『ニーベルングの指輪』

 第三夜 神々の黄昏


                                第一幕  ギービヒ家の者達

 暗闇の中でだ。三人の女達がいた。
 一人は白い髪の女でその目は黒い。鋭い顔をしている。
 一人は灰色の髪でその目は青い。穏やかな顔をしている。
 最後の一人は黒い髪でその目は緑である。幼い顔をしている。
 三人は輪になっておりそれぞれの手に糸を持ちそれはつながっている。白い髪の女は赤いドレスを着ており灰色の髪の女は青のドレスだ。黒い髪の女は緑である。三人共同じ髪型で長く伸ばしている。
「ヴェルザンティ」
 白い髪の女が自分と同じ白い糸を持つ灰色の髪の女に声をかけてきた。
「あれは何?」
「どうしたの、ウルズ姉さん」
「あれが見えるの、貴女には」
 ウルズはこうヴェルザンティに問うてきたのである。
「あの光が」
「夜が明けるの?」
「いえ、あれは」
 だがここで黒い髪の女が言ってきた。
「違うわ」
「ではスクルズ」
「あの光は何だというの?」
「ローゲよ」
 スクルズは二人に彼の名前を告げた。
「姉さん達、あれはローゲよ」
「ローゲが」
「輝いているのね」
「そう、ローゲの軍勢が燃えているの」
 こう表現するスクルズだった。
「炎達が」
「そうなの、ローゲが」
「今また」
「まだ夜よ」
 スクルズはまた言ってきた。
「だから糸紡ぎと歌を止めないでおきましょう」
「けれど」
 しかしここでヴェルザンティが言ってきた。
「それは」
「それは?」
「この糸をどうしようかしら」
 こう言うのである。
「この糸を今は」
「私は」
 ここでウルズが言ってきた。
「今は上手くいくかどうかわからないけれど」
「わからないけれど」
「この糸で時の網を作り歌いましょう」
 そうするというのである。
「かつて私達は世界のトネリコの樹に」
「あのユグドラシルに」
「ヴォータンが槍を作ったあの樹に」
「そう、あれに糸をかけて網を作った頃は」
 その頃のことを話すのである。
「木の聖なる枝が大きく幹から出て森の様に緑に茂っていた」
「そう、かつては」
「そうだったわ」
 ヴェルザンティとスクルズもそれで頷く。
「長い間」
「そのままだった」
「冷ややかな木陰には泉が音立てて湧き波は叡智を語りつつ流れていました」
 それも昔のことだった。
「かつては」
「しかし今は」
「変わった」
「そう、変わった」
 そう話していくのだった。
「一人の大胆な神が来て」
「そうして」
「何もかもが変わった」
 話は続く。
「その泉で水を飲み片目を支払い」
「そう、そうして」
「それによって変わった」 
 後の二人も話していく。
「その神ヴォータンによって」
「世界は変わった」
「そう、彼が変えたのです」  
 ウルズはここでまた言った。
「トネリコの神木から枝を一本切抜き槍を作った」
「あのグングニールを」
「それを」
 それをだというのである、
「大樹は長い歳月の間に弱り葉は色褪せて落ち」
「全てはヴォータンが大樹から槍を作ったことによって」
「それで」
「大樹は枯れてしまった」 
 そうなったと語られていく。
「泉の水も枯れてしまった」
「その代わりにヴォータンが立った」
「神々の王として」
「その深い叡智と共に」
 それが彼の力、権力だったのである。ユグドラシルに代わったのである。
「そして今は」
「そう、今は」
「大樹もなく」
 二人も言っていく。
「時の綱を作るのには樫の木で」
「それを使わなければならない」
「その通りです」
 まさにそうだと話すウルズだった。
「さてヴェルダンティ」
「ええ、姉さん」
「次は貴女よ」
「私が」
「私は過去を司る時の女神」
 彼女はそれだという。
「そして貴女は」
「私は現在の女神」
 それだというのである。
「その私が」
「そう、貴女が」
 まさに彼女がだというのである。
「次は」
「それなら」
 その言葉を受けてであった。ヴェルザンティは静かに話しはじめた。
「私が」
「ええ、お願い」
 こうしてヴェルザンティが話しはじめたのであった。
「そのヴォータンは」
「ええ、彼が」
 ヴェルザンティのその言葉を受けて交代したのだった。
「その槍の柄に熟慮を重ね」
「そう、そして」
「そこに」
「古代文字の誓約の文字を刻み」
 そうしたというのである。
「この世界を支配する証とした」
「そうでした」
「かつては」
「そしてその槍を」
 ヴェルザンティのヴォータンへの言葉はさらに続く。
「ある大胆な勇者が打ち砕いた」
「戦いにより」
「粉々に」
「そう、砕いてしまった」
 そうしたというのである。
「誓約の神聖な文字もその時に砕かれてしまいました」
「永遠に」
「彼のその証が」
 ヴェルザンティの言葉は今は過去を話していた。現在の女神ではあってもだ。
「そこでヴォータンはヴァルハラの勇士達に命じ」
「あの英雄達に」
「エインヘリャル達に」
「そしてその世界中の枯れた枝を幹と共に切り砕いてしまった」
 それがあの戦いの後の彼の行動だったのだ。
「かくてトネリコは地に倒れ泉も永遠に枯れてしまった」
「何もかもが」
「それで永遠に」
「それで私は今は糸を」
 彼女の方の糸はである。
「尖った岩に巻き付けています」
「今は」
「あの大樹もなく」
「それではスクルズ」
 今度は彼女が妹に顔を向けた。
「貴女が」
「私が」
「そう、未来の女神の貴女が」
 彼女がだというのだ。
「歌をです」
「そう、私の歌を」
