世界は『情報』でできている。

 物質、力、物理法則――この世界のあらゆる事象は、数値パラメータと数式によって『情報』として記述することができる。それはすなわち、この『物質世界』に存在する全ての要素が、まったく同時に『情報』というもう一つの実体を持っていることを意味する。世界を形作っているのは『物質』と『情報』という二重構造。二つの実態は互いに影響を及ぼしあい、あらゆる現象はその相互作用によって引き起こされる。

 

 『情報』の変異は、現実世界を書き換える。

 

 後に『情報制御理論』と名づけられるその結論は、その後の幾多の試行錯誤を経て一つの成果を得ることになる。

 情報の書き換えを可能とするほどの超高速演算能力を実現するために、脳内に生体コンピューター『I‐ブレイン』を与えられた者たち。

 身体能力を加速し、重力を捻じ曲げ、分子運動を制御し――思考によって物理法則を超越する、最強の戦闘兵器。

 正式名称を『ウィッテン・ザイン型情報制御能力者』。

 

 

 彼らは『魔法士』と呼ばれた。

 

 

 

 

 

 

      第04話  「星のまたたく空の下で 〜Wizard's〜」

 

 

 

 

 

 

   なのはview

 

 

 すでに夜の帳は下り、六課の隊舎にも人の気配は少なくなっている。

 そんな時間になってもなお、なのはは訓練場を見渡せるスペースで明日の朝の訓練の準備をしていた。

 

「なのは。お前もそろそろ休んどけよ。今日は出撃してないっつっても、明日も早いだろ」

 

 背後からヴィータの叱責が聞こえても振り返る暇も惜しいとばかりに、

 

「うん。でも今日の実戦データを早めに使えるようにしておきたいし……」

 

 そう答える間にも忙しなく指は動く。

 今日の戦闘にはちょっと失敗もあったけど、十分な成長の様子も見られた。明日からの訓練はそれを基にしてちょっと段階を上げてやりたいところだ。

 それに、今日現れたあの子たちの能力の解析もしておきたい。

 黒髪の少年が使った魔力を一切感知されなかった浮遊魔法。

 同じく、銀髪の少年が使った魔力を感知できなかった瞬間移動。

 それが彼らの世界の『魔法』だとは聞いたけど、それ以上の詳しい話ははぐらかされたらしい。

 でも魔力を使わないということは、魔力結合を解除することで魔法を無効化するAMFの影響を受けないということだ。もしそれを自分たちでも使えれば、今後のガジェットの対策がずっと楽になる。六課のフォワード四人はAMFの影響下でも戦えるようにと育てているけど、この調子では他の部隊までは十分に手が行き届かないのだ。

 だから、できればきっかけ程度でもほしいところだけど……

 そう考えながら進めるうちに処理は終了。

 

「よし。これで……、おしまい。後はお願いね、レイジングハート」

《All right》

 

 ピッ、と最後のキーを押して空間モニターが消える。

 とりあえず、入力と設定は完了。あとはコンピューターに解析を任せるのみだ。

 

「ホント、お前は仕事好きだよなぁ……」

 

 ヴィータが呆れとそれ以外のなにかの混じった口調で言う。それになのはは苦笑して返すばかり。

 

「それじゃあ、こっちの作業も終わったし、戻ろうか」

「おう」

 

 それから他愛ない話――今日の戦闘はどうだったとか、明日からの訓練はどうするかとか、そんなことを話しながら二人で隊員寮への道を歩く。

 そうして寮の玄関の明かりが見えてきたところでその明かりの中に、金髪の女性の姿が見えた。

 

「なのは、ヴィータも」

 

 向こうからもこちらを確認したのだろう、フェイトが早足でなのはの元へと駆け寄ってきた。さっきヘリの音がしてたから戻っているだろうと思っていたけど。

 

「フェイトちゃん、お帰り〜」

「お疲れさん」

 

 二人で帰りの遅くなった同僚を労い、フェイトはそれに微笑して返す。

 

「うん。ただいま」

 

 労いの言葉もそこそこに、ヴィータがたぶん今日一番の関心の行き所を訊く。

 

「アイツらはどーした。連れて帰ったんじゃねーのか?」

「あの子たちだったら、寮に部屋を用意してそこで休んでもらってるよ。しばらくは六課で身柄を預かるってことになったから」

「そうかよ……」

「うん。はやてがリンディ母さんや騎士カリムと話してそうした方がいいだろうって」

「うん……。そうだね」

 

