『トロヴァトーレ』




               ジプシーの女

 二人の決闘から暫く時が流れた。その間戦いもあり内乱は今も尚続いていた。人々はそんな中においてもそれぞれの生活を送っていた。
 それはジプシー達も同じであった。放浪の民である彼等にも生活があるのである。
 彼等は山のふもとに集まっていた。そしてそこで時が来るのを待っていた。
「見ろ、夜が明けたぞ」
 誰かが言った。夜の帳が脱ぎ捨てられ空がその衣を変えていた。
「後家さんが喪服を脱ぐようだ。そして俺達の一日がはじまる」
「おう」
 他の者達がそれに合わせる。
「さあ、仕事だ。仕事をはじめるぞ。皆道具を手に持て!」
「よし!」
 ジプシー達はそれぞれの道具を手にした。そしてそれを打ち叩く。
「女達よ、俺達ジプシーの生活を彩ってくれる女達よ」
「呼んだかい!?」
 ここで女達も姿を現わした。
「酒をくれ。景気付けにな」
「あいよ」
 それぞれに杯を手渡す。そこにはワインが入っている。
「飲むぞ、太陽が入っているこの葡萄の美酒を」
「よしきた!」
 頭領らしき壮年の男の言葉に従い皆それを一気に飲み干す。
「じゃあ行くぞ。今日も一日仕事だ」
「おう!」
 皆元気に山を降りていく。男も女も。だが一人そこに残っている者がいた。
 それは一人の中年の女であった。三十代後半程のジプシーの女であった。色は浅黒く、髪はまるで暗闇の様に黒い。その黒い瞳は何かを見て怯えているようである。そしてその顔も整ってはいるがやはり何かに怯えているようであった。そして同時に憎悪、狂気も漂わせていた。彼女はもう弱くなった焚火の前に一人座っていた。うずくまるように。
「火が燃えている」
 女は目の前に残る焚火の残りを見ながら呟いた。
「あの時もそうだった。勢いづいた人の波が火に向かって駆けて行った。嬉しそうな顔で」
 呟く度にその顔が恐怖に歪んでいく。目の光には狂気も混ざっている。
「喜びの声の中一人の女が引き立てられていった。忌まわしい地獄の業火に向かって」
 頭を抱えた。
「炎はさらに燃え上がる。生け贄を求めて天まで燃え盛り。人々はその炎を見てさらに叫ぶ、殺せ、殺せ、と」
 息が荒くなっていく。目が血走っていた。
「女はそれを恐怖と絶望の顔で見ている。人々はその惨めな姿を見てさらに笑う。天罰だ、と」
「一体どうしたんだい、母さん」
 ここで後ろから一人の男が姿を現わした。
「またうなされていたのかい?」
「マンリーコ」
 女は後ろに現われたマンリーコに顔を向けた。マンリーコは彼女の隣に来て座った。
「起きていたのかい」
「皆の声でね」
 彼は笑ってそう答えた。
「あれだけ騒げばね」
「そうだったのかい」
「ああ」
 彼はそれに答えた。
「皆もう行ったんだね」
「そうだよ、仕事にね」
「俺も傷が癒えたら行かなくちゃならないけれど」
「けれどそれにはまだ早いよ」
 だが女はここでマンリーコを止めた。
「御前の傷はかなり深かったからね。用心おしよ」
「わかってるよ」
 マンリーコは優しい笑みを浮かべてそれに応えた。
「自重しているよ。母さんの為だたらね」
「わかっていればいいんだよ」
 女はそれを聞いて目を細めた。
「御前は何といってもこのアズチェーナの大切なたった一人の息子だからね」
「うん」
「だからね、決して無茶はするんじゃないよ」
「それは無理かも知れないけれど」
 マンリーコは少し悲しい顔になった。
「俺は騎士だからね」
「そうかい」
 アズチェーナもそれを聞き悲しい顔になった。
「ところで」
「何だい?」
 マンリーコは問うてきた。
「さっきの独り言だけれど」
「ああ、あれかい」
