その姿は、否応なしに目を引いた。

 足は肩幅に開いて、両手は胸の前で合わせられている。そして、彼の体全体がほのかに銀色に光っていて、時折パチパチと静電気みたいに黒と銀の電気が弾けている。

 その姿は、荘厳な祈りのように見えた。

 

 けれど、おかしい。

 

 商店街の近くとはいえ、少し住宅地に入ったからか周りにはそう人は多くはない。

 それでも決して少なくないのに、誰一人として彼を見る人は――いや、彼がそこにいると認識している人がいない。

 まるでそれは自分だけに見える幻のように、誰もその人を見ない。

 そしてわたしは、その場に縫い付けられたように目が離せなかった。

 

 

 どれだけその姿を見続けていただろうか。長くても十分も経ってないと思う。

 やがて、銀色の光が消え、彼は合わせていた手を下ろし、大きく息を吐いて、

 

「ここら辺にもいないか……」

 

 落胆も露わにそう呟いた。

 

 

 

 

 

 

      第9話  「生命」

 

 

 

 

 

 

「あの……」

 

 緊張で干からびそうな喉から、必死に声を出して呼びかける。

 ただそれだけのことなのに、心臓はバクバクとうるさいくらいに鳴り、顔は真っ赤になっていることを簡単に想像できるくらい熱い。

 でも、その声が小さくて聞こえなかったのか、神雷さんは反応しない。

 

 ……聞こえなかったのかな?

 

 そう思ったけど、すぐにそんなはずはないと気づく。

 前に神無さんが言っていた『心眼』が本当ならこの状況で気づいていてもおかしくない。それにはやても、この人は恭也さんに勝ったと言っていた。本当に目が見えなくて、周りが分からないなら、そんなことできるはずない。つまり――

 

 ……無視、されてる?

 

 そう思った途端、ゾクリと、かつてよく知った言い様のない感覚――恐怖が背筋を走る。

 それにもやっぱり気づく様子を見せず立ち去ろうとする、その後ろ姿を――

 キュッと裾を掴んで止めた。

 

「ッ……」

 

 それで、やっぱり気づいてたのか、驚いた様子もなく神雷さんは振り返った。

 

「……フェイト・テスタロッサか?」

「……はい」

 

 どこか遠慮するような確認に、少しトーンの落ちた声で答えた。

 やっぱり、彼はわたしがいることが分かっていたみたいだ。なのにさっき応えてくれなかった、その態度が母さんに「いらない」と言われたトラウマを思い出させる。

 けれど、今回はそんな暇はない。神雷さんはわたしの方に向き直って、

 

「……こうして俺を呼び止めたということは、知る覚悟ができた、ということか?」

「あ……それは……」

 

 そうだった。あの日、学校の屋上で、この人はその言葉で、わたしの疑問を置き去りにしていった。

 けれど、その問いの答えはあのときから決まってたんだ。ただ、思いもしなかったその忠告に戸惑っていただけで。

 だから今答える言葉はただ一つ。

 

「はい」

 

 静かに、決意を込めて答える。

 神雷さんはそれを測るようにじっとわたしを見て、

 

「どうでもいいことだが……」そう前置きしてから「……今のお前、『空気さんとお話しするアブナイ人』だと気づいてるか?」

「え……?」

 

 ちょっとだけ、周りを見てみる。

 何人かが、怪訝そうな顔でわたしを見て通り過ぎていく。

 それは確かにこの人が言う通り、『空気さんとお話しするアブナイ人』を見るような目で。

 なんでだろう、自分の金髪がこの世界のこの国で目立つものであることは、この世界での一月半の生活で十分理解している。

 でも、神雷さんの姿もわたしと同じかそれ以上に目立つものだと思う。

 真っ白い髪に真っ赤なコート。顔の半分を隠す眼帯に、さっきまで光っていた体。

 なのになんでこんなわたし一人を見るような――

 

「俺は今、『ここにいるけどここにはいない、ここにはいないけどここにいる』。そういう状態だ」

 

 その疑問を推察したように、神雷さんはわけの分からない答えをくれた。

 

「え……? それってどういう……」

「まぁ、そんなことはいい。どうせ理解できない」わたしの質問をあっさりと切って捨てて「それで、なにを知るためにここに来た?」

 

 怖いくらいに真剣な勢いで訊いてきた。でもなんだろう、なんだか突き放すような印象を感じる。

 その雰囲気に圧されないように、唾をゴクリと一度飲んで、

 

「神無さんや志乃さんから聞きました。あなたが千年生きている不老不死の『呪い憑き』だって」

「……あいつらに会ったのか」

「はい」

 

