『左手に風を、右手に雷を』




「うぅ・・狼様、酷いです・・」
 半泣きのままブツブツと恨み言を漏らすフィーを前に、久義とリュイーは揃って苦笑を漏らした。
 あれから本気で泣き出しそうなフィーをどうにか宥め、半ば引きずる様に教室を出た訳だが、校門から出るや否や「探しに入ってきますっ!」と飛び出しかけたのには手を焼いた。これでは家に連れ帰った所で、狼を探しに飛び出すだろうと判断した二人は、手近な喫茶店に入る事にしたのだが――
「フィーちゃん、泣くのか食べるのかどっちかにしたら?」
 久義が呆れた様に声をかける。
 それに対し、フィーは「ほぇ?」とキョトンとした様子だ。
「あ、いや、分かってないならいいや。うん・・」
 流石の久義も苦笑せずにはいられないらしい。
 と言うのも――
「私は狼様の守天使なんですよ? それなのに置いてきぼりなんて・・」
 泣き言とも恨み節ともつかない事を呟きつつ、目の前のケーキを一口大に切り分け――
パクリとさも美味しそうに頬張る。かと思えば再び泣き出しそうな顔で「私要らないですか? 摘んでポイですか?」と恨み節。そしてまたケーキを口に運んで至上の幸福、とばかりの表情。
 泣き顔、笑顔と見ていて慌しい事この上ない。
 ついでに奇妙な事この上ない。
 人間一人に守天使二人と言う光景もさる事ながら、コロコロと表情を変えるフィーに、店内からの奇異の視線が集中していた。
 これでは、流石の久義も苦笑せざるを得ないだろう。
「リュイー」
 苦笑してフィーを眺めつつ、隣のリュイーへ声をかける。
「何?」
 見なくとも苦笑していると分かるリュイーに、頬をぽりぽりと掻きながら、
「これ、怒ってるの? 泣いてるの? それともケーキに喜んでるの? どれ?」
 と尋ねる。
「全部・・かな?」
 そう答えるリュイーの声にも力がない。
 二人とも狼で奇異の視線には慣れているとは言え、フィーに集まる方向性が違った奇異の視線に、もはや笑うしかないと言った感じだ。
 一人で百面相を繰り広げるフィーは取り合えず置いておいて、久義はリュイーに声をかける。
「ねぇ、リュイー」
「何、久義」
 尋ね返してくるリュイーに、久義はフィーを指して続ける。
「フィーちゃんと狼って・・・ひょっとしなくても似た者同士?」
 それを聞いて、リュイーがプッと噴出した。
 徹底した無関心で黙殺しているのと、全く気付いていないのと。完全に反対ではあれど、狼もフィーも自分へ向けられる視線へは無頓着だ。そして守天使でありながら異種を倒せないフィーと、人間でありながら異種を軽々とあしらってのける狼。どちらも常識から外れているのは確かだ。
それに加え、どちらもこうと決めたらてこでも動かない頑固な面もある。あくまでも『守天使なんざいらねぇ』と言い切る狼と、『私は狼様の守天使ですっ!』と言い張るフィー。現在同居生活が実現しているのは、家事技能が壊滅的な狼がリュイーの手を煩わせるのを厭い、妥協したからである。家事技能、で結ばれた主と守天使など前代未聞だろう。それでいてその事実を違和感なく受け入れられるのだから、全く持って不思議な二人である。
「そうね。方向は正反対だけど、根本的な所で似てるのかも」
 笑いながら答えたリュイーに、「だよねぇ」と頷く久義。
 と、不意に視線に気付き、リュイーが視線を向けると――
「うぅ〜・・」
 久義とリュイーを見ながら唸っているフィーが目に入った。
「ど、どうしました、フィーさん?」
「・・ましいです・・」
 小さくて聞き取れなかったリュイーが「え?」と聞き返すと、
「うらやましです・・」
 ともう一度言葉を繰り返した。
「うらやましいって・・何が?」
 小首を傾げつつ久義が尋ねる。その横では、リュイーもキョトンとした表情で首を傾げており、フィーの言葉が何を指しているのか理解している様子は微塵もない。