「前からよく言っているよね。あれは一体何なんだい?」
「昔の話さ、昔のね」
「昔の」
「そうさ、御前にはまだ何も話してはいなかったか」
「寝言でよく聞いてはいたけれど。前から気にはなっていたよ」
「そうかい。聞きたいかい、この話」
「よかったら」
 マンリーコはせがんだ。
「是非聞かしてくれないかい」
「わかったよ」
 アズチェーナはそれを聞いて頷いた。
「御前は小さい時からいつも外に出ていた。だから話す機会もなかったしね」
「うん」
「じゃあ話すよ。この話を」
 異様に長い前置きであった。
「あの忌まわしい話を、御前のお婆さん、私のいとおしいお母さんの最後をね」
「ああ」
 マンリーコは頷いた。その顔からはもう笑みが消えていた。
「あの時はね、地獄だった」
 アズチェーナはまずこう前置きをした。
「あの伯爵がね、悪い伯爵がいた」
「伯爵が」
「そうさ。自分の子供の病気を御前のお婆さんのせいにしたんだよ」
「何という奴だ」
「妖術をかけたと言い掛かりをつけてね。そしてお婆さんを捕まえた」
「そしてどうなったんだい!?」
「火炙りさ。魔女がいつもそうされるようにね」
「恐ろしい。無残な話だ」
「そうだろうよ。お婆さんは足枷をかけられて引かれて行った。処刑場に」
 そう語る彼女の目に炎が宿っていた。
「あたしはお母さんを追いかけたよ。幼い子供を抱いて」
「助けに行ったんだね」
「そうさ。けれどね、どうしようもなかった」
「そうなのか」
 マンリーコはそれを聞いて沈み込んだ。
「お母さんは罵られ、嘲笑われながら処刑台に連れて行かれた。そしてそこにくくりつけられた」
「火炙りにする為に」
「ああ。そして火が点けられた。それは瞬く間に燃え上がった。お母さんを包み込んだ」
「恐ろしい、その伯爵は人間ではない」
「そうさ、あいつは悪魔だったよ」
 その声に憎悪がこもる。
「お母さんは嘲りや罵りの中あたしを見つけた。そしてこう言ったんだ」
「何と言ったの?」
「仇をとってくれってね。そしてそう言い残して死んだ」
「そうなのか」
「そしてあたしは決意したんだ。必ず仇をとってやるってね」
「仇はとれたの、母さん」
「それも今から話すよ」
「うん」
 一旦句切った。
「あたしは伯爵の子供を攫った。一人夜の城に忍び込んで」
「うん」
「そしてお母さんが死んだあの処刑台に連れて行ったのさ。その時まだ燃え盛っていたよ、炎が」
「お婆さんの憎しみの炎が」
「そうかもね。それにあたしはね」
「まさか」
「そうさ」
 アズチェーナは笑った。悪魔の笑みであった。
「泣いている子供をね。放り込んでやったのさ。苦しかったよ、胸が潰れそうだった。けれどあたしの目にあの光景が浮かんだんだ」
 今も見えていた。母を焼く炎が。その中で呻き、苦しみながら死ぬ母が。そしてそれを罵る群衆が。
「あたしに言うんだ。お母さんが。仇をとってくれって」
「それに従ったんだね」
「ああ。子供を放り込んだよ。思い切りね。そして暫くして落ち着いた」
「どうしたんだい?」
「あたしは見たんだ。目の前に」
「お婆さんをかい?」
「いや、伯爵の子供を」
「えっ!?」
 それを聞いたマンリーコは思わず声をあげた。
「それは一体どういうことなんだい!?」
「あたしはねえ」
 アズチェーナは語りながら震えていた。
「うん」
 マンリーコも息を呑んだ。そして母の話に耳を傾けた。
「自分の子を」
「自分の子を」
「火の中に放り込んでしまっていたんだよ!」
「恐ろしい!」
 それを聞いたマンリーコは思わず叫んでしまった。
「何という話だ!」
「あたしは自分の子供を焼き殺してしまったんだ!」
「それは事実なのかい、お母さん!」
「そうさ、本当の話なんだよ!」