 と、答えてしまってから志乃さんの名前の方は伏せておくべきだったかと戸惑う。なにせ、この人の敵を名乗る人の名前なのだから。

 だけど、神雷さんはそのことに気をかける様子もなく、

 

「なら、あいつらに訊けばいいだろう。俺の知っていたことは神無には教えてある。それにおそらく、無刃も同程度は答えられるだろう」

「いえ。たぶん、あなたでないと答えられないと思います」

 

 この胸の痛みは、あなたのせいでもあるんです。だからきっと、あなたの答えでないとダメなんです。

 

「そうか……」渋るように少し唸って「……だったら、その前に場所を変えるぞ。ここだとおそらく、無刃の射界に入る」

「はい?」

 

 どういう意味だろう?
 その戸惑いが伝わったのか、神雷さんは見えてないにも関わらず、顔を山の方へ振った。

 同じようにその方向――国守山の方を見て、ちょっと考えて気づいた。そういえば、初めて会った夜にあの山の方から矢が飛んできたんだっけ。あのときはどんな人が撃ってきてるのかと思ったけど、それがまさか志乃さんみたいな女の人とは思わなかった。

 それに気づいたのを察したのか、神雷さんはバサリとコート(?)を翻して歩き出す。

 その歩みは特別速いということもなく、付いて行こうと思えば簡単に追いつけるくらい。

 

「アルフ、いい?」

「へ? いや、そりゃフェイトがやりたいことなら、あたしは止めないけど……。でも、今誰と話してたんだい?」

 

 わけが分からないというように、戸惑いながらもアルフはそう答えてくれた。……ひょっとして、アルフも他の人たちと同じようにあの人が見えてないのかな? それでもあまり驚いた感じがないのは、さっきの会話を念話だと思っているからとか。

 

「……たぶん、すぐに分かるよ」

 

 わざわざ場所を変えるということは、つまり志乃さんから見えない場所に行くということだろう。

 だったら、今の不思議な状態をどうにかして、アルフにも姿が見えるようになるかもしれない。

 

「……分かったよ。でも、危ないと思ったらすぐに割って入るからね」

「うん、ありがとう」

 

 こんなときでも心配してくれるアルフに感謝して、

 

「こっち」

 

 アルフを先導するように、神雷さんの後ろ姿を追いかける。

 少しだけ、胸が不安と緊張で高鳴っている。

 千年以上を生きたというこの人に、自分はどう映るのだろう?

 

 

 

      *   *   *

 

「どう? 見つかった?」

「ううん。今のところは見えないね」

 

 鷹の目を誇るという左目で眼下の海鳴を見下ろし、志乃は答えた。

 

「そうか」

 

 なんとなく予想していた答えなので、たいして肩透かしをくうこともなかった。そのまま志乃の隣に立ち、頼まれて買いに行っていた紅茶の缶を渡す。

 志乃はそれを受け取り、プルタブを開け、一口呷る間も油断のない目で海鳴市を見渡している。

 その様子を見ながら自分の分の缶コーヒーを開けて、こうなった経緯を思い出してみた。

 

 

 日曜日、不老不死の呪いの話の後で自分の部屋に篭って話を聞いた。

 その前の夜になにがあったのか。

 

 要約すれば、那美が最近話題の連続リンチ殺人の犯人たちにさらわれそうだったから相手を射て撤退してもらった。

 

 普通に考えたなら信じられない話だった。大前提として、あんな距離が見えるか。

 でも、そのとき志乃に聞いた話と、後で那美に確認した話はしっかりと噛み合っていて、そこに矛盾や齟齬はなかった。(ただ、那美はその相手が殺人事件の犯人とは知らなかったが)

 こうなると、志乃の目の良さと弓の腕の良さは認めざるを得ない。

 そしてそれを認めるなら、志乃は犯人の顔を知っていることになる。

 それで考えた末に志乃に捜査協力を頼んだのだが、それには条件付きで承諾してくれた。

 

 その条件とは、優先順位の確保。

 つまるところ、世間の事件よりも自分の復讐の方が先。

 一応とはいえ、警察に協力している立場からすればそれは止めるべきだろう。誰の復讐なのか、どういう経緯なのか、そういうことを訊いても答えなかったし。

 けれど、どうにもその力は弱い。それはこっちが頼む立場だし、力尽くになれば負けると分かっているからか。

 それに、相手が志乃と同じ不老不死だということも歯止めを掛ける力を弱めているのかもしれない。復讐とは言っても、そう簡単に殺されはしないだろう、と。

 

 