 スクルズは自分のその糸を先にやりながら話していく。
「それからの話を歌に」
「そう、私が歌に」
「そうするのです」
 そうせよというのである。
「未来を司る貴女が」
「わかりました」
 スクルズは姉の言葉に頷く。そうしてだった。
 歌う。彼女の歌をだ。
「巨人達の建てた城は聳え立ち誇らかにそそり立ちその広間に彼等はいる」
「ヴォータン達が」
「神聖な神々や英雄達が」
 その彼等が集っている場所なのだ。
「そこに砕かれた薪が山の様に積まれている。それこそが世界樹」 
 それが今はそうなっているというのだ。
「やがてこの薪に火が点けられ」
「そしてそれが燃え上がり」
「輝ける宮殿を貪欲に焼き尽くす」
 彼女達の目には見えていた。
「そして永遠の神々の終わりが近付いているのです」
「誤りなく」
「それは」
「姉さん達は」
 スクルズはさらに話す。
「網を。私の歌の続きを」
「夜明けなのでしょうか」
 ウルズが言ってきた。
「それとも夜が光るのか。私の目は曇っていて」
「曇っていて」
「そうして」
「神々の古いことも見極めされない。かつてはローゲの炎が燃え上がっていたのに」
 ローゲの名前がまた出て来た。
「彼は今は」
「ヴォータンが槍の魔力で彼を抑えていました」
 ヴェルザンティが話してきた。
「ローゲは彼に多くの忠告を与えてきました」
「そう、かつては」
「そうしていました」
「何故なら彼は自由の身になろうとして彼の歯は槍の柄の文字をかじり」
 ルーン文字である。
「その知恵を得ていました。しかし」
「そう、しかし」
「そうして」
「ヴォータンはその槍の力でブリュンヒルテの岩の周りに彼を縛り付けていました」
 そうしたというのである。
「しかし何故か彼はそれを喜んで受けていました」
「そうでした」
「その時は」
「しかし」
 ヴェルザンティはさらに話していく。
「その彼はどうなるのか」
「彼は今自由です」
 そうなっているというのだ。
「彼は今は槍の破片を胸に持っています」
「そうなのですか」
「今は」
 二人の姉はスクルズの言葉に頷く。
「しかしローゲは」
「何を望んでいるのか」
「その破片からさらなる力と知恵を手に入れた彼は」
 さらにだと歌われる。
「ヴォータンの望みを知りました」
「ヴォータンの」
「その望みを」
「そうです」
 知ったというのだ。
「そしてヴォータンが彼を再びヴァルハラに導いた時」
「その時は」
「どうなるのか」
「それは何時か」
 三人の歌は続く。
「何時になるのか」
「夜が遠ざかっていく」
 ウルズが言った。
「私にはもう何も見えない。網の編み目すらも」
「それすらも」
「既に」
「そう、見えなくなった」
 そしてさらに歌っていくのだった。
「網もこんがらがり一人の男の荒々しい顔が私の心を恐ろしく乱す」
「その男とは」
「誰なのですか?」
「アルベリヒ」
 この名前が出て来た。
「かつてラインの黄金を盗んだ男。あの男は」
「網が」
 今度歌を出してきたのはヴェルザンティだった。
「網が岩の尖った先に突き刺さってしまった」
「糸は大丈夫なの?」
「それで」
「今は大丈夫です」
 今はというのである。
「ですがあまり強く引っ張らないで下さい」
「わかったわ」
「それは」
 二人もそれで頷くのだった。そして実際に手を緩めた。
 そのうえでだ。さらに歌は続く。
「ニーベルングの指輪が。あの指輪が危急と怨恨の中から浮き出て見えます」
「その指輪が」
「それが」
 二人はヴェルザンティの言葉に応える。
「その復讐の呪いがですね」
「それが」
「そう、それが私の網を噛んでいる。未来はどうなるのか」
「網が緩み過ぎて私まで届かない」
 スクルズが応えてきた。
「この端を投げるには」
「けれど」
「もう糸は」
「あ・・・・・・」
 そしてだった。まずはスクルズのものがだった。
「切れた」
「私の糸も」
「私のものも」
 ヴェルザンティとウルズのものもだった。全て切れてしまったのだ。
 三人の女神達の声は愕然としていた。その中での歌だ。
「永遠の叡智の終わり」
「世界は賢者達の言葉を聞くことはもうない」
「では我々は」
「もうこれで」
「母上の世界に戻りましょう」
 彼女達は深く沈んで行った。そのまま姿を消していく。何もかもが消え去った。
 あの岩場だった。炎はないが荒涼としたままである。ジークフリートはそこに立っている。その後ろに今は槍と盾を持っていないブリュンヒルテが立っている。
 その彼女はだ。豊かな黄金の髪を風にたなびかせ。そのうえで彼に声をかけてきた。
「ジークフリート」
「何だ?妻よ」
 ジークフリートは前を見ていた。そこには朝日がある。鬱蒼と茂った森の向こうにその黄金の光がある。彼はそれをじっと見ているのである。
「何が」
「貴方を愛していても新しい世界へ行かせないことはしないわ」
「送り出してくれるのか」
「ええ」
 まさにそうだというのである。
「貴方にとって私は価値のない存在にも思えたけれど」
「それは違う」
「そう、それもわかったわ」
 こう答えたのである。
「私が神々から教えられた全ての知識は貴方に授けた」
「私はミーメに多くのことを教えられた」
 それは事実だった。しかしなのだ。
「だがそれでも今は」
「そう、今は」
「私は貴女からそれ以上のものを教えてもらった」
「そして貴方は私から乙女としての強さを奪った」
 それをだというのだ。
「だから私は今は貴方のもの。知識と力の代わりに愛と希望を得た」
「それが今の貴女」