 とりあえず、彼らの処遇については理解した。

 

「しっかし未来から来たなんて、とんでもねー話だよな」

 

 すでに彼らの話は他の隊長陣――あの場にいなかったなのはとヴィータにも伝わっている。

 

 西暦二一九九年二月二一日。

 

 それが、彼らが本来いた世界――地球の時間だという。

 つまり、彼らは二百年近くも先の未来の地球からやってきたということになる。

 だけど――

 

「……フェイトちゃんはその話を信じるの?」

「なのは?」

 

 なのはには一つだけ、その話を信じられない要因がある。

 本来の所属は教導隊であるため、魔法に関する知識は割りとある方だ。

 その立場から言わせてもらえば、時間移動はどんな魔法体系であれ生命蘇生に次いで不可能とまでされている技術であり、それはさすがに「ロストロギアだから」の一言で片付けられる問題ではない。世間に公表されれば色々と面倒が起きるのは想像に難くない。

 

「それは……私もちょっと信じづらいけど……でも、いくつか証拠も見せてもらったし……」

 

 その証拠というのは未来での世界地図だったり、この時代から彼らの時代までの大まかな世界情勢だったり。

 

「なのはは信じねーのか?」

「信じないっていうか……ちょっとまだ整理がつかないっていうか……」

 

 どう表現すればこの気持ちを正確に言葉にできるのか、それが分からなくて口ごもる。

 それでも受け入れられない理由は単純。

 ただ信じたくないだけなのだ。

 もし彼らが未来の地球から来たというのが本当だとして、その未来というのはあまりに受け入れ難いものだから。それは信じられない、というのとは別の話。理解と納得は別のもの。

 

 二百億人を超えるほどに増え過ぎた人口問題を解決するために建造された閉鎖型積層都市『シティ』。

 大気制御衛星の暴走による、遮光性の雲に覆われた空。

 太陽光発電による栄華を失い、残されたわずかなエネルギー源を奪い合う第三次世界大戦。

 それにより地球上から消えた二〇四一のシティと二百億人の人間、そしてアフリカ大陸。

 残されたのはたった七つのシティと二億人程度の人間。

 その世界を支える、マザーシステムと呼ばれる『魔法』を使える人間を犠牲にして動く永久機関。

 

 シティとマザーシステム。

 誰かの犠牲を前提として成り立つ世界。

 それすらも、あと数十年で終わりの時が来る。

 それが自分たちの故郷の未来だなんてどうして受け入れられるだろう?

 

「それは分からねーわけじゃねーけどよ、アタシらが気にしたところでどうにもなんねーだろ」

「そうだね。それにあの子たちの言うことがそのまま私たちの未来になると決まったわけじゃないし……」

 

 二人の言うことがヒドイことだとは言わない。

 なにせその未来が訪れるのは百年以上も先の話。自分の名前すら残っているかどうかも分からないような未来のことなのだから。

 でも今、現実にその世界からやってきた子供たちがいるというのが、他人事として考えさせてくれないのだ。

 

「……あの子たちはどうするつもりなの?」

「皆、元の世界に帰るつもりみたいだよ。そのためなら私たちに協力するって」

「そうなの?」

「うん。……でもその代わりに条件を出してきたんだけど……」

「? なんか問題あんのか?」

「うん。それがね――」

 

 その協力のために提示されたという条件は三つ。

 

 あくまで目的は元の世界に帰ることであり、それ以上の協力は任意とすること。

 協力の最中の衣食住の保障。

 そして、あの子たちの体を絶対に調べないということ。

 

「……? なんだよ、その三つ目の条件」

「うん、それは私もおかしいと思ったし本当はいけないんだけど……」

 

 本来、次元漂流者は発見しだいに身体検査が義務付けられている。

 それは未開の次元世界などから未知の病原菌などの持ち込みを防ぐためである。過去、こういった事例で数千人規模の被害を出したバイオテロもあったとか。

 

「大丈夫なのか、それ……?」

「う〜ん……。本人たちは絶対大丈夫って言ってたし、それにさっき気づかれないようにシャマルに簡単に検査してもらって結果は大丈夫だったよ。だからしばらくは様子見、かな」そこまで言って少しだけ雰囲気を落とし「それに、もしかしたらあの子たちもスバルと似た境遇とかかもしれないでしょ? だから調べられたくないって思うのかもしれないし」