 そんなわけで今夜もまた、二人で展望台に監視に来ている。

 とはいっても、自分はパトロールや他の警察連中との連携とかでそう長くここにいれないのだが。

 でも志乃の言うには、しばらく犯行はないんじゃないか、とのこと。

 なぜそう思うのかと訊けば、決して浅くない傷を負わせたから、と答えた。那美にも訊いてみたところ、間違いなく何本かの矢が刺さっていたとか。一応その方面で病院にも調査を頼んでいるが、今のところいい報告はない。

 なんとも進展のあるのかないのか分からない状況にため息を吐きそうになるが、手にした缶コーヒーを飲みながら、今の時点で有力な情報を整理する。

 

 志乃から聞いた犯行の手順は単純。

 まず人気のないところで一人がなんらかの話題を振って被害者の注意を引き、そこで背後から別の一人が捕まえて、近づいていた車に押し込み連れ去る。

 あとはどこか、たぶん用意しておいた場所に連れ込んでリンチして殺し、また別の場所に死体を捨てる。

 なんて単純。

 でもその分やる方は簡単で手間取ることも少ないだろうし、その有効性は警察が追えていない現状、証明されている。

 

 それを見つけたとして、どう防ぐか。

 志乃が見つけたとしても、それはすでに事件が起きた後ということになる。

 となれば現行犯で逮捕するくらいしかできそうにないのが痛い。被害者を一人増やす前提で捜査を進めるようなものだ。

 う〜〜ん、ともう何度目になるか分からない悩みに頭を痛める。

 

 普段ならここでの会話はあまりない。志乃はやけに集中した顔で街を見張っていて喋ることは滅多にないし、自分もその邪魔をするのもどうかと思って会話を振ることはない。

 だけど、今夜は違った。

 珍しく、不意に志乃が口を開いた。

 

「……あの子はどうしてるかな?」

「え?」ちょっと戸惑うが今志乃が『あの子』が指す相手は一人しかいないことを思い出し「ああ、あすかのことか?」

「うん」

 

 静かに頷く。まぁ、気になるのも分からないでもない。

 

「やっぱり、あの夜のことは覚えてるんだろう。それに、なにもなかったように、というわけにもいかないみたいだ」

 

 たぶん本人は普通に振舞おうとしているのだろう。

 それでも、ぎこちなさを感じる。強気に振舞おうとしていながら、怒られることに怯えるように、どこか線を引いて一歩退がった場所から出てこようとしないような感じだ。

 それだけではなく、愛に対してはあからさまに避けている。

 寝床は志乃が提供してしまったから一緒に寝ることはなくなったし、普段から鉢合わせしないように警戒している。風呂だって愛が入った途端に出てくるし。

 ちょっと見ただけの自分がそう感じるくらいなのだから、寮で相手をしている皆が気づいていないわけがない。

 そういったことをかいつまんで説明する。

 

「……そう。余計なお世話だったかな……」

 

 まったくだ。

 そう言い返しかけたところで、かろうじてその言葉を飲み込む。

 確かに愛や他の皆にとっては交流の場を一つ潰されたようなものかもしれないが、ああしていなければまたあの夜と同じことになるかもしれない。夜が来る度にあんな悲鳴を出されたら近所迷惑どころではない。

 

「あの子が不老不死にされたのは、やっぱり……HGSのせいかな?」

「……たぶんね。あの『翼』と異能の力が、選ばれた要因だと思う」

 

 思う、とは言いながらも、志乃の口調はそれを疑っていないように見える。

 けれど――

 

「まぁ、ボクとしては、気になるのは君が持ってるっていう力のことだけど……」

「? これのこと?」

 

 そう言って志乃は掌をかざし、そこに一本の矢を呼び出した。

 

「そう、それ。それってアポートだろう? でもキミはHGSじゃないようだし……」

 

 HGSだけがアポートや他の能力の使い手というわけでもない。

 しかし、自身がそれであるゆえに、まずそこから疑ってしまう。

 

「……なにか勘違いしてないかな?」

 

 そして志乃の反応はその予想を否定するものだった。

 

「そもそも、アポートってなに?」

「瞬間移動の一つで、物を自分の手元に呼び寄せる能力。このくらいならボクも使える」

 

 リアーフィンを展開。手を前にかざし、さざなみ寮の部屋に置いておいたタバコの箱を取り寄せて見せる。

 

「へぇ〜〜」感心したように志乃はそれを見ていたが「あ〜〜、でも違うよ。これはあたしの持つ異能の力。そして、『呪い憑き』に選ばれた原因」キン、と再び金属同士がぶつかる音を響かせて今度はなにかの塊を手元に呼び寄せて「金属であればなんでも、あたしの体力があるだけ生み出すことができる。呼び出すんじゃなくて、創り出すんだよ」

 

 ポン、と放り出すようにして渡されたその金属の塊は重力の力も借りてズシリと重く感じる。こんな無骨な塊でも、まともに当たれば十分危険なものだ。あの日、金だらいで済んだ久遠は運がよかったというべきか。

 でも――

 

「……なんで、キミはそんな能力を持ってる? まさか生まれつきとかじゃないよね」

 

 HGSは生まれつきだ。その発症率はとてつもなく低いが、それでも遺伝子の病気と断定されているため、その治療法だって研究されている。

 なら、志乃はどうか? 金属を創り出すなどという、神様の領域に手が届きそうな聞いたこともない能力、人間が生まれ持ってくるものだろうか?