「そう、それが今の私」
「そして今の私は」
 今度はジークフリートから言ってきた。
「私には貴女がある」
「私が」
「そう、貴女がある」
 前を向いたままだ。そのまま語っていく。
「そのただ一つの知だけは失わない。私はブリュンヒルテを想うという一つの教えを学んだのだ」
「私に愛の証を示そうというのなら」
「その時は」
「自分のことを思うこと」
「私自身のことを」
「そう、そして貴方の行いを」
 次にはこう語った。
「そしてあの恐ろしい炎のことを。貴方は岩の周りに燃えていた炎を何の恐れもなく越えた」
「貴女を得る為に」
 まさにその為だった。
「その為に」
「楯を持っていた女を思い出し、そして深く眠っていた乙女を見出しその兜を切り破った」
「貴女を目覚めさせる為に」
「私達を結ぶ誓いを忘れないで」
 今度はそれだという。
「私達が担う貞節を。その中に生きる愛も全て」
「その全てを」
「そう、そうすれば私は永遠に貴方の胸に神聖に燃え続ける」
「では私は」
 ここでブリュンヒルテの方を振り向くのだった。
「炎の聖なる守護の下に愛する貴女を委ねよう」
「ローゲに」
「貴女の知恵に対して」
 ここであるものを差し出してきた。それは。
 指輪だった。血塗られた黄金の輝きを持つ指輪だ。それを彼女に差し出してきたのである。
「この指輪を」
「指輪を」
「私がかつて行った働きによりこれは私のものになった」
「その指輪こそが」
「長い間この指輪を守っていた大蛇を倒し」
 ファフナーである。
「手に入れたこの指輪を今私の貞節の聖なる証として与えたい」
「ではそれを」
 ブリュンヒルテもそれを受け取って答えた。
「最高の宝としましょう。指輪の代わりにこの馬を」
「その馬を」
 白馬であった。それが二人の前に出て来たのである。
 ブリュンヒルテはジークフリートにその馬を見せながら。さらに話すのだった。
「グラーネを」
「グラーネ」
「そう、このグラーネを」
 それをだというのだ。
「かつては私と共に大胆に空を走り」
「空を」
「しかし私と共にこの馬は力を失い最早雲の間も雷光閃く嵐の中も勇敢に駆けることは適わないとしても」
 その言葉を続けていく。
「貴方の行くところに、炎の中でもグラーネは向かうでしょう。この馬は必ず貴方に従う」
「私に」
「そう、だからこの馬を」
「では私はその馬に乗り」 
 グラーネを見ての言葉である。
「そして戦いと勝利を得て来る」
「そうされるのですね」
「私はブリュンヒルテがいるからこそ勇気に燃える」
「では貴方は自分と私も中にいて」
「そう、私の行くところ二人もまたいる」
 こうブリュンヒルテに話す。
「では私の岩屋は今は何もなく」
「いや、私はここにもいる」
 ブリュンヒルテの今の言葉は否定した。
「ここにも。私は貴女の中にもいるのだから」
「私の中にも」
「そう、だから」
「では私達は離れていても誰も引き離すことはできない」
 ブリュンヒルテは恍惚として言った。
「そして別れていても別れてはいない
「ブリュンヒルテ、煌く星よ」
 そのブリュンヒルテにまた話した。
「輝く愛よ、幸あれ」
「ジークフリート、勝利の光よ」
 ブリュンヒルテもまた彼に言葉を返した・
「輝く生よ、幸あれ」
「二人に幸いあれ、永遠に」
 こう言い合いそのうえで別れてである。ジークフリートは剣を手に旅立った。その前には聳え立つ高層ビルが立ち並んでいる。そこに向かってグラーネに乗り今ライン河に乗り出した。
 ギービヒ家。豪奢な宮殿である。水晶のシャングリラが上にあり黄金で所々を飾られ見事な芸術品が並んでいる。絹のカーテンとビロードの絨毯に覆われたこの宮殿の中でとりわけ豪奢な部屋に二つの椅子が置かれている。 
 その椅子は横に並んで置かれており一方には男がいる。黄金の髪を後ろに撫で付け青い目をしている。見事なスーツを着ておりネクタイもしている。顔は端整で長身でもあるが何処か線が細く弱い感じがする。
 彼の隣には美女がいる。黄金の豊かな髪を持っておりその髪は腰まである。湖の澄んだ目をしており透き通る白い顔は人形の様に整い艶やかな紅のドレスからは見事な身体が覗いている。しかしその顔は何処か弱々しい。
 その二人、男の右手に黒い軍服とマントの長身の男が立っている。憮然とした顔をしており黒い髪を後ろになびかせている。そしてその右手に槍を持っている。身体は頑丈そのものでありその長身を余計に大きく見せている。その彼が立っているのであった。
 その彼にだ。スーツの男が声をかけてきた。
「ハーゲンよ」
「何だ、グンターよ」
 ハーゲンと呼ばれた彼も男に声を返してきた。二人はそれぞれ顔を相手に向けている。
「御前に聞きたいことがある」
「何をだ?」
「私がこのラインのほとりに幸福に無為に暮らしていてそれがギービヒの名を辱めてはいないだろうか」
「それはない」
 ハーゲンは重厚な声で彼に答えてきた。
「グンターよ」
「うむ」
「貴殿は正統な血を受け継いでいる」
「そのギービヒのだな」
「そうだ。私はそれを羨ましく思う」
 こう彼に語るのである。
「それが我等兄弟を生んだクリムヒルデの教えなのだ」
「いや、羨望するのは私だ」
 だがグンターはこう彼に返した。
「私はこの家の主にはなったが知恵を授かったのはそなただ」
「私だというのか」
「そうだ、義理の兄弟が争いが絶えず和解は難しいという」
 何も兄弟のことだけではないがだ。
「私は御前の助力にいつも感謝している。名を挙げるのにいつも御前の知恵を借りている」