 

 そう言われると納得してしまう自分がいるのを感じる。現実としてフェイトやスバルのような人がいることを知っているからか、それを知られたくないと思う気持ちも分からないでもないのだ。

 それはフェイトも同じなのだろう。だからこそ、断固とした態度で臨めないのかもしれない。

 

「あ、それと、はやてがリンディ母さんたちと相談してあの子たちが未来から来たことは秘密にするっていうことになったから、二人とも気をつけて」

「うん、分かった」

 

 それについては詳しい説明はいらない。

 不可能とされているはずの時間移動の体現者。しかも未来からやってきた未知の技術の所有者でもある。

 それが知れ渡れば色々と面倒が起こるのは想像に難くない。

 

「ヴィータもいいよね?」

「あいよ」一つ頷いてから「ところでよ、テスタロッサに聞きてーことがあったんだよ」

 

 ヴィータは眼前にモニターを呼び出し、ある映像を再生する。

 そこに再生されるのは銀髪の少年――ディーが突然現れ、ティアナの魔力弾を叩き落した場面。

 

「これ、お前どう思う?」

「どうって?」

「コイツ、マジでいきなり目の前に現れたからな。もしここであたしが狙われてたら間違いなくやられてた……」

 

 いつもの強気がなりを潜めて神妙な顔で呟いた。

 その様子からしてそれは本心なのだろうし、映像を見ただけでもそれが事実だと分かる。どれだけスロー再生にしてもそこに現れるまでが完全に欠落しているのだ。さらに転移魔法の反応もない。

 高速移動どころか、瞬間移動としか言いようのない圧倒的な運動速度。

 

「こんな速く動くなんてできんのか?」

「うん、それは私も気になったから訊いてみたんだけど、ディーは『速く動くのが僕の魔法です』ってしか教えてくれなかったから……」

「でもこれだけ速いと、たぶん自分でも周りが見えなくなると思うけど……」

 

 教導官という立場から意見を入れる。

 それは高速魔導師という特性を持てば誰もが当たる壁と言える。フェイトにしてもそのバランスを取って制御できる最高速度は約五十倍速。ディーが現れた直後とほぼ同じくらいの速さである。

 

「そう思うよね。でもディーはこれ以上の速さでちゃんと制御できてるみたいだよ」

「つまり、コイツはフェイト以上の高速魔導師ってコトか……」

「うん、そういうことになるのかな」

 

 それはにわかには信じがたい話だ。フェイトほどの高速魔導師でさえ管理局全体でも数えるほどしかいないのに、それ以上というのだから。

 

「とりあえず、あの子たちのことは明日からってことにしよ」

 

 ひとまず、そう言ってこの場での議論を打ち切った。なにを話しても結局は分かっていることを確認するくらいしかできないのだから。

 一応協力はしてもらえるということだし、明日になったらなんとかコミュニケーションをとって、実力を知っておきたいから模擬戦を組んだりもして、それから――

 

「おい、あれ……」

 

 なにかに気づいたようにヴィータが声をあげ指差す先、海沿いに作られた歩道。

 そこには、例の子供たちのうちの一人――天樹錬が歩いていた。

 

 

 

      *   *   *

   錬view

 

 

 道の端で果てまで続く暗い海を前に、錬は半日で溜まりに溜まった欝な気分を全部吐き出す勢いで深呼吸した。

 どうして、こんなことになったんだろう……

 始まりは些細なきっかけだった。賢人会議がシティ・ロンドンの領空の北極でシティ・シンガポールと会談をするという情報を入手して、そこには兄と姉も来るだろうと思い介入する一番の近道と考えてロンドンの知り合い――エドや先生を訪ねてひとまず世界樹に繋がっていたウィリアム・シェイクスピアまで行ったはいいものの、そのままなし崩し的に北極での戦闘に連れて行かれて、そして気がつけば異世界の、さらに遠い過去にまで来てしまった。

 どうしてこうなったのか、なんてそれが分かればきっとこんな苦労はない。なにが間違っていたのか、なんてそれを考えてみたところで答えは分からない。

 ……どうやら自分は、状況に流されているだけでこういう大きな事件に巻き込まれてしまうタイプらしい。神戸、世界樹、ニューデリー、それらに続いて北極でもこうなってしまえば嫌でも受け入れざるを得ない。