 それを話すアズチェーナの顔は鬼気迫るものがあった。まるで地獄の奥底で呻く幽鬼の様であった。だがここでマンリーコは一つのことに気付いた。
「待ってくれ」
「何だい?」
「母さんは今自分の子供を焼き殺してしまったと言ったね」
「ああ」
「じゃあ俺は一体何なんだい?」
「何だって?」
「いや。俺はじゃあ母さんの子供じゃないんじゃないかい?自分の子供を焼き殺したんだろう?」
「ああ」
「そうなると俺は・・・・・・」
「御前はあたしの子供だよ」
 アズチェーナは彼に優しい声でそう語りかけた。
「けど今」
「疑うのかい?」
「いや」
 そう言われると否定するしかなかった。
「御前はあたしの子供だよ。それは保証するよ」
「けれど今」
「あの時のことを思い出すとね、何が何かわからなくなってしまってね」
「そうだったの」
「ああ。だから安心おし。何時だって御前の優しい母さんだっただろう?」
「うん」
 マンリーコは母の言葉に頷いた。
「あの時もそうだったじゃないか」
「ああ、そうだね」
「ペリリヤの戦場で倒れていた時、来ただろう」
「あの時は死んだと思ったよ」
 マンリーコはそう答えた。
「あたしは心配だったんだ。御前が死んだんじゃないかと思ってね」
 その顔には仁愛があった。優しい母親の顔になっていた。
「けれど生きていてほっとしたよ。それで御前をここに連れて来た」
「そして手当てをしてくれたね」
「そうさ。こんなことを本当の母親以外に誰がするんだい?」
「いや」
 マンリーコは首を横に振った。
「わかってるよ。母さんは俺の只一人の母さんだ」
「そうさ。そして御前も」
 アズチェーナもそれを受けて言った。
「あたしのたった一人の息子さ」
「うん」
 二人は頷き合った。そしてマンリーコは話を変えた。
「あの時の傷は深かった」
 その時の戦いのことが胸に浮かぶ。
「味方は敗走し、戦場には俺一人となった。味方を逃がす為に」
 彼は後詰となったのだ。
「そこにあのルーナ伯爵が来た。奴は俺に剣を向けて来た」
「そしてその剣で傷を受けたんだね」
「ああ」
 彼は答えた。
「あの時御前はあの男に情をかけたそうだね」
「うん」
 マンリーコはそれを認めた。宮殿での庭における決闘の話だ。あの時彼は勝ったのである。
「何故かはわからないけれどね」
「何故なんだい?」
「ううん」
 マンリーコは首を傾げた。
「あの時俺は奴を倒したんだ」
「それで全ては終る筈だったんだ」
「しかし御前はあの男の命を助けた」
「あの時ね、剣を振り下ろそうとしたんだよ」
「へえ、そうなのかい」
「うん。けれどその時身体が硬直したんだ。そして天から声がした」
「天から」
「そうなんだ。殺してはならぬ、と」
「おかしなこともあるもんだねえ」
「そう思うかい、母さんも」
「当たり前だよ。それで御前はそれに従ったんだね」
「ああ。俺はその場は退いた。剣を収めてね」
「ところがあいつはそれを恩には思わなかった」
「ああ、その通りだ」
 どのみち殺すか殺されるかの関係である。情なぞは不要であった。
「そして俺は傷を負った。もう天から何を言われようとも俺は従わない」
「殺すんだね」
「当然さ。俺はその為に死ぬかも知れなかったんだからね」
「そうだよ、そうするがいいさ」
 アズチェーナは息子の決断を褒めた。
「絶対に倒すんだよ」
「ああ」
 マンリーコは頷いた。
「この剣をあいつの心臓に突き立ててやる」
 彼は剣を抜いてそう言った。
「あの極悪人の心臓を貫く。そして人思いに決めてやる」
 剣が炎の光を受けて赤く光る。それはマンリーコの白面も照らしていた。微かに歪んでいるその左の面を禍々しく照らし出していた。