「それは違う」
「違うというのか」
「貴殿の名声がまだ充分と言えないから」
 それは不足だというのだ。
「私の助力は称賛に値しない。何故ならだ」
「何故なら?」
「私はギービヒ家の手に入らぬ素晴らしい宝があることを知っている」
「その宝とは何だ?」
「ギービヒの家は夏の大樹の如く栄えているが」
 それでもだというのだ。
「だが貴殿は一人身でグートルーネにも夫はいない」
「そのことか」
「そうだ、そのことだ」
 話をさらに進めていく。
「妻と夫だが」
「では私に妻を娶れというのだな」
「私はこの世で最も美しい女を知っている」
 グンターにさらに言ってみせてきた。
「その女は高い岩の上にいて周りには炎が燃えている」
「ローゲの軍勢がか」
「その炎を越える者だけがその女を手に入れられるのだ」
「私にそれができるだろうか」
「止めておくべきだ」
 ハーゲンはグンターには行かせようとしなかった。
「その炎はあまりにも強い。貴殿にしても私にしても焼かれてしまう」
「それではどうするのだ?」
「より強い者に行かせる」
 そうするというのだ。
「我々よりもだ」
「ではそれは誰なのだ?」
「ヴェルズングの一族」
 この名前が出るとグンターの顔が曇った。そのうえで言うのだ。
「あの血塗られた一族か。まだ残っていたのか」
「その一族の最後の一人ジークフリート」
 ハーゲンはその名前を出した。
「双子の夫婦ジークムントとジークリンデが熱愛から生み出した子だ」
「兄と妹でだと」
 グンターはそれを聞いてその顔をさらに曇らせた。
「それはまことか」
「まことだ。だが」
「だが?」
「その話は今は忘れるのだ」
 そうしろというのである。
「そしてだ」
「そして?」
「森で育ったこの男こそグートルーネの夫に相応しい」
「ハーゲン」
 ここでその美女、グンターの横にいるグートルーネがハーゲンに顔を向けてきた。
「それでその人は何をしたの?」
「欲望の洞窟にいてニーベルングの指輪を守っていた大蛇を倒した」
 そうしたというのだ。
「その恐ろしい口に飲み込まれずノートゥングという剣で倒したのだ」
「剣で」
「そのジークフリートこそがそなたの夫に相応しい」
「ニーベルングの指輪のことは私も知っている」
 またグンターが言ってきた。
「その宝は今は誰が持っているのか」
「この宝のことだが」
 ハーゲンは所有者のことよりも先に指輪自体について話してきた。
「世界を治めることもできる」
「この世界を」
「そう、その指輪を持っているのはだ」
 その者はというと。
「ジークフリートだ」
「ジークフリートがか」
「そうだ、彼が持っている」
「そしてブリュンヒルテを得られるのも」
「彼だけだ」
 またグンターに対して語った。
「彼だけなのだ」
「そうか」
 グンターはここまで聞いて考える顔になった。そのうえで言うのだった。
「ではその二つを」
「若しもだ」
 そのハーゲンの言葉が続く。
「ジークフリートが貴殿のところへブリュンヒルテを連れて来たならばだ」
「私の妻に」
「それができるのだ」
「それではだ」
 ここまで聞いてさらに述べるグンターだった。
「その勇者に頼み私の為に花嫁を手に入れだな」
「そしてその前にグートルーネの夫にしてだ」
「けれどそれは」
 またグートルーネが言ってきた。美しい声だが何処か空虚な響きがある。
「私にジークフリートを惹きつけるものがなければ」
「そなたにか」
「ええ。その最も素晴らしい勇士をこの私が」
「安心するのだ」
 だがハーゲンはグートルーネにも重厚に語った。
「それもだ」
「安心していいと」
「そうだ、安心していい」
 また言うのであった。
「それはだ」
「それは何故なの?」
「任せておくのだ」
 今ではそのことは伏せるのだった。
「私にだ」
「それじゃあ」
「そうだ。そしてだ」
 ここでハーゲンは二人に問うのだった。
「この話はどう思うか」
「いいと思う」
「私も」
 二人はそれぞれこう言って賛成だと述べた。
「しかしだ」
「しかし。何だ?」
「ジークフリートは今何処にいるのだ?」
 グンターはそれを問うたのである。
「彼はだ。今何処にいるのだ?」
「何処にか」
「そうだ。何処にいるかが問題だが」
「それについてはだ」
 このことについても話すハーゲンだった。
「血気にはやる彼はだ」
「うむ」
「功名を求め旅に出た」
「旅にか。それでは探しにくいな」
「いや、その心配はな」
 だがハーゲンはここでこう述べた。
「その心配はだ」
「ないというのか」
「彼はここに向かっている」
「この屋敷にか」
「そうだ。今ライン河を下っているのだ」
 彼等がいるその河にだという。
「だからだ。すぐに来るのだ」
「そうか。そういえば」
「この音は」
 グートルーネも言ってきた。
「角笛の音?」
「あの音こそがだ」
 ハーゲンが言ってきた。
「そのジークフリートの笛の音だ」
「あれがか」
「あの角笛が」
「そしてだ」
 さらに言うハーゲンだった。
「その勇者が今ここに来るのだ」
「ここにか」
「そうだ、来る」
 言葉はまさに二人の心に刻み込むものだった。
「この宮殿に」
「では人をやろう」
 グンターはすぐに決断を下した。
「それでいいな」
「うむ、そうして彼をここに呼ぶのだ」
 そうしてであった。すぐに人がやられジークフリートが彼等の前に出て来た。そのうえで話がはじまるのであった。
「一つ聞きたいことがある」
「何だ?」
 三人は席を立ちジークフリートを迎えていた。その場でジークフリートが言ってきたのだ。