 そしてその辿り着いた過去の異世界で、これからのことを考えてみれば途方に暮れるしかない。そこからすれば昼に話したここの部隊の人が地球出身であることだけは、せめてもの慰めか……

 ともかく、しばらくの間はこの部隊で預かって様子を見るということで、部隊の宿舎らしい建物に男三人、女二人で一部屋ずつ割り当てられたのだが……、なんというか……居心地が悪い。

 片や賢人会議の騎士。

 片やシティのエージェント。

 二人ともがちゃんと休戦協定を守るようだし、錬にしても今は戦う理由も敵意もないのだけど、それですぐに打ち解けられるかと訊かれれば曖昧な答えしか出せない。

 その微妙な気分に耐え切れず、外の様子を見てくると適当なことを言って出てきたのだ。

 隊舎が海に面した地域に建てられているので、少し歩いただけで海沿いの道に出た。

 そしてその海一つ取っても、ここが異世界であることを改めて意識せずにはいられない。錬の知る海といえば氷河の破片がぷかぷかと浮いているような場所で、眼前に広がる海は夜空を映して真っ黒とはいえ錬の知る海とはまるで違う印象を受ける。

 そしてそれよりも、初めて見る星空に圧倒される。昔、兄と姉に聞いたり戦前の記録でしか見たことのないそれは、昼間に見た青空とは違うものでありながら同じようにとても綺麗なものだ。

 その景色をそのまま通り過ぎるのも惜しく、海に向かって座り込んで今後の状況について考えてみる。

 昼にホテルで話を聞いた限りでは、このミッドチルダという世界は次元世界というものの中心的な位置にあるらしい。

 そんな世界でも自分たちのような未来から来た人間は前例がないので、どうにも信じられないというという感じの反応がほとんどで、それゆえ自分でも信じられない事情を信じてもらうために色々と話した。

 歴史が変わる可能性を避けるため詳しくは話せなかったが、地球の大まかな歴史や現在の世界情勢、さらにその世界での自分たちの立場など。

 それでも自分たちの『魔法』――『情報制御理論』についてはできるだけ伏せて話した。

 この世界では別系統の魔法がすでに確立されているようだし、肝心の『情報の海』も観測されていない。それでなくてもこの世界に来た五人ともが世界でも指折りの貴重なサンプル。下手に情報を漏らして、気づけばどこかの研究所の檻の中、なんて危険は極力避けるべきだろうというのが五人の暗黙のうちの了解だった。

 そして、そこから先の進展はないも同然だった。『情報制御理論』ではもちろん、この世界の魔法でも時間移動することは不可能らしい。

 考えられる可能性は、彼女たちの追っている事件の黒幕――ジェイル・スカリエッティが自分たちをこの時代に呼び出した装置を持っているかもしれない、というもの。今日その装置を盗んだのが、おそらくは彼かもしれないということらしい。

 でも、このままあの人たちに協力して、大丈夫なのだろうか?

 フィアと話したい。

 そうすれば、今自分がなにをするべきか分かるかもしれない。

 けれど、今だ錬のサバイバルナイフをはじめ各種武装は取り上げられたままなのでそれに細工してあるフィアとの通信機能も使えない。直接呼びに行こうにも、女の子二人の部屋は宿舎の女性用のエリアで、さらにサクラと同室なのでなんというか気後れする。

 どうしようか、忍び込むくらいは問題ないんだけど……

 

「錬さん」

 

 不意に背後から名前を呼ばれ、振り返った先に求めていた人物がいたことに驚く。

 

「フィア……」立ち上がりながら向き直り「どうしたの、こんな場所に。部屋を用意してもらったんじゃなかった?」

「はい、そうなんですけれど……錬さんとお話したくなって出てきちゃいました」

「出てきちゃいましたって……」

 

 やけに簡単そうに言う。

 けれど、実際フィアの能力の前では異世界とはいえ百年以上前のセキュリティなんて紙の壁ほどの役にも立たない。同調により感覚だけで世界の全てを思うままにできる同調能力者ならではの裏技だ。

 むしろ気になるのは、

 

「よくサクラが見逃したよね」

 

 その形はどうあれ、あの使命感の塊みたいな子が未知の世界でフィアを一人で歩かせるとはにわかには信じられない。

 