「そう、そうするがいいさ。そして」
 アズチェーナは息子に対して言った。
「仇をとっておくれよ」
「うん」
 マンリーコは頷いた。ここで黒い服を着た使者が姿を現わした。
「マンリーコ様」
「どうした?」
「これを」
 使者はマンリーコの前に来ると跪いた。そして一片の書状を差し出した。
「ふむ」
 彼はそれを受け取った。そしてそれを開いた。
「カステルロールは我等の手中に帰した」
 彼はそれを読みはじめた。
「よって貴殿には主の命をもって守備を司ってもらいたい。すぐに来られたし」
「お願いできますか」
 使者は彼を見上げて問うた。
「無論」
 マンリーコはすぐにそれに答えた。
「この命我が主君のもの。ならば喜んで差し出そう」
「それは何より」
「だがまだ手紙は残っているな。どれ」
 彼は再び読みはじめた。
「なおレオノーラは貴殿の死の報を誤り信じ近くの修道院に入りヴェールでその身を覆うとのこと・・・・・・。何っ!?」
 それを読んだマンリーコは思わず声をあげた。
「これは本当か!?」
「はい」
 使者は答えた。
「どうしたんだい?」
 アズチェーナは我が子の只ならぬ態度に問うた。だがマンリーコは彼女に答えはしなかった。
「馬はあるか」
 使者に問うた。
「はい、山のふもとに」
「わかった。ではそれを使わせてもらおう」
「はい」
「その修道院は何処にあるのだ?」
「私が案内致します。御安心を」
「わかった。よろしく頼む」
 彼はそれも聞いて頷いた。
「マンリーコ」
 ここでアズチェーナは我が子の名を呼んだ。
「何だい、母さん」
「一体何をするつもりなんだい、御前は」
「決まってるじゃないか」
 彼は強い声で答えた。
「レオノーラを救いに行く。それ以外に何があるというんだい?」
「馬鹿なことを言うでないよ」
 母は激情にかられようとする息子を叱った。
「そんなことをしても何にもならないよ」
「少なくとも俺にとってはそうじゃない」
 マンリーコはマントを羽織ながらそう答えた。
「だから行ってくるよ。安心して」
「安心できるわけないじゃないか」
 彼女も感情的になってきた。
「御前はあたしの何だい!?」
「息子さ」
「そうだろう、じゃああたしが御前をどう思っているかわかるね」
「勿論」
「じゃあいうよ。傷がなおったばかりのその弱った身体で馬に乗るって?人もいない荒れ道を通るって?冗談じゃないよ」
「それがどうしたっていうんだい」
 しかしマンリーコは母のそうした忠告を聞こうとはしなかった。
「俺にとってレオノーラは全てだ。それを救わなくてどうするんだ」
「あたしにとっては御前が全てなんだよ」
 アズチェーナも引くわけにはいかなかった。
「御前はあたしにとっては血そのものさ。御前の流す血はあたしの血なんだよ」
「それはわかってるよ」
「わかってないから言うんだ。御前がいなくなったらあたしはもう生きてはいられないんだよ」
「それは俺だって同じさ」
 マンリーコは言った。
「俺はレオノーラがいなくては生きてはいられないんだ。今のこの気持ちを抑えることは誰にもできはしない」
「あたしでもかい」
「そうさ」
 彼は強い声でそう答えた。
「だから俺は行く。けれど絶対に帰って来る。だから安心して」
「またそんなことを」
 彼女は彼の身体を掴もうとする。しかしマンリーコはその前に動いた。
「行って来るよ」
「お待ち」
「御免、それはできない」
「マンリーコ!」
 アズチェーナはまた叫んだ。だがそれより前に彼は出た。そして山を降りて行った。アズチェーナはそれを見てただ泣き崩れるだけであった。その姿は悲嘆に支配されていた。

 その修道院はカステルロールの近くにあった。大きな修道院であり中庭もあった。