 そして、志乃の答えはやはり自分の予想を遥かにぶっ飛んだものだった

 

「あたしも被害者の側だから、詳しいことは知らないけど――」そう前置きしてから志乃は下腹部を撫でて「あたしがここに抱えている呪いは、命として未完成の胎児と、呪術を仕込んだ隕鉄を合わせて一つの呪具を作る呪法。ここまでできたらあとはあたしの腹を裂いて、この子を引きずり出してそれは完成するはずだった」

 

 なにやら恐ろしいことを平然と言った。

 

「腹を裂くって、そんなことしたら……」

 

 今の時代なら、出産のときに母体を切開して胎児を取り出すということもある。

 だけど、志乃はそうはいかない。千年も昔にそんな技術があったとは思えない。

 そしてその想像を肯定するように、

 

「当然、死ぬよ? そのときはまだ不老不死じゃなかったし」

 

 カラカラと笑うように言ってのけた。

 

「じゃあ、その子供がもう死んでるってのは……」

「当然のことでしょ。もうこの子は、人間じゃなくて呪具なんだから」

「……そんなのを腹に入れたまま、千年も?」

「うん。あの日からずっと、千年もの間この子はここにいる」下腹部を――その子供がいるらしい場所をいとおしげに撫で「そして、この呪いの代償であたしは二度と子を望めない体になった」

 

 ポツリと呟かれたその言葉は、なぜかやけに耳に通った。

 

 呪い。

 

 今になってようやく、その本当の重さに触れたような気分だった。

 さらに、志乃は続ける。

 

「ずっと苦しかったんだよ? なんで、この子を産んであげられなかったんだろう、って」

「……でも、その子はもう普通の人間じゃないんだろ? それでも産んでやりたいって思うのかい?」

「そうだね」自嘲気味に志乃は笑い「確かに、もし生まれてきたなら、自分が他の人と違うことを恨むかもしれない。あたしなんかが母親なことを呪うかもしれない。……それでもあたしは、この子に生まれてきてほしかった」

 

 その声は、初めて聞いた。

 志乃が泣きそうな声で、苦しみを吐露するのを、慰める言葉も思いつかずに見ていることしかできなかった。

 

 

 

      *   *   *

 

 とりあえず、場所を変えようということで案内された場所は臨海公園だった。

 もう日は完全に落ちていて空は暗くて星は少ない。街灯も申し訳程度にしか配置されておらず、人気がまったくないせいかむしろ不気味さを助長させているようにしか見えない。

 そのほぼ中心まで来て、前を歩く神雷さんが急に立ち止まった。そして山の方を振り返って、

 

「ここら辺でいいか」

 

 そう呟いてから右手を胸の前に持ち上げて、

 

「解」

 

 そう唱えた途端、パキィン! と、薄氷の割れるような音。

 それと同時に、さっきまでどこか不鮮明だった神雷さんの姿をはっきりと認識できるようになる。

 その途端に、アルフが叫んだ。

 

「なっ!? アンタ、どこから……!?」

 

 その反応を見るに、本当に今まで気づいていなかったみたいだ。

 

「なにをしたんですか?」

「『異界紡ぎ』を解除しただけだ。俺の存在を現世と冥界の狭間に移す外法。その間は霊視ができなければ俺の姿は……」

 

 そこまで言ってなにか気になることでもあるのか、神雷さんは口をつぐんだ。眼帯のせいではっきりとは分からないけど、なにか不思議なものを見るような雰囲気でわたしを見ている……と思う。

 

「? なんですか?」

「……まあいい」神雷さんは海側を向いたベンチにどっかりと座り込んで「俺に訊きたいことがあると言ったな。聞こう」

 

 その隣に、わたしの分のように空けられているスペースに並んで座る。

 そして、座った膝の上にアルフが飛び乗ってきた。その目はまだ、神雷さんを警戒するように見ている。

 そんなアルフを一撫でして落ち着かせて、口を開く。この人になにを訊くかは、ここに辿り着くまでにある程度シミュレーションしている。

 

「はやてからあなたの話を聞きました。あなたの目的とか呪いのことを。それで――」

 

 とりあえず、話の切っ掛けとしてはこの辺でいいかな。

 でも、それを遮り神雷さんは言う。

 

「……誰だ、それは?」

 

 え……?