 問いに答えず「うぅ〜・・」と唸るフィーに、久義とリュイーは顔を見合わせる。
「久義、分かる?」
「ううん、全く。リュイーは?」
「私も」
 そして鏡でも見ているかの様に同じタイミングでフム、と首を傾げた。
 と、その瞬間・・・
「それです!」
 勢い込んで言うフィーに、リュイーは一瞬引いたものの、久義は殆ど動じず「それって?」と問い返す。
「久義さんもリュイーさんも息があってますっ! ピッタリですっ!」
 明らかに興奮した様子のフィーに対し、久義は全くの自然体で返す。
「それが?」
「うらやましいのです! ラブラブっぽいです! 私だって狼様とラブラブしたいのです!」
 その言葉で何を言いたいのかを理解したらしく、久義は「あ〜、そゆこと・・」と納得した様に手を打ち合わせた。隣のリュイーも納得した表情だ。
 そんな二人に、フィーは更に言葉を続ける。
「お二人に質問ですっ」
「はいはい、何でしょ?」
「お二人はお付き合いなさってるですか?」
 期待にキラキラと瞳を輝かせて答えを待つフィーに、久義とリュイーは――
「うん。付き合ってるよ?」
「いえ、付き合ってはいませんよ?」
 同時に、全く正反対の言葉を返した。
 そして、フィーが反応を返すより早く、顔を見合わせ――
「僕達、付き合ってんじゃなかったの?」
「私達、付き合ってる事になってたの?」
 と互いに疑問の声を上げる。この際、タイミングは完全に同時。互いに浮かべる表情も同一。異なるのは、互いが発した言葉の内容と――相手の言葉を聴いた後の反応だけだ。『いつの間に付き合う事になったのだろう』と言わんばかりに思案に暮れるリュイーとは反対に、正にこの世の終わり、といわんばかりの表情でテーブルに突っ伏す久義。
 これには、先ほどフィーに向けられたのとは別方向の奇異の視線が集まった。
 そんな事になど全く気付かず、「あは・・フラれた・・リュイーに・・あは、あはは・・」と虚ろな目で渇いた笑いを浮かべる久義と、「・・・私、付き合うなんて言ったっけな?」と小首を傾げるリュイー。
 そんな端から見れば異様以外の何者でもない二人に、「あのぉ〜・・」とフィーがおそるおそる声をかける。
が、
「はい? どうしました?」
 と言う反応が返ってきたのは一人だけ。
 残るもう一人、久義はと言うと――
「あはは、あは・・フラ・・フられ・・あはは・・」
 虚ろな視線をあちこちにさまよわせたまま、ブツブツと独り言を呟いている。その様子は一言で表すなら正に――
「リュイーさん・・久義さん、壊れました?」
 と、まぁ、こうなってしまうだろう。
 何かと失礼極まる発言なのは否めないが、そんな問いを駆けられたリュイーはと言えば、
「あはは、はい。壊れてしまったみたいですね」
 と至極平然とした様子だ。
「――・・・」
 それを聞いて、流石のフィーも言葉を失った。
 まぁ、それも当然かもしれない。
 守天使にとって主とは己の命を賭けて護るべき相手であり、全存在を賭けて尽くすべき相手なのだ。まかり間違っても、会話の最中にサラリとマインドブレイク状態に追い込み、笑い飛ばして良い相手では決してない。
 ないのだが・・・。
「まぁ、よくある事ですから。気にしないで下さい。どうせ直ぐに復活しますから」
 今しがた自らの主をマインドブレイクに追い込んでおきながら、リュイーの反応は極々平然としたものだ。表情や仕草等を見る限り、悪びれた様子は微塵もない。優しげな表情も見ているだけでほのぼのとしてしまう仕草も、全く普段と変わらない。普段との違いは隣に座る久義が無邪気―ーに見える有邪気――な笑みではなく、虚ろな視線を宙に彷徨わせている点のみである。
 何と言うか、この二人。
――・・・とってもおかしな関係なのではないでしょうか?