「この屋敷はギービヒ家のものだな」
「そうだ」
 グンターが微笑んで彼の問いに答える。
「それがどうかしたのか」
「ではこの屋敷の主は」
「私だ」
 グンターは微笑んでまた答えた。
「この私、グンターがだ」
「そうか、貴方がか」
 ジークフリートは彼の言葉を受けた。そのうえでまた言うのであった。
「貴方の名前は聞いている」
「君の耳にも入っていたか」
「そうだ。その貴方に聞きたい」
「うむ」
「剣か、それとも握手か」
 その二つを出してみせたのである。
「どちらなのか」
「私は戦うつもりはない」
 グンターは微笑んで彼に告げた。
「君を喜んで迎えよう」
「そうなのか」
「そうだ。ところで」
「ところで?」
「貴方は私のことを知っているようだが」
 ジークフリートはもうそのことを察していたのである。
「それは何故なのだ?」
「君の名前も聞いているのだ」
「そうだったのか」
「君が私の名前を知っているのと同じだ」
「私の名前もそこまで知られていたのか」
 今そのことを聞いて思う顔になった。グンターはその彼に対してさらに話してきた。
「それでだが」
「それで?」
「君は何を持っているのか」
 このことを問うたのである。
「それで」
「私には剣がある」
 それをだというのだ。
「この剣で貴方の危急に応えよう」
「そうしてくれるのか」
「そうだ。必ずだ」
「そういえば」
 ここでハーゲンが何気なくを装って彼に尋ねてきた。
「貴殿はニーベルングの指輪を持っていたな」
「あれか」
「そう、あの指輪をだ」
「そのことは今まで殆ど忘れていた」 
 目をしばたかせながらの言葉であった。
「それ程値打ちのあるものにも思えなかったからだ」
「それ程だというのか」
「私は宝にはあまり興味がない」
 だからだというのだ。
「今持って来ているのはこれだけだ」
「兜だな」
「ただの兜だが」
「いや、その兜はだ」
 ハーゲンはその兜を見てすぐに彼に話した。
「ニーベルングの隠れ兜だ」
「隠れ兜とは?」
「それを被れば姿を消すことができる。それに」
「それに?」
「どんな姿にもなれる」
 それもできるというのである。
「そして何処にでもすぐに行ける。恐ろしい兜なのだ」
「そうだったのか」
「そうだ。他には何を持っているのか」
「指輪があった」
 ここで、であった。グンターの目が光った。だがハーゲンはそれを隠している。ジークフリート本人はそうしたことに一切気付かないまま話していく。
「だがそれは置いてきたのだ」
「そうなのか」
「そう、そしてその指輪は今は」
 今何処にあるのかも話していく。
「岩屋にいるブリュンヒルテが持っているのだ」
「ブリュンヒルテがか」
 それを聞いたグンターの顔がいよいよ鋭いものになる。
「そうか」
「そうだ、彼女が持っている」
「わかった」
「それを差し上げようか」
「いや」
 ここでハーゲンがジークフリートに告げた。
「それには及ばない」
「いいというのか?」
「我々はだ」
「君と取引をするつもりはない」
 グンターはハーゲンと目配せをしたうえでジークフリートに話した。
「そのつもりはない」
「いいというのか」
「そうだ、例え我が家の全ての宝を出しても」
 こうジークフリートに話し続ける。
「それには及ばないのだから」
「では私は」
「報酬なぞ望まない」
 彼はまたジークフリートに言った。
「それはいい」
「いいのか」
「そうだ。それではだ」
 ここでハーゲンが杯を出してきた。
「飲まれるか?」
「それは」
「葡萄の酒だ」
 微笑みを作ってジークフリートに話す。
「嫌いか?なら麦か蜂蜜の酒を出すが」
「いや、有り難う」
 ジークフリートはその申し出を断らなかった。
「喜んで頂こう」
「そうか。それならだ」
 その酒を出す。見ればそれは見事な紅の色である。しかしそこには何か微妙な黒いものも混ざっているように見えた。そうした酒であった。
 だがジークフリートはその酒を受け取りだ。こう呟いてから飲んだ。
「ブリュンヒルテよ」
 この言葉はグンター達には聞こえなかった。
「私は何処にいても貴方とその教えを忘れない」
 こう言ってから飲む。そのうえで杯を置く。するとそこに出て来たグートルーネを見てだ。
「彼女は」
「妹だが」
 グンターがジークフリートに答えた。
「それが何か」
「何と美しい」
 彼女を見詰めたままの言葉である。
「貴女の御名前は」
「グートルーネといいます」
 彼女からおずおずと名乗ってきた。
「どうぞ宜しく御願いします」
「そうか、グートルーネというのか」
 ジークフリートはその名前を心の中に刻み込んだ。
「貴女の目の中にあるのはよき文字か。私は」
「貴方は?」
「私は今貴方の兄上に家臣になることは断られた」
 その無報酬という言葉がそれである。
「ですが」
「ですが?」
「貴女に夫婦の契りを申し出てもそれは許されないのでしょうか」
「いや、喜んで」
 グンターがこう彼に言ってきた。
「そうさせてもらおう」
「いいというのか」
「そうだ。是非君を妹の夫にだ」
「有り難う、それでは」
 そしてだった。ジークフリートは今度はそのグンターに対して問うのだった。
「グンター、貴方に妻は」
「まだいない」
 こう答える彼だった。
「残念なことにな」
「そうなのか。それではだ」
「それでは?」
「私が貴方にその妻を見つけ出してあげよう」
 こう彼に言ってきたのである。
「それでいいか」
「その妻をか」
「そうだ。その女は高い岩の上にあり」
