『賢者と獣と剣聖と』




「あっちゃぁ〜・・・参ったね、こりゃ」
 色素の薄い髪をかき上げながら佐藤聖は溜め息混じりに呟いた。
 その隣ではふわふわの巻き毛をした西洋人形の様な少女が同じく困った様な顔で、黒髪をおかっぱに切りそろえた市松人形の様な少女がどうしたものかと言いたげな表情を浮かべていた。
 三人の視線は一様に同じものを捉えていた。 
 そう、側溝に嵌まり込んだ、車の後輪に。
「完っ璧にはまっちゃってるよ、これ」
 ツンツンと爪先でタイヤを突きながら、聖がのたまう。
「どうしましょう?」
 そう言って困った様に頬に手を当てたのは西洋人形の少女――藤堂志摩子。
「どうしましょう、と言われても・・・。ここまで嵌ってしまうと押した位では無理でしょうし。それに、私とお姉さまでは動かす事すら出来ませんよ?」
 市松人形の少女――二条乃梨子の言葉に、志摩子はそうよねと溜め息を付く。
 聖以外に車を動かせる人間がいない以上、必然的に車を押す役目は志摩子と乃梨子になる。が、十代半ばの女性である事に加え、元々非力な二人では車を推し出す事等できはしまい。
 聖にした所で、志摩子や乃梨子よりはマシと言う程度の力しかないし、どちらかと交換した所で余り意味はない。
 揃って溜め息を吐きながら、こうなるに至った経緯を何とはなしに思い出していた。


「避暑地の別荘ですか?」
 リリアン女学園から程近い場所にある喫茶店で三人の少女が向かい合っていた。
 リリアンの制服を身につけている二人の内の一人、乃梨子がキョトンとした顔で尋ねる。
 その声に、私服姿の少女、聖は手にしていたグラスをテーブルに戻しながら頷く。
「そ。蓉子・・・って言っても乃梨子ちゃんはわからないか。私の親友で祥子のお姉さま、つまり去年の紅薔薇様《ロサ・キネンシス》なんだけど。その蓉子の友達に、そっちに別荘持ってる子がいるんだって。で、そこに誘われたらしいんだ」
 一旦言葉を切ると、ストローでグラスの中の氷をクルクルと弄びながら続ける。
「それで、その子が他に何人か誘っても良いって言われたらしくて、私に声がかかったって訳。私はオッケーしたんだけど、どうせなら人数多い方が楽しいでしょ? だから志摩子や乃梨子ちゃんが大丈夫なら、って思ったんだけど」
 そう言ってどうかな、と二人を見る聖に、志摩子は少し考える様に答える。
「流石に今すぐに答えると言うのはちょっと・・・家の方にも確認して見ないといけませんから」
「私もです。菫子さんに聞いてから、ですね」
 そんな二人に聖は頷いて返す。
「うん。二十日までに解ればいいって言ってたから、急がなくてもいいよ。決まったら教えて」
 その後、志摩子達はそれぞれの家に了解を取り、その旨を聖に伝えた。
 その際に参加メンバーについて尋ねたのだが、まず、聖のもう一人の親友である前黄薔薇様《ロサ・フェティダ》鳥居江利子は都合がつかず不参加、その姉妹(スール)である現黄薔薇様――支倉令とその妹である黄薔薇のつぼみ《ロサ・フェティダ・アン・ブゥトン》――島津由乃もまた、自分達の予定とブッキングしてしまった為、参加を見送ったらしい。
 そして蓉子の妹である現紅薔薇様――小笠原祥子とその妹である紅薔薇のつぼみ《ロサ・キネンシス・アン・ブゥトン》――福沢祐巳に関しては、元々予定していた小笠原所有の別荘が同じ地区にあると言う事で、参加はしないが遊びに行くかも知れないとの事だった。
「と言う事は、参加が確定したのは前紅薔薇様以外ですと、私達だけって事ですか?」
 そう言ってくる乃梨子に、聖は頷いた。
「そ、白薔薇ファミリーだけって事だね」
 ま、私は前が付くけどねと笑う聖に、志摩子もまた笑う。
 そんな経緯で前白薔薇様《ロサ・ギガンティア》――佐藤聖と現白薔薇様――藤堂志摩子、白薔薇のつぼみ《ロサ・ギガンティア・アン・ブゥトン》二条乃梨子の参加が確定し、当日である今日、聖の運転する車に乗り込み、カーナビのナビゲートを頼りに招待先へと向かったのである。
 途中で何回かの休憩を挟みつつ、別荘のある避暑地に入るまでは順調だったのだが、そこからは少し問題だった。
 道が細いのである。
 元々が別荘地である為、シーズンを除けば人通りが多くない事が原因だろう。
 舗装はされているものの、場所によっては車が二台擦れ違うのがやっと、と言った所もない訳ではない。
 聖自身、自分の運転が決して上手いと言える程ではないのは知っているので、そう言った場所では車を端に寄せて停め、相手の車を先に行かせる事にしていた。
 今回もそうしたまでは良かったのだが――
 対向車が通り過ぎ、車を発進させようとした所でガタンと言う音が聞こえ、同時に車が揺れた。
 幸い、停車していた為全員怪我はなかったものの、何だろうと車外に出た所で片方の後輪が側溝にはまっているのを見つけた、と言う訳だ。