 そこに男達がいた。マントに身を包み剣を腰にかけている。
「まだ来ないのか」
 その先頭にいる伯爵が後ろに控える者達に問うた。
「はい、まだ誰も」
 フェルランドがそれに答えた。
「もうすぐだと思いますが」
「そうか」
 伯爵はそれを聞き頷いた。
「ならばよい。準備はできておるな」
「はい」
 一同それに答えた。
「あとはレオノーラ様が来られるだけです」
「よいぞ。そして彼女は私のものだ」
 伯爵は満足そうにそう言った。
「その時は近い。彼女は一度は私のものとなる筈だった。あの男を倒したその時に」
「はい」
「しかし彼女は祭壇にその身を捧げるという。そんなことが許されるものか。彼女は私だけのものだからな」 
 その目には恋と野望に燃える炎が宿っていた。
「あの微笑を手に入れる為ならば私は何でもしようぞ。例え神に背こうとな」
 強い決意もそこにあった。
「伯爵」
 フェルランドが声をかけた。
「何だ」
「本当に宜しいのですね」
「当然だ」
「修道院とことを構えることになりかねませんが」
「わかっておる」
 しかし彼は引くつもりはなかった。
「だがそれがどうした。私のこの想いは誰にも負けないものだ」
「それはわかっておりますが」
「フェルランド」
 ここで伯爵は彼の名を呼んだ。
「はい」
「そなたは私のことを幼少の頃から知っているな」
「はい」
 彼は伯爵が幼い頃からその側に控え仕えてきたのである。
「ならばわかっている筈だ。私がこうした時決して引かぬのを」
「はい」
「必ずや彼女をこの手に入れる。その為なら」
 言葉を続けた。
「教会を敵に回そうとも構わぬ」
「左様ですか」
 フェルランドはそれを聞いて覚悟を決めた。
「では後のことは私にお任せ下さい」
「いつも済まぬな」
「いえ」
 伯爵の謝罪にも応えた。
「それが私の務めでありますから」
「すまぬ」
 しかし伯爵は引くつもりはなかった。彼等はここで木の陰に隠れた。
「まだか」
 伯爵は木の陰でそう呟いた。
「落ち着きなされ」
 フェルランドはそんな彼を宥めた。
「必ず来ます。ですから」
「そうだな」
 彼は落ち着くことにした。
「皆の者、頼むぞ」
「はい」
 フェルランドだけでなく他の者もそれに頷いた。
「神に逆らおうとも」
 伯爵はまた呟いた。
「彼女をこの手に入れなければならないのだからな」
「はい」
 ここで尼僧達の夜のミサの声が聴こえてきた。
「ほう」
 それは清らかな女達の声であった。伯爵達はそれに耳を傾けた。
「エヴァの娘達よ、過ちが貴女をふさごうともいずれ悟ることでしょう」
「エヴァか」
 伯爵はその名を聞いてふと声に出した。
「この世は夢幻に過ぎないということを。この世における望みは儚いものであることを」
「それは違うな」
 しかし伯爵はそれを否定した。
「私の望みが彼女である限り」
「さあ、神が授けられたヴェールが貴女を守ります。この世でのことからは全て解き放たれました」
「そうすれば私にはもう生きる意味はない」
 尼僧達の言葉と伯爵の想いは全く異なるものであったのだ。
「天に身を捧げられなさい。そうすれば天は開かれましょう、貴女に」
「例えそうだとしても」
 伯爵はまた言った。
「私には彼女が必要なのだ」
 やはり彼の決意は固かった。そしてそこに二人の女がやって来た。
「あれは」
「お待ち下さい」
 フェルランドは出ようとする伯爵を制した。
「まだです。充分に近付いてから。よいですね」
「わかった」
 彼は落ち着きを取り戻しそれに頷いた。
「今が肝心だからな」
「はい」
 伯爵はまた隠れた。そしてこちらにやって来るその二人の女に目をやった。それは伯爵の予想通りであった。