 

「はやて、ですか? 日曜日に会ったって言ってましたけど……」

 

 この人で、間違いないんだよね?

 その困惑をよそに、神雷さんは思い出そうとするように顎に手を添えて、

 

「……ああ、何人か端にいたな。あのうちの一人か?」

 

 名前、聞いてなかったんですか?

 そういえばはやても、「恭也さんが呼んでいた」と言っていたっけ。ちゃんとした自己紹介はしていなかったのか。

 

「――で、それを聞いてどうした? ……お前も不老不死を望むのか?」

「ち、違います。そういうことじゃなくて――」なぜか怖い雰囲気になった神雷さんを宥めるように言って「その目的や呪いにヒカリ……さんは関係あるのかなって思って……」

「……なぜ、その名前を知っている?」

「覚えてないんですか?」

 

 わたしは覚えてる。忘れられるはずがない。

 この人の金色の右目に見詰められて呼ばれた、わたしでない誰かの名前。

 そこからわたしの苦悩が始まったっていうのに。

 そんなわたしの雰囲気を感じたのか、神雷さんはじっとなにかを考えるように黙り込んで、

 

「…………あのときか」

 

 思いっきり後悔しているみたいな声で呟いた。でもそこからすぐに立ち直って、

 

「なんでその名前に食いつくか知らんが、忘れろ。あいつはもう死んでいる。お前が知ったところでどうにもならないことだ」

「……その前に、一つだけ教えてください」深呼吸をして「その……、ヒカリさんは、そんなにわたしに似てるんですか?」

「……ああ、よく似てる。髪の色もそうだが……なにより、魂のカタチが」

 

 魂の……カタチ?

 なんだろう、それは。よく分からない。

 でも――

 

「あのときは直前まで見ていた夢も手伝って、見間違えたが――」

「あなたも、わたしを誰かの代わりにしか見てくれないんですか……?」

 

 声が震えた。

 膝の上で握られた手に力が入る。

 目が熱くなって、視界が滲みだす。

 それでも、頭のどこかではそうじゃないと言って冷静になろうとする部分がある。

 でも、そういうことだろう? 夢に見ていたとしても、寝ぼけていたとしても、この人があのとき見たのはわたしじゃなくて、その『ヒカリ』という人なんだから。

 そんなわたしの心情を感じたのか、怪訝そうな神雷さんの雰囲気を感じる。

 それが無性に気に障って、当て付けるように、言ってしまった。

 

「わたしは、母さんに捨てられたんです……」

 

 頭の中にわずかに残った冷静な部分が悲鳴を上げる。それは言ってはいけないと。

 それはフェイト・テスタロッサという存在の抱える闇。それを言えばもう後戻りはできない、と。

 でも止まらない。上目遣いに神雷さんを見上げて問い掛ける。

 

「なんで捨てられたか、分かりますか?」

 

 神雷さんは答えない。

 ただ、続きを待つように黙っている。

 

「わたしが、違ったから――アリシアじゃなかったから、です……」

 

――フェイト……あなたはやっぱりアリシアの偽者よ。折角上げたアリシアの記憶も、あなたじゃダメだった。アリシアを蘇らせるまでの間、わたしが慰みに使うだけのお人形。だからあなたはもういらないわ。どこへなりと、消えなさい!

 

 もう何度目になるか分からないフラッシュバック。

 震える手からそれを感じたのか、アルフが心配そうに見上げてくる。

 それに無理やり作った微笑みを返して続ける。

 

「母さんが、死んだアリシアを生き返らせようとして作ったクローン。それがわたしです。……なのに、わたしはアリシアじゃなかった。アリシアになれなかった。だから……いらないって……」

 

 『生き返らせる』のくだりで神雷さんは少し表情を変えたが、それに気づかないまま自分の過去を吐露していく。

 

「それでも、がんばったんですよ? 今度こそ、『本当の自分』を始めようって……、想いを貫くために強くなろうって……。それでも――」

 

 それでも、ダメなんです。なぜかは分からないけど、今あなたの言葉で――あなたの存在で、こんなにも乱れている。

 なにが『本当の自分』なのか、分からなくなっていく。

 

「フェイト……」

 

 膝の上のアルフが、主の悲哀を感じて痛ましい視線で見上げてくるが、もうそれに笑顔を返す余裕もない。

 そして、もうそれ以上なにも言えなくなった。次に口を開けば嗚咽が漏れてしまう。そうならないように俯いて唇を噛み締めて、こぼれそうな涙を抑えるのに必死になって――

 

「おい」

「はい?」

 

 急に呼ばれて反射で顔を上げてみれば、すっと右手が目の前に来て、

 

 ビシィッ!