「寄せすぎちゃったか」
 そう言って頭を掻く聖に、志摩子が微苦笑を浮かべた。
「お姉さま。誰も怪我がなかったんですから」
「ま、ね。これで誰か怪我したなんて言ったら大変だ」
 そう言って苦笑で返す聖に、
「ですけど、これ、どうします? 目的の別荘まではまだ距離があるんですよね?」
 これ、と側溝に嵌ったタイヤをさして言う乃梨子。
「それなんだよねぇ・・・どうしたもんか」
 そう言って聖はため息をついた。
 普通に考えれば携帯でJAFに連絡、と言うのが妥当だろうが、ここにいる三人とも携帯を所持していない。
 リリアンでは携帯の持込は禁止されているし、本人達も左程の必要性を感じていなかった為だ。聖は大学であるから携帯に関しての規則は緩いだろうが、こちらも必要性を感じていなかった為、購入しようと思う事はなかった。
――こんな事なら持っとけば良かったかなぁ。
 等と思わないではないものの、今更では後の祭りだ。
 かと言って招待された別荘まではまだまだ距離がある。
 歩いてそこに行き、事情を話してと言うのも残りの距離を考えると少々辛い。
 では、どうするか。
 と結局はそこに戻ってしまうのだ。
「全く、困ったもんだ・・」
 聖がそう呟いた時――
  プップー
 クラクションが響き、一台の車が停車した。
 助手席が開き、一人の男性が降りてくる。
 その男性を見て、三人は一瞬息を呑んだ。
 黒髪黒瞳。
 全身黒尽くめである事に加え、この季節だと言うのに長袖のワイシャツを着込んでいる。
 真っ直ぐに伸びた背筋に整った顔立ち。
 そこいらのモデル等歯牙にもかけない程の容姿を持ったその青年は、ゆっくりと近づいてくると、「失礼」と言って三人に声をかける。
「どうかなさいましたか? 何か、お困りの様子ですが」
 その言葉に我に返った聖は、事情を説明する。
 それを聞いて青年は嵌まり込んだタイヤへと視線を移して頷くと
「少々待って貰えますか」
 と言って乗っていた車へと駆け寄る。
 呆然と見つめる聖達の先で、青年は運転していた男性に何やら話すと、すぐさま聖達の下に掻け戻った。
「お待たせしました。今、俺の友人も着ますので、すぐに何とかしますよ」
 そう言って僅かながらも笑みを浮かべる。
 その言葉に反応するより速く、二人の男性が歩いてくるのが見えた。
 一人は袖抜きのシャツにジーンズと服装は普通だが、顔が隠れる程に長い前髪の間から覗く眼差しは酷く鋭く、冷たい印象を受ける。何よりも特徴的なのは黒い布の巻かれた右手につけられたアクセサリーだろう。
 親指、中指、小指に付けた指輪からはしる鎖が甲の中心で六角形のリングに止まり、その対角線上の頂点から更に走った鎖は、手首に嵌められたバングルに繋がっている。その漆黒の輝きを放つ質感といい、身を飾るアクセサリと呼ぶよりは、拘束具の様な印象を受ける。
 もう一人はタンクトップにジーンズと服装は似た様なものだが、鬣の如き金の髪を風に靡かせ、怠惰に見える表情を浮かべながらも獰猛な影が見て取れる、そんな青年だった。
 そんな二人の人物に、志摩子と乃梨子は一瞬身を固めた。
 まぁ、このあたりは致し方のない事だろう。
 女子高に身を置き、身近な男性は家族を除けば歳の離れた教師のみ、と言う環境下では、まず関わる事のないタイプだ。
 聖にしても二人よりは町に出る事が多い為、耐性はあるものの、得意といえる程でもない。
 何より、志摩子や乃梨子の姉、と言う立場上、警戒せざるを獲なかった。
 そんな三人の様子に気付いていないのか気にしていないのか、歩み寄ってきた内、長髪の青年が口を開く。
「・・・お前達の中で、車を運転できるのは誰だ?」
 酷く淡々とした、感情の感じられない声に驚く三人に、青年は再度声をかける。
「聞こえなかったか? 車を動かせるのは誰だ、と尋ねたのだが?」
 重ねて尋ねられ、聖が手を挙げると青年は視線を一瞬走らせ
「なら、運転席に戻れ。俺達が後ろから押す。お前はハンドルを右に切った上で合図に合わせてアクセルを踏め」
 とだけ言うと、聖の車の後ろに回った。
 慌てて運転席に戻る聖に視線を向ける事もなく、
「恭也、お前は左、俺は右だ。冬月、お前が中心に立って押せ」
 短くそう告げると、話は終わりだとばかりにさっさと車体の後部右側に手をつく。
「なぁ、先輩。俺が一番キツクねぇか、この配置?」
 半眼で見据える金髪の青年に視線を向ける事も無く、「俺達の中で最も腕力に長けた者がお前だからな」と返すと、早くしろとばかりに顎で示す。