「お嬢様」
「ええ」
 レオノーラはイネスの言葉に答えた。
「もうすぐね。もうすぐで私は神のお側に参ることができるのだわ」
「残念です」
 嬉しそうなレオノーラとは正反対にイネスは沈んでいた。
「どうしてなの?」
「これでお別れかと思うと」
 イネスはその目に涙を宿していた。
「それはそうだけれど」
 それを見たレオノーラの心も痛んだ。だだそれでももう彼女は意を決していたのである。
「もう私にはこうするしかないから。それはわかってね」
「はい」
 イネスもそれに頷くしかなかった。
「あの方がもうおられないのなら。俗世にいる意味はないわ」
「そして祭壇に身を捧げられるのですね」
「ええ」
 レオノーラは頷いた。
「最早私の望みはそれしかありません」
「それはならぬ」
 ここで伯爵が木の陰から姿を現わした。
「伯爵」
「貴女には婚礼の為の祭壇しか必要ない」
「何を仰るのですか!?」
「それは」
 レオノーラのその問いに答えるかのように彼の後ろにフェルランドと兵士達が姿を現わす。
「こういうことだ」
「まさか!」
「その通りだ」
 イネスの驚きの声に答えた。
「では来るのだ。私の手の中に」
「あああ・・・・・・」
 驚きと恐怖で身体が動かなくなった。伯爵はそれを知っているのかゆっくりと近付いて来る。それがレオノーラの恐怖をさらに高めていた。だがその時であった。
「待て!」
 不意に誰かの声がした。
「ヌッ!」
「その声は!」
 それを聞いた伯爵とレオノーラは同時に声がした方に顔を向けた。そこには白銀の満月を背にしたマンリーコが立っていた。
「マンリーコ様」
 レオノーラが彼の姿を認め喜びの声を漏らす。
「伯爵、無体は許さんぞ」
「フン」
 しかし彼を見ても伯爵は怖気づいてはいなかった。
「死人が何を言うか」
「生憎だが私は生きている」
 彼はそう返した。
「今その証拠を見せようか。地獄に私がいるかどうか」
「面白い」
 伯爵は彼と正対して笑った。
「一人で何をするつもりか」
「誰が一人と言った」
「何!?」
 その時だった。マンリーコの後ろから一斉に叫び声があがった。
「何っ!」
 それを聞いた伯爵とフェルランド達は思わず声をあげた。見ればそこには兵士達がいたのだ。
「貴様の手勢か」
「如何にも」
 マンリーコは答えた。
「これで五分と五分だ。だが私にあって貴様にないものがある」
「それは何だ」
「彼女の愛と」
「ヌウウ」
 それを聞いた伯爵の顔が歪んだ。
「神の御加護だ。それがあるからこそ今私はここにいるのだ」
「それが何時までも続くと思っているのか」
「無論」
 マンリーコも負けてはいなかった。
「ならば今それを見せようか」
「望むところ」
 両者は剣を抜いた。双方の後ろに控える者達も同じだ。そしてレオノーラを挟んで激しく睨み合う。
「死にたいようだな」
「それは貴様にそのまま返そう」
 相変わらず強い調子で対峙する。
「今すぐ私と彼女の前から去れ、永遠にな」
「それはこちらの台詞。彼女は私だけのものだからな」
「私のものだ」
「どうあっても引かぬつもりだな」
「無論」
「ならば剣で決めようぞ」
「望むところ」
 兵士達も前に出る。双方今まさに斬り合わんとしたその時であった。
「伯爵」
 フェルランドが彼を制した。前に出る。
「どうした」
「ここは引きましょう。神の御前です故」
「馬鹿を言え」
 だが伯爵は取り合おうとしなかった。
「今ここでこの不埒な男を成敗するのだ。その神の御前でな」
「それはわかっております。しかし」
「しかし・・・・・・何だ?」
「見たところ兵はまだいるようです。何やら気配を感じます」
