それは元帥夫人の白いシルクのハンカチだった。だがそれを何処からか戻って来たアの黒人の少年が拾って走り去ったところで部屋は完全に暗闇の中に消えた。そうして静かにその中で舞台が終わったのであった。何かが永遠に戻らないことをその闇の中に隠しながら。静かに終わったのだった。


薔薇の騎士   完


                          2008・3・1



オクタヴィアンとゾフィーが結ばれて、ハッピーエンド……なのかな。
美姫 「難しい所ね。夫人は納得というか、背中を押すような事をした感じだけれど」
今回、難しい台詞とかがあったかな。何回か読み返したよ。
美姫 「アンタの頭では理解するのに時間が掛かったのね」
いや、そんな哀れみの目で見ないで!
オクタヴィアンとゾフィーの二人の台詞がちょっと難しかっただけだよ。
でも読み返しつつ、ちゃんと理解したぞ……多分。
美姫 「はいはい。今回のお話、男爵は道化っぽい役割だったわね」
でも、中々憎めない人だよな。
美姫 「確かにね。今回も楽しませてもらいました」
投稿ありがとうございました。



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