 反論を封じられた金髪の青年は、「はいはい」と嘆息混じりに答えて車体の後部に両手をつける。
 同じく黒髪の青年が車体左側に手を当てたのを確認すると、長髪の青年が口を開く。
「さて・・・冬月、加減はしろよ?」
「あいよ。流石に人の車砕く気はねぇしな」
「なら良いが・・・良いぞ、踏み込め!」
 その声に従って聖がアクセルを踏み込んだのと同時に――
「フンッ・・・!」
「ッラァッ!」
「ヌゥ・・・ッ!」
三人が同時に車体に当てた腕に力を込める。
それを見ていた志摩子と乃梨子は目を見張った。
ググッと一瞬音を立てたかと思えば、次の瞬間には車がゆっくりと進みだしたのだ。
「アクセルを踏み過ぎぬよう注意しろ、抜け出すぞ!」
 言うや否や、長髪の青年は車を押す手に更に力を込める。
 そして――
 ガタンッと言う音と共に嵌まり込んでいたタイヤが路面の上に上り出た。
 聖は念の為、1m程路面を進んでから車を停めると、志摩子達の所へ駆け戻る。
「あ、ありがとうございました。おかげさまで助かりました」
「本当にありがとうございます」
 志摩子が微笑みながらお礼を言い、乃梨子が頭を下げる。
聖もまた「ありがとう、助かったわ」と笑みを浮かべた。
 それに対して、黒髪の青年が薄いながらも笑みを浮かべると
「いえ、お気になさらず。困った時はお互い様ですから」
 と返す。
 長髪の青年は同意だと言わんばかりに短く頷き、金髪の青年はヒラヒラと手を振ってみせた。
 そして聖達が何かを言うより速く、踵を返すと自分達の車に歩いていく。
「あ、ちょっと・・」
 慌てて追いかけた聖の言葉に、長髪の青年が足を止め、振り向く。
 聖はその鋭く、冷たい瞳の色に思わず足を止めー―次の瞬間には頭の中が真っ白になった。
 長く伸びた前髪の間から覗く、冷め切った鋭利な刃物の様な黒い瞳。それがふっと和らぎ、口元が微かに歪む。
 それは、笑みと呼ぶには微かに過ぎる変化だったが、聖にはそれが青年の笑みなのだとわかった。
 まるで射抜く様だった鋭さが消え、包み込まれる様な感覚を覚え、動く事を忘れた聖に、青年の言葉が響く。
「気にするな。これからは、気をつける事だ」
 その酷く淡々とした声音に聖が我に返る頃には、既に青年は車のドアに手をかけていた。
 そしてそのままエンジンをかけ、何事もなかったかの様に車を発進させると、聖達の視線の先で道の奥へと消えていった。
「親切な人達が通りがかってくれて助かったわね」
 おっとりと微笑みながら言う志摩子に、乃梨子は苦笑混じりに頷く。
「そうですね。ただ、ちょっと無愛想と言うか、酷く素っ気無い感じはしましたけど」
 そんな妹の言葉にクスクスと笑いながら、「そうね。照れ屋さんなのかも」と返す。
「それは無い様な・・・あれは照れてるってより、無関心って気がします。聖様はどう思います? ・・・聖様?」
 視線を移せば、ぼうっとした様子で車の過ぎ去った方を見ている聖の姿を見て、乃梨子は小首を傾げる。
「お姉さま、どうかなさいましたか?」
 志摩子が心配そうに声をかけると、聖はビクリとした様に視線を向けた。
「あ、あぁ、志摩子。どうしたの?」
「いえ・・何だかぼぅっとしていらしたので」
 そう言って見上げてくる志摩子に何でもないよと笑って見せると、車に向かって歩き出した。
 運転席に乗り込み、イグニッション・キーを回す。
 窓を開けたまま停車した事で温くなった車内に苦笑すると、どうせならと左右の窓を全開にして車を発進させる。
 隣で長い髪を煽られた志摩子が小さく声を上げたが、少し我慢して貰おう。
 緑の中を抜けてくる風を感じながら走ると言うのも悪くない。
 だから、せめてこの森を抜けるまで。
隣の妹には姉の我が侭を聞いて貰おうと思いながら、聖は車を走らせる。
――・・方向同じだったし、もしかしたら向こうで会えたり・・って、あはは、流石にないか。
 胸中で呟きながら、知らず聖の顔には笑みが浮かんでいた。


 聖が胸の中で呟いたこの言葉は、思いもかけず実現する事になる。
 そう、すぐに。



別荘へと向かう途中に聖たちが知り合ったのは恭也たち三人組みと。
美姫 「他の二人はどういった人なのかしらね」
向かう先は同じっぽいけれど、そこで何かが起こるのかどうか。
美姫 「ちょっと楽しみね」
だな。しかも、次回をすぐに読めるという。
美姫 「そんな訳で、すぐさま次話へ」



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