 他の者から自分と狼もそう見られている事等全く気付かず、フィーは胸中でそう呟く。
 まぁ、他人から見て狼とフィー、久義とリュイーのどちらが奇妙に移るかと言えば、間違いなく狼・フィーペアになるのだが。
 精神崩壊中の久義をどうするべきかとオロオロするフィーに、見るからにほのぼのとした様子のリュイーが声をかける。
「フィーさん? こうなっちゃったら暫く戻りませんから、久義は放っておいていいですよ?」
「いいんですかっ!?」
「はい。どうせ自己修復が終わるまで反応、ありませんから」
 驚愕に満ちたフィーの声に、サラリと返すリュイー。
 フィーは一瞬唖然としたものの、ならばこの際、とばかりに聞きたい事を聞いておく事にした。
「じゃ、じゃあですね・・。リュイーさんは今、好きな人とかいるんですか?」
 その問いに、リュイーがキョトンとした表情を浮かべた。
「好きな人・・ですか?」
「は、はいっ! いらっしゃるんですか?」
 続けて尋ねると、リュイーは考える様な仕草をしつつ、「そうですねぇ・・」と呟く。
「どうですか?」
 微妙に乗り出し気味になりつつ、フィーが先を促し――
「いるの!? 誰! 誰なのさっ!?」
 久義が唾を飛ばさんばかりに詰め寄った。
「あれ? 今回は随分復活早いね」
 心底そう思っているらしく、リュイーの表情はキョトンとしたものだ。が、一方の久義は目が血走っていないのが不思議な位の勢いで、
「そんなのいいから! 誰なの!? ねぇってば!」
 と今にも血の涙でも流しそうな様子である。
 そんな久義の問いに、リュイーは心底不思議そうに返した。
「フィーさんはともかく・・久義が知ってどうするの? そんなの」
 それに対し久義は――
「殺す」
 フィーが初めて見る様な真剣な表情でキッパリと即答して見せた。何と言うか、目は完全に据わっているし、そのくせ口元が微かな笑みを刻んでいる辺り、酷く怖い。と言うか、危うい。完全に行ってはいけない領域に行ってしまった人間の表情である。
「くくく・・一思いには殺さないよ・・。じわじわと痛めつけて・・その上で殺してあげるよ・・くっくっく・・」
 果てには、ブツブツと危ない独り言を呟きだした。
 こうなっては、完全に危険人物である。最も、なら日頃の言動はどうなんだと言われれば、『ベクトル違ってるってだけだろ?』と狼なら言うだろうが。
 と、その時。
「・・そう言う危ねぇ一人事は場所選んでやれっつの、このド阿呆が」
 と言う声と、ゴツンと言う鈍い音が響き、危ない呟きを続けていた久義の頭がガクッと垂直に沈んだ。
 聞きなれた声にフィーが視線を上げると、そこには如何にも面倒臭げに頭を掻く狼が立っていた。
 待ち望んだ姿に、たちまちフィーの顔に笑みが広がる。そして
「狼さまぁ〜!」
 椅子を蹴倒さんばかりに立ち上がり、狼の胸に飛び込んだ。
 のだが・・。
「・・で、どうしたってんだ? この阿呆は?」
 狼はと言えば飛び込もうとしたフィーの頭を右手で押さえつけ、左手でタバコを咥えつつリュイーに声をかけている。ちなみに、フィーには視線さえ向いておらず、それどころか、自分が抱きついてこようとしたフィーを押さえつけている事すら、自覚していない様子である。
 そんな狼の視線の先では、つい今しがた制裁を喰らった久義が頭頂部を抑えて「くっ・・おぅ・・し、死ぬ・・頭・・割れ・・!」と呻いていた。
 狼はそんな久義に一瞬嘆息しかけるが、まぁ、いつもの事とリュイーへと視線を移して続けた。