「そこにいるのか」
 グンターはここで先のハーゲンの言葉を思い出した。そのうえで彼の話を聞いていく。
「それでその名前は」
「ブリュンヒルテという」
「ブリュンヒルテ」
 ここでまたグンターは心の中で頷いた。そうしてであった。
 彼に応えてだ。そのうえで話した。
「では私に彼女を」
「そうだ。しかしだ」
「しかし?」
「彼女のいる岩屋は激しい炎に包まれている」
 これもハーゲンが言うことと同じであった。
「それをどうするかだが」
「そこを通り抜けなければならないのか」
「そうだ、だが貴方はその危険を冒すことはない」
 ジークフリートからの言葉である。
「だからこそだ」
「だからこそ?」
「私が行こう」
 ハーゲンは今の彼の言葉を聞いて笑わなかった。しかしであった。
 その目の光をさらに黒く強くさせてた。そのうえでジークフリートを見続けて彼の話を聞いていた。
「それでいいか」
「君がだというのか」
「そうだ、私が行こう」
 彼はまた言った。
「そして彼女を貴方の妻に」
「では私はだ」
 グンターもそれに応えて微笑んで言ってきた。
「グートルーネを君の妻に」
「それでは」
「しかしだ」
 ここでグンターはジークフリートに問うた。
「君が行くのだな」
「そうだが」
「しかし私が行かなくてはならない」
 夫とするからにはである。
「それはどうするのだ?」
「その心配はない」
 だがジークフリートは微笑んで彼の問いに返した。
「その心配はだ」
「というと?」
「私には隠れ兜がある」
 ハーゲンが指摘したそれがである。
「これを使って貴方の姿になってだ」
「そのうえでか」
「そうだ。そのうえで向かう」
 まさにそうだというのである。
「それでどうか」
「わかった。ではそうしてくれ」
「うむ、それではだ」
「話は決まったな」
 二人の話をこれまでじっと聞いていたハーゲンが出て来た。その手にはまた杯がある。しかしその杯は今は何も入ってはいなかった。
「それではだ」
「それでは?」
「誓いをする時だ」
 その時だというのである。
「今はだ」
「誓いをか」
「そうだな。兄弟の誓いをしよう」
 グンターも言ってきた。
「君は私の妹の夫となるのだしな」
「我々は義兄弟となるのだな」
「そうだ」
 まさにその通りだというのだ。
「それではだ」
「よし、それなら」
 ジークフリートもそれを受けることにした。
「私の血と貴方の血を混ぜ合わせ」
「そのうえで飲み合うとしよう」
「それではだ」
 その儀式に入る。まずはそれぞれの腕を持っている剣で傷つけてそこから流れる血を杯の中に入れてである。それを飲み合うのだった。
「信義を誓って友と飲もう」
「今日の誓いが何事にも妨げられる」
 二人で言い合う。
「兄弟のよしみが栄えるよう」
「どちらかがこの誓いと信義を破れば」
 その時はともいうのだった。
「今日飲み合ったこの清き血が光熱となって流れ出てその報いとなるよう」
「では今から」
「飲もう」
「しかし」
 ここでジークフリートはハーゲンを見て彼に問うた。
「貴方はいいのか?」
「私か」
「そうだ。貴方はいいのか」
「私はこの家の者だがそれに入る資格はない」
「何故なのだ?それは」
「私には高貴な血は流れてはいない」
 だからだというのである。
「グンターの母から生まれたがそれは普通に生まれたのではないのだ」
「?どういうことなのだ?」
「だが種をその中に宿させて生まれただけなのだ」
 そうだというのである。
「アルプの種をな」
「アルプの種を」
「ハーゲンはアルベリヒの子なのだ」
 ここでグンターがジークフリートに話してきた。
「彼は愛を断ち子供を作れなくなったが」
「それでもなのか」
「その種だけを我が母に宿させてもらい」
「私が生まれた」
 ハーゲンも言ってきた。
「無限の財宝と共にだ」
「そうだったのか」
「そうだ。だから私はその誓いに加わることはできない」
 こう言うのである。
「悪いがな」
「そんなことを気にすることはないのだがな」
「私もそう思うのだが」
 ジークフリートだけでなくグンターも言うのだった。
「しかしだ。それでもそう言うからな」
「仕方ないか」
「何分気難しい男でな」
 ハーゲンをこう評するグンターだった。
「ああ言ったらもう引かない。放っておこう」
「そうか」
「それではだ」
 話が戻ってきた。
「いいのだな、それで」
「今から行く」
 グンターに対して答えた。
「それではだ」
「うむ、吉報を待っている」
「船で岩屋に急ぎ」
 そのことをもう頭の中に入れていた。
「そのうえでだ」
「行ってくれるか」
 グンターはジークフリートに言い終えるとハーゲンに顔を戻して告げた。
「それでは私はだ」
「残らないのか?この屋敷に」
「ジークフリートと共に行く」
 そうするというのである。
「私が夫となるのだからな」
「そうか。なら行くといい」
「それではな。留守を頼む」
「わかった、ではだ」
 こうして二人は屋敷を後にした。残ったのはグートルーネとハーゲンだけだった。しかしそのグートルーネもハーゲンに顔を戻して声をかけてきた。
「ハーゲン、私もこれで」
「休むのだな」
「ええ、お兄様とあの方が戻って来られるまで」
 もうジークフリートに恍惚となっていた。
「それじゃあ」
「休むといい」
 こう告げてグートルーネを見送る。ハーゲンは一人になるとだった。
「ここで屋敷を守りや方に迫る敵を防ぐ」
 それが彼の仕事である。