 

「はうっ!」

 

 弾丸のような衝撃が、デコピンされた額から突き抜けた。

 

「なにを言うかと思い、黙って聞いていれば……」呆れたようにため息を吐いて「勘違いするな。俺はヒカリの代わりなど求めてはいない」

「うえ?」

 

 思いもしなかった言葉に、痛みの残る額を押さえながら少し混乱した。

 

「代わりを求める、ということはつまり、他の誰かで代わりが効く、ということだろう? 俺はあいつを、そんなに安く見た覚えはない」

 

 はっきりと、毅然とした態度で言うその姿に誤魔化すような感じは見られない。

 

「そしてお前も、誰かの代わりでしかこの世にいられないような存在ではないだろう?」

「え?」

 

 いきなり水を向けられて戸惑う。でも神雷さんはそれに構わずに、

 

「さっきお前は、アリシアとかいう誰かのクローンとして作られた、と言ったな。そして、その誰かになれなかったから捨てられた、とも」

「……はい」

 

 改めて言われて、また傷が痛む。

 けれど――

 

「それはつまり、お前がその『アリシアの代わり』ではなく、『フェイト・テスタロッサ』という一個人としてこの世界に生まれたということだろう? なぜそれを、そんなに悪い方に抱え込む?」

 

 続けられる神雷さんの言葉はその傷を抉るものではなかった。

 そして、なぜと問われたその言葉の答えは――

 

「それは、母さんが……」

 

 そう。母さんが言ったからだ。

 

 人形。

 

 その言葉がまだ消えないまま、わたしの心に残り続けるからだ。

 

「……好きなのか? その……母親が……」

「え……?」

 

 『母親』の部分をなぜか苦いものを吐くように、神雷さんは訊いてきた。

 けれど、それに気づかないまま思い出し、考える。

 

 優しい言葉なんて一つも掛けてもらえなかったけど――

 どんなに頑張っても振り向いてもらえなかったけど――

 伸ばした手は最後まで振り払われるだけだったけど――

 

 

 それでもわたしは、母さんが大好きだった。

 

 

「はい……」

 

 消えそうなほどに小さな声だけど、はっきりとそう言えた。

 

「そうか。それは難儀なことだな」

 

 どういうことだろうか、笑うように神雷さんは呟く。見れば口元も笑うように歪めている。

 そして、その声の響きが気に入らなかったのか、とうとうアルフの我慢が限界に来た。

 

「黙って聞いてりゃ無責任なことをべらべらと。アンタにフェイトのなにが分かるってのさ!」

 

 アルフが苛立ちを叩きつけるように吼える。

 神雷さんはそれに自虐的な笑みを返して、

 

「そうだな。俺も親に捨てられ、造られた命を与えられた身だが――」そこで一度区切って、深呼吸をして「それでも、俺にはお前の気持ちを分かってやることはできない。お前が造られた命であるゆえの苦しみも、お前が母親に捨てられた悲しみも、それはお前だけのものだから。だが、それらを含めた全てがお前を――フェイト・テスタロッサという人間を形作るものだろう? それは決して否定してはいけないものだ」

 

 そんな風に言われたのは、初めてだった。

 周りのみんなは言ってくれる。

 あなたは人間だと。

 でもその度に安堵とともに疑問も覚える。

 本当にそうなのか、と。

 人間でも使い魔でもない人造生命の自分は、本当に人間なのか、と。

 その自虐性が表に出ていたのだろうか、まるで分かっているように神雷さんは続ける。

 

「お前は、難しく考えすぎだ」ポン、と頭に手を置いて「命は、生きるために生まれてくる。それは何者であろうと否定できない絶対の真理。だから――」しっかりとわたしを見詰めて「はっきりと言ってやろう。今俺の目の前にいるのは、他の誰でもない、フェイト・テスタロッサという一人の人間だと。その答えでは不服か?」

 

 その言葉に心が震え、熱いものが頬を伝った。

 

「あ……なんで……?」

 

 止められない。

 拭っても拭っても、後から溢れてくる。

 不意に、神雷さんは頭に置いていた手を撫でるように動かして、

 

「その涙も、心の証明。お前が人間であることの証だ。否定も肯定もせず、ただ受け入れればいい」

 

 泣いていいと、そう言ってくれたんだと思う。

 だから、その言葉が最後の後押しだった。

 ここが大衆の場所であることも忘れて、恥も外聞も捨てて、ただ泣きじゃくった。

 

 

「……すいません。いきなり泣いちゃって……」

「構わん。……見ようによっては俺が泣かせた形だしな」

 

 ポンポンと、子供をあやすように頭を叩いてくる。

 それに不快なものは感じない。むしろ、気恥ずかしくなって見られるはずがないのに顔を隠すように俯く。

 そして、その先にいるアルフと目が合った

 

「フェイト、もういいのかい?」

「うん。もう大丈夫だよ」

 

 思いっきり泣いて、ずいぶんと心が軽くなった気がする。前にはやてもリインフォースのことで泣いたけど、こんな気分だったのかな。

 そういえば、はやてはこの人の話を聞いて、この人のことを好きになったって言ってたっけ。

 それもなんとなく分かる気がする。それに、この人だったら最終的にはシグナムたちも認めるんじゃないだろうか。それは想像するのが難しくないことで――

 

 ズキン!