「リュイー。この阿呆はどうしたよ?」
「あぅ〜・・狼様ぁ〜・・! 手、どかしてくださいよぉ〜・・・」
 右手の方から何か聞こえた気もするが、風の音だろうと気にしない事にする。
「えぇっと、ですね・・」
 流石に言いづらいのか、困った様に笑うリュイーに、狼は深く嘆息する。
「ま、どうでも良いがよ。主が暴走しそうなら、ぶちのめしてでも真っ当な道に引き戻してやれよ」
「狼さまぁ・・無視ですか? 無視してるですかぁ・・?」
 またも何か聞こえた気がしたが、狼は疲れてるからだな、と気にしない事にした。そんな狼の言葉に、リュイーもまた苦笑を深める。
「う〜ん・・主を殴るのはちょっと・・。私は守天使ですから」
「あぅ・・リュイーさん。助けてくださいです・・」
「気にすんな。どうせソイツだ。問題なんざ微塵もねぇよ」
「あるよ!?」
 何時の間にやら復活したらしき久義が間に入って抗議の声を上げた。
が。
「そう・・ですね。はい。次はそうする事にします」
「ってちょっとリュイー!?」
「うわぁん! リュイーさんまで無視するですか!?」
 抗議する久義と、押さえつけられたまま喚くフィーを置き去りに、狼とリュイーの会話は続く。
「ああ、そうしとけ」
「はい」
「あぅぅ・・私・・空気ですか?」
「いいよいいよ・・どうせ僕なんて・・・僕なんて・・」
 完全に狼とリュイーに無視され続け、フィーは指先をツンツンと突き合わせ始め、ついでに久義もテーブルの上に“の”の字を書き出す。どうやら、完全にいじけてしまったようだが――
「迅野様はどうなされたのです?」
「ん? あぁ、帰り際に前通りがかったら、変な奴らがいんのが見えたもんでな」
 リュイーにそう答えながら腰を下ろそうとして、狼はようやく自分の右手のしたでいじけているフィーに気付く。本気で奇妙なものを見る様な表情を見る限り、今の今までフィーを押さえていたことには気付いていなかった様だ。
「つかフィー・・。お前、んなとこで何やってんだ?」
「何って・・・今まで気付いてなかったですか!? 無視してたんじゃなくて!?」
 唖然とした表情で抗議の叫びを上げるフィーに対し、狼は怪訝そうに返す。
「は? 何いってんだ、お前?」
「うわぁあん! イジメですか!? それとも虐待ですか!?」
 本気で泣き出しそうなフィーに、狼はガリガリと頭を掻く。
「どっちも大して変わらねぇんじゃねぇか、その二つ・・・つか、ウルセェ。店ん中だぜ、ここ。騒ぐんじゃねぇよ」
「うぅぅ・・でも、でもですね・・」
 なおも抗議したそうなフィーに、狼は嘆息交じりに、後ろを指差して見せた。
「つーか、だ。既に手遅れみてぇだがな。お前ら、マジで気付いてなかったのかよ?」
 三人の視線が狼の指先を追うとそこには――
「あの、大変申し訳ないのですが、他のお客様のご迷惑になっておりますので、お静かにお願いいたします」
 にこやかに――ピクピクとコメカミが動いているが――笑う給仕服の男性が立っていた。



あー、結局、狼が何処に行ったのかは分からないままか。
美姫 「いつか分かる日が来るまで待つしかないわね」
だな。それにしても、狼とフィーのやり取りは中々に楽しいよな。
美姫 「確かにね。まあ、今回は久義たちと一緒にちょっと騒がしくしすぎたみたいだけれどね」
さて、次はどうなるのかな。
美姫 「次回も待っていますね」
ではでは。



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