「ギービヒの息子は嵐に送られ妻を求めに旅に行く。舵を取るのは無双の勇士、危険を恐れずに立ち向かう」
 グンターとジークフリートのことである。
「グンターの為に自分の妻をこのラインに連れて来てそして」
 言っているうちに言葉が強くなる。
「私に指輪を。さあその為に進むのだ、ニーベルングの息子である私の為にだ」
 こう呟きながら自分の椅子に座る。そのうえで瞑想に入る。彼は今不気味な闇の中にいた。
 ブリュンヒルテは今は岩屋に一人いた。そこに誰かが来た。
「あれは」
 天から馬を駆って来る。それは彼女がかつてよく知った者だった。
「ワルトラウテ」
「姉さん、まだここにいたのね」
「懐かしいわね」
 ワルトラウテを見て懐かしさを込めた笑顔を見せた。
「またこうして会えるとは思わなかったわ」
「ええ、本当に」
 その天を駆る馬の上から姉に対して言ってきた。
「元気そうで何よりだわ」
「まずは馬を休ませなさい」
 そうしろというのである。
「ここでね」
「ええ、じゃあ」
 まずは降り立ち馬を置いてだ。暗雲漂う空から炎の中の岩屋にだ。降り立ってからまた話すのだった。
「私がここに来たのはね」
「どういう訳なの?」
「用があって」
「その為にお父様のお言葉に背いてそれで来てくれたの」
「ええ」
 その武装した姿での言葉である。ワルキューレの姿だ。
「そうよ」
「お父様のお考えが変わった。それは違うわね」
 ブリュンヒルテはその考えはすぐに打ち消した。
「あの時あの二人を護ったことは」
「そのことは」
「間違っていた。けれどそれこそが」
「それはもう過ぎた話だけれど」
「そう、もうね」
 そのことは彼女もわかっていることだった。ワルトラウテもだ。
「それは。けれど」
「それはお父様の願いでもあった」 
 ワルトラウテが姉に対して告げた。
「かつては」
「そして私はここに封じられた。この岩屋に」
「今まで眠っていたのに」
「一人の勇士が私を起こしてくれたから」
 ジークフリートのことである。
「だから。今の私にはもう他に何もいらないわ」
「いらないというと」
 その言葉を聞いたワルトラウテの顔が曇った。
「姉さん、まさか」
「私は今は」
 はっきりと告げたブリュンヒルテだった。
「満足しているわ」
「そうなの」
「それで貴女はどうなの?」
「私は?」
「そう、貴女は」
 今度は自分からワルトラウテに問うのだった。
「どうしてここにいるの?お父様は恐れていないの?」
「それ以上のことがあったからよ」
 だからだというのである。
「私がここに来たのは」
「その理由はどうしたの?」
「ヴァルハラが終わろうとしているの」
 切羽詰った顔での言葉だった。
「今はもう」
「ヴァルハラが終わろうとしている?」
「貴女がいなくなってからお父様は変わったわ」
 言葉が暗いものになった。
「私達を戦場に送ることもなく」
「貴女達を」
「私たちはただ馬に乗り天を彷徨うだけになり。そうして」
「そうして」
「お父様はただ一人地上に彷徨われて」
 あの森に行っていたことは知らない。
「そして帰って来られた時は」
「その時は」
「槍は粉々になっていたの」
「そうね。そしてそれを砕いたのは」
「それはわかるの?」
「一人しかいないわ」
 こう妹に返した。
「ジークフリート。彼によってよ」
「まさか。その名前は」
「ええ。あの時にあの二人から生まれた子よ」
 彼だというのである。
「あのヴェルズングの兄妹から」
「そう。あの二人の子供だったのね」
「彼しかいないわ。絶対に」
「そうなの。そして」
「そして。お父様はそれで今どうされているの?」
「世界樹の木の欠片を薪にして」 
 そうしたというのだ。
「それをヴァルハラにうずたかく積ませて囲ませたわ」
「その世界樹の薪で」
「そして私達をその中に置いてお父様もおられて」
「その中で動かれないのね」
「ええ」
 その通りだというのである。
「ヴァルハラに集めた英雄達も私達も集めて」
「ただその中になのね」
「あの二羽の烏を飛ばしただけよ」
 話の中で烏を出してきた。
「それはね」
「烏は」
「ええ、烏は」
 それはだというのである。
「あのお父様の僕の二羽の烏を放ちそのうえで遠くを探らせて」
「そうしてなのね」
「彼等が戻って来て話を聞いて微笑んではいたけれど」
「そうしてそれからは」
「同じになられたわ」
 残念そうに首を横に振って言うのだった。
「もうね」
「そう、一緒なの」
「私達の御言葉にも耳を傾けられない。けれど」
 ここでブリュンヒルテを見てきた。そうしてだった。
「姉さん」
 切実な顔での言葉だった。
「それだけれど」
「それで?」
「お父様は貴女を待っておられるのだと思うわ」
「私を?」
「そう、貴女を」
 まさに彼女をだという。
「それは間違いないわ」
「果たしてそうなのかしら」
 ここでブリュンヒルテの言葉に自嘲が入った。笑みもである。
「この私に。もう神ではなくなったのに」
「それでもお父様はずっと貴女のことを想っておられました」
「偽りではなくて?」
「私もまたお父様の娘よ」
 ここではこう言うのだった。
「それでどうしてわからないというの?お父様のことが」
「そう、まだ私を」
「お父様は深く嘆息され目を閉じられて夢を見るようにして呟かれたわ」
「何と?」
「指輪はあの乙女達に返さねばならないと」
 こう呟いたというのである。
「そうすれば呪いの重荷により神と世は救われると」
「それで救われるというのね」
「それで私は考えたの」
 また姉の顔を見てきて言うのだった。