「何っ」
 伯爵はそれに驚いて辺りを見回した。すると闇の中に何かが蠢いて見えた。
「まさか」
「有り得ます。もしそうだとすると今ここで戦えば我等は皆殺しに遭います」
 その危惧は当たった。彼等の右に新手が姿を現わした。
「マンリーコ、無事か!?」
 黒い髪と目をした小柄な男が姿を現わした。青い服に黒いマントを羽織っている。
「ルイス」
 マンリーコは彼の名を呼んだ。
「来てくれたのか」
「ああ。山を降りたと聞いてな。もしやと思いここに来たが」
 彼はマンリーコ達の側にまで降りてきてそう言った。その後ろには手勢がいる。
「当たりだったようだな。まさか敵さんがいたとは」
 そして伯爵達に目をやった。
「ああ。だがここは私の手勢だけで充分だ」
「いや、そういうわけにもいかない」
 助太刀を断ろうとするマンリーコに対してそう言った。
「あんたは病み上がりだ。そんな状況で戦ったら危険だ」
「しかし」
「まあここは任せてくれよ。いいな」
「・・・・・・わかった」
 マンリーコは渋々ながらそれに従った。ルイスとその手勢はマンリーコの手勢と共に伯爵達を取り囲んだ。
「さて、これで形勢は変わったわけだが」
 ルイスは伯爵達を見据えて言った。
「どうする?、剣を収めるならよし。しかしまだ抜いているというのなら」
 彼はそう言いながら剣で伯爵を指し示した。
「わかっているな。さあ、どうするんだい?」
「クッ・・・・・・」
 伯爵は顔を紅潮させていた。そしてその手に持つ剣を振り上げようとする。だがフェルランドはそれを止めた。
「伯爵、多勢に無勢です」
「しかし」
「機会はまたあります。ここは剣を収めましょう」
「だがここで引けば」
「少なくとも命は保てます。生きていれば必ず好機が訪れますから」
「クッ・・・・・・」
 彼も分別がないわけではない。嫌々ながらもそれに従うことにした。
「わかった。ここはそなたの言葉に従おう」
「はい」
 伯爵は剣を下ろした。そしてそれを腰に収めた。
「これでよいな」
「いかにも」
 フェルランドではなくルイスがそれに答えた。
「ではレオノーラ、貴女は」
「はい」
 彼女はそれに頷いた。そしてマンリーコの側に寄る。
「ようやく貴方の許に入ることができましたね」
「ええ」
 マンリーコは彼女を抱き締めてそれに答えた。
「この日が来るのを信じておりました」
「私もです」
 こうしてレオノーラはマンリーコの手の中に入ったのであった。それを見る伯爵の目は憎悪で燃え上がっていた。
「マンリーコ」
 彼は敵の名を呼んだ。
「このことは決して忘れはせぬぞ。必ずや貴様を地獄の業火で焼き尽くしてくれる」
「できるものならな」
 マンリーコはそれに言い返した。
「だがそれは今ではない。戦場でだ」
「そう、戦場でだ」
 伯爵はマンリーコの言葉を繰り返した。
「戦場で貴様を必ず倒す。覚えておれ」
「忘れるものか。それはこちらの言葉だからな」
「面白い。ではまた会おうぞ。今度会う時は」
「貴様が死ぬ時だ」
 そう言って両者は互いに別れた。マンリーコはレオノーラと共にその場を去った。イネスやルイスもそれに同行する。兵士達が彼等を守っていた。
 伯爵とフェルランド、そしてその兵士達はそこで彼等を見るしかなかった。彼等は白銀の月の下憎悪の炎でその身を焦がしていた。



何やら、複雑な事が。
美姫 「うーん。一体、これからどうなるのかしらね」
さてさて、一体、どんな展開を見せるのか。
楽しみでもあり、怖くもあり。
美姫 「それでも次回を待ちわびる〜」
次回も楽しみに待ってます。
美姫 「それじゃあ、また次回でね〜」
ではでは。



頂きものの部屋へ戻る

SSのトップへ