「サクラさんは、この世界のことを調べるって言って先に出ちゃいましたから……」

 

 なるほど、いかにもサクラの取りそうな行動だ。たぶん今頃、この部隊の隊舎に忍び込んで昼の話の裏づけからこの世界の極秘情報まで、隅から隅まで情報を漁っているんだろう。

 

「……隣、いいですか?」

「あ、うん。いいよいいよ。いつでも大歓迎」

 

 いきなり尋ねられてちょっと戸惑ったものの、問題なく返す。その返答にフィアは微笑んで隣に座り、空を見上げて、

 

「綺麗ですね……」

「うん……」

 

 それから少し二人とも無言でただ空を見上げる。

 でも隣から伝わってくる雰囲気はそれだけじゃない。

 

「どうかしたの、フィア。なにか気になることでもあるの?」

「あ……その……、ファンメイさんたちはどうなったんでしょう。もしかしたら私たちがいなくなった後で危ない目にあってるかもしれないって思って……」

「あ……」

 

 フィアに言われてようやく気づく。自分たちの放り込まれた状況に困惑して、そこまで考える余裕がなかった。

 元の世界に残してきた友人たちがその後どうなったのか。直前まで戦闘中だったこともあり、フィアが心配に思うのも分かる。

 けど――

 

「大丈夫だよ。エドもファンメイも強いから負けそうになっても逃げるくらいはできると思うし、それにサクラとイルが司令室からいきなり消えたならシンガポール軍も一時撤退を考えるかもしれない」

 

 それは状況から出した予測でしかないが、その予測には確信に近いものを持って答えられる。 

 実際あの二人が揃って負けることは考えにくいし、ディーがここに来ているなら残ったのは光使いのあの女の子一人。相性はよくはないけど決して勝てないほどに実力差があるとも思えない。

 だけど、そもそもその心配自体が杞憂だと思う。

 

「……それに、僕たちが本当に未来から来たなら、元の時間に帰るときにちょっと細工して跳ばされた直後に戻ればいいんだし」

「そうですね……」

 

 一応は納得の様子を見せてはいるけど、それでフィアの顔が晴れることはない。

 

「どうかしたの、フィア。まだ他に気になることとかあるの?」

「いえ、その……」訊かれてまだ迷う様子を見せてから「ひょっとしたら私のせいで、錬さんは私たちの世界に帰るのを躊躇ってるんじゃないかって思って……」

「それは……」

 

 否定できなかった。

 もし一緒にこの世界に跳ばされたのがエドやヘイズ――他の誰かだったなら、迷うことなく元の世界に帰ることを選んでいた。それこそ死に物狂いで手段を探して、なりふり構わずそれを実行していた。

 なのに今そうしていない理由は、フィアの言う通りだった。

 この世界、この時代にはマザーシステムがないらしい。

 下手に勘ぐられるのを避けるためにはっきりと確認はしなかったけど、話をしていたときの反応からするとそれは疑いようがなかった。

 そしてそれがどういう意味を持つのか、隣に座っている少女を見て再確認する。

 

 シティ・神戸とシティ・ベルリンで共同研究していた『天使計画』――『一体で恒久的な使用に耐える、マザーコアに適した魔法士』の開発プロジェクトにより作られた存在。

 その研究の成果が、マザーコア特化型魔法士『天使』フィア。

 それは残された六つのシティ全部が欲しがるだろう貴重なサンプルであり、もしそうなったならそのシティに住んでいる一千万人――さらにその近くでシティの恩恵を受けている人たちを加えて倍近く膨れ上がる数の人間の命を救えるだろう。

 フィアの命と引き換えに。

 生まれる前から一千万人の人間のために死ぬことを決められていた少女。

 でもその結果は予想もしなかった形で覆り、シティ・神戸の市民一千万人は死に、フィアは生き残った。

 そのことにフィアは、罪悪感を持っている。あのとき自分が死ぬべきだったんじゃないかと心のどこかで自分を責めている。シティなんてなくなってしまえばいいと思ってしまった自分に苦しんでいる。

 でも、ひょっとしてこのマザーシステムのない世界なら、フィアは自分を責めずにいられるんじゃないだろうか。

 

 そんなことを考えていたのだ。

 

「やっぱり、そうなんですね」

 

 隣で呟かれた声で我に返った。たぶん天使の翼で心の中を見たんだろう、悲しそうな顔でフィアは錬を見ている。

 