「貴女ならばと想って」
「今になって私に」
 ブリュンヒルテはそれを見て応えてきた。
「神でなくなった私に何をしろと」
「その指輪をです」
 彼女の左手の薬指の指輪を見てだ。その血の様な赤が混ざった黄金の色の指輪をである。
「捨てて下さい」
「この指輪を?」
「そうです」
 まさにそうだというのである。
「どうか。お父様の為に」
「この指輪を捨てろというの?」
「そうです」
 まさにその通りだという。
「そしてラインの乙女達に返して下さい」
「これはあの人が私に授けてくれたもの」
 だが彼女はこう妹に返すのだった。
「だからこれは」
「けれどその指輪が貴女のものだと神々が」
「滅ぶというのね」
「そう。ヴァルハラが」
 滅ぶというのである。
「だから何があっても」
「この指輪がどういったものか知らないの?」
 ブリュンヒルテはここまで聞いて言葉を返してきた。
「私にとってどういうものか」
「神々を滅ぼすその指輪を?」
「ヴァルハラの喜びよりも神々の誉れよりももっと大切なものなのよ」
「神々よりも」
「そうよ。この冴えた色の黄金」
 彼女の指輪のことである。
「そして気高い輝き、全てが神々の永遠の幸福よりも優れた値打ちがあるものなのです」
「では姉さんは」
「この指輪はジークフリートからの愛」
 まさしくそれだというのだ。
「何よりも素晴らしくかけがえのないものなのだから」
「愛が」
「そう、愛が」
 まさしくそれがだというのだ。
「ですから私は」
「その指輪を手放さないと」
「神々に告げなさい」
 有無を言わせない言葉だった。
「私の指輪について言うのです」
「その指輪について」
「私は愛を捨てません」
 まさにそうだというのである。
「神々も愛を奪うことはしないでしょう」
「その愛を」
「そう、例えヴァルハラが」
 今の彼女にはそれも何の感慨もないものだった。
「その燦然たる宮殿が廃墟の様に崩壊しようともです」
「そんな、では本当に」
「帰りなさい」
 またしても有無を言わせない言葉であった。
「そして伝えるのです、私の今の言葉を」
「完全に人間になってしまったのね」
「そうかも知れません」
 それを否定しない彼女だった。
「私達もまた」
「否定しないというのね、本当に」
「愛を捨てろといわれるのなら」
「そう、わかったわ」
 この上なく無念な顔で頷いたワルトラウテだった。
 そうして。悲しい顔で姉を見てであった。
「さようなら、永遠に」
「ええ、これで」
 去るしかなかった。彼女を見送ったブリュンヒルテは一人そこにたたずむ。妹が去ったその空を見ながら一人呟いた。
「この炎達に覆われながら」 
 ローゲの炎にである。
「私はジークフリートを待つ。あの人が帰って来るまで」
 そのつもりだった。しかしである。
「!?」
 異変を察したのである。
「炎が猛り狂って岩を嘗めている」
 そうしていると感じたのだ。
「ジークフリートが帰って来た!?けれど」
 違うと直感した。そうしてだった。
 武装した男が来た。その外見はジークフリートのものではなかった。
 軍服ではなくスーツだ。それで武装していたのである。
 その彼を見てだ。ブリュンヒルテは即座に叫んだ。
「誰!?一体誰なの?」
「ブリュンヒルテよ」
 声もグンターのものだった。
「一人の男が炎を恐れず妻を求めに来たのだ」
「まさかあの炎を」
 ブリュンヒルテはまずそのことが信じられなかった。
「ジークフリート以外の一体誰が」
「貴女を求めてやって来た男だ。何があろうとも」
「何故、どうしてここに。誰が」
「ギービヒ家の者でグンター」
 その彼の名前を口にしてみせた。
「それが私の名だ」
「何ということ・・・・・・」
 ブリュンヒルテはその名乗りを聞いていなかった。他のことを呪うのだった。
「ヴォータン、恐ろしく残酷な神」
「私は貴方を手に入れる為に来た」
「私にこの罰を、侮辱と痛恨の罰を」
 そしてさらに言う。
「それが私への報い・・・・・・」
「では私と共にだ」
「いえ、私は」
「嫌だというのか?」
「誰も私に近付くことはできない」
 こう言ってあくまでグンターの姿のジークフリートを拒もうとする。
「そう、誰も」
 そしてだ。その左手を拳にして見せる。指輪をである。
「この指輪がある限り」
「指輪が」
「この指輪が見える筈、この指輪が」
 結婚の証だという。しかしであった。
 ジークフリートはその指輪を見てだ。さらに言うのだった。
「私はそれも手に入れる為に来たのだ」
「何っ!?」
「ニーベルングの指輪」
 その名前さえ言ってみせたのである。
「それをだ」
「何故、それでは」
「貴女と指輪を手に入れる為に」
 こう言ってまた一歩前に出た。
「私はここに来たのだ」
「それでは。私は」
「さあ、今こそ」
 ジークフリートの言葉に絶望するブリュンヒルテの手を取り。彼は高らかに言った。
「友への忠誠の為に」
「恐ろしい運命、何という・・・・・・」
 ブリュンヒルテは絶望するばかりだった。その彼女を引いて今彼は山を降りるのだった。



ブリュンヒルテをあっさりと妻にと差し出したけれど。
美姫 「葡萄酒に何か入ってたのかしら」
うーん、だとしたらやっぱりハーゲンの企みなのかな。
美姫 「一体どうなるのかしらね」
指輪を巡ってまだ何か起こりそうだな。
美姫 「次回も楽しみにしてますね」
待っています。



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