 

 急に、胸が痛んだ。それはさっきまでとはまた違った痛み。

 それがなんなのかは分からないけど、それと同時に一つ、閃いた。

 

「あの……お礼、したいんですけど……いいですか?」

「? 別にいらんよ。そのために話を聞いたわけではないしな」

「それでも、私の気が治まらないんです」

「……そこまで言うなら止めはせんが、物や金なら要らんぞ」

「はい、それは大丈夫です」少し体勢を変えて「すぐに終わりますから」

 

 そう囁きながら、ゆっくりと近づいて――

 

 ――チュッ。

 

 頬に触れるだけのキス。

 そのキスも一瞬だけで離れる。

 

「お話、ありがとうございました。失礼します」

 

 早口にそう言って踵を返し、アルフを抱えて走り出す。

 自分でやっておいてなんだけど、これ以上ここにいるのは恥ずかしかった。

 

 

 

      *   *   *
 

 ――昔、一人の人間がいた。

 

 その人間は特別ななにかを持っていたわけではなかった。

 卓越した剣腕も、予知めいた商才も、奇抜な才知も、なにもなかった。

 

 ただ、生き方が、他の人間とは違っていた。

 己を削り、他者を助け、それでも飽くことなく次の誰かのために己を削る。

 自己犠牲の上に成り立つ自己満足。

 

 その人間の生き方が、鬼には分からなかった。

 人間として生きることは、鬼がかつて――気の遠くなるほどの昔に、一度だけ求めたものだ。

 しかしその求めたカタチと、その人間の生き方はあまりに違い過ぎた。

 だからこそ、その問答は必然だった。

 

 なんのためにそうまでする? と鬼は問うた。

 人生の宝物を見つけるために、と人間は答えた。

 

 最後まで笑って生きるために。

 最期に笑って死ぬために。

 そのために、自分の人生に意味を与えてくれる誰かに巡り会いたい、と人間は言った。

 

 

 それでも、その人間はあくまで凡庸な人間でしかなく、いつしか終わりは訪れた。

 その人間が最後に辿り着いたのは、戦場の跡。誰もいなくなった廃墟で一人、孤独に死を待つ身となっていた。

 その瀕死の身に、鞭打つように鬼は言った。

 

――ここがお前の旅の終わり……。人生の宝物を見つけるとか言っていたが、誰もお前を求めなかった。誰もお前に感謝しなかった。……結局、お前の選んだ生き方は無駄だったな

 

 それはその鬼には珍しいほどの侮蔑の言葉。

 だというのにその人間は、末期の際だというのになにが面白いのか屈託なく笑って、

 

――無駄じゃない。君が最後まで見届けてくれた。だから僕は最後まで貫き通せたんだ

 

 そう生きたことそのものに意味があったと、そう言うように笑って、その人間は息を引き取った。

 その亡骸を前にしても、なぜその人間が笑って逝ったのか、鬼には理解できなかった。

 それは当然だ。鬼は人間の心を持っていないのだから、人間の心から生まれ出るものが理解できるはずがない。

 それでも、一つだけ思う。

 

 あの人間の生き方は――愚かと蔑まれようと、偽善者と罵られようと、あるがままに己の魂の在り様を貫き通したその生き様は、とても尊く、美しいものだったのではなかったか。

 

 それは鬼には決して手の届かぬものだろうけど――

 それでも、最期にあの人間がなにを見て逝ったのか、それが知りたくなった。

 あの人間と同じように、誰かを救い、導き、歩いていく。そうすればいつか、心を手に入れることが――取り戻すことができるのではないか。

 そう、思った。

 

 

 足早に遠ざかっていく気配を、見送っているのか、監視しているのか、自分でも判別つかないまま知覚領域の外に出るまで捉えていた。

 その後で、まだ僅かに温もりの残る頬を擦り、考える。

 『これ』が、そうなのだろうか。

 千二百年もの昔に会った一人の人間。

 その人間が鬼に残した、一つのしこり。

 その先に、求めた答え――人間の心と死出の旅路があるかもしれないと探し続け、まだ答えを見つけられないでいる。

 

 大切なものは捨てていく。

 それを違える気はない。欲しいものはそんなものではなく、昔一度死んだときに亡くした心と、自分が確かにこの世に在ったという足跡。

 それらを取り戻し、残していく。そのために人間に関わり、人間の世の中で生きていく。これはなんとも――

 

「……難しいものだな」

 

 名前さえ知らない友を想い、くつくつと笑った。





 こっ恥ずかっしゃあああぁぁぁぁ!!!