「私のことを心配してくれるのは嬉しいですけど、でもそれはダメです」

「フィア……」

「確かにこの世界なら私はマザーコアとして狙われることはないです。けどそれで、私たちのしたことはなかったことにはならないんです。元の世界で私たちはどうすればいいのかはまだ分かりませんけど、それでもきっと逃げてもダメなんです。……そうでしょう?」

 

 微笑みの中に断固たる決意を含ませてフィアは言った。

 確かに、この世界ならマザーコアとして命を狙われることはない。

 でも、それで神戸の件の罪悪感から逃げられるかといえば、それは違う。むしろあの世界から自分たちだけ逃げ出したという罪悪感が上乗せされるだけだ。

 

――君には覚悟がない

 

 そう言い残して死んでいった男の顔を思い出す。

 彼が教えてくれたこと。

 彼が遺してくれたもの。

 その意味はまだ分からなくても、それはこんな簡単に放棄していいものではないはずだ。

 

「……そうだね。僕たちは絶対に帰らなくちゃいけないんだよね……」    

 

 どうすればいいのかなんて分からない。

 本当に帰れるなんて保証はどこにもない。

 それでも、帰らないといけない。

 その先にどんな苦しいことがあっても、それが自分の背負うべき責任だろうから。

 

「それじゃあ、明日からがんばろう」

「はい」

 

 フィアはうなずき、目を細め、にっこりと笑った。

 

 

 

      *   *   *

   スカリエッティview

 

 

 暗い研究室の空中にいくつもの大型のモニターが展開され、そこには昼にアグスタ地方で行われたガジェットの戦闘が映し出されていた。

 そこでガジェットの相手をしているのは管理局の例の部隊――機動六課といったか、魔導師を戦力のメインに置く管理局の中でおそらくは唯一その天敵たるAMFへの対抗策を習熟している部隊。

 リアルタイムでも見ていたが、苦にする様子もなくガジェットを撃墜していく様は敵ながらなかなか壮観なものだ。

 まったく、あの部隊は面白い。

 タイプ・ゼロとFの遺産が揃っているだけでも十分に興味を引くというのに、それが現状計画最大の障害となりえる可能性をも秘めている。それがジェイルの気持ちを意味も分からないままに高揚させる。

 だが今回はそれ以上に興味深い案件がある。

 手元の端末を操作し、数あるモニターの中心にひときわ大きくもう一つモニターを展開する。

 そこに映し出されるのは戦場の遥か上空に発現した球状の魔法陣。

 そしてその中から現れた五人の子供たち。

 

「これが例のロストロギアで召喚された子供ですか?」

 

 隣でそれを見ていたウーノが訊いてきた。

 

「そのようだよ。私としてもこのタイミングで発動するのは予想外だったが、おかげでこのロストロギアの力が証明されたわけだ」

「なるほど……。確かに興味深い素材ですね」

「そうだろう?」

 

 まるで子供が自分の宝物を自慢するような顔で、ジェイルは笑う。

 その二人の視線の先には、台の上に置かれた物体がある。

 それは芸術という観点から見ても面白いものだろう。透明な真球の中にいくつもの大小それぞれの円錐状の歯車が中心を向いて回っており、その隙間を埋めるようにさらに無数の歯車が組み込まれている。

 

 ロストロギア『フェイジングドアー』。

 これこそルーテシアに奪取を頼み、ガリューが持ってきた密輸品の正体。

 これは『時間の流れ』というあまりに不明瞭なもので回り続ける永久機関。もしこれを改良・量産に成功すれば、それだけで永久にエネルギー不足などという問題は起こらないだろう。

 だがそんな機能は、もう一つの――いや、本来の機能に比べればおまけのようなものだ。

 そのもう一つの機能とは、時空間導通機能。

 次元の境界は当然のこと、時間の摂理さえ無視して無作為に発動する召喚機。その鍵。その本体は次元空間のどこかに漂流しているとされており、今目の前に置かれているのはそれを起動する鍵の、いくつかあるうちの一つ。

 

 つまり、あの戦場に現れた正体不明の五人の子供たちは、いずれかの世界の違う時間軸――使用された魔法が史実に残っていないことからおそらくは未来から呼び出された者と推測できる。

 未来。

 なんとも好奇心を刺激してくれる言葉だ。しかも彼らは未知の魔法を使ったことも確認している。(とはいえ、性質的には魔法よりもISに近しいもののようだが)

 これほどに心躍る研究対象はそうない。

 できるならば今すぐにでも手に入れたいのが本音だが……

 

「ドクター。先ほど例の部隊から今日の事件の報告書があがりました。『フェイジングドアー』により召喚された子供たちは、民間協力者として例の部隊で保護されるようです」

「ほう……」

 

 ウーノのIS『フローレス・セクレタリー』を以ってして得た情報ならば疑う余地はない。

 しかし念のため、眼前に表示されたモニターに報告書を映し出し他の箇所は全て無視して問題の文面へと目を向ける。

 そこには『戦闘中、五人の子供が密輸でホテルに持ち込まれた謎のロストロギアにより戦闘区画に出現。彼らの証言を総括すれば、第97管理外世界、現地名称「地球」から召喚されたと推測される』とある。

 さらに誰の入れ知恵か、それとも本気でそう信じているのか、『召喚された子供たちは低ランクながらも魔法を使える様子。そして、当面は機動六課に協力の意思を見せている』とも。

 なかなか小賢しい。これでは迂闊に手を出せなくなった。

 

「いかがいたしましょう。お望みでしたら最高評議会を通じて引き渡しを要請いたしますが」

「……いや、しばらくは様子を見るとしよう」

 

 なにせ表向きは彼らは管理外世界からの次元漂流者としか報告書からは読み取れない。

 そんな相手に下手に手を出せば聡い者には管理局上層部――突き詰めていけば評議会との関係まで疑われかねない。

 今はまだ、それは好ましくない。今はまだ静かに準備を整える期間だ。

 そしてその準備が整ったときには――

 そのときを夢想し、ジェイルの口元に笑みが浮かぶ。

 だが、それでは足りない。

 ジェイル・スカリエッティは、その卓越した頭脳ゆえにあらゆる事象に解を出せる。

 そしてそれゆえに世界がつまらないものに見える。

 本来ならば計画を優先するなら予測通りに事が進むのが最良だろうが、それだけではつまらない。その計画が苦もなく進むようならばなおさらだ。

 だが、そこへ現れたのが未知なる技術を持つ未来から呼び出された子供たち。

 今後彼らがどれほど干渉してくるかはまだ分からないものの、元の世界へと戻ろうとするなら必ずここへ来るだろう。計算を乱す不確定要素としてこれほどに面白いものはない。

 

「フフフ……、ハーッハッハッハ! 面白くなってきたじゃあないか!!」

 

 暗い地下深く、スカリエッティの高笑いが木霊した。




 

 

 

 ずいぶんご無沙汰してました。

 本当なら、ここまでの話を2月までに書きたかったのですが……なにを手間取ったのかこんなにも遅くなりました。途中ディシディアとか東方とか、寄り道が過ぎましたのでしょう。

 それはそれとして、今回でこの話の序章的な部分が終わり(ぜんぜん話が進んでない……)、次回からティアナ編に突入といった感じです。

 ……で、それがいつになるのかは不明です。思いっきり気を長くしてお待ちください。

 

 最後に、キャラ紹介で残りの一人を。

 

 

・ フィア

 西洋系、十四歳、女。金髪、緑の瞳。

 

 シティ・ベルリンとシティ・神戸の共同研究『天使計画』の完成体。

 本来はシティ・神戸のマザーコアとして死ぬはずだったがシティ・神戸崩壊事件(エピソードT参照)の紆余曲折を経て生き延びることになった。

 しかし本人はその事件で一千万人の人を死なせたと心の奥底で罪の意識を抱いており、自分が死ぬべきだったのではないかと考えることもあったが、シティ・ニューデリーの事件(エピソードY参照)を経て世界と向き合っていくようになる。

 フィアの持つ『同調能力』は自身のI−ブレインに世界のコピーを作り、それを感覚レベルで書き換えることであらゆる事象を操作する。




スカルエッティは未来から来たと推測したみたいだな。
美姫 「殆ど確信に近い形でね」
流石というべきなのか。
美姫 「どちらにせよ、六課は更に付け狙われる事になりそうね」
だな。一体、どんな展開が待っているんだろう。
美姫 「本当ね。それでは、今回はこの辺で」
次回を待ってます。



▲頂きものの部屋へ

▲SSのトップへ



▲Home          ▲戻る