「わ。びっくりしました」

 ああ、フェイトか。いらっしゃい。……びっくりした割には落ち着いて見えるが

「いえ。リンディ提督から、あなたはいきなり叫ぶ人だと聞いてましたから」

 うわ、なんつ〜一面で人を捉えるか

「でも、本当ですよね」

 ぐっ……。まあとりあえず、今回シリアス全開で話を進めたので解説も真面目に行こうかと思うが、どうか?

「え? ……はぁ、それは構いませんけど」

 よし、じゃあ早速。最初、フェイトが神雷を発見したシーンからだけど

「このとき、わたし以外の人には神雷さんが見えてなかったんですよね。なんでですか?」

 それについては下の解説を見てもらうとして、逆にフェイトだけに見えていた理由は……明らかにするのはまだ後になるか

「またそんな……。ところで、このときは志乃さんにも見えてなかったみたいですけど」

 そう、見えてなかった。志乃に霊視の能力はないからな

「そうなんですか」

 そう。その次に、志乃とリスティの会話。本当はここで、リスティも自分の過去を少し話すはずだったんだけど……

「また予定変更ですか」

 うぅ……。いや、話が通るようにしようとすると、こうなったと。

「でも変更したんですよね」

 ……臨機応変と言って。それに、その分志乃の呪いについて語ってもらったし、これで異能の力について明文したのは二人

「二人、ですか?」

 二人目……だよな。まだ神雷と神無のそれについては書いてないし、あすかは言うまでもなくHGSのせいだし

「え? でも神雷さんは雷とか『御巫』とかそういうのじゃ……」

 それらもなんだけど、『呪い憑き』に選ばれた本当の理由はもっと別。まぁ、第2章が終わるまでに明らかにするつもりではある。……で、ふたたび視点はフェイトに戻って今回の肝の部分。フェイトが自分の生まれに負い目を持っているのはA'sの6話の最初で分かるし、その後それを解決する場面らしいものを見てない、と。なら好感度アップイベントとして、この話題は必須だろう

「あう……」(顔真っ赤)

 で、どうだったかな? 神雷が担当するテーマ『生と死』の一面を、フェイトを使って『命として生まれてきた意味』ということで書いてみたけど……

「え……っと、なんていうか、もうちょっと会話を増やした方がよかったんじゃないでしょうか。それにかなり強引に話を始めてますし、なんだか煙に巻くような納得のさせ方に見えます」

 ああ……自分でもちょっと違和感は感じるんだけどさ、どこをどう直せばいいか分からんのよ。これが自分の限界なのよ!

「そ、そうですか……。ところで、最後の場面。これって神雷さんの過去みたいですけど、どういう意味があるんですか?」

 ああ、なぜ神雷が恭也やフェイトにああいう態度を取るかという意味で書いた後付け設定。死ぬのが望みというには、少し他人に手を貸しすぎな気もするし……。それに、話の流れ上削除してしまった部分があってその補完というか……

「……また変更があったんですか」

 まぁ、そう気にするな。予定は予定でしかないし、大筋は変わっていない。それにそもそも、ここは予定外のはずだったんだし

「……まぁわたしがなにか言うことでもないですけど……」

 おお。さて、このくらいでいいかな? では次回予告。第2章もそろそろ終盤を迎え、とうとう神雷と志乃が――

「原稿真っ白ですけど……」

 言うな〜〜!!

 

 

 ・外法

  異界紡ぎ

   現世と冥界を重ね、対象空間(自分中心)を『ここでもどこでもない場所』にして周囲の認識を阻害させる術。効果空間の範囲はそう広くないが、土地の霊脈を利用すればその範囲は何倍にでもできる。その場合、術の効果は認識の阻害ではなく、空間の中心への接近を選択肢から無意識にはずすというものになり、周囲を意識せずにいた場合はあっさりと無視できたりする。

   この術の性質上、霊を見ることのできる人間――『神咲』や夜の一族には影響が少ない。





幾つかの事がまた分かったな。
美姫 「そうね。鬼と人間のお話は良いわね〜」
うんうん。これからの展開がどうなるのか。神雷、志乃、他の者たちがどうなっていくのか。
美姫 「次回も待ってますね」
ではでは。



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